前回の記事で長子が陥りがちな愛着障害について思いを巡らせていたら、
丁度そんなことが話題になってなんというシンクロニシティ٩( ''ω'' )وそんなかわいそうな話はいらんて・・・
『ナイトスクープ』放送内容が物議…「6人兄妹の長男をやるのに疲れた」依頼で“ヤングケアラー”と視聴者が指摘、せいやも「お前はまだ小学生や!」 | Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]
Tverの見逃し配信でまだ見られる。
6人兄妹の長男12歳を家事と育児から解放するためせいや探偵が意気込むも、早々にクタクタボロボロに!?【特命局長:ハライチ澤部】
これは短いながらもなかなかの映像ですね・・・。
せいや探偵の子育て経験しっかりありそうな安定感も良かったし、
まだ12歳の長男を子どもにしておいてやりたい思いやりも泣けた。
スタジオの芸人達のリアクションもそう。ヤングケアラーの問題提起になっていた。
12歳にして大人であることを求められ弟妹の面倒をフル稼働で見ているくらのすけ君は、
大人になってから高確率で愛着障害やなんかのメンタル不調を発症するだろうね・・・。今からでもカウンセラーに繋げといてあげてほしい・・・。
母親のインスタも掘り起こされて炎上している。
計画的に長子のみを家事要員として教育したと臆面もなく発信しているし、
関連でSNSやスレも伸びていて、興味深い意見が色々あった。
・長男はよ逃げて ・児相はよ来て
・家は新築っぽいし裕福ならハウスキーパーを雇う選択肢はないのか(母親のエステ経営はマルチの養分ぽいので実際は困窮してそう)
・弟妹が兄の訴えを「自分だけ大変みたいに」と否定するのえぐい
・家族をチームというなら親が弟妹にも家事を割り振れ
・公平に分担するより責任感の強い人に丸投げする方が楽
・一人を犠牲にして集団は結束を強めるいじめでよくみるパワーゲーム
・長男このままだと稼ぐようになっても搾取子になりそう
・母親が経営者で稼ぎ頭なら、父親はもっと家庭で主夫をやるべき
・家族写真をみると長男の目が死んでて笑顔がなくて大人のような顔つきなのに、父親はヘラヘラして子どもみたい
・後進国ではこのように家族一丸となって生活していくのは当たり前、日本も最早先進国ではない
みたいな書き込みがあって、
ちょっと話が逸れるかもしれないが、
家族や子どもがどうあるべきかという価値観の変遷というのは念頭においとく必要があるなと思った。
ヤングケアラー、という語が広まりはじめたのはごく最近のことだいたい2020年あたりからと思うが、
そうやって問題提起がなされてから見ると、
「となりのトトロ」なんかでも、姉のサツキはたいがいヤングケアラーをやってるんだよな。
母親が入院してて、小さな妹がいて、
お父さんは穏やかな人で子どもの目線におりて話をすることもできるし、
一緒に洗濯などする場面もあるが、
父「すまん寝過ごした」
サツキ「お父さん、今日から私お弁当よ!」
父「しまった、すっかり忘れてた」
サツキ「大丈夫、みんなのもつくるね!」
で朝食と弁当をつくってるっていう・・・、しっかりし過ぎているのだ。
サツキは12歳で母親の役割をこなそうと無理をしている。子どもでいることを抑圧している。
隣のばあちゃんに「お母さん死んじゃったらどうしようウワーン」で泣けた場面は、
そのストレスをいくらか吐露できたわけだが、
妹のメイは泣く姉を見て、目を丸くしている。
メイはそれまで母のように姉を慕い甘えていたから、姉もまだ子どもであることに気がついて驚いたとも見える。
そして私が母の病気を治さねば!となるわけだが。
で、母いわく「あの子たち、見かけよりずっとムリしてきたと思うの。サツキなんか聞き分けがいいからなおのことかわいそう」っていう。
トトロ公開当時(1988年、舞台は昭和30年代)は、
よくいる「しっかり者で感心な長女」という認識でしかなかったサツキだが。
そのキャラクターの造詣のリアルさ確かさは今でもまったく色褪せない。

サツキも、もしあのまま母の不在が続いたらソフィ(18歳)のように、
「私、きれいでもないし掃除(家事)くらいしかできないけど・・・」みたいな、
自己肯定感や愛を受け取ることに問題があらわれる時期がきたんだろう。
というか、「しっかり者の長女=母性の不在でしっかりせざるを得なかった子」
というキャラの延長線上にサツキとソフィがいるんだな。宮崎駿アニメではよくあることだ。
ヤングケアラーは現代では問題だし、実際に心を病む子が相当数いるのでそれはその通りなのだが、
一昔前は、そんな家庭環境は当然でもあった。
両親も祖父母もみんな野良仕事へ行き、上の娘の背中に赤んぼをくくりつけて子守りをさせておくのは農村の日常の風景だった。
子どもも当たり前に働き手であり、
「五木の子守唄」とか子守り奉公に出される娘の悲しい子守歌とかからも当時をうかがうことができる。
おどまいやいや泣く子の守りにゃ泣くといわれて憎まれる♪
ねんねした子のかわいさむぞさ起きて泣く子の面憎さ♪

「おしん」は末っ子だけど口減らしに子守り奉公に出された。明治の農村でよくみられた暮らし。

あとそうだな。
「鬼滅の刃」では炭治郎の「長男だから我慢できた!」というのがあったが、
大正時代、山奥で炭焼きしてる一家族だけの暮らしで、
祖父母なし、父病死、母健康、6人兄弟で、
長男の炭治郎は13歳で家長となり家業を支え、その責任感が人格形成にかなり影響している。
13歳はさすがに大正時代でも成人とはいえず、それで家長はかなり無理がありそうだが、時代背景と家族観からするとそういうこともあったろうか。
ただ炭治郎の幼少期には父はもちろん祖母もいた描写があり、
竈門家の人々はみんなグウの音もでないほど善良で、それぞれ仕事をわけあって互いに労りあってたから、
炭治郎のメンタルは大丈夫かもしれん。
っていうか一話で一家惨殺になっちゃってそれどころではないわけだが。
そのように時代を遡るほど、
子どもは労働力で子守りで家事要員で、じゃあ当時だって心を病んでた人は多かったろう。
まあ長子を尊い犠牲にしても弟妹が複数いれば帳尻は+ってか?
いや違うな、長男は跡継ぎ用、器量の良い娘は嫁入り用としても、
三男四男になると継がせるものも無く、徴兵か都会に出ていければまだ良くておじろくおばさのようにただただ労働に従事させられることもあったとか。
いやいやいや、絶対おかしい。
それが本当に人の在るべき形なら病むのはおかしい。
病む、というのは不調和と不自然を知らせる無意識からのサインなのだから。
だから、
もっとそもそも。
長男長女じゃなくて、母さんが、母さんだけで足りなければ婆ちゃんがいてくれればなんとかなるっていう生存戦略でやってきたはずなんだよ人類は。
たいていの動物のメスは生涯出産可能なのに、人類女性は閉経後の人生も長いけど、それはどう有利なのかっていう話だが。
もっと何万年と昔の人類の成立時まで遡れば、
人類というのは、直立二足歩行を獲得したことにより大幅に生存圏を拡大した。
平原を燃費良くテクテク歩いて食べ物を探しに行き、自由に使える両手に抱えて巣に持って帰って家族で分けて食べた。
しかし、四足歩行から姿勢を直立させたことによって骨盤と産道は狭く変化し、ひどく難産な動物になってしまった。
しかも手を使うことで頭が良くなって脳が大きくなって、それも余計に狭い産道をくぐるのに不利になって、
だから人類は胎児をとても未熟な状態で産んで、乳幼児期はがっつり母親が抱っこという想定で、母胎の外で脳と身体を完成させる、というシステムを採用したのだ。
生理的早産 という。
原人に生理的早産はあったか?―ホモ・フロレシエンシスの頭骨化石からの示唆 | CiNii Research
ヒト(Homo sapiens)はその脳サイズから予測されるよりも11ヶ月早く、未熟な状態の赤ん坊を産む。この現象は生理的早産と呼ばれ、ヒトの新生児が出生後しばらく未熟な状態で胎生期の脳発育スピードを維持し、大きな脳を成長させる現象(二次的晩成)と関連している。つまり生理的早産は、ヒトにおける脳進化と直接関連するライフヒストリー上の重要なイベントである。ヒトは直立二足歩行をするため骨盤幅と産道が狭いが、一方で脳を大きく成長させる強い淘汰圧を受けたために、生理的早産および二次的晩成が進化したと考えられている。つまり胎児の脳が大きくなりすぎて産道の通過が不可能になる前に、未熟な状態の赤ん坊を分娩するのである
だからこそ、
乳幼児期っていうのは、母子関係が密接でそれこそ母胎の内と同じくらい安心安全で過ごせることが望ましく、
そしてあまりに難産な母体とあまりに未熟な乳幼児をなんとかフォローするためにはどうしても協力者が必要で、
そこで気心知れた母と娘、かーちゃんとばーちゃんで子育てしようねっていうのが人間集団の基本スタイルで、人類の本来の生存戦略なのだ。
狩猟採集生活をしている段階の人類集団では、世界のどこでもそのスタイルで通用した。
日本列島でも縄文時代はそれで一万年以上続いた持続可能社会だった。
しかし、農業がそれを変えた。
まあ、動画見ればわかるんだけど要るとこだけざっと引用すると、
人類集団が狩猟採集から農業に移行すると、
まず労働時間が爆増する。平均3~5時間が8時間労働になり女も駆り出される。
だから子育てしてくれるべきかーちゃんもばーちゃんも野良仕事に出てしまって、
子どもの背中に乳幼児をくくりつけるということが起きる。
で、
狩猟採集民は食糧事情によって移動することがあるから、
自力で歩けない子どもの数を増やさないという事情で出産は5年おきとかにセーブする傾向なんだけど、
定住生活だともっと子どもの数を増やしてもいけることになってしまう。
実際農耕民のほうが平均の子ども数が多くて、一、二年おきでも産む。
農業には人手が要るから、とにかく働き手を増やしたほうが有利という事情もあるだろうな。
で、上の子の愛着形成が完成しないうちに下の子ができて母親のリソースをくっちゃうと。
きょうだいは4人くらいにしといたほうが、それぞれがちゃんと育つという研究もある。
大家族で子どもが多いと認知発達に悪影響が出ることが30年来のデータから明らかに - GIGAZINE
農業は人類を繁栄させ発展させたが、一方で人を不幸にした。
と、この動画は結んでいるが、
紐解いてみると、
ヤングケアラーというのもその不幸の形のひとつなんだろう。
農耕生活は早すぎる母子の分離をもたらした。
それは脳機能の形成不全、愛着障害の温床になるわけだが、
大衆の生活基盤が農業からサラリー生活に移行していった後も、
一億総中流時代、専業主婦が子育てに注力できた時期はまだ良かったかもしれないが、
女性の社会進出によってまた同じ問題が増えてるかもしれんね。
少子高齢化と人口減少で政府は税収が欲しかろうが、子育てのコストを削ると人間が劣化するって話。愚民化やめてもろて。
やっぱ人間も動物で、何万年もそれでやってきた生態ってものがあるからさ。
それに沿った家族構成が社会のスタンダードでないとうまくいかないだろうなと。
いや、仮説もあるし、
1種体癖得意の説得力だけあるホラ話かもしれんけどw
だとしても、
12歳長男君やサツキをはじめ、ヤングケアラーや愛着障害のみんなに伝えたい。
あなたたちは悪くないと。
あなたたちの親も悪くないと。
現代人全員がうっすら抱えるこの言いようのない苦しみ、病み、生きにくさは
人類レベルで今ちょっと生存戦略をミスってるせいなんじゃないかと。
人類はこれからどうしたらいいのか、
となると壮大な話かもしれないが、
ひとまず、ここまでの文章についてこれた人に関しては、
その知性は自分を救うに充分なまで発達した能力であると言わせていただく。
まずは自分を救うこと
それだけはいつでもできる。心ひとつだ。
ハウルの動く城でも、
ソフィは自分の心を自分で救う。
病む心、機能が未発達な脳があったとしても、
生きて救いを望むなら、
心はその機会を手繰り寄せ、世界はそのために必要な試練を与えてくれる。
なにが起きていたのか順に見ていくと、
彼女は契機を得て、
本当にやりたいのかわからない父から継いだ仕事と、汽車がガタゴト煩く煙たくて寛げない都会の家と、享楽的な母と、母似で華やかな妹から、離れる。
(問題から離れる)
誰もいない美しい湖畔に椅子をおいて軽食とお茶をして、夕暮れまでのんびりして
「不思議ね…こんな安らかな気持ちはじめて」
という言葉がでてくるまで、自然のなかに身を委ねて深くリラックスする。
(自然と同調して回復する)
「私は美しかったことなんて一度もない!」と自分の苦しみを認めて子どものように大泣きする。
(心の痛みを自覚)
ハウルに「ソフィはきれいだよ」と想いを伝えられるが、それを受け取ることができない。
が、愛を受け取ることができない、という心の問題が発覚する。
恋が、誰かを愛し愛されたいという強い想いが彼女の変化の動機になる。
また契機がくる。
母が訪ねてきて一応 詫びてくれる。
ソフィが母を許す。
(不要なマインドセットを手放す)
心の迷宮を最下層まで降り、
黒い穴の底を抜いて、
生まれ変わって帰ってくる。
(再生)
それで、ハッピーエンドに辿り着くことができる。
誰の心も、おおむねこのような手順に沿ってイニシエーションを越えていき、
ひとつの完全な心、愛と調和した心へ至ることができる。
ハウルの動く城だけじゃなくて、
アナ雪2でもほとんど同じ癒しのプロセスを見ることができる。
物語に託された心の様相の普遍性を確認できる。
なんか抽象的な話にならざるを得ないが、
心の問題は心で解決するしかないからしゃーないってことで。
科学とか、モノで短絡的に解決しようとすると酒とか薬とかで、脳の幸福回路をバグらせることしかできないからな。今はまだ。
かなえ先生的には親にも支援いるレベル。
父親は学習性無気力、母親は自分の子ども時代の復讐を実子にしているのかもと。
愛着障害がそっち方向にでることもあるね・・・。
追記。もっとホラ話なのでスピが苦手な人はスルーしてね。
農業始めて、
農耕民族が世界を席巻して、
めざましい繁栄と発展をほしいままにする一方で
土地の所有、領土争いからの戦争、階級化と富の偏在、疫病、
当然の帰結として、もろもろの悲劇と苦しみをも生じさせ、
戦争や環境破壊からの自滅も視野に入ってきた人類だが。
ここから種としての存続ルートがあるのか?
っていうと多分、
「恐れればそれは実現化する」
「委ねれば道が見える」
というような感触だな。まぁそりゃそうか。
実は人口減少っていうのは自然な成り行きなんだと思う。
終戦後や移民や難民がめっちゃ子ども産んで殖えるのは、
このままだと絶滅しそうなストレスからとにかく生き残るために集団の母数を増やそうっていう本能で、
環境が安定したら、適正数まで落ち着こうとするのもまた本能なんじゃないか。
漫画版ナウシカでもそういうのあったわ。
人造種の粘菌を、腐海の既存の菌群に投入すると、
ひどく怯えていた粘菌ははじめはすごい勢いで増えて周囲を食いつくすけど、
そのうち食べたり食べあったりして生態系として落ちつくって。
外来種とかもそういうムーブをすることがある。
セイタカアワダチソウとかも旺盛な繁殖力で在来種を駆逐するんだけど、
ある一定で自壊性が働いて衰退するっていう。
世界中で農耕民族が領土争いをしている状況で、いきなり日本だけ武装解除はできないが、
どこの国も文明が一定に達すると少子高齢化に転じるわけで。
ワーママとか移民政策とか人類削減計画とか、理性で世界をコントロールしようとするんじゃなくて、
人間が本来備えている本能が、この星で生きていくために必要十分なものであり、
またこのめまぐるしい生物の趨勢をこの星も愛でている。
人類と地球は相思相愛というような。
そういう感覚をもってやっていけるかどうかなんじゃないかね。
ここ数千年、農業開始からのブーストとフィーバーはエキサイティングだったが、そろそろ臨界点ではなかろうか。
またそもそもでいうと。
ホモサピがネアンデルタール人を滅ぼした時から、
この地上では常に野蛮な集団が勝者になった。
子を多くし、愛着形成の不全さを攻撃性に転化すれば兵として強かった。
それは物質の世界の真理ではあるんだと思う。
人の痛みを自分のものとして感じる共感能力、精神性が発達すると、
相手に対して酷いことができなくなる。
それは成長や進化の方向性でありながら、不利になる形質でもあった。
この星が、地球が三次元の物質のレベルにある時は、
他者の気持ちがわからない人の方が流れに乗っていて優勢で、
しかし地球もひとつの生きているシステムである以上、成長し拡大し進化していく。
三次元から四次元に、物質から精神へとメインストリームが移り変わる時、
その時、人類が旧種として淘汰されないためには、
やっぱ優しくて他者の気持ちがわかる人達っていうのも一定数以上居てくれないといけないんだわ。
それがいつなのかねえ。
スピ界隈ではアセンションだポールシフトだとわいわいしてたが、
最近あんまり聞かない気もするし、もう始まってるのかもしれないし。
まあ、自分はもう報われる時を待つんじゃなくて、
まずは自分で自分を救ってみせるけどね?