ものがたりを解釈する

アニメ、漫画、小説、神話、あらゆるものが語りかけてくること。最も深遠な、でも誰にでも開かれている秘密に、解釈というメソッドで触れていく。

君たちはどう生きるか ~善き魔法使いへの道

金曜ロードショーで地上波初公開の「君たちはどう生きるか

 

劇場にも行ったしDVD周回もして、これはどう観たらいいのかな~

とずっと考えていたのでぼちぼち書く。

 

まあ、別になんも考えんとおもしれーっつって一体感で見れればそれが最高なのだが。

なんか意味が無いと耐えられないというのも大人の大人たる退屈さというものですわ。

 

 

 

 

 

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これまでの記事で、

「失われたものたちの本」とかから物語の骨格が引用されてたり、

不思議の国のアリスや白雪姫、黄泉とイザナミなどのモチーフがでてくるってことは書いたのだが、

 

じゃあ、それら大量のオマージュをぶちこんで

結局のとこ宮崎駿は何が言いたかったのかな、っていうといまいちピンときてなくて。

 

 

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やっぱ、これまで父権魔女の弟子の系譜を考察してきたほうから紐解いていくと、

ひとつ納得できる流れがある気がしてきた。

 

 

父権、というとまあ。

千尋の父や、眞人の父勝一のような人のことだ。

妻と子をもち、経済力や押しの強さやリーダーシップがあって、現実面での強さをもつ。

反面で人の気持ちや色んな機微に鈍感だったり無神経だったりする。

タロットでいうと皇帝。

 

少年が試練を越えて目指していく先のひとつのステレオタイプ

いい学校出て、いい会社に入って、あるいは起業して、いっぱい給料もらって、

家買って車買って、嫁と子どもを食わしていく。社員を率いていく。社会的地位を得る。

一国一城の主となる。

そんな感じの、いわゆる社会通念でいうところの強者男性の人生をイメージしとけばいい。

 

で、

宮崎駿はずっとそれに反発した主人公、そうなりたくない主人公たちを描いてきたともいえる。

 

それが暫定、魔女の弟子の系譜というわけだ。

空飛ぶ夢を追いかける男の子たち。

ざっと説明すると、

 

アスベルはナウシカメーヴェに乗せてもらって飛ぶ

パズーは赤い鳥型の飛行機に乗るが、飛行石をもったシータが一緒だ。

カンタも飛行機模型を作っている。

トンボの人力自転車飛行機はデッキブラシで飛ぶキキに吊ってもらっている。

ポルコの赤い飛行艇を修理したのはフィオだ。

 

飛ぶ、という魔法は女性のものであり、

少年達は彼女たちからすこしずつ、飛ぶことを通して魔法を得ていく。

 

もののけ姫では飛行を封じて足掻き抜き、

 

すると千と千尋では竜の少年ハクが登場して、竜の不思議な力、魔法の力で空を飛ぶ。

飛行機械に頼らない飛行を実現する。

 

ハクも魔女の弟子で、ハウルも魔女の弟子だ。

 

ハウルも鳥に変身して空を飛ぶ。

 

崖の下のポニョでは、フジモトがそのポジションにいる。

赤毛で道化の恰好をした彼は海の農場を管理し、すでに魔女の弟子ではなく、

一人前の魔法使いのようにみえる。

が、実力は十分ついたろうに、やってることが闇堕ちしている。

魔力を蓄えた井戸を使って世界を転覆させようというのだから。

 

この闇堕ちメンタル路線を継いでるのが、

君たちはどう生きるかの大伯父様だ。

 

大伯父様は、

隕石、空から来た力のある石、と交信し行使できた。

まあいうたら、飛行石を使って一大文明を築いたラピュタ王とおんなじくらいのレベルにある魔法使いかと思われる。

ラピュタ王は多分女系で継承された女王だったんだろうが、

ラピュタは現実で石の魔法を行使し、王国を築いて多くの民を養ったと思われるところ、

大伯父様のしたことといえば、

ひとりで塔に閉じこもっていくつもの仮想世界をシミュレートし、完璧な善なるものを創造しよう、という、

なんとも不健康な発想というか、引き篭もりゲームクリエイターみたいな、

生産的でも社会的でもないことに、

莫大な魔法の石の力を注ぎこんでいた、とも言えるわけだ。

 

まあ、ラピュタをみても石の力というものは神話級大破壊も余裕の危険なものと思われるので、

大伯父さまの所業はリソースの無駄遣いではあっても悪用でなかったという点は評価してもいい。

 

また、ひたすら己の理想を追求したという点では、征服のムスカや復讐のフジモトよりはマシな心理状態になってきている。

他害他責をやめて、己の内面に向き合っているとこまできてるというなら、それはそう。

生産的でも社会的でもないが、芸術的ではあるというなら、それはそう。

 

 

 

とはいえ、なんだ。

つまり宮崎駿の作品には、まだ「善い魔法使い」というものが形を成していない、ということに気がついたというか。

 

そもそもでいうと、

魔女、魔法使いっていうのは歴史上、

キリスト教の布教の過程でまつろわぬものとして悪のレッテルを貼られてきただけで、

本来は土着のメディシンマン、シャーマン、巫覡、僧侶、イタコやユタみたいな民間霊能者、そんな人達のことだ。

 

薬草やまじないで村人の病や悩みにつきあい、ハレの日や葬祭をとりしきる智慧を継承し、村の外縁に住まい、

森と里、あの世とこの世を仲立ちする役を担う人種。

 

それが本来の魔女。

 

となると、宮崎駿作品のなかで最も「善き魔女」をしているのはキキの母かな~。

コキリさん。

郊外っぽい緑に覆われた屋敷に住んで、

地元の人々と適度な交流をもち、

魔女の知恵や薬を処方している。

ああいうのが元型に近い魔女の在り方かと思う。

 

この素晴らしい生き方暮らし方を女性に属すものとして描くのは初期からできるのに、

それを少年像に与えようとすると一生かかったっていうね・・・。

 

 

 

男性の魔法使い、ハクやハウルやフジモトや大伯父様、

そして眞人が歩いていく道もいつかそういうところに繋がっていくのではないか。

 

 

君たちはどう生きるか」では、

 

父権として、いわゆる常識でいうところの強者男性である勝一と

 

巫覡として、目に見えぬ世界に関わるものとしての大伯父様と

 

少年が将来歩んで行くであろう2つの姿を提示するが、

 

父勝一は無神経さが目立ち、彼の感性は事態に対して無力であり。

大伯父様の箱庭世界は、歪みを他におしつけることでしか成立しない脆弱なものであると眞人とインコ大王によって否決される。

 

どう生きるべきかと問うたとき、

どちらの道も誤りである、と言いたいように思えるのだ。

 

 

大伯父様の隕石は巨大過ぎて、御そうとすると人の自由な意思や感情とスケールが合わない。

人ひとりの身に過ぎた力、というやつだ。

 

ポケットに入る、ひとかけの石。

「触らないほうがいい」と言われたのに、しれっとくすねてきた石。

 

ラピュタを浮かせた巨大な石でなく、シータの首にかかっていた小さな石。

 

まずそのくらいの石に宿る魔法の力をうま~く使えるようになるところから始めると、丁度いいのかもしれない。

 

勝一のように夢を忘れた大人になるのでもなく。

大伯父のように世を捨てて夢を追うでもなく、

第三の道、正解の道も魔女によってすでに示されている。

ラストで眞人はドアを開けて、家族と社会とに関わっていく生き方を選んだようにもみえる。

 

人の環のなかでささやかな魔法を使い、

人と自然、彼岸と此岸、ふたつの世界をとりもっていく。

 

「善き魔法使い」への道は開かれた

 

と、そういう解釈でどうか。

 

 

またなんか思いついたら書くけど、今回はそんなとこで ٩( ''ω'' )و

 

 

 

 

 

 

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