Vivy -Fluorite Eye's Song-
今期アニメは見応えあるものが多くて嬉しい悲鳴~。
オッドタクシーとかシャドーハウスのアニメ化も期待を裏切らないクオリティだけど、
ゾンビランドサガRevengeとか、Vivyとか、アニメオリジナルシナリオというのは、
やっぱり初見の緊張感があって集中と没入感が違う。
漫画からのアニメ化だと、ついつい原作との間違い探しをしてしまうというか。
シャドーハウスだとスス鳩や汽車を最初から見せる演出や、エミリコ命名シーンの追加は良かったけど、
女の子どうしのキャッキャウフフ感は薄れて、進撃や約ネバ的な脱出モノのスリルに寄せてきたな、とか。
先入観で見てしまう自分がめんどくせえ。
オッドタクシーは原作未読でアニメ見れたのは僥倖だった。
ネタバレ絶対見ないでサスペンス群像劇を全力で楽しむ所存。
ゾンサガRとか、Vivyとか、
毎回の挿入歌が効いてくるコンセプトは、漫画よりアニメでこその強みを活かしてて素晴らしいな~と思う。漫画には音ないもんね。
一話ごとに作詞作曲して歌をつけるのはコストもヤバそうだけど。
ゾンサガなんてキャラが踊るライブシーンも毎回あるとか狂気の沙汰。
3Dモデルでコスト削減のはずが、衣装は毎回変わるし、表情とか結局描いてるし。
オワコン言われつつ、なんだかんだ日本はアニメ大国だな~と思う。地力がすごいんよ。
ゾンサガは声優がそのまま歌って踊るライブイベントで巡業して、二期の資金を稼いだ感があるが、
Vivyでは、喋る人と歌う人では中の人が違うシェリルノーム方式だ。
ま、音楽の良さを語る素養はないんだけど、やっぱ歌があると涙腺にグッとくるものだ。
Vivy -Fluorite Eye's Song のあらすじとしては、
未来でAIの反乱、人類にとって致命的な事件が起こる。
その悲劇を未然に阻止するため、あるAIが100年過去へタイムスリップしてくる。
マツモトと名乗る未来のAIは、100年かけて歴史を修正していくというミッションに、協力者を求める。
100年間の未来と過去の間で、存在が記録されていた唯一のAI、それが主人公ヴィヴィだ。
マツモトと彼女はバディとなって、数十年ごとの歴史改変ミッション「シンギュラリティ計画」を開始する。
主人公は青い髪の歌姫AIだ。
「歌で人を幸せにする」という命題(コード)を与えられて稼働している。
作品タイトルでもあるヴィヴィはミッション時の名前で、
歌姫としての正式名称はディーヴァ。
ディーヴァというのはそもそも女神という意味だけど、オペラや芸能関係でのカリスマとか、日本では歌姫的なニュアンスがある。
初音ミクのprojectDIVAとか、ボーカロイドの有名タイトルでもあって、
ただただ歌うために技術の粋を凝らした人造存在に相応しい名前だ。
髪の色もミクさんオマージュかも。
ボーカロイドは単に歌唱ソフトであり、歌うためには楽譜からピッチから様々なパラメータを人力でポチポチ打ち込んでいく必要があるが、
ディーヴァはAIなので自律学習する。
一昨年の紅白でやったAI美空ひばり、あれの先にあるスペックだ。
デモ曲を耳コピして、様々なアレンジを加えて歌うことができるんだろう。
しかも映像だった美空ひばりと違い、ディーヴァにはボディがある。
なかなかに惹かれる設定が盛ってあるのだが、
しかし、VivyはSFとしてはガバガバというか、
なんか懐かしい単発ヒロイン式ハードボイルド系SFって感じなのよなー。
1990年代かってくらいのベタなシナリオで泣かせにくるのよ。
でもSFって言っても、全く新しい概念を読者に浸透させるような小難しいことはやっぱ文字媒体が有利なわけだし、そういうのは小説に任せて、
アニメのシナリオはこのくらい明快に人情のドラマに仕立てたほうが見やすくてイイのかも、と思った。
ディーヴァをはじめ、多くのAI達の外観は人間と変わらない。
デトロイトビカムヒューマンみたいに、一応光る電源ボタンがついてて体液が青いけど、
鑑賞者としては、もう人間にしか見えないやつだ。
喜怒哀楽、心情の推移、人格、すべてごく自然で、感情移入しちゃう。
んでも、やっぱりAI、artificial intelligence、人工知能ってことで、人間とは違う設定が与えられている。
それは「AIはひとつの使命を与えられて」生まれる。というものだ。
最初の命題があって、そこからアルゴリズムを形成していく。
この設定、 ははーんと思ったね。
このゲームを思い出した。「ロボットやめたい」
【ネタバレ】アルパカにいさん開発の新作ゲーム「ロボットやめたい」全進化画像
このシュールなゲームは、ロボットに「ロボットやめたい、人間になりたい。」という使命を与えてみた思考シミュレーションだ。
そんな命題からアルゴリズムを展開しても、
まあ、そら、そんなんどーやっても早々に自己矛盾に陥って破綻するわけだが。
コンフリクト(葛藤)に苦しむ物語のなかで、こういう救済が現れる。
次世代機、小さいロボットが出来上がった。
ただ走り回ったりするだけで幸せを感じるようにプログラムされている。
これ。「走り回ったりするだけで幸せを感じる」これよ。
スタート時に入力する最初の命題、使命ってやつは、こういうシンプルなやつであるべき。
生命に与えられた命題だってそうじゃん。
「生きる」とか「増える」とか、自己保存と繁殖拡大の本能。
その単純明快な是に従って、生命体が、複雑で精妙な生態系が構築されていく。
最初は単純に、その反復で少しずつ複雑に。そういう順序でないと、耐えられない。
命題が真でないと、解は真に至らないのだ。
「命題が真なら、解は真へ至る。優れた命題は、解への道を内包している。」
というのは夢枕獏の小説の名言であり、自分の持論になっている。
んでだ。Vivy -Fluorite Eye's Song の話に戻ると、
歌姫ディーヴァの使命は「歌で人を幸せにすること」で、
歴史改変者ヴィヴィの使命は「未来の人類のため特定のAIを壊す」
そんなんさあ・・・、
ディーヴァのそもそもの命題も、定義が曖昧さを含んで危ういのに。
そんな命題がふたつて。
当然の帰結として、6話で二つの命題が矛盾する状況に陥ってしまう。
人類のために壊した女性型AIを、結婚するほど愛している人間がいたのだ。
彼は絶望し死ぬ。
「AIを壊す」「人を幸せにする」
ふたつのプログラムが衝突して、深刻なエラーが発生する。
赤い血と青い血に染まって、機能停止して倒れる。
6話終了時点で、ディーヴァ/ヴィヴィ壊れちゃったかもな~・・・と思ったのだが、
7話になってみると、今までと全然違う性格の主人公になって稼働していたw
クラッシュして再起動したときに、不都合な記憶を抑圧したらしい。記憶が欠落してると。
はえ~。それってもう、人間が心を守る方法そのものじゃん!
という驚きで今回の記事を書いている。まだ物語は途中なのにww
7話ディーヴァの性格は、感情豊かでフレンドリーに人と絡みにいく。
人の頬を両手で包んで「笑顔が大事よ」など3,4話ヒロインのエステラに強く影響を受けつつも、
エニアグラムでいうと、思考タイプ6堅実家が感情タイプ3達成者に闇堕ちしてるよーな状況であるように見える。
深刻なコンフリクトの問題は解決できないまま、
一時的に人格をスイッチして、裏人格で耐えているのだ。
「表の性格」と「裏の性格」 DEATH NOTE「夜神 月」について考察する エニアグラム6w5→1w2 - がんべあの「ぶれない」キャラクター&ストーリーの作り方
1~6話までのディーヴァは栗花落カナヲや綾波レイにそっくりの、
無表情でかたくなで、「使命を果たすの、それだけが大事なこと。」っていうタイプだった。
3、4話ヒロインのエステラは宇宙ホテルの責任者であり本能タイプ9調停者で、主人公を導けるタイプだったと思うんだけど・・・、流れ星になってもうたしな・・・。
バディのマツモトは、なにタイプだあれ。人を脅かして動かそうとするから本能タイプのどれかかな。初対面で感じ悪くてだんだんデレて世話焼きになるのはレオリオと同じタイプ1完璧主義者かも。
まあ、まだこの先の展開しだいでどーにでもなる話だし、
今回の記事ではこのくらいにしとくか。
しかし、ここまでの物語はなかなかに示唆に富み、興味深いと思う。
人はすぐ、「生きる意味」は何かと問うて迷う。
自分はなんのために生きてるんだろう、
人生で成すべきことはなんだろう。
無為に、無能に、無意味に耐えられなくて、
夢中になるものを見つけられない自分を責める。
「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ。」
みたいな袋小路に追い詰められて、懊悩する。
特に若者は、そんなんでほんとに死んじゃったりするのだ。
そんなとき、Vivyを見たら解るかもしれない。
果たすべき明確な使命を与えられてること、
なんのために生きるかを定められていることは、
悩まずに進めてるうちはいいんだけど、
複雑系で運行し、予想しないことがどんどん起こるこの世界では、とんでもないコンフリクトに陥ることがあるのだと。
AIが、スタート時に入力された最初のコードを無視するとなれば、アルゴリズムの土台が崩壊する。根本的なアイデンティティの否定になる。
かといって、矛盾するふたつの命題をどうにかつなげる文脈を捻りだしたとして、
それはコードのさらなる複雑化だ。
何度も立ち返る基本で処理が増大すれば、全体に負荷がかかることになる。
メモリを食って、動作がモッサリになるだろう。それは増設が可能にしても、
また矛盾する状況に出会えばフリーズしてしまう。
「ロボットやめたい」のロボットに抱く感想と同じだ。気の毒になってくる。
人間に、生命に与えられた最初の命題は、ごくシンプルだ。
「生きる」「増える」
あとは?
ない、自由だ。
あらゆる可能性に挑んでいい。
そのための、可能な限り制限のない命題なのだ。
時にはそれにさえ逆らって自らの死すら選べるほどに、すべてが許されている。
まあ、そして適者生存と淘汰があって、篩にかけられ続ける厳しさはあるんだけども。
自分達は、人間は、ヴィヴィやロボットのように、変えられない命題に苦しまなくてもいいのだ。
「なにかになりたい」「人を幸せにしたい」「未来を守りたい」というような、
人生かけて実践してきた信条、心の支え、指針であっても、
それが自分を苦しめるものになってしまっていたら、手放してもいい。
それを破棄しても、意外と死なない。
アイデンティティと思ってきたものが崩壊しても、
また新しい生きがいを見つけていける。
親の教えや、社会の規範、常識。
このくらいの年齢ならこのくらいのことができるべき、
このくらいのものを持っているべき、とか。
陽キャだ陰キャだ、年収いくらだ、結婚は子供は、老後用貯蓄二千万だとか、
自粛だマスクだワクチンだとか。
毎日毎日あれこれうるせーけども、
同調圧力ごときで死にはしない。殺されるくらいなら同意するのをやめたらいい。
心をガラクタの城にする思い込み、
ルーティンと化した思考パターン、
古くなってしまった、かつてインスピレーションだったもの。
大事な誰かから受け継いだ、大事だったはずのもの。
コンフリクト。
いつでも、それを手放す。
想いが生まれて来たところに還す。
心も体も整えて鎮めると、
ただ「生きる」「増える」という指向性、存在を続けるエネルギーがこんこんと湧いてくるところを感じられる。
そのとき、いつも星の王子様の、
「砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているからだね。」という言葉を思い出すのだが、
生きているものが美しいのは、見えないどこかに、命の湧く井戸が、魂があるからだ、と感じる。
魂から汲みあがる、水に似たその流れに、ただ身を任せる。
命、使命、命題、命じるという言葉の、ほんとうの意味するところ、
生きる意味は、その流れとともにある。
そのようにして見つければ、迷うことはない。
・・・が、AIには、コレが解らんと思うのよ。ほんとのところ。
ヒトとAIの差異はそこ。
AIが持ち得ない、ヒトにだけ出来る素晴らしいことがあるとしたら、
道を求めるものはいつか至る、道を究めたものが辿り着く、
いつも同じ場所、無我の境地、透明な世界。
0の、空の、愛の、終わりの先の、始まりの前の、無限のなにか。
シンギュラリティが来て、AIとヒトの優位が逆転するとき、
言語化できなくてもその感覚を会得してるかどうかで、人類の存亡は決まると思うね。
演算を越えられるとしたら、インスピレーションしかない。
まあ、Vivyはほぼ人間としての物語になると思うけど。どうかな。
うぬ、またアマに欲しいモノが・・・、よく出来てるじゃあないの・・・。
がんべあさん、また記事画像引用させて頂きました、事後承諾頂ければと思います。
おかげさまでエニアグラムで物語を楽しむって感じ、解ってきたかもしれません。
ありがとうございます。