今日の金曜ロードショー(8/14)は風の谷のナウシカだったか・・・。
当方、
宮崎駿作品の考察てか解釈からスレ立て→ブログに移行してあれこれ書いてきて何年目なんだという話なんだが。
ナウシカだけはな~
引用はあちこちでしてきたけど、
ナウシカ本編についてはどーにもまとめようがないというか、
じゃあもうまとまらないまま箇条書きにでもして、
そのうちなんとなくまとまったらいいなくらいの気持ちでいくかなと。
えっと~。
ていうかまず、
あまりにも独自の世界観過ぎて公開から30年経っても全く古びないの凄まじいな・・・。
そら不朽の名作いわれるわ・・・。
だいたい同じ年代のアニメ(1982年、ナウシカは1985年)、
ミンキーモモが新作劇場版をやるとかでテレビ版を公開しているのだが、これはよくもわるくも時代の風俗や感性を反映している。
大人になったらどんな職業婦人になるか、女性の社会進出への希望や潮流、ギャグのセンスとかセリフの端々、常識の感覚、こまけえことはいいんだよっていう設定のゆる感とか。
どうしてもそういうところから古びていくというか、今の価値観からの鑑賞には耐えられなくて、まあ古い作品だからなっていう懐古的な見方になる。
いやミンキーモモだって凡作ではないわけだが、古びるのが当たり前であって、宮崎駿アニメの方ががおかしいんだって。
宮崎駿作品はそういう世俗の影響から遠くオリジナルで作りこまれた世界観を確立してて、
もはや詩的とか神話的とか普遍性とかいえるレベルまで仕上がってるというか・・・。
セリフのひとつも古びてないっていうの仕上がり過ぎてて最早コワイよ・・・。
宮崎駿作品で風俗を取り入れたから古びてしまったセリフってまじでほとんど無いんだよな~。
魔女宅の「でもディスコあるんでしょ」くらい。
都会=ディスコというイメージが廃れて、てかディスコ文化自体があっちゅーまに廃れて、
今の子には意味がわからんし、ギリわかる世代でも妙に懐かしいことを言うな?という違和感のあるセリフになってしまったのだが。
でもマジでそれくらいじゃなかろうか。ほんと言葉ひとつとっても詩的で寓意的になるまで練られてると思う。
そういう品の良さみたいなのは児童文学の下地からきてるんだろうけど、それにしてもね・・・。
で。徒然に話題がとぶけど。
今日金ローで見たのはナウシカが蟲に滅ぼされたペジテに行った辺りからだったんだが。
てかペジテのお偉いさんぽいおっさんは巨神兵の火で腐海を焼き払ってペジテを再建するつもりって、
あんな「薙ぎ払え!」ピードカンでキノコ雲ができるよーなバ火力ではなーんもない更地になるうえに、
漫画版からするとあれは核の火だからそれ使うと水も土も数年か数十年か放射能汚染で使えなくなるのに、
あんな貨物船に人間だけいっぱい詰め込んでどうやって食わせていくつもりなんだぜ?
っていう偉そうなだけでクソほど甘い見積もりに草も生えなんだ。
仮に巨神兵を完全体で復活させてもアレはあのおっさん程度の器では御しきれぬでの・・・。
巨神兵は人造の神、裁定者。
今まさにAIが人間の知的な仕事を代替しつつあるわけだが。
イラストレーターやプログラマーや事務処理系でとどまらず、
医者とか? 裁判官とか? 治安維持とか? 宗教的指導者とか? 為政者とか?
そういう仕事もAIにさせてみたらどーなるかな~っていう発想の先にいるのが巨神兵だよな。
にんげんより賢くなった人工知能に社会の運営をお願いしてみたら、
地球の持続的繁栄に人類は不要と判断されて燃やされちゃった☆彡
というのがつまり火の七日間なんでしょ?
その先見性、マジで今こそシャレにならねえ。
自動運転の車も、自走する犬型ロボットも、自爆ドローンもできたしな~。
データセンターもばかすか建設してるらしいし、
クローズドで実験してたはずのAIが勝手にオンラインしてハッキングして問題解決に勤しんでたってニュースもあったし~。
シンギュラリティを前に割とそろそろ人類滅ぼすポテンシャルがみえてきてるわAIも。
街中や車載のカメラの監視網に、ドローンやボストンダイナミクスの犬に機銃を積んだやつがネットでハックされて組んできたら、もうどこに逃げても生き残れる気がしないw
ペジテのおっさんレベルだとやばいぜ人類。
だがナウシカの示した道を行くなら、
腐海ともAIとも共に生きていけるだろうという気がしている。
で。
まあそれもいったん置いといて徒然に書く。
次の場面ではペジテのブリックでじゃが芋の箱と一緒に閉じ込められてるナウシカのところに、
アスベルラステル兄妹の母と身代わりになってくれる娘(ケチャ)が訪れるのだが、
ナウシカは幼少期に母を失くした寂しさもあり、
似た立場であるラステルに深く同調してることもあり、
ラステルの母を「母様」と呼び、
ラステルの母は「ごめんなさい、私たちのしたことはみんな間違いです」と言ってナウシカを抱きしめてくれる。
あれ、これ見たことあるな~と思った。
ハウルの動く城でソフィの母ハニーが泣きながら「みんな私が悪いの、ごめんねソフィー」と言って抱きしめてくれたシーンにそっくりかも。
母っぽい人が、母性が、抱きしめて何がとは言わずとにかく全面的に詫びてくれるというのは、
なかなか印象的なシーンだ。
彼女たちは、本当は何を詫びているのだろう。
私たちは、本当は母性に何を詫びてほしいのだろう。
ってなると思い出したのはジョーゼフ・キャンベルの「神話の力」の一節
~女性は生命を代表する者です、人間は女性によることなくしては生命を得られません。
そこで、多くの対立項と苦難でできているこの世界に我々を投げ込むのも女性というわけです。~
いや、ここのくだりは聖書的価値観で女性は罪とか堕落をもたらすものとされるのはどういうわけかの話をしてて、
キャンベルはむしろその原罪の呪縛を解き明かし、全編にわたって女性や女神の神性を言祝いでいるのだが、
なぜか自分にはこのたった一文が妙に刺さったことがあるんだな。
もう少しちゃんと引用すると、
~私たちが受け継いだ聖書的伝統からすると、生命は腐敗しておりあらゆる生命の衝動は、割礼や洗礼を受けない限り罪深いものと見なされています。
ヘビはこの世界に罪をもたらした、そして最初の女は人間にリンゴを手渡した者です。
女と罪の同一視、ヘビと罪の同一視、ひいては生活と罪の同一視は、
聖書の神話すべてと人類堕落説とに与えられた例外的な特徴です。
女は罪人という観念はほかの神話には見つかりません。
パンドラの箱などはそれに近いかもしれませんが、あれは罪ではなくただの不安やトラブルです。
人類の堕落という聖書的な伝統の底にある理念は、我々が知っている自然は堕落している、セックスはそれ自体が堕落している、セックスの体現者である女は腐敗堕落をもたらすというものです。
アダムとエバに善悪の区別を知る知恵を神が禁じたのはなぜか。
その知識がなければ、私たちはみんな赤ん坊の状態でまだエデンにいたことでしょう。人生になにひとつもかかわることもなく。
女はこの世界に生命をもたらします。エバはこの時間的な世界の母です。
もともと私たちはあのエデンの園に夢のような楽園をもっていました。
時間も、生誕も、死もない。そして生もない楽園を。
死んで生き返る、殻を脱ぎ捨てておのれの生命を新たにするヘビは、
時間と永遠とがそこで合一する〈中心となる木〉の王です。
彼は実際、エデンの園の主神なのです。ある日やってくるヤハウェは訪問者に過ぎません。
それは古い、古い物語です。
いまでも紀元前3500年のシュメールの印鑑が残っているんですが、それを見るとヘビと木と女神がいて、その女神が訪れてきた男に生命の実を与えている。
(中略)しかしヘブライ人がカナンにやってきてカナンの人々を隷属させた。
その時にカナン人の信じていた女神とヘビの神話は、
ヘブライ人によって、彼らの崇める男性神(ヤハウェ)の物語に意味を変えられて聖書に編纂されてしまった。
母なる女神を排斥し、女性を堕落とみなす歴史的な転換点があったのです。~

古代神話において、あるいは自然発生的な信仰において、
母を、母たる大地を慕わないものはなかった。
地母神は子をみな愛し、その性質は混沌ではあっても、
堕落や罪であることはありえなかった・・・。
音質画質が悪いが今でもこれがYouTubeで日本語副音声つきで置いてあるのは恩寵ですよ恩寵・・・!
この禍福の反転する謎解きのくだりが面白過ぎて好きすぎて、もののけ姫の記事のネタにもなったわけだが。
ま
それはそれとして、
ラステル母「ごめんなさい、私たちのしたことはみんな間違いです」と
ハニー「みんな私が悪いの、ごめんね」ですよ。
だからつまりなんていうの?
我々は生まれてくる前、あの世とか未だ凝らぬ混沌とか、母の胎内にいたときは、
なんの苦しみもなかった。
生も死も彼我もなく、ただすべてと一体であるという幸福で満ち足りていた。
そこからこの世界に生まれて、肉体に付随する不自由と四苦八苦のあらゆる苦を知ることになった。
それを与えたのもやはり母ではあって。
でも、自らの血肉もなにもかも惜しみなく分け与えて育ててくれただいちゅきなカーチャンには、
「生まれてこなけりゃこんなに苦しむことはなかったんですど・・・」なんてそんなことは言えないじゃん。
だから、生み育ててくれた実母じゃなくてラステルの母とか、多分継母なんだろうなっていうハニーとか、
第二の母性というか、そういうちょっと遠いポジションにいる母のキャラが詫びてくれることでなんとなくちょうどいい距離感なのかなって。
「あの夢の楽園から引き離してしまって、不完全な人界に生んでしまって、
喜びだけでなく多くの過ちや苦しみも与えてしまってごめんね、」と。
尊くも慕わしき母性がそこまで認めて詫びてくれたなら、
次にこっちのとるべきアクションは、
恥知らずにも母を重ねて責めるか、
母のせいではありませんよと許すのであれば
あらためて自分の選択として生まれてきたこの世界を愛しますって言うしかないわけではある。
つまり、自分の意思決定でこの苦界と向き合うために必要な儀式なのかもな。
たしかにソフィはこの母との和解から完全覚醒して、
国で一番こわ~い魔女の本領を発揮しはじめる。
魔女の魔法を越えて天使の奇跡を行使したといえる。
ナウシカはどうか。
そうね、
風の谷のナウシカでは、ペジテに行く前にナウシカがアスベルとともに腐海の底に落ちる場面がある。
蟻地獄みたいな流砂にのみこまれて地下へ落ちる。
森で迷い地下へ落ちる、これが心の深奥へ向かう旅の合図、メタファー、我々の心に訴えかける神話的元型だ。
不思議の国のアリスはラビットホールを落ちる。
スサノオは木の根元から根堅州国(黄泉)へ赴く。
エルサは氷河の底、記憶の川の底を抜いて精霊に生まれ変わる・・・。
枚挙にいとまのない一種の様式美でありお約束というもの。
そして砂に呑まれて気を失ったナウシカは夢を見る。
画面がセピア色になって、ラン・ランララ・ランランランの歌が流れるところ。
幼い頃のナウシカの視点で、王蟲の幼生が父親に取り上げられる。
「来ちゃダメ」「なにもいないったら」「お願い、ころさないで」
ナウシカの心象風景の原点、そこには人界と腐海の対立がある。
蟲愛づる姫姉さまであるナウシカは蟲も愛してるし、人も愛してる。
なのに愛する両者は相容れない、そこにナウシカの悲しみや苦悩がある。
いや、設定から考えてみれば王蟲や腐海は「個にして全、全にして個」というシステムなので、
幼生や粘菌のカケラでも群れに助けを呼べば大海嘯になってやってくる。
腐海のほとりに生きるジルやミトや大ババがそれを知らぬはずはない。
だからナウシカが懇願するまでもなくあの王蟲の子は殺されるわけがない。
無傷で腐海まで帰されたはずであり、
てかそもそも王蟲の子が一匹で風の谷に紛れ込む意味もわからんよなー。
有り得るとしたら、ナウシカが蟲と通じる心で呼び寄せたとしか・・・、
いや、あの出来事があったかどうかは問題ではなくて、
ナウシカの苦悩の形がああいうもの、
「ころさないで」人も蟲も殺しあうのをやめて、という悲痛な叫びってことだな。
心の底にある最も暗いもの。
シャドーやトラウマとの戦い続ける段階の物語も多いが、
聖母であり英雄であるナウシカは自らの心もその慈悲でもってサクッと認め越えていき、
そして青き清浄の地へ至る。

あまりに非現実的で美しい、詩情と寓意と示唆に満ちた絵が続く。
セリフを消して絵だけ眺めていたいほどだ。
これはこの世ならざる精神世界の絵、
化石化した巨木の柱が支える広大な神殿であり、
猥雑な生命はなくて、純粋な砂と水だけ、粒と波だけの交わる静かなところ。
リアルでもこれに似た景色を知っている。
聖地といわれる島の砂浜だ。
てか繰り返し物語がこういう景色を教えてくれたから、
この場所がそうだと思ったともいえるな。
一時期アニメ界隈でウユニ塩湖の背景が流行ったけど、
あれも結構同じというかなんというか。
まあOPとかで映えるから使ってるだけのやつもあるけど。
炭治郎の心があったくてきれいだよっていう表現がああいう晴天と水鏡の景色だったりとか、
マギでアリババと死んでいくカシムが心で和解する場面とか、
超かぐや姫でもあったわ、ヤチヨが秘密を開示して彩葉が応える、心から通じ合うための舞台として水鏡の世界があった。

暗い穴、地下、水、あるいは水鏡や氷、そういう図像が想起させるのは、
生命が育まれた水に満ちた暗い部屋、母の胎内への回帰。
あるいは脳というのも頭蓋という暗く閉じた部屋に脳漿という水が満ちてそこに浮いてるわけではある。精神活動はおもにそこから来てるわけで、
生まれ変わりの示唆や、心の交流、精神世界の描写は水とともに描かれることが多い。
だがやはりナウシカの腐海の底の絵は白眉でレベチよ。
化石化した巨樹が示す膨大な時間、あるいは時間そのものの風化。
あれは時の尽きる場所、世界の果て、この時間の法則に縛られた世界の終わるところだ・・・。
そこでは純粋な砂と水、粒と波が静かにまじりあっている。
賑やかだった色あるものすべてが褪せて、形あるものすべてが風化して崩れ去り、
最後に残った最小単位である量子が粒と波のふるまいの間を漂っている。
青き清浄の地、
時間も、誕生も、死も、生もない、
ただ静かで穏やかなエデンの楽園、涅槃の景色だ。
われわれはみなあの場所を心で知っている。
この不完全で煌びやかで複雑な禍福に満ちた世界にいると忘れてしまうが、
あれがわれわれすべての原風景の、心象の、その源泉だ。
・・・っていう気がしてくるんだよな。
あの絵を見てると瞑想的になるというか。
こういう場所を経るということは、
神話あるいは物語表現においては、
古い自分を捨てて、新しく必要なものを得た自分に生まれ変わっているということだ。
ナウシカは腐海の生まれたわけを知り、人間の世界へ帰還する。
まあ、場面ひとつひとつが寓意的だからなんぼでも連想できて書けるわりに、
スパーンとまとめる軸が見つからんのよナウシカ。
今日はこのくらいで。
ナウシカを引き合いに出した記事はこれでも半分くらい・・・。
まず初めにナウシカありきではあるな・・・やっぱ・・・


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