百話の感想も書いた。
当ブログで常にぶっちぎりで読まれてる記事が宝石の国の考察なのだが。
このたびめでたく連載再開となったので、最新96話の所感など。
フォスの地獄が絶賛継続中でメンタルがゴリゴリ削れて粉になりそうですよ。
この作品はほんと本編が鬱過ぎて、みんな考察とか二次創作とかで落ちた気持ちを浮上させたいんだろね。
もはや安易なハッピーエンドは期待していないが、それでもなんらかの救いは見出したいものだ。
ええっと。それで最新話96話で、
アドミラビリスも新しく生まれる宝石ちゃんも月に召し上げられることになり、
フォスが彼らとキャッキャウフフする新生宝石の国案はナシとなった。
月では、元宝石達はたいへん幸せそうに暮らしている。
ウェレガトとアンタークとシンシャという、
ゴーストの中でボッチだった子と、冬起きる体質でボッチだった子と、毒体質でボッチだった子の隅っこ暮らし三人組で仲良くなるのは妙にリアルでわかるんだけど、
そこに彼らそれぞれと縁あったフォスはいないっていう。ぴえん。
やっぱ頭だけから月人化というのはナシか?
ラピスやゴーストなど、一人前に量が足りない者は再生できないということらしい。
むしろそうであってほしい。頭だけのフォスに喋らせたりしないでほしい。
地上の七宝人間フォスに祈らせるために使われたりしたらエグすぎるし。
しかし、エクメア=閻魔が治める場、すなわち地獄。
飽きても倦んでも終わらない永劫の無為地獄であるはずの月が、
元宝石の月人達にとってはまるで天国なんだよなあ。
地上にいたときのように月人に襲われることも、攫われた仲間を思うこともなく、
みんな幸せだと口にしている。
そこが天国か地獄か、
ただありのまま在る世界をどう受け取るか、
それは観る者の心次第。という解釈もできるが。
しかしイエローとパパラチア、最年長組の様子をみるに、
今は楽園を謳歌する宝石達も、はるか数千年の先にはああいう形の終わりを迎えそうではある。天人五衰というやつか。
思いつくすべてをやり尽くして無気力になるか、過去や連続性を失って場当たり的に過ごすか。
それでも宝石達は、機械に祈らせるという他力本願しかない月人たちとは違う。
各々の生を全うし、消滅というか入滅というか解脱を望むなら、それを自力で行う資質があるはずだ。
月に行った宝石達が、「フォスのためにできることがある」とすれば、それじゃないかと思う。
フォスの祈りを享受するのを待つのではなく、みずから祈ること。
みずから無へ至ること。それを求めて求道すること。
できればそのメソッドを月人たちにも教えてやってほしいものだ。
まあ、フォスが覚醒したとき、すでに全員消滅済みで月には誰もいないエンドとかシャレにもなんないから、
そこは月人の怠惰さを信じよう。教えられてもそう簡単にはやらなさそうだよな。ゴシップと娯楽にしか興味ない愚民ということだし。
ほどよく下地を整える、自力救済への意識改革が浸透させるくらいが望ましいなあ。
美しくカリスマに富み。ごく自然に自らを幸せにできる宝石達と接することで、
月人社会にもなんらかの変化があるといいのだが。服飾はめちゃ発展してるぽいし。
ほんと、あんだけ長期間ボッチだったシンシャがフツーに幸せになれるのすごない?
遠慮がちではあるけど、ひねくれてない。こじらせてない。
殻にこもって幸福を拒否するとかメンドクサイところがない。
アンタークもそうだ。「楽しめ」っていう。素直で優しくて自然にしあわせ。
尊いけどやっぱそゆとこ、人間じゃそうはならんやろって気もするんだよな。
メンヘラ多めの宝石の国で、ボッチだった二人のメンタルが健やかなのは・・・。
やはりおそらく、宝石って本来群れて生きる生命体じゃないんだろうな・・・。
光合成だけで生きていけて、狩りも生殖もしなくていい生物だからな・・・。
動物よりむしろ植物に近い。
金剛先生の初期教育、先生を守り、大好きな先生の側にいるための生活様式、
学校とか組んで戦闘とかの集団生活は、宝石本来の生態とかけ離れていて、メンタルに悪影響なのかもな・・・。
ほんとSFとして優れた描写だと思う。
実在しない生命体の生態に妙なリアリティを感じるわ。凄い。
しかし、身体性から生態が決まり、生態から心の在り方が決まる、というのは実に成程だが。
そーすっと、宝石のボディを捨てて、煙のような精神体である月人になったことで、
なにかしら心にも影響する可能性もありそうでなあ。
宝石ちゃん達がみんな無責任で他力本願の愚民と化したら救いようが無くなるぞ。
まあ、月人のあの性質は身体由来だけでもないからそれは違うか。
さて後は。
七宝フォスが金剛ソフトをインストールする期間について「一万年と五十億年の差は感受しにくい。」とあったけど。
それアレだね。弥勒菩薩の56億7000万のことだね。
釈迦入滅からそれだけ修行して、悟りを開くという伝説。
フォスが弥勒菩薩なのは半跏思惟のポーズで示唆されていた。
弥勒菩薩とすれば、悟って衆生を救済するのは既定路線ではある。
が、バラバラにされて埋められて忘れられて、
置き去りにされたフォスがみんなのために祈るかどうかというと、お気持ち的にどうなのか。
初期はそういう殊勝な面もなくはなかったけど、
後半はそうとうメンタルやられてたからなあ。
ユークは「あの子は特別になりたがっていた」という慧眼をのたまったけど。
まあ、そう言ったらそうなんだけど、
末っ子の甘ったれのフォスの望む特別とは、みんなにちやほやイイネされることであり。
金剛のように大きな責任を負ってみんなに滅私で尽くす特別ではなかった。
一発でっかくバズりたい、インフルエンサーになりたいみたいな、キラキラ系で安易に注目されたい承認欲求であって、
親とか医者とか為政者みたいな、みんなの命を預かるようなガチの責任者になりたいってことじゃなかったんだよなあ。
まあ確かに、何百年もそんな甘ったれのままてのもどうなんだかという話ではある。
どこかで成長したり自立したり乗り超えてったりしていくべきではある。
といってフルシカトは荒療治が過ぎる気もするが。
ていうか承認欲求て。
宝石には本来備わるはずのない欲求ではなかろうか。
それはヒエラルキーのなかで、下位者の支持を得、上位者の庇護を得たいという心理。
群れて生きるうえで、生存を有利にするための欲求。
人間、社会性動物にしかあり得ないもの。
宝石のフォスにそれがあるのは初期不良なのか。人間由来の因子なのか。
フォスの孤独療法の感覚を例えるなら、
バズってカリスマになるはずがスベり倒して炎上した底辺YouTuberから、
ネット環境をまるごと取り上げて、
禅寺か無人島に放り込んで放置、みたいなことだろうか。
強制・独り反省会。
そう思うと、孤独と知識を好む1種体癖的には実はそこまで辛い環境でもない。
教えたがりのラピスみたいなタイプには合う環境といえる。
社会や人間の繋がりから遠ざかっても、大自然があるなら孤独ではない。
むしろ虫の声も雲の流れも風の感触もすべて友とし、自然と自分が響き合う安らぎを得る。そういう境地もある。
金剛アーカイブもあるしな。いわば図書館付きってことでしょ?
ちやほや好きの3種体癖ぽいフォスには辛くとも、
頭でっかち引きこもり好きのラピスなら耐えられる。
七宝人間フォスの裏人格としてのラピスに期待したいところだな~。
・・・ああそうだ、ラピスの心はもうフォスの一部かもというなら。
フォスは七宝、融合されてるのはラピスだけじゃない。
独りで置き去りにされてしまったけれど。
足はアドミラビリスの殻の瑪瑙。献身を認められて贈られたものだ。
腕はアンタークチサイトと見つけた白金
頭はゴーストクォーツから譲られたラピスラズリ
エクメアに貰った真珠の目
シンシャの水銀
金剛の目
フォスフォフィライトの身体は、他者の体の一部や、誰かとの縁を示すものを取り込んで大きくなった。
それは、最初から最期まで一個として完結する宝石生命体ではありえないはずの、
他者との深い交わりや、絆の象徴ではないのかな。
フォスのインクルージョンは、他の素材とすぐ馴染む。
その性質が、他者との繋がりを望む気質になり、承認欲求として表出したんだろうか。
身体の性質と気質の相関は、体癖を学んでいるとよく理解できるところだが。
承認欲求、周囲に認められたい、
誰かと深く繋がりたい、他者と一体に融けあいたい、というフォスの願いは、身体から
すでに叶っているのかもしれない。
あとは心が、それに気がつくだけでいいのかもしれない。
そのための己と向き合う時間なのかもしれない。
さすれば。
欲した幸福を得たならば、満たされたのならば。
月にいる皆に認められなくても、エクメアを恨まなくてもいいな、執着しなくてよくなる。
ムカついたぶん、一発殴るなりしてケジメはつけたいけど。
ま、どーでもいっかー。っていうユルさというか余裕というか。
シンシャやアンタークのように、ごく自然に自分を幸せにしてやれるようになるかも。
メンタルの安定、人格の安定、自立と自律を確立できるかもな。
それが自力救済というものだ。