ものがたりを解釈する

アニメ、漫画、小説、神話、あらゆるものが語りかけてくること。最も深遠な、でも誰にでも開かれている秘密に、解釈というメソッドで触れていく。

進撃の巨人を解釈する1 自由は美しき残酷な世界に。

進撃の巨人(22) (週刊少年マガジンコミックス)

 

進撃の巨人、最終話を読まれた皆様、完走お疲れ様でした~。

 

10年もの間続き、あれだけの複雑でボリュームのある物語となると、

どこをどう切り取って観るかで永遠に解釈を続けることができそうですが、

 

とりあえず結末を迎えたぜ!っていうライブ感で徒然に書いてみよう。

いやもう、ハンター〇〇〇ーとかベルセ○○とかブラックラ〇ー〇とかブギー〇ッ〇とか、

一世を風靡しながらエタってしもてる作品も数あるわけで、お預けされちゃうつらみからすれば終わってくれただけでも御の字っす。(-人-)

 

以下全ネタバレ注意。

コミック派アニメ派の方はご注意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

そーね、まず。

主人公エレンの心情の物語、という軸から見た場合には、

彼が救済に辿り着けたとは言えなくて残念だなーって。

 

鬱屈した気持ちの昇華や浄化、カタルシスがなかったね。

 

「たくさん人を殺してしまったから、自分は許されないんだ」っていう殻から出てこねーでやんの。

これはライナーやジークも同様に抱えたテーマだったわけだが。

 

終盤で予想された展開としては、

暴走するエレンのところにミカサの実行力で突っ込んで行って、アルミンがエレンのもつれた心を解きほぐし、昇華へ導く。

というのが王道のはずだが、そうはならなかった。

 

いや実は、

アルミンが問いかけ語りかけたことで、

思い込みを手放して昇華するっていう場面自体はあったんだよ。

 

「僕はここで三人でかけっこするために生まれたんじゃないかって。

この、なんでもない一瞬が、すごく大切な気がして・・・」で、

「ああなんだ、いい天気じゃないか、もっと早くそう思っていたら・・・。」っていう、

あるがままの世界をただ美しいと思えた、素晴らしい悟りの場面が。

 

 

 

ただ、その心情の救済に、昇華に、自由に辿り着いたのが、

なんでかエレンじゃなくてジークだったんだけどね!!

 

 

 

あれれ~?おかしいぞ~??

 

主人公はエレンで、ジークは敵でしたやん・・・??

 

なんか、“道”で2人で過去回想に行ったあの辺から、

ジークとエレンの役が入れ替わってるよーな印象になったよね。

 

アルミンと話して心を入れ替えたのもジークなら、

グリシャ、理不尽な運命を強いたクソ親父に和解を示したのもジークのほうだった。

 

は?

 

なんであの猿ヒゲメガネが主人公ポジションに?

エレンが魔王ポジションに??

 

ええ?(書いてみて改めて混乱した。)

 

 

いや、なんとなくは解ってる。

落ち着いて筋道を整理してみるとだ。

 

父子関係、立ちはだかる父権と、それに苦しみもがく息子。

という反抗期のテーマが、普遍的な自立のテーマがある。

 

息子は父に、一度は対峙してみることが必要だ。

面と向かって、向き合って文句を言ったり殴りかかったりしてコミュニケートする。

 

しかし、そこで父親に殴り勝ってしまうとだ。

 

支配からの自立、ではなくて、

支配を軸にしたパワーバランスの逆転になってしまう。

 

 

よくある話だけど、毒父に虐げられた息子がいたとして、子どものころはなす術なく従ってていても、父は老い息子は育つ。

ある日肉体的に成熟した息子が父を殴り返し、パワーバランスが逆転する。

そこから、今度は息子が父親そっくりの家庭の独裁者になってしまう、という負の連鎖だ。

 

どちらが支配者か、どちらがルールか、という天秤を傾けるだけのパワーゲームにハマってしまうのだ。狭い家の中で。

 

エレンはこのパターンに捕まってしまったように見える。

 

“道”の中の過去で、エレンは父グリシャを操る。

 

「民族を導け」という父親から押し付けられた命令、

それを命令したのは、実は自分(息子)の方だったのだ。という書き換えを行う。

 

それによって、支配者は、父権は、理不尽で打ち倒されるべき魔王もまた、エレンということになってしまった。

 

 

こういうのはな~。

父親の間違った信条をコピーし、父親そっくりの暴君(しかも父親より強力でタチ悪い)になるのではなく、

そのルールが適用されている狭い世界、家庭や人間集団から離れてみることが推奨される案件だ。

家から出て、異なる集団や自然の在り方に触れて、価値観をアップデートして、それから相対的客観的に父子関係を振り返ってみられるといいんだわ。

 

ジークにはクサヴァーという新しい父がいた、それが良かったというのは本人の言う通りだ。

 

エレンにもな~。

いや、ハンネスもキースもピクシスもエルヴィンも、みんなそれぞれに父や師や将として憧れていいような立派な人達だったけどな??

エレンが誰にも懐かなかっただけか・・・。

 

 

ハンジの「認めるよ、エレンに何の解決策も・・・、希望や未来を示せなかった無力さを」っていうのは泣けたわ。

ハンジも立場的には兵団長、父権であり、エレンを導く責任も感じていたんだな。(研究者タイプリーダー向きじゃない人だったけど)(リヴァイ兵長もエレンに指針を与えず自分で決めろという。)

 

エレンにも良い出会いはたくさんあって、いつでも変われたのに。

あのバカはどーしてあんなに強情だったのかね。

 

そういう風に生まれついたから仕方ないっていうのは、

あの表情を見てると嘘というか思考停止なんだけどな。苦しそうじゃん。

 

生まれついたように生きてる人というのは、

たとえその生き方が人道や倫理や常識や、何に反してようともイキイキした顔をしてるものだ。

悪い事なのは分かってるけど、楽しいからしょーがないよね!っていう顔をしてる。

 

エレンは「たくさん殺してしまった」から、後戻りできなくなっただけじゃないかね。

間違ってたことを認めたら、犠牲が、目的のために必要な犠牲じゃなくて、ただの無駄死だったことになっちゃうもんな。

コンコルド効果ってやつだ。

 

無差別な虐殺者であるか、無能で打ち倒されるべき指導者であるか、の二択なら、

自分は後者だと思い込むほうが心理的にまだ楽というか、色々言い訳もできるというか。

 

視野狭窄に陥った極端な心理状態だ。すごく追い詰められている。

死んだ方がマシなほど苦しいので、殺されることを望むと。

死に急ぎ野郎とは実に正鵠を射た綽名であることよ。

 

 

いやはや、どうしてそうなったし。

エレンはいつから、何を間違えて正解へ辿り着けなかったのだろう?

 

 

まあ、そりゃ、確かに人命は重大だ。

1話から人を虫ケラのように蹂躙する描写で話題になった漫画がそれ言うのって感じではあるがw

 

エレンは最終話で「人道」という言葉を口にする。

 

人道、人道ねー。ははあ。

 

進撃の巨人は、三重の壁という舞台から始まった物語だったわけだが。

 

壁の中の世界、外界から隔たった共同体、阻まれると同時に守られてもいる世界、独自ルールが運用される世界、狭い鳥籠。

 

三重の同心円の壁内世界、というのはなかなかに優れて捗るメタファーだと思う。

 

人はまず、家庭という世界で育つ。そこでは親がルールだ。

家庭ごとに「よそはよそ、うちはうち」で運用される謎ルールあるあるだ。

虐待と見做されるようなルールがあっても子どもは疑問を抱かず育つ。

そこが最初の小さな円だ。

 

学校に行くようになれば、校則や教師がルールだ。

服の着方まで規則に従わないといけない。

 

社会に出れば、社会人として常識、大人として当然、みたいな同調圧力やルールがある。うっせぇわ。

 

会社とか地域とか文化圏とか国とか、国際社会とか、

人間の社会は何重もの入れ子構造になっている。

 

 

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図にするほどのことでもないが。


 

そこで運用されている普遍的ルールが「人道」だ。

 

その内容のひとつが「人を殺してはいけない」だよな。

 

これは人間の社会では互いを侵さないために必要な不文律だ。

 

しかし、壁の外の世界では。

自然界のルールはそうでなかったりする。

そこにあるのは弱肉強食の食物連鎖による循環、適者生存だ。

 

他者を食らって生き、そしていつか自分も食われて続いていく世界。

 

自然界では大量死も大量発生も、種の絶滅でさえ幾らでもあること。

人間だって天災や疫病があれば例外ではないわけで。

いとも容易く数千数万の人が死ぬことがある。

 

だからさ、

そりゃもちろん虐殺や民族浄化を人として容認しちゃいけないけども。

 

「殺してはいけない」は人間社会でだけ通じるローカルルールであって、自然の理ではないわけよ。

 

「殺してしまった」は人間社会では罪だけども、

自然界には罪という概念そのものが無い、因果と調和があるだけだ。

 

 

小さな壁内世界のルールが、ひとつ外の円の世界で通じると思ったら、間違う。

 

家庭内のルールと社会のルールでは、社会のルールの方が大きな力をもつし、

人間社会のルールと自然の理では、自然の理のほうが上位だ。

 

マイルール、ローカルルールをまかり通そうとして生きてたら大ケガをする。

 

エレンは、壁の外の世界が自分の期待通りでなかったことに怒り、世界のほうを変えようとしてしまった。

 

そこが間違いの始まりだ。

学び変わるべきは自分なのだ、いつでも。

 

 

エレンには「巨人を駆逐する」と「外の世界を見たい」の二つの初期動機があったのだから、

 

22巻で初めて海を見た時、そこから炎の水や氷の大地を、広大な大自然の世界を見にいく希望を持てばよかったのに。そこで敵を見てしまった。

 

 

 

そういえばエレンって何歳だったっけ。

そもそも「民族の指導者」なんていうのは、まだケツっぺたの青い小僧の仕事じゃないんだよね。

 

巨人の力とか、未来視とか洗脳とか、チートスキルのひとつやふたつあったところでさ。

まだ家庭と学校しか知らんような見識の狭い青年に、血気盛んな新兵上がりに、そんなことさせたら失敗するの当然じゃん。

 

なろう系異世界転生なら、リムルやアノスならチート無双で天下取ってほいほいと理想国家を建設してしまうけどもだ。

 

ピクシス司令のような老練の将、ハンジのように大人であろうとする人、何段階もの人間成長のステージを巧みに描ききる世界観では、そーはならんのだろうねー。

諌山創にとっては、チート無双国主はリアルじゃないのだ

 

 

これは自分も10年前だったら解らなかった認識だけど、確かにそりゃそうなんだよな。

若い頃ってさー。

「正しければうまくいく」「善いことならうまくいく」みたいな、期待と潔癖の思い込みがある、確かに。

そしていつか挫折を経験して、なんで自分は正しいのにうまくいかないのかと地団駄踏んで、

そして世の中っていい加減なことや許せない悪徳ばっかりだけど、それでも意外と平気で回っていくんだな・・・ってことに慣れていく。

 

ムチャ振りで潰れてしまったエレン、普通にかわいそう。

まず広い世界を見に行けばよかったんだ。

自分の潔癖な価値観を世界に押し付けようとするのではなく。

 

民族紛争の問題は、ピクシスのような酸いも甘いも嚙み分けた大人の仕事だったのだ。

善悪や白黒で決着するような問題じゃないんだから。

効果的に武力をチラつかせつつ互いの利益を慎重に線引きしていくとか、そういう複雑さに耐えられる人が指導者たるべき。

 

ぶっちゃけ巨人の力とか、それが何だっつーんだろうね。

横暴で巨大な人類がいようが、鳥も獣も魚も虫も、みんなそれぞれの場所で繁栄してるじゃん。

上位種や捕食者がいることの危険や恐怖は、自然界では当然だ。

それでもみんな生きてるのに、

人類だけが在りもしない平等公平安全安心の楽土を築けるなどと、

そう思うこと自体が本当はおこがましいんじゃないのか。

 

壁を作って、箱庭の中で脳内の甘美な幻想を実現しようとしても、結局それは叶わない。

なぜなら、不自然だから。

不自然は、淘汰される。

 

否応なしにそういうもので、

むしろ淘汰や死など、痛みから自然の理法を学ぶためにこそ、魂は肉体を得て修養していると言っても過言ではない。

 

地震がきて豪雨がきて疫病が流行って、たくさん人が亡くなっても、

それでも天災には文句のつけようがないから、どうにか出来る範囲の工夫を凝らして暮らし続ける。そうするしかないから適応していく。

どんな高い壁をつくろうが防波堤をつくろうが核シェルターをつくろうが、壊れる時には壊れるのだ。

 

心の安らぎ、というのはそういうところにあるのではない。

 

心を苦しくする様々な思い込み、

「殺してはいけない」「差別はいけない」「増えなくてはいけない」

「絶対に許さない」「自分は許されない」

みたいな頭の中で始終煩いやつが鎮まっているとき、

 

どんな過ちもすべてがただ許されていて、

同時に明日は何もかもを失うかもしれない世界で、

 

それでも、誰かと心通じる一瞬や、いい天気だと思えた一瞬には、

自我という狭い鳥籠を忘れて、あるがままの世界と溶け合ってひとつになっているのだ。

それが自由で、自在だ。

 

世界は、残酷だからこそ美しい。

 

 

 

 

 


www.youtube.com 美しき残酷な世界

 

 

 

お題「#新生活が捗る逸品」

 

支配からの自立、というのはこのブログの主なテーマのひとつで過去記事が色々あるので、この記事ではちょっと端折り気味になったかもしれない。

 


 

 

あ!進撃が終わって虚脱してる方には、次はこの漫画おススメしたい!

アニメも今期からで1話が放送された好機!

 テーマがよく似てて、しかもこっちはハッピーエンドに辿り着ける命題の設定になってるよ!

inspiration.hateblo.jp

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www.youtube.com

ブルーピリオドを解釈する。 体癖論とエニアグラムとチャクラとRGB。

ブルーピリオド(1) (アフタヌーンコミックス)

 

ブルーピリオド、アニメ化決定おめでとうございます。

blue-period.jp

 

つっても記事のネタにしたいのは7巻から登場するこの三人組なので、多分アニメ化範囲で出番なくてぴえん。二期くれたら本気出す。

 

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今回は作品の解釈でなくて、自分なりの解釈の方法論というか、学習方法をメモしていく感じで。

 

前回ちょっと触れたけど、

体格や仕草から人を観る、体癖論というのに興味を持っているところなのだが、

体癖 - Wikipedia

村井八雲が見れば見るほど6種、前後型・呼吸器型の陰の特徴に当てはまる。

 

もはや作者は体癖論からキャラ作りをしてるのでは?というレベル。

漫画の専門学校で教えているところもあるらしい。

 

そして八雲がいつもつるんでるはっちゃんとモモ、

この三人の関係性を、がんべあさんのブログで学ばせて頂いてるエニアグラムで見てみると、

 

八雲が感情タイプ、はっちゃんが思考タイプ、モモが本能タイプとなっていて、

この三人だと人間関係が安定するのがわかる。気の合うトリオ尊み箱推し。

 

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がんべあの「ぶれない」キャラクター&ストーリーの作り方


より詳しくだと、八雲が3達成者、はっちゃんが5観察者、モモが8統率者なので、

黄金三角形ではないのだが。

 

さて、しかしこの手のメソッドは世に数多あるのだが、興味深くてあれもこれもと読むからこそ、

○○論ではx番目で、××論ではy番目で、△△論ではz番目、などとイチイチやってられるわけがない。

5番で12種で、9種の裏表が、など馬鹿正直に暗記してられるかい。

こちとらもうとっくに学生じゃねーんだよ!バーロー (ノ`□´)ノ⌒┻━┻ こんな顔文字使ってた世代なんだよ!

 

しかし様々な知識の断片を、自分なりに体系化することは覚えた。

人間に関することなら、結局はこの体の身体感覚で確かめられることなのだ。

その認識を改めて図で説明してみるなら、こう。

 

 

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チャクラ - Wikipedia

チャクラ、で検索すればこういうのがたくさん出てくるのだが、

この図を採用するポイントは、グラデーションであることだ。

 

たとえば、虹を何色とするかは文化圏によって違う。

日本では赤橙黄緑青藍紫の7色だが、各国ではこう。

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こういう画像も話題になったね。

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実際のところは虹やプリズムで分解した光を見れば、境目などないグラデーションだ。

義務教育の理科で習う、当たり前のことだけども。

 

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連続諧調のどこを切り取って名付け、分類して観察して専門化しても、いいけどもだ。

バラバラにする前は、すべての波長を含む白い光であったことを今一度、何度でも思い出してほしい。これはとても捗る例え話なのだ。

 

RGB、すべての色を等量に重ねれば、元の光へと回帰する。

虹色に分かたれたチャクラをもつ人体でも、同じことができる。

オーラソーマとか、色を使う瞑想の極意はこれだ。

習ったことはないが確信する。

 

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いや、ちょっと結論を急ぎ過ぎた。順にやっていこう。

 

つまりこう。

 

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これでなんの矛盾もなく納得できる。

情報が増えても大丈夫。

 

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で、エニアグラムならウイング、体癖なら遅速型など隙間を補完してくテクニックがあると。

 

で、だ。

チャクラのメソッドが額、喉、胸など身体の前面表面を通る気のセンター(中心、経絡)であるのに対し、

体癖論は背骨、背面内部からも人間を観る。

体の重心が腰椎のどこにあるか、という肉体のメソッドであるところが興味深い。

チャクラは気・精神の技法であり陽、体癖は肉体の技法であり陰。

これって両者は人体を前後で補完し合うことのできるメソッドなんじゃないかな!?すごくない!?どうかな!?興奮するんだけど!!

図はこうね。

 

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まあ、そしてだ。

思考・感情・本能の三分割は、

脳の三位一体説シュタイナーの教育論とも符合する基本中の基本だ。

 爬虫類脳・哺乳類脳・人間脳|3つの脳の構造でわかる人間の三大欲求 - Web活用術。

シュタイナー教育 - Wikipedia

 

つまりこう。頭の中にも身体に照応する虹があるわけよ。フラクタルなわけよ。

 

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シュタイナーのメソッドでは表象感情意志という言葉だけど、まあ言いたいことは一緒だ。

これは精神肉体の三位一体とも照応する。

 

さて、いい加減同じような図ばかりになってしまった。

というか前提にしている知識が多過ぎて誰もわかんねーなこれ。

 

自分用に算命学の本能と星のも作ったんだけど誰得かあ。

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いやもう、適当に判るとこだけ斜め読みでオナシャス。

 

 

じゃ、例題のトリオに戻ってもう少し具体的にしていこう。

 

 

モモは赤

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・法被隊のリーダー

・勝負ごとにムキになる。勝つまで挑む。

・初顔合わせでは舐められんようにイカつくキメる(主導権を欲する)

・相撲好き(一対一の肉弾戦が好き)

 

体癖なら7種捻れ型泌尿器型陽、

エニアグラムなら8統率者、

 

本能、意志、脳幹、マニピュラチャクラが彼女の心身のセンターだ。

そこから湧く力を主に使って生きている。

 

腹が据わる、とか腹が煮える、という慣用句があるが、

怒りや闘争本能、生きたい、生存を拡大したいという原始的な衝動、

シンプルゆえに強力な推進力を有する。やる気満々。ファイター。

マグマのようにふつふつと、熱い血がたぎる。マニピュラはそんなフィーリングだ。

 

脳幹や丹田という、生きものとしての土台部分を養うには幼年期(0~7才)の環境が大切だ。

親に見守られ、自然と親しみ、運動の基礎をくりかえして習得する。

 

野ザルのよーに田舎で近所を大冒険で育つといいんだけど、

現代人、都市生活者はこの段階の発達が不十分になりがち。

 

八雲は緑

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・「俺かわいそ」と「でっけえは最強」かまちょと見栄坊の両面性。

・背を丸めがち、アゴ突き出しがちの姿勢。

・語尾伸ばしがち、スローな喋り。

・神輿のてっぺんで騒ぐお祭り男。

・人間関係をバランス(表情や距離感など非言語コミュニケーション)でよく見ている。

・空腹を訴える(きねみのように食べて「しあわせ~」とは異なる)

・刺青やピアスは自傷であり装飾、破滅行動と美意識の両面。

 

体癖があまりにも6種前後型呼吸器型陰、(博識1種、浪人は危機で裏を使う。)

エニアグラムなら3達成者、ウイングで4寄り。

 

感情、辺縁系、アナハタチャクラが彼の心身のセンターだ。

ハートの力を主に使って生きている。

 

胸が熱くなるとか、胸が痛むとか、ハートウォーミングとか言うけど、

感情や情感、他者への共感、人と人との関係性や繋がりを求めていく気持ち、ロマン。

瑞々しい生命のように柔らかく伸びゆき、優しく傷つきやすい、アナハタはそんなフィーリング。

 

辺縁系は哺乳類の脳。

哺乳、母が子に乳を与え触れあう。それが他者との関りの始まりだ。

7~14歳くらいは学校に行くとかで家族以外との関係、同年代の友人や異性との関係性を学んでいく。

 

現代人、都市生活者はここを使い過ぎて疲れていることが多い。

毎日同じ職場で同じメンツで長時間、などという環境は実は不自然であり、

SNSなどで常に人と繋がっているとか、対人関係に気を遣い過ぎるのだ。

自粛やリモートで気がついた人も多いかと思う。

 

 

はっちゃんは青

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ボードゲームが好き。世界(ボード)を客観的に見渡す、鳥瞰・俯瞰の視点がある。

・同級生の食い違いの原因が語の定義にあると解るが、傍観する。言語能力が高い。

・公平で秩序を重んじる。ゲームの結果なら同級から昼飯代を巻き上げて平気。

(可哀想だから返すとか無い。宅飲みなど別の形で還元してるとかは有り得る。)

・優しい雰囲気(感情の起伏という弱みを見せない)。

・頬骨と三白眼(カマキリ顔)

 

体癖は1種上下型頭脳型陽、

エニアグラムは5観察者(ちょっと自信ない)

 

思考、前頭連合野、アジナーチャクラが彼の心身のセンターだ。

 

なにかを知りたいという欲求で生きている。

言語や知的活動で世界を把握し、アイデアを表現しようとする。

反面、食欲とか運動意欲とかの肉体感覚や自己保存を疎かにしがち。睡眠は長い。

 

どこまでも青く遠く澄み渡る空 のようなフィーリング。

 

前頭連合野は、高度な精神活動の脳だ。

14~21歳の時期、高等な数学や抽象的な概念を理解することができるようになる。

 

なんか最近これが突出してる若者がいてビビる。

 

 

 

 

っていう。

諸兄はどのタイプだろうか?

 

自分ははっちゃんと同じ青・思考タイプだ。

理屈を捏ねまわすスレやブログを自発的に書いて愉悦する。

で、サブが赤・本能だ。煽り耐性が低くレスバでマウントしたがりがち。

 

なので八雲のような、緑・感情で、ハートで生きてる人がものすごくクリティカルに刺さる。

 

無意識に自分に欠けているもの、足りないフィーリングを求めてるってことだろう。

 

好きな人やキャラクターのタイプから、自分を知ることもあるわけだ。

諸兄の推しや二次嫁はどうだろう、貴方に何かを教えたがっているのかも知れない。

 

自分がをもっているから、の人と気が合う。

補完すればRGBは白光に、調和や安定になると理ではなく肌でわかる。

 

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とはいえ実際の人間はもっと複雑だ、関係性となると更にややこしい。

そういう人を探してくっつけと勧めているわけではない。

 

誰であれ、今、息をして心臓が動いている人間存在であるなら、

多少弱かろうが未熟だろうが退化してよーが、すべての要素を一揃い備えて生まれている。

 

瞑想やトレーニングで、自分の不足を重点的に整える。

マグマのようにふつふつと、熱い血がたぎる。

瑞々しい若葉のように優しく柔らかく伸びゆく。

どこまでも高く青く遠く澄み渡る空。

腹の赤胸の緑頭の青、上中下の三つのセンターチャクラを等量まで活性化させて、共振させてひとつにする。

真っ白で眩い光になる。

そのように自分自身を調律し、ひとつの完全な楽器になることで、より大きなハーモニーと響き合うことができるようになる。

そして空より高く海より深い、すべてがやってきたどこかと接続するのだ。

 

そういう習慣をもつことで、疲れを癒し悩みを手放し、ひとまわり大きな自分になることができる。

 

 

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 具体的な体操方法はこの本よかった。

整体の先生が書いた体癖の本。

 

 で、理屈じゃなく身体でわかってきたら、

こっちの本で創始者野口晴哉のマインドへアプローチするといいかな。

いきなりこっち読むと電波過ぎて詰むかもw

 

 実際にズバズバ当たって体癖おもしれーってなるのはこのゲーム実況。


www.youtube.com

 

 ブルーピリオド。共感性羞恥でのたうちまわるけど、以前よりスッと読めるようになってきた。

歳やな。青春が眩しいぜ。

 ところで、八雲モモはっちゃん以外の、八虎や世田介、ユカなどの登場人物については、

一応ちゃんと読んでるのに、体癖もエニアグラムもさっっっぱり分からないのであった。ベンベン。

 

 

 

 

お題「#新生活が捗る逸品」

それは本。新しい認識ほど捗るものはない。

 

gunber.hatenablog.com

 がんべあさん、画像お借りしました、事後承諾いただければと思います。<m(_ _)m> 

主に性格から観るエニアグラムは、感情タイプの人、発達したアナハタチャクラの力があってこそピンときて使いこなせるメソッドな気がしました。

みんなと幸せになりたい、というのは感情・アナハタのフィーリングですね。

 

ハウルの動く城を解釈する7 ソフィは嘘がお上手、悪魔は嘘をつかない。

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金曜ロードショーで、またハウルの動く城が放送された由、誠に喜ばしく存じます。おめおめ。

おかげでアクセス数が見たことない数字になってて草。

見てくれてありがとー。

 

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しかし、名作とは何回見ても新しい発見があるもの。

鑑賞者の心を映す鏡となり、見えるものが変わってくるのだ。

 

ハウルの記事はたくさん書いたけど、せっかくの地上波放送だったのでもう少し、脱線上等で話を広げてみよう。

 

はじめましての方は過去記事がこちらになっております。

inspiration.hateblo.jp

 

 

さて、

 

ソフィは、嘘が上手だ。

さらっとしらっと、とても巧みに嘘をつく。

 

ということに、諸兄はお気づきだろうか。

まずもって彼女は、自分が老婆であるという強い暗示、帽子屋を継ぐべき長女である、掃除婦である、など自分にも嘘をつくタイプというか。

かくあるべき自分、という強固な設定やペルソナが先行するタイプではあるし、

「そうさ、この国で一番こわ~い魔女さ」「そうさ、この国で一番きれい好きな魔女さ」という掛け合いのノリというか嘘というか、実はそのとおりなのもあるが。

もっとしっかり嘘吐きなシーンがある。

 

 

国王の城へ赴く場面で、

 

荒れ地の魔女「なんであんた王様のとこへ行くのよ?」

ソフィ「就職活動!」

 

これは初見でも気がつける、明らかな嘘だ。

ソフィはハウルの母、ペンドラゴン婦人として謁見へ向かう流れだったもんな。

 

この嘘が注意喚起というかヒントというか、

周回したときソフィの嘘に気がつく用の伏線になっている。

 

入城して、小姓が「ペンドラゴン婦人、荒れ地の魔女様ー!」とアナウンスする。

荒れ地の魔女「ペンドラゴン・・・、聞いたことある名だね」

ソフィ「当たり前でしょ、私のいた帽子屋の名だもん」

 

さらっと流れるようにウソ。

帽子屋はそんな大仰な店名ではなく、そのまんまのハッター(Hatter)だ。ソフィ・ハッター。

 

名を、偽る。

 

これが宮崎駿ワールドでどれだけ重い意味を持つのだろうか。

 

前作、千と千尋では、湯バーバが名を奪う。

それは隷属の契約と洗脳であり、

魔女や魔法使いというのはにまつわる呪力、魔力を熟知する者だ。

 

階段上りで疲労困憊の荒れ地の魔女は、「そうだっけ・・・?」と騙されて、ソフィがハウル代理人であることに気がつかない。

 

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そしてトンネルの夢から目覚めた後。

カルシファー「そんなこと言えるかよ、オイラは悪魔だぜ。」

ソフィ「カルシファー、サリマンが言ってたわ。ハウルは大切なものをあなたに渡したって、なにそれ?どこにあるの?」

 

しらっと、なめらかにこれもウソ。

 

サリマンはそんなこと言ってないねえ~。

「悪魔に心を奪われ、私のもとを去りました」とは言ったけど、

心を奪われ、はあくまで魅惑された的な比喩だろう、

心臓を奪われた、を示唆するダブルミーニングではあるけども。

 

大切なものを渡した、と言った。そう聞いたとするのは強引に過ぎる。

 

これはカマかけ、隠してることを知ってるぞと水を向ける誘導なんだけど、

カルシファーはひっかからない。

「契約の秘密についてはオイラは喋れないよ」という。

 

こういう、戦略的な嘘がつける女性キャラクターというのは昨今では珍しい感じがする。

アリババと40人の盗賊に登場する賢妻モルジアナみたいな感じだろうか。

嘘吐き女、というと海がきこえるのヒロインみたいな、寂しさから気を惹くための嘘をつく、危ういメンヘラ系が多い気がするが、

ソフィはポジティブに巧みに嘘を使いこなす。

 

 この嘘は、カルシファーの性質の根幹にものすごく図星な物言いなので、

彼は誤魔化せず、原理原則を持ちだして沈黙する。

 

悪魔、というのは宮崎駿作品では初出だけども、カルシファーの態度は実に古典的な悪魔像を踏襲している。

 

カルシファーは、悪魔は嘘をつかない、というか、嘘がつけない

 

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悪魔は奸智に長け、言葉巧みであり、言外の嘘というのはよくつく。

肝心なことは言わない、とか、核心や条件を隠してる、とかはあるあるで、

勘違いさせるような誘導的な物言いや、はぐらかしや誤魔化しということならお家芸だ。

 

しかし、名や契約に関することで決定的な虚偽を述べることは、ない。

 

なんで?

いや、なんでかは知らんけど、そこをペラペラ嘘つける悪魔を描くと、途端にキャラクターが説得力を失うことは間違いないと請け合おう。

 

イブを誘惑する聖書の悪魔からしてそういうものとして描かれ、

その共通認識が児童文学や創作物に脈々と浸透して、人類規模での普遍性を獲得している。

という事実はあると思う。

 

なんでかねえ?

これは実に興味深い疑問だ。

 

悪魔だけでなく、魔法使いや魔女というのも、軽々に嘘はつかない。

 

名の力、言葉の力、言霊の力、認識を確定させることの力、世界を任意に切り取る力、

そういう力のあることを知り、それを能く行使する者ほど、そのリスクも反作用も知っている。

 

しかし、それはつまりどういうことなんだろう?

この不文律をどうにか解体し、納得したいという欲求に従って徒然に書いてみよう。

(もっともらしい嘘を捻りだす、と同義なので是非疑って頂きたいww)

 

ちょっと遠回りになるけど、前提から。

人間は、精神と肉体の両方を備えて在る。

その精神と肉体、どちらが先にあるものか、どちらが優位かっていう話をすると、

 

陰陽論では精神が陽、肉体が陰だ。

心や意志が陽で、物質が陰と言ってもいい。

まず精神が動き、物質はそれに従う。

 

量子論でいうところの、素粒子がみせる波と粒のふるまいのうち、波が陽、粒が陰。

 

肉体は重く凝って沈んでいく粒であり、

精神は軽く響いて拡散していく波動のようなもの、というイメージだとする。

 

創作物ではよく、精神体、というものがでてくる。

まあだいたいの共通項としては、

距離や時間による制約が少ない、一瞬であちこちに移動したり、永い年月をさほどに感じていなかったりする。

食事や睡眠などの肉体を維持するコストやメンテを必要としない、

物質体がないので壁をすりぬけたり、モノを触ったり持ち上げたりができなかったりする。

一時的に人やモノに依り憑くことができる。

ざっくりそんな感じだろうか。

 

うしおととらのジエメイとかほぼすべて当てはまる好例。妖しく儚い絵も白眉。

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そして、そいつら。幽霊にしろ、式神にしろ、精霊にしろ、悪魔にしろ、地球外生命体にしろ、

 

基本的に、肉体のないヤツは嘘つけない、の法則があるんじゃねーかな~、と思う。

 

妖精はちょっと違うかな。

定義にもよるけど、自然物などの本体があることが多いから。

 

そんでだ。

 

たとえば、ちょっと自分が幽体離脱した(w)という状況を想像してみてほしいんだけど、

そうすると、声帯も肺もないわけだから、空気を震わせて音を出すことができないわけじゃん。ペンを持てないから文字も書けないじゃん。

となると、精神体の意思伝達はまずテレパシーってやつになるじゃん。

 

諸兄はその時、テレパシーで、ウソがつけると思うだろうか?

 

テレパシー、精神感応というと、伝えたいイメージを音声言語に変換せず、

思うことをそのままダイレクトに送信するっぽくて、それはウソがつきにくそーな感じ、しないかな?

 

精神体は基本テレパシーを使うから嘘をつきにくい、という結論でもまあいいけど。

このくらい余裕で慣れてる人もいるだろうし、もう一歩踏み込んで考えてみてもいい。

 

嘘、というのは、

認識していることと、喋ってることが違う、ということだ。

 

人間は嘘をつくとき、

認識している事実のイメージと、嘘の設定のイメージの両方を同時に保持する。

頭の中に、ふたつの事象が同時に存在している。

 

物質が構成する現実世界には、物証、証拠、というものがあるので、

なにが事実なのか検証する、ということができる。

 

ソフィは帽子屋の名がペンドラゴンだと偽ったが、

実際にその帽子屋を訪ねてみればハッターという看板がある。

店名の入った商品や書類類もあるだろう。すぐに答え合わせができる。

 

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しかし、精神体、精神世界、というものを想定したときにはどうだろう?

 

脳や肉体というハードのない世界、意識というソフトしかない世界で、

「帽子屋の名はペンドラゴン」の偽、「帽子屋の名はハッター」の真、

矛盾するふたつのイメージを、同時に保持するまではできたとしよう。

 

しかし、そのどちらが事実か、どちらが真か、どうやって決定するのだ?

 

誰かに聞いてみる?

しかし、他者の認識と自分の認識の齟齬が、どちらも譲らない水掛け論にしかならなかったらどうしようもなくない?

 

論より証拠、のない世界、論しかない、認識しかない世界。

物質に依らない世界、経年変化の希薄な世界、精神世界。

そこでは、心の中の出来事のどれが真なのか、どれが事実に即しているのか、などという問い自体が成立しない。

 

精神世界では、主観的認識と、客観的事実を擦り合わせることができない。

 

答え合わせができない。

 

すべてがデータでしかないサイバー空間では、ハッカーからしてみればあらゆる捏造や日付を遡っての改竄が可能、みたいな感じで理解できるだろうか。

人間であれば、パソコンを消せば肉体がリアルを感じさせてくれるけども。

 

ちょっと想像してみて欲しいんだけど、

答え合わせができない世界で、複数の矛盾するイメージを保持する、というのは、

スゲー怖い、スゲー危険なことな感じ、わかるかなあ。

 

どっちが真でどっちが偽か、いとも容易く入れ替わってしまう。

 

だから、精神体的なやつら、悪魔や霊的存在は、こと自分の在り方に関して嘘など決してつかない。いや、つけない。

嘘とわかっていても言挙げしてしまえば、そのままに自分の存在が根幹から揺らぎ、変質しかねない。

それは死よりも忌まわしい。

 

ソフィ、というか肉体を備える人間存在であれば、

いくつ嘘の設定を保持しても、たとえ精神が解離分裂しようとも、

日々せっせとごはんを食べて育ててきた肉体というのは、実に強固に物質世界に根を下ろして繋がっている。

 

肉体という、重し、楔、錨、重くて簡単には揺らがないものが拠り所にあるからこそ、

嘘をついても、複数の矛盾する事実像を認識しても、とりあえず平気でいられるのだ。

中長期的な影響は必ずあるけど、とりあえず直ちに影響はないっていう。

名を偽ろうと、記憶がいい加減だろうと、肉体という器はそれだけで強力なアイデンティティとなる。

 

そして、悪魔や霊的存在、精神しかないような連中がいるとして、

精神というのはどこまでも拡散する波に似た性質のものだと言った。

 

音のように波のように、不定形で流されて広がって干渉されて薄まっていってしまうのでは、自己を長く保てない。

存在し続けるには、なにか重しが、器が、フレームが必要になる。

それがだ。

 

肉体のない存在にとっては、名が肉体に等しい依り代であり、自己を定義するフレームなのだ。

 

一神教では神の名を呼んではいけないというタブーがある。

ヤハウェに限らず、上位存在の名を呼ぶこと、名を知ること自体を忌む逸話も多い。

エクソシストは悪魔の名前を聞き出さないと祓えないとか、

真名を知ればそれだけで相手の存在を掌握できる、といった思想も普遍的なものだ。

 

まあ、精神体にとっては、雑に名を呼ばれるということは、肉体に触れられるに等しいというか、

 

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 こーゆー首をガッといくコミュニケーションに近いだろうか。

これ気が合わないやつだとイラっとするというか、目下か同格の相手にしかしちゃいけん絡み方だよな。

 

まあ、神様や悪魔の名は地域を跨げば呼び方が変わるとかもあるあるだけどー。

綽名も名には違いないわけで一応アクセスはできるだろうけどー。

 

それでも祈念する存在の本質に近づこうとするときは、最も近い音の名を使うことが望ましかったりするだろうね。

 

精神は波、音も波、最も正しい名は、その精神体の固有の波長そのものを写した音になる。

 

ヨガのマントラなんかは、そういうことのために蓄積された魔術だ。

対象の名、そのニュアンスをできる限り正確に発するだけでも、それなりの才や習熟がいるよーな話なのだ。

 

なんつって、怪しくなり過ぎたけども。

 

どうだろう、嘘について、名について、

その呪力や魔力、その意味について、少しは感じが掴めただろうか。

 

その感覚を確かなものとする先に、魔女や魔法使いや行者の領分がある。

そしてもっと先には、名も魔術も、肉体や精神の器も越え、その源泉たる魂をくぐり通って至る自在の境地が、

言葉にできず、始まりも終わりも越えた無窮のなにかが、ずっとあったことに気がつく。それとともに在ることを思い出す。

 

アートマンや覚者、宮崎駿的用法での天使となって、

あるがままの今を、世界を感じて生きることができる。

その秘密、そこへ至る道は万人の前にいつも開かれているのだ。善哉。

 

 

 

 

 

 

 

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あー。大いに脱線してもはやハウルの話ではなかったかもしれないが。

いやー、しかし、こーゆー中二妄想みたいなことを考えてる時が一番楽しいって感じがしますなww

 

ところでガッといくとこの漫画ブルーピリオド、アニメ化だってね良かったね。

でも自分の推しは8巻から登場の村井八雲なので、一期12話ぐらいじゃ出番ねえ~、どうでもよ~。

 

 

は~~~~。

 

なんか知らんし大して活躍もないのに、八雲がすこすこのすこなんだよな~。

 

この「俺かわいそ、優しくしろ」と「でっけえは最強なんで」が同居するパーソナリティがさー、

 

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 ハウルと一緒のタイプなんですよ多分。「僕は憶病なんだ」と、王子エスコート空中散歩と一緒。

 

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かわいそぶってかまちょするのと、見栄坊で目立ちたがり屋の、両面性がある。

 

これが、最近ハマっている体癖メソッドでいうと6種、呼吸器型の陰だと思うのね。

ja.wikipedia.org

 

ハウルが臥せってソフィに甘えるのとか、ソフィを先行させてから行動するのとか、破滅型のロマンチストな感じとか、

八雲はアオリ気味なキメ顔の角度、友人とセットなとこやお祭り男、自傷と華美の両義のピアスに刺青、腹ペコ属性なども符合しまくりで、もはや作者は体癖論知ってるやつでは。

 

体癖論は、YouTubeゲーム実況から興味を持った。これ面白いよ~。


www.youtube.com

解説してる名越康文もなかなかに鋭くて一歩引いて視る姿勢が感じのいい人なんだけど、

体癖論創始者野口晴哉がガチの次元高い、ガチ達人の優れたインスピレーションの人なので、本買ってみた。

 

キャラデザがテンプレがちなアニメ鑑賞ではあまり使えないメソッドなのが残念だけど、これは人生が捗るやつなのでいつか自分なりに記事にできたらと思う。

 

 

しかし、もう見えている結論としては、

この方法論は、西洋科学的な発想、人間の分類法として運用してると間違うやつだ。

人間存在はバラバラにしていってもダメなのだ。わからなくなる。

細分化しても、複雑系は理解できない。

体癖論を、整体や心理学に使えるところだけをつまみ食いするのではなく、

野口晴哉と同じ境地へ至るため、心身の不足を補って高めていくために使うとき、真価を発揮するメソッドのはずだ。

 

宝石の国を解釈する。博物誌を編め、さすれば。

鏡面の波(アニメ盤)TVアニメ『宝石の国』オープニングテーマ

 

95話までで休載になってしまったので、このタイミングで書いておこう。

 

宝石の国のアニメが好きだ。

孤島に住む宝石生命体というのは、3D作画を活かせる最高の設定だった。

とても美しくオリジナリティのある映像だった。アニメ史に残るぞこれ。

 

しかし、二期が見たいとは思っていない。今あるだけをリピートで見ていたい。

アニメ化範囲の先はどこまでもドツボにハマっていく鬱展開だからだ。

 

 無邪気でかわいい甘ったれだった主人公が、

どんどんメンタルをやられいくのは目も当てられない。

なんでそうなる。かわいそすぎる。

 

つらいことがあると、なんでそうなるのか、どうすればよかったのか考えてしまうのが人間というものだ。

 

 フォスがどうすれば幸せになれたのか、

絶望の95話からどう転べばハッピーエンドが有り得るのか、

ずっと頭をぐるぐるするので、書いて落ち着こう。

 

ざっと粗筋を。

 

人類が滅亡した後の地球は、海と小さな島ひとつきりの資源に乏しい星となった。

島には、食事も生殖もせず、光だけを糧に生きる宝石生命体が住み、

海には、アドミラビリスという半透明のクラゲ人間のような生命体が住む。

そして月には仏教風の姿をした月人が住み、そいつらは宝石達を攫おうと度々襲ってくる。

 

それぞれ人間の形をしているのは、人間を祖として、宝石が骨、アドミラビリスが肉、月人が魂と、性質をわけて継いだ存在だからだという。

 

元ネタで、仏教や七宝から着想を得たとのことで、

【インタビュー】上は少年、下は少女。性別のない宝石たちは「色っぽい」! 『宝石の国』市川春子【前編】  |  このマンガがすごい!WEB

 

主人公のフォスは、その身に瑪瑙や金銀を継ぎ足しながら、見た目も少しずつ少年から青年のように大きくなっていく。

PVには成長の物語、という紹介があるが、確かに身体的には成長しているものの、

精神的に成長してるかは疑わしい。そこは後述としよう。

 

ここから全ネタバレあり注意で。

 

宝石達は、僧の姿の金剛先生をとても慕っている。

個性豊かな28人の全員が、自身の安全を省みない程に特定の誰かを好きというのは、通常有り得ないだろうが、

金剛先生には絶対魅了の固有スキルが搭載されているのだ。

 

月人は宝石達を攫いに来るが、本当の目的は宝石達ではなく金剛だ。

月人とは滅びた人類の魂が月にとどまったもので、肉体ではなく精神体で、

死後も成仏するということなく、月で何十万年かの死ねない時間をただ過ごし、享楽をやり尽くし、飽きて倦んで、無になりたいという。

金剛先生は、魂を無に帰すため、かつての人類が作った祈りの装置だという。

 

然るべき誰かに祈ってもらわなくては、涅槃へ行けないと。

だから、なにがなんでも祈らせようと、月人は金剛が愛する宝石達を攫う。

こいつらを返して欲しければ○○しな、というよくある卑劣な脅しをかける。

 

いや、天人みたいな清らか系のビジュアルのくせにクズ過ぎん?マジで。

 

ゴシップにしか興味のない大衆として描かれる月人たちには、

自力で悟り、解脱する。自力で涅槃へ至る、そのために修養する。

といった発想がこれっぽっちもない。爪の先ほどもない。皆無。

 

金剛がダメなら、自分で頑張るか~、とはならない。

有り余る時間を持ちながら、あくまでも他力に縋り、

泣き落とし、リスカ武力行使、人質をとる、見せしめ、等々

見苦しい方向にばかり労力を費やす。

なにがなんでも他人に言うこときかそうという執念がこわい。メンヘラやばい。

 

まあ、宝石の国には基本メンヘラしかいないけどな。

 

他力でなく自力からの救済、健やかな成長といえる変化をしてるのは、

月に行ったほうのアメシストくらい?

後は全員どこかしら病んでるか、変化しない。

 

そもそも、宝石生命体たちは一個の完結性が非常に高く、過酷な環境に耐えうる体で生まれるので、

人間のように協調や複雑な思考、頻繁な変化を必要としない種であるようにみえる。

食事も生殖も必要ない、光だけで生きていける。

触れ合えば割れてしまうし、スキンシップもだが、群れることも本来は必要ないのでは。

 

結晶構造で出来た体はほとんど不死だが、しかし、

最高齢のイエローダイヤモンドの顛末を見るに、精神的な限界はあるようだ。

 

記憶や感情のあるレベルの意識が、どのくらい個の連続性、自我を保てるのか、

という命題に対して三千五百年くらい、というのは興味深い解だと思う。

 

三千年から五千年の寿命、といえば屋久杉やジャイアントセコイアのような巨木だろうか、

そういえば宝石達の特長はそのような植物に通じるところがある。

 

生態からするなら、宝石達は巨木のような心で生きる生命体のはずだ。

純粋で穏やかなことが自然な成り行きというか。

食料や生殖で競争することもないなら、他に優るための知恵も悪知恵も必要ない。

生まれてさえしまえば自己保存の本能をほぼ成就できるのだから。

 

喜怒哀楽の感情をもち、コミュニケーションを高度化し、過去の記憶を保持することは、

人間にとっては生存を有利にするための進化だけど、それは同時に負荷でもある。

脳の燃費をくう。大量記憶の保持はコストになり、同じことを繰り返すほどに感情は摩耗する。葛藤が生まれればそのストレスだけで死ねる。対人関係の調節ほど面倒なものはない。

 

現行の人間の意識レベルでは、例え不老不死の肉体があっても数百年も生きないうちに心が死ぬだろう。そして肉体も死ぬ。

記憶のリセットを導入するしかないが、だったら肉体もリセットでいい。

そのようにして現段階の意識には、数十年の寿命が適当となる。

 

数百年、数千年の時を、自己を保って生きるには、それなりの心がいるのだ。

巨木のように偉大に凪いだ、全と個の統合を知る、五次元に達した心か、

古生物のように単純な、未だ全と個の分化に満たない、二次元に近い心か。 

どっちかだ。

3~4次元の心のアップダウンの激しさに耐え続ける器などない。

 

宝石生命体たちも、いくら人間を祖にもつとはいえ、

あの生態からするとあまりにナーバスであり、またノイローゼなど精神的に病みがちなのは、

 

多分、金剛先生による初期教育というか干渉のせい。

 

人類に作られた金剛先生が、人間の文化や語彙で宝石を育てたことによって、

宝石生命体本来の心の形成が歪められているような気がする。

言葉も服も白粉も剣も、みんな金剛先生が好きで一緒にいたいから必要になったもので、

宝石生命体が手付かずで進化した時もそれらを得たかというとな。

金剛先生はそりゃもちろん善意と愛からそうしたのであり、低硬度の生存率など恩恵も大きかったろうが、

それでも個性に合わない教育というのは禍根になるものだ。

 

さて、95話でそのように己の存在に苦しむ金剛先生はその役目から解放される。

フォスが「壊れろ」と命じたことで機能を失い、他の宝石とともに月へ運ばれ精神体に変換される。

 

金剛先生は、重い任から解かれてかつてない晴れやかな笑顔だった。

初期フォスの「先生が好きだから、助けたいんです」が、そんな形で叶った皮肉がつらいわ。 

 

 

95話あたりは情報量がてんこ盛りなので、疑問をひとつずつ整理していこう。

 

  • フォスが金剛の引継ぎ完了するのが一万年後って、

 イエローが3500年で壊れるのに他の宝石達のメンタルはもつのか。

 

→だからこその全員月人化。精神体にとって時間の長短はさしたる意味をもたない。

 フォスには身体性を伴う長い時間でも、月人には長めの夢のようなもの。

→フォスが途中で壊れても、イエローの前例から治療法ができていると。

 

  • 数百年で「宝石を月人化マシーン」を作り上げた天才アメちゃんが、

 「月人を無にするマシーン」金剛弟機を開発する可能性。

 

→アメちゃんが月人化しないほうが可能性はあったけどワンチャンある。

 

  • フォスの頭と足、ラピスの体から月人が生まれてる可能性。

 

→ラピスやゴーストクォーツはともかく、

 かわいい頃のフォスが生まれて皆と一緒に月で楽しくやってたら、

 どういう気持ちになればいいのか。作者は読者の心に棘を刺す天才か。

 

  • 策にハマり、地上に置き去りのフォスに有り得る救済。

 

→翻訳能力でアドミラビリスと仲良くやる。

→翻訳能力で流氷と仲良くやる。

→一番救いになりそうなのは、海岸の岩壁から産出する、新しい宝石ちゃん達と仲良くやる。多分だいたい百年に一体は生まれる期待値だ。

 

瑪瑙、金、ラピス、真珠、水銀、金剛などを取り込み、体積を増していったフォスフォフィライトは金剛先生とさして変わらない体格まで大きくなっていた。顔も鼻筋が通って似てくる。

 

金剛先生の宝石の国から、フォス先生の宝石の国が来い。

 

いや、全方位に甘ったれで、だから誰も付き合いきれなくて、

それを裏切りだと受けとめてしまって、

どん底メンタルのフォスが教育者とか指導者とかダメな感じしかしないか?

 

でもフォスは、変わることだけは得意だ。

 

誰かになんとかしてもらう、という他力本願のスタンスしかなかったフォス。

先生にお願い、カンゴームにお願い、エクメアにお願い、と誰かに依頼することしかできなかったから、この結末になってしまったけれど。

自分が責任をもって世話すべき誰かを得た時、

自分でなんとかする、という自力への転換が起きた時、この物語は明るい方へ向かえるかもしれない。

月人が襲ってこない島で、金剛先生のようなチートカリスマのないフォスなら、

宝石生命体がありのままにゆるゆるで生きる環境ができるのかも。

それはきっと静かな森のような、無の安寧や涅槃に近い世界のように思う。

 

いや、違うか。

フォスの末っ子気質は根っからだ。周りに誰かがいれば必ず頼る。

 

だから、まず孤独が必要なのだ。

 

一人になって自分を見つめて、自分からなにかを始めて、それを積み重ねていくことが。

 

そうだ、あの子1話から任されている博物誌を放りっぱなしじゃないの。

 

あれもまずシンシャにお願いしに行ったもんなー。

そんでヒントは貰ったのに一行も書いてないっていう。

 

目の前のことをやらずに、なにかでっかいことができるはずという根拠のない自信のまま突っ走った結果がこれだよ!

「僕の仕事はあなたを祈らせること」じゃねーよ博物誌だよ最初っからよぉ!

 

でもそうね。人生の答えって、スタート地点にありがちだよね。

波乱万丈の紆余曲折の挙句、子どもの頃の夢を再発見しがちだよね。わかる。

 

あー。でも暴走もわかるわ。若い頃あるあるだなー。

ビッグになりてーつって、ミュージシャンか俳優志望で上京する青年が結局ヒモに落ち着いて「俺は本当はすごい!なんで俺を認めない!世の中間違ってる!」と言いつつ、女を殴って金をせしめて的なパティーンね。それも孤独になるオチね。

 

まあ、うん。

 

自省、内省というならば、自分の心を文章にするのも適している。

荒れ狂う気持ちに名前をつけて仕分けていくと、すべての根にある問題が見えてくる。

フォスの問題というと、承認欲求や疎外感かな。

 

一万年の執筆時間があって、

金剛の膨大な記憶を引き継ぎ、他種と意思疎通し、

更にフォスには金剛のような禁句のリミッターがない。

 

いかなる巨大構想の博物誌も書けようというものですよ。

 

今度こそ、地道にコツコツで博物誌を編み、新しい宝石たちと新しい国をつくる。

 

さすれば、欲した幸せはそこにあったと気がつくだろう。

 

たくさん間違ったからこそ、善い先生になれることもある。

 

金剛先生は物覚えがいい、フォスの報告をずっと待っててくれてるのだ。

 

よし、これでフォス救済・博物誌提出ルートの妄想は完了。

心穏やかに連載再開を待つことができる。

 

 

 

 

あとは蛇足。

先生、指導者といえば、月のボスはエクメアだが、

彼は実に政治家的だけど、指導者や教師らしさは無いな。

 

民を見捨てることこそないが、愚民と見限っている。

成長を期待しない、理想を示して導くということがない。

科学や服飾の専門職がいるのに、宗教家や哲学者向きの人がいないことある?

 

しかしまあ、月人全員がほんとに自力で解脱する見込みがないクズだったとしても?

いや仏教では万物が仏性を備えると説く、存在するという指向性は無限から生じ無限へ帰する一瞬の幻だ

どんな魂であれ悟りに至るのは、最終的には確定事項でFA。

 

宝石達は粒揃いの一級品だ。

アメシストだけじゃない、ボルツ、カンゴーム、パパラチア、ルチル、ゴーシェ。

何かを強く求め、変わっていこうとする資質や気概のある者も多い。

 

 無へ至るメソッドを、彼らが先に発見することも十分に可能性としてあり得る。

 

シロ犬でさえ、満足すれば消失すると描かれていたではないか。

全力で生きた実感があれば、未練なく終わることができる。

善く死ぬには、いい人生だったと言えるよう生きることだ。

生が成就したと正覚すれば、涅槃は成る。

 

他力本願だから、

自分の生や死さえ誰かに与えて貰おうと口を開けて待ってるだけだから、

何十万年の時間さえただ過ぎてしまう。

 

どこかで自力にシフトしないと駄目だな。先へ進めない。

 

やっぱり全員まとめて精神体になるのは早計だった気がするなー。

ユークレースの事勿れ主義は地味にギルティ。

宝石の体、物質の体、肉体があってこそ変化は劇的で、確実さをもって現れるものなのだ。

 

 

間違えれば病み、日々様々なケアを必要とする肉体を養うこと、

身体の訴えることから自然の在り方を察し、

思考を身体で出力して精査していくこと。

 

多くを学ぶため、魂は肉体を纏って生まれる。

 

自力も他力も個も全も、順序をもって経験し変容していく。

 

すべてはいつか無へ至り、そこへは何も持ってはいけないけれど。

 

識を深めるほど有限の世界は豊かになる。

そうして無限と有限の表裏一体もまた果てしなく紡がれていくのだ。

 

色即是空 空即是色 

 

 

DVDコンプが買いごろプライス

 

公式図説再販もよきよき。

 

 

二次創作のレベルが異常に高い宝石の国

これアマチュアなんだぜ?日本のオタクはクレイジーだな!hahaha!

美しいキャラが可哀想なことになる展開が多いので、

心に刺さった棘を二次創作に打ち込んで解消したい気持ち、わかりみ。

 


【MMD宝石の国】自作モデルで[A]ddiction


【MMD宝石の国】自作モデルでスーサイドパレヱド


【MMD宝石の国】自作モデルでAha!

 

 次元の意識について。

inspiration.hateblo.jp

 

お題「#この1年の変化

我が家の本棚。注文の多い本棚は自作に行き着く。

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はてなのお題記事。

 

自分の本棚は、8割が漫画、1割が画集や絵本の類、1割が本だ。

本の内訳は、7割が文庫で、後が新書やハードカバー。

積ん読してるものもまあまあある。

あ、DVDも多少はあるなぁ。

ジブリ今敏新海誠細田守、アナ雪、モノノ怪氷菓・・・アニメばっかり。あとSKYHIのライブか。

 

何度か引っ越して処分したのでそれほどの冊数ではないだろうと思ったが、

ざっと目算で千冊越えそうなので、これは数えないほうが精神衛生上よさそうだ。いくらつこてんねん・・・。

 

そうなってくると、当然収納が問題になる。

安いカラーボックスなどでは本の重みでたわむし、縦幅や奥行きが余るともったいない。

余った手前のスペースに鍵やら時計やらガチャポンやらの小物を置き始めてしまうとか、

余った上方のスペースに横向きに本を詰めてしまうとか、

本が取り出しにくく、見た目も雑然としてしまいがちなのだ。経験談です、ええ。

あと天板の上に埃がたまるの地味にムカつく。

 

というわけで、本にジャストサイズで、天井までぎっしり詰め込める本棚が理想だったのだが、既製品には中々そんなサイズがない。

 

よって本棚は自作で頑張った。去年か一昨年のことだったかな。電動ドライバーくらいの工具類は持ってたし。

 

ホームセンターで木材をカットしてもらって、無塗装のまま金具で繋いだだけのシロモノだが、

ヤスリがけの済んでるきれいな木を買ったので、そこまで安上がりでもなかった。5~6万くらいになったっけ。

 

素人のDIYとなると、強度というか地震で倒れないかってことが心配だけど、

作り付けというか、背板なしで棚板のいくつかを金具で直接壁に固定して、側板も天井に突っ張っているので、そこは大丈夫なはず。

地震がきたら棚よりまず本だけが落ちてくるんじゃないかな。

後は、容量MAXになったとき、床が荷重に耐えられるかどうかだな・・・。

 

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周囲が散らかってるので一部だけ。プリンターやパソコンの配線が裏に通ってたりする。

 

仕舞ってある本は、断捨離を経て自分なりに厳選されてると思う。

漫画の棚で目につくのは、

鬼滅の刃・シャドーハウス・サマータイムレンダ・スパイファミリー・チェンソーマン・乙嫁・ダンジョン飯天地創造デザイン部・とんがり帽子のアトリエ・宝石の国魔人探偵脳噛ネウロ蟲師プラネテス・怪獣の子供・魔女・マギ・惑星のさみだれGS美神動物のお医者さんよつばと・落語心中・竹光侍ゴールデンカムイ山賊ダイアリー・チキタグーグー・メテオメトセラ・荒野に獣慟哭す・うしとら・ディスコミ・攻殻・・・

 

本の棚はジャンルがバラバラだな~。今脳内で内容が鮮明なものは・・・、

 

ラノベならロードエルメロイ2世の事件簿(三田誠

バトルのFate本編よりオカルト探偵モドキのこちらがストライク

 

短編集なら新アラビアンナイト清水義範

類作がないので知名度が低いが、伝統のスタイルに筆者の旅行体験が加わって、古くて新しい読み心地。

 

エッセイなら旅行者の朝食米原万里

米原万里の著作はどれも小気味良い。平和な日本と動乱のプラハと両方で暮らした視点がある。

 

小説ならムーンナイトダイバー(天童荒太

東日本震災から数年後、海から遺品を集めるダイバーという題材がいい。深海という異界へ赴く感覚もよき。

 

児童文学なら果てしない物語(ミヒャエル・エンデ

児童文学ジャンルは推しが多すぎるが、あえて、あえて選ぶならこれかなあ。一冊完結だし。

 

紀行なら世界屠畜紀行(内澤旬子

辺境紀行モノは色々読むが、屠畜という一貫したテーマ、イラストを描くなどのタスクで観察が深い。

 

ノンフィクションなら猟師の肉は腐らない(小泉武夫

マタギの文化をユニークなおっさん二人の交流物語に仕立てていて読みやすく面白い。

 

ドキュメンタリーならエンデの遺言ミヒャエル・エンデ

根源からお金を問う、貨幣経済にどっぷり浸かって生きてるとわからない、お金の成り立ちや本質を紐解く

 

歴史なら文明を変えた植物たち(酒井伸雄

チョコ、芋、タバコ、ゴム、当たり前に身の周りにある植物がどこをどう旅してきたのか教えてくれる。

 

神話学なら神話の力(ジョーゼフ・キャンベル)

尊い。当ブログの元ネタ、神話の収集に止まらず、神話の解釈によって至福の追求を実践している。

 

比較文化論ならイスラム原論(小室直樹

どっぷりつかって生きてるとわからない、西洋的発想の来し方を紐解く。読んでると頭良くなる感パない。

 

変わり種ならタロットの謎(大澤義孝)

幽体離脱で直観を得てから書くとかいう独特過ぎるメソッドの本。タロットの由来は古すぎて文献がないので、そんなアプローチで書いても苦情はこないし何しろ面白い。このメソッドも当ブログで真似してるなw

 

ああ、でも推しを1ダース選んでみたらなんとなく、

エキゾチックなものかオカルティックなものが好きっていう傾向があるな。

自分は出不精なんだけど、異文化体験というか、カルチャーショックというか、

未知の世界観、異なる価値観に出会って、自分が今まで常識と思っていたことが崩れる瞬間が快なのか、そういやそうだ。

 

年齢と経験とともに、本選びに失敗しないコツというか、本屋でのシックスセンスというか、表紙とタイトルとあらすじから内容をサイコメトリーする感覚が培われているような気もするし、

それでも勝率は七割というか、積ん読になっちゃう本もそれなりにある。

 

この自粛要請のご時勢で、フィールドワークもできないし本を書きましたっていう著名人もちょいちょい見かけるので、

本屋のラインナップはしばらく充実するだろう。

 

というか、自宅の本棚をいくら自分好みにカスタムしてみたところで、

自宅から数十分の本屋、あるいは図書館に行けば、一生かけても読みきれない量の本があるってことを思うとなんだかクラクラしてくる。

検閲のない、古今東西玉石混交の書架。

全世界全時代を見渡しても誇るべき豊穣に疑いないのだが、しかし、

一生出会うことのない知識、一生出会わない言葉が、本に収められて「どうぞ」とばかりに目の前に整然と並んでいるというのも、途方もない話だ。

 

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この恐怖そういうことだね♪ ハロウィンハロウィン♪  

この見せ方、魔女1作目の衝撃の見開きを思いだすね♪ 知識に溺れたニコラの末路だね♪

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かと言って、もし人生が何百年とかあったとしても、全部は読まないだろうなあ~。

栞子さんのように活字なら何でもいいっていうタイプではないので、

七割以上は興味持てなくて積ん読にする予感しかしない。

ていうか年々、スマホかパソコンの画面を眺めてる時間のほうが長くなってるし。

 

まあ、例えば。

中華の宴席料理、満漢全席を食する機会があったとしてもだ、

とてもじゃないが全部は胃袋に入らないし。

美味しいからって、食べつけないものを詰め込めば腹具合がおかしくなるだろう。

 

情報でも食べ物でも、適量と適性がある。

どんなに見栄えよいものであっても、イコール正しく身になるわけじゃない。

自分の心と体に合うものを、必要なだけ選ぶセンスというか、

心と体のリズムに耳を傾けていると、それとハーモニーになる波長を発してるものが解るっていうか。

ピンとくるとか、ときめくとか、琴線に触れるとか、輝いて見えるとか、考える前に体が動いたとか、色々表現はあるけども。

 

そういう感覚は生得的に備わる本能でもあるけど、それを意識して伸ばすほど、

この世界への適応力、生存率、人生を楽しめる期間の長さが変わってくる。

インスピレーションは人生のあらゆる場面で捗る力だ。

 

読書が趣味です、とか言うと、つい読書量でマウントとる発想になるけども、

どっちかっていうと、

なぜか何度も読んでしまう本とか、

泣き所じゃないところで泣けてしょうがない本とか、

心に焼き付いてずっと忘れられない言葉とか、

それまでの世界の見方を変えてしまう考え方とか、

 

そういうものに出会えてるかどうか。

無数に開けていく情報の海から、自分の心を映すもの、心の痛みと響き合うものを直感する力があるかどうか。

読書というメソッドを、心の求めるものへ続く道にできているかどうか。

そういうことが大事なんじゃないか、と思ったりする。

 

五十嵐大介魔女で、およそ言葉で記され得る全てってくらい、膨大な知識を網羅したニコラには、しかし自分の心が見えていなかった。

心の痛みから目を逸らし、その代償行為として情報を詰め込んでいただけだった。

穴の空いた心に何を詰め込んでみても、いつまでも飢えは満たされない。苦しみは終わらない。

 

苦しいと訴える心のために、読書というメソッドを使うことが望ましい。

目的と手段を取り違えないようにってやつだ。

 

槙島聖護はそこんとこよくご存じだ。彼は心の求めるところに忠実だからね!

「紙の本を買いなよ。電子書籍は味気ない。

本はね、ただ文字を読むんじゃない。自分の感覚を調整するためのツールでもある。

調子の悪い時に本の内容が頭に入ってこないことがある。そういう時は、何が読書の邪魔をしているか考える。
調子が悪い時でもスラスラと内容が入ってくる本もある。

何故そうなのか考える。精神的な調律、チューニングみたいなものかな。

調律する際大事なのは、紙に指で触れている感覚や、本をペラペラめくった時、瞬間的に脳の神経を刺激するものだ。」

 

これはほんとに毎日本読んでる人の言葉だよなぁ。

 

スマホ通信制限かかったかなーって時に阿部寛のHPを見るようなもんだろうか。

違うか。

ゲームのタイムアタックとかすると日によって調子の良し悪しがあるの分かるな。

おもくそデジタルだけど。

 

いや、そもそもそういうふうに、自分のパフォーマンスを計るための習慣をもつっていう、その発想自体が興味深い。

 

楽家だったら楽器の調律をするとか、

料理人だったら包丁を研ぐとか、

画家だったら絵の具を調合するとか、

歌手だったらドレミレドを発声してみるとか、

 

道具(身体)を整備することで、心を整えて、プロはそれから仕事にかかるものだ。

 

自分を知るとか、心の声に耳を傾けるとか、内省するとか、至福を追求せよとか、

簡単に言うけども、具体的にはどうやったらいいのかっていうヒントがそこにあるな。

瞑想はたやすく迷走になる。

見ることに慣れ過ぎて、見えないものに集中するのが難しいのだ。

だから、何かに映してみる。身体を使って現実に出力してみる。

それで客観的に見えるようになる。

 

指先で薄い紙を捲っていくのも、糸巻きを微妙に回して音を調節するのも、刃物の微細な凹凸を手応えで感じるのも、絵の具の色がピンとくるまで混ぜるのも、声帯から胴を震わす音を出すのも、

 

みな、心を映す鏡になり得る。

曖昧な脳内のイメージを、ごく繊細な身体感覚で出力してみて、フィードバックする。

脳内のイメージが現実に裏打ちされて精度を増していく。

イメージ→リアル→イメージ→リアル、

思考と肉体、精神と物質の陰陽の往復を繰りかえすうちに、

過去の再生や自我の肥大や被害妄想、実体のない葛藤は鎮まって、等身大の心身の感覚が掴めてくる。

 

魔女ミラは「言葉と経験は同じ量ずつないとバランスがとれないのよ」と、

立派な書庫を持ちながら弟子に本を読ませない。

 

言葉が捨象してしまうもののほうに重きをおき、心と身に備わる感覚すべてで世界をあるがまま感じるのだと教えてくれる。その教えは実にもっともなのだが。

 

言葉を経験を擦り合わせ、バランスをとるメソッドもあるってことかな。

毎度の正反合の持論だが。

 

膨大な情報を発信する現代社会では、摂取量の節制が難しい。

喧騒から離れ、ミラのような自然と調和する暮らしをイチから始めようとすると、

かなりの行動力が必要になる。長期休暇の取得か転職、候補地の選定、予算の確保。

 

消化の暇もなく情報を嚥下し、さながらフォアグラの如き食べ頃に仕上がった諸兄には、

まず槙島聖護の方法論から始められるがよろしかろう。

 

何でも金と電気が肩代わりしてくれるライフスタイルになってしまったが、

それこそが身体性を薄れさせ、便利と引き換えに生きてる実感を失わせているのだ。

 

だれの生活にも、まだどこかには調律になり得る身体操作法が残っているだろう。

 鉛筆をカッターで削るとか、マッチで火をおこすとか、ウクレレを買ってみるとか、紙の本を買うとか。

そのくらいのことなら気軽に始めてみてもいいわけで。

 

してみると、本棚を自作するのも結構良かったよな。

寸法計って、設計図ひいてみて、ホムセンで木を選んで、

木を自分で鋸で切ってみたらもっと良かったろうけど、金槌やネジで組んで。

頭と体をつかって、想像を現実にした。

素人のDIYでもなんでも、お金を出して買うだけよりずっとずっと、心身に健やかさを与えてくれたことだったのだ。

 

 

 

追記!

記事を書きあげてからテレビをつけたら、最近は拠点を2つ持って、平日は都会、週末を田舎で過ごすデュアラーとか、そんなライフスタイルが紹介されていた。

自然のなかでDIYやサーフィンをして過ごし、リフレッシュすると。

都市と田舎のデュアル、両極を持つ。

いいね、人間性が柔軟になって幅が出そう。

マツコ会議勉強になるわ。


 

お題「我が家の本棚」

お題「自慢のコレクション」

お題「好きなシリーズもの」

お題「断捨離」

チェンソーマンを解釈する。マザコンの最終回答(ファイナルアンサー)

チェンソーマン コミック 1-10巻セット

 

チェンソーマンが意外と読みごろの巻数で描ききってくれた。

飽きちゃう前に読み終われてとても満足なきもち。

 

チェンソーマンのなにが面白くて読んでたかっていうと、絵がオサレなのと、

あの週刊少年ジャンプがこのアングラ感のカタマリみたいな漫画を載せるんかいっていうところ。

おいおい週刊少年ジャンプでここまで描いていいのか?グロだよ?鬱だよ?

これ月刊とか増刊じゃなくて週刊のジャンプだよ?

小学生男子が学校で回し読みするに相応しい王道の明るさや熱血さ、崇高さが皆無だよ?

ダークでダーティで卑俗で、アフタヌーンとかIKKIとかのマイナー誌の読み心地でしかないよ。

っていう、自分のなかにあった少年ジャンプ像のボーダーラインがグラグラしてハラハラするのを楽しんでいたのだ。

 

ちょっとアレ過ぎて人に勧めるのはためらう漫画なんだけど、

解釈して面白そうではあるので、以下全ネタバレ有りで書いてく。

 

まずざっと粗筋。

悪魔とデビルハンターのいる世界で、主人公デンジはチェンソーの悪魔と契約し、人外の力を得る。

最底辺の暮らしをしていたところから、マキマという女性に拾われ公安組織で雇われることになる。

一話から一貫して主人公の動機はマキマへの思慕になる。

 

この作品における悪魔、というのは人間が恐怖する概念の実体化みたいなもので、人が恐れるもの、蛇・幽霊・ゾンビ、など分かり易いホラー映画の常連から、

銃の悪魔、爆弾の悪魔、台風の悪魔、未来の悪魔、宇宙の悪魔、天使の悪魔、など、

概念ならば何でもアリの様相を呈してくる。

だんだんどんな悪魔なのかピンと来なくなるが、

まあ世の中色んな恐怖症があるもので、その対象全部が悪魔になり得ると思えばいいんだろう。

序盤のザコ敵でトマトの悪魔とかいるからな。トマトを怖いと思ったことはないが、

例えばグモッた死体を見て潰れたトマトを連想したら、その後トマトを見る度に恐怖を想起してしまう、みたいなことはままあるときく。

未来の悪魔は予知の災厄、ラプラスの悪魔パンドラの箱みたいな、避けられない未来を知ってしまう恐怖のことで、

天使の悪魔、というのが意外というか言葉が矛盾してて面白いが、

羽の生えた美少年の外見で、触れた人の寿命を吸い取るという。

いわゆる死に際にお迎えにくる天使のイメージがあるけど、

死んだから天使が迎えに来るんじゃなくて、

天使が来るから死ぬのかも、殺されて連れていかれるのかも、

という逆説で恐怖が発生するってことかな。

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そう思うと、この見慣れた絵面もホラーになる認知の不思議。これを拉致現場とする解釈も成り立つのだ。

 

天使ネタは他にもでてくるし、その辺は設定が凝ってそう。

悪魔って基本は堕天使なわけで、天使と悪魔はそもそも表裏一体だ。

主人公の名前の中にも、テンシの音がある。

 

で、物語の序盤では倒すべき目標、お約束のボスキャラとして銃の悪魔という存在が提示される。

 

銃の悪魔の手がかりを探して悪魔を狩るうちに、主人公と同僚達が仲良くなっていく。

 

のだが。

 

そこらまではまぁ、邪道な味付けなりに、王道な展開だなーと、脳死で読めたのだが。

 

主人公と同僚達がケンカしたり折り合ったりして、パーティとしてまとまってくる、

共同体、疑似家族として成立したあたりから、一気に狂った展開に落としていく。

 

人類共通の敵と思われていた銃の悪魔は既に封印済で、

国家間で核の抑止力のように運用されていたことが明らかになる。

 

不法に銃が流通しているのは、銃の悪魔が契約をバラまいているせい、

と思わせておいて、実際は人間同士で銃の密売がされているだけ。

 

まあ、人間の悪意のほうが、悪魔よりエグいというやつだ。

 

脅威の敵を倒す、という少年誌的テーマの根幹が揺らいだところで、

ちょいちょい怪しい黒幕ムーブをかましていたマキマが正体を現してくる。

 

まあ、この辺まではまだね?

敵と思っていたものが、より大きな何かに利用されている木偶に過ぎなかった、くらいなら、

進撃の巨人とか、それなりにまだ既視感はある展開なわけだけども。

 

真のラスボスとして、支配の悪魔、という正体を出してきたマキマは、

主人公と契約しているチェンソーの悪魔を欲している。

主人公のメンタルを殺せば悪魔だけが残るだろうってことで、精神攻撃を仕掛けてくる。

具体的には、時間をかけて仲良くなっていった人達を、主人公から取り上げる。

恋仲になりそうだった娘を暗殺したり、

同僚達を主人公自身に殺させようと仕組む。

 

まあ、ここまでもまだ判る。

それで「俺はもう助からないから殺してくれ、お前は生きろ。」とか言い遺して死ぬパターンかなーと思ったら、

そこがもう全然だった。

主人公と同年代の同僚、ナルトとサスケみたいな仲間であり好敵手のキャラと死力を尽くして戦うのに、そこにあるべき心の交流が描かれない。

 

同僚はマキマに操られたまま、何も語らず、何も遺さずに死ぬ。

 

ので、主人公は殺し合いから何も得られず、とても絶望する。

 

呆然としたまま、マキマのところへ行く。

「マキマさんの犬になりたいです」と言う。

考えると辛いばかりだから、もう何も考えたくない。ただ命令されることに従っていたいと言う。

 

そんな主人公見たことねえなwww

そりゃ人間そういう本音もあるけども、ヒロインの前で強がりみゼロでぶっちゃける男の子があるかい。

 

「自立する」「自ら意思決定する」とか、そういう獲得すべき普遍のテーマをブン投げて、

支配者に隷属したいと自ら言い出すとか、一周回って新しいわー。

 

さて、しかしこの展開が無理なく成り立つために、いくつか仕込まれているネタがある。

 

支配の悪魔、格下と思うものを支配できる、という能力を持つ悪魔の正体を現したマキマの姿は、

腹から伸びた鎖で、支配する者を繋いでいる。

 

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対して主人公は、自分の腹から腸を引き出して首に巻き付けるとかいうイカレたファッションで戦う。ジャンプの主人公だぞおい。

 

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これ見たら、あー臍の緒が首に絡まっちゃうやつかー、と連想するよな。

 

つまり、マキマが象徴的に母で、主人公は胎児、という外見的特徴を付与されている。

 

主人公は最底辺の暮らしをしていたと言ったが、

その記憶に母親の面影はなく、父親を殺してしまったことを抑圧して忘れている。

初等教育もなく、父親の借金を返すとしてヤクザに搾取されているという、

全方位に積んでる真っ暗な人生だったところから、

 

マキマが新しい人生をくれた。衣食住、適性に応じた職、そして疑似家族、

人として必要とするものをみんな与えてくれた聖母だったわけだ。

 

子どもという生き物は無条件に母を愛し頼る。

が、互いに等身大の人間であるなら、時間が経つにつれ齟齬は生まれるものだ。利益が一致しなくなる。

そこで母から離れ自己を確立するルートでないとしたら、残された道は?

子が母を従える、母との一体化、という方向になる。

 

「今思えば、俺はな~んも自分で決めてこなかったな」と、反省からの自立ルートに入れる選択肢の場面もあったのだが、

「それが普通でしょ」とそれを肯定したキャラがいて、そこが同化エンドルートへの分岐だったと思う。

 

分離か、同化か。エヴァとかも胎内回帰とかそっちルートに行った物語だけど、

 

チェンソーマンは全く回りくどくなく、直喩で、あからさまにそれをやらかしおった。

 

食べた。マキマを。

ラストバトルの後、そのままだと復活してくるからっつって、

バラバラにしてタッパーで冷蔵庫に入れて、アパートの一室で毎日調理して食べた。

 

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「マキマさんってこんな味かあ・・・」って

 

ヤバイヤバイヤバイ。完全に猟奇犯罪者の絵面とセリフだって。

ありふれた生活感の中に食人描写をブチこんでくるな。レクターか座間かよ。

ジャンプの主人公だって言ってるだろ!?

 

ヤバすぎて大炎上するのではと心配になったが、そこは鬼滅ブームに隠れた感あるな。

いや最終話だからもうそこは炎上商法でも良かったのかもしれないが。

 

この漫画の世界観では、悪魔は死によって地獄と人界の間を転生し続けるものらしく、

次週ではマキマさんは幼女に転生して再び主人公のもとに現れ、共に暮らすよう託される。

 

世話してくれる年上の女性から、世話すべき年下の女性に変化する。

 

支配者を倒すと、支配を軸に関係性が反転するというアレだ。主従が逆転する。

今度は主人公が支配者であり庇護者になる。

幼女になったマキマに、今度は主人公が衣食住や安心を与える番になる。

 

生死は理であって善悪でなく、この関係性から次はなにを学べるかってことかな。

 

異常な展開が続いて、常に驚きを提供してくれた漫画だったけど、

主人公とマキマという視点からは割と妥当というか、物語としてまとまっていたと思う。前作ファイアパンチから随分成長してるな。

 

主人公の意識が非常に低いというか、未だ自我同一性拡散の段階というか、

食べたいヤリたいチヤホヤされたいという動物並みの率直さで、

他者に共感したり、本能と理性の間で葛藤するレベルにまで達してないっていうのも命題の設定として良かった。

胎児というか、幼児というか、それくらいの精神年齢と発達段階でこそ、母が好きだから食べてしまうっていうのが正解で有り得たというか。

オギャオギャの赤ちゃんだったら毎日お母さんの乳(血肉)を食べることに抵抗があるわけもないじゃない?

 

母性存在に対して、父性存在も割とちゃんと機能してたしな。

主人公たちを鍛える師であり、マキマを危険視するオッサンが人類勢代表として物語の土台を支えていた。

 

チェンソーマン、面白かった。

 

そういえば、なんでチェンソーの悪魔が、他の悪魔から狙われたり慕われたりする特別な能力を有してるのだろうか。

チェンソーは、まあ、十三日の金曜日の映画とかでズタズタに肉を千切る凶悪な凶器っていうイメージもなくはないけど、

そもそもは木を切る工具だ。適切に使用すれば便利な道具であり、恐怖の象徴ってことはないだろう。

 

そういえば、マキマというのは耳慣れない響きの名だが、マ木マ、で真ん中の木を切れば、ママになるな。

 

チェーンとソー、鎖と鋸、

最初はノコギリの切る機能で戦ってたけど、

途中から鎖を使ってスパイダーマンのようなアクションをしていた。

 

刃で断ち切ることと、鎖で繋ぎ合わせること。

対極の両義を持ち合わせることで、完全性が成立する。

それを一種の万能や超越と見做すのは、とても自分好みの考え方だ。

 

チェンソーマンに滅された悪魔は、

あの世とこの世を行ったり来たりの輪廻の輪から消失するという。

転生に、終わらない生の苦に飽いた悪魔は無を望むという。

それって解脱とか涅槃っていうやつのことかな。

 

そこでヒーローや神仏に願う他力本願でなく、

 

自らのなかにそこへ至る道があると知ることだ。

 

分離も同化も繰り返し現れる生々流転の相のひとつに過ぎない。

 

いずれ全てが尽き果てて至るどこかがあって、それが解れば、

時間と空間の隔たりも意味を失くし、いつでもどこにでもそれはあると解る。今、ここにもだ。

 

輪廻も、有限の世界の旅の全ても、唯再びそれを知るためにこそ在るのだ。

 

 

 

 

inspiration.hateblo.jp

 

 

今週のお題「鬼」

六時間耐久歌舞伎・風の谷のナウシカ を解釈する。

 

年始にBSプレミアムで放送してたのを録画。ようやく視聴完了した。

六時間っていうと、まあアニメだと一期十二話ぶんくらいのボリュームではあるけど、

なんせ根が田舎者だから歌舞伎なんて通しで見たのは初めて・・・、いや。

現代歌舞伎はワンピースとか初音ミクとかサブカルチャーからも題材をとってて、

千本桜をニコニコで見たことあったな、そういえば。面白かった。

それで原作が至上という色眼鏡をかけて見るってことはなかったのかも。

 

良く出来ていたと思う。原作リスペクトは感じた。

あとめっちゃお金かかってそうで贅沢だった。景気がいい、気前がいいって感じがして良かったわ。

 

しかし六時間は長かった・・・。

なんていうか、その六時間もの長丁場に付き合ううちに、

客席と舞台のあいだに連帯感とか一体感が生まれるというか。

鑑賞時間の長さに耐えた、役者もだけど自分もよく頑張った!

っていう、やりきった気持ちが上乗せされての評価になるね。

体育祭の後みたいな気持ち。順位はともかく楽しかった的な。

 

それで長さも負担だったけど、内容の重さ暗さも負担だったわい。

原作のヘビーさがそのままっていうか、まあ原作準拠ではあるけども。

 

アニメ映画だと、

空を飛び景色が流れていく爽快感や、音楽の勇壮さ、テトのかわいさなど、

ストレスに耐えるための清涼剤が置かれてる補給地点があるのだが、

 

そのどれも歌舞伎だと不得意な表現だったんだな。

宙釣りメーヴェで飛ぶのは一回やったけど、テトやトリウマなどの動物の表現は癒しになるレベルではない。

 

代わりに、歌舞伎の得意な演出がどんどん出てきた。

舞台でだばだば水を流して殺陣とか、照明で胞子を表現するとか、舞台が回転するとか、髪をぶん回す連獅子とか、

なにしろ六時間の長丁場をもたせるんだから、出し惜しみなしの見本市っつーか、

飽きてきたころに程よく派手な見所が来て、そこはおもてなし感が行き届いてた。

 

背景の絵がほぼ使いまわしなしだったのも慄いた。何十枚描いたん。

まあ、絵のクオリティはジブリと比べるのは酷だったけど、手数はすごい。

いや、うーん、そこはも少し枚数を絞ってでもクオリティ上げたほうが良かったかもな。いくつか良い絵もあったけど。

ナウシカの世界観は独特だから、風景の絵こそ主役みたいなとこあるし。

そこは観客が映画のイメージで脳内補正かけて見るしかないっていう。

 

特に良かったのは、豪華絢爛な衣装や、舞のパートかな。

 

背景絵やハリボテの王蟲は、それだけではやっぱりイマイチ感情移入できなかったので、

王蟲の精として子役に真っ白な衣装を着せて舞わせたのは、いいアイデアだったと思う。

歌舞伎ならではの表現で王蟲の心を表現してみせた。

 

ナウシカも同様で、ナウシカって、等身大の人間というよりは一種の観念的な理想像みたいなキャラなので、演じるのが難しいっていうか、

高尚なセリフは喋れば喋るほどボロが出るっていうか、エラソーでキッツ、みたいな感じがしてくるので、

そこで舞で心を表現するならば、研鑽を積んだ芸にはセリフ以上の情報量がこもる。

「悲しい」と口に出すより、後ろを向いて背と首を傾けるだけで表現する悲しみのほうが、ずっと高度で心に迫る表現になる。

舞と歌でなら、白鷺にも藤の精にもなれるわけで。なら女神とも聖母ともなれようというもの。

 

ナウシカの舞は大海嘯の一場しかなかったが、後半でもどっかで舞って欲しかったなー。

ラストあたりでは原作の情報量を消化するので手一杯のように見えた。

 

まるまる引用しちゃうけど、この原作でのやりとり。

 

ナウシカ

「私達の身体が人工で作り変えられていても、私達の生命は私達のものだ。生命は生命の力で生きている」
「その朝が来るなら私達はその朝にむかって生きよう」


「私達は血を吐きつつ、繰り返し繰り返しその朝を越えてとぶ鳥だ!!」

 

「生きることは変わることだ。王蟲も粘菌も草木も人間も変わっていくだろう。腐海も共に生きるだろう」
「だが、お前は変われない。組み込まれた予定があるだけだ。死を否定しているから。」

墓所の主
「これは旧世界のための墓標であり、同時に新しい世界への希望なのだ」
「清浄な世界が回復した人間を元に戻す技術もここに記されている」
「交代はゆるやかに行われるはずだ」
「永い浄化の時は過ぎ去り、人類はおだやかな種族として新たな世界の一部となるだろう」
「私達の知性も技術も役目もおえて、人間にもっとも大切なものは音楽と詩になろう」

ナウシカ
「絶望の時代に理想と使命感からお前がつくられたことは疑わない」
「その人たちはなぜ気づかなかったのだろう。清浄と汚濁こそ生命だということに」
「苦しみや悲劇やおろかさは清浄な世界でもなくなりはしない。それは人間の一部だから・・」
「だからこそ、苦界にあっても喜びやかがやきもあるのに」

墓所の主
「私は、暗黒の中の唯一残された光だ」
「娘よ。お前は再生への努力を放棄して人類を滅びるに任せるというのか?」

ナウシカ
「その問いは滑稽だ。私達は腐海と共に生きてきたのだ。亡びはすでに私達のくらしの一部になっている」

墓所の主
「生まれる子はますます少なく石化の業病から逃れられぬ。お前たちに未来はない」
「人類はわたしなしには亡びる。お前たちはその朝をこえることはできない」

ナウシカ
「それはこの星が決めること」

墓所の主
「それは虚無だ!!」

ナウシカ
王蟲のいたわりと友愛は虚無の深遠から生まれた」

墓所の主
「お前は危険な闇だ。生命は光だ!!」

ナウシカ
「ちがう。いのちは闇の中のまたたく光だ!!」
「すべては闇から生まれ闇に帰る。お前たちも闇に帰るが良い!!」

墓所の主
「お前は悪魔として記憶されることになるぞ。希望の光を破壊した張本人として!!」

ナウシカ
「かまわぬ。そなたが光なら、光など要らぬ」
「巨大な墓や下僕などなくとも私達は世界の美しさと残酷さを知ることができる」
「私達の神は一枚の葉や一匹の蟲にすら宿っているからだ」

 

これ漫画だと、

そこまで読んできたヘビーさをぶつけられる直接対決のカタルシスがあって、

心に焼き付いて人生観を変えかねない名言しかない場面なんだけど。

これをセリフでただ喋られてもな・・・ってなっちゃった。

ここのところこそ、なによりも舞と歌とで表現するべきだったでしょ。

 

科学の栄光と永遠を啓蒙する墓所の主と、観客に、

論破して攻撃してみせるのではなくて、

舞と歌とで 無常観 を伝えられてたらなあ。

それこそ歌舞伎の真骨頂だったりしないのか。

 

兵どもが夢の跡、盛者必衰、生々流転、夢幻泡影。

 

どれほどの過去も、失われ忘れられるからこそ、今に生きられる。

 

今日枯れる花があるから、明日咲く花に会える。(SKYHI)

 

こういうのは、ある境地、心の在り方なので、言葉ではなかなか沁みないんだよな。

詩や歌や舞や物語、芸術に昇華することで、観る者をそこへ導いてくれるものになる。

 

なるのにな~。

 

まあ、この後に、巨神兵VS墓所の主を連獅子でやるっていうのも、派手なバトル描写になってエンタメ的には正解だったと思うけど。

 

ナウシカのテーマの深さに肉薄するなら、ほんとそこをさ・・・。

 

ていうか、テーマの深さを表現するというなら、アスベルとナウシカが落ちる腐海の底。清らかな砂と水だけのあの場所がさ。

自分が最も注目するのは、あのすべてが尽きて終わる、静かな場所。

青き清浄の地が、なぜ心でしか行けない場所だと言われるのか、そのあたりなんだけども。

映画のエンドカットで、ナウシカのゴーグルがあってチコの実が芽吹いている、あれが最重要なんだけど。

ま、そこはいずれ自分で書かないとな。 

 

 

いや、まあ、うん。

衣装はほんとに凝ってて凄かった。特筆すべき素晴らしさだった。

歌舞伎といえばの「ぶっ返り」で衣装が変わるとかだけでなく、

お幾ら万円かかっているのやら、場面によって次々に細かく衣装や鬘が変わっていく。

歌舞伎では、それが心情や内面や色んなことの表現になってるんだな。

服や髪を変えることで何かが変わったことを表現するのは、アニメでも見慣れた手法だ。

 

これがテレビの芝居だったら、カメラが寄って役者は顔の表情で表現すればいいけど、

歌舞伎だとそれじゃ客席の後ろの人が良く見えないわけで。

派手な衣装、大げさな隈取メイクや独特の語り口調も、遠くからの鑑賞に耐えるための工夫で、

芝居小屋という空間に最適化して進化していった表現なんだろう。

 

いやむしろ着膨れた衣装や過剰な化粧こそが主役であり、

中の人はそれを最大限に活かすための黒子(くろこ)に徹するみたいな美学があって、

それはとても日本人的な発想だなと思った。

 

道具が主役というか、人が道具に沿って技を磨く、という発想は、

例えば日本刀だ。

日本刀は美しく切れ味は鋭いが、横からの力に弱く、折れやすい。

そこで刀を頑丈にしようとは思わず、

人が正しく構え、正しく振る技を身につけることを善しとする。

そのために毎日でも何年でも修行をする。

非合理的な発想といえばその通り。

 

歌舞伎の体の動かし方も、まず衣装ありきだなって思ったんだよ。

ただ立つときも腕を左右に開いてるのは、袖の柄までよく見せ、着物の形を美しく見せるためみたいだし。

 

これがバレエだったら、バレリーナの肉体美を最大限強調してるところで、

歌舞伎は主体が人間の肉体じゃなくて衣裳の美なんだなって。

もし衣裳ナシで歌舞伎の所作を見たら、なんでそういう動きになるのか意味不明だろう。

 

日本刀てか、単に着物の話でもそうか。

着物ってのは、基本的に反物一枚を直線だけで切り分けて作る。

「着物 裁ち方」とかでググればわかるけど、一枚の布をまったく無駄なく使って作る。

その代わり着てみれば、あちこち窮屈というか、着物に合った所作が要求される。

 

歌舞伎で花道を退場するときのアレ、右手右足を同時に動かす六方の動作とか多分そう。

胴をねじって大きく動いたら、着付けがズレるからああいう所作を生み出したのでは。

 

40秒くらいが分かり易いかな。胴、帯の位置が動かない、ナンバ的な体術だ。

 

洋服は、思った通りに動ける。

その代わり布は人体に合わせて様々な曲線で裁断されるので、再利用できない形の端材が多く出る。

 

服でも刀でも一事が万事っていうか、モノとヒトのどっちが主でどっちが従なのか。

日本ではモノの都合、道具の都合のほうに人が合わせていく、そのために様々な作法を編み出していくっていう精神性がある。

 

己を虚しくし、優れた道具と一体になる道を極める。

その技が確かなら、16歳の少女という型に、四十代の男性が入ることもできる。

 

摩訶不思議、東洋の神秘。

 

・・・いやごめん、頑張って擁護したけど正直言っていい?

テレビのアップで見ると、やっぱちょっと無理めな感じはしたかも・・・。お肌の張り的に・・・。

そこはクシャナのほうがセーフだったわ。

まあそもそもナウシカの尾形菊之助ありきの企画だったので、そこはね。

 

配役に関しては、クシャナ、ミト爺、道化とか、いかにもって感じで良かった。

 

もう一人の主人公であるクシャナの、骨肉の争いのスキャンダラスは古典にもよくあるモチーフで、歌舞伎役者の本領発揮って感じだった。

兄達に嵌められたと思っていたけど、自分を亡きものにしようとした主犯は父だったと知ったときの感情の動き、

親兄弟と殺し合う覚悟を決めた矢先、兄の一人があっさり死んで虚脱して、

争い自体が虚しくなって、ナウシカのところへ駆けつけると、

そこでは父王が死にかけていて、まあ和解っていうか、王位を譲渡されるという流れ。

 

その辺は間違いないクオリティだった。

 

蟲使いとか道化とか、滑稽とか狂言回しのキャラも歌舞伎のなかに蓄積があったっぽくて見応えあった。

道化は原作よりだいぶ扱いが良かったんじゃね。

 

ヴ王のビジュアルが随分美化というか、いわゆる殿とか武将的になっていたのは、

どっちかっていうと原作の醜さのほうが色々拗らせてる結果なのでオーライで。

庭の主を角髷の平安風にしたのも意外にアリだった。

 

そしてアスベルと巨神兵、皇弟ミラルパと皇兄ナムリスが兼ね役だったのが自分的にはニヤリとした。

確かにそのキャラは同じものの裏表だ。同じ人物が演じて相応しい。

 

キャラクターの解釈に関してはさすがにプロだったな。

 

ただ王蟲とかヘビケラとか腐海とか、テトやカイに獣達、メーヴェガンシップ、人以外のものの描写は、いかに宮崎駿が図抜けた天才かってことを再確認することになったという・・・。

 

 

まあ、歌舞伎って根っこがエンターテイメントなんだよな。サブカルと相性がいいのもそういうとこだ。

既知のストーリーで気楽に演出を楽しむのがいい。

テーマを深めるというか、高度な精神性を求めるなら、能のほうがいいんだろう。

 能とか歌舞伎よりもっと途中で寝たことしかないけどw

 

www.kabuki-bito.jp

何度も言うけど衣裳は良かったので、画像のある記事のリンクを。

ミラルパの幽鬼バージョンとか、タタリガミみたいな駿チックな模様がマジ原作リスペクト。

 

 

 

 そういえば、いつかこの歌舞伎の制作秘話的ドキュメンタリーを見たんだけど。

ナウシカの尾形菊之助がカツラについて試行錯誤してて、

姫風とか町娘風とか、原作通りの短髪かとか。

で、結局歌舞伎の常設にはない明るめの栗色にしたところ、それらしくなったと。

 

 うん、そらそーだろうね。やっぱちゃんと見るとそうなるよねって思った。

 

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