すずめの戸締まり!
初日初回から見に行くとかどんだけ楽しみにしてたんだっていうね!
最近の映画館はソーシャルディスタンスがとれててすごい快適だったわ…。
隣に他人がいなくて画面に集中できた。
涙が出るの堪えなくていいのすごく気持ち楽〜。
とりあえず面白かった!
まず映像体験として、猫と椅子のチェイスがスピード感と臨場感あってギュンギュンしてて良かった。
津波で建物の上に漁船が乗ってしまってるあの絵は今もすごく象徴的で刺さった。
新海映画お約束の、好きな人に会いたくて走る切ないやつも健在。
現世と常世とで隔てられる想い人、というのは君の名はでも天気の子でも共通のモチーフだった。
オカルト、震災、廃墟に表れる時代性、色んな切り口から解釈できそうだけど。
とりあえず、猫の話。気になったところから徒然に書きとめておこう。
当方は猫飼い。しかも2匹。
なのでどーしても猫関係の描写には注目する。
猫を当然に愛するあまり、天気の子では須賀がアメを捨てたという発想が完全に盲点だったこともあるが。
アメは帆高や須賀の責任感の在り方を表現する装置としての猫だったが、
すずめの戸締まりでは、舞台装置以上の存在感をもった猫だったね。
新海誠監督は動物やクリーチャー周りは興味なさそうと思ってたけど、それも今後は伸びてくる要素だったりするのだろうか?
豊かな表情をみせる猫には感情移入できた。ダイジンもサダイジンもたいへん推せるキャラクターとして仕上がっていた。
ここからネタバレ有り注意〜。
赤いオープンカーで東京から東北へ旅するくだり、
「旅立ちといえばこの曲でしょ、喋る猫もいるし。」というセリフがあり、
オマージュされてるのは言わずと知れた「魔女の宅急便」で猫はジジのこと。
あとSNSで#リアル耳すま ていうのもあったね。耳をすませば、猫が電車に乗って雫が追っていく、猫の道案内。
大御所の名作をわざわざ引き合いに出すあたり、並々ならぬ自負というか意気込みと受け取らせていただく。
ジジにも引けを取らない猫を描く、という意を汲むとして。
当社比ではまずキャラデザの魅力で宮崎駿に軍配あげるけどね。ダイジンは目がデカすぎて猫というよりメガネザル。
ジジはキキの使い魔、魔女のマスコット。
キキの相棒とか、助言役とかそんな感じだけど、
ダイジンは要石というもっとはっきり重要な役割を担う。
地震の化身を封じる要石、
草太が代わりの要イシならぬ要イスになった時は、陽菜と同じやつだなーと思った。
つまり、多数に降りかかる災禍を肩代わりする人柱だ。
陽菜は人柱を拒否して、数百年周期の呪的天候制御システムを破棄して現世に帰還するが、
ダイジンは要石=人柱を再び引き受ける。
古文書を見た感じ数百年おきに石を据え直して続いてきた呪的地震制御システムは、
この時代でも再びメンテされて継続された。
ということのようだ。天気の子と反転のエンドっぽい。
ただまぁダイジンにはサダイジンが、相方がいる。
幼気なものがひとりぼっちでずっと永い御役目に封じられるというのは酷な話だけど、
宮崎と東京とに離れて置かれていた要石が、東北に揃えて置かれることになったということは、
白チビ猫も黒デカ猫が側にいるから寂しくないよ、という救済措置なのかな。
雌雄、阿吽、左右、大小、陰陽、で対になれば安定するという思想でもあるだろう。
大小猫二匹、初対面はシャーいうてたけど、
すぐ仲良しになってペロペロしてたし、あそこでなにか猫同士、要石になることの意義説明や薫陶を受けてた可能性あるかもしれない。
例えば、要石になることにも何かリターンやメリットがあるとか。
地脈と繋がることで化生から神様に存在がランクアップできるとかありそうな話。
扉の両脇に獣が控えるというのは、狛犬や稲荷やシーサーなど見慣れた絵面だ。
猫の神使っていうのはあんまり見ないけど。やっぱ猫は門番としてはな。
犬の方が忠実だし吠えるし(警報)噛むし(対人戦闘力)
番犬なら犬系がベターではあるだろう。
ダイジンが要石やだーっつって逃げちゃうのも、まぁ猫ならしゃーないっていう感じではあるなw
人選ミスというか動物選びをミスってる感ww
とはいえ、喋るうえに巨大化してバトれる猫っていうのはロマンあっていいよね。
ていうかジジっていうよりは、犬夜叉の雲母に似てる気がしてきた。
普段はポニテ娘の肩に乗るディフォルメされたチビの姿で、
でっかくなって単騎でも戦えるし騎乗することもできるステキな猫っていうとね。和風白猫だし。
あ、でも雲母は喋らないか。
黒デカ猫のサダイジンが変身すると白い大化け猫に成り、
白チビ猫のダイジンガ変身すると黒い化け猫に成るという反転は意味深なのかどうなのか。
白猫の左目に黒ブチ、黒猫の右目に白ブチがあるのは、太極図でいう陽中の陰と陰中の陽だろうな。
とりあえず、一心同体とか二匹で補って完全になるとか、そういう意味かな。対の強調。
ダイジンが要石の任から逃げ、すずめの前にあらわれたときのボロ加減、「うちの子」に、主従になることによって急速にシャキッとしたり、
「好きじゃなかった・・・?」でショボくれたってレベルじゃなく萎れたり、そこからすずめの「ありがとう」までずっと本調子じゃなさそうに寝てたり、
なんていうか、実は単体では長く存在を維持できないくらいに弱いのでは?という気がする。
要から抜いて、ただほっといたら消滅してたのかもしれないくらいに。
すずめを後ろ戸に案内していたのは、何かすずめの役に立っていれば、すずめに認識されることで存在を維持できるエネルギーが得られた、みたいなことだろうか?
猫まわりではとりあえずそんなことを思ったよ。
後そうだなー。
天気の子では空にある水の白い龍がでてきて、
すずめの戸締りでは地に臥す赤いミミズがでてきたわけだが。
ミミズ退治にはスズメだよね!という名づけはわかるとして、
なんか、草太の祝詞では「ひみず」と呼んでた気もするね?
ミミズじゃなくてヒミズは日不見、太陽を見ない地下の、モグラの一種だ。火水ともいうけど。
地の赤い火の龍。そんな絵だったね。
人柱システムの破棄と、要石システムの続行というテーマも反転だし、
空の白い水の龍と、地の赤い火の龍も反転の図像イメージではありそうだ。
だから何の意味があるかっていうのは・・・、これから考える( ̄▽ ̄)
日不見の神に、久しくお借りしていたこの山河をお返し申す、という祝詞だった気がする。
この大地はそもそもあの赤いミミズのものであると。
借りっぱなしのまま荒れ放題の廃墟になっててゴメンだから、このたび人から自然へお返ししますと。そういう。
白い龍もそうだけど、目も顔もない神の姿というのは、善悪とか感情とか人間の理解できるスケールではない神、自然そのものの神格化っていう感じな気はするね。
大雨も地震も、人間の暮らしにはすごくすごく困るけど、
自然としてはそれもまた健康なサイクルに不可欠な要素であるわけで。
後、ラストで草太はもう教員採用試験は捨てて、廃墟を巡りながら旅することにしたようだけど、
教員というのは拘束時間が長くて副業しにくい職だし、
今この時代なら、廃墟巡り系ユーチューバーとかもそこそこの収入になりそうなのに~と思ったww
自分的にはすごく需要あるのだ。最近ソレ系よく見てるし。
あ、でも廃墟は入る許可が要るところもあるから、そこは注意で。
【過去一】バブル時代のリゾート地が丸ごと水没してできた廃墟がヤバすぎた - YouTube
今日は鮮度重視で一旦投稿!
二周目行くとか、また何か思いついたら書くね~。
つかエンドロールで神木隆之介おった!ってなって、
瀧パイセンのカメオ出演かと焦ったけど、フツーに芹沢だったわ。
どうりで頼れる感溢れるニキだったwww
東京も水没してないし、君の名は天気の子とは世界線違うんだろうね~。