ものがたりを解釈する

アニメ、漫画、小説、神話、あらゆるものが語りかけてくること。最も深遠な、でも誰にでも開かれている秘密に、解釈というメソッドで触れていく。

結界師を解釈する。

結界師(1) (少年サンデーコミックス)

 

サンデーうぇぶりで3月7日24:00まで無料だったので、

結界師全35巻を一気読みした。

 

サンデーで連載当時読んでたんだけど、途中で脱落して結末を知らない漫画だったので、

読めて懐かしく面白かったので感想をまとめとく。

 

結界師は、夜の学校で結界術で妖怪と戦う、という設定はドストライクだったんだけど、

なんで飽きたんだったかなあ。

犬の相棒っていうのが好きだったのに、意外と重要度が低くて途中から存在感がなくなったからだったっけ。

あと、登場する女性がことごとく強気の姉属性だったからだっけ。

悪役をスカッとぶっとばすカタルシスがイマイチだったのもあるな。

ヤバそうな雰囲気で登場してどう戦うのかわくわくした悪役が、

掘り下げてみると彼ら自身の問題で自滅するとか、立場が変わって敵に見えなくなるみたいな、リアルなんだけど少年誌的には萎える展開が多い。それもうちょっと超能力で殴り合ってからでもよくない?ダメ?

終盤で主人公がほぼバトルをしないというのも少年誌的な展開ではないと思う。

心情のドラマが主になって、群像劇、大河ドラマみたいになっていくので、

主人公と一体化して冒険したいという気持ちで読むと消化不良になる。

結界術の手印を構えて「結!」「滅!」はつい真似したくなるステキな必殺技なのに、

俺TUEEEEできなくてつらたんってなる。もっと「結!」「滅!」でアドレナリンどばーっと出させてくれよぉぉぉ。

 

でも一気読みすると「誰も傷つかなくていいように、妖怪を引き寄せる土地を封印する。」というテーマの一貫性は良かったな~。

そこはよく練られてて、初志貫徹で良かった。

 

以下オチまでのネタバレあり注意。

 

烏森の土地が妖怪を呼び寄せ、活性化させるのは、

地下に400年封印されていた子供・宙心丸に与えられた異能のせいだった。

 

災厄の元の大きな力が、邪心のない子供っていう発想は女性的だなーと思う。

もうビジュアルが子供ってだけで色々かわいそうっていうか。

大人の勝手な思惑で振り回されてるだけの子供はだって子供なんだから悪くないし、

なんとかしてあげたいよねっていう気持ちになる。

 

400年もの間、死にも老いも育ちもせず、メンタルがまるきり子供のままというのも歪な話ではある。

400年独りで封印の城の中に閉じ込められていたら、

普通は飽きて倦んで、到底まともな精神的発達は望めないだろう。

五億年ボタンじゃないけど、自分だったら、もうたくさんだ死にたい殺してくれとしか言わなくなる自信ありゅww

 

だから封印されていた宙心丸には、肉体がなく時を止められていた、と表現される。

漫画でラノベでよく見る精神と時の部屋理論だな。主観的時間は伸び縮みする、精神体にとっては一瞬も一時間も一年もたいして変わりないってやつだ。

 

それでも流石に400年目には封印に限界が来てしまうということらしく、

結界師達によって宙心丸は、新たな神域へ封じなおされる。

 

・・・え? いや、また封じるのかよっていう話だ。

優しい主人公もそれが嫌だ可哀想だと悩んでいた。

宙心丸の異能は、生まれながらに他者にとって致命的で、あまりのパワーに滅することもできないので、隔離するしかないんだろうけど。

生命や心にとって、すこやかさっていうのは生々流転で移り変わっていくことだ。

生まれ、育ち、実り、老い、そして死ぬ。

このサイクルを大小あらゆるレベルで繰り返し、その流れが滞らないことが快だ。

子供のまま時をとどめられること、成長できないこと、変われないことは、心にとって多分ひどく不健康で苦しいことだと思う。

 

だから主人公良守は、新しい封印の中では 時間が進むように 結界世界を創ったという。

 

ほう。

 

ということは、一年経てば一年分、脳はなくても結界内のどこかに記憶が蓄積されて、経験によって心が育って、心が育ったならそれに応じて肉体はなくても外観も成長していくのではないだろうか。

宙心丸自身にも変化があって「立派な人間になる、強き男になる」という意志を明確に表明してるしな。

時間が流れず、「退屈は嫌いじゃ」というだけの400年とは違うサイクルが始まっている。

で、結界内には開祖である父と、歴代最強の結界師がいる。

 

ここからは物語の外の話、ひとつの解釈だが。

時間の進む環境と、成長の意志を示す子供と、卓越した師匠が揃っているのなら、

そこは単に「消え去るまで楽しく暮らせるわ」なんて消極的な、

子供を閉じ込めたことを誤魔化し続ける遊興施設じゃなくて、

最高の修行場にもなるのではなかろうか?

 

宙心丸は、幼い子供だから自身の異能を制御できないが、

結界師の作中には厄介な異能、人の枠には過ぎた力を持ちながら、

それでも力に呑まれず、自身の意志を発揮して生きている人たちがいくらでもいる。 

 

力を制御できず、周囲の人を傷つけたことを背負いながら、

それでも生まれ持ったものと折り合おうと努力していた少年も、

そういえば結界世界の中に遊び相手として創造されていた。

宙心丸は志々尾限の生き様の話を聞いて奮起するべきww

 

宙心丸が努力して大きくなって志々尾みたいになれたら、

他者を傷つけてしまう自分の力を、御して自分のものにできたなら、

 

そしたら、あらためて結界から出てくればいいよな。

天才結界師良守の母がいるうちなら、一緒に出てこれるっしょ。

結界師の世界観では、そのくらいの異能者でも居場所があって生きていける。

あ、肉体はないのか。でも魔性化も成仏もしない名物浮遊霊キヨコさんとかもいるし。

余裕でしかないと思うんだよな。満足したなら成仏してもいいし。

 

子供に残酷な真実を隠すことなく伝え、時間が進むように設定した良守君、

超グッジョブなんじゃね。その行いの結果、きっとまたカーチャンに会えると思うよ。

 

さて、後は主人公の修行パートにとても自分好みの個所があった。

 

24巻あたりから、「夢想」というある境地を示す言葉がでてくる。

爺「お前、強く想えば想うほど強い力が出せる、そう思っとりゃせんか」

良守「違うの?」

爺「まあ、間違いではない、だがそれは引き金に過ぎず、強すぎる思いや感情は、時に歪む。」

爺「本来、力は独立したものじゃ、引き金を使わない方がより強く、純粋で安定した力を出せる。」

爺「心を無にすると言うても、無くすということではない、心を静かに何事にもさざめかない状態にする、ということじゃ。」

 

 

良守「なあ、氷浦。力使う時とかって・・・、何考えてる?」

氷浦「なにも」

氷浦「考える・・・、というより、見える・・・に近いと思う。」

氷浦「命令と状況で、どう動くか、答えは見える。だから見えた通りに動くだけ。」

良守「すごいなそれ!、そういう時ってどんな感じなの?」

氷浦「意識が宙に浮いて、時間を止めているような感じ・・・?」

良守「その感じは何か分かるかも・・・、

   今日だって烏森と話してた時、心が少し自分から離れて、どんなものからも、

   肉体とか感情とかそれこそ時間からも自由になったような・・・、

   そうだ、確かにああいう時って、

   考える前に答え出ちゃってるんだよな、これだ!」

 

これだ!インスピレーションの感覚の言葉、0や空の感覚の言葉、いいねえ。

夢想の境地に入ると主人公の目からハイライトが消える描写はちょっとどうかと思うけども。

そこは宮崎駿アニメだったらハッと目を見開くやつですよ。むしろハイライトは入れるか、拈華微笑のような半眼にしろとか言いたいが。まあ、うん。

 

何が最適解か直感する、なんとなく、でも間違いなくそうだと解る。

だからそのとおりにただ行う。その時とても心は静かだ。

夢中とか、三昧とかそんな言葉になる感覚だ。

なんでも極めるとそういうことになっていくと思うんだよね。

音楽でも創作でも身体技術でも、その人にとって至福の追求であるなら、なんでも。

道を求め、究めたものの行きつくところはいつも同じだ。

 

結界術、空間支配系の異能の究極が、

世界を消し去り、初期化、0に戻し、そして任意の世界を創造することにあるっていうのも良かったけど、そういうことだ。

 

結界師、面白かった。

 

サンデーうぇぶりでは次にGS美神とかうしおととらとかも公開されるんだけど、

それは好きすぎて全巻持ってるんだよなー。ということはらんまでも読むか。

またしばらく寝不足になりそうw

 

 

 

結界師ってアニメ化もしたのにグッズの類が全然ないな・・・。

不遇の良作感。

もっと斑尾と白尾の相棒感を推すべきだったと思います。わんわんお!