ものがたりを解釈する

アニメ、漫画、小説、神話、あらゆるものが語りかけてくること。最も深遠な、でも誰にでも開かれている秘密に、解釈というメソッドで触れていく。

ファブリーズを解釈する。CMは注文の多い料理店。

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金ローでジブリは楽しいが、どうしてもCMが入る。

それも醍醐味かも知れないが、いつも戦慄するのがファブリーズのCMだ。

 

支配するものと対立せず、内なる完成を目指すのがブログのテーマなので、

嫌いなものは多々あれど可能な限りディスりは避けてきた。

嫌いなものについて書いても興奮するばかりで楽しくないし。

 

しかしまぁ…、対峙の段階も一度は必要だ。

ハウルも一度はサリマンに会いに行く。

 

できるだけ、好きな方向から書こう。

心理学や宗教論だ。

単純接触効果というのは心理学の用語で、よく見るものはそれだけで好感度があがってくみたいなこと。

エトスというのは小室直樹の宗教原論で言及されていた意味で使う。

行動様式、行動パターン、そういうもののことだ。

小室直樹は宗教の本質はエトスにあるという。

 

人は、なにか考える、それから行動にうつす。ていう順番で何かしてると思うじゃん。

でも、行動が思考を形成してることも同じだけある。相互作用なんだ。

 

マザーテレサの名言にこういうのがある。

 

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから

言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから、

行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから、

習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから、

性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

 

でも、これらはすべて相互に作用してるものだ。

 

行動パターンを変えることで、習慣を変えることができる。

習慣を変えることで、思考を変えることができる。

それらはいつか運命として収束していく。

そういうことが、ある。

 

ウィキをみるとファブリーズってのは、1999年に発売されはじめた。

洗濯機で頻繁に洗えないカーテンの消臭効果が宣伝文句だったらしい。

 

自分はスーツやコート、頻繁に洗えないアウターに焼肉やタバコのにおいがつくから使うものだと、最初はそんな認識だったかな。もう二十年も経つようなことなのか・・・。

 

ファブる、という言葉ができたのは2004年だという。

市民権を得て、アレをシュッと吹く行動様式に愛称がついてるわけだ。

 

ファブる、という言葉が定着する以前に、なにか匂いが気になるものに霧吹き、スプレーを吹くという行動様式があったっけ?

あまり記憶にない。吹き付けるなら香水か、外に干して風にあてとくとか、

タンスにゴンとか、樟脳やポプリとかを一緒にしまっとくとか、そんなもんじゃなかったかなあ。

住宅の気密性があがって匂いがこもるようになったとか、そんな背景もあるかもしれない。

 

で、最近のCMでは、

車に置いとくファブリーズとか、

靴箱にファブリーズとか、

布団をファブるとか、

お部屋の空気をファブるとか、

園児の帽子や制服をファブるとか、

絨毯やソファを夜ファブしとくとか、

 

なんっっっでもファブらせようと、新しい使い方を提案してくる。

 

商品よりも、むしろ行動様式をコマーシャルしてくる。

 

わかるかな~この怖さ。自分はこういうのが一番嫌いだ。

それを是か非か考えさせずに、刷り込んでくるような行為が一番タチが悪いと思う。

知らず知らずのうちに、行動を操作されてるというか。

自ら意図したかのようにある行動を起こすよう仕向けられている。仕組まれているっていうか。

識閾下にあるパターンを投射されてるうすら寒さというか、つまり催眠暗示だこれもう。

 

自分は、考えるってことを愛してるからな。

なんでも一度は自分の頭で考えて、受け入れるかどうか自分の意志で決めたい。

それでこそ結果を引き受ける覚悟、責任をもてるというものだ。

 

行動様式、消費行動そのものを変えようと訴えてくるCMというのは、なんなんだろうね・・・。

行動様式、というものはそもそもそう簡単に変わるもんでもない。

人は昨日と同じに今日も明日も生活しようとするものだ。縄張りのなかを習慣通りに動く。

そこで単純接触効果だ。何度も何度も同じメッセージを送る。

飽きないように手を変え品を変え、エンタメにして訴えてくる。

 

二十年と何百億だかの宣伝費、気の遠くなるコストをかけて、

P&G社は ファブる という行動様式を一般に定着させたわけだ。

 

 

なんか匂うかもな~、と気になれば、ファブればいいじゃん。

 

という思考パターンが定着した。なにかに向けてシュッとやることになんの疑問も抵抗もない。きれいになる気がする。

 

しかし、本当にそんな効果あるのかな~。

次亜塩素酸ナトリウムならまだしもさぁ…。

ファブリーズの中の液体の原価は十円以下だと思う。

相当に利益率が良くなきゃ、あんな凝ったCMを何本も撮ってオンエアするお金が出てくるわきゃない。原価厨じゃないけど、

ファブリーズの半分は宣伝費で出来てます、てなもんだw

半分というか、ファブリーズでもバファリンでもアタックでもボールドでもドモホルンリンクルでも、なんでもだ。

CMしてる商品を買うってのは、もうほぼCMの視聴代を払ってるに等しいとも思う。

情報を買って、実態のないイメージを消費してるに等しいと思う。

 

いや、除菌効果も消臭効果もあるのかも知れんけど。

あっ、ていうかどれも使ったことないから効果のあるなしとかわかんないや・・・。

まぁどんくらい菌が減ってるかなんていう、データや実証のフィールドでは個人が企業に敵うわけもない。調べようなんて気もさらさらない。

手応えをもって語れるのは、自らの内なるインスピだけだ。

自分としては、

空気をファブるとかそれなんてセルフガス室陰謀論なのマジ怖い戦慄する。

園児とか体が未熟なもの、希望を担うものから狙い撃ちとかマジ怖い戦慄する。

と思うけどあくまで個人的感想ですw

 

よくわからん液体を噴霧して吸い込む、布に付着して肌に触れさす。

ファブるという行動、ファブればキレイという思考、

あれもこれもファブりまくる習慣が、どんな運命になって収束し、顕現するか。

想像したこともないだろうが、想像してみたらいいと思う。

それであらためて、買うか使うか、自分の意志で決めれば、

なにが起きてもP&G社を訴訟したり署名や被害者の会をつくらなくていい。かもしれない。

「お前達がそうしろって言ったんだ!お前達のせいだ!」そんな苦しい思いを持たなくて済むかもしれない。

つーかすでに訴訟対策に、CMでは言葉選びは相当考えてあるよな。

 

いや、効果があるとかないとかはいいんだ、主題じゃない、置いておこう。

ファブるというエトスをダウンロードした経緯について見直すことで、

ファブる以外の、色んな行動様式についてもそれを自分がいつどうやって吸収し、繰り返しているのか、見直してみるきっかけにするのもいいかなと思ったんだ。

それは洗脳の解除の第一歩、自由意志の行使への道の第一歩だ。

 

エトス、行動様式、思考パターン。

信条や信仰や、良識常識、当たり前。

 

そういうのって、自分の脳がPCだとして、

どこまでがうっかりダウンロードしちゃって再生してるアプリなのか見直すことができる。

バックグラウンドで自動再生されているアプリが、容量をくって動作がモッサリになってないか、PCやスマホに慣れた人は時々そういう見直しをする。

脳でも同じことができる。いらないアプリを閉じて、アンインストールすることができる。

それで容量、作業スペースが広くなると、ほんとにスッキリした気持ちになる。

 

ファブるのほかにも、色んなゴミアプリ、ガラクタの思考パターンがあるはずだ。

それは多くの場合、育つ過程で親や周囲の人間から刷り込まれたり、コピーしたものだ。

「私は美しくない」「母性に愛されていたい」「敵を倒せば自由になれる」

「死や老いが恐ろしい」「お金がないと不安」「自分を表現するのが苦手」「いい人だと思われたい」

そんな根の深い大物から、日常のささいなジンクスまで無数にあるだろう。

 

まぁ、ルーティン、自動再生は脳の省エネにもなる。

考えないで作業すれば、考える分のカロリーを節約できる。脳は大食いだからな。

便利だからこそそれを獲得したのは間違いわけだが。

アンスコも実は同じくらい大事な機能だってことだ。

吸収して成長するのがだいたい完成する二十代以降は必須スキルだと思うw

 

宮沢賢治注文の多い料理店は、そういう寓意に富んだ、優れた物語だ。

二人の紳士は、料理店にある注文のとおりに身に付けたものを外し酢をかけクリームを塗りこみ、捕食者にとってのご馳走になっていく。

料理店の注文にはなんかちょっと、ん?おかしくね?って思うものもあるのに、

紳士たちは舶来だ本格だ流行だそういうものだといいように解釈して従ってしまう。

舶来とか、流行とか、みんなそうしてるとか、お金を払うからとか。

そういうゴミアプリが、なんか変だな、という直感を掻き消してしまう。

 

あれこれファブったり、飲んだり塗ったり、

CMが注文してくるとおりの消費行動をとってないかな?

CMが、お客に、注文してるの?

広告や商品の紹介してるだけじゃなくて?

それってなんか変だと思っても、CMのエンタメなイメージ、明るく楽しく清潔で誠実で健康で流行な、そんな印象が、直感を掻き消してないかな?

注文の裏の、CMの裏の、姿を見せない店主が捕食者だったらどうすんだw食われるぞww

 

白い猟犬は自らの内に見出せるインスピレーション、戦う力のメタファーでもあり、

すんでのところで助けにきてくれるが、紳士たちの顏は恐怖でくしゃくしゃになったまま、という後遺症のオチがつく。

 

これは身に染みるメタファーだ。

自分も社畜時代、何度も「なんか変だ」と思ってたけど、

そこをグッと堪えるのが大人、それが社会人というもの、というゴミアプリで掻き消し、病んだ。

仕事は辞めたが、多少の後遺症というか跡がある。

運よく見た目や生活に大した支障はないので、勲章か教訓の印と思うようにしてるが、

まあ、やっぱり、できればそんな目にあわないほうがいいよな。

被害が自分だけで済まなかったりしたら、自責の念も大きくなるし。

 

人生ってやつはオートプレイ、脳死プレイでグッドエンドに行けるほどイージーモードかっていうとな。そんなこたーない。

注文の多い料理店は、山の中からとうに全国チェーン店で販路を拡大して、

ブラック企業やテレビや広告やSNSや掲示板、井戸端会議、風潮のなか、

どこででも大繁盛の満員御礼で絶賛いつでも開店中だ。

 

早急に自分のための白い猟犬を見出すことが必要だ。

自分にとってのすこやかさ、自分の体が必要としてるものに耳を澄ませること、

ほんとうの幸い、内なる願い、そういうことを知らないと、

誰の言うとおりにしても、何をしても、虚しさがやまないということになる。

 

まず処理を重くしてるものをリリースする。そうすると大事だったものが見えてくる。

子供の頃、無邪気に夢みてたこと、生まれてきた時もっていた最初の願い。魂の指向。

心の奥にしまい忘れた大切な箱、わたしのなかに見つけられた輝くもの、

そんな感じのものだ。

あ、いつも何度でもの歌詞から千と千尋の記事もうひとつ書けるんだった。

 

 

さて、今日はラピュタだ。ラピュタはまだ見直して解釈してないやつだったから楽しみ。

未来少年コナンの総まとめみたいなとこがあるよな。

レプカムスカとか。ラナとシータとか、失われた古代都市とか良く似てる。

ラピュタは天空を彷徨う城塞だけど、コナンでは都市は水没してるんだっけ。

 

 

 

 

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かぎ猫画廊 https://kagineko.jimdofree.com/