ものがたりを解釈する

アニメ、漫画、小説、神話、あらゆるものが語りかけてくること。最も深遠な、でも誰にでも開かれている秘密に、解釈というメソッドで触れていく。

君の名は、を解釈する2 名前の意味、反魂の秘儀。

君の名は。

 

さて、名前の話だ。 名前というのは魔法の基本中の基本だと思う。

 

宮水三葉、みつはめのかみ、罔象女神、水早女神、水の出始め、水神だ。性も名も陰属性。

立花瀧、たちばな、橘、非時香菓、ときじくのかくのこのみ、

柑橘の一種でいつも良い香りがすることから、時を越えるという意味を持ち、

またその実はオレンジ色の球体、太陽的、陽的だ。

瀧、さんずいに龍。さんずいは水に馴染むもので、

龍というのは陰陽の思想では最強の陽なるものだ。性も名も陽属性だ。

 

神事の時、三葉と四葉は龍の頭飾りや竜の鈴をもって踊っている。

これは多分、龍を、陽を、呼ぶ神事だ。

 

どうも、名が、術者の代わりになる鍵として機能していると解釈できそうだ。

もっとどんどん符合していく。

糸守の人達の名前は、

宮水、勅使河原。水、河、水属性だ。

名取早耶香は、制作の途中まで沙耶香、さんずいの名前だったらしいが、

多分それだとみつはとカブるので、名取、名を取るという名字になっている。

つまりもう勅使河原さやかと考えろってことかな。で名前からさんずいはなくなった。

 

なぜ、糸守の人達に水属性の名がつけてあるのか。

もうあの辺がまるごと、対比から見れば幽世であるという意味もあるだろうが、

 

ここでおそらく2400年前、1200年前、湖ができる前のトライの失敗があった、

ムスビが成されなかった事があったのではないかと思われる。

 

湖がないから、木火土金水の五行でいう水の要素が揃わなかった、足りなかったのではないか。

だから人に水に属する名前をつけて、備え、補おうとしたのではなかろうか。

当時は変電所爆破もなかったはずだが、

そのかわり、たたら場が、製鉄、鉄を火で鍛える、金と火になったはずだ。

図書館の本かな?瀧が旅館で見てる本にそういう記事がある。糸森における製鉄の歴史、たたら場集落多数、とか。

 

隕石っていうのは鉄、コンドライトのことが多いから、

昔々、山を掘って鉄を得る前は、拾った隕石も大事な材料だった。

隕鉄でできた剣、流星刀、というのは古代世界で共通の重要な祭具だ。

 

1200年ごとに星が降ってきて辺り一帯吹っ飛ぶっていう土地、隕石を呼ぶ土地というのは、

危なくてそんなとこ住めねーよって見方もあるけど、

生業に必要なレア素材がいっぱい落ちてる土地、という見方もできる。

 

糸守あたりの古代の人は、そのへんも色々含めて考えて、

危ない土地にあえて住み、そしてその危険ももたらす大きな天地のサイクル、星と星が惹き合う摂理、ビッグイベント、巨大なエネルギーに便乗して、その危機を越えることができないかと、神事、魔術を継承してきたんでないかな?

1200年ごととなると、途中で火事があって文献が焼失しちゃったりするけどw

一葉ばあちゃんは「なんもかんも焼けてまった」と嘆いてたけど、

しかし2400年前からの伝承となると、その媒体が文字だったかどうかは微妙なところだ。

むしろ舞や鈴や飾り、口噛み酒をつくり、磐座に奉納するという、儀式、型そのもののほうが言葉以上の、無形の重要な伝承、本質的に意味のあるものだった可能性が高い。

磐座の天井画とか、古代の遺跡っぽい趣があるけど、あれもそうだ。

 

おっと、そう。名前の話をしてたんだけど、繭五郎っていうのもそうだ。

「草履屋の繭五郎の風呂場から火が出て。」

これは実は、災禍ではなく何か善いことが起きてるはすだ。

繭。蚕の繭。それを湯で煮れば、絹糸がとれる。

風呂場、水場から火がでて、繭だからなあ。

繭五郎てのもそうだ。一葉二葉三葉四葉ときて、五郎なんだからな。

繭というのは、中が空洞だ。

竹とか、桃とか、そういう洞(うろ)をもつものは、それが胎となって霊性が宿るという思想がある。かぐや姫や桃太郎だ。

 

繭五郎、彼の中にも誰か宮水の巫女、女性の心が入ってたんじゃないかな~。

 

草履っていうのもな。藁を編んで結んでつくる。グレードは落ちるが、絹糸を編んでつくる組紐と、良く似たものだ。

 

繭五郎の大火は、絶対なんか善いこと、必要なことが起きてる。

それで神社の場所を移したっていうのがそうなんだろうな。

 

で、名前の話を続けよう。

奥寺ミキ藤井司だ。

 

このふたりの役割は「遠くで見守るよ」と言ってるけど、その通りだ。

 

君の名は、では結構色んな美味しそうなものの絵が出てくるけど、

実際にその食べ物を口に運んでる場面は、意外なほど少ない。

 

三葉と四葉の口噛み酒の米を噛むところ、(マジックアイテムつくる) 

瀧(中身みつは)がイチゴのケーキをひとくち食べるところ(二者の合一) 

奥寺ミキが新幹線でフラン食べる藤井司みそかつ食べる 

奥寺ミキ藤井司が五平餅食べる 

奥寺ミキがラーメン食べる。 

瀧がおむすび食べる、酒を呑む(マジックアイテムを繋ぐ) 

放送室でみつは早耶香てっしーがおやつ食べる。(反魂の供物?) 

半分以上が、奥寺ミキ藤井司の場面なんだよねw

 

まあ供物とみるべきなんだろうけど、ではこの二人の役割はなんだろうか。

 

奥寺ミキ 寺、は宮と対になる。神社の娘と、寺という名のお姉さん。

では、奥、は?立花瀧の、ハナ、と対になる。しょっぱな、端っから、出端、鼻。

ハナっていうのは最初の方という意味がある音だ。

で、もうじゃあ。ミキはあれだ。みつはのミと、たきのキだろう。

 

奥寺ミキは、宮水みつはと立花瀧の中間に、ただ存在するものとして描かれる。

これといったアクションを起こさず、ついてくる、そばにいる。そういうキャラだ。

河合隼雄の日本神話の研究にそういうのがある、中空構造論とか無為の神とかいう。

中立の、なにもしない神。 

高産日、神産日、その間に天御中主 

イザナギイザナミ、その間にククリヒメ 

素戔嗚、天照、その間に月読 

日本の神話は、対になる原理の神の中間にそういう神を配置する。 

白か黒か、イエスかノーか、 

っていう対立を包み込む、和らげる、和する。なんとな~くなんとかする。 

曖昧なままにしとく、まあまあ、なあなあにする。

そういう余地、対立の仲裁、緩衝地帯、グレーゾーン、全体を包む円。 

そういう実に日本人的な心の在り方が、神様の構図にもある。

 

奥寺ミキはそういう役だ。仲立ちの神、ククリヒメだな。

 

藤井司は、ふじ、不二、不死。井は井戸、水を汲む穴、通路。そして司、つかさどる。だ。

もう反魂をやる気満々のネーミングではないだろうかwww

そういう神さまはあんまり日本神話にはいないんだけど。

ティアマトっていうのもメソポタミア神話の女神なので、ネルガルとか冥界を司るような神様が元ネタにあるのかもしれない。

 

また、みつはや糸守の500人が、黄泉にかくれたイザナミ、あるいは岩戸にかくれたアマテラスとみるなら、そこから彼女を現世へ引き戻すアマノウズメアメノタヂカラオという男女ペアの神様がいなくもない。

 

奥寺ミキと、藤井司はついてきて、見守るだけだが、

 

旅館で奥寺ミキが煙草を吸っている。画面の中央にもくもくと煙を吐いている。

で、翌朝、次の場面では曇ってきて雨が降ってくるので、

絵面的には彼女が雲を起こし、雨を呼んでいる、とも見てとれる。

で、雨によって「ここから先は幽世」と言われていた小川、三途の川が増水し、山頂全体が雨に煙っている。

現世と、幽世の境界、狭間が、曖昧にぼやけて広がっているわけだ。反魂の準備が整っている。

幽世、異界は、水の世界、という思想もメアリと魔女の花の記事で前述したけど、

新海誠監督もその世界観を採用している。

あの磐座、大岩は千引きの岩だ。瀧はその下へ赴く。

 

さて、そんなわけでだ。

長くなったけど、GS美神令子が言うような、反魂の条件は揃っている気がしてこないだろうか。

肉体と精神は隕石衝突時の物質と巨大な気の混交で再構成できる。

魂は、宮水の祝詞と神事が保護しているんだろう。以下引用コピペ

 

かけまくもかしこき宮水の神社(かみのやしろ)の大前に、かしこみかしこみ白(まを)さく。 
大神の広き厚きみたまのふゆによりて、 
食物(をしもの)、衣物(きもの)、住居(すみか)をはじめ、 
よろずのことども、求むるまに得しめたまひ、勤むるまに成らしめたまひ、 
親族(うから)、家族(やから)、和(にぎ)び睦(むつ)び、 
日に異(け)に心やすく楽しく、撫でたまひ守りたまひて、 
顕世(うつしよ)を去りぬるのちの魂(たましひ)も永久(とこしへ)に治めたまひ恵みたまひ、 
幽世(かくりよ)の制(みのり)のまに、神の列(つら)に入らしめたまひ、 
裔(はつこ)の弥(いや)次々をも守り幸(さきは)ひぬべく、あななひたまひ助けたまひて、 
顕世も幽世も、楽しみ喜びの変わることなく盡(つく)ることなく、 
恵みたまひ愛(うるはし)みたまはむことを嬉しみかたじけなみ、 
称事(たたへごと)を竟奉(へまつ)らくを、 
御心のなごやかに聞こしめせとかしこみかしこみ白す。 

 

顕世(うつしよ)を去りぬるのちの魂(たましひ)も永久(とこしへ)に治めたまひ恵みたまひ・・・というのは、ちょっと他では聞かない文言なんでないかなww

 

彗星衝突で、糸守の住人500人はやはり死んだ。

そして3年経って、反魂の術の鍵となる瀧が17歳、みつはより年上になり、

米を陰と陽に加工したもの、おむすびと口噛み酒を呑んで、顕世と幽世の間にある磐座に座す。

 

それでスイッチが入り、散りばめられた何かが、すべて噛みあって発動する。

幽世から500人が復活する。反魂の秘儀だ。

 

瀧から組紐を受け取ったみつはが、何をどうやって住民全員を避難までもっていけたのか、が大胆に省略されてるのもそーゆーことなんでないかなー。

それは実際に起こったことではなく、そういうことで助かったんだろうと状況に合わせて後から記憶がつくりあげられて補完されてるというか。

 

「霊の体験なんて夢のように儚いものだもの、目覚めた時ほとんどの夢は泡のように消えてしまう。とどめていようと思っても指から水がこぼれるように失われてしまうわ。」これ美神のセリフなんだけどw

君の名はでも、まんまこれでイケる。

瀧の携帯から文字が消えていくのも、五年前のことはほとんど忘れてしまったと瀧や奥寺ミキが言うのもそうだ。目が覚めれば、記憶は不鮮明になっていくというセリフもあったな。

 

そもそも、過去とは、時間とは、なんなのか、という話だ。

 

それはどこにも存在しない。この世界にはいつでも今、この瞬間しかない。

 

「人の記憶こそが、時間なのです。」というのは、

こないだまで無料配信してた仮面ライダー電王の世界観だけど、その通りだと思う。

 

人々の、共通の認識。集合的無意識のなかの認識、記憶。それが言うなれば過去だ。それは思うほど確かなものではない。思い出す度、観測する度に微妙に変化し、解釈次第で変わり得る、曖昧なものだ。

 

イマジン、想像するという名のクリーチャーが、人をパカッと開いてそこへ入り、暴れれば現在に影響が出てしまう、そのくらいの感じのものだ。

 

復活して、肉体があって生きてる。暮らしている。そういう間違いない結果がある。

で、過去三年ばかりの記憶が思い出そうとすると夢のように曖昧だ。

新聞や雑誌の記事を見てみると、そういうことだったらしいけど、そうだったかなあ?

 

くらいで済む。500人、日本人全員の集合的無意識の中でそうなれば、そうだったことになるだろう。

 

そのへん、実にうまいこと誤魔化してると思うw

キャラの主観では曖昧な感覚、記憶を夢とか、思い出せないとか、そういうことにして

客観の情報はニュースや色んな記事でフォローするというw

 

この辺を考え詰めると、だんだん禅問答か観測問題みたいになってくるからな・・・。

 

考える材料だけ散りばめといて、解説はナシで、ボーイミーツガールの主題に焦点をあてて描くのはすごい画期的だと思うw

サラッと楽しみたい層も、考察厨も両方満足できるようになっている。

 

 

 

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さて、次の話題、次の記事に行く前に注釈~。

この辺はスレの人達からたくさん情報提供をもらってみんなで考えたことです。

ミュトスさん、龍使いのお母さん、名前考え中さん、特異点さん、皆ありがとー。

当時のスレのURLhttps://mao.5ch.net/test/read.cgi/comicnews/1543836203/-100

 

 

 

 

 

 

君の名は、を解釈する1 三度目のムスビ、神話、陰陽とそれをつなぐもの。

君の名は。

 

 

さて、君の名は、はどこから手を付けたものか・・・?

スレでも相当とっちらかって突拍子もなかったからなあ。

 

正直、とにかくキレイだった。っていう感想だけでもいい気はしてるんだけどw

解釈していっても色んなことがどんどん符合していくのが面白かったな。

 

まず、じゃあ、初見の人が疑問に思いそうなところから。

 

ラストの赤い手すりの階段で、上からみつはが、下から瀧があらわれる。

二人はなんでか、黙って階段を進んで、すれちがって、そして瀧が上から声をかける。

 

ここは疑問に思いやすいんじゃないかな。

見つめ合ったならすぐに声をかけたらいいのに、なんでそんなまどろっこしいことをするのかと。

 もちろん万感の想いとか確信がないとか色々胸中の複雑さはあっただろうけど。

 

でも、ああいうことをするのは元ネタがあるからだ。

そして二人は、その前に二度、失敗してるからだ。

 

日本神話、イザナギイザナミの国産みのくだりなんだけど、

女神イザナミが先に声をかけると、ヒルコが生まれる。うまくいかない。

やり直して、男神イザナギから声をかけると、神産み国産み、産霊はうまくいく。

これは陰陽の思想でもある、男が陽で能動、女が陰で受動。

これはある原理、法だ。ここを疑問に思うと話が壮大になるので、それはまたの機会にして、

とりあえず物語の裏設定として理解よろしくお願いします。

 

みつはが東京の瀧に会いに行った日、電車のなかで17歳のみつはは14歳の瀧に声をかける。女が男に声をかける。

これだと逆だ。一度目の国産み、一度目の失敗となる。

 

で、イザナミイザナギと言えば、黄泉へ迎えに行く話も有名だ。

黄泉の死者となった女神を、男神が迎えに行くけれど「振り返ってはいけない」というルールを守れず、女神の復活はうまくいかない。

 

磐座のある山頂で、みつはと瀧は互いを呼びあい探す。

すれ違って、鈴の音がして、振り返る。カタワレドキになって姿が見えるけど、

はい、振り返ったらダメなんですね~。これが二度目の失敗だ。

円い山頂を回ってるのも柱を回る国産みの場面に似てるね。

 

まあ、失敗っていうとなんなんだけど、

縁がうまく結ばれないというか。すれ違うというか。

ムスビ、産日、産霊、を成すことができない。

 

 

もし、山頂で振り返らなかったら、目が覚めた瀧の前にみつはがいてハッピーエンド、という展開でも良かったんだろうけど。

会いたくて会えなくて切なくて、君を探してる、が新海誠監督のやりたいテーマだからなw

 

名前を忘れて五年間、すれ違い、探し続け、

 

で、階段で出会う。そして今度こそ、瀧が上で、瀧から声をかける。

男が上から、男から声をかける。

これで日本神話と陰陽の法、ルールに則った出会いになり、結びは成されるというわけだ。

 

前前前世から僕は、という主題歌だけど、そのとおりで、

ムスビを成すまでに、三回のトライがある物語になっている。

彗星も三回落ちてる。接近に周期があって、

1200前に糸守湖(隕石湖)と2400前に山頂(クレーター)に落ちてて、

で劇中で三回目だ。この辺の意味も後述する。

 

 

 なんかそういう仕掛けがいっぱいあるんだよな。

何重にもなっててまるで魔方陣だ。で、そういう陣を敷いた目的も説明できると思う。 

 

まず、パンスペルミア説。

彗星と地球、彗星と湖、緒をひくものと円いもの、つまり精子卵子

男性原理と女性原理の混交、合一によって新しい生命が生まれる、

とみるやつがある。

 

ではこの映画では、このパンスペルミア現象、莫大な天地の気の混交によって何が生まれていたのか。

自分の結論から言うと、糸守町500人の住民が生まれてる、復活・反魂している。

・・・っていうのを書いていきたい。

 

えーと、まずこの手の物語としては、

シュタゲとかまどマギとかひぐらしとか時をかける少女とか。

誰かを救いたくて、過去へもどって出来事のやり直しをする。

っていうタイムリープ、ループ、世界線の移動、過去改変、時間遡行、とかの概念があると思うんだけど、

 

君の名は、ではそういうことは起こっていないように思う。

みつはと瀧の間の、三年の時間差には別の意味がある。

あの二人は、同い年か、瀧の方が一日分でも年上でなくてはいけない。

それも陰陽だ。男の方が年上であることが必要になる。

 

君の名は、で使われている世界観は、現世と幽世(かくりよ)、つまり死後の世界だ。

 

彗星が落ちてきて、500人が死に。

そして三年後、反魂の術が発動して500人が復活している。

そういう話で辻褄が合う。

時間をどーにかするSF的発想じゃなくて、

死者を黄泉から連れ戻すという、神話的、オカルト的発想なんだと思う。

てっしーもオカルト誌ムー読んでるしなw

 

死者の復活というと、古今東西で基本的にそれはタブーだ。

日本神話、イザナミイザナミを迎えに行った物語も、

ギリシャ神話、オルフェウスがエウリュディケを迎えに行った物語も、失敗に終わる。

「振り返ってはいけない」という約束を守ることができなくてそうなる。

 

漫画だと、鋼の錬金術師なんかも死者の蘇生、人体錬成に失敗するね。

 

しかし、近年は割とこのタブーを超える感性、物語があらわれてると思う。

GS美神で幽霊のおキヌちゃんが反魂・復活する。

フランケンウィニーもゾンビが復活でオッケーのエンドだ。

ゾンビランドサガとか、なんかもうゾンビでも幽霊でも妖怪でも萌えればそれでこまけえこたぁいいんだよっていうww

 

GS美神ではこんな感じだ

「反魂って物語では邪悪な怪物になって生き返ってきますけど・・・」

「それは魂がないのに強引に術を使うからよ、邪霊を近づけない結界、保存状態のいい肉体、生命力にあふれた若い女性、地脈に巨大なエネルギーとそこにくくられた霊、これだけ条件が揃えば・・・」

 

そう、条件が揃えば、って言うんだよな。

で、君の名はを見ていくとそういう条件がこれでもかってくらい揃っていく。

 

まず、マストなのは陰陽だ。これは何重にもなってて非常に面白い。

みつは(中身は瀧)が父親と対峙する役所の一室で、陽と陰と書かれたポスターが貼ってあって、これはヒントだ。

 

陽的なもの   つなぐもの   陰的なもの

       組紐      みつは

              みつは

       奥寺ミキ    みつは

彗星             地球

隕石              

都会(ビル群・文明)レール   田舎(湖・自然)

おむすび(個体)       口噛み酒(液体)

現世      小川・雨    幽世

現世      彼は誰時    幽世

視聴者            映画

 

ざっとそのくらい、陰陽の対応が考えられている。

ここまで揃ってると人の無意識にまで深く訴えてくる気がするわ。ヒット作にかけられている魔法だ。

 

レール、というのは電車の線路でもあるけど、

あの電車や部屋の戸がスライドするのもレールだ。

ぐいっときてうわーぶつかる~っ!て感じのあの描写が場面転換でもあり、

瀧とみつはの中身交代の身体感覚の表現になってるとも思う。

 

更には陰陽五行、木火土金水も用意されている。

彗星と割れて落ちてくる隕石が陽、地球と湖が陰、陰陽。

そして衝突で吹っ飛ぶ糸守の森が木と土、湖が水。

変電所爆破と火事が金と火だ。釘や鋏の描写もちょいちょい強調されてる。

 

これは人体錬成に必要な、肉体の材料と気だ。

 

ハガレンでは人体の材料、元素は、市場で子供の小遣いで揃うよ、というセリフがあるけど。

ハガレンでは、人は、精神と物質と魂から成る、というものの、

精神や魂も、物質と等価に揃えるという発想が希薄なんだよな。精神なんか魂と肉体を結ぶだけのなにか、くらいの認識だ。

天地の気やエネルギー、精神や、陰陽の発想が足りない。

肉体さえ錬成すればそのへんは勝手になんとかなるみたいに思ってるフシがある。

それでは、条件が足りないから錬成は失敗する。

 

君の名は、では、肉体を構成する物質、(隕石と爆破で吹っ飛んだもろもろ)

精神を構成する気、(隕石と地球のパンスペルミアでおきる、天地の気の混交)

魂もその場にそのまま留め置く術(宮水の祝詞や神事)のすべてが揃っている。

と、思う。

 

ただ、あと必要なのは術者だ、十分な力量の祭司、魔術師、錬金術師みたいな人がいない。

そこで、君の名は、というタイトルだからな。名がその代わりになる意味を持ってる。

次の記事で詳しくしていきたい。

 

 

 

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崖の上のポニョを解釈する3 水色のワンピース、イカの豆知識。

丸眞 エプロン ポニョ 大人用 水中散歩 1165027900


赤毛の魔女の話を書いてて思いついたので。

ポニョでは、赤毛と黒髪という対比ヒロインはポニョとくみこちゃんだ。

 

で、宮崎駿作品では、ほぼ初の出来事なんだけど、赤毛ヒロインとボーイフレンドのカップルが成立する。

ナウシカとアスベル以来だ。
しかしナウシカとアスベルは、実はやや対としてはバランスが悪い。ナウシカが完璧すぎるからだ。
慈悲と破壊の混沌、王のカリスマであり、戦士であり、研究者であり、聖母であるナウシカは、できないことがないからな・・・。
漫画版だとアスベルは後半出番がなくなって、セルムが出てきて、アスベルとケチャが相思相愛になってしまう。

 

ポニョとそうすけはそういう意味でバランスがいい。

で、そうなると黒髪ヒロインが相方がいなくてあぶれちゃう。それも初の出来事だ。

 

ええ・・・、くみこちゃんかわいそうじゃね。

不遇でいいように性格悪い設定にされてんのかな?

いやまて。宮崎駿が5歳の幼女にそんな仕打ちをするだろうか?宮崎駿だぞ・・・。

 

そうだ、タロットだ。

教皇と隠者、幼女と老人は表裏一体で、

くみこちゃんとトキさんは良く似た水色のワンピースを着てる。

 

舞台裏では同一の存在であるとして、彼女たちとそうすけの関係性を見てみると、

くみこちゃんは服を見てとか、バケツの中を見せてとか、船に乗せて、とか、
もう明らかにそうすけにアプローチしてる。

トキさんも積極的に話しかけてくるし、そうすけのことは好きだ、素直ではないけど。

 

しかし「持ってきちゃダメなんだよ」とか「変なの、デブだし家の金魚のほうがかわいい」とか、
「嫌だ、人面魚じゃないか」とか「バッタみたいに見えるけどね」とか、

 

彼女たちは、そうすけが好きなんだけど、そうすけの心を感じることができない。
規則や常識を押しつけるとか、

大事にしてるものを否定するとか、

贈り物や表現を否定するとか、
レインボーチルドレンは繊細なので、そういうことで傷つき、心を閉ざしていく。

まあ、そういうことをされたら誰だって傷つくだろうけど、
優し過ぎる彼らは、傷つけられたからといって反撃することなど思いもよらない。
「ブキミ男、なーんて言っちゃダメよ」「ぼく、言わないよ。」だ。そういう言葉を思いつかない。ほんとに。

 

だから代わりに、ポニョが彼女たちに水をかけて反撃をする。水色の服を台無しにする。

 

戦う、闘争する、ということは、次元の意識の低いものが持てる能力だ。三、四次元くらい。
共感能力が高すぎると、相手を傷つけることは自分を傷つけることと同義になる。五次元以上だ。

 

意識の次元と、能力の次元は釣り合ってないといけない、というのは面白いトピックなのでまた今度記事にする。

モブサイコ100、まどかマギガ、血界戦線とか、そのへんを引っ張ってきて書くけど、

もともとは小さな宇宙人アミで読んだことだ。

 

宇宙人は映画ではインベーダー、侵略者で悪いヤツなんだ、という地球の少年に、

子ども型宇宙人アミは「侵略とか奪うみたいな発想をもったまま、他の星に行けるほど科学技術が発達したなら、まずは自分の星で終末戦争をおこして滅んでしまうよ。」みたいなことを言う。考えれば考えるほど、これはそういうことになるだろうと思えてくる。

まあ、だからと言って彼らが人類にとって友好的は限らないという微妙なレトリックがあるけど。

 

ま、とにかく、

この次元の世界ではあまりに優し過ぎるそうすけを、闘争が可能な意識レベルのポニョが守る。
カップルとして、そういうバランスの良さがある。

 

で、くみこちゃんは「そうすけ私も船に乗せて」という場面が最後の登場で、
そうすけは「今忙しいから、後でね」だ。

ここだけ見るとフラれているに等しいが、しかしくみこちゃんはトキさんでもある。

 

審判の場面、フジモトとトキさんのどちらを信じるかの場面で、そうすけはトキさんに向かって走る。
トキさんは、そうすけをしっかり抱きとめる。そこに実はくみこちゃんもいるわけだ。

 

そこで黒髪ヒロイン、水色の服のヒロインも、なにがしかが成就してる。
「後でね」の約束が守られている。彼女たちも船に乗せる、新しい世界へ一緒に行く。

と、そういうことかな。

 

くみこちゃんとトキさんは、セットで三次元とかお魚の意識のレベルの、現行の人類という役割だ。

意識のレベルがぶっちぎりで高いレインボーチルドレンは、ある意味で異種族なんだろうな。

だから黒髪ヒロインではカップルになれない。同族ではないからだ。
異なるものを受け入れる力をもった赤毛ヒロインでないと、そうすけを理解できない。

そうすけが人間に見せかけて、実はニュータイプ新種、新人類であるところがミソなわけだ。

 

しかしタロットとスピリチュアルと赤毛黒髪設定、全部わかってないとこれは読み解けないぞ・・・。

その辺はもう他者から見て意味不明でもいいという思いきりがあるんだろうな。
宮崎駿自身のなかでは確信をもって描けてるんだろうから、謎の説得力はあるw

もちろんすべて自分の妄想やこじつけという可能性もあるw
だから考察や解説ではなく、感想とか解釈という言葉を使ってます。

 

 

あと小ネタなんだけど、

冒頭のフジモトがイカにライトの点滅でサインを送るとこがあるけど、

イカの目玉が人間並みにすごく高性能で、でもイカの脳はすごく原始的で単純で、見たものを処理できるはずがない、あまりにアンバランスだ、というところから、

イカはもっと大きなものに情報を送る端末なんだという有名なSF小話がある。

 

イカはきっとグランマンマーレとの通信の手段なんだろうね。メッセンジャーなんだ。

海獣の子供のMVにもでっかいイカと目が合うカットがある。


イカは、なぜそんなにも目がいいのか。

イカは体色を変えたりチカチカ光って信号を発して同族と意思疎通している。

なぜ視覚と光のコミュニケーションを発達させたのか。

光は海中、水中では速やかに減衰する。音の方が理に適うと思ってたんだけど。

それは捕食者、強者の発想だったわ。

クジラやイルカと同じ音というツールを、美味しいイカちゃんが使ったら即察知されて食べられてしまう。

強者と競合しない、という生存戦略がある。

毒があるユーカリの葉をあえて食べるコアラ、 難消化性の笹の葉をあえて食べるパンダ、 海中で、あえて光と視覚を使えば、そんな非効率なことは他の生き物はしてないわけで。その非効率な独自性そのものが生存戦略として成立する。 ってことかなと思った。

逆にイカは聴覚はほとんどなくて、マッコウクジラのソナーを感知できないって話も夏休みクジラスペシャル番組で見た。

観測上では200デシベル越えることもある音のデカさで、ジェットエンジンよりうるさいらしいけど、低周波だから人間も可聴域の外だ。まあ聞こえなくても振動ダメージがあるかもな、小魚とかはシぬらしいし。

天地創造デザイン部でそういうクジラVSイカの相互進化合戦が面白く描かれてるところがあったなそういや。

 

 

 

 

 

 

宮崎駿作品を通して解釈する2 猫と魔女、猫の道、最高の使い魔ティブ。

魔女の宅急便 キッチンコレクション ジジのマグカップ

 

メアリと魔女の花のセリフ「猫は魔法に精通している」

これもジブリ全体を通して超重要だ。

 

宮崎駿作品で猫というと、猫バス、ジジ。

あとは耳をすませばのムーン、バロン、猫の恩返しも金ローで見たな。

 

フラナガンによると黒い毛並み、緑の目の猫は完璧な使い魔で、

ジジは、カラスは魔女の召使いだったのにさ。と言ってた。

猫の恩返しでも猫の次にカラスが重要な動物だ。

 

魔女と使い魔、マスコット(護符)という構図で見ると、

ナウシカとテト、キキとジジ、ウルスラとカラス、湯バーバに頭と湯バード、サリマンにヒン、ソフィにヒン、って感じかな。

 

注目して面白いのは、湯バーバだ。

湯バーバは魔女、で、油屋の従業員は蛙男に蛞蝓女、釜ジイが蜘蛛で、リンはイタチ?ハクは子どもの竜、蛇に似ている。湯バードはカラスだ。

カエル、ナメクジ、クモ、ヘビ、カラス。

トトロのオープニング、さんぽに描かれているような魔女の眷属が揃ってる。

暗がりにいる小動物って感じだろうか。カラスはちょっと別枠だけど。

あと坊がネズミでイモリの黒焼きも出てくる。ハエドリは虫系、フルコンプ感あるな。

しかし、魔女のベストパートナーである猫が登場しない。

カラスと一緒にいるのは、頭、かしら、緑色のおっさんの頭が3つ転がる奇妙なモノだ。

 

なんだあれ。飛頭蛮か?そんな唐突な妖怪の採用はないだろうよ。

あの三つの頭の跳ねて転がる動き、ウチの猫が喜んでじゃれかかりそうだと思う。

猫の好きな動きだけがあって猫がいない。

つまりあれは、猫が不在ですよっていう強調なんでないかな~。

湯バーバはゼニーバと二人に分裂している不完全な存在だ。猫を連れていないのもその不完全さのあらわれだろう。だいたい竜は蛇じゃないしな。

詳しくは千と千尋の記事にまとめていこう。

 

で、猫バスと、耳をすませば猫の恩返しを見てると、

「猫の道」とでも言うべき設定の存在を感じる。

 

ムーン、ムタは、人が通るところも通らないようなところもどんどん進んでいく。

植え込みの下、塀の上、民家の間、庇の上、建物の隙間、細道。そしてそれは時に異なる世界に通じている。

 

これは、リアルに猫を観察してても思うよな。

人のテリトリーの意識は、猫には関係ないし、体が小さくて身も軽い。人が入れないところを立体交差で進んでいく。

追いかけようとしてもそうはいかなくて、でも気が付くと見えるところにいたりする。

 

猫は、人とは異なる通り道、地図を持っている。

猫の通り道は異世界に通じている。猫はあの世とこの世を行き来する。

 

観察からそういう設定が生まれてるんだと思う。だからなんとなくそういうものかもな、と思える。

 

猫バスの短編で、めいとこねこバス、というのがあるらしい。

ねこばあちゃんバスの行先は「風浄土」とあり、あの世とこの世を行き来するバスであるという。

トトロ本編でも、猫バスは普通の人の目には写らない、風として描写される。

「道を間違えて」迷子になったメイ、お地蔵さんの隣に座って、ばあちゃんがお経を唱えて、不吉な神隠しになっていたメイを連れて帰ってこれるのは、猫バスだけだったはずだ。

これはトトロの記事で詳しくする。

 

で、猫の恩返しではバロンの事務所や猫の国に通じる猫だけの道がある。

 

そのへんを踏まえて、メアリと魔女の花のティブとギブに注目すると面白い。

 

メアリにはティブの言葉がわからないけど、

ティブは人の言葉がわかってるし、魔法のことも異世界のこともよ~くわかってる。

そういう風に読み取れる。

 

メアリはティブにこう話しかける。

「あんたも災難ね、黒猫なんかに生まれて。私もこんな赤毛の縮れ毛、 おまけに失敗ばかり、ランチを食べる友達もいない」 

ティブは、赤毛も黒猫も魔法の世界では重要で価値があるものと知っている。

そしてランチを一緒に食べたメアリと友達になってあげることにした。

だから落ち込んでいるメアリを秘密の場所、魔法の気配が濃く残る特別な場所へ案内する。

 

魔女の花、夜間飛行が咲く場所だ。

冒頭でシャーロットと共に落ちてきたあの花は、周りの木や鳥、生物を急成長させる。

が、それは時間や生命力を一気に先取りしているだけで、代償、反動がある。

だからメアリが最初に行ったとき、あの場所のすべては枯れ果てている。

魔法とはそういうものだ。

 

で、あの場所であの花は7年おきにそのサイクルをくりかえしていたのか、

それとも夜間飛行の株が一揃いあって、咲いて枯れるだけならそこまでのことは起きないのかも。

発芽するとき、周囲から魔力を一気に引き出して吸い取って溜め込んでるとか、そういう花なんじゃないかな。シャーロットも魔力を失ってるし。

花が摘まれなければ、溜め込んでる魔力を循環させるだけで済むとか。

 

ティブとギブは、7歳にはなってない猫なんでないかなー。

あの場所になにか魔法の気配があるのは知ってたけど、花が咲くことは知らなかった。

 

だから、メアリを案内したけど、花を見つけて、なんかあれヤベェ!となって威嚇する。

 

メアリが花をひとつ摘んで、なにかのバランスが崩れてしまう。

 

そして霧が発生して、エンドワ大学のある異世界、魔法のある世界と繋がってしまう。

 

で、霧の中で、ギブがさらわれて、ティブは命からがらメアリの部屋に逃げてくる。

 

そして、翌朝、ティブはいない。どこへ行ってたのか?

もちろんギブを助け出しに行っていたはずだ。

エンドワ大学は空の上だが、空は飛べなくても、

猫の道を通っていける。はずなんだな。

 

しかしここで「不法侵入者は変身の刑に処す」というやつがある。

 

あれ、変な設定だよね。強調されてるわりにピーターが変身の実験台にされるのは、マダム達が誘拐したせいであって不法侵入じゃないし。

捕まってた他の動物だってそうだ。不法侵入したものはいない。

 

だから、あれはティブが一匹では大学に入れず、引き返してきたんだと気が付くための伏線だ。

 

ティブはギブを救うため、メアリを新入生に仕立てて合法的に大学へ入ることにする。

森の入り口でメアリを待って、箒のところへ案内して花を渡す。

 

ティブに注目していると、喋りこそしないが、かなり雄弁だ。

褒められれば胸を張ってドヤってるし、呆れればそういう顔をするし、警戒すればしっぽが膨らむ。

ギブが捕まってるところの前で、とびだして行こうとするし、

メアリが大学から帰ろうとすると、大学の方を向いて座り、まだ用は済んでいないとアピールする。

 

真っ黒い毛並み、エメラルドのような緑の目、魔法に精通してる完璧な使い魔、それがティブだ。

 

しかし、惜しいことに、赤毛のメアリが「一日だけの魔女」偽物の魔女なんだな。

言葉がわかれば、どんだけティブが出来る子だったかという話だけど、

 

メアリとティブは友達であって、魔女と使い魔じゃない。

 

米林監督のジブリ愛パネェ。で同時に、もうそれはやらないんだ。と表明している。

 

「猫というやつは誰のものにもなりゃせんがね」と庭師のゼペディが言うけど、

その通りだ。猫を眷属にできるなら、魔女ということになるらしい。

 

なんでそうまで猫が特別なのか。

まぁ魔女と猫がペアなのは伝統的なモチーフで、ジブリに限ったことでもない。

黒猫は洋の東西を問わずジンクスが多い。

黒猫が道を横切ったら不運とか、

黒猫は結婚のお守りとか、福猫とか。

夜闇に紛れて目だけが光るのは、印象的な図像だ。キャッツのポスターとか。

キャッツ良いよね。DVD持ってる。

ベルギーの猫祭りの由来は魔女狩りから…いや胸クソだからその話はよそう。

 

犬と猫はどちらも人間と縁の深い動物で、どちらもその技能が役にたつ存在で、食用の家畜とは扱いがちょっと違う。

 

犬は陽、猫は陰、人の意識の中でそういう対照が形成される。それは普遍性を備える。

 

宮沢賢治注文の多い料理店のように、人を食う山猫とそれを追い払う白い猟犬のような対照にもなるし、

 

ペローの長靴を履いた猫のように、人の無意識領域のガイドが猫の姿になることもある。

ドラえもんもそうだ。あれは少年に寄り添う不思議な猫なわけで。

 

猫と女性性は、象徴的にとても近いところにある。

美少女に猫耳つけて萌えーとかやってるのも理に適ってはいるわけだw

 

猫耳キャラで好きなのは、シャミー1000とーブラック羽川とーあずにゃんとーシアンとーサーバルちゃんとーイヅツミとー、にゃん太班長とーアプロとー、やっぱ猫バスとジジとバロン。バロンは恋人の猫も美しい…。

 

しかし、

赤毛といい猫といい、宮崎駿はほぼ最初から一貫した世界観を持ってるよな。謎の確信だ。でもインスピレーションってそういうものかもなぁ。

 

 

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宮崎駿作品を通して解釈する1 赤毛、黒いリボン、魔女とは。

宮崎駿監督作品集 [DVD]

 

さて、これについてはメアリと魔女の花ですご~く長い台詞でヒントをくれたから、気が付くことができた。
「この燃え上がるような赤い髪、古今東西赤毛の魔女は優秀と決まっています。すべての魔女の憧れ、天才だけが持てる髪の色です。」

長いwwしつこいww古今東西とまで言うwwなにかあるのかと流石に考えるわwww米林まじ親切ww駿信者レベルMAXww

以下の記事は米林昌宏レベルでなくとも、全作品の主要キャラとあらすじが頭に入ってる、ジブリ検定中級以上の人でないと情報量が多いかもしれない。

 

赤い髪、赤毛、というかオレンジ色の髪かな。かなり多くの作品に登場する。

ナウシカクシャナ、ドーラ、メイ、
魔女宅ではウルスラ、おソノさん、バーサ、コキリ、パイが嫌いな孫娘(というかキキ以外のほぼ全員赤毛w)
フィオ、ポニョ、
あとカリオストロの城クラリスや、未来少年コナンモンスリーもそうだ。

彼女たちの共通点はなんだろうか。

 

まず、空を飛ぶ力か、

それか異種と交流する力かな~、と思った。

ナウシカは蟲愛ずる姫
クシャナ巨神兵
メイはトトロ
ウルスラはカラス
フィオは豚のポルコ
ポニョ(お魚)はそうすけ(人間)

それぞれに異種族、異形、異なる世界のものと心を通わせる一種の異能、超常の力がある。

でもドーラはそうではない。魔女宅のバーサや孫娘もそれではわからない。

 

で、次に赤毛ヒロインと黒髪ヒロインがセットの時、黒髪のほうには人間のボーイフレンドがいるな~と思った。

モンスリーとラナなら、ラナにはコナンがいる。

ドーラとシータなら、シータにはパズーがいる。

メイとサツキなら、サツキにはカンタがいる。

ウルスラとキキなら、キキにはトンボがいる。

フィオとジーナなら、人間にもどったポルコはジーナのもとへ行く。


サン、千尋、ソフィ、菜穂子はちょっと置いとくとして、なんとなく間違いなさそうな手応えがある。

ちょいとググると、
ラピュタのドーラは、マ=ドーラという名前らしい。マドーラ、マドンナ、聖母、母。そういう名前だ。
三人の息子と多くの船員を連れてる、空賊ドーラ一家の船長だ。

三人の息子がルイ、シャルル、アンリ、30歳、25歳、20歳。
いい齢の大人なのに、あいつらママ、ママ~と言ってたな。

ははあ。なんとなく解った。子を自立させず従える母でもあるわけか。

 

若い娘の時は異なるものを受け入れる力、そして熟年になれば母の力、

つまり女性性の力。それが宮崎駿が描く、魔女の力だ。

 

時系列で考えよう、宮崎駿は同じことを二度はしない、テーマが展開していく軌跡があるはずだ。

クラリスは貴族の娘なのに、ルパンという盗賊を受け入れる。異なる世界、階級の違う者を受け入れる。

モンスリーはファルコン(隼)という飛行機で空を飛ぶ。
ナウシカ王蟲や蟲や腐海と心を通わせる。

しかし風の谷のナウシカでは、ナウシカクシャナの両方が赤毛だ。

ナウシカのほうにアスベルというボーイフレンドがいる。
クシャナナウシカアナグラム。同等の存在だ。異形の巨神兵に「薙ぎはらえ!」と命じることができる

トトロとラピュタでは赤毛と黒髪のヒロインの対比は例の通りで、


次の魔女の宅急便では、キキ以外のほぼすべての女性が赤毛だ。この意味は魔女宅の記事で詳しくするけど、
結論だけ先に言うと、女性が成長する段階のすべてを描こう、という意図があるようだ。 


で、次の紅の豚は、一転して男のロマンの話なので、赤毛と黒髪の対比、フィオとジーナも例の通り。

で、もののけ姫。サンは黒髪でボーイフレンドにアシタカがいる。エボシも黒髪だ。赤毛のヒロインは?

 

 

・・・・実は、アカジシのヤックルとシシ神が、オレンジ色なんだよねww

まさかのケモノがヒロインww

 

いやでも、これが考えれば考えるほどマジなんだな~。ヤックルはアカジシなのに人間のアシタカと心通わせてるし、
シシ神は、実はナウシカと同じ役割を担っている。
ここはもののけ姫の記事で詳しくしていくけど、ナウシカもののけ姫は一対、対称のような物語になっている。

 

で、次は千と千尋の神隠し。これにはもう、赤毛のヒロインが出てこない。もののけ姫まででやりきった感があったものと思われる。
ナウシカやアシタカのような英雄でなく、普通の女の子としてデザインされた千尋は茶色の髪で、魔女として登場する湯バーバは白髪だ。

で、次はハウルの動く城。これにも赤毛はなし。ソフィは魔女を越えた天使で、サリマンは白髪だ。

 

白髪の魔女、というのは、ヒイ様、湯バーバ、サリマン、などだ。
力を失った魔女か、あるいは失いつつある魔女、という意味がありそう。

 

ヒイ様はタタリ神を鎮めたとは言い難いし、 

湯バーバは恐ろしいけど、ゼニーバとの関係性や、使い魔の猫の不在、ハクを支配しきれなかったことなどから、
その力は衰えていると読むことができる。

サリマンも車椅子で、温室から出てこない。衰えてるから跡継ぎが必要なわけだしな。

 

で、次、ポニョは「素敵な赤毛」と言われる優秀で天才な魔女だw
お魚なのに、陸へあがってきて人間に恋をする。「そうすけ好き!」だ。
変身の魔法も使う。ガソリンの詰りも直すし、結界も張る、人魚姫であり魔女でもある。

 

また全作品中、唯一の赤毛の男性がフジモトだ。

人間をやめ、海=異界で暮らし、異種グランマンマーレと子供をつくっている。

魔女の条件は満たしとるw

あの濃い化粧や長髪は、道化であると同時に女装なのかもしれんwwww

 

グランマンマーレや荒地の魔女は、オレンジというよりピンク系の髪をしている。
なんかちょっと魔女とは違うんだろうな。荒地の魔女は更に声優に男性(?)を起用してるし、
グランマンマーレは魔女以上の女神で審判の天使だからかな。

 

で、風立ちぬでも赤毛はなし。あれは女性性でなく、父性がテーマになっている。
ここまですべて、女性性がメインの物語を描いて描いて描いて、描き終わってしまって、
ようやくそれを描く時が来たんだと思う。なかなかに根深いものがあるよな~。
それは風立ちぬの記事で書こう。

 

あ、あとパンダコパンダのミミコもオレンジ色の髪、赤毛だ。パンダと家族になっちゃう。

ほんと最初から宮崎駿のなかで謎の確信がある設定らしいな…。


まぁ、それでだ。

赤毛は魔女。魔女の力は異種と交わる力、女性性の力、女神の力。間違いないんじゃないかな。

女性性ってなにか、については太母とかアニマ、象徴とか原理、神話学とか心理学の話になってくる。

女、母、海、地、夜、右、水、陰、闇、受動性、無意識領域、魔法。対になるものの片方。

 

大地や海である母性が異種を受け容れるというなら、その対になる相手は天空だ。

 

だから宮崎駿の魔女の魔法は、空を飛ぶことが主になるんだろう。

 

ま、それもジョーゼフ・キャンベルや河合隼雄を引用しつつぼちぼちやっていく。
あと、ジェンダーフェミニズムとは違うから、そこんとこ混同は注意して下さい。

 

赤毛のサブアイテムとして、黒いリボンや、赤い石のイヤリングや指輪、首飾り、赤い服、なんかもある。

フィオやソフィの帽子のリボンは黒、
逆に黒髪のキキには赤いリボン、
サリマンの服は真っ赤、
グランマンマーレには赤い首飾り、
アシタカの赤い頭巾とか、ハウルの赤い指輪とか。

それらにも赤毛ほどではないが魔女、魔法的な意味がある。

 

そもそも、なんで赤なんだろうね?

古来から、赤、朱、丹、などは魔除けの色ではある。血、生命力の色、太陽の色、呪術・魔法に重要な色だ。

慶事にも弔事にも小豆を入れて赤い飯を炊く。赤ちゃんの顔は赤くて、死者や病人の顔は青い。
民俗学だとそんな感じで、

陰陽論では白黒赤青、白と赤が陽を示す。女性性は陰、黒青だ。

女、陰、黒、青の属性のものが、赤を身に付けると、それは足りないものを補うということであり、完全性をあらわす。
とか?

 

もっと普通に考えて、欧米では赤毛は偏見の対象だ。

赤毛のアンでもそう。赤毛は裏切り者とか魔女とか、そういうイメージがあるものらしい。赤毛というだけで魔女狩りの対象になったという。

悪魔と契約する、というのが異種と交流するという解釈になっていったのかな。

 

 

ちなみに米林監督のアリエッティ赤毛で、小人なのに人間と心を通わせる。この設定通りだ。

そして、メアリだが。メアリに登場する異種といえばフラナガンだが、どうもなんていうか、心が通ってはいないよねww
全然話が噛みあわない。アリスのお茶会のメンバーのように、受け答えが頓珍漢だ。
キキとジジのように、黒猫ティブの言葉がわかるわけでもない。

 

これは多分「一日限りの魔女」だからだ。メアリは赤毛なのに魔女ではない。
米林監督は、宮崎駿の世界観を深く理解し、それを使ってメアリをこういうキャラにしたってことは、
それはやっぱり、これからは師とは違うことをしますよっていう意志表明だと思うよ。うん。

 

さて、次の記事は猫の話だ。

 

 

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メアリと魔女の花を解釈する1 詰め込まれたオマージュの意味。

メアリと魔女の花 [DVD]

 

メアリと魔女の花も金ローで見た。色んな意味で面白かった。
米林宏昌監督の心、人生がうかがえるというか。
天才宮崎駿の二世として期待されるっていうのは、ほんとーに大変なんだろうなと。
師とその作品を深く愛し理解してるだけに、それを越えるのも容易ではないんだろうなと。
その後マーニーアリエッティも見たけど、米林監督にはちゃんと作家性も特長もある、才能ある監督だと思う。致命的な欠点もあるけど。

 

さて、メアリを見てまず思うのは、どこかで見た場面、ポーズ、動きのオンパレードだったってことww

メアリが窓にもたれてるのは、パン屋のカウンターにもたれてるキキ。
森で草むらを抜けるところは、メイ。
箒で飛ぶ場面はキキとそっくりの動きとアングルが何度か。
エンドワ大学のある積乱雲の塊はラピュタの竜の巣。
博士を運んでる灰色のやつは荒地の魔女のゴム人間。
「消えろ消えろ」とか、箒から落ちてころげてもろに顔を打つところは、風呂釜からこけた千尋
大粒の涙をうけて箒が青く光るのはソフィ。
水色のスライムがカエルジャンプするところはカオナシ、手を伸ばしてくるところはデイダラボッチ。
ラストのピーターの手を本にあてて「魔法なんかいらない」は、もうまんまバルス
滅びの呪文で愚かなる人の文明は崩壊し、森が、自然が全てをのみこむ。

 

まだいくらでもある。まるでジブリクイズだ。

これは、なんだろうか。

安易なパクリなのか?ジブリ二世を期待する視聴者のニーズへの応答?
お前らこういうのが見たかったんだろという皮肉?

いや~、そんなひねくれたモチベーションではあんな長編はつくれないと思う。

多分、総決算とか、卒業作品とか、決別の意志表明とか、そういうことなんじゃないかな。
もう二度と真似ができないように、徹底的に真似し尽してやろう、みたいな。

何度も何度も見た好きな場面とか、勝手に手が描いちゃうとかありそうだもんな。
必死でつくったはずなのに、なんでかどこかで見たものの模造品になってしまったりする。
そういうことがないようにするには、一度自分の手で脳内にあるものをアウトプットしてしまうことだ。

 

ラストで、メアリは髪に残っていた魔法の花を、「魔法なんていらない」と空に投げる。花は、光って消える。
なんかそれが、師の影響、残滓、そういうものを越えたんだ、という表現かもなと思った。

次作のカニーノはまだ見てないんだけどね。また駿オマージュだったら手の平クルーして叩くw

場面のオマージュもそうだけど、メアリは米林監督の駿愛が詰め込まれていて、
更に宮崎駿より、親切な解説のセリフがたくさんあるので、
宮崎駿の世界観を理解する手引きにもなるw
メアリの赤毛をまとめるのが黒いリボンなこと、ツインテポニテに髪型が変わることなんかもそうなんだけど、

 

「この燃え上がるような赤毛古今東西赤毛の魔女は優秀に決まっています、天才だけがもてる髪の色です。」
「猫は魔法に精通している」

 

これは駿作品すべてを通しての特記事項だw次記事はいよいよコレ書けるww

あとメアリのテーマで重要なのは、
校長「電気も魔法のひとつなのよ」
おばさま「人間には扱いきれない力がある」
メルトダウンする炉心 木々に呑みこまれる実験場
科学偏重への警告、自然回帰、それでも諦めの悪い科学者とかかな~。

 

そして、「全ての魔法を解く魔法」とはどんなものなのかってことだ。

 

でもなあ。それらはどれもとてもとても語り甲斐のあるテーマなんだけど。
なんでそれをセリフで説明しちゃうのかっていうと、多分そうせざるを得なかったからなんだよな。

 

「やっぱりおうちが一番ね」というオズの魔法使いのオマージュや、
男の子に赤毛をからかわれて怒るとこなんかは赤毛のアン
フラナガン不思議の国のアリスのお茶会のメンツをひとまとめにしたようなキャラであること、
アリエッティでも秘密の花園が下地になってること、

 

米林監督には、すごく児童文学的な下地や感性を感じるんだよな。

特に、心情のやりとりの描写が優れてる。

メアリだと、冒頭は親より先にひとりで赤い館に預けられて、やや心細い気持ち、
誰かの役に立つことで自分の居場所を見つけようとして、色々手伝うことを探すけど失敗ばかりで、
それを察したおばさまがおつかいを頼むとすごく喜ぶし、
夕食に帰ってきて「おうちが一番!」とメアリが言うと皆にっこりする、とか。

少年少女のどこか素朴な心の動きが良く解る。
それはキャラの内面が理想像になりがちの宮崎駿とは違う、独自の作家性だと思うんだけど。

それだけにな、多分、科学偏重への警鐘とか、自然への回帰とか、戦争のような描写とか、
そういう過激なことを描くのが向いてないんだな~。セリフで言わせるしかできないんだ。

それと関連して、メカやクリーチャーのデザインが壊滅的にダサい。モサい。

闘争本能が足りてないから、破壊兵器へのロマンがない。怪物へのロマンがない。悪役にスタイリッシュさがない。

博士のメカが何種類も出てくるし、マダムの飛行機械や灰色の鳥とも魚ともつかないクリーチャーもあるけど、
フィギュアにして飾っておきたいカッコ良さというものがない。あのデザインでは絶対売れない。

メーヴェ王蟲や猫バスや動く城や、宮崎駿の造形物は立体にしてもマジ映えるんだよな。

 

米林監督は、デザイナーと組むか、それとも世界名作劇場のような方向へ進むか、どっちかだと思う。
NHKの子供アニメ枠が宮崎吾郎のローニャだったけど、あの枠は米林監督も狙うべき。
ダイアナウィンジョーンズとか角野栄子みたいな、どこか女性的で濃やかな感性の監督なんだよな。

 

そういう風に、メアリはつぎはぎでちぐはぐで、なんか良くも悪くも、作った人のことがまず気になっちゃう作品だ。

 

でも、さすがというか、キャラの行動原理、心理から読むと全く破綻がない、そこは監督の技量がある。

 

あとそう、世界と世界の境界の表現に、宮崎駿は主にトンネルを使うんだけど、
米林監督は、水や、水に関係するものを使う。霧とか、橋とか、鏡とか。

エンドワ大学のある異世界や森と、赤い館のある人間の世界、異なる二つの世界が接してるところで必ずそういうものが描かれてる。これはマーニーでもそうだった。

 

グリム童話の世界観だと、現世、此岸は、空気と光の世界であり、

異界、あの世、彼岸、は水と音の世界だというものがある。(出典はコメ欄に)

井戸の底とかに落ちて異世界体験とか、蛙とか水辺の生物と関わる系の話の基底にある思想だ。

海獣の子供でもこの世界観だったな。海と陸、波打ち際で二つの世界が交わる。

胎児は羊水のなかで水を呼吸し、産道を通って空気を吸ってこの世界に生まれる。

あの世に行く時、三途の川とか、ステュクス、アケローンとか川のイメージがあるのも普遍的だ。

 

トンネルもそうだけど、水に関わるものも、ゲートの表現として相応しい。

 

心理面は、メアリはわかりやすいし、ピーターも早く大人になりたいとか言うから炉の中で姿が急成長することになったりするのも、わかりやすいけど、

シャーロットやティブに注目しても、ちゃんと背景が用意されているのが良く出来ている。

 

冒頭のシャーロットが雲を抜けて落ちてくる時、髪の色が赤毛から黒に変わっている。

夜間飛行の発芽の際に、魔法の力を吸われちゃったのかな?

それでシャーロットは魔法を失ってもとの世界に帰れなくなったんだろうけど。

ていうか赤毛じゃなかったら、即おばあちゃん化してた可能性あるな。

一気に老けて白髪になったマダムみたいに。

夜間飛行飛行は周りの生命を急成長させて、その力を吸収して、魔力を多く溜め込んでる花なのかも。

で、メアリはその花を使うわけだから、花が溜めてたシャーロットの魔力の一部を使ってるわけでもある。

 

 

浜辺のシャーロットの家の、主の帰りをずっと待ってる喋る灯り、ハチ公みたいで不憫なんだけど。

赤毛か魔力のパターン認証なのか、メアリはシャーロットと同一と認識されて邸内に招かれる。

で、机の上に実験ノートが開きっぱなしになってる。

シャーロットはあれを見てすぐに、実験を止めようと飛び出したんだろうね。

でも、なんで生徒のシャーロットがマダムとドクターの実験ノートを持っているのか?

メアリのように、うっかりこっそり盗ってくることになっちゃったのかもしれない。

キリッとしたシャーロットも、やっぱりメアリとどこか似てるんだろうなと思える。

 

そして、黒猫のティブだが、あの子は魔女宅のジジのように言葉を話さないんだけど、実はティブはジジと同等かそれ以上に優秀だ。物語の影で、ティブがどう行動したか、読み取れるようになっている。

それは次の次の記事にまとめる。

 

 

 

 

 

 

 

海獣の子供を解釈する5 空から来た少年、二つの人魂、特異点。

五十嵐大介画集・海獣とタマシイ (原画集・イラストブック)

 

ちょっと新事実多過ぎたので記事書き直し!

 

海獣の子供で一番ミステリアスなキーパーソンは空少年だと思う。

 

空少年の、「自分のことを知りたい、調べてほしい」という希求、好奇心、それがすべての始まりだ。

 

そもそも、海から来た少年たちは、みんなだいたい海少年みたいな感じのはずだ。

個以上の大きなものと共に生きてて、知るべきことは知っていて、その時が来たらただその通りにする。みたいな。

だから、人間の科学や分析で得られる見地なんて、彼らには本来必要のないものだ。

空少年は「ジムに死を与えられた、死に閉じ込められた。」と言ってたけど、

死を得て、それで空少年はそういう行動を起こしたんだろうか?

 

ジムが鯨狩りの島で会った少年、彼はジムとの漁で事故にあう、ジムは致命傷を負った少年を砂浜に引き上げる、彼の体は光って溶け、砂に浸みてしまう。

 

明らかに人間じゃない、魔性のものの消え方だけど、

空少年はこうも言う「死なんてなかった。生まれる食べる食べられる、土になったり森になったり、変わりながらぐるぐるまわる流れの中の一瞬に過ぎないのに。」

 

食物連鎖、というものが肉だけでなく意識ごと巡っていく輪廻の輪だったとして。

鯨狩りの島の少年は他の生物に食べられることなく死んでしまったから、その輪から外れてしまったのかな。そして死に閉じ込められたという空少年になった。

 

人間もそうだ。現代人は、死ねば他の獣に食べられることもなく土に還ることもなく、焼いた灰を壺に入れて墓に入れてとっておいてしまう。

だから食物連鎖の輪に、自然の循環に、輪廻のなかに還れないものになったのかもしれない。

 

まあ火葬でも、肉は二酸化炭素と水になって大気に還っているので、

問題は、そういう行動様式がつくっている意識のほうなんだろうな。

死者は墓に入れるもの、死は個の終焉、死は断絶だと観測するから、本当にそうだということになる。

それと気が付けば、森や祭や自然の一部にもなれる。

肉を食べるときも、スーパーで買ってきたタンパク質の塊を摂取するのか、生きていた命を受け取って一緒に生きていくのか、意味が全然違うはずだ。

 

これはレトリックではない。観測の力というのはそういうものだ。

骨が墓に入ってるから、死者はそこにいると思えばそうもなるし、

千の風にでも歌って、風のように吹き渡るものになると思えばそうもなる。

誕生祭で目玉がいっぱいの描写があったりするのも、観測者がいてはじめて誕生は成立するってことなのかもと思う。

 

肉体の在り方は物質の法則に従ってるけど、精神の在り方は観測の法則に従ってると思う。

 

彼は、マッコウクジラに食べられて、その循環のなかに還れたのかのかな。

 

鯨狩りの島の少年は、ジムに興味をもったと言っていた。

それは好奇心だ。個の指向、至福の追求だ。

総体の指向とは異なるものであり、でも総体にとってそれは健康を保つためのゆらぎや遊びになる。

 

空少年の、自分のことを知りたいという好奇心が、ジムにアングラードにデデに、そして琉花に、誕生祭へ関わるという道を拓いた。

 

海で起こることのほとんどは誰にも知られないはずなのに、空少年はそれを変えた。

 

映画では、空少年が光になって消えた後、

海少年の目が碧色に光る場面がある。誕生祭で空の上、雲の上から二人が落ちてくる時、海少年のシルエットが空少年のシルエットに一瞬変わって琉花をかばう場面がある。

 

そこは映画オリジナルの描写で、

空少年も、隕石を通じて海少年に伝わって残っててるのかな、とか思える良改変だった。

あるいは空少年のルーツの追体験でもあるかもしれない。

 

空少年は、時間切れと言って消えてしまったけど、伝わってるものがある。

琉花も、役が終わったと言われても、海少年を最後まで諦めなかったから、泡をひとつ口にできた。

 

さて。それもあるんだけれども。

 

琉花だけが気が付いたことがある。

「あなた空くんじゃない・・・隕石?」

それで琉花の後ろで囁いていた空少年の顔は、なんかクリーチャーの顏になる。

あれは、隕石が空少年のフリをしていたのか、ふたつが混じってしまったのか、

それとも・・・、最初から、空少年は、空から来たもの、隕石だった?

琉花に看破されたから正体、原形をあらわした、と見ても意外とイケる。

 

原作一巻、空少年は初登場の時、暗い病室で布をかぶっていて、顔も姿も見えない。

そして人魂が降ってくる場面の次に、空少年が波打ち際に座って、姿をあらわす場面になる。

なんで隕石を人魂と呼ぶのか、なんで人魂は二つ降ってくるのか。

 

つまり、ひとつは小笠原沖の海に落ち、もうひとつは布の中の影に入って魂となり、空少年に成った。というかね。

 

まだ色々ある。

海少年がマダラトビエイから生まれた時、「きょうだいもいたけど、それは空君じゃなかったな」と「空君て…誰だっけ」と言ってるけど。

あの二人はいつから一緒にいるのか。海少年も空少年のことを知らないというのは?

 

人を惑わしたり食べちゃう魔物、羅刹というのは、誕生祭のことのようでもあり、

でもそれより「さみしいなら遊んであげようか」と惑わす魔性のセイレーンの空少年のことでもあるのではなかろうか。

 

空=人魂=隕石=精子=羅刹。

 

同質のものだから他の少年たちを退けて隕石もゲットできるし、

でも受精はできずに、それを海少年に渡そうということになる。

 

もうそもそも名前が空だしな。海属性じゃない空属性だ。

女性原理属性じゃなくて男性原理属性。

天空神、男神、宇宙支配神の眷属、分身、あるいはそのもの。

 

なぜ空少年は海少年を守りたいのか「なぜかな、ただずっとそうしてきたから」と言ってるけど。

つまりそもそも兄弟というか、男女なのでカップルなわけだ。受精、生殖の時を最初から狙ってる。

でもガワが少年×少年なので、間に琉花、ガワが少女で中身が少年の子を挟むとうまくいくわけだ。ええいややこしいwwアブノーマルwwwエロスwww

 

海から来た少年と見せかけて、実は空から来た少年。

 

だから隕石を琉花に渡して光になって消える時、698.45ヘルツ、星が死ぬ時の音がする。

他の白斑の生物は消える時そういう音がしたという描写はない。

 

鯨狩りの島の少年と良く似てて記憶があるのは・・・、

それもまぁ、姿も記憶も水や風に蓄積されてて漂ってて、アクセス可能なわけだから矛盾はしない。両立する。

砂に浸みてしまって、次の命になれないで宙ぶらりんで漂っていた彼の姿と記憶が、

空から来た何者かの、ちょうどいい器、依り代になったんだろう。

 

で、過去回想の時にも幼児の空少年がいる。

人魂が降ってくる前から彼は存在しているじゃないか、という疑問がある。

いわゆるタイムパラドックス、時系列の矛盾をどう説明するのか。

 

そこで 特異点 だ。

アングラードは空少年を何度かそう呼ぶ。

 

特異点。それは仮面ライダー電王の用語だと、

過去未来、時間の影響に存在が左右されない人。かな。

ハナさんなんか、生まれた事実が消され忘れられても存在が残ってた。幼児化はしたけど。

 

まあ、それは別作品の用語だけど、かなり近いと思う。

 

映画では「時をすりぬける少年」というワードが足されている。

 

空。空海、天地、陰陽、男女、宇宙、そして空間と時間。

それは陰陽の考え方では対応する2なる原理だ。

 

空属性の空少年は、空間に属するものだ。

空間があって、時間がある。陽が動き、陰が従う。

空間は時間の上位概念、そういうことになってる。

 

五十嵐大介は当然そのくらいは知ってる、SARUは陰陽の思想を下地にした物語だったからな。

 

割と最新の科学でも、時間は存在しない、なんて本も出てる。

時間が一定に流れてて不可逆というのは、一側面からの観測に過ぎない。

 

空少年は、ある程度時間軸にとらわれず存在できる、と考えてもいいだろう。死の事実を覆すほどではないだろうけど。

それで幼児なのにあの流暢な喋り方なわけだ、幼児の海少年は言葉すら発しないのに。

空少年は、人魂がふってきた時点で誕生し、鯨の島の少年を取り込んで人格的にも完成し、そこから過去へ遡るように存在を波及させている。現在地点から辻褄が合うように過去を創造した・・・、と言ってもいいだろう。

 

 

「淀んだ水に新しい波を」

空少年もまた、新しい波だったといえる。

 

SARUにもそういう考え方がある。

なんにもしない子、無関係な新規参入者、場違いな娘。世界の均衡をどうにかする因果と伝統と偉人だらけの呪術バトルに、ミーハーな恋心だけでのこのこついてくる普通の女の子が、実は重要なんだと。

 

小さなことでも、新しいことを侮ってはならない。その波紋の波及がやがて大きな変革になる。とSARUではそう締めくくる。

 

海獣の子供では、鯨狩の島の少年の好奇心から始まって、それが空から来たなにかと結びつき、羅刹となって、陸に上がって人と関わり、琉花を引き込んでいく、

そういう小さな波紋がどんどん広がって繋がっていく様子が描かれているのかな。

 

ジムは結果的に役に立てなくて気の毒だったけど。

しかし魔女ではミラ(魔女、直感)とウィド(組織、文明)がうまく協調すれば、

アリシア(子供、未来)を守れたわけでな。

ジムとアングとデデがてんでバラバラだったのがまずかった。

ジム(科学、チームワーク)アング(直感と知)デデ(魔女、実行)の大人組が本当に力を合わせられれば、

少年が二人とも去ってしまうエンドにはならなかった、という気もする。

本当の秘密のもっと近くにも立ち会えただろうって気もする。

 

ディザインズではまたショーンとオクダが不完全なペアだけど、

 

五十嵐大介は、いつか魔女をも超えた天使、すべてを湛えた真なる人、アートマン。あるいは完全なペア。そういうものも描くだろうか?宮崎駿みたいに。

奇跡、本当の秘密を、秘密のまま…と言わず、何度でも色んなアプローチで描いてみてほしい。

なにしろハッピーエンドを描かないっていうかさ…。

いっつもなんかモヤモヤする読後感なんだものw