ものがたりを解釈する

アニメ、漫画、小説、神話、あらゆるものが語りかけてくること。最も深遠な、でも誰にでも開かれている秘密に、解釈というメソッドで触れていく。

魔女の宅急便を解釈する3 神秘なる絵

 

 

以下の記事はこちらの曲をBGMにしてどうぞ。


星空をペガサスと牛が飛んでいく

 

 

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神秘なる絵

もう一人のキキ、森の絵描き、内なる天使のウルスラが描いていた油絵には、元ネタがある。

 

版画家で教師の坂本小九郎と、八戸市立湊中学校養護学級昭和51年度生徒の作品だ。

「星空をペガサスと牛が飛んでいく」という。

 

宮崎駿監督が感銘を受けたというエピソードがあって、作中で印象的に登場する。

原作からいくらかモチーフは改変されている。

 

絵画の解釈もまた鑑賞者の数だけある、と前置きして、

自分なりにこの絵にどんな意味があるものが言語化してみたい。

 

自分がよく使う象徴の読み方、考え方は、陰陽の対比だ。

この絵のなかにある対立物っていうか、対になっているものを見てみると、

 

まず、牝牛と天馬だろうか。

 

牛には乳房があって、両目が見える描き方で

天馬は横顔、目がひとつで、すぐそばに横顔の少女か天使が天馬に寄り添って、

少女と天馬で両目が揃うような、一つの顔であるような構図になっている。

 

乳房のある牛が女性原理であるなら、天馬は男性原理的だ。

 

染色体なら、女性はXX、男性はXY、というけど。

同じものがふたつの女性性は聖杯、受動的、安定していて、

互い違いになってる男性性は聖剣、能動的だという。不安定さが推進力にもなるっていうか。

 

天秤を想像してみるとわかりやすいだろうか?

両端の錘が同じ重さの時、天秤は静止して、それは安定だ。

両端の錘が違う重さなら、天秤はぐらぐらして動く。それは運動量があるってことだ。

 

女性性である牝牛には、乳房がある。それは子どもを産み育てていける力の象徴だ。

男性性である天馬には、翼がある。それは精神的な飛翔ってことじゃないかな。

何かが足りないから、それを求めていけるっていうことなんだ。

なにかに憧れ、冒険に出て、新たなものを獲得していく、そういう力の象徴だと思う。

 

・・・、あー、象徴というのはジェンダーや優劣ではないと何度でも断りを入れておく。

人間の脳も、右脳と左脳の両方があってひとつの器として完成しているわけで。

ひとりの人間に、女性性と男性性の双方がほどよく必要だ。

右は、み、水、陰、マイナス、直感、自然、地、黒、女性性、そういうもので、

左は、ひ、火、陽、プラス、理知、人工、天、白、男性性、そんな感じだ。

 

左右、陰陽、男女、そういう双翼が揃ってこそ飛翔できるというものだ。

 

あ、左に白い天馬で、右に黒い角の牝牛というのも符合するな。

坂本小九郎てのは、象徴ってものに理解が深い版画家なんだろうね。

 

で、この絵には天地という対比もある。夜空と森だ。

自然と人工という対比もある、森と小屋だ。

 

小屋には煙突があって、わざわざ煙が出ているのが描かれている。

それは森を拓き、木を切って薪にして燃やしてるってことだ。

自然を破壊して、利用したり加工したりするのが人工、人の業だ。

 

小屋はふたつあって、ひとつには煙突が、ひとつには屋根に小さな人がいる。

これは、天馬の横の少女と対になる少年ではないかな、と思う。

 

飛翔する少女を見上げ手を振る少年、というと実に宮崎駿的なイメージだ。

メーヴェで飛ぶナウシカと、アスベル。

箒で飛ぶキキと、トンボ。

飛行石で飛ぶシータと、パズー。

 

作品群の後半では少年も飛ぶちからを得ていくけどね。

 

 

夜空にはあとカラスと、よく見るとサソリがいる。

 

カラスはまあ、魔女の眷属、少女の眷属、飛翔のイメージの強調かなと思う、

本編では雁の群れが風に乗って高く飛ぶ場面もあって、そこと印象が似ている。

 

ジジ「風が来るって言ってるよ、風に乗って高く高く飛ぼうって」

鳥の群れが意味するのはそういうことじゃないかな。

風は、宮崎駿が好んで使うメタファーでもある。

風の谷のナウシカ風立ちぬとかな。

 

私たちの命は風のようなもの、生まれ、響きあい、消えていく・・・

 

誰が風を見たでしょう、僕もあなたも見やしない、けれど木の葉を震わせて風は通りすぎてゆく

 

そんな詩が挿入される。風は、高く飛ぶ力、目に見えないものや、生命のメタファーだ。

 

では、サソリは?

小屋と少年の上に二匹いるんだよな。目立たない色合いで。

 

サソリといえば星座でもあるし、やはり毒や危険や死ってことかなあ。

人工物の煙突と、空への憧れの上に、隠れた危険を示唆するものがある。

 

森を拓いて人の住処を作り、山や地を掘って鉄や石油を得て、煙を吐く。

そうやって自然から色んな糧を得なくては生きていけないけど、

それはもののけ姫のテーマの神殺しでもあり、環境破壊が行き過ぎれば結局人間も生きてはいけない。

 

空を飛ぼうとして、落ちて命を失うのはイカロスか。蝋で固めた翼は溶けてしまう。

サソリ座の由来のギリシャ神話ではサソリの毒で落命するのはオリオン、驕った英雄だという。

 

まあ、そういうこともあるよね・・・。

冒険や挑戦には危険がつきものだ。注意深くなるようにという警告でもある。

 

あるいはもし銀河鉄道の夜のサソリであれば、生まれ変わり、みたいなことだろうか。

サソリは身勝手な生を悔い、みんなの幸いを神に祈って星になる。

祈りが、願いが、地を這う虫を、空で赤く光る星に生まれ変わらせる。

宮崎駿の世界観を貫く、空への憧れがサソリの意味するものなのかもしれない。

初期は腐海の蟲やタイガーモス号のような虫モチーフの飛行体が多くて、

メーヴェやパズーの鳥飛行機のような鳥モチーフの飛行体と対比になってる。

後半はハクのような竜、神に近い飛行体や、ハウルの星の子や、昇っていくグランマンマーレと光の奔流などは、もう実際の空を飛ぶものというより、

精神的な高みや、宇宙や、もっと遥か遠い彼方へ飛んでいけるものになっていく。

虫が星になっていく過程になっていると言えるかも。

 

 

さて、残るはメインディッシュ、赤い三日月だ。

 

版画の原作には、色がついていない。赤く彩色したのは宮崎駿だろうか。

普通に月を描いたら、白か黄色か銀色かってところだろうけど。

赤は、宮崎駿の世界観では魔女のテーマカラーだ。魔法の力を示す色ってことかな。

 

三日月、欠けた月なのはなぜだろう。

 

もし月が真円であれば、〇、0、ゼロ、輪、環、和、サークル、それは完全性の象徴だ。

 

欠けたところのない形、完全な形、滞りない循環の形、みんな繋がっている形、

あるいは丸い穴、隣り合う世界へのトンネル、空(くう)への接続だ。

有限と無限の境界の形が、〇だ。

 

坂本小九郎は象徴を解する人だ。

〇は基本であり到達の象徴なので、意味するところは深いものと推測される。

 

完全なものが欠ける、それは無限から有限への現出、創造ってことかな。

完全から欠けている、完全を求めている、その偏り、その指向性こそがあらゆる被造物が存在を続けられる力だ。

 

この宇宙は、空間と時間は、十干と十二支は、10と12のズレた歯車の噛み合わせで運行している。

時間と空間の交わって尽きるところが、そのズレがすべて重なり一致するところが、この宇宙の終わるところだ。

 

有限の宇宙の尽きる先、無限は完全で不変だ。

遍くすべては成就し、安らいで、もはやなにも起こらない。

 

そこからなにか始めようとすれば、

道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。

万物は陰を追いて陽を抱き、冲気を以て和を為す。

 

っていう古今東西の神話の序章みたいなことになる。

始原の混沌から、天地や男女、陰陽の原理の神々が生じる。

 

日本神話だと、

それ混元既に凝りて、気象未だあらわれず、名も無くわざも無し、誰かその形を知らむ。

然して乾坤(あめつち)分かるる初め、参神、造化の首を作し、陰陽ここに開けて、二霊群品の祖と為りき。

 

言ってることが同じだと、感じられるだろうか。

 

ギリシャ神話だと混沌(ケイオス)から天地、ウラヌスとガイアが生じて以下略だ。

 

・・・、話が脱線して帰り道を見失ったw

いや、そんなことこそ言いたいばかりに駄文を書き続けてるんだけどww

 

 

だから、月が欠けてるのはなんでかっていう話か。

 

それは多分、牝牛や天馬、森と煙突、少年と少女、カラスやサソリ、それら被造物すべてを受け入れるためではないだろうか。

 

この絵は、すべて対になるもので構成されている。

牝牛と天馬、少年と少女、森と煙突。

 

そして小屋やサソリまでふたつづつなのはなんでかってことではないだろうか。

小屋はサソリは、ひとつあれば意味としては十分なのに、わざわざ2個描かれている。

 

それは、対の構図の強調であり、欠けた月を読み解くヒントだ。

 

みんなペアなのか~、じゃ、月は何とペアになっているのかな? という疑問を抱くためのヒント。

 

もうお解りいただけるだろう。

 

牝牛、天馬、少女、カラスは月を目指して飛んでいる。

 

彼らは〇、満月、完全なるものから分かたれたカケラ達であり、

分離されたものが統合へ、回帰へ向かっている。

 

いつか彼らの飛翔が月に至るなら、その時こそ欠けた月は再び満ちるだろう。

 

月と対になるのは、この絵のなかにある月以外のすべてだ。

 

絵の中にあるのは欠けた月だが、

 

この絵全体で見るのなら、真円の完全性が成立している。

 

これは世界や宇宙の在り様の縮図なんだな。宇宙盤や曼荼羅のような絵だ。

 

 

 

 

 

・・・・以上。

いやー、こんなにキレイに絵解きができる絵も珍しいよねえ。

 

芸術の素晴らしさ、神秘なる絵の神秘さに触れられたようで、

当時スレッドでこのくだりを書いてるときは面白かったなあ。

名推理をキメてる名探偵のような気分だったわwwガンギマリで脳汁ブシャーだったわww

 

ま、あくまでひとつの解釈だ。

それぞれその人なりの鑑賞の参考になれば幸いです。

 

 

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追記

キキのお父さんも赤いベスト着てるでやんの。

で、ラストの人力飛行機を漕ぐトンボの服は赤と黒だった。

赤を身に着けた男性てのは、アシタカとフジモトくらいかと思ってた。

まあ、魔女コキリと結婚できるんだから、異種を受け入れる力があると見てもいいか。

トンボは、赤と黒の服着て、キキに寄り添われて、落ちそうになったら紐で吊り上げてもらって飛んでるんだからな。

もはや人力でなく、魔法で飛んでるよねそれ。

歩行器のように、まずは飛ぶ感覚を学んでいるのだろう。

 

あと、白髪の奥様だが、

二度目にキキに会ったとき、足が痛むといって座っている。

で、キキに箒に乗って飛ぶ魔女の絵が入ったケーキをくれる。

これは、母が娘に、祖母が孫に、老女が少女に、魔法の力を移譲するような意味かもしれない。

奥様はキキに力を渡したことで代償に足を痛め、

キキは飛ぶ魔法を取り戻す、と。そんな風にも解釈できそうな。

 

若い者に託して、老いていく。それもまた生命の滞りないサイクルだ。

 

キキと白髪の奥様は、

コキリとドーラさんのような、永い付き合いになりそう。