ものがたりを解釈する

アニメ、漫画、小説、神話、あらゆるものが語りかけてくること。最も深遠な、でも誰にでも開かれている秘密に、解釈というメソッドで触れていく。

ハウルの動く城を解釈する4 マルクルと坊、動く城の意味するもの。 

さんけい みにちゅあーとキット スタジオジブリシリーズ ハウルの動く城 ハウルの城 ノンスケール ペーパークラフト MK07-21

 

Q マルクルっていつからハウルといるの?家族が欲しそうだったけど。

 


マルクルが家族が欲しそうっていうのは
「ソフィ行かないで、僕ソフィが好きだ」とか「僕たち家族?」ってセリフがあるからね、そう思うけど、

マルクルって、キャラの背景とか、動機づけが全然描かれない。
彼はソフィに懐くし、ヒンを「飼っていい?」と聞く、荒野の魔女に孫のように寄り添うし、労わる。
彼は子どもらしくふるまい、メンバーを家族として繋げていくけど、
それはメンバーと物語にとって必要なことなんだけど、
でも彼がなぜそうするかっていう動機はまったく描かれていない。

だから仕草とか子どもらしくてかわいいけど、あまり魅力的ではないと思ってたな、最初のころは。

でも宮崎駿がさ、そんな不手際なキャラ造形するわきゃなかったわ。こども大好きおじさんなんだから。

 

マルクルって、声をあててるのが神木隆之介だよね。
前作、千と千尋の神隠しで坊だった彼がまた登用されていることでも、
湯バーバと坊の関係性の物語がハウルの動く城に引きつがれているのを感じるんだけどさ、

もっと言うと、つまりマルクルって坊なんじゃないかな。
家族の中で育つって、子どもにとって必要なことだったのに、坊はその機会を奪われていた。
千尋と冒険して、成長して帰ってくるけど、 宮崎駿はもっと坊を描きたかったんじゃないかな。生みだしたキャラに救済を与えてあげたかった。

 

だからマルクルの動機や背景は、ハウルの動く城じゃなくて千と千尋の中にある。
「家族の中で育つ子ども」だ。

マルクルは坊の「家族のなかで育ってみたかった」っていう思いを
ひきついでいて、それを昇華するキャラなんだと思う。

 

そうと思って見れば、顔も似てるしね。
ちょっとツリ目気味の三白眼に、輪郭がちょっと角ばってる感じ、髪が上に立ってるのも赤ちゃんぽいし。
坊があんなとこに閉じ込められてないで、普通に子供に育ったらきっとあんな感じじゃないかな。


神木隆之介と言えば千と千尋ハウルの間の時期かな?キリクの主演もやってる。
あれも対立を争いを超えて解決する素晴らしい物語で、そこもハウルに通じるものがある。
しかもハウルは難解だけど、キリクは明快にそれが解る物語だ。

 

 

さて、まだ、動く城そのものについてのトピックが残ってた。

ここを切り口にして、動く城の扉の「この黒いところはどこに行くの」「ハウルさんしか知りません」という黒いところってなんなのっていう話に入っていきたい。

 

サリマンも「逃がしませんよ」と杖をついたとき、地面に一瞬黒い穴が開くよね。
あれも同じところへアクセスしたって表現だ。

そういえば、まずサリマンから波が迫ってくるのは、海は母の象徴だからだ。

 

この先はどうしてもあやしい話になるけど、どう観てもそうとしか思えないのでしゃーない。

物語のすべてを知りたいなら、物語に隠された普遍的な真実をあきらかにし、受け入れることだ。


ハウルの動く城、いわゆる城、っていうと普通はもうちょっと貴人が住む壮麗な建物とかを想像すると思うんだけど、

どう見てもあれってガラクタの山に足が生えて 怪物になって動いてるって見た目だと思わないかな?

原作のダイアナ・ウィン・ジョーンズの本だと、もうちょっと動く城っていう言葉どおりの挿絵がある。

 

しかも外からみると巨大なのに、中の生活空間は広いとは言えない。
めちゃくちゃに散らかって天井から埃が垂れ下がるレベルの汚部屋であることを差し引いても、
暖炉のある一階はキッチンとダイニングと玄関がひとまとめにあって、
二階はマルクルの私室、ハウルの私室で、ベランダも大して広くない。

あろうことかトイレ、風呂は同室だ。ユニットバスの城なんか聞いたことねーわw

当然客間もないからソフィは一階の隅、階段の下で寝てたよね。

 

動く城は、ハウルの心がどういう状態なのかを表している。
実はあらかたの人間たちの心もこういう状態にある。

 

ラクタの山をまるごと、大量のエネルギーをつぎ込んで動かしているのに、
実際に使う空間は狭いし、散らかっていておよそ快適とは言えない。

ハウルの私室をぎゅうぎゅうにしているのも魔女除けのまじないだと言ってて、
仕事部屋や書斎なんかもないから、
暖炉の前で本読んで道具使って炊事して飯食って・・・
ていう生活が見えるようだ。洗濯なんかしてたとは思えん・・・。

 

ラクタのかたまりの動く城は、まず中をソフィによって掃除される。

そして引越しの魔法で、家族の住める広さと快適さになる。

引越しを見て、ハウルはいつでも魔法で部屋を片付けられたのでは、と
思った人もいただろうが、それはしないっていうかできないっていうか。
ハウルの心そのものの姿だからね。

 

そして終盤では解体されて、あらかたのガラクタを捨ててコンパクトになって、シャカシャカ走り出す。

ラストでは木なんか植えて、庭もついて、居心地の良さそうな家になって、
空を飛んでいく。

 

空を飛ぶのは宮崎駿が好む表現だけど、
この物語で示されたようなプロセスを経て、人間の心ってものが完全性へ近づけば、 マジで人は空ぐらい飛べるかもって思う。

 

ハウルの動く城では、みんな姿がどんどん変わる、
ソフィも荒れ地の魔女もハウルも。マルクルの変装はおまけかなって気がするけど。
彼らの外見の変化は、すべて内面の変化にシンクロしている。 意味のある描写なんだ。

 

動く城もそう。変わる事には意味があって、物語は読み解かれるのを待っている。

 

ラクタってのは、なんのメタファーなのか?
それは人間の心をがんじがらめにしている色んな思い込みのことだ。
言い方は色々ある。
コンプレックス、思い込み、常識、トラウマ、しがらみ、思考パターン、ルーティン、過去の再生・・・
しきたりとか規範とか信条とか信仰とか、まだまだあると思うけど。


人間存在は本来、奇跡や創造の領域から生まれてくるんだけど、 生まれて来るとそのことを忘れる。

そして親や自分を育てた人間、周囲の環境から実に様々な思考パターンを吸収して育つ。

そして人格が形成されたころには、ガラクタの山のような膨大な思考パターンを自動再生しながら生きている、というような状態になる。
もちろん人によって程度の差はあるけども。

 

ここから脳や心のはたらきをパソコンにも例えていく。

ラクタの城を動かすのに大量のエネルギーをつぎこみ、 なのに実際には大して使えてないってのは、
デスクトップがアイコンでいっぱいで、色んなプログラムやアプリが開いて機能が衝突とかしてて、処理が落ちてて、ネットも電波が弱い、みたいな散々な状態だ。

 

自分のパソコンがそんな風にパフォーマンスが落ちてると気が付いたら、どうする?

まずアイコンはゴミ箱に捨てて、ゴミ箱を空にする。
アプリは閉じて、いらないのや衝突してるのがないか調べてアンインストールする。
ネットは接続を確認して、安定して容量の大きい回線に、そんで再起動するやん?

 

ソフィのお掃除はこれに相当する。
ヒーリングってまずはクリーニングなんだよね。

 

話が抽象的過ぎるかな?
なんか例をあげるなら、ソフィの心も城であらわしたとしたら、やはりガラクタがある。
「私は美しくない」「だって長女だから」「帽子屋をやりたいかはわからないが、父の店を守らなくては」「みんなで力を合わせるのは嫌い」「誰も頼らない、頼れない」

で、ハウルなら
「美しくなかったら生きている意味がない」
「母性に愛され、認められていたい」
こういうものがガラクタの思考パターンだ。

 

こういう思い込みは数限りなくあって、人間存在のパフォーマンス(性能)を落としている。


人の脳や心を、パソコンに例えたけど、

実はハウルはパソコン本体は処理が落ちたガラクタの城の状態なのに、
ネットだけはめちゃめちゃに強力、といった状態だと言える。

サリマンの「あの子は心をなくしたのに、力があり過ぎる」みたいなセリフはこれのことだ。

 

魔法や創造に続く黒い空間は、ネットに例えると理解しやすい。 また、ハウルはドアの向こうに体ごと飛び込んでしまうけど、
サリマンは杖を使い、黒い穴の空間もごく小さく開ける。 この差は二人の力の使い方、習熟度を表している。

本体の性能が落ち、心が欠けた状態で、体ごと黒い空間へダイブするのは危険な行為だ。

 

ソフィは扉の向こうの黒い空間に進む時には、様々な準備を経て、ほぼ本来の年齢の姿だったし、
指輪というコンパス(目的地を指すもの)とヒン(現実への帰り道を知るもの)という道案内があった。

 

準備を整える、これは大事なことだ。

 

サリマンの追っ手を撒いたハウルが透けて半人半鳥の血まみれで帰ってきた後、 ソフィが娘の姿でハウルの私室に入る場面がある。
ソフィが娘の姿で身支度するのに違和感を感じない事、そして寝ててはっと起きる感じな事で、
あの一連のシーンは現実ではソフィは寝てて夢を見て、でも2人の心のなかでは本当に起きたこと、夢だけど、夢じゃなかった、ていう場面なんだけど。

 

ソフィがドアを開けると、部屋がトンネルになってる。
 
そしてなぜか、道が二股に分岐しているんだ。

ソフィは、左側の道、木馬のある道を選んで進む、そしてそこには鳥の怪物みたいなハウルがいる。
これはハウルの顕在意識のほうへと進んだってことだ。

そしてそこが夢のなかで、本来の姿だから、ソフィはハウルに「愛してる」と言うことができる。起きてるソフィだとまだそんな思いきったことは言えないよねw
そして「もう遅い」とか拒絶されるから老婆に戻って目が覚める。

 

で、もう一方の道はどこへ続いていたんだと思う? 右の道、ドラゴンのような怪物の方の道だ。

 

それは、集合的無意識へ続いているトンネルだ。
ソフィが指輪とヒンを伴って行く扉の向こうの黒い空間のことだ。
そこは魔法やきまりごとのあるところ、流れ星の存在がいるところ、
そしてその先の 奇跡 創造 の領域へと続いている。

 

そういうもののことは、そうと気がつきさえすれば、
実は今までも結構色んなところで目にしていたってことが解る。

 

魔女の宅急便の主題歌とか。

 

小さい頃はかみさまがいて 不思議に夢をかなえてくれた
優しい気持ちで目覚めた朝は 大人になっても奇跡は起こるよ
カーテンをひらいて 静かな木漏れ日の優しさに包まれたなら
きっと目にうつるすべてのことはメッセージ

 

これはもう完璧に、今から言いたいことを表現してる歌だ。


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ここで当時のスレッドでは寝落ちして日を跨いだので次の記事へ。

 

 

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