ものがたりを解釈する

アニメ、漫画、小説、神話、あらゆるものが語りかけてくること。最も深遠な、でも誰にでも開かれている秘密に、解釈というメソッドで触れていく。

宝石の国最終話直前ブログ

あー

ユーク「彼のためにできることはもうないの?」

金剛&エンマ「ある」

は、フォスのために脱出艇を用意することだったか~・・・。

 

で、船が蓮の花の形なのはシンシャが作ったことを思わせるんだね。

花を触れるの嬉しくて時間を忘れるって言ってたもんね・・・。

 

そっか・・・。

 

 

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4/25に最終話が公開されるので、

それまでに今までの話を全部無料公開するという神サービス中の宝石の国

 

なんかもー星の終末の光景の絵が素晴らし過ぎて言葉もない。

独特の画力が極まっている。眼福。天才。

 

しっかし金剛よりエンマより、顔もない石ころや金剛兄のほうがイケメンムーヴ決めてくるのはなんなの。特殊性癖が過ぎる。

最終話付近でようやくお目見えした金剛兄のキャラが意外過ぎたわ。ノリがチャラいww

 

100話以降、人の形をしたキャラが登場しないビジュアルの特異さに目を奪われるが、

フォスって結局どんな形になってもフォスだったよなーって気はしている。

神だという白い羽衣のようなフォルムになっても敬語キャラになっても、

末っ子の甘ったれ気質は実はそのままで、

今まで金剛やカンゴームやエンマに依頼と依存をしてきた行動パターンのまんま、

今度は金剛兄になんとかしてもらっちゃってるだけでは、とは思った。

「僕がどうにかしてやっからよ」なんて頼れる感アピってくれたキャラも初ではあるが・・・。

 

三つ子の魂百話までwなんつて。

 

まあ、滅びへ至るための命題設定として成長しない主人公というのは有り得るのかもな。

っていうか、ずっと成長や進化や何かを獲得することに肯定的じゃない話なのか。うーん。

 

宝石の国で末っ子だったフォスが、紆余曲折の後

岩石の国でも末っ子になってて、

皆から末の弟として愛されている。

動けず話せず一話のフォスよりもっとなんの役にもたたないけども、

「誰からも愛されたい」という望みが、今度こそ叶って良かったね・・・?

 

しかし地球で燃え尽きながら元の姿に戻っていくフォスには涙を禁じ得なかった。

画力の暴力!泣くてそんなん!

 

いやしかしこれはどういう物語だったんだろうなあ。

 

歩いて泣いて笑ってかわいい宝石体だったフォスが、

自分の過ちと真の願いに気がついた結果、

石ころと同じレベルまでグレードダウンしてそれで幸福なのか・・・。

 

速く走れる足も、変形する器用な腕も、賢い頭も、知識も祈りも、万能の神のごとき入滅の力も、

フォスの幸せにはならなかった。

 

役に立つことと、幸せであることはイコールでなかった。

 

石ころのように誰よりも何もできなくても、

皆に愛されているそれこそが幸せ・・・?

 

いやちょっとまだ理解追いつかないかもしれん。

確かに人類の急速な拡大や経済成長や高等教育が幸福とイコールではなく、

むしろ先進国程幸福度低いとか自殺率高いはあるあるだけども。

 

あれか、

すべてを失った時 すべてが解る

っていう感覚だろうか・・・。

 

何もできない胎児であるからこそ、母体と一心同体の感覚。

身もなく心もなく、自我で無くなったとき世界とひとつになれる感覚というのはあるわな。

それはたしかに涅槃な感じかも~。

 

 

ところで、

金剛先生と生徒の宝石達

管理者エンマと月人達

神フォスと石ころ達

そして、金剛兄と石ころ達、

 

いわば指導者とそれを慕う人達という構図が繰り返し登場して、

それはどっちかっていうと父子的な関係性で、

 

で、作中で母子関係っていうと、

アユム博士が女性でありママなんだよな。

金剛兄弟とフォスを産み、送り出す人として描かれる。

 

あとウェントリコスス王も母にカテゴライズしても良さそうではある。

 

すると、父子関係にはとにかく長い時間をかける傾向があって、

母子関係はカーチャンの意志が強くてサクッと進むなーと思った。

 

まあ、ちょっとそんなところも留意しつつ、

 

最終話を楽しみに待つ。

 

 

 

 

 

When all is lost, then all is found

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鏡面の波(アニメ盤)TVアニメ『宝石の国』オープニングテーマ