ものがたりを解釈する

アニメ、漫画、小説、神話、あらゆるものが語りかけてくること。最も深遠な、でも誰にでも開かれている秘密に、解釈というメソッドで触れていく。

崖の上のポニョを解釈する2 タロットカードとの照応。

ポニョはこうして生まれた。 ~宮崎駿の思考過程~ [DVD]

 

ポニョとタロットが関係あるってのは割と有名な話なのかな?

自分もまとめサイトのコメント欄でヒントをもらって、大澤義孝著のタロットの謎という本を買って勉強してみた。その本が面白すぎて、後でマルセイユ版のカード一式も買ったったw

 

ポニョのストーリーはタロットカードの大アルカナ順に展開していく。

 

ちょっと興味はあるけど、タロットを調べるのは面倒だな~。という人のために対応している意味や場面をざっと書いてみる。図像は気になったらググってくれw

ちょっと順番が前後するのもあるんだけど。

 

番号なし 愚者

道化(ピエロ)、追放された者、2つの世界を行き来するもの、光る袋、など。

冒頭のシャボン玉の中にいるフジモトだ。あの化粧の濃い奇妙な服のキャラデザは道化なんだね。

 

2番 女教皇

ヒロイン、未婚の女性性、物語の力、赤いローブ。ポニョ登場。

 

1番 奇術師

少年、トリックスター、奇跡をおこすもの。そうすけ登場。

 

3番 女帝

母親。リサ登場。

 

6番 恋人

ポニョがそうすけの血をなめるとか、「僕が守ってあげる」「そうすけ好き」とか諸々。相思相愛でカップル成立の辺り。

 

7番 戦車

ピンクの軽自動車、リサカー。

 

4番 皇帝

父親。またフジモト。水撒きしながら、娘を取り返しに来る。

 

5番 教皇

教師。保育園の先生

 

8番 正義

人事を裁量するもの。

「関係ないもの持ってきちゃいけないんだよ」と言うくみこちゃんだ。

 

9番 隠者

老人、隠遁するもの。ひまわりのおばあちゃんたち。

 

10番 運命の輪

「運命ってあるんだよ」とリサが言うw

あと道がめっちゃカーブしてて、ぐるぐるハンドルをきる。運命の輪の回転運動だ。

 

11番 力

女性が獣を御している図。リサがそうすけを抱きしめる。

あと園にもゾウのぬいぐるみを持った女児がいたな。

 

12番 振り子または吊るされた男

子宮で眠る胎児。泡に閉じ込められたポニョ、さかさまになってる。半魚人に変わる。生まれ変わる。

 

13番 無題あるいは死神

ここより先は人界の外、人智を超えた世界、自然界など。

命の水を貯めた井戸があふれて、世界の蓋が開いて、電波と言う電波がダメになり、世界が魔法の力に満ちたデボン期の海のようになっていく。

 

14番 節制

液体をコントロールする。魚の波の上を走るポニョ、水を操っている。

 

15番 悪魔

これはやや要素が分散している。

灯りをもって駆け回るのは、松明をもった悪魔か、お茶にしたりご飯にしたりというのが宴をしているともとれる。アンテナもなんか二股のツノみたいにも見える。

 

17番 星

アンテナを立てに庭に出た時など、滲んで大きな星が印象的な星空。

 

16番 神の家または塔

「この家は灯台なんだよ」というセリフ。

 

18番 月

印象的な月のカットが何回かある。後述する。

 

19番 太陽

翌朝、太陽のカットもある。が、雲がかかっているぞ・・・。重要、後述。

 

20番 審判

トキさんとフジモトのどちらを信じるか、という審判。

審判の天使、グランマンマーレとの会話。

 

21番 世界

グランマンマーレ「世界のほころびは閉じられました」

 

 

見事にタロットどおりなんだよな~。タロットという魔方陣のとおりに物語の要素を配置してて、しかもその魔法に振り回されず、物語が成立してる。卓越した天才の所業というほかないww

 

まあ、ポニョ=タロット、だけじゃ「で、だから何?」だろうから、解釈を進めていこう。

 

18月の前に、20審判21世界のあたりを詳しくしよう。 
審判、というのは、ある世界の終焉に際して、全てを明らかにする。 
次の段階へ移行する際に総決算やテストをする、進級試験、みたいな意味でいいかな。

 

キリスト教的な世界観だと、天使がラッパを吹く合図でこの世が終わった時、最後の審判がある。すべての死者は甦り、その所業のすべては明らかになり、天国に行くか地獄にいくか決まる、とかなんとかいうやつだ。

 

審判の天使、それはグランマンマーレだ。

 

ポニョが「お母さんとーっても怖いよ」と言っていた。 それは彼女が人智を超えた存在であるということだろう。

観音様の御神渡りだ〜という畏怖を感じる存在だ。

彼女はフジモトの心を読む。彼女の前では何も隠せない。 
8番正義のくみこちゃんのように、人間が理解できる範囲の理屈に基づいて何かを判じるわけでもない。 
彼女の基準は人智の想定外だ。 

20番 審判 の場面 
トキさんとフジモトのどちらを信じるか、っていう状況がテスト、試練、審判ぽい。

トキさんは「人面魚が上がると津波がくる」という迷信を信じていたり、 (まぁ津波は来たけど)
そうすけの折り紙の船をバッタだと言ったりする。

グランマンマーレやフジモトを信じないで「あたしは騙されないよ、うまいこと言って皆を連れていっちまったんだ。」と1人だけ山の上に残ってる。足は治してもらったんじゃないのか?まぁいいけど。

 

宮崎駿の実母がモデルらしいけど、これは多分、三次元の人類代表、お魚の段階の人間として描かれているんだろう。 
迷信を信じ、直感に欠ける。でも愛情がないわけじゃなくて、どこか憎めないみたいな。


フジモトは、人間をやめたとか、悪い魔法使いとか言われてたなw

何百年とかかって井戸に精製した命の水を貯め、汚れた人間の時代を憎み、再び海の時代をもたらそうと目論んでいる。

まあ、脇が甘くて、娘に甘くて、憎めない男ではあるけども。道化だし。

 

そうすけは、フジモトに背を向けトキさんに向かって走る。

それは転覆や革命でなく、愚かしさをただ愛する、とでも言うのかな・・・。そういう選択だ。

 

「ぼく、お魚のポニョも、半魚人のポニョも、人間のポニョも、みーんな好き」そういう宣誓だ。

 

お魚、トキさんみたいな、頑迷で物質に生きる人類も、

半魚人、リサみたいな、不思議なこともそのまま受け入れる、勇ましい戦士の人類も、

人間、そうすけみたいな自立してて直感に優れてて、やさしい人類も、

みーんな一緒になって生きて行こうね、っていう。

 

そうすけの選択、宣誓はグランマンマーレによって受理される。

審判には土くれの人型に新しい命を入れる、という儀式や、新しい世界へ生まれ変わるという意味もある。

お魚のポニョは五歳の人間の女の子へ生まれ変わり、

 

21番世界、命の水によって洗われ満たされた、新しい世界が始まる。

ポニョは、そんな物語だ。

 

ところで、トキさんとくみこちゃんは水色に白い襟の良く似たワンピースを着てる。

ポニョをディスって水をかけられて服が濡れて台無しという同じような目にあう。

タロットの本によると、隠者の中に女教皇が隠れている、表裏一体であるという暗喩があったり、 
老人と少女は互いにないものを補完しあうという意味でよくペアにされる、というネタがある。

これもタロットネタで間違いなしw

 

さて・・・、タロットでは18番月、というのはあまりいい意味のカードではないという。
月が好きな人はこの先は閲覧注意だ。

ポニョは海の話なので、潮の満ち引きを起こす月は当然重要アイテムだ。 

月の絵がある場面を見ていくと、 
舟の墓場?の上に海がおそらく月の重力に引かれて盛り上がっている。 

月は画面の真ん中にどーんと大きく描かれる。 
その次の19番太陽は画面の左寄りに小さく、しかも雲がかかって描かれる。 

これは色んな意味にとれる・・・、が月(見えない世界・魔法)の力が増して 
太陽(見える世界・文明)の力が霞んでる、弱まってる、としておこう。


そしてフジモトが更に大きくなった月を指して「もう時間がない」と言う。 
どんどん近づいてきてやばい、脅威である、状況にタイムリミットがあるってことに月が使われるんだな。 

アルさんのまとめにも、月に違和感を感じる、人工物な気がするとあったが、 

大澤義孝のタロットの本にも似た印象の記述がある。 
月の図像には横顔が描かれるが、半分の顔しか見せない、裏の顔があるという意味。 
月の下には犬が2匹いて、それは争う二つの陣営の意味だったり、 
四角いプールにザリガニがいるのは養殖池ってことだったり。 

絵で月に向かって雫が落ちているのは、どこぞのインキュベーターのように、 
絶望と希望の相転移の感情エネルギーを吸い上げて利用してる存在がいるんじゃないか、 とか書いてあるwww怪しすぎるww楽しいww 

だからっていうか、まあ、 
ポニョでも、サリマン的な支配するなんかの象徴として月が描かれてる気がする。 
敵キャラ、ボスキャラの代わりに月が使われてるって感じかな。

 

18番月、支配するものの勢力が増し、19番太陽、二人の子供をおびやかしている、ともとれる。(太陽の図像には双子がいる。)

 

次元の上昇の試練も、あんまりのんびりした話でもないらしいし、

子ども達の心を塞がせるような陰謀もいっぱいあるっちゃあるからな・・・。

崖の上の、というけど、人類は今まさに崖っぷちにいるという意味かもねw

 

その辺はスレでは詳しくしたけど、ブログではどうしたものか。

とりあえず書くけど、もうポニョからは逸脱しますのであしからず。

 

いわく、人類種の次元上昇を阻止しようとする勢力がある。

四次元の意識レベルの宇宙人でアルさんは便宜上ネガティブ系宇宙人と呼んでいた。

彼らの方が知能が高いので、政治の中枢とかにいて、色んな方法でヒトの意識のレベルを下げようとしている。

あからさまに、ではなく。生活の中に少しずつ毒を混ぜ込んでくる方法が多い。

 

水道水に塩素。農薬、殺虫剤、化学調味料、保存料、添加物。

ケムトレイルで毒を空中から散布。

インフルや子宮頸がんワクチンの保存料にアルミだか水銀。

 うつ病と診断して大量の薬を飲ませる。

ハイブリットカーやwi-fiの強力な電磁ノイズ。

どこもかしこもファブリーズでファブれと訴えてくるCM、

シャンプーや界面活性剤、柔軟剤、経皮毒

 

ま、そんなもの全部を生活から除こうとすると、かなりの手間になるだろうね・・・。

それだけ愚民化社畜化の洗脳と施策は浸透してしまってるってことだ。

 

そういえばポニョはハムが好きだ。

最初にハムを食べる場面はヨモツヘグイでもあるけど、

フジモトは「あんな恐ろしいものを食べたのか!?」って言うね。

ハムてのは、豚を畜産するノウハウ、その肉を長期保存する燻製加工のノウハウ、人の文明が発達したことで食べられるようになったものだ。

そんで、日本ではそれをできるだけ安く食べようと工夫するうち、ハムといえば燻製もしてない増粘多糖類とかナントカたんぱくとか着色料とか香料とかの肉と混ぜ物の塊のことを指すようになった。

そういう背景まで鑑みて、好物がハム、てのはなかなか象徴的で納得のチョイスだと思う。

 

健康を害するものが氾濫してる状況を知れば知るほど、義憤を感じるのは当然なんだけど、怒りも意識のレベルを下げる。

悲しみも同様だ。かと言ってあまりに無知無関心でも毒まみれになるからなぁ。

 

フジモトの「いつまでも幼く、無垢であればいいものを」ていう気持ちもわかる。

ほんと、こんな毒まみれの世界に生まれてくるなんてな。優しくて清浄な存在は、レインボーチルドレンになんて生まれてこないで、ずっと天上の世界で清らかな存在のままでいればいいものを。きれいなものが汚れてしまうのは悲しい。

それでも生まれてきて、毒にまみれても優しさを失わないか、みたいな試練に挑むわけだ。お魚レベルの人間たちのためにな。泣けてくらぁ…。

 

 

漫画ナウシカのクライマックス、墓所の番人とのやりとりで、そういう義憤とかどうしようもなさが言語化されている。

ナウシカ達は腐海の毒に耐えられるよう遺伝子改良された人造品種であり、

そのような操作をした旧人類の代表が墓所の番人だ。

彼らは、同様の人造浄化機構である腐海が環境を回復させるのを待って復活するつもりでいる。

 

ナウシカは支配者にこう言い放つ。


お前は、亡ぼす予定の者達をあくまであざむくつもりか!! 

おまえが知と技をいくらかかえていても 
世界をとりかえる朝には結局ドレイの手がいるからか 


私達のからだが人工で作り変えられていても 
私達の生命は 私達のものだ 
生命は生命の力で生きている 


その朝が来るなら 私達はその朝にむかって生きよう 

私達は血を吐きつつ くり返しくり返し 
その朝をこえて とぶ鳥だ!! 



引用ここまで。 
どれだけ毒を流し込まれても、その朝に向かって生きよう。 
それこそが番人達が最も恐れていることだ。

ナウシカ墓所巨神兵のビームでぶっとばしちゃうんだけど、それは実は本質的解決ではない。

宮崎駿も若い時はそういうオチをつけたけど、ハウルではそうではない本当の自立を描いている。

で、ポニョではもう、月でそれを暗示するだけになってるw

駿は同じことを二度は描かないんだよなあ。常に新しいテーマを描く。すごいポリシーだと思う。

 

だから、自分たちの健康、クオリティオブライフを守りたいなら、

暴いて抗って対決して毒の流布をやめさせようとするよりも、自分の心や体の声を聞けるようになること、センサーの感度をあげることだ。

 

なんか変だな、とか、これは体に合わない気がする、という直感、自分の体が発する警報を察知することだ。

 

国や大企業がやってることだから安心とか、CMでやってるから平気とか、みんな食べてる、みんなやってるから大丈夫とか、そういうのは何の役にも立たないガラクタの思考パターンなので、手放すことだ。

 

科学的根拠とかそんなデータはない、というのは「ただちに影響はない」ていう意味だ。

複合汚染とか生物濃縮とか、複雑で長期的な影響は調べようもない。

科学は単純化の累積で、人体は複雑系だ。複雑なものをコントロールする方法はインスピレーションとなる。これはこのブログ通してのテーマになる。

 

 

まぁ、宮沢賢治注文の多い料理店みたいなもんよ。

なんか変だな、の直感が、舶来だから本格だからという理屈で掻き消されて、

二人の紳士は銃を置いて服を脱いでクリームを塗りこんで、みずから捕食者のご馳走になっていくんだな。

はぐれてしまった白い猟犬は、自らの内に再び見出すことができる。

 

さて、ポニョの髪が素敵な赤毛と言われていたのも駿ワールドでは意味がある。

次のメアリと魔女の花の記事からその辺も書いていこう。

 

 

 

 

 

 


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千と千尋の神隠しを解釈する2 竜神は魔女の弟子になるか?

300ピース ジグソーパズル 千と千尋の神隠し 迎えにきたハク(26x38cm)

 

金曜ロードショー千と千尋、いいねえ~。

何度でも繰り返し観ていい作品だと思う。

子どもの脳内に刷り込み、日本人の無意識に浸透させるべきw

 

さて、色々トピックはあるわけだが。

 

物語の最初のイライラポイント、千尋の母親冷たくね?っていうのから書くかぁ。

 

もうなんつーか、あからさまに娘に冷たいよねー。

それが見てとれるところは多々ある。

トンネルで、千尋は母の腕に手をかけてるけど、普通の母親はそこで十歳の娘と手を繋いでくれるもんじゃないだろうか・・・。

腕に手をかけることを拒みはしないが、手を繋いでもくれない、そういう距離感の母親だ。

川を渡るところで父とイチャついて「あら本当ね」からの「千尋、早くしなさい」の表情の変化とかもあからさまだ。父にはデレで娘にはツンだ。ツンツンだよ

 

この母親なー。

しかしまあ良く見てると、無理もないか、と思えてくる。

 

千尋のなー、直感が正し過ぎる。直観力があり過ぎる。

宮崎アニメの主人公の、わりと標準装備な能力ではあるんだけど。

ハッとした表情になって、そしたら必要なことが解ってる、みたいな。

英雄でも魔女でもない、ごく普通の女の子としてデザインされた千尋の、唯一のスキルと言ってもいいw

知識も武力も処世術も美貌も何も持たないただの子供の、唯一もてる能力だ。

この閃きの力と素直さだけで、見知らぬ世界で成長し親を救出して帰ってくるんだから、あふれかえる異世界系アニメのチートスキルのバーゲンセールの中で比較してみても、なかなか有用なスキルだと言えると思うよw

 

千尋には、トンネルの先に行ってはいけないことも解るし、

並べられた食べ物を食べてはいけないことも解る。

オクサレサマの異物を取って欲しいという訴えも解るし、

ニガダンゴの使いどころも解る。

竜がハクだということも解るし、

油屋の玄関に並んだ豚のなかに両親がいないことも解る。

 

なんかもー、なんでもピンときて解っちゃう。そしてそれは理屈ではないんだな。

異世界でパーティを組むなら是非欲しいキャラだけど、

ごく普通の親がこういう子を育てようと思ったら大変だろうね。

 

千尋の母は、なんていうか理性派?左脳派?

千尋の父が、アクセルをどんどん踏んでどこでもぐいぐい行っちゃう積極的なムードの人で、

母はそれにブレーキをかけてる「やめてよ、そうやっていつも迷っちゃうんだから」とか「引越センターのトラックが来ちゃうわよ」とか。理由を言って父を止めてる。

まあ、父の積極性に流されることを楽しんでもいるようなので、カップルとしてはバランスが良さそうだけど。

情動のハウルと理知のソフィとタイプとしては同じだ。

 

この母にはいつでもそうすべきだということに理由がある。

千尋の閃きには理由がない、なのに、結果をみれば正しいのはいつも千尋のほうだ。

これは、合わないタイプだ・・・。

母の立場になってみたら、千尋は育てにくい子に違いない。

「勘のいいガキは嫌いだよ」というのは大人の真理だww

親の都合や威厳が何度まるつぶれになったか想像に難くない。

それでああいう風にやや突き放して命令するっていうのが基本姿勢になるんだろうけど。

まぁなんとか距離感を測って育ててるだけ偉いわ。

少なくとも湯バーバの百倍はマシな母親ではあるw

 

しかし千尋は誰に似てあんな子なんだかw

母は左脳派なら、父は右脳派、そして直観、閃き、啓示、インスピレーションは両脳が同調、シンクロしたとき発現する能力、というところか。

 

ニガダンゴの使いどころだが、あの丸めた草か泥のような地味~な見た目のダンゴは、

実は作中で最も神格の高いキャラがくれたラストエリクサーなみのスペシャルなアイテムだ。

 

半分に割ったものでカオナシの食べた従業員全員を吐きださせることができるし、

ハクの体を食い荒らしていた2種類の呪いの両方を消すことができる。

 

はんこを返しにいったところでゼニーバが

「あんたこれを持っててなんともなかったかい、あれ?守りのまじないが消えてるね」

「その虫はね、妹が弟子をあやつるために竜の腹に忍び込ませた虫だよ。」

と言う、ここがちょっと見てて混乱するんだけど、

千尋が踏んでエンガチョした虫は湯バーバのものだったらしい。

ではゼニーバのまじないは?

あのはんこにまとわりついてて、床にしみて消えてしまった黒いタールみたいなものがそうだったってことかいな。

 

ニガダンゴは、とにかく異物のすべてをデトックスしてくれる霊薬のようだ。

名のある川の主から異物を取り除いた千尋に与えられる御礼として相応しい気もするし、

つーかじゃあ川の主は自分でニガダンゴ飲めばよかったんじゃねーのって気もするww

まあ、多分、ニガダンゴは川の主がずっと持ってた宝物というわけではなく、

川の主の、ケガレから解放された喜びの気持ちや、あの出来事や縁が形を成して生まれたものなのかもね。

 

名のある川の主も白い竜で、ハクも川の神の白い竜なわけだが、

竜、というのは蛇に似ているようで、やはり蛇ではない。

そもそも魔女の手下や弟子になるような存在ではない。神様だもの。

 

ま、蛇神というのもメジャーで強力な神様ではある。

生命力が強く、毒をもっていることとか、

脱皮を繰り返すこと、殻を脱いで生まれ変わることに不死性を見出したり、

とぐろを巻く円錐の形に山との相似形を見出して山岳信仰とつなげたり、

一本の筒状である体に、口から肛門までがひとつの管である生物の元型を見出したり、

害獣のネズミを捕ってくれること、白色個体がいること、赤い舌をちろちろさせるのが火を吹いてるように見えるとか、

設定を盛るネタに事欠かないので、世界中で多種多様な蛇神がいる。大人気だ。

 

一方で竜というのは、東洋では川そのものの神格化だ。

長くてくねくねしてるのは蛇ではなくて、滔々とうねって流れていく水、川そのものの姿だ。

それはある生物種というのとはレベルが違う。大河や地下水脈や大雨や洪水や、大きな水のエネルギーそのものへの畏怖が生んだ神の姿だ。

 

ハクはまだ子どもの竜で、川を埋め立てられて行くところがなくて、志願して湯バーバの弟子になった。

そういう経緯でもなければ、全盛期でもない魔女に竜が従ってるなんてこたーないものだろう。

一個人が蛇をペットにするのはいけるが、個人が川を治められるかっていうと無理ゲーだ。そういうイメージだ。

だから湯バーバはハクから名前を奪うだけでは支配するには足りないと思って、腹に虫のまじないまで忍び込ませているんだろうね。

 

そしてそこまで手の込んだことをして従えてる竜も、「もうその子は使いものにならないよ」で、あっさり捨てようとする。ブラック企業だな~。人材が一番得難いってことがわかってない経営者ってやだねえ。

 

エンディングでハクは境界の川の向こうに、異界サイドに残る。

虫を吐いて名前を思い出したハクが湯バーバの弟子をやめることは難しくないだろう。

川を埋め立てられてるから、この世には戻ってこれないのかなーとも思うけど。

でも、よく考えたら、

 

千尋が、ニギハヤミコハクヌシという名前を、存在を覚えてるからな。

 

ハクは忘れられた神ではなくなった、

もし、帰った千尋がささやかでいいから社と御神体を揃えて祀って、コハク神社を建立したら、ハクはそれを拠り所にこの世界に戻ってこれるなあ~、とか思ったりもするwww

大事なのは気持ちと縁だからねwもう庭に建てちゃうか、神棚でもいいと思うww

 

そういや、千尋家族の新しい家のあるところは、グリーンヒルとちの木、という山を削った造成地、新興住宅地のようだ。

自由ヶ丘とか夢とか光とか虹とかヒルズとかニュータウンとかそういう系の、最近になって新しくつけましたっていう感じのキラキラした地名だし、整地が終わった土地に売地の看板が立ってる。

で、石の祠やそこにある大木はとても古いもののようで、

平成狸合戦ぽんぽこのように、古いしきたりのある土地に新参者がどっとなだれこんできてるっていう構図になってる。

いかにも古いものと新しいものの軋轢の起きやすそうなところだ。

ああいうところで、千尋の父のような無遠慮にグイグイ行く態度ではトラブルになるのは残当ww

もっと慎重に敬意をもって行動すればトトロのような楽しい冒険になったかもしれないのにねw


 

食べるといえば、千と千尋にはヨモツヘグイの思想が登場する。

黄泉とか、その世界のものを食べて、その世界に馴染むもの属するものになる、その世界の住人になる。

みたいな考え方だ。

ハクが千尋に小さい赤い玉、飴かな?を食べさせれば千尋の体は透けなくなる。

 

橋の上にいるカオナシに、なぜ千尋だけが気が付いたのかっていうと、

千尋が此岸と彼岸の二つの世界にまたがって存在してる状態だったからではないかな。

 

あの橋は下に電車が通ってる。 橋はそもそも世界と世界の境界を意味するし、 
下を通る電車は人界の死者を異界のもっと先へと送るものだ。 

あの橋も人界と異界の中間地点にあると思っていい。 
カオナシは人界と異界の中間にいて、 
蛙男や神様達、異界の存在達には見えてなかった。 

湯バーバがカオナシの気配を察知するのは、橋を渡って油屋に入ってからだ。


人界の存在で、異界のものを食べて、 
同じようにふたつの世界に中途半端に属していた千尋にだけは見えた。 

千尋だけが自分の存在に気が付いて会釈してくれたから、 
カオナシはよろこんで千尋についてくる。 

 

 

カマジイが40年前の使い残りの切符を出してきて「行けるだろうが、帰りがなあ。前は帰りの電車もあったが最近は行きっぱなしだ。」という。

め、とか、めめ、とか、生あります、という謎の表示がある。

 

なんかその辺は、風刺というか、最近の風潮をあらわしてると言うか。

時期がお盆だけど、迎え火や送り火、死者をもてなしてまたあの世へ帰す、

みたいな儀式や、そういう意識自体が40〜60年前と比べても減ってるんじゃないかな。

 田舎の農家で一軒家で、代々の墓も歩いていけるとこにあった祖父母はそんなこともやってたなーっていう覚えがあるけど、

もう自分の世代ではそんなことしてる人のほうが珍しい。だいたい集合住宅に住む核家族にはそういう意識が希薄だ。庭ないし。火とか焚けないし。祭壇なんか収納場所がないしww

 

最近の死者はあの世へ行きっぱなしでこの世へ帰ってきてない。この世からお呼びがかからない。

だからあの世とこの世を行き来する電車にも帰りの便がないのではないかな。

三途の川の渡し船や、ナスやキュウリの精霊馬、乗り物でイメージするものの現代版があの海原電車だろう。

あの電車に乗ってる乗客は黒く透けてる、多分みんな死者なんだろう、そしてそれぞれの駅で降りていく。

スウェーデンボルグシルバーバーチシャーマンキングなんかの世界観では、死者の往く霊界もそれぞれのレベルに合わせてコミュニティを形成してるということになっている。霊界は、異界のほんの一部だ。見えない世界には物質という制限がない。精神の世界は広大というか、空間そのものだ。

ゼニーバは乗客がすべて降りた6つ目の駅に住んでいる。これはどういう世界観を採用して解釈するかにもよるけど、かなり上位の階層ってことになるんでないかな。


 

め、めめ、は目だ。片目でめ、両目でめめ。見えないものを見る目。超常や不思議を見る目、第六感、センスオブワンダー

誰でも子供のころは夢か現かわけのわからないものを見てたりするけど、

大きくなると「そんなわけないかー」でそういうものを見なくなる。

トトロやススワタリのようなものが見えなくなる。その目は、その能力はどこに行ったのかと言えば、見えない世界、超常や不思議の異界へ、あの世へ渡って売り買いされているというw

 

ここまでくれば、生あります、も見当がつく。

自分の生、本当の生、本物の人生、そういうものを見失っている現代人の生はどこへ流れ着いているのか、という宮崎駿のブラックなジョークじゃないかな。社畜批判だw 

誰かの言うとおり、常識という鋳型のとおり、外圧に求められるとおりに生きる、

脳死の人形、思考停止の木偶の坊、社会という機構の歯車、カオナシになってやしませんか?と、そういうことではないかな。

自分自身の人生を生きていますか?

あなたの生は、あなたのもとにありますか?というわけだw


名も、目も、生も、ただ思い出せばいい。取り戻すことができる。心持ちひとつだ。

 

千と千尋は、色んな寓意が散りばめられてるけど、それがひとつも押し付けがましくないんだよな~。すべて軽やかで開かれている。

好きなところを好きなように解釈していいんだろうなって感じがする。

スレをやってた時に、名前は大事で、本当の名前を思い出す、本来の自分を取り戻すっていうテーマがすごく響いた人がいて、そこはスレでも屈指の盛り上がりポイントだったので、次の記事ではそこをそのまま抜き出してまとめたいと思う。



 前記事 

inspiration.hateblo.jp

 

 

 

 

 

 

千と千尋の神隠しを解釈する1 湯バーバとゼニーバ、魔女の姉妹?

千と千尋の神隠し サウンドトラック

 

坊ってさ、つまり子供部屋おじさんってやつだよね。

 

いやーそんな言葉が流行る十年も前から、子供部屋で大きくなって自立できないおっさん達を、あんな愛すべきキャラクターに仕上げていた宮崎駿の先見性と言ったらw脱帽w

 

明日は千と千尋の神隠しの放送がある。また金曜ロードショージブリの季節かあ〜。

去年のハウルで何かに目覚めてスレ立ててから、スレ3つ書き潰して、ブログに移行して、そんなこんなで一年経つとかw

千と千尋もスレのあっちこっちにとっちらかっててまとめにくいんだよなー。

質問されて答える流れも多いしー。

 

んー。

 

でもやっぱり、千と千尋は見てて楽しいよなあ。

もののけ姫の後、詰め込みと血みどろの後の作品だから、作品全体にその反動のカタルシスがある。解放感と気楽さ、軽やかさがある。

 

ゴリゴリの戦争と神殺しのシリアスでへとへとに疲れたから、ちょっと温泉でゆっくり骨休めをするような物語がやりたくなったんだろうなっていう。

 

もののけ姫で、人間の文明や開発によって現世、顕世、此岸、この世から追いやられた産土の神々、

モロや乙事主やシシ神はどこに行ってしまったんだろう、ていうアンサーでもある。

 

川を埋め立てられたハクもそう。ハクはモロやシシ神と同じだ。

この世界での居場所、依り代を失った神々はあの世へ行く。異界、幽世、彼岸。そういう場所だ。

油屋はそういう場所にある。八百万の神様達が疲れを癒すお湯屋だ。

あそこで、モロや乙事主も湯浴みして酒盛りして浴衣でゴロ寝して憂さを晴らしたんじゃないかと妄想するとなごむけども。

 

カスガ様やオシラ様は祀られてる神様だから、屋形船で川を渡って此岸と彼岸を行き来するけど、

祀られなくなった神々は、おそらく湯屋より先、線路の向こうへ去っていくんだろう。

 

その湯屋の女主人が魔女というのが、とても面白い宮崎駿独自の設定だと思う。

魔女、というのは宮崎駿作品を通して語れる設定だ。

以下の記事にだいたいまとめたけど、

 

 



 

湯バーバのトピックだと使い魔から見ていくと面白い。

 

油屋の従業員は、カエル男にナメクジ女、カマジイがクモだ。

魔女の眷属っていうのは、そういう暗がりにいる小動物だ。

坊がネズミ、ハエドリで虫系、リンはイタチかテン、ハクが子供の竜でヘビと見做して、

なかなかオールスター感があるが、

何と言っても魔女のマスコット(護符)として重要なのはネコ。次点でカラスだ。

魔女の宅急便でもキキは黒猫のジジ、ウルスラはカラスをマスコットにしている。

で、湯バーバを見てみると、カラスは湯バードがいるが、ネコがいない。

猫のいるべきところにいるのは、カシラとかいう転がる緑色のおっさんの頭だ。

意味不明wの造形だけど、あれは多分、猫の不在の強調だ。

跳ねて転がるボール、猫が好きな、じゃれつきそうな動きだけがあって猫がいないっていう。

 

湯バーバは、猫を従えていないこともそうだけど、色々と魔女としては、らしくないところが目立つ。

一応魔女のテーマカラーの赤と黒、赤い宝石や黒いリボンも身に着けてはいるが、服は基本青系だし髪も白い。

そしてゼニーバだ。双子の姉と言うけど、服や装飾まで一緒だ。

普通に考えたらあれは同一人物、分身、分裂、ドッペルゲンガー、そういうものだと思う。

ゼニーバのライフスタイルであの服装や指輪はおかしいもんなー。

ゼニーバの家には畑があって、綿か麻か、繊維を縒り合せて糸をつむいで、染色して、機織り機で織る。加工の過程の一揃いが見てとれる。

あの家に住むならもっと素朴な服でエプロンとかしてそうなものだ。

指輪とか作業の邪魔でしかないw

 

湯バーバとゼニーバの関係性を考察するのも面白い。

なぜ、湯バーバはゼニーバのところから契約印を盗みたかったんだろう?

 

なにか、姉妹間で不当な契約が成されてて、それを反故にしたかった、という仮説はどうだろうか。

 

湯バーバは、見た限りどうも働き過ぎだ。

夜は湯屋を取り仕切り、朝から湯バードとどこかに出かけている。いつ寝てるんだ?

湯バーバの居る最上階は仕事場の書斎や風呂場や台所や子供部屋は出てくるけど、

寝室が出てこない。寝室自体があるのかないのかはわからないが、湯バーバは休まないというイメージなんでないかな。休息の場が描かれない。

 

そして、従業員の監督や客あしらいは実に堂に入ってるが、

なんとなく金勘定に関するところでヘマが多い。

オクサレサマをもてなすところではなかなか職業意識の高い女将っぷりだったのに、

カオナシの出すニセの金には目が眩む。

出納帳や帳簿や金貨が雑に積み上げてあったり、宝石をやけに入念に鑑定してたり、

湯バードと帰ってきた時、チャリンという音のする袋をもってるんだけど、ちょっとコケたりしてる。金策に出かけてたんだろうか。

そういうの得意じゃなくて手間取ってるのかな〜という印象だ。

 

ゼニーバ、銭婆。銭の、金の勘定をするスキルを持ってそうな名前なのは姉のほうだが、

姉は田舎で金とは無縁そうなスローライフを満喫している。

 

どうも、湯バーバは、ゼニーバのぶんまで働いているのでは?という気がしてくる。

 

「あたし達、二人で一人前なのに」とゼニーバは言うが、

もともと、湯バーバとゼニーバは、油バーバという一人の魔女だったという仮説はどうだろうか。

で、油屋の経営が忙しくて猫の手も借りたいというのに、猫がいない。

そこで彼女は自分を二人にすることを思いついた。

金勘定や帳簿、モノを扱うスキルは姉、ゼニーバに。

差配や接客、ヒトと関わるスキルは妹、湯バーバに。

それで二馬力になってうまくいくはずが、

彼女は「もっと儲けたいねえ」と「田舎でのんびりしたいねえ」というような二つの相反する想いも持っていて、その想いも二人の人物に分かれて渡り、そして均衡は崩れた。

姉ゼニーバは、妹湯バーバを騙して、自分のぶんまで働かせる契約を結ぶ。

「そういう決まり」や誓い、そういうものを重んじ、従うしかないのが魔女、魔なる法に連なる者の態度というものだw

 

いやー、ゼニーバは怖いねww

 

あるいは、妹は現世利益、金銭、豪華な内装など、物質的な豊かさを追い求め、

姉は精神的な豊かさを追求している、とみてもいい。役割分担だ。

そもそも魔女としては、後者のほうが本分ではあるはずだ。

魔法の道を究めんとする者、研究者だ。

ゼニーバの家には、植物を織物にする過程のすべてが揃っている。

過程を省略して、結果を現出させるのが魔術だとするなら、

その過程のひとつひとつを確かめていく、というのはなかなか丁寧な修行法に思える。

 

魔術が文明や科学でも同じだ。

今、蛇口をひねれば、っていうかレバーを上げるとかセンサーに手をかざすとか、それだけで水が出るのは当たり前だが、

平安時代の人が見たら、まさに魔法だと思うだろうねw

あまりにも進んだ科学は魔法と見分けがつかないってやつだ。クラークの法則だっけ。

でも手をかざすだけで、きれいな飲める水がいくらでも出てくるようにするには、

かなり多岐にわたる技術が必要だ。治水、浄水、金属加工、土木、配管・・・。

個人レベルでやるなら、井戸掘って竹の樋でなんとかするってところからかな・・・。

 

車の運転ができるってことと、車を作れるってことは必要な知識と技能のレベルが全然違う。

スマホやPCを使えるってことと、それらの仕組みを理解してるどうかは全然レベルが違う。

 

魔法でも一緒だ。使えるのと精通してるのとではレベルが違う。

ゼニーバは車やPCの自作ができるレベルの追求をしてる人ってことだ。

 

「魔法でつくったんじゃ何にもならないからね」と言って、髪飾りを編んでくれるのにはそういう重みがある。

プロに専用PCを組んでもらったくらいの有難さだろうかw

ジャパネットに電話一本で届くノートPCとは相当のスペック差があろうというものだw

 

「あの魔女はこええぞ」と言われてた割にフレンドリーで、サービスのいいゼニーバだが、ただ優しいわけではない。イーブンな取引ができる相手なだけだ。

千尋のほうもそれなりの手土産をもっていってるからそういうことになる。

手土産は、カオナシだw

ゼニーバとカオナシってのは、ベストマッチングなパートナーだ。

次作のハウルではサリマンと金髪小姓がその関係だけど、

つまり支配するものと、庇護を求めるものっていうかね。

 

カオナシは、自分の意見、意志、主義主張をもたない。自分の言葉もない。

青蛙を食べて初めて喋り出す。人がやってることを真似することはそれなりにできる。

自分のなかにはなにもなくて、指針や安心を外から与えて欲しがっている。未熟な精神の在り方、その象徴の存在だ。

青蛙や食べたものも全部吐き出してしまうけど、そもそもカオナシはなにかを食べて消化して身に付けるとか、糧にして成長する、ということが出来ないような気もする。

だから「あなたはどこから来たの、来たところに帰った方がいいよ」という問いがクリティカルヒットになる。

来し方行きし方、自分なりの人生の指標。そんなことは考えたくもないのがカオナシだw自らと向き合う段階にない精神だ。三次元存在になりたての初心者。

それがなぜああも愛されるキャラになるのかwまじで謎www

 

湯バーバや湯屋の連中は、カオナシに金を出させたければ、ただそう命令すれば良かったんだよなぁ。

おだてるのは悪手だ。おだてられてもカオナシは嬉しくない。認めて欲しい自分というものがないんだから、だんだん不安になる。

カオナシの主人になってやってがつんと命令すればカオナシは喜んで金を出したはずだ。まぁ、真似事しかできないわけだが。

湯バーバにはそれがわからないが、ゼニーバにはそれがわかるらしい。一枚上手だ。

 

物語開始時、湯バーバ&ハク VS ゼニーバ のところが、

千尋介入でハク離脱。 湯バーバ VS ゼニーバ&カオナシ 

おまけに坊との友好関係を築き、油屋はカオナシが暴れて大損害、油屋の内情偵察まで、戦況が劇的に変化してる。

契約印も使われず返却されるしで、

これは絶対、ゼニーバは笑いが止まらないはずだw

千尋が直感に優れた子で、油屋で何度も礼儀を教えられてて、対等の相手として認めてもらえたのは良かったよな〜。

いくら利をもたらしても、それで交渉のテーブルにつけるか、ネギ背負ったカモとみなされて美味しく頂かれてしまうかは、個人の器量によるところだ。

 

姉妹の確執はかなりゼニーバが有利になったところで、

物語終了後、湯バーバとゼニーバの関係はどうなるのだろうか?

この姉妹は、同一人物の二つの側面、陰陽で裏表で、両翼だ。

魔女宅でいうキキとウルスラだ。街で人と関わり暮すキキと、森で一人で絵を描くウルスラ

この二人は、適宜、二人で対話すること、交流し、ひとつになることが望ましい。

昼に他者と関わり仕事をし、夜に一人で静かに自分を見つめること、一人の人間にその両方が必要なように。

気が合わないのは無理もないけどwいがみあい押しつけあうようでは結局どっちもダメになるだろう。拮抗と統合が、いつかは必要になる。

 

つーか、そういうことをしてるから、親としてはなぁ。坊がああいうことになってしまう。

「おんもに出たら病気になる」と吹きこんで塔のてっぺんの子供部屋に閉じ込めて、

母親がしわしわの婆ァになり、赤ん坊が生長して大人にならず赤ちゃんのままでっかくなる。

ええ・・・それ何十年経ってんだよ・・・っていう、そらおそろしい話だ。毒な親だ。子を支配する母性だ。子を監禁してスポイルしてしまっている。甘やかして成長させないでいる。

なかなか闇が深いテーマなんだけど、

シリアスに全振りのもののけ姫の後だから、反動でなんとなくそのへんがコミカルに済んでしまうw

そしてそのテーマはハウルに引き継がれていく。

 

坊の赤い前掛けには「坊」ってでかでかと書いてあるけども。

名前が重要なファクターである千と千尋で、それはなかなかに意味深な気がする。

赤ん坊を象徴するアイテムである前掛けに、坊という、赤ん坊への呼びかけを名前として記し、ずっとつけておく。

それは、成長しないように、大人にならないように、赤ん坊のままでいるように、という呪い(まじない)、魔術ではないだろうか・・・。

湯バーバは息子に名前をつけていないってことまであり得るな・・・。ずーっとママのカワイイ坊やよ、てか。ウヘァ。

 

坊は、自分で自分に名前をつけるといいよな、それできっと子供か大人かに成長できるだろう。

マルクル、という名前をつけて次作に登場してもいいわけだww

 

まだ色々トピックあるけど、ここまで長くなったし次の記事にしよか。

 

 

 

 

 

 

 

 マルクル=坊という解釈の過去記事。

inspiration.hateblo.jp

 

 車を作るっていうと、現代では想像しにくいけど、

YouTubeで無料配信中の名探偵ホームズみてると、あのステキな自動車はよく故障するし、ホームズはそれを自力で修理してる。

修理キットも積んであるし、下宿のガレージでもメンテしてるようだ。

ひと昔前は、車もまだシンプルで法律関係もめんどくなくて、おじさんの趣味でいじれたんだよなぁ。今だといじれるのはバイクくらいか?

 

 

 

 

天気の子を解釈する3 小説も読んでみた。レイアースの無料配信も。

小説 天気の子 (角川文庫)

 

小説は、ほぼ映画と同じだった。

 

でもいくつか補完されたこともある。

まず、夏美だな。

映画では占い師のところでアヤシイ話にいちいち「それって私かも!」とか言ってて、騙されやすいアホの子とか、

「ウケる」を連発する、ノリで生きてる気楽なお姉さんみたいな印象だけど、

小説では占い師や神主の他にも、100%の晴れ女に依頼した人達や空の魚の目撃した人達にインタビューしてて、帆高はこう感じてる。以下引用。

 

そうか、皆が取材で何でも話してくれるのは、だからだ。

女子大生も研究者も占い師も、相手が夏美さんだからこそあんなふうに喋ったのだ。

誰のことも否定せず相手によって態度も変えず、きらきらした好奇心で相づちをうってくれるこの人だから、荒唐無稽なことでも皆すんなりと話せてしまうのだ。

 

偏見のない公平さ、人を惹きつける明るい魅力、人間や取材対象への素直で熱心な興味。

小説の夏美はそういうキャラだった。

 

就活が難航してる描写「御社が第一志望です!」の連打もなかったし。

総じて映画よりも有能な感じだった。

 

実際、それは稀有な才能だと思う。

自分はオカルトでもスピリチュアルでも陰謀論でも、それこそムーの誌上を賑わせてるような話はどれも大好物だし、スレやブログでえんえんと書き続けることができるけど。

リアルで顔を会わせてる人達に、

次元の意識がどーとか、代償のある魔法とはどーとか、彼岸や異界とはどーとか、

無限や、0や空や愛とはなんなのかとか、

よう言わんwww

科学的常識的に一蹴されて、「大人になれよ」みたいなお言葉を頂戴するか、

「ないわー」でヒかれて終了か、

ノリノリで話にのってくる人がいても、依存が生まれないよう注意が必要だったりな。

アヤシイ話って結構相手を選ぶんだよなあ。

少数派の自覚のあるものは、疎外されることを警戒している。

それをどんどん聞き出せるという才能、あると思います。

 

で、夏美のもってる公平さっていうのは、彼女が大人と子供のちょうど中間にいるってことでもある。モラトリアム(猶予期間)だと本人にも自覚がある。

大人の世界と子供の世界の両方を理解できるキャラなんだな。

 

凪もそんな感じだ、すごく大人びてる。センパイと呼びたくなる達観や老成があるw

体は子どもで中身は大人っていうキャラなんだ。どこのコナン君なのw

 

君の名はでは男女や彗星と湖、都会と田舎が対比になっていたけど、

天気の子にある対比、陽と陰は、大人と子供だ。

外の世界と内面の世界とか、顕在意識と無意識、秩序と無秩序とかでもある。

 

立花瀧宮水三葉の中間に奥寺ミキがいたように、

夏美は大人と子供、須賀と帆高の中間にいるキャラだったってことが、

小説ではより解りやすかった。

まあ、須賀はなんつーか、いわゆる大人、父性の象徴となるようなキャラでもないけど。

いい加減な大人、アウトロー感がある。「大人になれよ」と言いつつ、

家出少年を拾い、「あの人に会いたいんだ」という帆高に共鳴して、子どもにもどって、警官にとびかかっちゃう、公務執行妨害の現行犯だ。

 

こういう場合の大人ってのは、秩序の側の人物、集団の長、事態への決定権のある人物なんだよな。

しかし須賀もリーゼントの刑事も超常を理解できない、事態の部外者なわけで、

 

この物語には、少年が父性に立ち向かう、息子が父と対決する、

勇者や英雄が魔王に挑む。という構図がない。実に斬新だ。革新的。

 

そういえば、小説には高井安井っていう名前が出ない。それもいかにも適当につけましたって名前だがw

リーゼントと中年の刑事という表記だ。

名の無いものとは戦うという発想にもならないw

白い竜にも顔や目がない。顔がないものとは戦うという発想にもならない。

 

敵、敵対者、対立、支配者、打ち倒すべき上位存在。

そういう対象として認識されないように、

新海誠は刑事と竜に、名と顔を与えなかったのではないだろうか。

 

陽奈を救うために必要なことは、

須賀や刑事や竜を倒すことじゃないからなあ。

 

しかし新海誠は、今後ともバトルな展開とは無縁な気がするw

あえてやらないのか、できないのかも知れないが。

 

君の名は、でも町長であり父である宮水俊樹をどう説得するかは省かれてたわけだし。

乙事主の采配をモロの語りと回想で済ませた宮崎駿と、そこはかとなく同じな気もする。

 

父性存在、集団における長、意思決定し構成員に命令する人。

リーダー、ボス、将軍や町長や社長、王様や魔王。

魅力的な敵キャラを創造し、その活躍や対立を描くには、作家自身が自分の中の父性存在を超えている必要がある。多分。

宮崎駿風立ちぬでやっとそこに向き合えている。

次は風立ちぬのことをスレからまとめていこうと思ってるけど。

 

須賀は、三年後ではなんか社長って感じのするオフィスをかまえてるよなー。

いわゆるちゃんとした大人になったということだろう。

小説では「自分たちが世界の形を変えちまった?自惚れんなよ」のセリフに続きがある。

「妄想なんかしてねえで、現実を見ろよ現実を。いいか若いやつは勘違いしてるけど、自分の内側なんかだらだら眺めててもそこにはなんもねえの。大事なことはぜんぶ外側にあるの。自分を見ねえで人を見ろよ、どんだけ自分が特別だと思ってんだよ。」

お、おう・・・。

これは映画のテーマと完全に逆、反転のセリフではないかな・・・。

この社長須賀、大人須賀は、もう我知らず涙を流すことも、少年に共感して警官にとびかかるような無謀なことをすることもないに違いない。

いわゆるちゃんとした大人に、なってしまった。ということでもある。

それでこそ、社会的な地位を獲得し、他者を雇用したり養ったりもできるということかもな。

対比、陰陽は、優劣ではない。

大人も子供も、同時、同等に存在するのが健康な社会というものだ。

 

 

夏美は三年後の姿は描かれない。

小説ではカーチェイスの後、夏美のモノローグがある。以下引用。

 

私はここまでだよ、少年。

私の少女時代は、アドレセンスは、モラトリアムはここまでだ。

少年、私はいっちょ先に大人になっておくからね。君や陽菜ちゃんがどうしようもなく憧れてしまうような大人に、早くああなりたいって思えるような大人に。

とびきり素敵な、圭ちゃんなんて目じゃないまだ誰も見たこともないようなスーパーな大人に。

遠ざかっていく思春期の背中を見つめながら晴れ晴れとした気持ちで私は祈る。

だからちゃんと君たちは無事に帰ってくるんだよ。

 

ここまでハードルあげた素敵な大人を、ワンシーンでは描けないから省略されたんじゃないかって気もするw

 

新海誠自身の引き出しに、そんなキャラがまだいないんじゃないかという気もw

これは次回作に出てくる人物に託されるテーマな気がする。

 

きっとその人物は、モラトリアムを過ぎて尚、大人でもあり子供でもある人。

陰陽、能動と受動、論理と直感、科学と魔法、男性的なところと女性的なところを併せ持っていて、バランスのとれた人、調和した人、アートマンであるのではないかな。

 

・・・いや、そんな完璧超人キャラを造形したら、今度は物語が動かない可能性があるけどww

不完全で足りなくて欠けているから、求めていけるということでもあるわけで。

 

 

後、猫飼いの自分には完全に発想の盲点だったんだけど。

帆高が署から逃げて、中年の刑事が須賀のところに来た時、須賀がアメを外に出してたのは、「もう飼い主はいないんだから、どこでも好きなところへ行けよ」だって。

 

まさか猫を捨ててるところだったとは、想像もしなかったね! 須賀ww絶許www

 

まあ、帆高を追い出したんだから、そりゃ猫も追い出すし、自分の中の子供の部分も追い出して、みたいな?そういうとこがガキなんだよ須賀さんよ・・・。

で、三年後にデブアメがオフィスにいるってことは、猫を飼うのに責任をもてる大人になれてるということか。

娘の萌花は、まあ公務執行妨害で逮捕だろうから引き取れずで、代わりにアメがそれを表してるんだろうね。

 

 

 

後、自分的に小説で一番良かったのは、陽菜の祈り、願いの感覚の描写だ。引用しちゃう。

 

息を深く吸い、真新しい空気を肺に満たして、私は両手を組む。目をつむる。

雨と風は私の肌にぶつかり髪を揺らす、世界と私は隔てられていることを肌がはっきりと教えてくれる。

私は頭の中で数字を数えはじめる。いち、に、さん、し、

すると考えている場所ー脳のありかがくっきりと際立つ。

その数字たちを私は全身に散らしていく、真っ赤な熱い血に混ぜて、数字が頭から体中に流れていく様子をイメージする。

思考と感情が混ざっていく、

私は爪先で考えることができるようになる。

私は頭で感じることができるようになる。

しだいに不思議な一体感が全身に満ちてくる。私の境界が世界に溶けだしていく。

自分は風であり水であり、雨は思考であり心である。私は祈りであり木霊であり、私は私を囲む空気である。奇妙な幸せと切なさが全身に広がっていく。

 

ここから話が一気にあやしくなるが、そういう話こそがこのブログの主題だww

 

これはなかなか優れた瞑想のメソッドと感覚の詩だと思う。使える捗る。

これが導入で、その先にコマンドの文章もある。

が、コマンドには代償が伴うので引用はしないでおこう。

代償の無い、危なくない方法は、クリーニングだ。

 

指向性を生むのには同等の反作用が生じるが、

指向性を手放すのであれば副作用はない。ていうかね。

 

ソフィの解呪、「すべての魔法を解く魔法」やイマジンブレイカ―、ギガスレイブのような、解く、消去、無に帰す系のスキルこそ究極という物語の示す直感はマジだ。

 

こんがらがったものを手放していけば、おのずとすべてはインスピレーションになっていく。

 

陽菜の祈りも、対比や陰陽を、止揚、冲して和し、反転させてプラマイを0にしている、と見ることができる。

 

精神と肉体、精神は陽、肉体は陰、

肉体で考えて、頭で感じる、というのは特に面白いイメージだ。役割を反転させている。

それができると、精神と肉体の統合、一致となってシフトアップがおきる。

そして次の段階にいく。

外界と体内、外界が陽で、体内が陰、かな。

肌で隔てられていた二つの世界の境界がなくなり、混じり合い、同一と感じられるというなら、

全は一、一は全の、梵我一如の境地だ。空、0まであと一歩だ。

 

これは割とまじでイケる瞑想法に思える。

シータヒーリングやホオポノポノや般若心経と本質的に同じものがある。

 

で、こういうイメトレで、脳が0と共鳴してる状態をつくれるようになったら、

そこから何をするかも重要なんだけど、

 

陽菜は、みんなの想いを感じて受け取って空に届ける、みたいな意識の操作、コマンドをする。

これがあんまり良くない感じする。精神汚染を免れ得ぬ感ある。

 

シータヒーリングで、創造主にコマンドするという使役のパターンを使ってるのを、

あ、ヤバイなと思ったのと同じ感覚だ。

 

誰かの、未だ形を成さないような願いを、掬いとって叶えてあげたりしてはいけない。

その人達自身が願いに気が付き、叶えるために力を尽くすプロセスこそがなにより重要な学びなんだからな。

宿題を代わりにやってあげたら、子供のためにならないのと一緒だ。

もしその子がクソガキだったら、一度代わりにやってあげたら味をしめて、何度でもやってもらおうとするだろうし、断ったらゴネだすことすら有り得る。

ま、それはひねくれ過ぎかもしれないが。リチャード・バックイリュージョンはそういう話だった。

 

 

そういえば、youtubeで、レイアースの無料配信はじまったんだけど。

 

剣と魔法、異世界、巨大ロボ、ラブストーリー、今見てもかなり詰め込んでて面白いww

自分は当時アニメは全部は見てなくて、漫画版のラストしか見てないから、これから視聴しようと思うんだけど、

 

漫画版のストーリーでいくと、かなり筋としては天気の子と近いものがあるなあと思った。(以下ネタバレあり。)

 

異世界セフィーロの安寧をひたすら願う柱、エメロード姫ってのは、

もう柱っていうか、人柱だよなあと思った。

 

世界の安寧だけをひたすらに願うよう求められ、一人の人間として恋もできないとか、

恋をしたら死ぬしかないとか、人権無視も甚だしいwww自己犠牲の強いられ過ぎだ。

 

で、二部ではその柱ひとりだけが世界を背負うとかいうシステム自体をやめることが物語のアンサーになる。

人柱システムからエスケープした天気の子とアンサーとしては同じだ。

 

モコナは白竜とイコールだ。白い獣。人智以上の世界の在り方の象徴。

柱システム、人柱システムを廃止すると、世界の在り方が変わる。

セフィーロは人界と繋がるし、東京は水没だ。

星とか世界のすべてではなくて、一国、一都市、そのシステムが適応されてた範囲だけが変化するってのも妙に似てて面白い。

 

新海誠の感性が、なかよしで連載されてた少女漫画に近いのか、

ロボに乗って戦う漫画を描くCLANPの感性が男性的なのかww

 

まあ、どちらも陰陽のバランスがいいんだろうな~。新しいものになる。

 

新しい世界、まあ何をもって新しいとするのかってことだけど。

 

小説天気の子では、多少、東京の人間たちの意識について描写がある。

 

晴れ女が空に昇っていく夢、皆が心のどこかでこの青空はどこかの誰かと引き換えだったと知っているのではないか、とか。

 

陽菜と帆高が帰ってきて、白竜が落ちて、豪雨になったところで、

 

その時、誰もがおそらくはその雨が普通ではないと感じていた。

いつかこういう日が来ることを、本当は誰もが知っていた。

俺達はずっと感じていた、俺達は別になにもしていない、なにも決めていない、なにも選んでいない。それでもこのまま逃げ切れるわけがない。

世界はいつか決定的に変わってしまうだろうと誰もが予感していて、誰もがずっと知らないふりをしていたのだ。

 

っていう須賀のモノローグがある。

 

自分はもう、須賀みたいな人にはなりたくないな。

なりゆきで拾った猫でも、飼うからには最後まで世話をする責任をもつし。

何があっても、誰かのせいだと思うような人生を生きる気はしない。

自分をないがしろにして誰かのために尽くすようなことは、しないと決めたし。

誰にも支配も搾取もされてないから、立ち向かおうとか正してやろうとかいう気もしない。

 

自分が観測する世界を、解釈するのは自分だ。世界の在り方を決めるのは自分だ。

他者による庇護と支配、過去を再生する世界ではない、自分の創造する世界、それが新しい世界だと思う。

 

災害も生老病死も、一切の苦が、なぜ苦なのか、手放せばわかるし、とらわれなくてよくなるはずで、

今、この瞬間に何を空から創造し、インスピレーションするか、それだけを感じることがほんとうに生きることだと、少しずつわかるはずだ。

 

 

 

あー、今日もわけのわからないことをたくさん書いて満足ww深夜最高ww

 

 

 

 

 

 

 

天気の子を解釈する2 ネタバレあり。新しい時代の竜退治譚。

グランドエスケープ (Movie edit) feat.三浦透子

 

 

天気の子、二回目行ってきた。やっぱ好きだなー。

 

前回の記事で、天気の子のアンサーは、

セカイ系の次へ行くテーマ、あるいはアンチテーゼだと書いたけど、

 

もうひとつ、天気の子はアンチテーゼが込められた物語としても解釈できる。

竜退治、ドラゴンスレイヤーの物語の新しい形だ。

 

これはもう古今東西、枚挙に暇がない類型だ。いくらでもある。

人々をおびやかす怪物を打ち倒す。ときに生贄にされた美女を救出する。宝物を持ち帰る。

 

聖ゲオルギウスの竜退治、ジークフリートの竜退治、

アンドロメダペルセウス

スサノオヤマタノオロチ退治、

孫悟空の如意棒も竜王の宝物だし、

哪吒太子、ナージャ竜王とか、

竜王はてるてる坊主の起源の逸話、掃晴女にも登場する。

その辺は興味あったらどれもウィキペディアで見れる。

 

天気の子にも、彼岸の空に、白い竜・・・のようなものが登場する。

あの白い竜は、バトル展開になるラスボス的な存在としては描かれない。

ピーチ姫をさらった魔王クッパのように、恐ろしげな顔で脅してきたりしない。

 

あの竜には目が描かれていない。目が合わない。何を考えているのか想像できない。話しかけてこない。

コミュニケーションをとれるような存在として描かれていないように思う。

 

白い竜は鯨の鳴き声みたいな音をたてる。

白い竜は帆高を飲み込む。

陽奈が地上に帰ると、白い竜は力を失ったっぽく落ちてくる。

 

ま、状況からすると、人柱を受領する水神のようでもあり。

またはあの、水の魚、空の魚の集合体のようでもある。群体っぽい。

水滴が集まって雲になるように、水の魚があつまって雲の竜になってるみたいというか。

 

作家の冲方丁がブログで、天気の子を見て、

帆高の銃(鉄と火)で白龍(気と水)を撃って倒し、陽奈を取り返してくるという展開はどうだろうかと書いているけど、

 

それは実に、古典に則った由緒正しき竜退治の物語になる案だと思う。

魔王を倒して姫を奪還する、とても馴染み深い物語だ。

千の類型がある、物語のアーキタイプだ。

 

もし、天気の子の白い竜に、顔や目があればそれだけで、あれがボスキャラだと認識し、

どうにかあいつをやっつけて陽奈を取り戻すんだろうな~、

と視聴者は皆ナチュラルにそういう展開を予想したんじゃないかなwそう思う。自分達はそういうパターンに慣れきってる。

 

しかし、帆高のやったことは英雄のように武器をもって竜に立ち向かうことではない。

陽奈を見つけて、手をとって「一緒に帰ろう」「晴れよりも陽奈がいい」「自分のために願って」そういう言葉をかけてエスケープすることだ。

 

少女や美女が、竜や怪物の生贄、人柱にされるとは言うけどさ、

なんていうか、それ以前に彼女たちを怪物に差し出してるのは村人達で、彼女たちが所属してる集団、共同体なんだよね。

まず彼女たちは、帰るところがない。

見捨てられている。保護されず、閉め出されている。仲間外れにされている。

集団が食われないために、一人が人生を諦めさせられている。

 

須賀が、「人柱一人でもとの天気に戻るなら歓迎だね。てか皆そうだろ」って言ってたけど。

でもオメー、もし、かわいい娘の萌香チャンや嫁の明日香が人柱だったら絶対そんなことは言わんだろっていう。

須賀は全力で妻子を守るだろう。

 

親を失った子供、陽奈は誰にも守られてないんだよな。

だから早く大人になろうとしている。

 

白い竜には目がない顔がない。

新海誠はクリーチャーやキャラデザのセンスがないってのもあるとは思うけどw

なんていうか、神話の怪物や竜も、そもそもは自然の猛威、水害や疫病や飢饉なんかの災禍を擬人化というかキャラクター化したものであって。

台風をキャラにしたら怖い顔になったからって言っても、台風にはそもそも顔はないわけで。

 

自然現象には、人とコミュニケートするようなスケールの知能はないんだよな。当たり前だけど。

人の都合を考慮してくれるなんてこたーない、自然のサイクルだ。思考の次元が違う。

白い竜はそういう存在だから、目がないと表現されているのかもしれない。

 

だから、生贄や犠牲や人柱を、必要としているのは、彼女たちを食いものにしているのは、穢れや歪を押しつけて切り離しているのは、

本当は、同じ人間、村人や共同体、人の集合、総体のほうだ。と言うこともできる。

 

古今東西の竜退治の物語で、本当に退治されるべきだったのは、竜に顔を描いた人間達だったんじゃないのか?

大雨とか顔のないものに顔を描いて、自分達の理解できるものとして扱い、それとの交渉の材料に弱い同胞を差し出したもののほうが、よほど分かりやすくおぞましいのではないだろうか。

 

竜や怪物は、人の無意識や深層心理の象徴としても解釈される。

 

顔のないものに描いた顔は、自分自身の内にあるものの投影になるというわけだ。

 

少年、英雄が真に立ち向かい、越えて統合していくべきものは、それだ。

 

 

白い竜は、悪意を感じる干渉や妨害をしてこない。

 

陽奈は、帰りたいと、自分のために願う。それだけで帰ってくることができる。

 

ほんと、たったそれだけで帰って来れるのに、それができないほど15才の少女の心を追い詰めたのは、

「人柱一人でもとの天気に戻るなら歓迎だね。てか皆そうだろ」とか、

「大人になれよ」とか、「子供だけで暮らしてるっていうのはちょっと問題なのよね」とか、

そういう人間の社会の方だ。同調圧力、常識から外れたもの、アウトサイダーへの不寛容というか。

親がいなくてバイトをクビになってお金なくて、どうみても未成年なのに風俗にスカウトされてな。職質されて、大雨の日にホテルをたらい回しにされて。

天気の子で描かれる東京は、陽奈や帆高を突き放す。冷たいところだ。生きにくい。

 

「世界の形を決定的に変えてしまったんだ」というセリフが、

二回目の視聴では違う意味に聞こえた。

東京が水浸しになったのは、ただの因果応報だ。人柱システムをやめた反動がきただけ。先延ばしにしてきた800年分だかのツケを払って、

世界は、元通りになっただけだ。変わってない。

 

二回目の視聴では、

世界なんてもともと狂ってる、の須賀説より、

世界はこれで元通り、の立花おばあちゃん説をより推したくなった。

 

陽奈と帆高が変えたのは、彼ら自身が見る世界の形だ。

生きにくい冷たい街を、「東京って怖えー」を、

大切な人に会える世界、そこで生きていける、大丈夫と思える世界に、変えた。

 

心を変えれば、解釈を変えられる。

昨日と同じ世界に、違う意味を見ることができる。

 

自分のために願うこと、自分を愛することを取り戻せれば、この世界は姿を変える。

それは何者かを倒して、勝利によって得られるようなものではない。

もっと本質的な変容で、精神的な自立だ。

 

竜退治の物語は、人間が自然を征服したり、技術を以て制したり、開墾とか治水の伝承としても見ることができる。

 

ヤマタノオロチは、八又の首をのたくらせる恐ろしい大蛇というのは、洪水をおこす斐伊川のことだ。

それも江戸時代には川違えの工事によって治められている。とっくの昔にだ。

 

もうね、人が住んでるところのあらかたでは、竜退治、神殺しは終わってるんだよね。

その辺はもののけ姫の記事でも書きたいけど。

 

だから、いつまでも退治すべき竜を求めるような精神構造ではいけんのかもね。

地球は球体で、限りある惑星なんだから、どんどん開発できる場所はなくなっていっちゃう。

敵がいくらでも出てきてどこまでも能力がインフレしていくバトル漫画じゃあるまいし。

いや、そういう漫画も好きだし、地球を開拓し尽したら次は宇宙だ!みたいなイケイケな考え方も少し前まであったような気がしなくも、なくもなくもなくもないけども。

 

外へ敵や何かを求め続けるのは、いずれ限界が来る。

環境か自分の精神か、どちらが先に壊れるかは分かんないけど。

現代っ子はもうそれを肌で知ってると思う。

宇宙開発や月面基地なんて昭和なドリームは語られなくなった。無人探査機の予算すら仕分けされかねないのが現代の感覚だ。

 

天気の子とか、ハウルの動く城とか、

バトらないで、内面から世界を変えていく話のほうが、

自分が求めてて、新しくて、時代に合ってる物語のように思う。

 

竜は、もはや倒すべきものではない。

人類単位で意識の段階が進み、象徴の意味するものが変化した。

 

今は、竜や怪物のようなものを恐れていた、自分の中の思い込みのほうを手放す、それだけでいい。

怪物は去るか、敵ではなかったということになるだろう。

世界の形を変える方法はそれだ。

それが新しい竜退治譚の文脈だ。

 

 

まあ。そんな風に思ったよ、っていう、それだけの話。

 

 

 

 

 

 

冲方丁の話はここから読んだ。

 http://blog.esuteru.com/archives/9352463.html

冲方丁は割と好きな作家。

天地明察は白眉。マルドゥックスクランブルも好き。サイコパス二期も良かった。

最近の時代劇路線よりSFが好きだけどなー。

 

 

確かに、帆高のアイテムが銃から手錠にチェンジした意味は…?

 

銃を竜に向けたらそれは対立だ。

天気の子は対立でなく自立の物語なので、銃は手放していい。

 

手錠を陽奈にかける案は自分的には却下だ。

陽奈を自己犠牲精神の呪縛から解き放って、心が自由になる物語なのに、また手錠なんかかけたら台無し。

 

とするとだ。

ひょっとしたら高度な文明で加工された鉄を身に付けてたから、帆高は白竜に飲まれたけど、消化されずに済んだのかもねw

鉄まっず!こんなもん食えるか!ペッ!

って異物として排出されて、それで陽奈のところに行けたのかもよ。

100%生身の少年では自然霊に溶けて一体化しまったかもしれない。

 

手錠や、それに付いてる鎖は、

文明の世界、太陽の世界、此岸の世界との結び、絆、切っても切れない繋がり。縁。帰り道、道標。

そういう意味のアイテムだったのかも。

 

君の名はの時の、どこかのインタビューで新海誠は、結びを必ずしも肯定的なものとはとらえてないと言ってた。

それは逃れ得ない面倒なしがらみや義理でもあると。

絆と束縛、それも表裏一体の陰陽だ。

 

 

だから手錠という捕縛の道具、マイナスイメージのあるもので繋がりを表現したのかも。 

冷たい鉄の鎖によってつながれる縁も、

美しい絹糸の組紐によってつながれる縁も、

まぁ、同じものの表と裏だ。禍福は糾える縄の如しだ。

リーゼントの刑事と結んだ「クソガキ、捕まえてやる!」という縁も、やはり縁には違いないw

それを辿って帰れる此岸からの呼び声だ。

 

手錠という座標によって、陽奈と帆高は、正しくこの世界に戻ってこれた。

という解釈でどうか。

 

神隠しに遭うと、

帰ってきたとき時間や場所がズレてしまってる。というのはよくある話だからなぁ〜。

浦島太郎とか千と千尋とか。

小学生の弟が待ってるんだから、ちゃんともとの時間に帰ってこないといけない。

 

 

陽奈のハサミというのは、掃晴娘の話で娘は切り絵が上手かったってところから来てそうな気がする。

紙を切って、形を変える。人や動物や何かを模する。

豆苗やネギを育てて切る。包丁を使わない料理は、大人や母を模しているけど、どこかちぐはぐというか。

チャーハンにポテチやらサラダにチキンラーメンっていう発想がなぁ。なんていうか子供だよな。

三十過ぎると、ジャンクフードを避けるようになるw年でww胃がもたれるからさあww

若い頃はああいうの平気でいくらでも食べてたし旨いと思ってたなぁ…。

新海誠はあの年齢で良くそんなこと描けるな。その感覚すごい。

 

猫のアメは二回目よ〜く見てても、特になにもしてなかったわw

捨て猫の境遇が須賀と帆高をオーバーラップさせるだけ…、にしか見えない。

帆高が署から逃げて刑事が須賀のところに来て、

須賀がアメを外に出す、そこからアメがなにかするのかと期待しちゃうけど、なんもしないw次の登場は3年後の貫禄のアメさんwかわいいけどw

 

君の名はでテッシーの犬も特に何もしてなかったしなー。

新海ワールドでは動物の扱いはそんなもんなのかなぁ?

 

天気の子ではワンシーンだけのモブもしっかりキャラデザされてる感じがあって、

その辺がセカイ系からまた先へ進んでる感じだと思うんだけど、

猫のアメもそういう世界の豊かさを示す一環なのかな。

 

 

 

 

あと前の記事、追記多いので良かったら。

inspiration.hateblo.jp

 

 

 

 

 

空を解釈する。空はあの世、というのは?

今週のお題「空の写真」

f:id:philia0:20190724065431j:plain

 

はてなブログのお題に便乗。

いつも言いたいことを書くだけだがww

 

空、そらとも読むけど、くう、とも読む。

 

色即是空、空即是色の空(くう)だ。

 

空という字は、穴と工の組み合わせだ。

 

工は虹と同じ工。点と点を結ぶ線だ。

 

      f:id:philia0:20190724065759j:plain    こういう象形文字だ。ベイマックスではない

 

トンネル、通路、道。ある地点と地点を結ぶ、ある世界と世界を結ぶ。

 

では穴とは?

土を掘った穴とか、木のウロとか。

暗い空洞だろうか。そしてそれはいつかどこかに掘り抜ける。

 違う世界に繋がる。

 

人体にも口とか瞳孔とか耳孔とか排泄孔や生殖器とか、孔、穴がある。

食べ物や光や音が穴から入ってくる。穴に吸い込まれて消える。

排泄されたり、赤ん坊がくぐって出てきたりする。

体内という世界と体外という世界が、穴で通じてる。

 

地球という世界も、宇宙と通じている。

熱や光や、隕石や人工衛星や、なにがしか双方向のやりとりをしている。

その通路になるのが空(そら)だ。

空というのは穴だ。

古代の人はそう感じた。そう類推した。

 

暗い空、青い空にぽっかりあいた出口、輪が、ゲートが、月や、太陽だ。

穴の出口、トンネルの出口は、まるくて、明るい、同じイメージになる。

 

現代人は、あれが天体、球体、星だと先に教わっちゃうからな。

象徴を見るコツは、そういう先入観を外すことだ。

 

かぐや姫では月から天上人が迎えにくる。

穴の向こうから、違う世界の人がやってくる。

空は、違う世界へつながる通路だ。

 

空から、月や太陽から、違う世界のものがやってくるとか、違う世界に行けるっていうのは、古代世界に時々みられるモチーフだ。あんまりメジャーではないけど。

星野之宣の漫画に昔そんなんあったけどな。宗像教授シリーズのどれかだった気がする。

 

天気の子では、鳥居が写って、次の場面ではそこにとんでるという描写になってる。

空の上にどんどん昇ればあの場所があるわけじゃない。

だいたいそんなん寒いし空気薄いしで死ぬし。衛星とかの写真に草原とか写らないし。

この世の場所ではないどこか、彼岸だ。

陽奈が浮かんでいくのも夢の情景だし。

その辺の誤魔化し方が堂に入ってるよな新海監督はw

宮崎駿米林宏昌ならトンネルや橋で文脈をつなぐだろうけど、

もうパっと切り替えちゃうw アニメというかMV的な感覚だ。世代が違う感ある。

 

あとそう、グランドエスケープの歌詞には太陽がでてくる。

 

太陽の死角に立ち 僕らこの星を出よう

彼が目を覚ました時 連れ戻せない場所へ

 

この場合の太陽は、顕なる世界のことだ。

此岸と彼岸なら、此岸の方。

顕世(うつしよ)と幽世(かくりよ)なら顕世の方。

見える世界と見えない世界なら、見える世界の方。

太陽、陽、光、男性、父性原理、文明、秩序、ルール、外へ向かう力。

 

人柱を選ぶような存在や運命、警察や法律、「大人になれよ」というプレッシャー。常識。そういうものからエスケープして、

 

幽世へ、見えない世界へ、内なる世界へ。

無秩序と直感の世界で、道標になるものはインスピレーションだけだ。

自分だけの真実、それを見出すためには、ノイズを除くこと。自分を否定しないこと。

ラクタを手放すこと。ペルソナをはずすことだ。

 

15才の少女陽奈は、母・大人のペルソナをつけていた。

母を失って、弟がいたからなー。

稼いで、ご飯の支度して、大人っぽく振る舞って、母親になろうとしたんだろうね。

子どものために尽くす、他者のために尽くす。それは美徳だけど。

そのために15才の少女の、素の姿を抑圧してしまった。

ペルソナ、外面をはずすことができなくなった。その延長で、

人柱として望まれているなら、その役目を果たさなくてはと思ってしまった。

 

こういう状態に陥ったら、内省の時間が必要だ。

現代日本人は、ほぼほぼ全員これを必要としてると思うわ~。

 

グランドエスケープは素晴らしい詩だ。

これを歌って、背負っているもののすべてを疑え。ノイズを手放せ。

幽世、見えない世界、内なる世界は、音の世界でもある。

内なるものの声、恋い焦がれる声、真に求めるものの声を、そこで聞くことができる。

 

鳥居をくぐらなくても、静かで落ち着ける場所で、十分目を閉じるだけでもできることなんだよな。慣れれば。

 

陽奈と帆高が行った場所は、異界でもあるけど内面の世界でもあると思う。

そこで「自分のために願って」で、陽奈は「そうしなくてはならない」と思い込んでいた自分を手放すことができる。

 

人柱なんかに、心底からなりたいなんて思ってるキモチワルイやつはそうそうおらんわw

メサイアコンプレックス気味の人は言われなくても前に出るから、そういうのは人柱とは言わない感じになるしw俺が皆を救うんだ!系のヒーローになるか、

皆を救いたいってのが心底の願いだったら、アルティメットまどかのように自ら人を越え神に近しい者になるw

 

陰と陽は、巡りながらバランスをとることが望ましい。

ペルソナは必要なんだけど、一人の時は外せるようでないと、だんだん危なくなる。

みんなでつくる社会に参加することと、自分だけの世界をもつこと。

昼の時間に社会と関わり、夜の時間にひとりになること、眠って夢を見ること。

左と右、左脳と右脳、理性と直感、どちらも一個の人間に必要な双翼だ。

 

そういえば、

挿入歌の大丈夫、で、世界が君の小さな肩に乗っているのが・・・ときて、

グランドエスケープで、どうにかなるさと肩を組んだ、っていう歌詞がくるの、いいな~と思った。一緒に背負うよっていうか、

そんなん背負わなくていいよっていうか。

帆高いいわー。あの無謀さ、ひたむきさが若さだわ~。

 

 

・・・・さて。空(そら)の話は前座で、

いつだって自分は空(くう)の話がしたいんだが。助走がいるんだよなあ。

 

二つの世界とそれを繋ぐのが、空という字だけど。

有限と無限、というのを対なる世界としたとき。

この有限の世界から無限へと、穴のようなものをくぐりぬけたとき、

無限から眺めると、有限というのはすべて虚となる。幻だ。

っていうか、眺めてる視点というものすら存在できない。

すべては満ち足りて、もはやなにもおこらない。どこまでも無辺に平らかだ。

みたいなことになる。

 

まあなんつーか、瞑想のコツだ。マインドフルネス。

目を閉じた十分でこういうイメトレができると捗る。

ノイズを再生し続けてちゃ、迷想になる。

 

星々も神々も、法も、すべてをくぐり抜けて越えて、

全知全能、ゆえに零知零能の境地がしてきたら。

陰陽と左右が釣り合って和し、

空の、0の静けさにシンクロできたら。

 

そこで「手放す」を実行する。

 

生老病死を、ペルソナを、「そうしなくては」という思い込みを。

過去を、記憶を、恐怖を、疑いを、繋がりを、名前を、

身も、心も、魂すら、順に手放していく。

 

生まれてきた、存在している、ということは、欠けているということだ。

空なるもの、混元なるもの、完全なるものから分かたれたということ。

欠けているものがなにかを知りたがる、完全性を求める。

回帰することが、魂の希求だ。

それは結局のところ、求めている間は得られない。あらゆる存在の負う業だ。

神ですら、法ですら、存在である以上、業を負う。

自由とか自在とか安らぎ、空なるもの完全なるものの感覚に同調できるのは、

自分という存在を、存在してるということを、意識が手放している瞬間だけだ。

0に等しくなれるのは、持っている+と−がちょうど釣り合っているときだけっていうかね。

 

 

・・・そんな感じか?

色即是空で空即是色っていう究極の詩の、展開、解釈だ。

まあ、言葉にしたら、もう一部を切り取ってて変質してるのは間違いない。

これは各々で、意識の操作や身体感覚として得ていくしかないなにかだ。

 

ほんと、一日十分でいいからそういう事をする時間をもって、

日々やってること、積み重ねてることが求道になっていくと、

生きてるのが少しずつ楽になっていくよ、と伝えたい。誰かに。

 

あ。空の写真は適当に拾った画像を加工してつくった。

空って、穴で通路なんだ。っていうのは図だとこんなんかな~と。

 

 

 

思い出した。 宗像教授伝奇考の月が空の穴って話はこれだな。

かぐや姫と浦島太郎のやつ。

 

 

 

 

色々挿入歌があるけど、自分はグランドエスケープが推し曲だなー。

 

天気の子を解釈する1、絶賛。ネタバレあり注意。

新海誠監督作品 天気の子 公式ビジュアルガイド

 

天気の子、良かった。

君の名は、の次のテーマ、次の作品になってたと思う。

前へ進んでる、進歩してる。凄いことだな。

 

帆高がいう「自分のために願って、陽奈。」これがメインテーマだと思った。

 

72日間?雨が続く異常気象が続いて、

巫女、人柱が一人犠牲になれば晴れるなら、もとの天気になるというなら歓迎だ。てか皆そうだろ。

とか須賀が言ってたけど。フザケンジャネーヨだ。

 

そういう、なにかを、誰かを、犠牲にして、代償にして、均衡を保つという機構、法則、社会の否定だ。

 

誰も犠牲なんかになるべきじゃない。自己犠牲は美しくなんかない。

陽菜が「誰かの役に立てるのが嬉しかった」というけど、

そのためなら、自分はどうなってもいい。

というのでは「自分を愛する」という三次元のテーマをクリアしていない。

まず、揺るぎなく自分自身を愛し、その先に他者との関係性を築かないといけないんだ。

自分さえ我慢すれば、皆は幸せなんだから。

という思考は一見甘美で、実はヤバいやつだ。

家庭板ではエネmeとかいうw

自分が、自分を傷つける敵、エネミーになってしまってるという意味で、この心的状態になってしまう例は毎日のように書きこまれてる。社畜も同じ意味だ。

学校、家庭、会社、新しいコミュニティに入って馴染もうと必死なとき、若い時になりやすいやつだ。

自分も例外でなく体を壊したことがある。もうコリゴリだ。

 

陽奈はたぶん、母親を亡くしてから、

弟もいるし、母になろうとしたんだろうね。

母のペルソナをつけた。大人になろうとした。

でも15才ではな〜。

歳を偽ってそれらしく振る舞えていたけど、無理はしてるよな、絶対。

 

人柱、犠牲、イケニエ、スケープゴート、捧げものの羊。超常のものとの取引の材料。美しいという字は、そういえば羊が大きいと書く。祭壇に供えるための、文字通り犠牲の品質のことを示している。

じゃ、自己犠牲は美しい、は間違ってないのか?

苦しいだけから早くやめたほうがいい、と言い換えるか。

 

たったひとりで、誰もいないところで苦しみを抱えてうずくまることになる。

空の上で、陽奈は泣いていた。

陽菜は、帆高が迎えに来てくれるけど。

自分のために願うことは、自分にしかできない。

自分自身の内なるもの見出せるのは、自分だけだ。それに気が付くことだ。

 

セカイ系の否定というか、その次のテーマでもある。

天気の子の後では、巫女と反魂、代償のある魔法が発動して世界が存続していくという君の名は、みつはと瀧の双肩にかかるものが大きすぎて、かわいそうだったかもなーと思えてくる。

 

君の名は、では500人の人命を救うため、なんとなく失敗が許されない雰囲気だったのが、

天気の子では、誰かを人柱にして続いていく世界なんていらない、と潔く言いきる。

それで東京は水びたしだw

でも結構それで船便が行き来したりして、皆それなりに暮らしてる。

人柱、魔術で環境を維持しなくても、もうやっていけるだけの地力、知恵、蓄積、物流、文明、そういうしぶとさ、適応力が人類にはあるんだよなーっていう描写になってる。

800年前だかは、人柱で晴乞いや雨乞いや地鎮を祈祷しないと、不作と飢饉でリアルに集落が全滅してただろうから、その当時のことはとやかく言えないけど。人柱を出した家は周知されてそれなりの見返りがあったかもしれないし。

 

とにかく 

少年と少女の関係が世界を背負ったりしなくても、なんとでもなる。

15歳の少女にすべてを押しつけないと続かない世界なんていらない。そんな世界のほうがよっぽど危うくて狂ってる。

800年、100年、そういう時間のなかで人類が手にしてきたものを信じていい、

代償のいる魔術をいらないと言っても大丈夫だよ、と。そういう物語になってたと思う。

 

オカルト誌ムーの取材をしてるとか、占い師(まさかの野沢雅子w)のノートにまた陰陽とかヲシテ文字が書いてあるとか、

鳥居とかお盆とか神主とか天井画とか、彼岸とか、空の魚とか白龍とか。代償とか人柱とか。

そういうオカルト要素を散りばめといて、フラグ立てまくっといて、がんじがらめにしといて、

オカルトなんていらねーよ、どうにかなるさと越えていくのは、ほんとに爽快だった。

まず心が法なるものを越えた、運命や因果から、自由になった。

運命の向こう、っていう歌詞のとおりだ。

ということはハウルの域に達していると勝手に認定しちゃうw自分の中では宮崎駿レベルいったわw

 

ところで、瀧とみつは、めちゃめちゃ顔出しで登場するねww

瀧のあの風格と安心感はなんなんだw

帆高の危うさとの対比的な?

みつはは指輪売り場の店員で、

引越後の祖母の腕に組紐があった気がする。

あの世界線でも二人は出会えた的な?

 

さやちんとてっしーは後ろ姿で一瞬だったけど分かった。フリマが晴れて皆が驚くところだ。

スタッフロール見ると四葉もいたらしいが、四葉はどこにいたんだろう・・・。

また見ることがあったら気を付けよう。子どもじゃなくて女子高生とかだろうしな。

ツインテールが目印でいいんだろうか?

CMの白い犬も分かった。

 

ナギの彼女の声優二人はわろたw

あとで書類に花澤綾音って名前を書くのもわろたw

花澤香奈と佐倉綾音wさやちんの悠木碧も呼んだなら、もうその三人の誰でも上手かっただろうになぜ本田翼だったんだ・・・。ちょっと気になる棒だった。

バイクでカーチェイスあたりからのセリフはもっとわくわくさせて欲しかったな。

 

ところで、何回も見きれてた The Catcher in the Rye

っていう本はライ麦畑でつかまえてなのか・・・。

攻殻機動隊でもネタになった本だけど、読んだことはない。

でもなんつーか銃をもって警察から逃げ回るアナーキーな感じがオマージュなんだろうね。

 

ヘイトの溜まるリーゼントの刑事に梶裕貴というチョイスはなかなかタイムリーな気がしたwエレンとかアリババとか好きな主人公役は多いけどもw

 

水の魚、水が魚になって泳いでるっていうモチーフは最近記事にしたポニョでも海獣の子供でも出てくるなあ。

ポニョは魚の波の上を走るし、琉花の自転車にまとわりつく雨もああいう魚の姿だ。

水の、魚かー。うお座の時代から、水瓶座の時代へ?とかそんなスピなネタだったりするのか?しないのか?

 

メアリの主題歌RAINで、ファフロツキーズの意味を知っててちょうど良かったな。

怪雨、魚とか、そんなわけないじゃんってものが降ってくる現象のこと。

空の魚が降ってきたツイッター記事とかにその語の見出しがある。

 

ところであのアメという名の猫は、なんか居た意味あったか・・・?

もうすこし考えてみよう。

 

映像は、花火のところが良かったな。ドローンみたいな視点で花火を見るってすごく楽しかった。

映像的には君の名はの方が綺麗で気持ち良くはあったな。

重い雨の絵が多くずぶ濡れになった気分w

都会のごちゃついた感じとかも重い感じだった。

しかし心情のアンサーとしては逆に天気の子の方が軽やかさがあるわけで。

 

 

最後の坂道で、また陽奈が願ってたけど、

今度は誰かのためでなく、自分のために願ってたんだ、と思う。

我欲とか利己的ってことじゃなくて、

キャンベルのいうところの至福を追求する、

マザーテレサのいう内なる神の声に従う、

0なるものから訪れるインスピレーションによって願うなら、

それにはもはや代償は、ない。

誰もが、自分自身の内なる声を聞いて願い、それが叶うなら、魔なる法でなく奇跡によって、空は晴れるだろう。

そういう新しい世界観も提示されてたのかもな。

 

 

 

100%の晴れ女で、晴れた事にみんながお金を支払ってくれる場面がある。

金額は色々で、子供の手に50円玉は和んだけど、

すこし斜に構えてみると、みんな自分の願いをお金を払うことで他者に肩代わりさせてるんだよな。

それは互助で成り立つ社会の基本ではあるんだけど。

でも、もし、あのまま陽奈が晴れ女として一時的な晴れを呼び続けれられたとしても、いずれ良くないことが起こっただろう。

その謎を解明しようと色んな人が来て、

晴れを求める人が長蛇の列をなして、我先に利を求めて、

どうして晴れさせてくれないんだとか不平を言い出す。

晴れたぶん後でまとめたみたいに水の塊が降ることとの関連性もあるし、

おそらく魔女狩りになる。

リチャード・バックのイリュージョンみたいになる。

人の願いを肩代わりするほど、対価に金銭を受け取るほど、陽奈は透けていった、人間でなくなっていったと見ることもできる。

なんでもかんでも互助や金銭でどうにかしてはいけない。

自分の願いは、自分で叶える。ということを獲得していかなければ、

救世主や革命、エサを与えられるのを口を開けて待つ雛鳥になってしまう。

どろろでもそうだった。鬼神の加護、領主の庇護を越えていかないといけなかった

 

結婚式やプリキュアのコスプレや運動会、天気予報にない晴れを望むなら、自分自身の願う力、奇跡を起こす力を呼び起こし、

自前で神通力、超能力の開発でもしていくべきww極論を言えばなww

それが不可能だとは思わない。

ミサイル打って晴れにする技術だってあるわけで、科学の追求でも同じことだ。

 

誰も彼もが、他力本願だから、

たった15才の少女がとんでもないものを背負わされることになる。

赤ん坊が五体を奪われることになる。

弱い者を対価に差し出す、それは大人として恥ずべき世界だ。狂ってる。

まず自力救済だ。然るのちに互助。その順番、段階が大事やん。

 

そういえば陽奈の青い石のチョーカー、

鳥居で二人が倒れてる場面で割れてたね。

陽奈の母親も同じ石を持ってたように見えたけど。

ラピュタの飛行石を思い出さずにはいられないw

空の上、巨大な積乱雲と繋がってる青い石w

あれもバルスで壊れるけど、象徴的な意味は同じだ。

マジックアイテム、契約の証が壊れることで、

恩恵と代償、メリットとデメリットの双方が失われる。

庇護を失う代わりに、自由になる。ゼロから始められる。

 

東京の上の巨大な雲は、800年?ずーっと代々の晴れ女の人柱を捧げることで溜まりに溜まっちゃってたヤツじゃないかな…。

 

魔法ってのはそういうもんだ。右から左に動かしてるだけで、どこかにしわ寄せがくる。

 

晴れ女で晴れさせる、一時避難的な措置をずっとやり続けてしまった結果というか。

降雨量をずっと先延ばしにし続けてきただけというか。

 

三年だか雨が降り続いて東京水没は災難だけど、

それも何百年と撓め続けた因果の結果ではないだろうか?

溜めた分がぜんぶ降り終わったら、リセットになって、また湿地なりにそこそこ暮らせる天候になるのかもな。

最後に雨が止んで光が射してくるのは、そういう意味かもしれない。

 

 

 

 

 

 

とりまここまで。追記するかも。

昨日のニュースがひどすぎて滅入ってたけど、しばらく忘れることができたよ。

 

 

 

君の名は、を解釈する3 半分の月、天気の子。

君の名は。 Another Side:Earthbound (角川スニーカー文庫)

 

まあ、あとは気楽にこぼれネタというか。

ちなみにDVDは持ってるけどノベライズもコミカライズも読んでない。

ほんとはこうも甘酸っぱい青春ラブストーリーは苦手だw

さやちんとてっしーの自転車二人乗りでの登校とかで、やめてもうライフは0よ!と言いたくなる。青春が眩し過ぎて目が潰れるww

 

みつはと瀧の接続が切れてる、縁が離れているときの表現もいろいろある。

 

これはスレで目聡い人が気が付いたんだけど、

「町消えるも住民無事」という新聞記事の、 
右の方で「爆風により糸守湖が氾濫。2年前に開通した隣町とのバイパスも寸断されており~」 という文章の「2」が横向きになっている。

 

隣町とのバイパスも寸断、町と町を繋ぐ道路が寸断。瀧とみつはの接続も寸断。

そういう感じだ。倒れた2は∞、隕石が落ちた後の糸守湖の形にも似てるかも。

 

旅館で奥寺ミキ藤井司の座った間に、

空という字の、工の部分が分割されたデザインのポスターがある。

 

空という字は穴と工だ、工というのは虹の工、と一緒で、点と点を結ぶ線。ある地点と地点をむすぶトンネルやレール、道のようなものの意味だ。つまりこれも陰と陽を結ぶものなんだけど、

ポスターではそれが分断されている。

それも瀧とみつはの接続の分断という意味だ。

 

空は、穴へ至る工、という意味だが、穴というのは実に面白い。

穴、亞、洞、淵、虚、次の世界、違う世界、対になる世界。そこへ至る通路。空はそういう字だ。

ハウルでも黒い穴が、最も重要な秘密を示すものだった。

それを単に異界や幽世と見てもいいし、もっと深遠な秘密、有限と対になる無限、アルケー、0、混元、名も無くわざもない、なにか。そういうものを示してると見てもいい。

 

飛騨に行った瀧のTシャツにHALFMOON(半分の月)とあるけど、

あとジャケットの肩に赤と白の円のロゴがあるけど。

あとデートの後、みつはに電話が繋らない場面の月が、電線がかかって半分になってるけど。

 

この辺もそんな感じだ。OPにも満ちていない月が出てくるけど、

満ちた月は円、結ばれた縁、男女の合一を意味してて、それが半分なのは不完全な半身ということだ。

 

赤と白はどちらも陽。陰は黒と青だ。

対極図は陰陽、白と黒が半分ずつ混じり合っていく動きを図にしたものだ。

 

 そういえば、デートの後、なんで瀧とみつはの接続が切れているのか。

まあ、気になる男の子ときれいなお姉さんがデートすることになって、涙がこぼれてたらそりゃ傷心で失恋だろうけどもww

それで東京まで会いに行っても「誰?」って言われちゃうしな。

 

でもそれでみつはのやった、髪を切る、という行為が決定的にマズイ気がするな。

髪というのは重要なマジックアイテムだ。女性が失恋して髪を切るとか、死者に髪を手向けるという風習は、相手への想いや縁を断ち切るための行為だ。

そういうことをするから、巫女の魔力が損なわれ、夢の接続が切れてしまう。

 

渡した組紐を辿って、また瀧が会いにきてくれるからいいんだけどね。


陸橋、というのもイマイチらしい。

瀧とみつは、それぞれ電話をかけて繋がらないのも陸橋だし、

大人になった二人が雪の中すれ違ってしまうのも陸橋だ。

水の上、川にかけた橋であれば、ふたつの世界を繋げる象徴になるけど、

道路の上にかけた橋ではいけないってことか?繋がりそうで、繋がらないのか。

奥寺先輩にデート解散を告げられるのも左手薬指の指輪が光るのも陸橋の上だ。

すれ違いと失恋のスポットじゃねーかw陸橋は鬼門だなww

その辺はまぁ、監督の匙加減な気もするけど。わからないでもない。

 

そういえば、ティアマトというのは女神の名前だ。

彗星は緒をひくもの、男性原理、陽、のはずなのに、なんで女神の名前をつけるのか。

ティアマトは海の神、母神、大地の材料となる神、調べるほどに彗星よりもむしろ地球そのものといった趣の神様だ。

そういう名前をつけるから、何度も地球に惹かれて落ちてきてしまうのだろうか?同一化しようとする名前なんだろうか。

 

糸守の500人は、幽世から黄泉返った存在になるわけだけど、

その身体は今まで通りというわけではなく、彗星と宇宙の気がふんだんに混交された新たなものになっていると考えられる。

母神ティアマトによって新しく創造された肉体、生命体であるとも言える。

パンスペルミア現象で生まれた新しい人間たちが、東京とか、日本中に散って暮らし、

結婚とかして子供をつくっていく。

彗星に含まれていたもの、彗星とともにもたらされたものが、地上の人類種に少しづつ、混ざりこんでいく。波紋のように広がっていく。

 

それはおそらく、歓迎すべきことだ。

「淀んだ水に、新しい波を」っていう。

異なるものを受け入れることで、総体の健康寿命は延びていくはずだ。

閉じた系は、熱的死、崩壊へ向かっていくばかりだからな。

この辺はまた例えが見つかったら書いていくけども。

近親相姦が続くと遺伝的な疾患が多くなる、とか言うと感覚的にわかると思う。

わかんなかったらハプスブルグ家でググると面白い。

 

そういえば、てっしーが読んでたムーにアカシックレコードという語がある。

磐座で酒を呑んでこけた瀧が見るイメージはこれだ。みつはの過去が見える。

アカシックレコード阿頼耶識、それは過去、記録の殿堂だ。

これにアクセスすることは、多分そんなに難しいことでもないし、特に代償とかもない。魔法ではないと思う。無料閲覧図書館、ウィキペディアみたいなものだ。

必要なのは、電波状態の良さとキーワードだけだと思う。

瀧の場合は天上の絵や組紐や酒がキーワード、検索ワードに相当してる。

 

これを詳しくすると君の名はから逸脱するし、頭オカシイと思われるからまた別記事にする。スピとオカルトがオッケーな人だけ読んでくださいww

先に読みたい人は元スレで読んでて下さいww

 

ていうか、週末に公開の天気の子では、もう主人公がムーの編集?とかなんでしょ?

新海誠もオカルト隠す気なくなってるじゃねーかww最高かよww

 

100%の晴れ女、というのは天の岩戸から天照(太陽)を呼ぶ、アマノウズメなんでないかな。

雲の上は高天原

鳥居をくぐって、雨が空に向かって落ちていってるので、雨、水がまたふたつの世界や男女を繋ぐ、組紐的なものになるのではないかと思ってる。

 

天気の子は、見たらとりあえず感想書くわ。

何回も見に行って考察や解釈したくなる作品だといいなあ。

空の美しさについては劇場の価値があると確信してるw