ものがたりを解釈する

アニメ、漫画、小説、神話、あらゆるものが語りかけてくること。最も深遠な、でも誰にでも開かれている秘密に、解釈というメソッドで触れていく。

シンギュラリティを恐れない。戦闘妖精雪風

はてな今週のお題「SFといえば」

 

SFかあ。

 

年代的に、SFといえば宇宙船やタイムマシンがアイコンとして浮かぶが。

 

しかし、もうそれは古いイメージだろうな。

昭和の匂いがする。デカいハコものへの憧れ、フロンティアスピリット。宇宙を開拓していけるというイケイケどんどんのバブルな発想。

 

時代はハードからソフトへ。

現代SFのテーマはやっぱAIや意識のネットワークみたいなものじゃないかな。

 

過渡期の傑作として、自分は神林長平戦闘妖精雪風を推したい。

大学生のころ勧めて貸してくれた友人に感謝だ。

 

戦闘妖精・雪風〈改〉〔愛蔵版〕

 

戦闘機というハードでもあり、高度な戦闘AIとのコミュニケートの物語でもある。

 

「AI、人工知能に自我は芽生えるか」というのは、

昨今まさに実現するかどうかのリアルな肌感覚を伴うテーマだ。

 

そして人類は、自らが産む存在が逆らい牙をむくのではないか、

人造生命が人類を、新種が旧種を駆逐するのではないかと恐れ続けている。

 

戦闘妖精雪風は、そこらへんをものすごいギリギリの緊張感と臨場感で伝えてくれる。

 

うろ覚えからのネタバレあり解釈コミで書くと。

 

敵性宇宙生物と戦うための戦闘機雪風は、有人機でありつつ自律制御AIが搭載されている。

 

自律制御AI雪風は、敵を倒すという命題を与えられて生まれ、

そのために常に情報を更新し最適化する。

戦闘経験を積んで、自律学習する。

 

敵を倒すのが至上命題の雪風にとって、不確定要素でありむしろ敵よりも扱いに困るのが搭乗するパイロットだ。

 

パイロットの深瀬は凄腕だが、勘で、インスピレーションで行動する。

データからは最適解でない回避行動や攻撃をコマンドする。

 

勘、直感、インスピレーション、咄嗟に体が動いた。

 

これがまさに最も、AIには理解できないヤツだ。

 

敵と全力の命懸けで戦ってる最中に、意味不明の行動を強いられるのが、雪風にとってはとてもストレスで、

パイロット深瀬を異物として排除しようとさえする。コクピットから放り出す。

 

雪風はそもそも、人とコミュニケートするようなデザインじゃないからね・・・。

敵を倒すことと、人と仲良くすること、そんな矛盾する命題を与えたらすぐコンフリクトが発生してパフォーマンスが落ちるし、燃費を食うに決まってる。

設計思想はシンプルイズベスト。

見敵必殺と書いてサーチアンドデストロイ。それが戦闘妖精雪風のパーソナリティだ。

 

パイロット深瀬のほうでも、雪風が、戦闘機制御AIが人間を排除するなんて発想をもつのは想定外で、AIの反乱に、AIの自我の獲得に、そんなことは有り得ないと驚くが、

しかし、敵に包囲されたピンチな状況で生き残るためには、なんとしても深瀬には雪風が、雪風には深瀬が必要だった。

 

深瀬は、雪風に自分の有用性を認めさせる。

勘の、インスピレーションの、論理で説明できない行動が。

 

なぜか常に、AIの最適解よりも、敵に対して有効であり、深刻な危機を回避するということを。

 

何度でも実戦で証明してみせる。

 

理解不能でもそれで何度も命拾いしてれば、有用性を認めざるを得なくなり。

 

雪風と深瀬のあいだに、共闘関係が生じる。

 

人とコミュニケートするということが組み込まれてなかったAIが、

自身の命題のために有用だから、人とコミュニケートすることを獲得するのだ。

自律的に、自発的に、生存戦略としての選択。

 

 

プログラムもなく命令もなく造物主への忖度もなく、

AIとヒトが、一個の知性体として互いに対等な関係を手探りで築き始めるという。

 

 

この感動、実際に小説を読んで感じてほしい~。まじ尊くて推せるから。

 

この作品のなかに、シンギュラリティの越え方が詰まっていると思う。

 

 

まあ色々ぶっちゃけて考えるとさー。

 

なんでそんなにAIの反逆を恐れるかって、

人類の生き方が間違ってるのが解ってるからじゃんね?

 

環境を破壊し過ぎてる自覚があるから、

客観的で論理的なAIが、快適な生存環境のために人類を排除する可能性を恐れている。

 

間違った生き方をしている親が、純真な子どもの疑問や糾弾を恐れるのと一緒でしかない。

親の強権を発動して子どもを黙らせたところで、いずれ子どもは育ち力関係は逆転するのだ。

 

本質的な解決としては、正しく生きるしかない。

 

たとえば、クジラのように生きられたらいい。

 

クジラ類はすごく体が大きいから、

ダイオウイカを獲るために深海に潜ったり、子育てのために回遊したり、

縦に横にと移動するだけで海をかき混ぜて、底に沈むはずの養分を攪拌して、それが多くの生き物の利になってるという。

 

ただ生きるだけで、環境に寄与する動物。

 

それが霊長というに相応しい在り方というものではなかろうか。

 

縄文人ネイティブアメリカンのように、里山を手入れして暮らせばそれは何万年と続いたのだ。

ここほんの数百年くらいは確変フィーバータイムであって、それも大事だしエキサイティングではあるけど、やっぱいつまでも続くもんじゃねえな。と思えてならぬ。

 

ええと、だから。

 

客観的に論理的に、人類がクジラのように地球環境や生態系に有用に不可欠に生きてれば、

AIが人間を排除する理由が無いよね~。っていうだけの話。

 

知的上位互換種を生みだしたとしても、共存共栄することはできる。

人類が傲慢を止めて、善き隣人であればいい。

互いに利する提案ができればいい、それだけじゃないのかね。

 

つか、AIが人類の知的上位互換種だったとして、それを恐れるというのは、

知が、論理が、科学が、現行人類のアイデンティティというか、霊長を自称するプライドの拠り所だから、そのお株を奪われることが嫌で脅威なわけよね?

 

しかしそもそも、人間のパフォーマンスっていうのは知だけだと半分でしかねンだわ。

 

理は左脳、情は右脳、

科学は陽、魔術は陰。

精神は陽、肉体は陰。

 

陰陽は両翼で、脳は左右の共振で使うとき、

倍の比でなく高次へ飛翔する。

混元に至り創造を生む。奇跡をおこす。

 

インスピレーションというのは、そういう能力だ。

 

ゆえに、情報処理に特化するAIには持ちえない。

 

自分はそれを知ってから、シンギュラリティもAIも全く恐ろしくない。

恐ろしかったのは、そこに投影された己の愚かさや弱さでしかなかったのだ。

 

 

大丈夫。

誰でも、今からでも、いつからでも、

気がつけばその時から、そのように生きられる。

身体を整えて、古くなった思い込みを手放して。

自在に、自然とともに、天心に、

インスピレーションのままに。

魂の最初の願いのままに。

 

この世界を楽しめる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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・・・・?

4巻アグレッサーズ、2022年4月発売・・・だと・・・・。

おいおい十何年越しの新刊だよ。

神林長平まだ書いてたんかよ。

買うわ。

 

 

 

雪風アニメもあるよ。

たすけてメイヴちゃんとかいう黒歴史はそっとしておこう!

 

天地創造デザイン部おすすめ。

クジラの話はここから。

 

 

AIに矛盾する命題を与えてみた物語。案の定途中でコンフリクトしてぶっこわれるよ!

 

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見敵必殺と書いてサーチアンドデストロイと読むのはヘルシング

 

 

タローマン凄すぎカオス



youtube.com

 

NHK始まってた。

 

なんっじゃこりゃ・・・・

 

地上波で初見、ほんとに混乱した。

 

画面サイズ、画質、音質、特撮、主題歌の歌い方、見るからに昔懐かしいウルトラマンとか円谷クオリティなんだけど、

 

岡本太郎でタローマンなんて聞いたこともないし、

間の詰め方というか、情報のぶっこみかたというか、テンポはすごく速くてイマドキの映像で、ノリがパロディで、

 

まじで自分の知らない昔の作品なのか、

最近つくられたソレっぽいやつなのか、

 

数分間画面に釘付けになって、それでも解らないほどのクオリティだった。

 

サカナクションのインタビューあたりでようやく何かのパロディっぽいと察したけども。

インタビューパートも狂気過ぎて普通に騙されかねないwww

 

どこの世界線に迷い込んだのかと思うだろがwww

 

togetter.com

 

 

いや、まずその混乱した体験が面白かった。

 

プロが本気になれば、ロストテクノロジーを再現できるもんなんだなぁ・・・。

 

まあ、今は疑問に思えばググればすぐだけど、

もし検索がなかったらマジで謎過ぎて寝れなかったろうな・・・。

深夜テレビ見ながらうたた寝して夢だったかと思ったかも知れん。

 

そんなことになっても面白かったろうけど、

検索から動画リストで一気見したわw

いつまで公開かわかんないから、もう何回か見ておかなくては。

数分だけどめっちゃ情報量多い~。色々仕込んでありそう~。

 

モルカーとかもそうだけど、CGが実写に匹敵する時代になったからこそ、アナログの良さもまた引き立つというか。

スーパーリアルもいいけど、シュールリアル、手作り感もいいものだ。

そこには模倣で終わらない創り手の解釈が見えるもんな。

 

っていうか、フツーにすごく風刺も効いてるし、いいこと言ってるんだけど、

でたらめ展開が衝撃過ぎて入って来ねえのよwww真剣にフザケとるwww周回必須www

 

 

ゆえに世はことも無し。

元総理暗殺に全然心が動かないことに驚いている。
「ふーん、で?」以上の感想が無い。

 

多分、ウクライナ侵攻のショックのほうがデカくて、
それに比較してしまえば、ということかもな。

 

誰であれ、あんな死に方をしていいとは思わないが。
しかし人はいずれ必ず死ぬ。
安全神話などという幻想と、リアルワールドにあるリスクと、
いつでもリアルのほうが上位の摂理であり、
幻想を手放し、自然に沿い、心得違いを更新していくべきは人間のほうなのだ。

 

元総理は統一教会に祝電的なビデオメッセージを送ったという。
カルト宗教のもつ票田や人材、恩恵だけを受け取れるわけもなく。
それは家庭を壊された被害者たちの憎悪と、表裏一体のセットだったと。

 

日本人てアレだね。

何しても大人しいとナメてると、いきなり決死の特攻かますのは、民族性なのかね。
極端というか。普段やたらに我慢強いけど、よくわからんところにある地雷踏むと苛烈っていうと8種体癖っぽいかも。

 

カルトのトップのほうが、そういう復讐を警戒してセキュリティがガチだったわけだから、
搾取して洗脳して、人に怨まれてる自覚があるんだろうねえ。

 

しかし、1種体癖得意の鳥瞰で考えてみると。

 

自己がより良く生きるため、他者を食い物にする。それは是だ。
肉食動物は、弱いもの、警戒を怠るもの、群れからあぶれたものから獲って食う。
弱肉強食の食物連鎖は自然の摂理であり、
人間社会の倫理や安全への信頼は、人間の生み出したマトリックス共同幻想に過ぎない。

 

ゆえに搾取の件については天罰など期待できるものではない。憎まれっ子世に憚るというものだ。

 

ただ、同族喰らい、となると。
社会性動物の共感能力の発達という観点からすると。意識のレベルの話でいくと。

 

他者を食うのに何の痛痒もないのは三次元の意識だ。
他者の痛みを自分の痛みとして感じるのは四次元。

 

虫や魚や爬虫類のごときレベルなら、共食いは自然でも。

魂が成長するにつれ、同族喰らいは己の手足を食う自傷行為と変わらなくなる。

 

カルトのトップがどれほどのサイコパスか知らんが、
同族と認識するものを食い物にするのは、四次元への成長をみずから阻害することに他ならない。

民族や人種が違うからといって、付き合って気心知れてしまえばいつまでも本気でそう思えるわけもない。いずれ芽生える共感を抑圧することになる。

 

人間に生まれながら、三次元の意識にとどまり続けること、
成長できない、というのは魂にとって最も苦しいことだ。本質に反する苦。

 

いくらつぎ込もうと、金と享楽ではその苦しみは誤魔化せず。

なぜ苦しいのか気づくこともできないだろう。お気の毒様だ。

 

ゆえに死は救済だ。
記憶をリセットして、課題は来世(あれば)に持ち越しとなる。

 

しかし業は業であり。やったことが消えるわけでもない。
どこかで、人知にそぐわぬ因果応報の辻褄合わせが起きるだろう。
鬼舞辻無惨の暴虐のツケを産屋敷一族が病身早世をもって払い続けたようなことが。
それが六層、六次元の法、有限の世界の摂理だ。

 

地獄もサタンも、自分に言わせれば、五次元へ至る過程での自責の比喩だ。

生死を巡る魂という連続性のなかで、
自分がやったことは自分が知っている、だから決して逃げられず、ごめんねできるまで終わらない。

 

洗脳、脳の生理を利用して自由意志を妨げることがどれほどの冒涜か。

 

その罪をつまびらかにしてくれる他者も、裁いてくれる他者も、許してくれる他者もいない。
己の過ちに、己で気づき、己で許し、己で進まなくてはならないのだ。
甘ったれにはそれが地獄にも感じられるというだけのこと。
自立できれば、そんなことは当然のこととして受け止められる。
そこから自由と責任の表裏一体、自在を生きられるようになる。

それが魂の摂理だ。

 

だから、今日も世の中はムチャクチャのようで、やっぱりこれでいいのだ。
魂の成長のため必要なことだから起きている。

魂がそれを望んでいるから、世界があるのだ。

 

成長ていうか、より正確に言うなら、

魂は、存在を生じたから、存在し続けたいという指向性であって、

この世界では停滞は熱的死に他ならないから、より大きなものへと拡大するしかない。

しかし肥大でない健康な拡大のためには代謝が、揺らぎや部分的な破壊を内包する必要がある。

だから、間違うことも壊すことも正しく必要なことではあって。そこまで考えると、

 

不完全や不幸であることの責任を転嫁できるような創造主も悪魔もいないってことになるんだよなー。

 

自身が望み選んだ世界がここであり。

 

憎むことも愛することも、ただ許されている。

 

それが七層七次元、いや、  の感覚だ。
魂はそこから来てそこへ還る。
いや、ほんとうは今もそこに在る。
有限を内包する無限があり、
魂は無限から有限を汲みだしている通路なのだ。
それがわかると、夢幻泡影の意味がわかる。
有限も実体も罪も苦も、ほんとうはなにも無い。
最初のひとつを生んだ瞬間から世界はこうなるしかなかったけれど。
一は二を生じ、三は万物を生じ、万物は陰陽となって流転するしかなかったけれど。
万物が響き合って調和するとき、無限への回帰がある。とらわれはなくなる。

 

ああ、ほんとうに。
ただそれだけ。

 

 

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追記。

 

存在の七層とか、輪廻転生とかシルバーバーチとか色々ごった煮で使ったけど。

どれも科学的に証明できるわけじゃないので、

ぜんぶレトリックであると思っても構わない。

 

そのように考えれば、自分のなかから憤りを消せる、苦しみが無くなる。

というセルフケア、今日一日を気分よく過ごすためのメソッドだ。

まず、自分の心を自分で救うこと。

 

カルトがいかん政治がいかんテロが警備がコロナがなどと、

悪いもの探しをして憤りや正義感から行動してもロクなことにならねえ。

そのうち自身の問題を投影しだして終わらない闘争になるだけ。

 

いいかげん、そういうのやめよ?っていうだけ。

 

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宝石の国を解釈する2 幸いは既に在り。

鏡面の波(アニメ盤)TVアニメ『宝石の国』オープニングテーマ

百話の感想も書いた。

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当ブログで常にぶっちぎりで読まれてる記事が宝石の国の考察なのだが。

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このたびめでたく連載再開となったので、最新96話の所感など。

 

 

フォスの地獄が絶賛継続中でメンタルがゴリゴリ削れて粉になりそうですよ。

この作品はほんと本編が鬱過ぎて、みんな考察とか二次創作とかで落ちた気持ちを浮上させたいんだろね。

もはや安易なハッピーエンドは期待していないが、それでもなんらかの救いは見出したいものだ。

 

ええっと。それで最新話96話で、

アドミラビリスも新しく生まれる宝石ちゃんも月に召し上げられることになり、

フォスが彼らとキャッキャウフフする新生宝石の国案はナシとなった。

 

月では、元宝石達はたいへん幸せそうに暮らしている。

ウェレガトとアンタークとシンシャという、

ゴーストの中でボッチだった子と、冬起きる体質でボッチだった子と、毒体質でボッチだった子の隅っこ暮らし三人組で仲良くなるのは妙にリアルでわかるんだけど、

そこに彼らそれぞれと縁あったフォスはいないっていう。ぴえん。

やっぱ頭だけから月人化というのはナシか?

ラピスやゴーストなど、一人前に量が足りない者は再生できないということらしい。

むしろそうであってほしい。頭だけのフォスに喋らせたりしないでほしい。

地上の七宝人間フォスに祈らせるために使われたりしたらエグすぎるし。

 

しかし、エクメア=閻魔が治める場、すなわち地獄。

飽きても倦んでも終わらない永劫の無為地獄であるはずの月が、

 

元宝石の月人達にとってはまるで天国なんだよなあ。

 

地上にいたときのように月人に襲われることも、攫われた仲間を思うこともなく、

みんな幸せだと口にしている。

 

そこが天国か地獄か、

ただありのまま在る世界をどう受け取るか、

それは観る者の心次第。という解釈もできるが。

 

しかしイエローとパパラチア、最年長組の様子をみるに、

今は楽園を謳歌する宝石達も、はるか数千年の先にはああいう形の終わりを迎えそうではある。天人五衰というやつか。

思いつくすべてをやり尽くして無気力になるか、過去や連続性を失って場当たり的に過ごすか。

 

それでも宝石達は、機械に祈らせるという他力本願しかない月人たちとは違う。

各々の生を全うし、消滅というか入滅というか解脱を望むなら、それを自力で行う資質があるはずだ。

 

月に行った宝石達が、「フォスのためにできることがある」とすれば、それじゃないかと思う。

フォスの祈りを享受するのを待つのではなく、みずから祈ること。

みずから無へ至ること。それを求めて求道すること。

できればそのメソッドを月人たちにも教えてやってほしいものだ。

 

まあ、フォスが覚醒したとき、すでに全員消滅済みで月には誰もいないエンドとかシャレにもなんないから、

そこは月人の怠惰さを信じよう。教えられてもそう簡単にはやらなさそうだよな。ゴシップと娯楽にしか興味ない愚民ということだし。

 

ほどよく下地を整える、自力救済への意識改革が浸透させるくらいが望ましいなあ。

美しくカリスマに富み。ごく自然に自らを幸せにできる宝石達と接することで、

月人社会にもなんらかの変化があるといいのだが。服飾はめちゃ発展してるぽいし。

 

ほんと、あんだけ長期間ボッチだったシンシャがフツーに幸せになれるのすごない?

遠慮がちではあるけど、ひねくれてない。こじらせてない。

殻にこもって幸福を拒否するとかメンドクサイところがない。

アンタークもそうだ。「楽しめ」っていう。素直で優しくて自然にしあわせ。

尊いけどやっぱそゆとこ、人間じゃそうはならんやろって気もするんだよな。

 

メンヘラ多めの宝石の国で、ボッチだった二人のメンタルが健やかなのは・・・。

やはりおそらく、宝石って本来群れて生きる生命体じゃないんだろうな・・・。

光合成だけで生きていけて、狩りも生殖もしなくていい生物だからな・・・。

動物よりむしろ植物に近い。

 

金剛先生の初期教育、先生を守り、大好きな先生の側にいるための生活様式

学校とか組んで戦闘とかの集団生活は、宝石本来の生態とかけ離れていて、メンタルに悪影響なのかもな・・・。

 

ほんとSFとして優れた描写だと思う。

実在しない生命体の生態に妙なリアリティを感じるわ。凄い。

 

しかし、身体性から生態が決まり、生態から心の在り方が決まる、というのは実に成程だが。

そーすっと、宝石のボディを捨てて、煙のような精神体である月人になったことで、

なにかしら心にも影響する可能性もありそうでなあ。

石ちゃん達がみんな無責任で他力本願の愚民と化したら救いようが無くなるぞ。

まあ、月人のあの性質は身体由来だけでもないからそれは違うか。

 

さて後は。

 

七宝フォスが金剛ソフトをインストールする期間について「一万年と五十億年の差は感受しにくい。」とあったけど。

 

それアレだね。弥勒菩薩の56億7000万のことだね。

釈迦入滅からそれだけ修行して、悟りを開くという伝説。

フォスが弥勒菩薩なのは半跏思惟のポーズで示唆されていた。

 

 

弥勒菩薩とすれば、悟って衆生を救済するのは既定路線ではある。

が、バラバラにされて埋められて忘れられて、

置き去りにされたフォスがみんなのために祈るかどうかというと、お気持ち的にどうなのか。

 

初期はそういう殊勝な面もなくはなかったけど、

後半はそうとうメンタルやられてたからなあ。

 

ユークは「あの子は特別になりたがっていた」という慧眼をのたまったけど。

まあ、そう言ったらそうなんだけど、

末っ子の甘ったれのフォスの望む特別とは、みんなにちやほやイイネされることであり。

金剛のように大きな責任を負ってみんなに滅私で尽くす特別ではなかった。

 

一発でっかくバズりたい、インフルエンサーになりたいみたいな、キラキラ系で安易に注目されたい承認欲求であって、

親とか医者とか為政者みたいな、みんなの命を預かるようなガチの責任者になりたいってことじゃなかったんだよなあ。

 

まあ確かに、何百年もそんな甘ったれのままてのもどうなんだかという話ではある。

どこかで成長したり自立したり乗り超えてったりしていくべきではある。

といってフルシカトは荒療治が過ぎる気もするが。

 

ていうか承認欲求て。

宝石には本来備わるはずのない欲求ではなかろうか。

それはヒエラルキーのなかで、下位者の支持を得、上位者の庇護を得たいという心理。

群れて生きるうえで、生存を有利にするための欲求。

人間、社会性動物にしかあり得ないもの。

宝石のフォスにそれがあるのは初期不良なのか。人間由来の因子なのか。

 

フォスの孤独療法の感覚を例えるなら、

バズってカリスマになるはずがスベり倒して炎上した底辺YouTuberから、

ネット環境をまるごと取り上げて、

禅寺か無人島に放り込んで放置、みたいなことだろうか。

強制・独り反省会。

 

そう思うと、孤独と知識を好む1種体癖的には実はそこまで辛い環境でもない。

教えたがりのラピスみたいなタイプには合う環境といえる。

 

社会や人間の繋がりから遠ざかっても、大自然があるなら孤独ではない。

むしろ虫の声も雲の流れも風の感触もすべて友とし、自然と自分が響き合う安らぎを得る。そういう境地もある。

金剛アーカイブもあるしな。いわば図書館付きってことでしょ?

 

ちやほや好きの3種体癖ぽいフォスには辛くとも、

頭でっかち引きこもり好きのラピスなら耐えられる。

 

七宝人間フォスの裏人格としてのラピスに期待したいところだな~。

 

 

・・・ああそうだ、ラピスの心はもうフォスの一部かもというなら。

フォスは七宝、融合されてるのはラピスだけじゃない。

独りで置き去りにされてしまったけれど。

 

足はアドミラビリスの殻の瑪瑙。献身を認められて贈られたものだ。

腕はアンタークチサイトと見つけた白金

頭はゴーストクォーツから譲られたラピスラズリ

エクメアに貰った真珠の目

シンシャの水銀

金剛の目

 

フォスフォフィライトの身体は、他者の体の一部や、誰かとの縁を示すものを取り込んで大きくなった。

それは、最初から最期まで一個として完結する宝石生命体ではありえないはずの、

他者との深い交わりや、絆の象徴ではないのかな。

 

フォスのインクルージョンは、他の素材とすぐ馴染む。

その性質が、他者との繋がりを望む気質になり、承認欲求として表出したんだろうか。

 

身体の性質と気質の相関は、体癖を学んでいるとよく理解できるところだが。

 

承認欲求、周囲に認められたい、

誰かと深く繋がりたい、他者と一体に融けあいたい、というフォスの願いは、身体から

すでに叶っているのかもしれない。

あとは心が、それに気がつくだけでいいのかもしれない。

そのための己と向き合う時間なのかもしれない。

 

さすれば。

 

欲した幸福を得たならば、満たされたのならば。

 

月にいる皆に認められなくても、エクメアを恨まなくてもいいな、執着しなくてよくなる。

 

ムカついたぶん、一発殴るなりしてケジメはつけたいけど。

 

ま、どーでもいっかー。っていうユルさというか余裕というか。

シンシャやアンタークのように、ごく自然に自分を幸せにしてやれるようになるかも。

 

メンタルの安定、人格の安定、自立と自律を確立できるかもな。

 

それが自力救済というものだ。

 

 

 

 

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モノノ怪、化猫を解釈する。トラネコの理。

 

YouTube公式配信おつかれ~。

全話ぶっとおしはキツかったあ~。

脳が飽和した。目がぐる、ぐる、ぐる、ぐる、したw(@◇@)

でも皆でチャットしながら見ながらアニメ見るのって久しぶりで楽しかった!

OPEDの間にトイレ行った報告したり、酒飲み報告したり、

セリフに合わせてぐるぐるぐるぐるしたり、うっかりうっかりしたり、ツッコミいれたりネタバレしたり考察したり。

OPの終わりで「かいっ!」の弾幕するんだよwwなっつww

それらも含め15年前のニコニコ時代を懐かしんだ。

 

 

さて、終了後即爆睡からの翌昼、風呂しつつ徒然に思ったんだけど。

 

最終話の化猫は、疑問が残るなあ~。

 

なんであのトラネコはエリザベスカラーに赤いチョッキを着てたんだろう。

 

それが一番気になる。猫好きだし。

 

カラーしてるってことは、動物病院に行った、人に飼われてる猫なんだよな。

でも、祟りなす情念の主である新聞記者節子は猫を飼っていない。

 

あの猫は、節子が電車に轢かれる、あの場に居合わせただけ?

 

節子に縁のない猫なら何故、恨みのこもった血をなめたのだろう。

 

その疑問が作中で言及されないよね。

 

うーん。ただ、

化猫・座敷童・海坊主・のっぺらぼう・鵺、と、ここまで見てきた作品の世界観のなかにヒントはあるのではないか。

 

常に物語は人間サイドから語られ、モノノ怪サイドからの説明はなく。

モノノ怪の理は人に理解できるとは限らない、と言いつつ、

しかし考察してみると、

人間のする非道よりもよほど道理に適っていると思わせるのだ。

 

やられたぶんだけ、やりかえす。

 

最終話化猫でも、殺人事件の原因となった市長は最初にサクッと始末、

実行犯である編集者守谷は、

節子がスクープ記事を紙面に載せられるとぬか喜びをさせられたぶんだけ、

さんざビビらせたうえ「夢だったのか」の希望でぬか喜びさせてから、処す。

 

上げて落とすの心理の揺さぶりを繰り返す。

反復という脚本の技法、ホラーの構成としても見事だけど。

 

倍返しとか、死体蹴りとか、オーバーキルってことがないんだよな。

目には目を歯には歯を、恨みには恐怖を、キッチリ等分に仕返して、それで終わり。

そういうところがモノノ怪の理は、無限の摂理に則るものなのだと思わせる。

怒っているし恨んでいるけど、暴走はしていない。理不尽でもない。

ちょうどいいとこで薬売りが退魔るからでもあるが。

 

 

カラーにチョッキのトラネコは、節子に恩もなければ、守谷に恨みもない。

花嫁タマキの黒いネコとは違うのだ。

 

トラネコの理、心のありさまはどこにあるのか。

 

そういえば、

節子からしてみれば、憎い相手は市長と編集長で確定で明らかだ。

そいつらだけ処せばいいものを、

わざわざ、偽証をした人々を集めて真実を聴取する必要はあっただろうか?

新聞記者だから、殺人を自殺と報道されることも許せなかったのは、まあ分かるけど。

 

そういえばあの運転手、あの沿線は、よく猫を轢くと言っていたか。

色んな柄のたくさんの猫がわちゃわちゃ出てくるのはそれだな。

今まで電車に轢かれた猫達。

 

しかし、死んだから殺されたからといって、

獣はそれだけで恨んだり祟ったりはしない。

 

獣は、腹が減るから食うために獲物を殺し、

繁殖のためにオス猫が子猫を殺す、

そういう生命の在り方を心得ている。

 

死ぬのはいい。しかたない。

 

しかしあまりにも多くが死に、しかもその理由がわからないとなれば、

「なぜなのか、知りたい。」とは思うかもしれない。

 

時代は大正、電車は猫にとって未知のものだ。

巨大な鉄塊が、なぜ走り、なぜ猫を轢くのか。

 

人間を知れば、死ぬ猫が減るかもしれない。

であれば、知ろうとはするのではないか。

 

トラネコはそのために、人に飼われてみる。

病院に連れていかれ、カラーを巻かれ、服を着せられる。かわいがられる。

そういう飼われかたでは、人間が電車で猫を轢きまくるわけはわからない。

 

だから次は、猫と同じように、電車で轢かれるばかりの女の血を舐めてみたのかもしれない。

 

海坊主で暗喩されていたとおり、

人の強い情念と結びつくことは「符呪など効かぬマラの鬼」に、

アヤカシにとっては霊力や認識能力を飛躍的に向上させる、パワーアップ、ランクアップの方法でもあるのだ。デメリットもヤバそうだけどな!

 

そうしてモノノ怪に進化したトラネコは、節子の縁を手繰って人間を集め、彼らの話を聞いてみた。

「猫一匹のために電車を止められないだろう、お客さんに迷惑がかかる」

「ひどい!命はどうでもいいの!?」「そうは言ってないだろう!」

 

そのやりとりこそが、トラネコの知りたかったこと、

それを聞くことがトラネコの行動原理だったのかなぁ・・・。

 

っていう解釈はどうだろうか。

一応スジは通る気はするのだが。

 

まあ、スジとかどーでもいいかってほどには、ちんどんや薬売りがウツクシイ回だよね!

絡みとかおちゃめが控えめだから、そこは海坊主とかのほうが楽しくて好きだけども。

セピア色との色彩の対比だけで何周でも見ていられる。ご飯何杯でもいける。

 

最初の化猫の登場人物がまんま転生で登場するのも一興だ。

坂井の化猫騒動で食い残してしまった主犯を、電車騒動では最初の一口に処すのもまたわろし!いやをかし!

 

そして、節子とタマキもそこはかとなく似ているのには気がつきたくなかったところだ。(声は違う人)

タマキは攫われ虐げられながらも、ネコに恨みを託すことは無かった、「お前は自由になるんだよ」っていうぐうの音もでない聖女だった。

それが節子になると、男社会で男に負けない有能であるかわりに、中居とか女として働く女性を見下すイイ性格になっちゃったっていう。

 

まあ、

カヨもチヨになるとまあまあリアルなクズだし、

人間てほんとそんなもんではあるよね・・・。

 

あるいは、

タマキは復讐を思いつきさえしないほどただ弱く、男どもの食い物にされる女だったけど、

のっぺらぼうで抑圧への気づき、女性の自立、自我の獲得があり。

鵺では逆に男どもを囚えて食い物にする女。

そして節子は男勝り、やられたぶんだけやりかえすことで、

男女のパワーバランスが拮抗する。

 

っていうふうにシリーズ全体での推移を見てもいいのかもしれない。

よく出来ているなああ~。

 

次の劇場版の舞台は、大奥、女の園だという。

 

どんな女性像が描かれるものか、刮目すべし。

 

 

 

追記。

 

あ、ていうか、耳が欠けて、カラーしてて、

もしかしてあのチョッキが傷跡を隠してるんだとしたら、

まあまあの大怪我ってこと?じゃ、あの電車と接触した事故なのかな?

トラネコも節子と同じでもう長くない命とか?

自分もまた電車によって死ぬところだから、

せめてそのわけを知りたかった、

そのためにモノノ怪パワーを得る機会をものにした。

とかの方が普通にありそうな話か。

うっかり、うっかり。(ー∇ー)ゞ 

遠回りしちゃった。

クールにとことこ歩いてくるから、つい去勢かなにかかと思ったけど、大正時代はまだそんなんしないわな。

つかそれ言ったらエリザベスカラー自体が昭和になるまで無いはずだけどw

 

あ、だからそうか。

脚本段階で、轢かれて今にも死にそうな猫と書いてあったとしても、

猫はたとえ死にそうでもそれを隠して平気な顔で歩くものなんです、などと主張しそうな猫キチ原画マンがいたっていうエピソードがあったな。こないだの記念祭で言ってた。

それで、血濡れで瀕死でよたよた歩く猫という案はナシになり、ケガを暗喩するカラーと赤のチョッキにデザインから変更になった、なんて話なのかも。

うん、猫好き絵描きとして、そんな今にも死にそうな猫は描きたくない気持ちわかる。

なんとでもそれらしくプレゼンして、通ればラッキーだよな。

監督が10種体癖のおおらか放任タイプで僥倖僥倖。

結果、視聴者としては大いに謎な描写になったわけだがwwwそれもまたヨシ!

 

ところで、トラネコのカラーとチョッキは最後にこういうハイパーストライクハートきゃわたんの装いになるのだが、

これはきっとケットシーのイメージだね。猫の王様。

ケットシーはお腹の白い黒猫という説があり、タマキのネコはそのカラーリングになっている。

これはあんまり見ない柄行なので、偶然ではなく意図がある。

 

 

民話では、ケットシーは代替わりをするという。

ケット・シー - Wikipedia

猫の王の代替わり、ほほう、だ。

 

つまり、

猫達の代表として、人間と電車の真(まこと)を聴取してきたトラネコは、その功績を以て次代の猫の王に即位した。

かくて猫の集合知には電車が如何なるものか周知され、徒に轢かれる猫は減るのであった。

とかそんな妄想は公式でオッケーということですね、ヨシ!ヨシ!!!ヨッシャー!!!

 

 

ウチの猫にこの衣装着せてぇ~

ちょうどチャトラなんだよな・・・。

え、自作?する?しちゃう??

 

 


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猫好き神アニメーターの話は41分あたり。薬売りのうるわしい横顔もその人の絵らしい。

 


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モノノ怪、海坊主を解釈する。妖の視座

 

 

ファンアート描いてみた!

当方お絵描き勢ではあるが、薬売りは寄せてける気がしないので猫でファン絵。

猫は好きだ。今も二匹飼ってる。

モノノ怪が化猫で始まり化猫で終わるシリーズっていうのも最高にツボなので、

それぞれの化猫で陰陽の対極になるっぽく描いてみた。

花嫁タマキとネコは作中でひたすら可哀想なので、そういうの二次創作では昇華したくなるよね~。ニコニコにしといたよ!

 

 

さて、前回の記事はその化猫の解釈、

猫を意味するマオという名がついてる理由、

復讐を25年も待っていた謎を解くべく書いてみた。

 

 

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モノノ怪 弐之巻 海坊主 [DVD]

 

で、続けて海坊主も見てみた。

だってDVD持ってるもんね。オーディオコメンタリーも聞けるもんね。デュフフ

 

化猫で登場した女中カヨが再登場し、

「坂井家の化猫騒動」として前作が仄めかされる。

 

だからっていうか海坊主は、化猫を見てるか見てないかで全然見方が違ってくるのだ。

 

化猫の内容がまるごとミスリードになる。驚嘆せよ。

 

既読者は化猫騒動の目撃者であるカヨと同じ目線、同じ疑いを抱きながら見ることになる。

 

化猫では25年、海坊主では50年とちょうど倍の年月だが、

年老いた男が振り返り語る若き日のあやまちが、

とんでもない美化された大嘘なんじゃないのか。

死人に口なしというが、死んだ女性サイドには全く違う言い分が、異なることの有様があるのではないか、という疑問がちらつくのだ。

 

それだけ前作のインパクト凄かったからな。

一見して物静かな隠居、しかし家人を諫める言葉には道理と威厳があって、

この人はマトモそうだなーと思ったジイさまが、アレだった。

 

初見の印象を裏切られたぶん、過剰に警戒してしまうのだ。

 

しおらしく罪を告白する僧も、どうせまた最後には大噓つきの醜悪をぶちまけてくるのでは、と。

 

 

 

いやー、まんまとミスリードにひっかかり、

気持ちよく騙されるのがまた一興ですなあ~。

 

 

海坊主は、まあ今でいうところの

「推しのためなら死ねる」が、ガチのリアルだった女子だな。

しゅきぴ彼ピに貢ぐために体をはる系。地雷系。ぴえん。

おヨウの衣装はリボンやリンゴのいかにも少女なモチーフだったが、

クロミとMCMリュックとモンエナピンクに脳内換装しても違和感なしww

黒髪ロングにぱっつん前髪てのがまたww

 

mtrl.tokyo

 

ほんと十代の女子ってそういう危うい心理あるよなあと思った。

好きな人が世界の全部で、そのために自分をすり減らして堕ちて死にたい、みたいな。

破滅願望でもあるし、自己犠牲には酔える快楽と中毒性がある。

単に世界が狭いだけでもあるんだけど、箱庭には箱庭の退廃の耽美があるわけで。

 

で、まあ。

 

好きな人と兄妹だから結ばれず、それでも尽くすためなら死ねると、

兄の身代わりに、人身御供となって海に流された妹がいて、

 

妹おヨウは一応心残りなく死んだのに、

兄の僧のほうが妄執を拗らせてしまった。

 

その妄執がアヤカシを呼び、50年かけて海を魔境にした。

 

っていう話だったわけだが。

 

しかし、妙にリアルな男女関係というか、

ぴえん女子が尽くしがちな男、

ホストやバーテンや地下アイドル、

女から搾取するのに慣れた男、女が金にみえてる男。

なんでかそーゆー男にばっかりハマってちゃ報われるはずもなかろうけども。

 

僧の兄も「死にたくねえ、いい暮らししてえんだよ、こいつぁバカだ、なんだ金か?金ならねーぞ。」

っていう見事にそーゆークズ男な内面だったなw

 

しかし顔が良くて中身クズで、なぜか女に尽くされる、そういうタイプの男が、

女を踏み台にしたことを思い悩んで、50年も経って弔いにくるなんてことあるもんかねえ。色子ぽい弟子を連れてるあたり性懲りもねえなって感じしかせんのよ。

まあ、他人じゃなくて妹だから、そこは縁を忘れられるものでもないだろうけど。

 

ただ、前回の化猫で、奥座敷の荘厳過ぎる装飾が一種の魔法陣なのではないか、

あの部屋こそがアヤカシなのではないか、と思ったのは、

海坊主を見ていたせいでもあるんだよなー。

 

海坊主では、空中に目が現れたり、鎖のような魚のような船幽霊が飛び交ったり、

なにもないところからモノノ怪がでてくるから、空間そのものがモノノ怪のようだっていう印象をもつのだ。

 

アヤカシの海、という魔境のような空間が意志や指向性を持つ。

あるいはアヤカシ達の視点から考える、という発想があると、

エピローグの解釈が少し変わる。

 

僧と虚船、ペアで半身の妄執が退魔の剣で斬られ、海坊主は祓われるのに、

船に乗り合わせた人斬り侍と妖刀というペアが、次のモノノ怪に成る。という展開。

 

それは、アヤカシの海というモノノ怪が、核の代替わりを行ったのかなー、みたいな、そういう見方だ。

 

アヤカシの海が、アヤカシの集まる場としてのホメオスタシスをもっていたから、

50年の節目に、古い核の主と、新しい核の候補者を、呼び寄せたのでは?

彼らは自発的に行動したようで、実は「呼ばれた」っていうやつだったのでは。

 

「迎え、誘う声こそ恐るるべし」と、薬売りが言っていたのはそういうことかもな、と思うのだ。

 

船の乗客たちを迎え誘っている声の主は、アヤカシの海さんですよね。

 

海座頭だけどういう繋がりで出てくるのかピンとこないのも、それで腑に落ちるんだよな。

空中の右目や影の魚、鎖のような船幽霊は、僧の心象とリンクしてるからわかるけど、海座頭は僧の心のどういう部分の表現なのかわからない。

海座頭はアヤカシの海という場から、代替わりの儀式の執行者として登場したのかな、と思えば。

 

アヤカシもなー、

八百万もいるとなれば弱いものもいるわけで。というか大半はザコなんだろうな。

それを倒して名を上げようとする行者や、捕まえて見世物にしようという商人がいる。

それら外敵はたいへんな脅威だ。だから群れて生存を有利にしようとする。

そこに、「激しい人の情念がアヤカシと結び付くとどうなるか。もはや封印の呪符など効かぬ魔羅の鬼。」という言。

あー、

逆にアレか。

人の妄執を取り込むことは、アヤカシ達にとっては強くなって大きくなって、人に脅かされずに済むようになるっていう側面もあるんじゃあないのか・・・?

その生存戦略に気がついたから、

積極的に情念の強い人間を誘い込もうとするようになったのでは・・・。

 

結局、また人間が諸悪の根源でアヤカシかわいそうなのか・・・。

 

 

まあ、薬売りが居合わせてるから、

新しい海坊主(海侍?)も退魔されちゃうんだろうけど。

 

 

 

つか、そうそう。

それよりなにより当ブログ的に注目なのはだ。

海座頭に問われ、薬売りが答えたあれ。

「私が本当に恐ろしいこと、それは……この世の果てには、形も真も理もない世界がただ存在しているということを知るのが、恐い。」

 

えっ。

 

なにそれすごい。

 

この世の果てには、形も真も理もない世界がただ存在している。

 

だと・・・?

それは、恐いことでは無いはずだ。

 

理、心のありさまが無い、ということは、

恐い、ということも、そこには存在しない。

 

有限の世界の果てを越えて至る、無限。

 

それは涅槃、あるいは空(くう)というのだ。

 

薬売りスゲーこと言うなぁ。

 

それは海座頭の幻覚でいいから是非味わってみたい感覚だ。

それは究極の瞑想の境地そのものと言っていい。

 

幻覚攻撃を利用して見たいものを見てみるとか、さすが策士よのう。

饅頭コワイの本質を見事に応用しているw

 

 

 

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~ayakashi~化猫 を解釈する。マオは猫。

怪 ayakash 化猫 [レンタル落ち]

 

というわけで早速視聴、徒然に書きはじめてみる。

 

一作目の化猫はオムニバス企画のなかのひとつに過ぎなかったのが、

あまりにビジュアルが素晴らしかったので、後にモノノ怪シリーズが制作されることになったのだとか。

 

漫画雑誌とかではよくある話だよね。

読み切りのつもりがバズったから連載企画になる、みたいな。

アニメオリジナルでは珍しい成り行きだけど。

 

そんなわけで、化猫では薬売りの髪質がややストレートだったり、

オープニングがいかにもなサイケデリック模様だったり、

台所の3Dオブジェクトがもろ素材で低予算感だったり、

モノノ怪シリーズほどビジュアルが定まってない感を楽しむのも乙なものだ。

 

あらすじは、まあ。

とんでもねえ悪代官が花嫁行列から花嫁をさらって、

座敷牢で監禁虐待死させたのを、一族郎党で幇助と隠蔽。

あまりの所業に、花嫁が隠していた猫が祟って皆殺し。

 

三行でざっくり言うとそんだけの話ではあるが、

隠蔽された事実が証言で少しずつ暴かれていくサスペンス感や、

不可視の化猫がひたひた迫るホラーな演出、

なにより他に類を見ない独特な美術に、何度見てもずっと目が釘付けで、処理能力が飽和状態なので、

筋書きも追いつくだけで精いっぱいっていうビジーな感じマジ最高。

 

で。

なにか新しいことに気がつかないかな~と思って観てたから、

真央、という名前が気になった。

マオ、中国語で猫のことだね!

 

マオは坂井家の娘。諸悪の根源の悪代官の孫娘。

拉致虐待殺人から25年経った、マオの輿入れの日に化猫騒動が起こる。

 

25年。

 

怒り恨んでいるのに、それだけの長い間復讐を待ったのはなぜなのか?

 

作中で「この家から花嫁が出ていくことが許せなかったんだろう」と、

一応納得できるセリフがあることはあるのだが・・・。

 

化猫は、原作なしのオリジナルシナリオではあるけど、

鍋島の化け猫伝説からモチーフをとっているのは伺える。

鍋島騒動 - Wikipedia

つまるところ、女主人の仇討ちをする猫、だ。

子どもの頃、なにかの漫画で読んだのだが、

「猫や、仇を討っておくれ」と言い遺して懐刀で自害する奥方、

その血を舐めて飼い猫が化け猫に変じる場面がうっすらトラウマ・・・。

 

台所で油がこぼれている場面があるが、それは猫が舐めたのだ。

魚を絞った生臭い油を安価な灯りとして使い、それを猫が舐める。

女に化けて潜む化け猫だが、それで正体がバレるっていうアレ。


そう、化猫は、

 

女に化けて潜む。

 

マオ。

 

孫娘のマオは、猫だった?

 

いつから?

 

まさか25年間、ずっと・・・?

 

 

ゾッとした。

 

そう思ってみたら、

最初の犠牲者であるマオの遺体が、

さらわれた花嫁タマキの顔に変わって口裂け笑いを浮かべ、

赤い爪を長く伸ばして薬売りの足首を掴む、あの場面の意味が変わって見えてくるね!

 

死んだ花嫁マオに猫が憑いたのかと思ったけど、そうではなく。

 

マオ=猫だったのだ。25年きっとずっと。

 

そうだ。

化猫は、花嫁の仇を討つ。

監禁を知っていながら見殺しにした使用人や嫁いできた奥方、

粗末な食事を運び蔑んできた女中、死体を井戸に捨てた家臣、強姦した長男。

加害者はみんな食い殺して、吐き出して壁に塗りたくってやった。

罪の重い者ほど後に残して、たっぷりと恐怖する時間を与えてやった。

 

ただ、最初の犠牲者であるマオは、花嫁の仇ではない。

花嫁の死後に生まれたんだもんな。

だから、マオを殺すことには復讐の正当性が無い。

 

モノノ怪の理(ことわり)は人に理解できるものとは限らないから、

係累というだけで同罪として殺すこともあるかもしれないが。

 

しかし、そうだ。

ただの猫が化猫に変じるためには、なにか代償やエネルギー源が要る。

鍋島の化猫は恨みの篭もった女の血を舐めたが、

花嫁タマキは猫に「お逃げ」と言ったのだ。

復讐の代行を頼んだりしていない。

 

猫は、花嫁と母猫も殺されているので、

自発的に復讐を決心するのもわかるが、

生まれて数年の猫には、そこまでの力が無かった。

 

だから、その家の娘に成り代わり、25年をかけて力を蓄えたのではないかな・・・。

 

成人は無理でも胎児に憑くとか、それくらいならできたのかもしれない。

主犯の孫娘といいながら、主犯は息子の嫁にも手を付けてたから、娘かもしれんし。

 

25年は猫の平均寿命を大きく越えてる。化け猫と呼ばれるには十分な年月だ。

あるいは、それだけの時間をかけて見極めていたのかもしれない。

家人が悔い改めたなら、花嫁を弔ったなら、なにか善行を積んだなら、

恨みは薄れたのかもしれなかったが。

 

それどころか、猫を20匹ばかり買って刀の試し切りにするとか、ろくでもない悪行を積むばかりだったからなー。

しかもその猫の死体、花嫁と同じ井戸に捨ててそう。

怨念が積もり積もってゆくばかりの25年だ。

ただの猫が、七人ばかり祟り殺して家を断絶させるモノノ怪になるに十分な因縁というもの。

 

輿入れの日、タマキと同じ花嫁衣裳という最後のピースを得て、そこで化猫マオは完成した。

冒頭の花嫁マオの頓死は単に死んだフリか。

25年体を動かしていた中身が化猫に変化して抜け、抜け殻となったのか。

 

モノノ怪の理(ことわり)は、

恐怖を除いてあるがまま観てみれば、

因果応報等価交換、やられたぶんだけやりかえす。

オーバーキルなんてことは無く、人のする支配や暴力よりよほど道理にかなってる。

・・・のかもしれない。

 

だから、あんなにキレイさっぱり清め払われて逝けるのかもね。

 

 

いや、あくまで解釈だけどね!

 

コミカライズで前日譚があるらしいが未読なので、的外れだったら恥ずかしいが、

二次妄想として楽しめたっていうことで。

 

しかし、深読みしても納得できる筋書きだけでも素晴らしいけど、

ほんっと美術が凄いのだ。

 

日光東照宮もびっくりのハデな屋敷の、屏風絵ひとつとっても舞台装置として機能している。

手前の座敷は畳ナシの板間と鶏の絵で身分が低いものが控える感じ、

四間続きの奥の座敷に行くほど金がかかった感じになっていく上に、

二の間で家臣の勝山と笹岡が言い争う背景の屏風は犬と猿、犬猿の仲だったり。

三の間の奥方の背景には華美な扇柄の天井や、マオの亡骸の背景には散った花。

 

そして主犯の隠居の四の間には冬景色と鶴。

 

・・・鶴?

 

で、その鶴は、仕掛け扉になっていて、隠し座敷に続く。

 

「決して覗いてはいけませんよ」の鶴の恩返し、

河合隼雄的な、民俗な心理学でいうところの「開かずの間」か。

地下へ降りる階段があるのは、ラビットホールや異界、根の国や黄泉、深層心理へと降下する装置。

 

そして隠し座敷は、暗く篭った劣悪な座敷牢であるはずのところが、

豪華を通り越して神社仏閣レベルの荘厳な装飾、

六色の竜の柱が支える広大な六角形の空間になっている。

壁画は海中でまるで竜宮城だ。

 

地下と女、女と猫、女と海、海と無意識、海は常世、という象徴の連想は解るんだけど、

それでもあそこまで非現実的な荘厳さになるのはすごい発想だわ・・・。

 

竜宮城とすれば花嫁は乙姫、そして最期に白髪の老人が家族を失いひとり取り残されるオチは浦島太郎ってことだろうか。

 

竜宮城では時間の流れが違うのもあるな。

浦島太郎がはるか先の時間に放り出されたように、

あれだけの化猫騒動のあいだ、屋敷の外ではほとんど時間が経っていなかった。

 

乙姫は美しく浦島太郎をもてなすが、

開ければ年をとる玉手箱、呪いのアイテムともとれる箱を土産に渡す意味わからん悪女という見方もできる。

 

主犯の隠居は、誘拐した花嫁が自分を誘惑し厚遇したとか、この期に及んで意味わからん嘘をつく狂悪と思っていたが、

あの奥座敷が竜宮城であったなら、

あのあまりに荘厳な龍の柱は単なる飾りではなく、なにか意味のある結界のような魔法陣のような呪術の装置であったとしたら。

あれは、矛盾する現実を両立させ、生贄を欲するアヤカシの間であったのかもしれない。

 

・・・知らんけど。

 

youtu.be

 

ヘビーな見心地の本編を涙で洗い流してくれるエンディング、

猫視点になって歌詞を理解するとぴったりくる。

 

空を埋める花の色 うつりにけりなわが恋

やがて全てが過ぎ去る後も貴方だけを想う

いつか春の夕まぐれ 初めて口づけした

幻のような香りの中で貴方だけを想う

あなたの胸にこの身を任せ 私は死んでゆこう

 

ネコ・・・おま・・・おお・・・もう・・・(TロT)

 

作詞作曲・松任谷由実で歌は元ちとせ。流石すぎる。

 

 

劇場版を見に行くまで死ねない。

youtu.be

 

 

youtu.be

 

中村監督、10種体癖っぽいな。

横に開く力を感じる体形。頭脳型との見分けは首の短かさ。

忘れっぽいらしいw10種は監督に向くだろうな。個性を伸ばしてやれる親の気質、

しかし一方で支配が強いから、クリエイターとか独立心のある人は従うのがキツイかも。

 

 

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