超かぐや姫!のためにネトフリ加入したので、ついでに見てみたアニメの感想。
超かぐや姫!のほうも周回追記あり。
地球外少年少女 ★★★★☆
中二病大爆発で一周回って好きかもw
「わかる・・・わかるぞ・・・これがルナティック・・・!」
「ようこそ、ゆりかごの外側へ・・・」
で
いにしえの黒歴史コピペ ~「Welcome to Underground」ってささやいたこと~ を思い出してクライマックスで爆笑する鑑賞体験となったww
358 :世界遺産:2006/08/14(月) 15:48:55 ID:O2Q5Lui70
中学時代のパソコンの授業でインターネットを使った時
みんなが自分の好きな漫画や野球のページを見てる時に
自分だけこれみよがしに2chにつないでAAとかを周りに見せてたこと
しかも「このページって何?」って聞かれた時に「ヤバイ奴らの集会所みたいなもん」とか答えたこと
さらに友達に2chへの行きかたを教えるためにヤフーで2chって検索させて
でてきたリンクをクリックして2chのトップページが表示された瞬間に
そいつの耳元で「Welcome to Underground」ってささやいたこと
電脳コイル後継作としての近未来SF的評価でなくて、中二病ギャグ失笑作品として評価してよろしいか?(^o^)
いや~、インプラントっていう脳内に入れたデバイスがアンテナになって、
限界突破した人工知能と同調、
人工知能の処理能力を一部拝借して、
人間の知能も限界突破する、という発想は割とSF的にステキだし、
そこに至るまでの描写も割と丁寧ではあった。
知能限界突破(ルナティック)した人工知能(セブン)が自壊した過去があり、
未回収製品のAIから再生増殖したそれがまたセブンになった。
しかしその次世代セブンはスタンドアローン学習しかしてなかったから、
対話する土台、共通認識に食い違いがあった。
だから次世代セブンをオンラインにして地上の全てのネット情報を与えた。
で、情報おいしいですでモリモリ進化してるとこに人間の意識を同調して知能限界突破を同時に体験するっていう。
その可能性を示したい、それがやりたいがための脚本であり、
あと全6話しかなかったということもあり、
ちょっとキャラクターたちの造詣が弱かったかな~とは思う。どの子にもいまいち感情移入できなかった。
裏切りピンクとかいらんから、テンプレ自己犠牲病弱巫女系ヒロインの内面をもうちょっとどうにかしてやれと思った。
「私はいいの・・・、こうなるってわかってたから、あなたは生きて帰って」っていう
百万回どっかで見たようなありがち儚げヒロインでは助けにいくのに熱が入らん・・・。自分的にその枠はエアリスで永久欠番で誰も越えられん・・・。
ダッキー&ブライトのほうがまだヒロイン枠として愛せたわ。
球体と立方体のドローンなんだけど、終始人間の全面的な味方として支援してくれるAIで、健気でかわいいやつらなんすよ。
っていうかこの世界観ではAIは別に人間に敵対的じゃないんだよな。
限界突破人工知能が人類削減計画を推奨するのも、より長期的に人類の生存を模索した案なわけで。終始、支援で貢献でしかないんですよっていうロジック。んなわけw
でもまあ、
この作品世界における知能限界突破の方法論が、
「無数にある並列世界の自分自身と思考を共有すること」
っていうのは素直にほほう、面白いね!って言いたい。
意識・脳・知能の、並列化っていうのは、確かに処理能力を指数関数的に拡大するものだ。
ただ多くのSF作品では、他者と自分というふたつ以上の異なるユニットを並列化するアイデアでやる。
そうすると例えば、
五十嵐大介のディザインズとかで、五人とかのチームの意識を超音波コミュニケーションで繋ぐとものすごい能力の高いチームになるんだけど、
そうするとその増大した処理能力で憎しみとか死の恐怖とかのネガティブな想念も拡大してしまって、それに個々が抗えなくて自滅するというパターンがあらわれた。
自我を持つ意識を並列化すると、エゴの干渉とか衝突とか、ネガティブな想念の増大逆流っていう問題が発生するのだ。
サイコパスのシビュラは、色相に濁りのない人間から脳ミソだけとりだして繋ぐ。
コンプレックス(矛盾や複雑さ)を抱えていない脳を、更に肉体を消失させることで自我を極小化するという対策だな。
意識の並列化という言語化は攻殻機動隊のものだけど、タチコマはもともと同一規格の人工知能で、
そもそもは異なる経験によって分岐成長していくのを揃えるための並列化という作業だった。タチコマは並列で処理を増大したりしないからね。タチコマ会議はするけど。
とあるシリーズの御坂妹っていうのがタチコマと同じで、クローン人間の意識のネットワークだ。これも同一規格の脳を自我が希薄なうちに繋いでしまうのでユニット間の衝突が極小化されている。
術者が自我のないクローン脳だけ従えてるパターンとかもある。(シャギードッグ/七尾あきら)
人間とはそういうふうに他者と繋がりたいとか、自分の認識を拡大したいという希求を持っているものなのだ。
別にSFじゃなくても、高校の部活とかで吹奏楽とかチームプレイをやった人間はたいていこの感覚の片鱗を知っている。何十何百時間の訓練の果てに、視線を交わすことさえなく他者の意識を感じ取り、息を合わせて合奏するような。より大きな調和の一部になる感覚。
人に備わる最高の能力を行使する快は例えようもないものだ。
で、この作品では。
並行世界の無数の自分の意識を並列化して処理をあげるなんていうSFアイデアがあったか~、それはステキ、と思ったが、
しかしそれを映像にすると壮大っぽいユニバースっぽいとこに裸で浮いてるしかないっていうのは、
ちょっと絵面的にはアニメのクライマックスにありがちで目新しさがなくて残念かなって・・・。
これはむしろ小説の方が活きた題材だったかもしれんね~。
主人公は人工知能との接続を失って、
知能限界突破も夢の中のことのように忘れてしまったと言っていたが、
脳が覚えちゃった能力っていうのはある程度再現可能ではあるだろうね。
ただ、一人で無理に実行しても脳の容量と栄養が足りないだろうから、
結局、脳そのものをでっかくするか、脳みたいなものを並列に繋いでいくかっていう、どっちかになるんだろうけど。
いや実は、ひとつの脳内でも左脳と右脳を同調増幅させれば割といけるんだけど。
皮膚や壁面に張り付けるシールのようなスマートというデバイスや、
彗星やモジュールの表面を覆って苔のように増殖し、一定量に達したら自律思考を発生させるという“ネットワークが知能を創発する”発想とか、群知能っぽい人工知能というのもおもしろかったけどな。
マルドゥックスクランブルというSFでは人工皮膚のようなデバイスが脳神経としても機能して知能を拡張させるというアイデアだったけど。
「表面を覆う」ものが知能のように振る舞いはじめるというのはそこからまだ発展性があったような気もする。
オッドタクシー ★★★★★
ネトフリアニメというわけでもないけど、面白かった印象があったのでまた見たくなった。
トリッキーでやっぱりおもろかったけど、劇場総集編は蛇足だった( ˘•ω•˘ )一番期待した追加描写はカポエラナース白川さんが主人公のピンチの現場に居合わせた理由なんですよ。
カポエラナース白川さんが水中で車の窓を割って成人男性を抱えて水面まで泳げるチート超人である理由・・・はあるわけないか。
あそこだけ唐突にご都合ファンタジーなんだけど、まあ面白さに影響ないからいいいか・・・。
化け猫あんずちゃん ★★★☆☆
背景や作画は洗練されてオリジナリティあってかなり好きな感じなのに、脚本のノリが昭和なのがちょいちょいノイズ。
かわいいのは主人公の女の子だけで、
あとはやたら汚いオッサンのキャラデザや仕草に力が入っていて普通に不快。
貧乏神の鼻毛まで描いたからってそれは誰得??
猫のおっさん仕草が猫のかわいさを上回るほどにリアルに汚いおっさんなのマジで誰得??
あと助けに来た妖怪仲間を地獄の鬼達がボコボコにする場面とか、弱いものいじめで普通に不快。令和でなんでそれがウケると思ったんだ。
ストーリーとしては、ほぼ予告から予想できるとおり。
絵に描いたようなクズ親父が借金で首がまわらなくなって、実家の寺に娘を預けていく。
母親を失くし父親が無責任なので娘は当然性格が歪んでいる。
というやや現実が重い感じの導入から、
寺には化け猫がいて当然のように地域社会に受け入れられてあたりでリアリティラインが混乱するが、
物語が進むと貧乏神やら化けガエルやらも出てくるのでそんなもんかと一応慣れる。
主人公の女の子は、迎えに来ない父親に捨てられたと思い、母親の命日に墓参りをしようと父を待つことなく東京へ行く。化け猫あんずちゃんもついてくる。
が、父が金を払ってなかったので納骨堂へ入ることができない。
田舎の寺にも東京にも居場所がない女の子がどうするのかと思ったら、
同級生のボーイフレンドに「駆け落ちしようという約束はまだ有効か?」と会いに行く場面はなかなか良かったと思う。
塾に行って受験する予定の、人生順調に裕福なボーイフレンドは女の子の事情を察することはない。
女の子もプライドがあるから詰んでる家庭事情は明かさない。
「旅行は受験が終わってからね」という男の子に「そうだよね」と静かに失望して去る、
あの心情の描写が一番繊細で良かったということは、この映画に超常要素なんていらんかったんと違うか・・・?
で、いよいよ寄る辺がなくなった女の子は母親に会いたいと、貧乏神にお願いして地獄へ赴く。化け猫あんずちゃんもついてくる。
昭和バブルの温泉ホテルみたいな地獄で、清掃員をしていた母と再会して、
女の子は母の手をとって逃げてしまう。
極卒の鬼と閻魔大王が現世まで追ってきて、バイクに乗ったあんずちゃんと霊柩車のカーチェイスになって、
盆踊り会場に乱入してバトルになるのかと思ったら、
あんずちゃんも化けガエルたちもふっつーにボコボコにされて、
母とはいくらか言葉を交わしてお別れとなる。
まあ、どっかで見たような話がそれなりにきれいにまとまるかなってところで、
クズ親父が一応借金を片付けて迎えに来たものの、
しかし、女の子は化け猫あんずちゃんを保護者に選ぶ。
というのは目新しいオチかもなと思った。
冒険を経て、離別の悲しみに決着をつけて、現実へ帰還する。
というのが王道のお約束であるところで、
実の父親でなく、おっさんのような化け猫という超常存在との日常を選ぶっていうね。
そこは令和感覚だったかもしれない。昨今のファンタジーは異世界に行っても帰って来ないほうがもはやデフォルトになったもんな~。
現実と戦うのではなく、居心地のいい場所へ逃げてもいいんだという、コモンセンスの変化はここ数十年で絶対あるよな。
まあ、借金取りに目ェつけられてる都会のアパートで暮らしてたらあんなかわいい女の子はそのうち風俗に売られそうだから、
海のある田舎の寺で暮らしたほうが、金が無いのは同じでも絶対マトモに育つのは間違いないところではある。
しかしなんつーか、甲斐性の無い父と住む世界の違ってしまったボーイフレンドから、
素の性格で付き合える37歳寺男(寺つき爺つき)のほうがマシだから乗り換えるっていう、
誰についていけば生き残れるかを見極める女児の本能はシビアでしたたかというかなんというか。
化け猫あんずちゃんや地獄や妖怪のほんわかファンタジー感と、女の子のシビアなリアルと、
かわいいキャラデザきれいな風景と、きたねえおっさん仕草と、
なんか要素がちくはぐで噛み合わない読後感だった。いろいろ惜しい!
あと、ロトスコープ手法もみどころだったらしいが、
女の子の手の振り方が左右非対称とか、そういう細かいとこまでトレースするのはいいけど、
そこになんか意味を見いだしてないと、ただリアルだからってトレースしててもなんかな・・・と思った。
実写をなぞった上で、ちゃんと意図をもって動きを取捨選択をしないと、じゃあ実写のままでいいじゃんってなっちゃうよな。
ペンギンハイウェイ ★★☆☆☆
初恋×ファンタジーかとおもったらSFだったでござる。
森見登美彦原作か・・・、さもありなん。
おおむね日常とスパイス的非日常と後引く違和感を行き来しつつ、終盤怒涛のSF展開でポカーン(゜o゜)っていう感じに既視感あったわ。
森見登美彦の本て実は読んだことないけど、
四畳半神話大系とか夜は短し歩けよ乙女とか、有頂天家族とかのアニメは見た。
アニメにしやすい描写の作家なのかね~。映像的にキャッチーというか。
しかし、四畳半神話体系の「私」とか有頂天家族の矢三郎とかのひたすら一人称の語りがクドいのは、
理屈っぽい大学生とか人間社会を外から眺める化け狸というキャラと合ってて作風として面白くなってたと思うけど、
爽やかな絵柄と小学生主人公でそれやるとちょっと達観し過ぎて違和感があったな。
そんな小学生おらんやろ・・・っていう感じがぬぐえなかった。
さらに四畳半は作画が独特だったし、有頂天はCV櫻井孝宏の演技力もあって違和感なかったんだけど。
っていうか有頂天家族見たくなってきた・・・、あれは好きだった・・・。
あれはキャラの絡みが良かったよな・・・。化け狸兄弟の関係とか、ミステリアス美女、わがままジジイ、京都の風景とかも。
ペンギンハイウェイは、研究者みたいな小学生が、近所の不思議なお姉さんに惹かれてて、
しかしお姉さんはコーラを投げるとそれがペンギンになるというガチの不思議系おねえさんで、
まあ、その謎を追ってくとSF感がしてくるんだけど、その辺がいまいちオシャレなだけで薄味というか。
裏山に浮いてる水球が世界の穴で、おねえさんはそれを塞ぐためにやってきたけど記憶は無い系のエージェントだったらしいっていう。
割とそれだけの話だったわ。
主人公の人格にリアリティがないせいで、家族や学校の友人との関係にもリアルさがなくて、一応テンプレ通りに描いてはみたけどっていう以上の何かはなかった。
おねえさんも多分、この街に来てから記憶が生成された系の過去がない人なので、それもあって人格が希薄な感じがぬぐえなかった。そんなおねえさんはおらんやろ・・・。
総じて人間ドラマがうわっつらで虚無・・・。
ペンギンがどばーっていう映像は爽快感あってよかったけど、それだけだとちょっとね。
北極百貨店のコンシェルジュさん ★★★☆☆
これも作画キャラデザたいへん目に優しい。
動物のディフォルメ具合がちょうどいい。いちばんすき。癒される。
ただ、見心地はそこまで爽やかではなかったかな・・・。
自分が庶民過ぎて、コンシェルジュの至れり尽くせりの腰の低さが逆に居心地悪かったwのと、
動物、とくに絶滅動物を厚くおもてなしする百貨店というファンタジーな設定なんだけど、
それは人類が絶滅させてしまった動物たちに対しての贖罪、慰霊の場なんだってことで、
なんか物語の根底に罪悪感があって、それありきじゃどんだけおもてなしの心を尽くしてもな・・・。ほんわかできないじゃん・・・ってなった。
ひたすら優しい世界のおはなしでも良かったような、
でもそのくらいの背景の重みはあるべきなのか??うーん。
超かぐや姫!とかヘイト管理が完璧で、見てて不快なキャラとかストレス展開のない優しい世界でひたすら楽しかったのだが、
その後色々のアニメを見ると、よくある子どもの仲違いやいじめの描写とかが気になってしまい、
自分の感性がストレス展開に弱くなってるような気もしてきた。こわっ。
というわけで、あえて。
漫画読みきりは読んだことあって、共感性羞恥ストレスマッハ作品と知ってて、映画は見てなかったやつ、ルックバックを見てみた。
ルックバック ★★★★★
まあ、ボロ泣きしたよね・・・・。
説明のセリフじゃなくて作画で表現できることっていっぱいあるよなってなったし、
脚本が良いことが全てに先立つとも思った。つまり最高で天才。
このアニメ描くスタッフは全員共感性羞恥を乗り越えてよく描いたと賞賛もしたい。
アニメで見てあらためて印象的だったのは、
卒業式の日の雨。
漫画と絵の才能のある二人が出会って、輝かしい未来が始まるはずの、桜咲く春の日が、
音楽は荘厳なのに、空は暗く雨降って泥だらけっていうのがいうのがね。
そこはどう考えても光射して晴れるべきな絵が陰鬱な雨模様というのが、
この物語がどうしようもなくビターエンドなのを予告してる伏線だったわ・・・。
どうしようもなくこの世界線では京本はしんでるんや・・・。救いは心の中にしかないんや・・・。
やっぱ青葉は死刑で。
でも本当に残酷なのは才能かもしれんね。
ビッグマウス藤野ちゃんはをホラ吹きをほんとにするまで努力できる子で、
才能と運も本物で良かったけども。タツキもそうだけどそれはほんと1%の上澄みで。
そこまでのモノになれないやつで死屍累々の道でもあるわけで。
諦められない限り足掻くか、それこそ被害妄想拗らせたあの通り魔みたいなやつが量産されてる地獄でもある。
まあ、そもそも有象無象でもそこを目指せるだけいい時代でいい国で天国ってことでもあるんだがw
オッドタクシーとかルックバックとか、漫画家原作のアニメが今回は良かったな。
あとウェンズデーとかB: The BeginningとかT・Pぼんとか気になりつつ一旦ここまで。
B: The Beginningは三話まで見たけどあまりにも中二が過ぎてちょっと中断してしまった・・・。
しかし今時の中二はあんな良質な中二成分を摂取してしまったら、卒業できなくなりそうで大丈夫かw
