ものがたりを解釈する

アニメ、漫画、小説、神話、あらゆるものが語りかけてくること。最も深遠な、でも誰にでも開かれている秘密に、解釈というメソッドで触れていく。

千と千尋を解釈する4 清めと葬送の物語。

108ピース ジグソーパズル 千と千尋の神隠し 海原鉄道(18.2x25.7cm)

 

 

さて、いつも何度でも と 六番目の駅 というところからもう少し書こう。

 

主題歌、いつも何度でも はとてもいい曲だけど、

 

千と千尋には、ふたたび とか いのちの名前 って歌詞つきの曲もあるんだけど、なんでこの曲が主題歌なのか。

 

いつも何度でもは、なんていうか死者に手向ける歌のようで、初見でこの歌がエンディングだった時には、

あれ?これもうハクには会えないんじゃ・・・って気がしたものだ。

 

ラストで、ふたたび や いのちの名前 が流れていたらそうは思わなかっただろう。

「また会える?」「きっと」を言葉の通りに希望あるものと思えただろう。

どちらもとても良い曲だ、下にリンク貼っておくけど。

では何故、いつも何度でもが主題歌なのか。

 

それは多分、もののけ姫から引き継いだテーマがあるからだ。

前記事でもさわりは書いてるけど。

 

いつも何度でも 

歌・曲 木村弓 詩 覚和歌子

呼んでいる胸のどこか奥で いつも心躍る夢を見たい 
悲しみは数えきれないけれど その向こうできっとあなたに会える 
繰り返すあやまちのそのたび ひとはただ青い空の青さを知る 
果てしなく道は続いて見えるけれど この両手は光を抱ける 

さよならのときの静かな胸 ゼロになるからだが耳を澄ませる 
生きている不思議死んでいく不思議 花も風も街もみんなおなじ 

呼んでいる胸のどこか奥で いつも何度でも夢を描こう 
かなしみの数を言い尽くすより 同じくちびるでそっとうたおう 
閉じていく思い出のそのなかにいつも忘れたくないささやきを聞く 
こなごなに砕かれた鏡の上にも 新しい景色が映される 
はじまりの朝の静かな窓 ゼロになるからだ充たされてゆけ 
海の彼方にはもう探さない 輝くものはいつもここに 
わたしのなかに 見つけられたから

 

 こう、なんていうかな。スケールの大きい歌詞っていうか。

 

繰り返すあやまちのそのたび ひとはただ青い空の青さを知る 

 

とか言われるとだ。

もうただ空を仰ぐしか無いほどの過ちとは、どのくらいなものか?

なんか、戦争とか、負の連鎖とか、環境の汚染とか、原発のあれこれとか、失火からの熱帯雨林の大火災とか、

そういう個人の力ではもうどうしようもなくて、とりかえしのつかない大きな破壊とかな気がしないだろうか。

人間の種としての業、カルマ、人の傲慢とか原罪とか、愚かしさに絶望する、無力に打ちひしがれる、そんな感じっていうか。

 

千と千尋では、そこまでスケールの大きな破壊の描写はないのにだ。

重い惨い描写はなくて、賑やかで不思議な少女の冒険譚に思える。

 

が、物語の裏で、主のいる名のある川を大量のゴミとヘドロまみれにしたり、ハクの川を埋め立てたりはしている。

 

それは、環境の開発と破壊だ。

神々の住まう森を切り拓き人のテリトリーにした、もののけ姫からのテーマ、神殺しだ。

 

もののけ姫では、産土の神、土地神、霊格の高い化生である大猪や山犬や、もっと高位の存在、夜の神 命の神シシ神に、

矢を射かけるわ、爆破するわ、石火矢は撃つわ、森は燃やすわ、首は落とすわでな。

 

そこまでされれば神々といえども死ぬ。

花も風も街もみんな同じだ。森も川も、神もそう、例外ではない。

不変のものはなく、この世での物質の依り代、肉の器を失えば、去る。

 

こなごなに砕かれた鏡の上にも 新しい景色が映される 

 

というのは、もののけ姫でうち砕かれたかがみ、鏡、神々、その上に千と千尋の景色があるってことのように思える。

 

鏡、かがみから、我、濁りを除けばかみ、神になる。という言葉があるけど、音の近さは、意味の近さでもある。

 

そして神々はどこへ去っていくのか、というのが千と千尋の舞台だ。

 

トンネルの向こう、川の向こう、境界の向こう、水の世界、あの世、彼岸、異界だ。

 

そこにまず湯屋がある。八百万の神様が疲れを癒すお湯屋だ。

酒やご馳走で宴会もできる。もてなされて寛いで、恨み、ケガレを吐きだし、

湯で血や泥や硝煙を洗い流し、水に流して、憂さを晴らすことができる。

 

お清めだ。

 

死者の心が癒え、次の世界に行く気持ちになれるまで、

まずそういう風にこの世のルールに近いところで過ごす。

 

オクサレサマになってしまった名のある川の主を、千尋が、人が、神様の湯浴みや清めを手伝って、竜神がこの世へ戻って行く姿、再生と復活の姿は、

人が神々を穢し殺したもののけ姫の後では、対照的な救いの描写になる。

 

そして、すでに帰る器のないものは、癒し清められればそこから先へ旅立つ。海原鉄道だ。

水の上を走るノスタルジックな電車には、黒い人影が乗り降りする。それは多分人界の死者だ。

 

「最近は行きっぱなしで帰りの電車がない」ていうのは、この世の方で精霊馬とかお盆で死者を迎える儀式が廃れてるってことかもしれない。

 

で、黒い人影は割とすぐに降りていく。

 

六つ目の駅まで行くのは千尋の一行だけだ。

 

千尋カオナシと坊ネズミとハエドリと、そして多分、千尋は最初から前作の神々とも一緒にいるんだな。

この世からあの世へ、湯浴みをして六つ目の駅へ。

 

それは葬送、お見送りだ。

 

人の魂の行くより、もっと先、幽界の上、異界の奥

 六道輪廻、六界か、天動説の七曜の天球か、シルバーバーチか、存在の7層か、

どんな世界観を採用するかにもよるけども、

六つ目というのはもうほぼ最奥、最上に近いと思われる。

 

神々はそういうところへ去っていくのかもしれない。

 

で、千と千尋の物語で、今は去った神々の在り処について想うから、

次作のソフィで人の身でありながら最奥に達することができるし、

その次作のポニョでは、地上のルールをひっくり返して命の水で満たし、遥か古き神、泡から生まれた太古の海の女神、グランマンマーレを呼び起こし、描くことができる。

 

なんかこう連綿とテーマが進み、紡がれ続けてるんだよなあ。

 

だいたいそんな感じだ。

後はもう少し、いつも何度でもの歌詞から、いつも言いたいことを書く。

 

ゼロになるからだが耳を澄ませる、

ゼロ、というのはいつも言いたいアレだ。

無とか空とか、愛とか混元とか。言葉にはならないんだけど、そういうものだ。

これはとても優れたインスピレーションの歌だと思う。

魔女宅の主題歌 優しさに包まれたなら と同じような歌だ。

 

海の彼方にはもう探さない 輝くものはいつもここに 
わたしのなかに 見つけられたから

 

千と千尋では、海原鉄道の彼方まで神々を送りに行くわけだが。

神様が去ったのは、海の彼方、果てしない道の先、遠い遠いどこか、ずっとずっと上の方なんだと、そうと思えばそうでもあるんだけど、

一度そこへ至り、それと気が付けば、それは実は遍在するなにかだと解る。

これはもう、ものの道理の解った人は千年も前から言い続けてることだ。

 

 イエスキリストも「神の国は汝らの中にあるなり」「天国はあなた方のただなかにある」と仰せであるぞw

遥かな未来でもなきゃ、死後でもない。神や誰かに与えてもらうものでもない。

それは、自分のなかに見い出すものだ。二千年も前からそう言ってるんだよなあ。

 

まあ、マインドフルネス、瞑想のコツだ。目指すべき一種の境地というか。

胸の奥からの呼び声を聞く、カーテンを開く、そういう心の状態をつくるのは、自分にしかできない。

こればっかりは百万言を費やすより、一回の実体験がモノを言う。

美味しい料理の話をするなら、グルメ本を百冊読むより、一度は食べてみないとねw

 

まずは、静かで落ち着けるところが必要だ。

電磁波とかハウスダストとかも少ないところがいい。

自分は軽く体操してから風呂で電気と換気扇を切ってやる。一日20分くらいが推奨らしい。

 

存在の七層の概念、上昇法でやるなら、全身のチャクラを色を使って意識して、頭の天辺からどんどん上に上昇する、とイメージする。

幽体離脱みたいに、自分を越え、自分のいる街を越え、地球を越え、神々のいる層を越え、法の層を越え、そこへ、創造の領域へ至る。

神々の去るところも、宇宙も、あらゆる法則も、すべての有限の相を、そっと越える。

カーテンを開く、木漏れ日のような優しさと静けさへ、至る。

窓を開く、朝がはじまる直前の静けさ、そこはゼロで充たされている。

不変、普遍、無辺、無限、そこにはすべてがある。満ち足りて凪いでいる。

全知全能ゆえに零知零能となる。

なにもかも可能なんだけど、創造されれば有限のなにかに成らざるを得ないから、無限はただそこに揺蕩うだけ。万象未だあらわれず、名も無く、わざもなし。

とか、まあ、そういう感じがする。

 

最初は色んなものを越えていくイメージの手順が必要なんだけど、

今、いつも、ここにも、それがあると、その感覚が確かなものになれば、

割とどんなアファメーションでもできるようになる。

全は一、一は全、梵我一如でもいけるし、色即是空 空即是色でもイケる。

身もなく心もなく名もなくわざもない、でもイケるし。ひっくりかえす、でもイケる。

ありがとう、許されました。とか、愛してる、でもいい。

その幻想をぶち壊す!イマジンブレイカー!とか中二丸出しでも意外と間違いではないww

歌ってもいい。いつも何度でもとか、優しさに包まれたならとか、ジュピターとかもいいかも。

 

なんでもいい。脳と身体と気でその状態ができてるなら。

瞬時にフッとその状態をつくれたなら、ある境地を得たその道の達人ということになるだろう。

右脳と左脳の働きが釣り合って、処理が高度向上しつつ凪いでいる。

シータ波とかオキシトシンとか検証すればそういうモノが出てるだろうなっていう、

そんな状態を自分のコントロールでつくれるようになることだ。

 

脳がゼロな状態、空な状態、マインドフルネス状態をつくればインスピレーションが来る。

そうすると日常のあらゆることがちょいちょい捗る。

仕事しててすごくイイ感じが来るとか。工夫を思いつくとか。

イラッとした時それを繰り返さず手放せるとか。ときめくものが目に入るとか。

選択を迫られたとき、自分の心が望むものを知り、選ぶことができる。

 

 

・・・・・いや、まあ。

そんなに熱心に布教したいわけでもないかもなぁ。

スレを始めた頃はめっちゃ新鮮で感動してたから、誰かに伝えたくてゴリゴリ書いたけど。

なんかもうラジオ体操くらい日課としてフツーにやってるしな最近。

0のやすらぎ、有限と無限の表裏一体の世界観が当たり前過ぎて、

どうでもいいガラクタを山盛り背負って意味もなく苦しかったころの感覚を速やかに忘れつつある・・・。

 

まあ、テレビをつければ今日も昨日と変わらず、世界では悲しみと苦しみと思い込みが渦巻いて繰り返しているんだが。

 

それも自分が参加する大きな環の姿で、大いに関係はあるんだけど。

まず自分という小さな環、その内側に、確かな平和をもたらす方法があるんだなっていう、そんだけの話。

 

輝くものは、いつもここに、私の中に見つけられたから。

 

これは誰にでも実現することが可能な、ひとつの心の在り方だ。

まず欲すること、そうすれば全てのものがメッセージだったことに気がついていける。

千年も二千年も前から、ずっとみんなそれを伝えようとして、あれこれ手を変え品を変えしてくれてたんだなぁ、って思うわ最近。

 

 


木村弓   「いつも何度でも」

 


平原綾香 ふたたび 千と千尋.wmv


久石譲in武道館 - "いのちの名前"

 


平原綾香 ジュピター 高音質 (full ver) 【宇宙、星、空】

 


やさしさに包まれたなら - 荒井由実(松任谷由実)

 

 

 

 

 

 

天動説・七曜の天球の層とか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%8B%95%E8%AA%AC