ものがたりを解釈する

アニメ、漫画、小説、神話、あらゆるものが語りかけてくること。最も深遠な、でも誰にでも開かれている秘密に、解釈というメソッドで触れていく。

PSYCHO-PASSを解釈する。シビュラ。意識のオンラインネットワークとは。

シビュラの制圧

三期ヤッホイwwちょっと新コンビがチート過ぎませんかww

刑事モノから、なろう系に味付けが変わった的な?

あの金色の模様の球体のホロかっこよくて欲しい。

 

さて、ちょっと世界観を説明しつつ書くかー。

一期と劇場版のネタバレ全部盛り注意です。

 

 サイコパスと言えばシビュラシステムだ。

命名の由来は、ギリシャ神話の神託の巫女。

包括的生涯福祉支援システムとのことだが、その概要は多岐に渡る。

 

サイマティックスキャンで生体力場をどうたらで、人間の精神状態を遠隔で読み取る。

人間のその時の気分が色と数値で示され、イライラや落ち込みがひどい時にはセラピーを勧めてくれる。

生涯に渡ってそのデータを収集し、そこから向いてる職業や配偶者をチョイスしてマッチングしてくれる。携帯端末にピローン♪で通知が来る。

街中のあちこち、私室でも、いつでもどこでもスキャンされてる監視社会でもある。

 

この時点でも相当色んな議論のタネがあるがw

サイコパスの作中では、大衆はほぼそれを好意的に受け入れているというか、

もう、それがあって当たり前の世界って感じだ。

 

人は、便利なものにはすぐ慣れる。

ほんの二十年でパソコンもネットもスマホも生活必需品になった流れを思いおこせば、

そんなもんだろうなって気がする。

就職や恋愛や結婚で悩まなくてもいいのは、ありがたいだろうなww 

その代わりに身の丈に合わぬ夢も挫折もない、セーフティ過ぎる社会だ。

 

船原ゆきが「自分は、任せきりで楽ちんで、考えてなかった。」というけど、

これがシビュラの託宣のとおりに生きる一般市民の感覚だろう。

 

んで、素直にシビュラを受け入れられる人はいいんだけど、

世の中には必ずひねくれ者やはみだし者、アウトサイダーがいる。

スキャンで読み取った精神状態が、シビュラの定める基準に満たないものは、

犯罪係数がオーバーしてますとか言われて、収容施設に入れられる。

もしくは執行官として採用されるかだ。

 

何もしてないのに逮捕されるとか、非人道的な話だと思うけど。

近未来シビュラ社会からしてみれば、

犯罪を犯しかねない精神状態にある者がその辺をうろうろしている現代社会の方が、

野蛮で危険で信じられないってことになるんだろう。

疑わしきは罰せずが基本で、警察は事件が起きてからじゃないと動けないのが現代だ。

 

実際、なにごとか悪意による事件が起こればその手の議題は必ずある。

事前に察知して隔離は出来なかったんだろうか、ってね。

ほんと、刃物いくつも持ってガソリン運んでる人がいたら、職質くらいできてたらなと思うよ。

 

サイコパスの世界では、犯罪係数が規定値以上のものは事前に隔離どころか、その場で刑の執行までできてしまう。。

それがサムネのドミネーターという喋る銃だ。

 

ドミネーターという端末の本体、

サイマティックスキャンをしてそのデータから、

人がどう生きるべきか、あるいは排除されるべきか、判断している本体。

シビュラは、スーパーコンピュータとか、その並列処理だということになっているが、

一期の最後でその正体が写される。

それは巨大なビルの地下、透明な箱の中、液体に浸かった人の脳、その集合だ。数は二百余り。

 

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シビュラシステム

 

まあ、なかなか。

ディストピアの支配者にふさわしい衝撃的ビジュアルというか。

サイコパスの世界観だとラスボス的ポジションなので、

その外見や演出は、生理的嫌悪や義憤を誘発するものになっているわけだ。
到底親しみの湧きようもない。素直にキモい。

が、一期二期劇場版と、常守朱は彼らを打倒するのではなく、辛抱強く交渉する。

それがこの物語のヒジョ~に優れたところだと思う。そこは後述。

 

まず、シビュラだ。

ヒトの脳を、意識をオンラインネットワークにするというアイデアについてだ。

これ自体は実は、人間という種の持つ本質的な指向そのものだと思う。

私達は皆、他者と繋がりたい、より深く本質的にひとつになりたい。という希求を本能レベルで備えている、はずだ。人類補完計画・・・はまあいいや。

 

アニメ攻殻機動隊にはスタンドアローンコンプレックスという副題があるけど、

孤立の葛藤、それを完全に解消している存在がシビュラシステムだ。

 

攻殻機動隊の世界観にも、マイクロマシンを注入して電脳化、首の後ろにプラグ挿してネットに接続する、というサイバーでカッコイイやつがあるが、あれだと、

素子少佐が部下たちを自分の電脳に脳潜入(ブレインダイビング)させて情報を共有する場面で、

体調を野次ったり「ノイズが多いな」とか「ゴーストの近くまで潜るな」とか「さっさと出てかないと脳細胞焼くわよ」とか。

そういう感じになる。

 

他者とダイレクトに意識を接続、オンラインにすると、 

 

エゴの不協和音、ゴーストどうしの干渉、人格の混線、精神汚染、

 

まあ、語はなんでもいいんだけど、そういうことが起こる。

 

スタンドアローンであれば、外部から干渉されるデメリットもない。

他者とより密接に繋がりたいとも思っているが、自分の思考をダイレクトに覗かれるのは誰だって嫌だろう。

だからコンプレックス、葛藤だ。

恥ずかしいことも後ろ暗いことも知られたくないこともある。揺れ動く感情がある。エゴがある、人格が、個の意識がある。

 

 

五十嵐大介ディザインズの四巻がでたけど、あれでも同じだ。

エコロケーションによる高度な共感、精神感応、情報の共有で、完璧な作戦行動をとるイルカ人間チームは、

頭が真っ白になるような強い怒りとか、一人のネガティブな感情も全員で増幅してしまう。

チームの一人が、映像の世紀のやりきれない部分を煮詰めたような人類の醜悪さを目の当たりにして死んだ、その絶望に全員が囚われ、どうしようもなく突き動かされてしまう。

それが他者と意識の接続することのダークサイドだ。抗い難くてしんどいやつだ。

 

とあるシリーズの、ミサカネットワーク、というのはシビュラと同じで、

スタンドアローンコンプレックスをクリアした、意識のオンラインネットワークだ。

 

 クローン人間と、電磁波や脳波を操作する能力で、意識のネットワークを構築している。

ミサカ達も完璧な同調が可能だ。あれも100人とかいるんだっけ。

クローンだから、身体や脳の規格が同じで、

そして個の人格を形成する期間がなかったために、固有という意識や感情が希薄だ。

 だから、衝突するようなエゴがない。

 

で、シビュラだが。

シビュラに参加する脳たちには、もはや肉体がない。

だから肉体から発生する欲求のすべてに、もう意味がない。

食欲も性欲もない。

美醜とか他者との比較とか、なにか所有するとか金銭の使い道とか、そういうものの一切が、ない。

生前は難アリの人物だった脳が多いらしいが、そのエゴの多くが除かれた状態にある。

 

残るのは知識欲とか支配欲、存在を維持し拡大したいとか、そういう欲求だ。

 

シビュラに参加していた脳の一人がその感覚をこう語る。

「始めは戸惑ったがね。直ぐに其の素晴らしさが理解出来た。

 他者の脳と認識を共有し理解力と判断力を拡張されることの全能感。 

 神話に登場する預言者の気分だよ。何もかもがわかる。

 世界の全てを自分の支配下に感じる。

 人ひとりの肉体が獲得しうる快楽には限度がある。

 だが知性がもたらす快楽は無限だ。」

「此の全能の愉悦、世界を統べる快感!」

 

まあその。セリフの抑揚はイッちゃってるアブない人だったけどもだ。

 

 意識のオンラインネットワーク、

その高度な情報処理の素晴らしさっていうのは、そうだ。なんとなく想像できる。

 

その感覚の萌芽、それに近いものは、きっと誰でも経験したことがあると思う。

それはきっと、オーケストラや団体競技、皆でひとつの祭りに参加してる感覚だ。

 

一人で楽器を弾くのも楽しいけど、

オーケストラに参加して、たくさんの楽器とハーモニーをつくっていくという感動がある。

 

一人で踊るのも楽しいけど、

みんなでフォーメーションをつくって踊る、ぴたりと息の合う美しさ、一体感の感動がある。

 

音楽やリズム、流れにのって、指揮者に導かれて、

アイコンタクトとか阿吽の呼吸とか、そういう言葉の先にある感覚を使って、

あるハーモニー、調和を目指して盛り上がっていく。その快い悦び。

 

そういう感覚だ。

オーケストラに参加する奏者は、自分の音だけでなく、全ての演奏者と楽器の音、ホールに響く音、観客の集中、すべてが一体になって交響曲を鳴らしているのを感じるだろう。

 

それが個以上の処理能力の感覚だ。

 

渋谷のハロウィンで馬鹿騒ぎするのが問題らしいけど、

たとえば一人で、一晩中騒ごうと思っても到底テンションも体力も続かないが、

みんなでザワザワわいわいウェーイwwなら、朝までハイでいられるあの感じもそうだ。集中力、身体能力が向上してるw

まあ、程度が高いとは言えないがw皆と一体になって楽しいってのはそういうことだw

人は本質的にそういう状態への希求を持つ。祭り的なものを必要としている。

 

自分が一個の楽器なら、シビュラはオーケストラで、

自分が一個のPCなら、シビュラは並列処理のスパコンだ。

 

まあ、脳みそを取り出してシビュラに参加しますか?

と問われたら、当然答えはNOですけどwww

 

っていうか、あれはあくまでサイエンスフィクションであって、

生物は脳だけでは長時間生きられないだろうなーと思うし。

 

それに、エゴを除くために肉体から脳を取り出してるなら、

逆にエゴさえ除けるなら、肉体があっても別にいいわけですよ。

 

例えば、音楽にノッてる時、右脳はメロディーで、左脳は歌詞の情報を処理するので忙しい。

踊ったり歌ったり演奏したり、身体を動かしていればもっと脳は忙しい。

 

集中している時、余計なことを考えているヒマがない時、エゴは鳴り止んでいる。

その状態に至ってる人の間で意識のオンラインネットをすればいいんだよ。そんだけ。

 

音楽の力は偉大だが、慣れれば音楽なしでもできるようになる。

アファメーションをして瞑想状態をつくってから、他者とシンクロすればいい。 

もうほんと、それに尽きる。

 

シビュラや攻殻ではコードで接続してるけど、

有線で出来ることは、無線でも出来る。

黒電話から携帯電話になって、電話線がなくても電話ができることに、なんの疑問もないはずだ。そんなもんだ。

シンパシーやテレパシーは、脳の標準搭載装備だ。

アンテナの感度とか習熟度が人それぞれなだけ。

 

 

意識のオンラインネットワークは、とても大きな情報処理だ。

あらゆる命題の正解が、思考でなく直観としてパッと解る。そんな感じだ。

 

このモードの活用法、可能性は、人の集団の活動するあらゆる分野で応用可能だ。

芸術やスポーツや祭事でももちろん素晴らしいけど、

 

シビュラは厚生省のシステムだ。

そう、ほんとは、政治にこれが使えたら世界は変わる。

世界中が紛争状態になってもシビュラのある国だけは秩序を維持できるのも頷ける。

 

小さな宇宙人アミでは、文明が進んだ星の政治はそのようにして行うっていう描写があったな。

地球の少年の目には、円形の神殿のような場で、皆でお祈りでもしているのかなっていう風にうつるらしい。むべなるかな。

 

国会で、対立の形、対決の形に机と椅子を並べて交代に答弁するとか、

あの形式がもう、エゴとエゴの衝突する場になるしかないんだよなー。

象徴とか図像とか形式とかの力ってそういうものだ。その形に沿って意識が動く。

あれでは、誰の脳もパフォーマンスを発揮しようもない。

高次の意識の人から対立やノイズで疲れてしまって、

エゴの強い人、我の強い人、次元の意識が低く共感能力の低い人が元気で残るだけw

 

ま、政治批判する気はない。

だいたいノイジー過ぎて国会中継を見てられないwww

サイレントマジョリティーとしておとなしくアニメ見てますww

 

 

というわけで、シビュラシステム。

200余りの脳と脳のオンラインネットワーク。

その方向性に関しては、人類という種の希求する進化の指向性と一致してると思うんだよな。

 

 

ただ、アニメサイコパス世界でのシビュラは高圧的な支配者の側面が強い。

エリミネーターで即時死刑執行はやり過ぎだ。

 

倫理的にもダメだが、合理性にもダメだ。

 

だってシビュラは人の脳でできている。

脳も肉体の一部である以上、寿命というものがある。

つまりシビュラは200余りというユニットの数を維持するために、

常に社会から参加する脳をピックアップする必要がある。

で、あるからには、母体である社会には優れた脳が多いに越したことはない。

 

支配者が機械、AIのパターンのディストピアと違うのは、ここだ。

シビュラは人なしで存在し続けることができない。共生関係を築く必要がある。

同じ規格を使っている知能として、交渉の余地がある。

 

サイマティックスキャンによる色相の濁り、ストレス。

まあそりゃ、ストレスは少ない方がいいけどもだ。

 でも、病んだり傷ついたり悩んだり挫折した経験が、人を大きくするってことがある。

色相が著しく濁った後、それをクリアに戻せた経験をした人は、ずっとクリアなイイ子よりタフになっているはずだ。

 

そういうタフネスをつくるためには、異分子を隔離したり、異端を排除してたらダメなんだよなあ・・・。

人は、一ヶ月も寝たきりだと立ち上がるだけで脳貧血を起こすんだけど。

使わない能力は速やかに退化し、錆びる。安全すぎると最低限の自衛すらしなくなるだろう。

 

安全すぎるシビュラ社会では、ストレス欠乏によって平均寿命はむしろ短くなる傾向にある、と槙島聖護も言っていた。

 

だからヤバイやつは早めに隔離しておいて地域を安全にする、よりも、

住民が互いに気を配ってヤバイやつがヤバイ気配を出したらすぐ対処できる地域づくり、のほうがより望ましくはあるんだろうな・・・。

 

どんな人も、槙島聖護のような幼い学びの人も、執行官たちのような幅広い個性的な人達も、船原ゆきや監視官達のような優等生も、常守朱のような老成したものも、

ほどよく混在していてこそ、柔軟な強さをもつ社会になる。

 

ま、アニメでは万人に1人の免罪体質者を取り込めればいいってことになってるから、

免罪体質者以外の脳のクオリティはどーでもいいのかも知れないが。

 

そんな偏ったチョイスであっても、200余りも集まれば、個々の性質は問題でなくなってくると思う。ユニットの性質より、規模の性質になるだろう。

 

ネットワークというのはそういうもんだ。

 

「ネットワークが知能を創発する」っていう話がある。

 

知能の正体は、ネットワークである。とも言えるな。自分はそう思う。

 

脳細胞一個一個の性質は問題じゃなくなって、

脳自体の、集合としての性質が顕われるっていうか。

 

群知能という項目のウィキとかを見ると面白いんだけど。

アリの巣や、蜂の巣、魚や鳥の群れ、粘菌、

ユニットの集合、複雑な構造の中を行き来するインパルスが、知生体としての振る舞いをみせる。

 

人間の脳も、脳細胞というユニットの集合、ニューロンのネットワークなわけで。

更に、一人の人間の頭蓋に納まっているニューロンのネットワークをひとつのユニットとカウントして、オンラインにして並列処理する。

するとワンランク、スケールの大きな情報処理にシフトする。

個人用のPCをオンラインネットワークにして並列処理にしてスパコン的な大きな情報処理にするっていうかね。

 

そうすると多分、ユニットの自己認識が希薄になり、集合の自己認識が顕われる。

 

シビュラに参加している時、個々の脳は自我を忘れ、

「自分はシビュラだ」という大きな意識を感じていると思う。

で、シビュラから離して義体に入ったりすると、またひとつの脳としての自我を思い出す。

 

ネットワークというのは、小さいまとまりの時も、大きいまとまりの時もそれなりに成立するんだよな。

魚の群れが100匹の時も1000匹の時も、整然とひとまとまりで泳ぐ、ああいう感じだ。

 

人間の脳が100匹が魚の群れなら、

シビュラは×200で、20000匹の魚の群れだ。大きなまとまり、ひとつの大きな知生体だ。

 

で、劇場版ではシビュラは海外に進出している。更なる拡大を指向してるんだよな。

 

海外にもう一つ脳の集合、シビュラをつくり、そこと日本とをオンラインに繋げば、点だったものが線になる。

 

シングルコアが、デュアルコアになる。

コア数を増やして並列処理すれば更に情報処理能力が拡大する。

 

海外拠点をどんどん増やして、衛星を経由してどんどん繋ぐ。線が網になる、ネットになる。

シビュラが地球を覆う規模の知能のオンラインネットワークを目指すことになるなら、

人の頭蓋骨に納まってた脳が、地球サイズに拡大してシンクロしたとき、

 

そこでどんな情報処理が行われるのか・・・、

 

個も種も遥かに超えた、星の意識っていうか、そんな感じがするのかなぁ・・・。

 

銀河だって星々で構成されている、あるネットワークであって、

何かの情報処理をしてるかもしれないわけだ。

脳、脳の集合シビュラ、マルチコアシビュラ、星、銀河、

規模によってシフトする、ネットワークのフラクタルだ。

 

 

シビュラはそういう境地を目指して、朱さんにビシバシ鍛えられつつ頑張って欲しいと思う。

ドヤり過ぎ禁止。民意を問え、だ。

 

 

一期ラストと劇場版のシビュラは交渉できる手強い支配者として良いキャラだった。二期は逆ギレだったが。

三期はどんなシビュラが見られるか楽しみだ。