ものがたりを解釈する

アニメ、漫画、小説、神話、あらゆるものが語りかけてくること。最も深遠な、でも誰にでも開かれている秘密に、解釈というメソッドで触れていく。

元祖水星の魔女・ウテナ全話公開くる!! 脳の義体化。

水星の魔女2期と併せてオススメしたい!

少女革命ウテナが公式で全話配信くる!!歓喜!!全力待機!!!

第1話〜3話は4月10日21時、続きは毎週順次公開とのこと!

 

 

ウテナの1話は常時公開されているので今すぐご視聴いただけるのだが、

この1話を水星の魔女1期1話と見比べるだけでも相当オマージュが詰め込まれていることがわかる。

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巨大全寮制学園で、花嫁を巡る決闘とそれを取り仕切る生徒の組織があり、

横暴な婚約者・西園寺ワカメがグエル、訳知り顔の会長・桐生冬芽がシャディクのポジションにいる。

トマトの温室の前でグエルがミオリネに無体を働く場面があるが、それは

鳥籠に似た薔薇の温室の前で婚約者が花嫁にビンタする場面とあからさまにオマージュ。

くるくる回るOPとかマスコットはチュチュとか他にも色々それらしき箇所はあるので気がつけば気がつくほど楽しい。

 

花婿と花嫁、ウテナとアンシーでは、色黒と身長差が逆転してミオリネとスレッタになっている。

洗脳依存でメンタルがヤベーお人形娘というキャラ属性がアンシーでありスレッタで、

謎解きしてその心に寄り添って解き放つ役目がウテナでミオリネになると信じてる。

 

信じているが、そこに至るまでが結構ドロドロでキッツイだろうな~っていうのもウテナ履修済みだと覚悟してしまうところだ。

まあ、当時それでもウテナに夢中だったのは、独特かつ唯一無二の演出や美術の素晴らしさだよなあ。今見てもほんとにカッコイイから!傑作!ほんとに!

 

歌や影絵少女など、演劇や寺山修司からの文脈もあるんだよな。

もちろんセーラムーンからの変身バンクや少女漫画の系譜でもある。

そういう文化的な側面が自然とわかるようになったのも年経たオタクの醍醐味よ・・・。

 

そういえばウテナ1話では、

女生徒が男子の制服を着てることで一悶着あるわけだが、

20年も経った現代だと「女子は女子の服を着てるのが当然」の感覚が薄れたよなあ。スラックスを公式で導入するジェンダーフリーがトレンド。水星の魔女でも制服は男女同じくの半ズボンだ。

女子高生が「スラックス制服」を選ぶ実用的な理由、彼女たちの本音とは | ニュース3面鏡 | ダイヤモンド・オンライン

 

教師や常識に逆らって自分のスタイルを貫くウテナのカッコよさが伝わらないというか、伝わるけど、「ああ当時はそういう感覚だったな」っていう懐古のワンクッションが入るようになった。

こういうのを隔世の感っていうのかねえ・・・。(:3」∠)

 

 

 

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あとついでにここに書いとくか。

 

スレッタの正体について様々な考察が紛糾しているオタク界隈だが。

スレッタは記憶喪失のエリクト説、

スレッタはエリクトのクローン説、

スレッタはエリクトを移植するための器、つまりガンド、義体である説などがある。

 

これ、なかなか新しくて今時で考えさせられるテーマだとおもった。

 

ガンド、義体

 

攻殻機動隊やいわゆるサイボーグ、

機械の体に脳を移し替えるという設定は、すでに感覚的に受け入れられるものとなっているわけだが。

 

脳死した人間の肉体から、脳を取り除いてAIを積む。

果たしてそれは人間か、という問いが肌感覚でリアルな時代なんだなあ。

 

水星の魔女でいえば、

母プロスペラの義手は外見からは普通の腕だが、電池で動いている。

娘スレッタはご飯を食べて活動して、電池切れはおこさないようだ。

エネルギー源の問題は容易に互換できない。

つまり、スレッタの肉体は人間だと思われる。

 

エリクトがガンダムに同調し過ぎて意識を持っていかれた的な事件があったとして、

糸の切れた人形のようになったエリクトの肉体に、脳かあるいは脊髄付近に、生命活動を維持し肉体を統括する補助AI的なガンド、脳の働きを代替するガンドを積み込んだ。

肉体を動かし始めた意識をスレッタと名付けたが、

それはあくまでエリクトを再インストールするまでのツナギである、と母は考えているとしたら?

 

これはなかなか、考え応えがあるわ・・・。タブーに触れてるわ~。

 

私達は漠然と、アイデンティティというものが頭部にあると思っている。

 

手を失い、足を失っても、自分は自分だ。

義手義足をつけても自己の連続性は失われない。

 

臓器移植はどうだろうか。

心臓とか重要な臓器を代替物に置き換えること。

まあ、内臓は普段見えないからな。

考えはじめると夜も寝れなくはあるが、

意識されないから、気にしないことはできるから、まあ、うん。

 

顔は?

顔は自己認識に大きく影響する。

エラン4号君は顔を変えられた、それはかなり自我の拠り所を危うくする。

 

脳は。

 

例えば、誰か親族が脳死したとする。

現代医療では手の施しようもないが、ガンドという技術で、「代わりの脳」を積めば、肉体は再び動きますよ、と言われる。

施術して目を覚ました親族は何も覚えていない、外見はそのままだ。

だが、それはただの記憶喪失とは違う。

その頭の中に入っているのは機械なのだ。

それを、元の人と同じと認められるだろうか。

 

う~ん・・・。

 

あるいは、それが自分だったら。

臓器移植カードを書くことを想像する。

問、貴方が脳死と判定された場合、脳を他のユニットに代替しますか?

 

う~ん。これは悩む・・・

脳を失って、記憶を失って、そしたらそれはもう自分ではない気がするな・・・。

でも肉体は新しい意識らしきものによって動かせますとか正直やめて頂きたい。

 

そこに外部に委託した自分の記憶を再インストールすれば自分は自分かって?

いやぁ・・・。

 

アンパンマンのアレ、ツブアンマンの思考実験じゃん。

外部から見て同一人物としても、自己の連続性としてはそれは死んでるねぇ・・・。

 

 

一歩手前の、

機械やガンド的なもので脳機能を拡張するという発想までなら、

電脳化とかマルドゥックスクランブルみたいなニューロンネットを皮膚に拡張とかあるけどね~。

記憶や自己連続性が地続きで、何かを付け足すことはあるとしても、元の脳を損じるようなことは、やっぱかなりのタブーだったと思う。そういう発想がでてこないのだ。

 

 

脳機能の大部分をAIに置き換えた動く肉体を、人間と呼べるのか。

 

これは素晴らしいSF、興味深い問いだ。

 

人間が主で機械が従なら、それは人間と思いやすい。

草薙素子少佐は、

人間の頭が機械の体を操っている。

全身義体で生身の部分はほんとに脳だけしか残っていないけど。

 

この黒い殻の中に入ってるものだけが人間というのも奇妙な感覚ではあるが。

 

しかし、

機械が主で人間が従となると。

機械の頭が、肉の体を動かしているとすると。

それは、人間なのか・・・?

 

このイメージ、脊髄や脳核などの中枢をガンドで補い、肌色部分は生身で。

人格や意識はガンド部分の担当だったら?それがスレッタだったら?

 

フムン。

 

そうなるとそれは人間とは呼べない存在かもしれないね。

 

それでも、ミオリネからすれば、スレッタはスレッタだろう。

 

機械だろうが人間だろうが、ガンド星人だろうが。自律する生命体であるなら。

その人格らしきものを尊重し関係を築くことはできる。

 

スレッタが人間じゃなくても、ひとつの心ある命として、自由と自立を獲得していけることに変わりない。

 

でも、夫も師も仲間も失ったプロスペラが娘までは失うまいとし、

スレッタをガンドに宿った仮人格に過ぎないと思おうとするのも、いずれ消すものとして人形扱いするのも、ちょっとわかるかもな気がしてしまったというか。

 

いや、全部もはや推論ともいえない妄想だけどね!

水星の魔女二期まで時期が空き過ぎだから、考えて楽しんだだけ。

 

 

 

そして、やはりそれは思考実験でありSFに過ぎないとも思う。

体癖を学んで身体を練って、瞑想で自我を手放す練習をすると解るようになる。

頭と体、意識と身体は主従のようで、もっと切り離せない不可分なものなのだ。

意識は頭部や脳に独立してあるのではなく。

身体性が生む動作や感受性が無意識の基底を形成している。

自然と人間を対立させる近代的な思想が、意識と肉体の分離と支配という発想に敷衍してる、それは根本的な勘違いなんだねえ。

 

それらは太極図のように陰陽になり支え合い響き合い循環して成立しているものなのだ。

どっちか取ってしまったら、傾いて崩れてしまうだろう。

 

複雑精妙な動的平衡でできてる肉体を、後付けでくっつけて制御できるAIなど作れようはずもなく。

 

また、自己の連続性や記憶や自意識を失うことは死と同じほど恐ろしいが、死と同義ではなく。

人を構成するパーツのいくつかが失われても、他がそれを補って平衡を保つうちは、やはり生きている。

 

エリクトとスレッタは、すでに不可分に同じ心身に同居しているものであり、

記憶を再インストールするまでは仮人格のお人形と思ってるプロスペラはやはり間違っている。

 

自我の在り処は、心身の保つ恒常性のなかに流動的にあるものなのだ。

 

例えば、音楽に例えるなら。

アイデンティティは主旋律やサビみたいなものだ。

その曲をその曲たらしめる特徴的な旋律。

オーケストラが奏でる調和のなかに繰り返しあらわれるパターンみたいなものだとして。

 

サビに固執してそこだけ強調すると、曲の調和を壊してしまう。

 

また、演奏が進むうちに、特徴的だったサビを全く使わない転調が来ても、曲の連続性が失われないうちは、同じ曲目として認識すべきだろう。

 

もう一度あのサビを聞きたいと思っても、演奏の流れを邪魔してはいけない。

その時が来るまで待たなくては。

転調のなかにも、やはり主旋律と響き合っている調和があることに気がつかなくては。

 

まあ、そういう例えっていうか。

自我も人格も記憶も、流動的であってそんなに確かなものでもないし、

アイデンティティが頭部にあると考えるから生まれる間違いがあるということなんだが。

うーん。これは言語化できるまでもう少しかかるテーマだな・・・。

 

 

 

 

 

 

 

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第1話〜3話は4月10日21時、続きは毎週順次公開となる。


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