ものがたりを解釈する

アニメ、漫画、小説、神話、あらゆるものが語りかけてくること。最も深遠な、でも誰にでも開かれている秘密に、解釈というメソッドで触れていく。

マトリックス4部作完走感想。英雄は帰還した…のか?

マトリックス初代、リローデッド、レボリューション、レザレクションズを今ごろ一気見した。

 

まあ、感想書くほどでもないかもだが、

初代の記事を書いたから、その思い入れで続きの三作も頑張って見てみたんだよ。

やっぱ初代は今でも素晴らしいしな。

 

inspiration.hateblo.jp

 

2022の新作レザレクションズは多分劇場まで観にいったらガッカリするやつだったけど、

おうちでの連続視聴だとレボリューションズのビターエンド感のダメージを回復させてくれる意味では良かった。

エピローグとかキアヌいじりとかメタネタ多めのファンムービーとしてありがたい感じのやつだったかと。

 

マトリックスは初代だけで過不足なくテーマが完結してると思うのだが、

 

まず、機械に支配される人類という構造があって、その支配に気がつき精神の自由や自立を得るまでが初代だったなら、

 

リローデッドでは、機械VS人類の対立が激化していくのが主題だった。

機械と人類、どちらが支配の主導権を握るのかという争いがあって、

 

レボリューションズで、主人公ネオが機械と対等の交渉を成功させ、

機械VS人類のパワーゲームは均衡へ至り、それは善かったのだが

 

レボリューションズのラストでヒロインのトリニティ死亡、主人公ネオは生死不明っていう悲劇的な後味の悪さがあって、

 

そこから10年経ってのレザレクションズで、実はトリニティもネオも生きてたんだよ良かったね!

っていう、まあ安易っちゃー安易な救い、ハッピーエンドルートが開示されて良かった。

 

いやしかし、映画という限られた枠のなかで破綻なく複雑な勢力関係を描ききっていて感嘆したわ。

 

まず機械VS人間という単純な二項対立、支配と被支配の関係の構図が示されて、

しかし機械も人間も一枚岩ではなかった。

 

戦時下であっても議会と現場で意見が合わないのは人間あるあるだが、

 

機械の世界のほうでも設計者(アーキテクト)というプログラム人格によるトップダウンのシステムは完璧では無く。

予言者(オラクル)のばーちゃんのように、完璧なシステムは完璧ゆえに脆弱だから、揺らぎや変化を内包すべきという独自の思想で動くプログラム人格や、

エージェントスミスのようにエラーを起こしても消去から逃れ、ウイルスのような致命的な能力を持つ異分子が出現したり。

 

人間も機械も、多数が集まって社会を形成してるとそこに見られる関係性の様相はあんま変わんねーなっつーか。

やっぱりそこは機械を産んだのが人間だから、親と子が似るように人とAIも基本が似てるのかもしれないし。

機械といえどもこの世界で存在を続けるとなると、他の生命体と同じになんらかの法則にのっとって展開せざるをえないのかもしれない。とおもった。

 

レボリューションで登場した少女のプログラム人格(サティ)が成長してネオを守ってくれてたというのもよかったな。

レボリューション単品で見てたらサティのくだりはあんま要らんとこだったんだけど、意味ある伏線回収になってたし、次世代が頼もしいのは後継作で大事な要素だ。

 

 

 

ところで今月、NHK100分de名著っていう番組でジョーゼフ・キャンベルを扱ってくれるのだが、

行きて帰りし物語」「英雄の帰還」というテーマを定義したのは神話に学問体系を導入したキャンベルの仕事でもある。

 

10年前のリローデッドでは、救世主と呼ばれていたネオは機械の世界へ行って融和をもたらして死に、人間の世界(ザイオン)に帰ってこない。

まあ、あっちの文化圏で救世主っていったらキリストで、キリストは十字架にかけられて死ぬところがクライマックスだから、そのオマージュではあるだろうけど。

 

キリストも墓地から復活したんだっていう後世の創作アフターストーリーがあるのは、

キャンベルのいうところの「英雄の帰還」という文脈を人々が必要としたからだろうね。

 

人間の世界と隣接するもう一つの世界、

それは超自然の世界だったり神々の世界だったり死後の世界だったり内面の世界だったり過去や未来の世界だったり剣と魔法の異世界だったり物語によって色々あるわけで、

マトリックスではそれが機械の世界なんだけど。

 

隣接する世界に行ったら、帰ってくるのがやっぱ王道でスタンダードな感じがするよなあと思った。

レザレクションズの前半まではそういう感触の展開だった。

 

最近の日本の物語、特に異世界転生や異世界転移のなろう系の文脈はマジで行きっぱなしで帰ってこない物語で、

もうそれを疑問にさえ思わないとこまできたからな・・・。

キャンベル先生が存命だったら、この類型をどう解釈したんだろうか。

 

いや、うーん、そうねえ。

 

行きて帰りし物語」か

「行きて帰らぬ物語」か。

 

帰ってくる物語、英雄の物語は、少年の通過儀礼の精神的な元型といえるかもしれない。

人は母から生まれ、10年かそこらの間は主に母性によって養育される。

反抗期や第二次成長期があって、肉体や性的な成熟がくると、

少年は母性の統べる世界である家庭から、父性の統べる世界である社会で生きるようになる。

その過渡期の、精神の成熟を辿るのが英雄譚のような物語だ。

母親や家庭の世界から離れて、一人で隣接する世界へ冒険へ赴く。

そこで怪物や魔王のような強大な敵対存在や父性の影的なものと戦って成長する。

そして成果を持ち帰り、冒険で得た仲間や伴侶とともに自分の王国を築く。

 

少年が父親になるための物語。

 

支配と庇護の表裏一体の世界で、庇護されていた少年が、支配する父性へと変容する物語。

それが「行きて帰りし物語」のエッセンスであるなら、

 

「行きて帰らぬ物語」は少女、女性の精神的な元型ってことはないかな~?

だって、女性は結婚したら婚家の一員になってそこを居場所に生きていくっていう行きて帰らぬ人生のパターンがあるじゃん?

 

 

マトリックスレザレクションズでは、

ネオはちょっと情けないいじられキャラ愛されキャラとして描かれてもいる。

それは役者キアヌの味でもあるけど。風呂で頭にアヒルを乗せてたり、トイレでズボンおろしてたり、飛ぶのに失敗したり、ちょいちょいクスッとさせてくるのだ。

で、後半に覚醒したトリニティがガンガンにかっこよーで美味しいところをもっていく。

 

自由と調和の象徴である空を飛ぶ力に目覚め、

ラスボスであったカウンセラーにキックをかまして、

マトリックスを変えていくという今後の方針を宣言するのはネオでなくトリニティだ。

女性に主導権がある展開であること、

これを昨今のジェンダーレス的な風潮に迎合したと見てもいいかもしれないが。

 

だがそもそも、トリニティの宣言はマトリックス初代が示したテーマにそぐわないのでは、と自分は感じた。

 

マトリックスというのは、人間の共同幻想の世界、そのメタファだ。

家庭というマトリックス、社会というマトリックス、金というマトリックス、宗教というマトリックス、価値、ジェンダー、善悪、罪、時間、彼我、

人間は自らが生みだした何重ものマトリックスに囚われ、そこにあるがままの世界との繋がりを失っている。リアルと乖離した妄想の中で、精神の檻の中で生きている。

 

そのマトリックスから覚醒するという初代のテーマを完遂するなら、

機械の見せる夢から覚め、ザイオンという人間の共同体が生むマトリックスからも覚めていくべきだった。

スノーボールアースになってしまった地球という世界と向き合い、どう生きるかを模索していくべきだったと思う。

その方向性も一応示されていた。

アイオという新しい共同体では、人間だけでなく機械知性と共同で滅んだ植物を再生することを試みていたからな。バイオスカイとかいって空を再現するとか、外界を意識しはじめている。

人と機械がどうにか協調しながら、地球にコミットしていく。

幾重にも連なる殻を破るたびに0へ至り、認識の次元を上げていく方へ展開することもできた。

 

日光を利用できなくなった地球で一見すべての動植物は死に絶え、

地上は機械、地下に人間が住んでいるという話だが、

例えば海底には地熱や湧出するガスを利用して生きる生命群がいるだろうし?

雷雲を晴らす方法を模索するとか、雲の上の日光を利用できる立地を探すか作るかとか。

寒冷地に適応する動植物を生みだすとか。

機械VS人間のクソほど不毛な争いが終わって、両種族の共同歩調が見込めるなら色々できることがあるはずなのだ。

 

トリニティが示した方向性、

マトリックスという夢に戻って無双するというのはちょっと・・・。

孵化したヒヨコは卵には戻るべきでないし、

サナギから蝶へと羽化したなら、幼虫達の世界でドヤるべきでない、とでもいうのか。

 

マトリックスから覚めたくない羊のような愚民(Sheepleシープル)を啓蒙するというのも、まあ、そういう人がいてもいいのかもしれんけども・・・。

多分それはバッドエンドになる命題設定な気がするのだ。

 

かもめのジョナサン」で有名なリチャード・バックの傑作「イリュージョン」ではそのルートが思考実験されている。

まるきりネオのような能力に覚醒し、空を飛び、病も飢えも癒し、物質世界の手順を越えて思い描くだけであらゆることを可能にする救世主がいて。

彼は見込みのある若者に救世主になれる心の在り様のレッスンをはじめるのだが。

その要諦は自分で自分の殻を破って自由な認識に目覚めていくことにあるのに、

ちょっと力を使うと、いつでもどこにでもいる羊のような人々(Sheepleシープル)たちが他力本願に「お助け下さいお救い下さい」と群がってきて縋ってきてしまう。

「誰だってこれが出来ることに気がついてほしい、レッスンならするから」というスタンスの救世主は、寄りかかりたいばっかりで自助努力の発想の無いSheepleがキリなく押し寄せるのにイヤになってしまって去る。

みたいな話だ。

 

トリニティはね、そりゃネオよりは面倒見がいいキャラだとは思う。

子育てもしてたし、キャリー・アン・モスの2種体癖は目下に優しい。名前も父と子と精霊との三位一体を意味する。仲間と思う人々と共に歩みたいという気質ではありそうだ。

 

ネオは、ザイオンの人々に救世主かと問われると、いつも「さあ・・・わからないけど」という曖昧なリアクションをする。

「っしゃ!俺が救世してやっから皆ついてきな!」みたいなムーブは一度もしたことがない。

それはネオ、キアヌの1種体癖らしい態度だ。

自主自律孤高、ソロ活最高っていう気質なんだよな。群れの序列を厭う。

親分子分みたいな関係性に馴染まない。他人に頼り頼られることに快が無い。

ただ、ノウハウを言語化してカリキュラムを組むとか教師のようなことは得意だ。

だから多分、人々がネオを「我々を救ってほしい」という期待の目で見ると彼はメンドクセー知らねーしと感じてのらりくらりと引いてしまうのだが、

人々が自ら成長したいという自主性をもって「空を飛ぶってどうやるんだ?俺もやりたい」とか「マトリックスから覚醒するコツを教えてくれよ」というのなら、活き活きペラペラと話し始めた可能性があるw

 

マトリックス初代でも最後のセリフはこうだったではないか。

 

 

そこは、規則も支配も、境界線もない世界だ。
a world without rules and controls, without borders or boundaries.

そこではすべてが可能だ。
A world where anything is possible.

これから先はお前たち次第だ。
Where we go from there is a choice I leave to you.

 

これから先はお前たち次第だ、と。

 

手本は見せたから、後は自分でやってみなと言うのだ。

 

そこには「お前たちにならきっと出来る」という信頼も込められているわけで。

 

やっぱそうだよな。

 

マトリックス(夢)は変えるものではなく、覚めるべきものなのだと思う。

 

 

 

トリニティの宣言「マトリックスを変える」というのは、

再び夢の世界で無双して、Sheepleの皆さんの目が覚めるまで何度でもパフォーマンスしてあげますよなんてのは、初代のテーマとはそぐわない世話焼きな態度だし、

冒険に赴いた異世界で役割をみつけて居着いてしまう「行きて帰らぬ物語」の類型になる。

それは女性であるトリニティが主役の位置についたことで導かれた展開であり、

今の時代の感性に沿う優しさの展開でもあるだろう。

 

いやそうするとどうなるのかなあ~。

まあ、確かにSheepleが目覚めたがらないのは何も愚かさ幼さや傷ついた心のためだけではなく、

「お前は無力で無能なのだから、指導者のやることに従っていればいいのだ」的な抑圧のメッセージを支配者サイドが発信して洗脳しているせいでもあるし、

酒やクスリやパチやガチャで脳を安易な刺激の中毒にしたり、

粗悪な飲食物や科学物質を蔓延させることで身体機能を低下させたり、

そういう何重ものトラップを日常に潜ませているせいでもある。

 

そういうものを排除していくだけで自然に覚醒する人もいるだろうな。

人間は健康であればそれだけで心身ともに成長を指向するのが本来なんだから。

 

トリニティも間違ってはいないのかな・・・。

そうかもな。

きっと監督のウォシャウスキー姉妹はマトリックス初代をリリースしたとき、

きっとこのメッセージを受け取って多くの人が覚醒し、世界は劇的に変わると思ったんじゃないだろうか。

しかし公開されてから25年経って、アメリカや世界情勢がより良くなったかってーと・・・、いや・・・、うん・・・。

もっと手厚いケアが要るということか。

それもわかる。

 

わかるけど、

 

 

やっぱ自分は初代が至高派かな~。

手取り足取りイチから十まで教えてもらうより、

「君にはできる」と信じて委ねてほしい派だから。

誰もが、まず自分自身の世界を救える救世主だと識っているから。

 

 

 

4部作完走したけど、やっぱ1で完成してたっていう。

ま、映画あるあるだよね~・・・。

 

全作とおしてスタイリッシュな映像は良かったし、観て後悔したってほどではないけど。

 

っていうか、初代以降のモーフィアスが全然いいとこ無いのがな~。

ネオを信頼して導く素晴らしいメンターであり名言メーカーであり、スゲー良かったのに。

ネオが目覚めた以降のリローデッドとレボリューションズでは民衆を煽るアジテーターだったし。

熱弁で他者を煽るのも6種体癖らしさであるけど、それ自分が一番キライなやつ~。

まあサングラス黒コートに日本刀アクションは中二心に刺さったけど~。

 

レザレクションズのモーフィアスはローレンスフィッシュバーンじゃなかったしな。

あれは何?ネオが作ったプログラムがモーフィアスと名乗ってるだけで別人ってことなのか。

制作側もこれ以上フィッシュバーンのモーフィアスにさせるべきことが無いと思ったのかね・・・、まぁ、それはそう。

 

あと、

いつか黒猫を飼ったらデジャヴっていう名前をつけたいなと思いました。 ٩( ''ω'' )و

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キャンベルの著作はどれもオススメ。

だが訳がカタくて読みにくいこともあるので、

そういう時は!まずYouTubeでキャンベル先生が話している動画を見て!

この品の良い老紳士の喋りのフィーリングをつかむ!

キャンベル先生の言葉選びやお人柄を脳内再生できるようになってから本を読むと!

内容が脳に染み入ってくるようになるんじゃないかと!٩( ''ω'' )و同担歓迎!


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