ものがたりを解釈する

アニメ、漫画、小説、神話、あらゆるものが語りかけてくること。最も深遠な、でも誰にでも開かれている秘密に、解釈というメソッドで触れていく。

蛙化現象と愛着障害について

年末のM1から、ドンデコルデの渡辺銀次の動画見ちゃうわ~。

彼は40歳になって晴れ舞台となったわけだが、

若手の時は売れなくて「国も認める低所得」というのは実体験だった。

同期芸人が有名になっていくなか、どれほどの焦燥に苛まれたか想像するだに心臓がキュッとなるが、

そこで腐らずにチャーハン作りやけん玉に打ち込んで創造的研鑽でメンタルを維持したのはマジのガチに人間ができている。

あと、「国も認める低所得!」で笑ってしまったのは、

上質なスーツをきちんと着て「ごきげんよう」などと気取った挨拶をする上品上流っぽいキャラからそんな言葉がでてきたギャップもあったのだが、

そのシャツに手ずからアイロンをかけているとか、台所周りが整頓されてて常にきれいとか、金がなくて居候生活してても荒まず、心の余裕を感じる丁寧に暮らしてるというか、なんというか。

銀次、推せるわ~。

高齢独身低所得男性が増加する今の日本に必要なライフスタイルでメンタルモデルって感じ。

これから売れていって、国も認める高額納税者になってもこの暮らしで培った心の豊かさを忘れないでいてほしいものだ。

 


www.youtube.com

 

さて、

40歳のおじさんが漫才衣装のワイシャツをアイロンがけして蛙化を語る【ドンデコルデ】

という動画で、

 

蛙化現象🐸 という用語がでてくるのだが。

 

蛙化現象 - Wikipedia

 

付き合いはじめのデートで男性が財布を出したらとか、

男性がデートにリュックを背負ってきたらとか、

フードコートでキョロキョロしてたらとか、

「そんなことで??」という些細なことで幻滅したとか百年の恋も冷めたという話がバズってる、

という話題で色々話していて、

 

そもそも蛙化現象というのは割と最近、2020年あたりから人口に膾炙しはじめた新しい概念で、学術的定義とかはないスラングかネットミームに近い言葉だ。

 

ひとつ思い出すのは、蛙化という概念を生むまでには至らなかったが、

幻滅エピソードがあるあるわかるでバズる下地、前日譚となったであろういにしえのネタ、

2009年に2ちゃんねるで立ったスレ「私女だけど彼氏の財布がマジックテープ式だった 死にたい。。」

というやつ。ミーム化して散々擦られたからな~。

 

ドレスコードのあるような瀟洒なレストランでのデートで、中学生が使うようなバリバリ財布を出されて冷めた・・・、みたいなネタスレだ。

まあ、TPOを弁えない人の隣で恥ずかしい思いをしたことの一度や二度は誰にもあるだろう。この頃の話はまだ普通に共感できるものが多かったのだが、

レジで財布を出したらアウトとかまでいくと、男性のスマートさへの要求が高過ぎるよなぁ。

わいわいしてる間にそっと会計を済ませてくれる大人って、もうだいぶ世慣れた上司か親戚の最長老かその奥さんとかじゃないか・・・?適齢期同年代に求めることではなかろ。

 

ともあれこのような幻滅や冷め話に共感するエピソードはSNSにあふれているので、

そういった心理には興味がある、というかよく分かる気がするのでちょっと書いてみようかと思った。

 

蛙化、というのは心理学用語でよくある神話や民話からのネーミングで、

グリム童話では「かえるの王様」や「金の毬」 「鉄のハインリヒ」などタイトルはいくつかあるが、あらすじとしては、

 

 

王女様が金の毬で遊んでいて、池(あるいは井戸)にそれを落としてしまう。

池の蛙が「友達になって、同じ皿で食事をして、同じベッドで寝てくれるなら、毬をとってきてあげる」と持ちかける。

金の毬が惜しい王女様は蛙に毬をとってきてもらうが、キモイ蛙と友達になるのは生理的に無理なので逃げる。

しかしその夜の食卓に蛙は現れて、約束の履行を求める。

王様は王女に約束を守るよう命じ、

蛙は王女の皿から食事をし、王女のベッドにあがろうとする。

嫌悪から王女が蛙をたたきおとすと、

蛙は王子様に変身し、

王子と王女は結ばれてハッピリーエバーアフター。

 

というような物語だ。

 

フロイト心理学的(なんでも性的恐怖にこじつけがちという意味w)には、

処女が嫌悪するもの、寝台に侵入してくるグロテスクなブツ、というような象徴的符合で、

蛙はつまり男性のブツのメタファだという。

童話的王子様、いわゆる白馬の王子様というのは性欲の生々しさが無く、王女さまを救ってくれる偶像的英雄なわけだが、

現実の男性は妻になる相手に性的な欲望を向ける。

少女的潔癖はそれを拒む。

キラキラの王子さまは好きだが、股に隠した蛙は嫌い。

スパダリに救いだされることを夢見るが、性欲はNG。

という成長の段階が女性にはあって、

恋に恋するお年頃、とかそういう言い方でよく知られているところではあるだろう。

実際ある程度の肉体的成熟がないと性行為も出産も危険なので、それは順当な防衛本能ともいえる。

男のロリ嗜好に付き合ってたら幼女は命がいくつあっても足りん。

 

で、この童話では、

🐸→👦 蛙が王子様に変身してハピエンだが、

昨今の蛙化現象という言葉の意味においては

👦→🐸 王子様が蛙になってしまって冷める(バドエン)で

物語とは構図が反転してるわけではあるな。

 

またグリムが収集した民話の別パターンでは、

王女が蛙を退けることで蛙が王子に変身するのではなく、

王女が蛙にキスをすることで、悪い魔法が解けて蛙は王子に戻る、という異説も存在する。

 

男性の性欲(蛙でブツ)を拒否したら王子(男性のキラキラしたヒーローの側面)が現れる、という話よりは

男性の性欲も含めて存在を認める、その証のキスをすることで男性の善い面が現れる、というほうが、

まあ納得いく話のような気もするが、

 

ベッドから叩き出すという、性行為を拒否する意志を表示できたことで男性と対等な関係になれた。

だから王子のような善い面も見えてきた、というような解釈も可能かもしれない。

 

いや待てそもそも蛙の初対面で少女の宝物(金の毬)と引き換えに同衾を迫るよーな言動は控えめに言ってゴミクズ野郎であり、

醜いガマガエルに見えてくるほど生理的に無理キッショ、という気持ちになる方が自然か。

取引で女を手に入れようとしたゴミクズ蛙男は、壁に叩きつけられるくらいの拒否と制裁をくらって、更生した(マトモな男性=王子になった)という解釈もいけるか。

 

っぱグリムの時代から結婚は誠意や好意によって成立するほうがいいに決まっている。

 

神話や民話って色んな暗喩や解釈ができて楽しいねえ。

 

池あるいは井戸、金の毬、両生類である蛙、ハインリヒの鉄の枷、この物語はまだまだ色んな側面から掘れるのだが。

グリム童話考察⑭/かえるの王さまあるいは鉄のハインリヒがKHM1なワケを考察|HALBAUS

 

 

閑話休題

で、この蛙化現象。

 

グリムの物語から読み取れる、

身体的に出産の準備ができていない少女が男性の性欲を恐れる、というほどの心理なら学術的にも余裕で証明できそうだが、

 

現代のネットでの用法としては、

王子様👦が蛙🐸になるかのごとく、

「好意を持っていた相手が、好意を返してくれそうになると、途端に嫌悪感や拒否感をおぼえる」

という意味から更に、

「交際相手の些細な違和感にさえ過敏に幻滅する」くらいの意味に変化してきているわけで、

 

 

いっそケチをつけて関係を壊したい のだろうかとさえ思えてくる。

 

そうなってくると、もはや心理というより病理だが、

 

確かに、それは少女の成長過程で順当の心理ではなく

一部の人が抱える愛着障害による病理なのではないかと思う。

 

この蛙化現象というやつ、自分も何度かやらかした覚えがあるのだ。

当時はそんな言葉はなかったけど、今なら説明できそう。

 

異性に好意をもつことまではできるのだが、

好意を返されそうになると、

途端に拒否感が生じて、関係性から逃避してしまう。

 

この拒否感はなかなかに強烈で厄介で、

過呼吸・ぎっくり腰・知恵熱、などのメンタル由来の体調不良くらいは引き起こした。自分でもどうしようもなく無理無理カタツムリになってしまうのだ。

その際は不当な失恋をさせた方々にはほんと申し訳ないと思ってます・・・。

そのような不当な失恋を経験した皆様にも心よりお見舞い申しあげます・・・。

 

恋愛系なろう小説など読んでいても、

カップル成立した中盤以降で「自分はあの人に相応しくない」とか思い詰めて、

相手と話し合わずに一人で勝手にささーっと身を引いて隠れてしまうヒロイン(もしくは受け)というのはひとつの典型的なパターンなのだが、

人を好意をもつまではできても、相手からの好意や愛情を受け取るのに抵抗や拒否感があり、

相手との関係を壊したり逃避して、

悲しみと同時に「やはり自分は幸せになれなかった」と奇妙に安堵する。

この自罰的、自虐的な安心の形成はどこから来るのか、

 

っていうとやっぱり、人間関係の基盤は幼少期の母子関係にある場合がほとんどだ。

 

幼児期の子どもが母親からの関心や接触を得られない時、
母親ではなく、自分に問題があると思い込むことがある。


「自分には愛されるべき価値がない」
「自分は愛されるに相応しくない」という思考パターンを採用すれば、
自分に関心を向けない親を正当化し、
親との関係が満たされない状況があるべき形であるとして、
関心を得るための努力を諦め、現状を肯定することができるのだ。
心の痛みや寂しさを当然の罰として許容し、心理的調和を得ることができる。

 

マインドセットによって、状況を打開することなく解決するっていう。

 

現状を変える力をもたない幼児が生き延びるためのハックといえるかもね・・・。

 

子どもは親を無条件に愛し肯定する。親が自分を愛さないことさえ肯定しようとする。

それは子どもの生存戦略であり、

とくに無力な幼児にとって最大の環境要因である親を否定するのは、世界や神を否定するに等しいからな~。

間違っている世界、指針を理解できない世界では生きるのがあまりに困難。

正しい世界と間違った自分という構図で、己を矯正して適応していくほうがまだしも生きられる。

 

しかし、一方で「愛されたい、関心を向けられたい」という欲求が消えたわけでないので、欲求不満や寂しさはくすぶり続ける。

 

相手に好意をもって接近することまではできるが、
好意が返ってくると抵抗を感じて逃避するという蛙化現象はここに起点する。ような気がする。

 

だって、

もし異性に愛されて相思相愛で満たされてしまったら、

一方で「愛されるにふさわしくない」という嘘で肯定した幼少期の親との関係性、ひいては人格の土台が壊れることになるからな。

それが恐怖・不安・拒否・嫌悪、ネガティブな感情の出どころ、問題の根だ。

 

厄介なのは、

この愛着障害の形成が、母親と最も密な接触を必要とする乳幼児期のものであること、

0~3歳までくらいについた心の傷であることだ。

言語や思考が未熟なので問題の把握ができないし、幼児性健忘で記憶もほとんど無くなる。

自覚できないまま大人になって、自分がなぜ人を愛せないのかわからないまま、蛙化や自己肯定感の低さ、人間関係リセット癖などに悩まされることになるのだ。

 

しかしそういう人というのは多分そこそこの割合でいて、

いわゆる長子気質というか、後から生まれた弟妹に親からの関心やリソースを奪われる上の子にありがちな人格形成でもある。

親がマトモでも、キャパオーバー・病気・多忙・離別・貧困とかの諸事情によることもある。

 

人当たりも面倒見も悪くなく、人から頼まれたら断れず、しかし誰にも頼らず人からの好意を素直に受け取れない「かわいくない」性格・・・、

 

こちらは、金髪で母そっくりで華やかで可愛らしく気立てもよく人気者の妹(格差姉妹)がいて、

家業を背負う責任感が強くて、

カブ(みんなで力を合わせること)が大嫌いで、

誰にも相談せず家出を決行する長女気質代表、ソフィ・ハッターさんになります。

そうですね、だいたいこういう仕上がりになるのではないかと。

ソフィも、めんどくさメロい男の世話をやくのはいくらでも付き合いがいいんだけど、

ハウルに正面から「ソフィはきれいだよ」と言われると、娘から老婆に変じて「歳をとっていいことは…」などと会話がバグる。拒否する、逸らす、愛の言葉を受け取ることができない。

 

 

このように「愛する」の能動はまあまあいけて「愛される」の受容に問題があるやつなので、

蛙化現象はアプローチを受ける女性側に起こりがちだが、男性でも同じ心の問題を抱えることは全然ある。

 

あと、体癖でいうと1種とか9種とか、孤独耐性があるタイプほどこの問題を拗らせがちになる。なまじ独りでやっていけちゃうからね。

消化器型や呼吸器型など、人との関りがないとやっていけないタイプは愛着障害が抑制型じゃなくて距離無しとか共依存とかのほうを発症するのかもしれないし、

どこかの時点で恋情や性欲がマインドセットを上回って相思相愛へ進めるかもしれないし、

かと思えば産後ガルガル期とかで再発して夫との関係を壊したりとかもあるかもしれない。

 

恋愛系小説の身を引く系ヒロインはシークレットベビーというジャンルであることも多く、こっそり子供を産んでて、探しにきたヒーローを子の父親として受け容れる、というパターンもあるけど、

そういうとこ後日談としてサラッと流しがちだけど、かなり火種を抱えてるよなと思う。

 

心の問題は、根から解消しないと再発するからな~。

 

ソフィの場合は、母子関係の和解の場面がある。

母は一応泣いて謝ってくれた。しかも全面的に。

ソフィは母を許した。

 

それが理想的解決だけど、

 

まぁ、それは物語だからできることというか、心が必要としてることあらわれというか。

リアルの母親とそんなふうに対峙できるかっていうとなかなかではある。

 

かくいう自分の場合だと、母は存命だがそのような話をしようとすると自己弁護にスライドし、子が恩知らずであることを嘆く。

ですよね〜。٩( ᐛ )و

だいたい親も似たような愛着障害があったりするもので。

しゃーない切り替えてこ。

 

 

ではあらためて

どうしたら愛し愛されることを素直に受け入れられるようになるかというと、

 

王子様を蛙にしてしまわないためには、

実は自分にかかっている悪い魔法を解かなくてはならないってことだ。

 

愛着障害は幼児期のことゆえに自覚がないのがいっっちばん厄介なとこで、

逆に言うと自覚さえできてしまえば、ほぼ解消したも同然だ。

 

まず問題を親のせいでなく、自分のこととして引き受ける。

自分に嘘をついたのは、結局のところ自分だったと。

であれば、それを破棄することも誰の許可も要らない。

苦しみを終わらせたいと願う心ひとつあればいい。

 

いつものマインドフルネスで解消していける。

 

良質な栄養とって散歩して風呂に浸かって、電気を消して目を閉じる。

 

身もなく心もなく名もなくわざもなく

空よりも高く海よりも深く

星々より遠く魂の始まりより古く

神々を越え法の運行を越え

時間も空間も尽き果てて至るどこかで

いつかすべての苦しみが終わるところで

いつもあらゆるすべてを満たしている愛であり原質であるもののなかで

静かで安らかなそこでならこれまでのすべてを手放せる

 

「私は愛されない、それが当然」というマインドセットを解いて溶かす

「おかあさん、こっちをみて」と泣いている小さな自分を認め許し

母親も未熟な一人の人間だったことを認めて許す

自分を幸福から遠ざける思い込みを手放し

「愛はいつも必要とするだけここに満ちている」

「愛はいつも惜しみなく与えられている」

「私は愛にふさわしく、また愛とその交歓の体現であることができる」

という感覚に入れ替える。

なんでもできる。すばらしいものをうけとれる。愛して愛されることができる。

 

そういう気持ちになれたら、

目を開けて、新しく生まれた今日を始めるのだ。

 

 

 

 

 

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マインドセット、自分という機構が搭載している基本プログラムを積み換えるというのは、それだけで抵抗感を覚える人も多い。

例えば、現代はデジタルネイティブとそうでない世代が共存する時代だが、

パソコンをいじることを自然に覚えた人、

好きなゲームや課題や仕事に必要なソフトをダウンロードして使い勝手を比較して、なんかトラブっても慌てず騒がず対処法をググってアンスコして再起動、くらいのことができる人と、

スマホでさえ販売店員の勧めるままにクソゴミ月額課金アプリ入れて動作モッサリのまま使ってる情報弱者がいるわけだが。

 

ほんと、パソコンというのは脳や意識にそっくりだと思う。人間の知性を模倣して創られたものなのだと思う。

自分というシステムを動かしているマインドセットを変えられるかどうかは、

このパソコンまわりの仕組みを体感的に理解しているかどうかでも割と差がでてくるのではないか。

自分のマシンをカスタマイズする能力と責任の有無は、

そのまま自分の意識や心身をカスタマイズしていく感覚に繋がっている気がする。

 

 

 

 

 

まあなんだ。

禍福は糾える縄の如しというが、

心の痛みを抱えて生きたからこそ、

心理の迷宮に興味を持ち、

神話の力、物語の効用も必要としていたから使えた、といえないこともない。

 

でも、学びや成長に苦しみが必須かってーとそうではなく。

それもまたよくある間違ったマインドセットなんだよな。

苦難を乗り越えたとか、苦労した方が偉いみたいなさ。

 

 

どうか幸せになろうと決めるまで、困難を待たないで。

You can't wait until life isn't hard anymore before you decide to be happy.