ものがたりを解釈する

アニメ、漫画、小説、神話、あらゆるものが語りかけてくること。最も深遠な、でも誰にでも開かれている秘密に、解釈というメソッドで触れていく。

ワクチンを打たない理由。

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自分語りいいすかね。

 

20代のほとんどを、病を患ってました。

 

毎朝目が覚めるたび絶望して苦しくてのたうちまわって、

死ぬことばかり考えてました。

 

仕事を始めてから罹った病は、退職したら徐々に治りました。

 

で、まあ。

今になって思うことは色々ある。

 

症状が出てたのは身体だったけど、病んでいたのは心だった。

 

挫折があって、自分の価値を信じられなくなって、

もうどうでもいいという気持ちで就職したので、

モラハラを引き寄せるカモだったし、

まず誰よりも自分を貶め虐めていたのは自分だった。

セルフネグレクトをしていた。

明日になるのが嫌で、寝たくなくて、

限界までネットのゴミ情報を漁って寝落ちで寝てた。

ろくに食べないでフラフラして、サプリでごまかしていた。

職場で使う薬品が合わないと薄々気がつきながら、無視してマジメに働いた。

 

それで病んでいるのに、到底そんなことは認められなかった。

なんで自分がこんな目に遭うのかと、嘆いていた。

何も悪いことしてない、善良に真面目に生きているのに理不尽だと憤っていた。

 

自己犠牲と献身は報われるべきで、常識を踏み外さないように気をつけているのだから、自分は大丈夫なはずだった。

雇用主や親、同僚や親類、医者や社会や神の、許し難い怠慢を呪っていた。

彼らが庇護すべき者が傷つき、苦しみ、惨い姿になることで、

彼らを責めることができる気がして、

ボロボロになっていく自分を、見せつけてやりたくもあった。

 

多分何回か死ぬとこだったし、

体と心が持ちなおすまで、また数年かかった。

 

まじであほだった。

 

ワクチンを打たないのは、後遺症のこともなくはないけど。

それよりももう、シラケてしまったからでもある。

 

親の言うとおりにしても、

雇用主の言うとおりにしても、

医者の言うとおりにしても、

効くと宣伝されてる何を試しても、

神に祈り縋っても、

 

ぜーんぶ、ダメだったもん。

 

標準治療、新薬、各種健康法、民間療法、自己啓発、スピリチュアル。

ああしろこうしろっていうものの何を信じて実践しても、苦しくなっていくばかりだった。

 

何かを勧めた誰もが、責任をとってくれなかった。

残念だったねとか、ごめんね、とか言ってさえくれない。

 

「おかしいね、あなたには合わないのかね。そんなはずないけどね。」

 

みたいな。非を認めてくれるということがない。

なんだったら結果が出るまで続けないことを暗に責められた。

すでにブッ倒れてるのに、死ぬまでやらないといけなかったらしい。

 

破滅への道は、善意で敷き詰められていると身に沁みた。

 

まあ、治ったし、諸々の経緯も理解してるけども、

それでもぜってー許さんし忘れねえと、

心のどこかに置き石のようにしている想いは、ある。

 

 

つまり、そういうことだ。

 

 

もし、

ワクチンが合わなくて何千分の一かの確率で死んでも、

 

もっというと、

ワクチンの世界的な集団接種が、

今後過去最悪の薬害事件になったとしても。

 

自分が死んでも、自分の大事な人達が死んでも。

 

誰も責任をとってくれはしない。謝ってもくれない。

いつもの責任のたらいまわし劇場を何ヶ月何年と見せられた挙句、

スケープゴートのくたびれたおっさんが会見で心無い定型句を述べてくれるだけ。

返してほしいものは、なにひとつかえってこない。時間も健康も人生も。

 

日本では任意なんだから尚更じゃね。

まず接種した高齢層はみんな、サリドマイドとかフィブリノゲン非加熱製剤とか薬害エイズとか震災直後よくCMしてた子宮頸がんワクチンとか、

そんな単語を耳にしてたことがあるはずで、それがどんな顛末だったかも調べればすぐに分かることで、

B型肝炎の給付金なんて今TVでCMしてるくらいだし。

薬害 - Wikipedia

 

それでも接種を自ら選択するというのは、

どういう根拠で政府や報道を信じられたものなのか。

十分な治験期間もない謎液に、ワクチンという名がもつイメージだけ付与して効くのなら、それはもう科学でなくて呪術の領分な気がするのだが。

まあ、呪術もアリ派だ。プラセボでもアマビエでも鰯の頭でも、効けばよかろうなのだ。とも思ってるけど。

 

もちろん、是否は未明である以上、

選択する意志そのものを何より尊重する。

 

時には己の命を駒にして、リスクを負ってみること。

そうでなくては何事も学べないのだから。

 

誰の選択も悔いのない未来があればいいのにね。

人を信じ、公共に尽くそうという善良さが報われる世の中であれば、

それに越したことはない。そうであってくれたらどんなにいいか。

 

 

ただ、自分はもう信じない。

「あなたのためをおもって」「みんなそうしてるから」

そういう文脈の背景を知ろうとせず、同調圧力に自ら迎合して愚かにも死にかけた屈辱。10年の青春の対価に、せめて同じ過ちは繰り返したくない。

 

これは、個と種のフラクタルで経験していく心の成長の段階でもある。

支配と庇護の表裏は、ある段階の関係性であって、そこに善悪はない。

自分はもう、闇も支配者にも憤りを感じない。

彼等にもそれなりの理由が、悲しみがある。それもいずれ明らかになるだろう。

 

結局あの頃の自分は、自立の足りない甘ったれだったのだ。

イイ子でいれば誰かがなんとかしてくれる、そうでなくてはいけないなどと、

子どもの浅知恵で世界が回ってるわけもなかった。逆恨みもいいとこだった。

 

 

どうやってそこから這い上がったかっていうと、

 

求めるものは外ではなく、内にあった。

 

身体に必要なものは、身体が知っていた。

心に必要なものは、心が教えてくれた。

それを聴こうともしていなかっただけだった。

 

時間を設けて、耳を傾ければ、答えはずっとそこにあった。

選ばれた人だけが知り得る秘密と思っていたものは、隠されてなどいなかった。

いつも開かれていて、いつでも気がついてよかった。

 

自分に必要な気づきをくれたのは、

頼りたかった権威ある人ではなく、

辻占のように誰とも知れずすれ違った人たちだった。

 

アルヴィースの歌: 次元について

 

自分を愛するってことを解りはじめてから、

薬も健康法も、祈りも、正しく使えるようになっていった。

それを教えてくれる人や本にあらためて出会えた。

 

握りしめていた執着を手放すほど、頭も体も冴えて、本来の精度を取り戻していった。

 

今、なにが必要かは、自分の心身をセンサーとして感じとることができる。

そのように行い、結果を引き受けることができる。

 

ワクチンは必要ない感じがするので、接種しない。

コロナウイルスの抗体は、すでにある程度持ってると思う。

マスク手洗いうがい自粛、どれも敢行したけど。

蔓延の状況からして、無症状で感染してた可能性は高い。

感染が少規模で、健康に留意してたからちょっとした不調レベルで済んだと、そんな気がしてる。

まあ抗体検査を受けてから言うべきだろうけど。

 

というか、ウイルスはすぐに変異する。

その度にワクチンを開発して接種して、というのは勝ちのないイタチごっこにしか思えない。製薬会社が儲かるだけだ。

 

だからもう、

 

ワクチン神話そのものが終わる。

 

特効薬神話も終わる。方法論の限界が露呈してる。

かつてワクチンが天然痘を、ペニシリン結核を駆逐したのは偉業に違いないが、

成功体験というのも時に厄介なものだ。

「あの時はうまくいった」というパターンを繰り返してしまう。

イベルメクチンでもアビガンでも、

病には対応する薬がある、という単純化された思い込みは現実と乖離している。

 

身体も自然も複雑系で、状況は刻一刻移り変わり、最適解は流動するのだから。

 

 脳死プレイでゴリ押しできるほど、世界は甘くない。

常に新しいインスピレーションを受け取って、サーフィンのように波に合わせて生きないと。

古い波の来た場所に拘っていたら淘汰されてしまう。

 

自分はもう、世界がコロナ禍の以前に戻るとは思ってない。

そうあるべきとも思わない。

 

十年単位で腰を据えて、新しい生活様式、ウィズコロナを模索してくしかない。

 

個人的に、病の寛解に一番効いたのは、引っ越しと転職だった。

モノに溢れた狭い部屋を捨て

通勤コストを自炊にまわした。

自分のケアをする時間を確保した。

 

対処療法だけで治ってしまったら、

間違った生き方を正せない、ということでもあった。

個人でも社会でも同様ではないのか。

 

照明が火から電気になって換気の重要が薄れ、建築に気密性が増した時、

都市集中で人口密度が上がった時からずっと抱えていたシステムの脆弱性が顕在化したってことでもある。

薬や集団免疫でコロナだけ抑えても、未病の温床の社会構造をなんとかしてかないと本質的解決じゃない。

 

密集と密閉と運動不足で病気になるからって、じゃあ全頭一斉に投薬すればいい。

なんて考え方が、もうまるでブロイラーのチキンで気に入らねぇ。

抗生物質入り人工飼料で肉も卵も滋味が薄れてくニワトリよろしく、

ワクチン打って満員電車に詰め込まれてたんじゃ、人間も品質が劣化してくばかりだ。

平飼いにしてその辺に生えてるもん食べて、ブランド価値つけてくのがトレンドというもの。

 

まぁでも、

激安業務用ブラジル産白色レグホンか、

お取り寄せ限定地方名産在来種地鶏か、

いいとこ取りの掛け合わせを試みるか、

家畜やめて野生に還るか、

 

各々、心が示すように生きてみればいい。

多様性こそが生存戦略であり、適者は地球が決める。

 

ライブハウスや居酒屋、狭い箱にすし詰めになってわいわいするのは楽しかったけど。

あれは異常で不自然な状況下におかれた興奮だったといえばそんな気もする。

祭りやハレの日、通過儀礼がいかに重要かはよ~く知ってるが、それはまた野外や少人数など古式に倣って発展の方向を見直していける。

形骸化した儀式の本来の意義を取り戻す機会にもなるだろう。

 

 

自粛とか我慢するってことじゃなくて、

人にとってほんとうに健やかな環境とはなにか構想し、整えていくこと、

心身ともに、自然のサイクルに沿って暮らしていくこと。

それは波に乗って遊ぶことのように、とても快い、楽しい探究だ。

 

移り変わる世界に、思想を押しつけるんじゃなくて、

ただその響き合う調べに心を澄ませて、一緒に踊る。

そんな風に生きるとき、命が輝いてるって感じがする。

 

 

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 今週のお題「住みたい場所」

 

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