自粛中に入れた週刊誌系アプリで色々読み漁ってて、自分的に傑作の予感がしたのがシャドーハウスだ。
ヤンジャンのアプリで一巻分無料、カラー版で読めるのでおすすめ。
https://play.google.com/store/apps/details?id=jp.co.shueisha.youngjump.android&hl=ja
面白過ぎてコミックもまとめて買ってしまったので、ちょっと感想を書いておきたくなった。
パッと見た感じ、絵が可愛くて小物の描写が丁寧で、流行りモノっぽくてとっつきやすい。
女の子2人のかけ合いできらら系ぽくて、ローゼンメイデンとかメイドラゴンとかの、
メイドとか百合とかゴシックとかそのへんの雰囲気モノで、ちょっとホラー風味なのかな?
とか思いつつ読み進めると、このホラーというか、密室の謎がかなりガチであることが徐々にほのめかされていく演出がすごい巧い。
ゴシックロリータの例 百合主従の例 ディティールが繊細な例。
この辺が読める人にはおすすめしたい。
アンダーザローズも近いかもな。これはややマイナーな作品だが。
華やかな貴族の生活に、虐待やらトラウマやらの闇が見え隠れするというか。
でもシャドーハウスには重たい悲壮感はないな、キャラが明るい。
ほのぼのした主従の少女たちの日常系のような雰囲気でありつつ、
真っ黒な貴族の生態の謎とか、
主人公メイドちゃんの寝場所がまるで独房の棺桶で監禁されているに等しく、
就労環境がブラック企業を突き抜けてもはやダークファンタジーだというのに、
みんな社訓を声高らかに謳ってニコニコ、貴族のトップを神のごとく敬い畏れているとか、
うん・・・?ていう違和感の描写が積み重ねられていくんだけど、
第三者視点がないから、なんか当然のことのような気がして読めてしまう。
「生き人形」で人形だから、人間じゃないから、この扱いでアリなのかな・・・?
この館、この世界ではこれが普通なのか・・・?とか、
その場の雰囲気でさも当たり前のことのようにされると、流されてしまって異常さに気がつけないってことがある、
そういう違和感を感じるような物語の構成が面白い。
記憶喪失の一人称ならではのレトリックだ。
4巻で一気に種明かしが進むので、
1、2巻は「え?あれ?でも可愛いしまあいっか・・・、え!?」
みたいに翻弄されることを楽しんで読むといい。
ここまでがお勧めのためのネタバレなしの文で、
以下は最新話までのネタバレあり。
コミックのオビに、約束のネバーランドの作者からのコメントがあったけど、納得の人選だ。
シャドーハウスは約束のネバーランドや進撃の巨人とジャンルが近いことが明らかになる。
外界から隔絶された小さな世界で、独自ルールが運用されている。
それに疑問をもつと、徐々に洗脳や搾取や支配の構造が明らかになる。
そしてそれに抗い、壁の外を目指す、自由を目指す。
そういう物語の構図だ。
ネバランや進撃では、第一話から平穏が壊れる衝撃展開がいわゆる漫画的なツカミだが、
シャドーハウスでは、箱庭の中の平穏パートが三巻分続いたってことだな。
「生き人形」は周辺の村から集められて、記憶を消された人間の子ども。
自分達は人形でシャドー家に尽くすことが喜びだと洗脳されている。
「シャドー家」真っ黒な貴族の正体は、モーフという擬態や模倣が得意な妖精だという。
真っ黒の影の妖精は子どものシルエットを写しとり、その子どもの名を名乗るシャドーになる。
そして代わりに子どもには生き人形としての愛称を与える。
湯バーバが千尋の名を奪い、千という簡略な名を与えたのとよく似た暗示の魔術だ。
子どもをコピーしたモーフ達もまた記憶のないところから、
生き人形の主人として振る舞い、シャドー家に尽くすような人格を習得していくよう仕向けられている。
妖精が人間の名を乗っ取り、顔を奪い、乗り移って一体化し、妖精の力と人間の姿の両方をもつ存在に仕立て上げいくシャドー家というシステムがあって、
それを構築し運用しているのが、偉大なるおじい様と呼ばれる黒幕、ラスボスのようだ。
なにその陰謀館www極黒wwなにが百合メイド日常モノだよww
三話までコテコテの魔法少女モノを装って、
マミさんの首をマミマミしたまどマギ以来の裏切られ感www
気持ちよく騙されたわ~。
4巻でサラッとこのカラクリが明らかになったあたりでは、
魅力的なキャラクターたちの紹介も済み、人物相関図ができていて、
1、2巻の不穏な謎が謎を呼ぶ雰囲気から、
仲間を募って洗脳解除と支配からの脱出、というフェイズの転換、方向性の転換がある。
1~3巻は箱庭のおままごと編、4巻からはプリズンブレイク編って感じになりそうだ。
進撃やネバランでは、壁を越え外界に出ることがイコール自由ではなくて、
外は外で弱者は淘汰される過酷な世界であると明らかになり、
壁の中はある一定の安全が保たれた基地だったってことでもあった。
それは、家庭や学校と社会の対比、その暗喩でもあると思う。
家庭や学校で子どもは庇護されると同時に様々なルールを押し付けられる。
窮屈で安全な檻から出れば、どこまでも広い社会や自然では適者生存の厳しい現実が待っているわけだ。
だからほんとは、壁の内と外、どちらが正しいってわけではないと思う。
幼い者には庇護が必要で、自立する者には自由が必要になる、そういうことなんだろう。
庇護と支配は表裏一体で、自由と危険は隣りあわせ。
メリットだけでもないし、デメリットだけでもない。
幼い頃は家庭で守られ教育されて育ち、成長して時が来れば社会に出て、自分の身を立てていく。
歳とともに相応の段階を経ていくこと。
ただ、蛹が蝶になるには、脱皮という試練を越えなくてはならないように、
変化の節目にはそれなりのイニシエーションがあって、精神的な危機をうまく越えていかないといけないんだな。
物語の主人公たちはそういう困難の越え方を教えてくれる。
反抗期、元服、思春期、成人式、入社式、結婚式、・・・、式、儀式、イニシエーションだ。
で、まあ。
シャドーハウスでは、まだ最終目標がどうなることなのかわかっていないけども、
多分これもシャドー家やおじい様を打倒する物語、というよりは、
メイドと主人、生き人形とシャドー、顔とシャドー、ペルソナとシャドー、
人格の裏表の正反合、円満な統合、みたいなことがメインなテーマになりそうだと思う。
顔、というのは、その人を示すアイコン、ということでもある。
人格、個性、アイデンティティ、ID、そういうものの象徴だ。
男女、年齢、人種、性格、来歴、顔には膨大な情報が凝縮されている。
怪しい飲み物とスローガンの斉唱で洗脳されて、働き過ぎの睡眠不足で、従属の名で呼ばれて、
だんだんものを考えられなくなっていって、人格が摩耗すると、
顔を、存在をシャドーに明け渡すことになる、という設定はすごく面白いと思う。
ブラック企業やカルト宗教、毒親やモラハラ配偶者の洗脳テクニックで人が壊れていく様子を彷彿とさせる。
作者の前作も、独創的な設定の影の生き物が出てきたけど、
シャドーハウスではより多くの暗喩を解釈できるようなものになっている。
妖怪や妖精というか、人の心に巣くうなにかの象徴としてみると腑に落ちる。
主従のペアの性格を見ていると、
多分エニアグラムで結ばれるような、憧れや抑圧、裏の人格がシャドーになってるようだ。
影の妖精モーフが、子どものシルエットを鏡のように写しとるとき、
子どもの心、人格のベースも写しとる。
いきなり表人格を奪おうとすると、抵抗や衝突がおきるのか、
表人格の自覚するアイデンティティではなく、普段は隠れているサブ的な側面のほうを写しとることになるんだろう。
心理学的な意味で言うシャドー、抑圧された心、衝動、裏の人格が、シルエットの形代に入って実体化したようなものってことになる。
そう思って見てみると、
ローズマリーはおっとりしてて穏やかで、ぼんくらとも呼ばれている。
そのシャドーのマリーローズは、宝塚の男役のような、芝居がかったカッコイイ性格だ。
少女的な、こんな風になれたらなあって思っているような、憧れの人格って感じがする。
ミアは頭がいい、字も読めるし地図も書ける、弁も立つ、それで出しゃばりとも呼ばれている。
そのシャドーのサラは、ミアの私室や私物を監視し、ミアを棒でぶつという折檻をしている。DVヤバイ。
完璧主義者ほど鬱になりやすいというが、自罰傾向、脅迫神経症のような傾向に思える。
自分を追いこんで能力を伸ばす向上心でもあるけど、完璧でなくてはと自分を追い詰める心の在り方、それがシャドーにあらわれている気がする。
ショーンは感覚が鋭くて反抗的。自分なりの順位やルールの通りに動くタイプだ。
そのシャドーのジョンは、天真爛漫で感情に素直、深く考えず楽しむこと第一。
これはまあ、表と裏のそれなりのいい関係だろうか。
通常時はルール順守で視野が狭くなりがち、それで対応できない場面になったとき、楽しいほうを選ぶ、というような使い分けができれば柔軟で応用力のある人格と言えるだろう。
バービーは暴力的で威圧的、人にすぐあだ名をつける、責任感がある。
そのシャドーのバーバラは怒りっぽく、制御不能の衝動そのもののような、リビドーのようなシャドーだ。
強力なリビドーを制御するために、ペルソナもまた強靭な精神力、節制、支配の力を習得する。
名をつける、というのは観測したものを自分の世界観の中に配置する、支配の魔法でもある。パワフルで魔女的な人格だ。
ラムは、能力は高いけど内気。しかし問題は性格ではなくて、自分の人差し指にラミーという名をつけて会話し、イマジナリーフレンドにしていることだ。
それで、そのシャドーのシャーリーに割り振られるはずだった人格の容量みたいなものが分散してしまっている。
シャーリーはラムの裏人格を写すことができず、人格を得ることができず、霧散してしまう。
ラムとシャーリーの例から、
シャドーはイマジナリーフレンドとか、二重人格のようなものと解釈してもいいようだ。
マンガではよく、なにか選択に迷ったとき、頭上に天使の自分と悪魔の自分があらわれてどっちにすべきか言い争う比喩の手法とか、
色んな立場の自分が脳内会議をする比喩なんかがあるけど、
そういう風に、普段意識していなくても人は脳内に二つないし複数のアバターを持っているものではある。
プライベートの自分、公の場での自分、SNS用にちょい盛ってる自分、などなど。
複数の価値観をもち、複数の選択肢を想定することで、多様な状況に対応していくわけだ。
干妹うまるちゃんの脳内会議。
ギャグアニメだがうまるも裏表が激しくて、いくつものペルソナを使い分けるキャラだ。
ある困難な状況にどのペルソナで対処すべきか、考える様子が可視化されてる。
宮崎駿アニメでもサツキとメイや、キキとジジ、キキとウルスラなど、一人の人間の裏表、色んな側面をキャラクターにわけて描く、ということはやっているわけで、
物語表現では結構よく使われる手法なのかもなー。
後はルウとルイーズ、リッキーとパトリック、残るメインキャラそれぞれがどういう裏表なのかも興味深いけど、ちょっと手に余るから置いておくw
で、そういう風に見ていくと、
やっぱり表人格のほうが有能というか、処理能力が高い傾向にあると思う。
あくまで裏は裏技的、サブ的なもので、
表ほど使い込まれて陶冶されたものではないんだな。
でも、主人公の主従ペア、エミリコとケイトではそれがどうも逆のような印象を受ける。
エミリコの性格が、ちょっとポジティブ過ぎて不自然というか。
なにごとも前向きにとらえ、親切で、無邪気に善意を信じる、ややアホの子だ。頭がお花畑と呼ばれる。
生き人形という設定がしっくりくるような、誰かがそう思い描いたような、プログラムしたような、理想的な善い子の性格な感じがする。
この性格が序盤のミスリードにもなってて巧いと思うわけだが。
そのシャドーのケイトは、理性的だけど怒りっぽくて、慎重で計算高い。疑りぶかい自分を恥じてもいる。有能でもある。反乱の意志を秘めている。
ケイトのほうがフツーの人間っぽいバランスの性格なんだよなー。
ということはこれは、素の人格を抑圧していた子ども、ということになるのではないだろうか。
親が不仲とか、困難な状況で育つ子どもは、
いわゆる子どもらしい振る舞いを演じて、両親の仲を取り持とうとしたり、周囲に愛されようとすることがある。
愛される子ども、というペルソナを作り上げて、それを被って生き抜こうとする。
より周到に子供らしさを演じるために思い込みを強めていくと、
ペルソナがあくまで対外的な仮面であることを忘れ、それが自分の生来のパーソナリティだと思い込む。
誰からも必要とされない素の自分は抑圧し、忘れる。
そういう子どもをコピーしたシャドーがケイトなんじゃないかな、と思う。
愛し愛される無邪気な子どもを常に演じていた少女がいて、
その抑圧されていた本来の人格を写しとったのがケイト・シャドー、そんな感じなら腑に落ちる。
表と裏、ペルソナとシャドー、ふたつの性格があって、
それが状況によって交互にあらわれるのが人間だが、
シャドーハウスでは、その二つの性格がどちらも体を持っていて、会話して、触れ合って、協力したり反発したりして、関係性を築いていくことができる。
ペルソナとシャドーが脳内会議を飛び出して、互いを知り、仲良くなることができる。
それは自分自身との対話ってことだ。
シャドーが生き人形の顔を奪うとか、
生き人形がシャドーの企みを打倒するとか、
どちらが優位か、どちらが主かという争いではなくて、
どちらもある存在の一側面であると知り、円満な統合、融和、完全な心へ至るメタファーと解釈できるような、そんな結末を見られるんじゃないかと期待している。
シャドーハウス、全10巻くらいでキレイにまとまってほしいな。楽しみだ。
しかし・・・。
ケイトはおじい様に対抗するため、まず仲間を集めようとするんだけど、
仲間を集めていくこと、人脈を築くことが自分の力を獲得してることになる、というのはどちらかというと女性的な発想だ。
セーラームーンとかティアムーンとか、仲間集めで進む、修行パートのない物語のパターン。
で、3巻かけて謎を仕込む、大掛かりな物語の構成を組むとか、
進撃やネバランのような、父権やシステム、上位者に抗うことで自分の世界や自我を確立しようというのは、どちらかというと男性的な発想だ。
シャドーハウスの作者、ソウマトウは男なのか?女なのか?
絵の線の細さ、レースや小物の丁寧さは女性っぽいけど、
作画に3Dモデルを使うっていう発想は男性っぽい。
人間心理や人物相関の込み入った描写は女性的か。
まあ、7割方で女性かな~。と思いつつ、気になるんだよなww
男原作者と女作画者のチームのペンネームなのかもしれない。
シャドーハウス、おススメだ。
まどマギのコンプリートDVDやっす!流行ったから廉価になったんだな。欲しい。
週刊誌系アプリを読み漁ったなかでは、スパイファミリーもコミックを買った。面白い。
エニアグラムのブログ
がんべあの「ブレない」キャラクター&ストーリーの作り方
https://gunber.hatenablog.com/
ここのところずっとキャラクターの性格の裏表について考察されているので、
シャドーハウスを読んでて、あ、これも裏表なのかなと思いついた。
ありがとうございました。
うまるちゃんの記事の追加がありました。
https://gunber.hatenablog.com/entry/back_umaru#comment-26006613587435735
そうそう〜!考えてみるとうまるちゃんは意外に闇深のキャラクターな気がしてきます。
記憶の連続性が途切れるほどではないけど、多重人格的な病み方をしている。
家庭環境がヤバそうです。
親の期待どおりのお嬢様を演じていた延長で、優等生、干妹、UMRなどのペルソナを生みだしていそう。
ニコニコ大百科、脳内会議のページ
https://dic.nicovideo.jp/a/%E8%84%B3%E5%86%85%E4%BC%9A%E8%AD%B0
あと、ミアとエミリコは、元の名前の愛称や簡略でない名付けだが、
多分、もともとなにか人形やペットにそういう名前をつけていたんじゃないかと、
ラミーやパンちゃんを見てて思った。
館に来る前から、自分で縫ったぬいぐるみに名をつける子どもだったんだろう。
エミリーでもエンリコでもなく、エミリコっていうのはちょっと滑稽というか、性別を感じないマスコットっぽい音の名前だ。
ミア、は猫につけそうな名前。