ものがたりを解釈する

アニメ、漫画、小説、神話、あらゆるものが語りかけてくること。最も深遠な、でも誰にでも開かれている秘密に、解釈というメソッドで触れていく。

400億の男の光と闇。

鬼滅の刃 ガラスマグネット Vol.3 煉獄杏寿郎

 

 

 

週明けにも興行収入400億突破のニュースとなるであろう、鬼滅の刃・劇場版無限列車編。

 

前回の体癖分類だと煉獄さんの項がサラっと終わり過ぎたので、改めて劇場版について書いときたくなった。

 

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鬼滅の刃は、糾える縄のごとき禍福の両面を必ず描く作品だ。

光と闇を同量に、奇麗事だけでなくダークサイドをきっちり描く。

 

例えば映画の前半では、炭治郎は家族の夢を見る。

竈門家はとても善良で仲の良い家族として描かれる。

 

一話で一家惨殺というとんでもない目に遭うけれど、

 それでも弟妹や父母は、炭治郎や禰豆子のピンチにそれぞれ一度ずつ現れて、声をかけて覚醒を促してくれる。

 

でも、いきなりあんな終わり方をした人生で、恨み言のひとつもないというのでは美しすぎる。

家族全員がぐう聖では、読者はリアルではないと感じてしまうだろう。

 

厭夢の悪夢のなかで炭治郎は「どうして助けてくれなかったの」「なぜ守れなかったんだ」「置いていかないで」

というキツイ怨嗟と向き合うことになる。

 

それは、鬼の精神攻撃でもあるけれど、やはり真実の一側面として描かなくてはならないものだ。

 

思い出したくもないことを思い出して、向き合って、泣いて、悔やんで、謝って。

感情を吐き出して整理し、どうにか先へ進んでいく。

 

あの悪夢は、炭治郎の癒しと成長のために欠かすことのできないプロセスだったと思う。

 

厭夢、しごできカウンセラー。

いや荒療治過ぎて、リアルであんなセッションしたら過呼吸起こして倒れるけど。

 

 

さて、

 

では、煉獄杏寿郎の光と闇はなんだろう。

 

煉獄さんはわりと出番が短いし、そのなかで見る限り非常にポジティブで熱い、立派な人物として描かれているように思うのだが。

 

煉獄さんの闇、弱さ、恐れ・・・・、ダークサイド。

 

ここまでのヒットになるからには、必ずあるはず。

と考えて思い当たった。

 

父と弟だ。

 

あの炎のごとき独特のヘアスタイルが、そっくりそのままの煉獄家。

遺伝のクセが強すぎるとか、

畳と布団の簡素な部屋に、あの派手な頭の男が寝転んでるのはコントラストがヒデーなとか、

白と黒の地味な道着が似合わな過ぎてヒデーな、笑うところなのか?とか思ってたけど。

 

違うのか。

 

あの父と兄と弟は、同一人物としても解釈できるように同じ容姿なのか。

 

煉獄父「どうせ大したものにはなれない。」という恐れ。卑下。

煉獄弟「父上はなんと?」という親に認めて欲しかった寂しさ、弱さ。

 

夢の中で、父と弟の姿であらわれる己の恐れと弱さ。

 

 

煉獄さんの体癖7種は、伊之助と一緒で親分やアニキの気質、人を率いていくことを望むタイプなんだけど、

煉獄さんはお館様に敬服してるのが強調されてる。

だから反面で、己はトップに立てない、組織の長になれない、自己実現を果たせない何者にもなれない、という心の闇が、あの不貞腐れた飲んだくれの父が生まれるのか…。

 

継子は独立して恋柱になるし、弟は剣士に向かないので、子分的存在がいないのが彼には辛いことなのか。それで炭治郎たちを「まとめて面倒見てやる」っていう。

 

弟を抱きしめる「お前は立派な人間になる、燃えるような情熱を胸に頑張って生きて行こう!寂しくとも!」って、

あれは自分自身を慰め励ましてる姿でもあるんだな。そういえば夢だし!

単なる過去回想でなくて、眠って見ている夢であることが効いているわけか。

あの父と弟は、人の心にいくつもある本音の代理人でもあって、

煉獄さんもまさにあのとき己の心と向き合い、統合を果たしている。またしても厭夢しごでき。

 

心の痛みを癒し、フォーマットが完了したことで、初心や理想が母となって現れる「弱きもののために」と。

そして心を燃やして、

 

責務を全うして、後進に託して、燃え尽きるのか。

 

そっか・・・、煉獄さんスゲーな。

ただ生まれながらに強いんじゃなくて、恐れや弱さを越えてきた人の言葉だから、深みや重みがでてくる、心に響く。

「己の弱さや不甲斐なさにどれだけ打ちのめされようと 心を燃やせ 歯を喰いしばって前を向け

君が足を止めて蹲っても時間の流れは止まってくれない 共に寄り添って悲しんではくれない」

「胸を張って生きろ」

 

それは煉獄さんがずっと己を鼓舞してきた言葉でもあるのだ。

 

 

 

実に丁度いいところを映画にできたよな。

煉獄さんの心の旅路、物語として見事な構成になっている。

アニメ一期見てないとわからない、続き物の劇場版が400億って意味わかんねーと思ってたけど、

よもやよもやだ。自分こそ穴があったら入りたい。

 

よし、もう一回観よ!DVDも予約しよ!

今度はもっと良く意味が解るかもしれない。

 

 

 

 

 

ところで、猗窩座の首に刀が半分まで入ったところで動けない伊之助だけど、

童磨戦で同じ状況になって、そのときは思いつきで刀を投げて押し込み、トドメをさすことができる。

伊之助も煉獄さんと猗窩座の戦いから悔い学び、成長してるんだと、映画で気がついた。漫画だとバトルがわかりにくいとこあるからなw

 

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追記。

 

 「煉獄さんの勝ちだ!」という炭治郎の遠吠えは、すごく7種の感受性に合った言葉だな~。

炭治郎は勝ち負けを気にするタイプではない。

勝ち負けが重要なのは、煉獄さんのほう。

 

炭治郎のジャッジも、慕ってくれたことも、煉獄さん実はめちゃくちゃ嬉しかったはず。

彼が一番嬉しいことで、報われていて良かった。

 

 

 

今週のお題「雨の日の過ごし方」鬼滅の映画公開終わる前にもっかいいっとこ。