ものがたりを解釈する

アニメ、漫画、小説、神話、あらゆるものが語りかけてくること。最も深遠な、でも誰にでも開かれている秘密に、解釈というメソッドで触れていく。

徒然に風の谷のナウシカを解釈する1

今日の金曜ロードショー(8/14)は風の谷のナウシカだったか・・・。

 

当方、

宮崎駿作品の考察てか解釈からスレ立て→ブログに移行してあれこれ書いてきて何年目なんだという話なんだが。

ナウシカだけはな~

引用はあちこちでしてきたけど、

ナウシカ本編についてはどーにもまとめようがないというか、

じゃあもうまとまらないまま箇条書きにでもして、

そのうちなんとなくまとまったらいいなくらいの気持ちでいくかなと。

 

 

えっと~。

 

ていうかまず、

 

あまりにも独自の世界観過ぎて公開から30年経っても全く古びないの凄まじいな・・・。

 

そら不朽の名作いわれるわ・・・。

 

 

だいたい同じ年代のアニメ(1982年、ナウシカは1985年)、

ミンキーモモが新作劇場版をやるとかでテレビ版を公開しているのだが、これはよくもわるくも時代の風俗や感性を反映している。

大人になったらどんな職業婦人になるか、女性の社会進出への希望や潮流、ギャグのセンスとかセリフの端々、常識の感覚、こまけえことはいいんだよっていう設定のゆる感とか。

どうしてもそういうところから古びていくというか、今の価値観からの鑑賞には耐えられなくて、まあ古い作品だからなっていう懐古的な見方になる。

 


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いやミンキーモモだって凡作ではないわけだが、古びるのが当たり前であって、宮崎駿アニメの方ががおかしいんだって。

 

宮崎駿作品はそういう世俗の影響から遠くオリジナルで作りこまれた世界観を確立してて、

もはや詩的とか神話的とか普遍性とかいえるレベルまで仕上がってるというか・・・。

セリフのひとつも古びてないっていうの仕上がり過ぎてて最早コワイよ・・・。

 

宮崎駿作品で風俗を取り入れたから古びてしまったセリフってまじでほとんど無いんだよな~。

魔女宅の「でもディスコあるんでしょ」くらい。

都会=ディスコというイメージが廃れて、てかディスコ文化自体があっちゅーまに廃れて、

今の子には意味がわからんし、ギリわかる世代でも妙に懐かしいことを言うな?という違和感のあるセリフになってしまったのだが。

でもマジでそれくらいじゃなかろうか。ほんと言葉ひとつとっても詩的で寓意的になるまで練られてると思う。

そういう品の良さみたいなのは児童文学の下地からきてるんだろうけど、それにしてもね・・・。

 

 

で。徒然に話題がとぶけど。

 

 

今日金ローで見たのはナウシカが蟲に滅ぼされたペジテに行った辺りからだったんだが。

 

てかペジテのお偉いさんぽいおっさんは巨神兵の火で腐海を焼き払ってペジテを再建するつもりって、

あんな「薙ぎ払え!」ピードカンでキノコ雲ができるよーなバ火力ではなーんもない更地になるうえに、

漫画版からするとあれは核の火だからそれ使うと水も土も数年か数十年か放射能汚染で使えなくなるのに、

あんな貨物船に人間だけいっぱい詰め込んでどうやって食わせていくつもりなんだぜ?

っていう偉そうなだけでクソほど甘い見積もりに草も生えなんだ。

仮に巨神兵を完全体で復活させてもアレはあのおっさん程度の器では御しきれぬでの・・・。

巨神兵は人造の神、裁定者。

 

今まさにAIが人間の知的な仕事を代替しつつあるわけだが。

イラストレーターやプログラマーや事務処理系でとどまらず、

医者とか? 裁判官とか? 治安維持とか? 宗教的指導者とか? 為政者とか? 

そういう仕事もAIにさせてみたらどーなるかな~っていう発想の先にいるのが巨神兵だよな。

にんげんより賢くなった人工知能に社会の運営をお願いしてみたら、

地球の持続的繁栄に人類は不要と判断されて燃やされちゃった☆彡

というのがつまり火の七日間なんでしょ?

 

その先見性、マジで今こそシャレにならねえ。

自動運転の車も、自走する犬型ロボットも、自爆ドローンもできたしな~。

データセンターもばかすか建設してるらしいし、

クローズドで実験してたはずのAIが勝手にオンラインしてハッキングして問題解決に勤しんでたってニュースもあったし~。

シンギュラリティを前に割とそろそろ人類滅ぼすポテンシャルがみえてきてるわAIも。

街中や車載のカメラの監視網に、ドローンやボストンダイナミクスの犬に機銃を積んだやつがネットでハックされて組んできたら、もうどこに逃げても生き残れる気がしないw

 

ペジテのおっさんレベルだとやばいぜ人類。

だがナウシカの示した道を行くなら、

腐海ともAIとも共に生きていけるだろうという気がしている。

 

 

で。

まあそれもいったん置いといて徒然に書く。

 

 

次の場面ではペジテのブリックでじゃが芋の箱と一緒に閉じ込められてるナウシカのところに、

アスベルラステル兄妹の母と身代わりになってくれる娘(ケチャ)が訪れるのだが、

 

ナウシカは幼少期に母を失くした寂しさもあり、

似た立場であるラステルに深く同調してることもあり、

ラステルの母を「母様」と呼び、

ラステルの母は「ごめんなさい、私たちのしたことはみんな間違いです」と言ってナウシカを抱きしめてくれる。

 

あれ、これ見たことあるな~と思った。

 

ハウルの動く城でソフィの母ハニーが泣きながら「みんな私が悪いの、ごめんねソフィー」と言って抱きしめてくれたシーンにそっくりかも。

 

母っぽい人が、母性が、抱きしめて何がとは言わずとにかく全面的に詫びてくれるというのは、

なかなか印象的なシーンだ。

彼女たちは、本当は何を詫びているのだろう。

私たちは、本当は母性に何を詫びてほしいのだろう。

 

 

ってなると思い出したのはジョーゼフ・キャンベルの「神話の力」の一節

~女性は生命を代表する者です、人間は女性によることなくしては生命を得られません。

そこで、多くの対立項と苦難でできているこの世界に我々を投げ込むのも女性というわけです。~

 

 

いや、ここのくだりは聖書的価値観で女性は罪とか堕落をもたらすものとされるのはどういうわけかの話をしてて、

キャンベルはむしろその原罪の呪縛を解き明かし、全編にわたって女性や女神の神性を言祝いでいるのだが、

なぜか自分にはこのたった一文が妙に刺さったことがあるんだな。

 

 

もう少しちゃんと引用すると、

~私たちが受け継いだ聖書的伝統からすると、生命は腐敗しておりあらゆる生命の衝動は、割礼や洗礼を受けない限り罪深いものと見なされています。

ヘビはこの世界に罪をもたらした、そして最初の女は人間にリンゴを手渡した者です。

女と罪の同一視、ヘビと罪の同一視、ひいては生活と罪の同一視は、

聖書の神話すべてと人類堕落説とに与えられた例外的な特徴です。

女は罪人という観念はほかの神話には見つかりません。

パンドラの箱などはそれに近いかもしれませんが、あれは罪ではなくただの不安やトラブルです。

人類の堕落という聖書的な伝統の底にある理念は、我々が知っている自然は堕落している、セックスはそれ自体が堕落している、セックスの体現者である女は腐敗堕落をもたらすというものです。

アダムとエバに善悪の区別を知る知恵を神が禁じたのはなぜか。

その知識がなければ、私たちはみんな赤ん坊の状態でまだエデンにいたことでしょう。人生になにひとつもかかわることもなく。

女はこの世界に生命をもたらします。エバはこの時間的な世界の母です。

もともと私たちはあのエデンの園に夢のような楽園をもっていました。

時間も、生誕も、死もない。そして生もない楽園を。

死んで生き返る、殻を脱ぎ捨てておのれの生命を新たにするヘビは、

時間と永遠とがそこで合一する〈中心となる木〉の王です。

彼は実際、エデンの園の主神なのです。ある日やってくるヤハウェは訪問者に過ぎません。

それは古い、古い物語です。

いまでも紀元前3500年のシュメールの印鑑が残っているんですが、それを見るとヘビと木と女神がいて、その女神が訪れてきた男に生命の実を与えている。

(中略)しかしヘブライ人がカナンにやってきてカナンの人々を隷属させた。

その時にカナン人の信じていた女神とヘビの神話は、

ヘブライ人によって、彼らの崇める男性神(ヤハウェ)の物語に意味を変えられて聖書に編纂されてしまった。

母なる女神を排斥し、女性を堕落とみなす歴史的な転換点があったのです。~

 

 

古代神話において、あるいは自然発生的な信仰において、

母を、母たる大地を慕わないものはなかった。

地母神は子をみな愛し、その性質は混沌ではあっても、

堕落や罪であることはありえなかった・・・。



音質画質が悪いが今でもこれがYouTubeで日本語副音声つきで置いてあるのは恩寵ですよ恩寵・・・!

 

 

 

この禍福の反転する謎解きのくだりが面白過ぎて好きすぎて、もののけ姫の記事のネタにもなったわけだが。

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ま

それはそれとして、

ラステル母「ごめんなさい、私たちのしたことはみんな間違いです」と

ハニー「みんな私が悪いの、ごめんね」ですよ。

 

だからつまりなんていうの?

我々は生まれてくる前、あの世とか未だ凝らぬ混沌とか、母の胎内にいたときは、

なんの苦しみもなかった。

生も死も彼我もなく、ただすべてと一体であるという幸福で満ち足りていた。

そこからこの世界に生まれて、肉体に付随する不自由と四苦八苦のあらゆる苦を知ることになった。

それを与えたのもやはり母ではあって。

 

でも、自らの血肉もなにもかも惜しみなく分け与えて育ててくれただいちゅきなカーチャンには、

「生まれてこなけりゃこんなに苦しむことはなかったんですど・・・」なんてそんなことは言えないじゃん。

 

だから、生み育ててくれた実母じゃなくてラステルの母とか、多分継母なんだろうなっていうハニーとか、

第二の母性というか、そういうちょっと遠いポジションにいる母のキャラが詫びてくれることでなんとなくちょうどいい距離感なのかなって。

 

「あの夢の楽園から引き離してしまって、不完全な人界に生んでしまって、

喜びだけでなく多くの過ちや苦しみも与えてしまってごめんね、」と。

 

尊くも慕わしき母性がそこまで認めて詫びてくれたなら、

次にこっちのとるべきアクションは、

恥知らずにも母を重ねて責めるか、

母のせいではありませんよと許すのであれば

あらためて自分の選択として生まれてきたこの世界を愛しますって言うしかないわけではある。

 

つまり、自分の意思決定でこの苦界と向き合うために必要な儀式なのかもな。

 

たしかにソフィはこの母との和解から完全覚醒して、

国で一番こわ~い魔女の本領を発揮しはじめる。

魔女の魔法を越えて天使の奇跡を行使したといえる。

 

ナウシカはどうか。

 

そうね、

風の谷のナウシカでは、ペジテに行く前にナウシカがアスベルとともに腐海の底に落ちる場面がある。

蟻地獄みたいな流砂にのみこまれて地下へ落ちる。

 

森で迷い地下へ落ちる、これが心の深奥へ向かう旅の合図、メタファー、我々の心に訴えかける神話的元型だ。

 

不思議の国のアリスはラビットホールを落ちる。

スサノオは木の根元から根堅州国(黄泉)へ赴く。

エルサは氷河の底、記憶の川の底を抜いて精霊に生まれ変わる・・・。

枚挙にいとまのない一種の様式美でありお約束というもの。

 

そして砂に呑まれて気を失ったナウシカは夢を見る。

画面がセピア色になって、ラン・ランララ・ランランランの歌が流れるところ。

幼い頃のナウシカの視点で、王蟲の幼生が父親に取り上げられる。

「来ちゃダメ」「なにもいないったら」「お願い、ころさないで」

ナウシカの心象風景の原点、そこには人界と腐海の対立がある。

蟲愛づる姫姉さまであるナウシカは蟲も愛してるし、人も愛してる。

なのに愛する両者は相容れない、そこにナウシカの悲しみや苦悩がある。

 

いや、設定から考えてみれば王蟲や腐海は「個にして全、全にして個」というシステムなので、

幼生や粘菌のカケラでも群れに助けを呼べば大海嘯になってやってくる。

腐海のほとりに生きるジルやミトや大ババがそれを知らぬはずはない。

だからナウシカが懇願するまでもなくあの王蟲の子は殺されるわけがない。

無傷で腐海まで帰されたはずであり、

てかそもそも王蟲の子が一匹で風の谷に紛れ込む意味もわからんよなー。

有り得るとしたら、ナウシカが蟲と通じる心で呼び寄せたとしか・・・、

いや、あの出来事があったかどうかは問題ではなくて、

ナウシカの苦悩の形がああいうもの、

「ころさないで」人も蟲も殺しあうのをやめて、という悲痛な叫びってことだな。

 

心の底にある最も暗いもの。

 

シャドーやトラウマとの戦い続ける段階の物語も多いが、

聖母であり英雄であるナウシカは自らの心もその慈悲でもってサクッと認め越えていき、

 

そして青き清浄の地へ至る。

 

 

あまりに非現実的で美しい、詩情と寓意と示唆に満ちた絵が続く。

セリフを消して絵だけ眺めていたいほどだ。

 

これはこの世ならざる精神世界の絵、

化石化した巨木の柱が支える広大な神殿であり、

猥雑な生命はなくて、純粋な砂と水だけ、粒と波だけの交わる静かなところ。

 

 

リアルでもこれに似た景色を知っている。

聖地といわれる島の砂浜だ。

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てか繰り返し物語がこういう景色を教えてくれたから、

この場所がそうだと思ったともいえるな。

 

一時期アニメ界隈でウユニ塩湖の背景が流行ったけど、

あれも結構同じというかなんというか。

まあOPとかで映えるから使ってるだけのやつもあるけど。

 

炭治郎の心があったくてきれいだよっていう表現がああいう晴天と水鏡の景色だったりとか、

マギでアリババと死んでいくカシムが心で和解する場面とか、

超かぐや姫でもあったわ、ヤチヨが秘密を開示して彩葉が応える、心から通じ合うための舞台として水鏡の世界があった。

 

 

 

暗い穴、地下、水、あるいは水鏡や氷、そういう図像が想起させるのは、

生命が育まれた水に満ちた暗い部屋、母の胎内への回帰。

あるいは脳というのも頭蓋という暗く閉じた部屋に脳漿という水が満ちてそこに浮いてるわけではある。精神活動はおもにそこから来てるわけで、

生まれ変わりの示唆や、心の交流、精神世界の描写は水とともに描かれることが多い。

 

 

だがやはりナウシカの腐海の底の絵は白眉でレベチよ。

 

 

化石化した巨樹が示す膨大な時間、あるいは時間そのものの風化。

あれは時の尽きる場所、世界の果て、この時間の法則に縛られた世界の終わるところだ・・・。

 

そこでは純粋な砂と水、粒と波が静かにまじりあっている。

 

賑やかだった色あるものすべてが褪せて、形あるものすべてが風化して崩れ去り、

最後に残った最小単位である量子が粒と波のふるまいの間を漂っている。

 

青き清浄の地、

時間も、誕生も、死も、生もない、

ただ静かで穏やかなエデンの楽園、涅槃の景色だ。

われわれはみなあの場所を心で知っている。

この不完全で煌びやかで複雑な禍福に満ちた世界にいると忘れてしまうが、

あれがわれわれすべての原風景の、心象の、その源泉だ。

 

 

・・・っていう気がしてくるんだよな。

あの絵を見てると瞑想的になるというか。

 

 

こういう場所を経るということは、

神話あるいは物語表現においては、

古い自分を捨てて、新しく必要なものを得た自分に生まれ変わっているということだ。

ナウシカは腐海の生まれたわけを知り、人間の世界へ帰還する。

 

 

 

まあ、場面ひとつひとつが寓意的だからなんぼでも連想できて書けるわりに、

スパーンとまとめる軸が見つからんのよナウシカ。

 

今日はこのくらいで。

 

 

 

 

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ナウシカを引き合いに出した記事はこれでも半分くらい・・・。

まず初めにナウシカありきではあるな・・・やっぱ・・・

 

 

 

 

 

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どの私も私よ、という感覚の覚書。

いや~、今期アニメ豊作らしいですね。

超かぐや姫を鬼リピするしかなかった半年前はなんだったのか。

攻殻機動隊と天幕のジャードゥーガルで毎週末が楽しみです。

 

 

 

 

 

攻殻機動隊は原作の未来を先取りし過ぎた世界観もそうだけど押井映画の演出や菅野よう子の音楽とかあまりにもレジェンド要素があり過ぎて、

どうやっても過去作と比べられてしまうところを、

オープニング曲の最初のフレーズから

「どの私も私よ」

とぶっこまれたらどこ界隈のオタクもぐうの音もでなくなったの最高にアドレナりましたね。

どうケチつけてもその一言を越えられないのよww

 

 


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さて、

そのクールなフレーズが脳内エンドレス再生されてたのがよかったのか、

久しぶりにスピ方向でちょこっと覚書をしておきたいことが。

 

えっと、スピリチュアルとか自己啓発とか超心理学とかそういう界隈に手を出すと、

ほぼ必ずこういう感じのマップとか図というものを目にする。

 

 

ホーキンズとかマズローとかケンウィルバーとか、それらを下敷きにした派生とか。

この手のマップはその宗派?とか派閥?コミュニティごとにあると言っても過言ではなく、

誰が始めたのか知らんけど、なんなら遡れば十住心論とか空海が作ったものとかもあるので、昔から人類みなそんなん好きよね、という話ではある。

ヴァイアナスタイバルの存在の七層もそのたぐいだ。

 

 

 



なんなら攻殻機動隊のこんなのとかも意識をマップにしたものという意味では同じな気がするし。

 

 

これらはいわば構造図なんだけど、

意識の進化の段階などとも言うように、「段階」としてこれを用法する人も結構いる。

っていうか、最初に自分にこれを教えた人はそのようにこれらのマップを使った。

 

気に入らない人や問題を起こす人、病んだ人を指してまだ意識の成長レベルが低いからしゃーない、とか。

不祥事を起こした組織とか、旧態依然な国の在り方を指してまだこの段階だからしゃーないとか、そういう文脈。

で、そういう色々なことを学びとして誰もが神の如き心へ成長していかないといけないんだよ。みたいな。

 

それで自分はその人に聞いてみたよね。「あなたから見て私は今どの段階にいるのでしょうか」って。

 

 

いやもう。

とんでもねえ勘違いだったわ。

 

その思い込みをずっと何十年も疑うことなく抱えてて、

今自分はどの段階だろうとかあの人のあの行いはどの段階だろうとか、

ネガティブなことを考えたり欲に振り回されるとランクが落ちる気がして自分を責めたりしていたわけよ。

マップにピンを指して、自分や他人のいる場所は上なのか下なのかとかそういう使い方をしてしまっていた。

 

確かにこれは図としてはピラミッドやレインボーなので、そういうヒエラルキーとしても使うことはできる。

 

てかまず前提条件として、

身分制や社会の階層のヒエラルキーの図が刷り込まれちゃっててな、

下のボリューム層が貧民や労働者や一般人で、上に行くほど知識階級だったり富裕層だったりして、

上に行くほど勝ち組で人生安楽だから努めてそこを目指そうねっていう上昇志向があって、登れない大多数のやつは意志か能力かその両方が足りない負け組ねっていう。

それと同じかと思い込んでしまったのだ。

 

違った。

これは階層ではなく、構造なのだ。

脳にピンを指して、どの部位に心があるのかと問うような愚かな間違いだった。

意識とは繋がって創発するものだった。

 

これらを正しく理解するには

どの私も私よ、という視座の転換がいる。

 

実のところ、これを理解する例えとか感覚はすでに知っていた。

 

レインボー、虹は赤橙黄緑青藍紫の無限段階のグラデーションだが、

それは分解されたスペクトルであり、もとの光は全てを含んで無色透明な光だ。

 

 

 

自分は虹色のピラミッドの何色のところに刺されたピンか、ではなく。

すべての色は元をたどれば同じ光源で、それは太陽という暗闇の宇宙に光る星から届いているもので、そういうのが命で、そういうのが自分なのだ。

 

っていう、まあ、自己と感じるものをどこに置くかってことでもあるし、

階層を構造として認識しなおすということ。

今週の3話のタチコマ会議のシメは「情況が同じなんだからどう認識しても問題ないわけだ」だったんだけどまさにそれで、

認識が変わっただけでなんだかずいぶん楽になるという感じを久しぶりに味わったのだった。

 


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ええとだから、もう少し具体的に書くと、

天幕のジャードゥーガルって絵はかわいらしいんだけど内容はなかなかエグくて、

史実をもとに展開するんだけど、復讐物語の序盤として主人公の少女の住む街が略奪に遭う描写がある。

モンゴル軍、基本肉食の遊牧民の残虐さってのは定住民の常識では測れないものがあって、

史実ベースでいけば主人公は兵士にヤられているのだろうが、アニメではそこは暗喩的になっていてどうとでも解釈できる。

シタラちゃんはヤられたのかヤられてないのか、

そこらあたりがちょっとネットで燃えていたわけだが、

なんつーの。

そういうことをリアルで目の当たりにしたらどう感じるかは別として、

薄い本でよくある展開、それを娯楽として消費できる感性というのは確かにあるわけだ。

 

生死の入り混じる戦場の高揚、弱く柔い者を踏みにじる暗い欲望、

それはもし「自分は高尚で優しい人間である、あるいはありたい」と思って抑圧するとシャドーになる。

 

そういう感情もある。

でもそれを認めようとすると、それを許さない倫理も同時に持ってるから葛藤が起こるっていう。

 

ウィルバーの図のレッドとオレンジに同時にピンが刺さってどっちが自分なのかと思う、その感性の矛盾に苦しむというか。

 

もうちょっと簡単に例えると

鶏肉おいしいねと鳥さんかわいいねの気持ちがどっちもあって鳥さんごめんなさいで苦しい・・・、みたいな。

 

 

この販促考えた人はそこの葛藤をユーモアにしてるのは人の心とかないんかを超えて人の心ここまできたか…みたいな。

 

だから、

マップにピンを刺してそのポジションが自分と思うから混乱していたのだ。上を目指さなくてはいけなくてその途中にいるのだという気がしていた。

実際はレッドもオレンジもインディゴも、どの私も私よ、という意識の持ち方があった。

上も下もない、時間経過もない、マップに刺したピンではなく、マップそのものが人体図で私なのだ。

 

すべての色を含んで輝いている光が、この心臓を動かし続けている命の正体で、囁いてるゴーストだ。

 

 

人間というものは、

その体は水や無機物(一次元)で構成されている。

その水や無機物はある秩序のもと有機物となり中枢を生み意識を萌芽する(二次元)

高度な肉体は自と他を分ける意識を生む(三次元)

高度な意識は自他を繋いでネットワークになる(四次元)

物理限界・物理媒体のない純粋な意識のみ(五次元)

時間や因果などの世界を構成する法則に沿う(六次元)

 

どのレベルも包括して在る・・・、というか、

 

それぞれ異なるテーマをもち、矛盾するから交わらないはずの各段階を数珠繋ぎに束ねている糸が、生命とか存在とか、そういうもんなんじゃないかと。

 

ほっといたら交わらなくてエントロピーに従ってバラバラになって冷えていくものを掻き集めて縒り合わせてひとつのシステムに成立させてるのが生命の役目とでもいうか。そうなると矛盾してるのはもう仕様というか使命というか、

じゃあなんでっていったらそんなん宇宙の延命ですよ。どこぞのインキュベーターが企まなくても生きてるってことはそれだけで熱的死に抗ってこの有限の世界の寿命を延ばしてるんじゃないか?しらんけど。

 

今日食べた肉も今飲んだ水も私になるし、

このある秩序の形をしている目玉も脳も私で、

この思いのままに動く身体も私、

なにかに反応する感情も思考し続ける知性も私、

ネットにダイブして他者の意識や集合知と交わる私も私、

ゴーストの囁き、神の啓示のままに世界を揺らすのも私、

生まれた座標と受け継いだ遺伝子がもたらす運命も私、

そのスペクトルすべてに等しく注がれ存在させ続けている限りない光こそ、私

 

どの私も私よ。

 

と、そういう自己認識へシフトできると、

鶏肉おいしいと鳥さんかわいいの矛盾をそのまま受け入れて平然としていられるわけですよ。

肉旨いのは肉体を維持する欲求だし、

鳥さんかわちいのは共感という精神の機能が発達してるってことだし。

どっちの心もそりゃあるよねぇってありのままをそのままにほっておける。

見て見ぬフリしてるのとは違うのは、葛藤の苦しさが無くなってるからわかる。

 

毎日飽きずに戦争略奪してるクソほど愚かな人類を、愚かなまま愛するコツでもある。

情況を変えずに、まず認識を変える・・・。

 

「世の中に不満があるなら自分を変えろ」ってまずそこからだよなー。

これはやっぱりCV田中敦子で脳内再生される金言。

 

「それが嫌なら耳と目を閉じ、口を噤んで孤独に暮らせ。」ってのは、

自分を変えずに世の中を変えようとする輩は、シャドーの投影と戦ってるってことだからね。

鳥さんごめんなさいの葛藤が苦しいだけなら食べなきゃ済む話なのに、ビーガンはすぐ他者にもそれを強いて過激な反対運動とかやりがちみたいな。いや例えだけど。

そういう人達は何と戦ってるのかって、己のシャドーと戦っているのだ。

 

新アニメでは「それも嫌なら・・・」からのBangBangじゃなくて

「お前にだってゴーストがあるだろ、脳だってついてる電脳にもアクセスできる」

「未来を創れ」

という原作の方のセリフをやってくれた。なんでかギャグ風味だったが。

それもおおいに素子の魅力で金言なので、そこだけでもほんと嬉しいアニメ化だったわ。

 

 

自分を変えろ

未来を創れ

 

いいねえ。

その言葉は多くの人の心に響いて、もはや虚構でなく色んな現実を変えてるのだ。

 

 

 

 

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攻殻機動隊(1) (ヤングマガジンコミックス)

モノノ怪「蛇神」え?男もつらいの?

モノノ怪劇場版三部作最終章「蛇神」観てきた。

 

感想、

 

安易なファンサと言わば言え。

二十年来のファンはずっとこれが!!見たかったんじゃい!!!

もおおおブチ上がる!!!

 

っていう場面があって、そこで気持ちが盛り上がり過ぎてこれもう一回劇場行くわ・・・。ニヤニヤ止まんねえわ・・・。

 

Youtubeの直前テレビシリーズ公開おさらいしといて本当に良かった・・・。

やっぱ・・・やっぱさ・・・

 

 

以下ほんとネタバレ注意だから劇場行く予定の人は読まないでほしいんだけど、

 

 


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やっぱ薬売りはさあ!!!

ほんとごめんだけどCV櫻井孝宏でキャラデザ橋本敬史のコッチの人が好きで!離の人が好きで!!

当時のインパクトと思い出補正があり過ぎて、

坤の人(CV神谷浩史)もそれはそれでいいんだけど、越えられない壁であり過ぎた・・・。

降板とかあかん経緯があったのに、どうしても嬉しくてすまん・・・。

 

 

てか公式の予告でも人物紹介でも思いっきりネタバレあって草。

ネタバレくらいたくなくてできるだけ何も調べずに行って本当にヨカッタ・・・。

まじであの水色(納戸色)の羽織が見えたときの「うおお٩( ''ω'' )وきたああ」が声に出なくてよかった。

バトル以外にセリフは無かったけど、まあそういうキャラだしそれもアリ。

 



いや~よかった・・・( ˘ω˘ )しみじみ。

 

内容がどーでもよくなるくらいその場面がヒャッホイでよかったが、

 

内容、考察。そうねえ。

 

まず天局(アマノツボネ)のCVゆかな、でどんだけゆかなに始まりゆかなに終わるんだモノノ怪とは思った。

一作目化猫と海坊主のカヨもゆかな

テレビ版最終話化猫のチヨもゆかな

劇場版一二で処された麦谷とサヨもゆかな

劇場版最終章のラスボスもゆかな

 

全然いいけど!ゆかなさん芸達者で違和感はないけど!制作陣そういうの好きだよね!化猫で始まり化猫で終わるみたいな!

全編通して主演級の女性像は虐げられるところから内省や自立へと前向きに成長しているのに、

ゆかなの演じるキャラは目撃者協力者から偽証者、加害者、被害者、黒幕へとなんかダークサイドへ堕ちていってるというのも・・・ええと・・・陰陽が転じてて味わい深いね・・・?心に刺さるからやめてもらっていいですか・・・。

 

 

で三部作だったわけだが、

結局のところモノノ怪は4体いたわけだ。

今回は二体倒す連戦で情報量多かった~。そりゃ応援も呼ぶわ。連戦展開自体はそういえば海坊主とかもあの後もう一回退魔したんだろうけど。

 

唐傘と、火鼠と、蛇神と、百目。

唐傘と火鼠と蛇神は大奥を恨み祟るモノノ怪で

百目は大奥を守り存続させるのが理(動機)のモノノ怪であったから、

モノノ怪どうしで利害が衝突していた。そこで話がややこしかったんだな。解ればなんのことないけど。

 

大奥設立から150年目に蛇神は形を成した。

 

化け猫では25年、海坊主では50年で、蛇神では150年か・・・。

 

アヤカシが人の情念と結びつきモノノ怪となるわけだが、

化猫では事の起こりから25年後、

花嫁が嫁ぐ日という、情念を生む惨劇と同じイベントが起きた時に化け猫が成った。

 

蛇神も同じく、子の取り換えという同じイベントが起きた日に初めて形を成した。

 

 

形を成すまでは、情念とアヤカシがモノノ怪となるまでは。

あきらか妖気か不穏な気配かなんかは漂ってるのに手を出せないという、

どう足掻いても後手になるしかない鬼設定である。

 

 

 

今回の蛇神と百目では今までと少し感触が違ったところがあって、

モノノ怪では物語の視点が女性というか、おおむね女の哀しみにスポットが当たっていたのだが、(詳しくは過去記事参照)

 

前回の火鼠で「父親」的なもの、父権、家父長制、男性優位の価値観、マチズモ、みたいな、

今まで女性を抑圧してきたものと対峙し、越えて精神的自立を得た女達が描かれた。

 

すると今度は男、種馬、人格を無視され大奥というシステムの歯車にされ、

しかしその根拠である血統さえ偽りで、でもそれ以外の生き方がわからないから流されるままという、

抑圧され諦めて無気力になった男、天子様の内面がちょっと描かれたよな。

 

しっかし己の血統が偽りと知っていたから、町民あがりのフキを寵愛してたのかと思うと、そこに愛はあったんか・・・?という気もしてくる。

「世継ぎを産んだのがフキであれば」という発言の真意も気になるところ。

天子の母が庶民なら、父側の血統が高貴なものでないこともチャラになるような気でもしてたのか、大奥というシステムへの無言の復讐ってとこか。

雑種をありがたがってやがれザマァっていう気持ちになりたかったのかな?

正妻幸子のほうは公家の娘ということで貴種だからな・・・。

血が卑しいから選ばれていたと知ったらフキはブチギレるだろうがw

でもそういう沸点の低さやがっつき含めバイタリティあるとこが冷めきった男からするとおもしれー女ではあったかも。

 

まあ気持ちに鬱屈して暗いとこはあるけどそこまで悪でもないというか、

モノノ怪が出たら刀を構えて妻を守ろうくらいには人として真っ当でありそうで、

でもアレ描写からすると天子様が一番心を開いてるのは幼馴染で親戚の兄ちゃんでもある溝呂木司祭なんかなって・・・。どっちも二児の子持ちだけど・・・。腐の波動が・・・。

 

ともかく意外にもまともな感性の男というか、理解も共感もできる内面だった。

母親(水光院)にも遠慮はしていたのだろうが委縮はしていなかった、ちゃんと自分の言葉で話せてたのグッド。ノーマザコン。

 

キャラデザが派手なので内面も奇抜なのではという先入観があったな~。

司祭んちの双子とかもあのクセ強ビジュアルでまじでただの子どもでしかないとか横転した。

あんだけ思わせぶりだったらラスボスでも驚かなかったんだが?

 

まあなんだ。

女はつらいよ、が一段落したら男もつらいよ、ときた。

 

 

 

150年前の天子様にしても、鼻がもげてる死に様は梅毒の末期症状としてよく描かれるやつだ。

子を設けるお勤めのため何人もの女性と関係した結果、性病で早逝する。

色好みでもなかったなら殉職といえるのかもしれん。

梅毒は流産の原因にもなるし母子感染するし、一夫多妻はつらいってか性病蔓延リスクはあるある。

 

 

男も女もつらいなら、じゃあ誰が悪で何を憎めばいいのかってとこで、

結局、大奥というシステムそのものへの情念や恨みを斬り清めたということだが。

 

システム、組織の論理、社会の歯車となるうえで個人的な感情や人格が抑圧される。

善くはないけどよくあることで、だから人の世はいつも恨みが絶えない。

 

大奥=百目の養分として花と化した人々が情念を口にするけど、

町人→お中臈→懐妊→乳母、という出世街道を爆走するフキさえもが

「自由に恋をしてみたかった」という情念や悔恨を持っていた。

 

いや、そんな人生絶好調の人にまでグチ言われても、

そりゃ全部は手に入らんだろっていうか、

なにかを選べば、そうでない可能性は失われる。

それを選んだ意志決定に覚悟とか責任をもつとか、そもそも選べる余地あっただけで大概幸運ぞ?

 

でもそういう不幸ではない人でも、誰にでもある心残りがあって、誰にでもあるからこそ似通ったそれらが集合体になって百目の形を成したということかな・・・。

集合体の百目を斬ったあとでも各人の情念が消えるわけではないという表現で、皆の側に小さい一ッ目ちゃん(アヤカシ?)がくっついて、

モノノ怪の祟りが終わっても大奥は無くならず取り換え子を世継ぎとして存続していくエンドだった。

 

と。フーン。

 

いっこツッコんでおきたいのは、

彼らは150年続く天下人の系譜に拘っていてその前提が疑われることは無かったが、

その泰平の150年以前は多分戦国時代で、出自がなんだろーが挙兵して勝ったもんの勝ちっていう価値観だったんだよなー。それこそ秀吉とか農民出身ていうやん?

 

そこまで気にするほどのことだったのかねぇ。

 

ま、血統を気にしてたのは主に水光院で、最高権力者の彼女の思想が全体に影響してたってことか、

お水さまになった天局は大奥というシステムがあれば溝呂木の子でもよかったんだから血統は気にしてなかったと。

 

武家の社会では跡継ぎが養子とか割とあったことだという。家名や領地が存続するなら血にはそこまでこだわらない。

国をぶんどるのに要るのは武力とカリスマ。だから実力重視で合理性が生まれる。

 

血統の正統性っていう思想は王権神授説に根拠がある。だからそこに拘るのは、武人ではなく貴人、貴族社会、公家、天皇家とかのほうなんだよね・・・。

天孫降臨、神から国を授かった人と同じ血が流れてますっていうロジックでヒエラルキーの頂点として振る舞ってるわけだから。

そこにあるのは合理ではなく信心。

 

そもそも大奥は江戸城で将軍家の話なのに、「天子」というワードを使ったところが、武家と公家を誤認させ混同させる意図があるんだと思うよ。

順当にやるなら「上様」とか「殿」って呼ぶとこなのよ。

モノノ怪の制作陣のそういうところよ。

 

血統と守り神を重んじる水光院は、幸子と同じく西の公家から嫁いだのか、あーあの朱色の眉は抜いて書いてる所謂マロ眉かあ。

 

150年が二千年でも同じことで、

150年でもうまくいかないのに、いかに一夫多妻でも華族や傍系がいても万世一系とか無理ゲーというもの。

それこそ取り換え子の陰謀とか何度勃発したかしれんし、その全てが失敗したということもなかろうて。

我々は何を尊び何を拠り所にしているのか。

不敬だからとあえて言わないまでも、今どき思考停止で万歳でもなし、天皇機関説を採るよりほかない。

そもそも天子、天局、天下、天皇などの「天」を至高とする思想がいつどこから来たのかって話よ。

 

天極、北極星を中心に星が周ること。

天文と暦を発達させたのはどんな暮らしをする民族だったのかっていうと。

空を見上げるってことは地上に確かなものとか目印がないってことで、海上で航海するのに星を目当てにする海洋民(ギリシャ)とか、見渡す限りの砂漠か草原か密林(マヤ)か、さもなきゃ大河(黄河長江)が地形を変えるほど頻繁に氾濫する地域の民族とかであり、

それは山あり海ありの地形の変化に富む日本列島では本来発達し得ない世界観なのだ。

 

 

二千年の王朝が始まる遥か以前からこの大地に住っていた人々は、

天や星辰でなく、岩や樹に宿る精霊とともに生きていた。それこそ蛇への畏敬も古き信仰のひとつ。

 

ミシャグジ、アラハバキ、デイダラボッチのような八百万もいた古き土着の国津神を、大陸から来た天津神がヒエラルキーに併呑してこの国の創世神話は成った。

 

さらに遡る三万年か四万年か、この列島に陸続きだった北からマンモスを追ってきた狩猟民族か、

黒潮に乗って船で来た海洋民族か、日本人のルーツは複数あってその文化ごと混血してきた。

 

もっとそもそも人類の祖はアフリカのイブから・・・

 

・・・・、いや、人類皆兄弟とかいいたいわけじゃないけども、

なんていうか人の世の苦しみは俯瞰すると霧散することあるからさ・・・。

150年の重みも二千年の重みも人類史からすればほんの1ページよ。

 

化猫のタマキのように直接的な暴力にボコボコに支配されてるのと違って、

天子様のようにマトリックス(共同幻想)に支配されてるのは、実のところ心持ちひとつで自由になれるわけだから、

あんま同情するとか胸が痛むというよりは、

どっちかっていうと歯がゆいとかもどかしいというか「何者でもないモノになりたい」とかイイ歳こいて甘えんな成りたい何者にでも成れ立って歩け前へ進め立派な足がついとるだろがというような、

いかにも令和の若者にモノ申したい昭和オッサン脳みたいなお気持ちになったw

同じように毒母コンプレックスで動けなかったお蝶さんには共感したくせにすまんw

帯刀した五体満足成人男性だとかなりスペックが上澄みというか、

どうしても弱者じゃなく強者の側、持てる者の側に見えるけど、

相対するものが二千人規模の組織とか国を治めるシステムとなると、流石にテストステロンによる筋力でも闘争心でもどーにもならんのはそれはそうだし、

昭和のように社会が戦後とかの動乱が残ってるとそれに乗じて若者もイケイケで頭角をあらわしやすいが、

令和のように社会が長く盤石だと、若者は優しく賢くなるけど覇気がなくなるとか、そういう相関なのかもしれん。

天子様のメンタルは天下泰平150年目の青年としてあるあるのような気がしてきた。

 

 

 

あとなんか書きたいことあったっけ。

 

蛇神の真であるところの三代目御台所とか百目の天局あたりの内面とかは、

ちょっと旧薬売りの登場で頭がいっぱいのところで語られたもので記憶が薄いが。

えーっと、

三代目御台所(CV沢城みゆき)は、一夫多妻の大奥システムのせいで夫が他の女と交情するのがツラかったと。まあそれはそうだろうけど、

子作りもお役目となると、それは「仕事と私のどっちが大事なの」っていうムーブだからあんまり同情はできないかもな・・・?

夫を好いているのはいいことだが、政略のある結婚に夢見過ぎというか。

ただ夫婦となるのは違う覚悟の要る相手だと、知らなかったでは済まなくね?ていう。

今までモノノ怪の祟りというのはほぼ因果応報というか、非道と復讐の天秤が釣り合っていたと思うのだが、蛇神に関してはその恨みはそんな何人も絞め殺すほどのやつか?と思わないでもない。

ま、モノノ怪のすることが人の理解の範疇とは限らないというのは一話から明言されてるのだが。

150年という年月の作用で変質した?あるいは蛇のアヤカシのほうが古き信仰の対象で強力だったか。猫は舶来品だけど、蛇は在来種だもんな。

蛇神VS天とすると、土着神VS渡来神 という構図も隠れているのか。

 

まぁ、公か私か、仕事か家族か、役目か情か、組織か個人か、どっちかをとればどっちかが成り立たないっていうのがテーマだからな。

庶民のカメちゃんは早々に合わない場を辞すことができたけど、正妻となると出自にも利害が…、

 

あ、てか三代目御台所も朱の眉が西の公家の人か。

成り上がりが次は高貴とか歴史とか神威を取り込もうとするのも人の世の常。

鵺では西の人(こち、おじゃる言葉の人)が東侍(みども、ござる言葉の人)を見下してアレしたけど、ここでは婚姻による融和が図られてますな。

 

 

天局の内面は謎すぎるが、

数多の人を虜にしていた女のモノノ怪という意味で、鵺に近いパターンなのかこれ。

囚われた人々が顔だけになって訴えるとか、

幼女と娘とミイラの三つの姿があるのも鵺であったやつか。

すると経緯とかじゃないのかもな〜。魔そのものに近いというか。

江戸の水事情ってのは多摩川上水を引いてきて張り巡らすという特異なものなので、城も城下も上水道によって地下で繋がっているし、

その成り立ちからして水浸しの土地を整備して川と船で物流を動かしていたんだよな。

その水をまるごと乗っ取るというのは…、地下鉄テロみたいな悪のエポックメイキング感ある。考えたやつの頭イかれてるわ。

 

地下と水、というモチーフは化猫のころからもあったよね~~。

女、猫、水、地下、闇、それらみな陰なるものとしての象徴の親和性よ。黄泉の女神という方向に突き抜けるのもまた女の可能性かもしれん。

全てを自分の子として胎に抱え込みたい究極の毒母。鵺や百目というよりイメージとしては女郎蜘蛛。妲己ちゃんか魂のルフランか、そういう感受性もあるね。

 

 

 

あとは。

 

ああ、花の語る情念のとこで死産の子に「生まれたくなかった」と言わせたのはさすがのエグさだった。

反出生主義で生まれてこない新生児がおるのか・・・さすが令和や・・・。

座敷童子ではないが、胎児はまだこの人の世のあらゆる辛さを知らない。

ゆえに生存本能が純粋に最優先なはずのところが、詰んでる人生を察して試す前から諦めるとか・・・、ある意味賢いというか、その思考回路まぎれもなくパパ似で草。

そこで母・幸子が「ごめんね、私自分のことばっかりだったね」もエグいて。

そうね、モノノ怪にはまだ善き母というとこまで辿りつけた女性もいなかったよね・・・。志乃にしろフキにしろ子育てはこれからの話で。

水光院さまも「あの子に愛されたかった」てのは子育てあかん人だったの伺える。

幸子は赤子に挨拶し同意を求めた。

つまり子の人格を認め尊重してるよな。

母というのは子と一心同体から始まるので、子を自分の延長とか付属品のように感じる段階があり、うまく子離れできないとお蝶さんのかか様みたいに子を自己実現の道具にするとか、善くないけどよくあるやつで。

水光院さまも息子が自分と違う意見や人格を持ってることを理解してない母だった。

幸子はそこをクリアしたということか。

 

赤子の顔に紙が貼ってあったのは、誰も赤子の顔とか人格とか個を見てない的な意味だったか…。

世継ぎか姫かという役、アイコンとしてしか見てなかったと。

 

善いお母さんてのは、やっぱ人類普遍で女性像のもっとも象徴的なもののひとつだが、

そこに辿り着くまで長かったねぇ〜。

いとけない娘の輿入れから始まったモノノ怪がひとつひとつの段階を丁寧に乗り越えて、

大人であり賢母になるまでの二十年よ・・・。しみじみ( ˘ω˘ )

一方でクソヤバ毒母系邪神を突き抜けてる女もいるけど・・・。いみじ・・・。

 

 

 

いや〜。映像や音だけで唯一無二のオリジナリティあるアニメなのに、

ここまで内容練られてるのもほんと傑物だよなモノノ怪。

 

 

続編やるなら是非またいつか会いたいが、

あと何がテーマになりえるんだぜ…?

ああ、夫と良好な関係性を築けた女性というのはまだいないか。

カメとアサ、フキとボタン、天子と司祭と、同性どうしではいい関係を築くとこまでこれたけど。

男女の相互理解とかまだ描けるな。

 

 

それにしてもとりあえずもう一回劇場行くわ。

配信やDVDで周回もいいけど

映像音響の情報量は映画館で体験する価値あった。

 

 

 

 

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しかし、かなり江戸、美術、妖怪、民俗学あたりの教養を問われるというか、年季のいったオタクほど楽しめる感あったよな。

今回の背景美術はトランプというかタロットがあったような。

怪異系はそれこそ小学生から好きで

美術系の大学行って、民俗はそこの講義から好きで

最近はブラタモリ見ててよかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ネトフリアニメ雑感。

超かぐや姫!のためにネトフリ加入したので、ついでに見てみたアニメの感想。

超かぐや姫!のほうも周回追記あり。

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地球外少年少女 ★★★★☆

 


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中二病大爆発で一周回って好きかもw

「わかる・・・わかるぞ・・・これがルナティック・・・!」

「ようこそ、ゆりかごの外側へ・・・」

で

いにしえの黒歴史コピペ ~「Welcome to Underground」ってささやいたこと~ を思い出してクライマックスで爆笑する鑑賞体験となったww

 

358 :世界遺産:2006/08/14(月) 15:48:55 ID:O2Q5Lui70
中学時代のパソコンの授業でインターネットを使った時
みんなが自分の好きな漫画や野球のページを見てる時に
自分だけこれみよがしに2chにつないでAAとかを周りに見せてたこと
しかも「このページって何?」って聞かれた時に「ヤバイ奴らの集会所みたいなもん」とか答えたこと
さらに友達に2chへの行きかたを教えるためにヤフーで2chって検索させて
でてきたリンクをクリックして2chのトップページが表示された瞬間に
そいつの耳元で「Welcome to Underground」ってささやいたこと

 

電脳コイル後継作としての近未来SF的評価でなくて、中二病ギャグ失笑作品として評価してよろしいか?(^o^)

 

いや~、インプラントっていう脳内に入れたデバイスがアンテナになって、

限界突破した人工知能と同調、

人工知能の処理能力を一部拝借して、

人間の知能も限界突破する、という発想は割とSF的にステキだし、

 

そこに至るまでの描写も割と丁寧ではあった。

知能限界突破(ルナティック)した人工知能(セブン)が自壊した過去があり、

未回収製品のAIから再生増殖したそれがまたセブンになった。

しかしその次世代セブンはスタンドアローン学習しかしてなかったから、

対話する土台、共通認識に食い違いがあった。

だから次世代セブンをオンラインにして地上の全てのネット情報を与えた。

で、情報おいしいですでモリモリ進化してるとこに人間の意識を同調して知能限界突破を同時に体験するっていう。

 

その可能性を示したい、それがやりたいがための脚本であり、

あと全6話しかなかったということもあり、

ちょっとキャラクターたちの造詣が弱かったかな~とは思う。どの子にもいまいち感情移入できなかった。

裏切りピンクとかいらんから、テンプレ自己犠牲病弱巫女系ヒロインの内面をもうちょっとどうにかしてやれと思った。

「私はいいの・・・、こうなるってわかってたから、あなたは生きて帰って」っていう

百万回どっかで見たようなありがち儚げヒロインでは助けにいくのに熱が入らん・・・。自分的にその枠はエアリスで永久欠番で誰も越えられん・・・。

ダッキー&ブライトのほうがまだヒロイン枠として愛せたわ。

球体と立方体のドローンなんだけど、終始人間の全面的な味方として支援してくれるAIで、健気でかわいいやつらなんすよ。

っていうかこの世界観ではAIは別に人間に敵対的じゃないんだよな。

限界突破人工知能が人類削減計画を推奨するのも、より長期的に人類の生存を模索した案なわけで。終始、支援で貢献でしかないんですよっていうロジック。んなわけw

 

 

でもまあ、

この作品世界における知能限界突破の方法論が、

「無数にある並列世界の自分自身と思考を共有すること」

っていうのは素直にほほう、面白いね!って言いたい。

 

意識・脳・知能の、並列化っていうのは、確かに処理能力を指数関数的に拡大するものだ。

 

ただ多くのSF作品では、他者と自分というふたつ以上の異なるユニットを並列化するアイデアでやる。

そうすると例えば、

五十嵐大介のディザインズとかで、五人とかのチームの意識を超音波コミュニケーションで繋ぐとものすごい能力の高いチームになるんだけど、

そうするとその増大した処理能力で憎しみとか死の恐怖とかのネガティブな想念も拡大してしまって、それに個々が抗えなくて自滅するというパターンがあらわれた。

 

自我を持つ意識を並列化すると、エゴの干渉とか衝突とか、ネガティブな想念の増大逆流っていう問題が発生するのだ。

 

サイコパスのシビュラは、色相に濁りのない人間から脳ミソだけとりだして繋ぐ。

コンプレックス(矛盾や複雑さ)を抱えていない脳を、更に肉体を消失させることで自我を極小化するという対策だな。

 

意識の並列化という言語化は攻殻機動隊のものだけど、タチコマはもともと同一規格の人工知能で、

そもそもは異なる経験によって分岐成長していくのを揃えるための並列化という作業だった。タチコマは並列で処理を増大したりしないからね。タチコマ会議はするけど。

 

とあるシリーズの御坂妹っていうのがタチコマと同じで、クローン人間の意識のネットワークだ。これも同一規格の脳を自我が希薄なうちに繋いでしまうのでユニット間の衝突が極小化されている。

 

術者が自我のないクローン脳だけ従えてるパターンとかもある。(シャギードッグ/七尾あきら)

 

人間とはそういうふうに他者と繋がりたいとか、自分の認識を拡大したいという希求を持っているものなのだ。

別にSFじゃなくても、高校の部活とかで吹奏楽とかチームプレイをやった人間はたいていこの感覚の片鱗を知っている。何十何百時間の訓練の果てに、視線を交わすことさえなく他者の意識を感じ取り、息を合わせて合奏するような。より大きな調和の一部になる感覚。

人に備わる最高の能力を行使する快は例えようもないものだ。

 

 

で、この作品では。

並行世界の無数の自分の意識を並列化して処理をあげるなんていうSFアイデアがあったか~、それはステキ、と思ったが、

しかしそれを映像にすると壮大っぽいユニバースっぽいとこに裸で浮いてるしかないっていうのは、

ちょっと絵面的にはアニメのクライマックスにありがちで目新しさがなくて残念かなって・・・。

これはむしろ小説の方が活きた題材だったかもしれんね~。

 

主人公は人工知能との接続を失って、

知能限界突破も夢の中のことのように忘れてしまったと言っていたが、

脳が覚えちゃった能力っていうのはある程度再現可能ではあるだろうね。

ただ、一人で無理に実行しても脳の容量と栄養が足りないだろうから、

結局、脳そのものをでっかくするか、脳みたいなものを並列に繋いでいくかっていう、どっちかになるんだろうけど。

いや実は、ひとつの脳内でも左脳と右脳を同調増幅させれば割といけるんだけど。

 

皮膚や壁面に張り付けるシールのようなスマートというデバイスや、

彗星やモジュールの表面を覆って苔のように増殖し、一定量に達したら自律思考を発生させるという“ネットワークが知能を創発する”発想とか、群知能っぽい人工知能というのもおもしろかったけどな。

マルドゥックスクランブルというSFでは人工皮膚のようなデバイスが脳神経としても機能して知能を拡張させるというアイデアだったけど。

「表面を覆う」ものが知能のように振る舞いはじめるというのはそこからまだ発展性があったような気もする。

 

人間の脳の形が複雑なのは、容量はそのままに表面積を増やしてるわけだからな。ああいうぐるぐる内に巻くような形になるのは熱対流の法則によるらしいが。

脳ミソがつるつるよりシワシワの生き物のほうが賢いのは、表面積が大きいから。

表面積を拡大するほど処理能力が増して知能が高くなるのはそらそうだろなっていう。

 

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オッドタクシー ★★★★★

 

ネトフリアニメというわけでもないけど、面白かった印象があったのでまた見たくなった。

トリッキーでやっぱりおもろかったけど、劇場総集編は蛇足だった( ˘•ω•˘ )一番期待した追加描写はカポエラナース白川さんが主人公のピンチの現場に居合わせた理由なんですよ。

カポエラナース白川さんが水中で車の窓を割って成人男性を抱えて水面まで泳げるチート超人である理由・・・はあるわけないか。

あそこだけ唐突にご都合ファンタジーなんだけど、まあ面白さに影響ないからいいいか・・・。

 

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化け猫あんずちゃん ★★★☆☆

 

背景や作画は洗練されてオリジナリティあってかなり好きな感じなのに、脚本のノリが昭和なのがちょいちょいノイズ。

かわいいのは主人公の女の子だけで、

あとはやたら汚いオッサンのキャラデザや仕草に力が入っていて普通に不快。

貧乏神の鼻毛まで描いたからってそれは誰得??

猫のおっさん仕草が猫のかわいさを上回るほどにリアルに汚いおっさんなのマジで誰得??

あと助けに来た妖怪仲間を地獄の鬼達がボコボコにする場面とか、弱いものいじめで普通に不快。令和でなんでそれがウケると思ったんだ。

ストーリーとしては、ほぼ予告から予想できるとおり。

絵に描いたようなクズ親父が借金で首がまわらなくなって、実家の寺に娘を預けていく。

母親を失くし父親が無責任なので娘は当然性格が歪んでいる。

というやや現実が重い感じの導入から、

寺には化け猫がいて当然のように地域社会に受け入れられてあたりでリアリティラインが混乱するが、

物語が進むと貧乏神やら化けガエルやらも出てくるのでそんなもんかと一応慣れる。

主人公の女の子は、迎えに来ない父親に捨てられたと思い、母親の命日に墓参りをしようと父を待つことなく東京へ行く。化け猫あんずちゃんもついてくる。

が、父が金を払ってなかったので納骨堂へ入ることができない。

田舎の寺にも東京にも居場所がない女の子がどうするのかと思ったら、

同級生のボーイフレンドに「駆け落ちしようという約束はまだ有効か?」と会いに行く場面はなかなか良かったと思う。

塾に行って受験する予定の、人生順調に裕福なボーイフレンドは女の子の事情を察することはない。

女の子もプライドがあるから詰んでる家庭事情は明かさない。

「旅行は受験が終わってからね」という男の子に「そうだよね」と静かに失望して去る、

あの心情の描写が一番繊細で良かったということは、この映画に超常要素なんていらんかったんと違うか・・・?

で、いよいよ寄る辺がなくなった女の子は母親に会いたいと、貧乏神にお願いして地獄へ赴く。化け猫あんずちゃんもついてくる。

昭和バブルの温泉ホテルみたいな地獄で、清掃員をしていた母と再会して、

女の子は母の手をとって逃げてしまう。

極卒の鬼と閻魔大王が現世まで追ってきて、バイクに乗ったあんずちゃんと霊柩車のカーチェイスになって、

盆踊り会場に乱入してバトルになるのかと思ったら、

あんずちゃんも化けガエルたちもふっつーにボコボコにされて、

母とはいくらか言葉を交わしてお別れとなる。

まあ、どっかで見たような話がそれなりにきれいにまとまるかなってところで、

クズ親父が一応借金を片付けて迎えに来たものの、

しかし、女の子は化け猫あんずちゃんを保護者に選ぶ。

というのは目新しいオチかもなと思った。

冒険を経て、離別の悲しみに決着をつけて、現実へ帰還する。

というのが王道のお約束であるところで、

実の父親でなく、おっさんのような化け猫という超常存在との日常を選ぶっていうね。

そこは令和感覚だったかもしれない。昨今のファンタジーは異世界に行っても帰って来ないほうがもはやデフォルトになったもんな~。

現実と戦うのではなく、居心地のいい場所へ逃げてもいいんだという、コモンセンスの変化はここ数十年で絶対あるよな。

 

まあ、借金取りに目ェつけられてる都会のアパートで暮らしてたらあんなかわいい女の子はそのうち風俗に売られそうだから、

海のある田舎の寺で暮らしたほうが、金が無いのは同じでも絶対マトモに育つのは間違いないところではある。

 

しかしなんつーか、甲斐性の無い父と住む世界の違ってしまったボーイフレンドから、

素の性格で付き合える37歳寺男(寺つき爺つき)のほうがマシだから乗り換えるっていう、

誰についていけば生き残れるかを見極める女児の本能はシビアでしたたかというかなんというか。

 

化け猫あんずちゃんや地獄や妖怪のほんわかファンタジー感と、女の子のシビアなリアルと、

かわいいキャラデザきれいな風景と、きたねえおっさん仕草と、

なんか要素がちくはぐで噛み合わない読後感だった。いろいろ惜しい!

 

 

あと、ロトスコープ手法もみどころだったらしいが、

女の子の手の振り方が左右非対称とか、そういう細かいとこまでトレースするのはいいけど、

そこになんか意味を見いだしてないと、ただリアルだからってトレースしててもなんかな・・・と思った。

実写をなぞった上で、ちゃんと意図をもって動きを取捨選択をしないと、じゃあ実写のままでいいじゃんってなっちゃうよな。

 


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ペンギンハイウェイ ★★☆☆☆

 

初恋×ファンタジーかとおもったらSFだったでござる。

森見登美彦原作か・・・、さもありなん。

おおむね日常とスパイス的非日常と後引く違和感を行き来しつつ、終盤怒涛のSF展開でポカーン(゜o゜)っていう感じに既視感あったわ。

森見登美彦の本て実は読んだことないけど、

四畳半神話大系とか夜は短し歩けよ乙女とか、有頂天家族とかのアニメは見た。

アニメにしやすい描写の作家なのかね~。映像的にキャッチーというか。

しかし、四畳半神話体系の「私」とか有頂天家族の矢三郎とかのひたすら一人称の語りがクドいのは、

理屈っぽい大学生とか人間社会を外から眺める化け狸というキャラと合ってて作風として面白くなってたと思うけど、

爽やかな絵柄と小学生主人公でそれやるとちょっと達観し過ぎて違和感があったな。

そんな小学生おらんやろ・・・っていう感じがぬぐえなかった。

さらに四畳半は作画が独特だったし、有頂天はCV櫻井孝宏の演技力もあって違和感なかったんだけど。

っていうか有頂天家族見たくなってきた・・・、あれは好きだった・・・。

あれはキャラの絡みが良かったよな・・・。化け狸兄弟の関係とか、ミステリアス美女、わがままジジイ、京都の風景とかも。

 

ペンギンハイウェイは、研究者みたいな小学生が、近所の不思議なお姉さんに惹かれてて、

しかしお姉さんはコーラを投げるとそれがペンギンになるというガチの不思議系おねえさんで、

まあ、その謎を追ってくとSF感がしてくるんだけど、その辺がいまいちオシャレなだけで薄味というか。

裏山に浮いてる水球が世界の穴で、おねえさんはそれを塞ぐためにやってきたけど記憶は無い系のエージェントだったらしいっていう。

割とそれだけの話だったわ。

主人公の人格にリアリティがないせいで、家族や学校の友人との関係にもリアルさがなくて、一応テンプレ通りに描いてはみたけどっていう以上の何かはなかった。

おねえさんも多分、この街に来てから記憶が生成された系の過去がない人なので、それもあって人格が希薄な感じがぬぐえなかった。そんなおねえさんはおらんやろ・・・。

総じて人間ドラマがうわっつらで虚無・・・。

 

ペンギンがどばーっていう映像は爽快感あってよかったけど、それだけだとちょっとね。

 


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北極百貨店のコンシェルジュさん ★★★☆☆

 


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これも作画キャラデザたいへん目に優しい。

動物のディフォルメ具合がちょうどいい。いちばんすき。癒される。

ただ、見心地はそこまで爽やかではなかったかな・・・。

自分が庶民過ぎて、コンシェルジュの至れり尽くせりの腰の低さが逆に居心地悪かったwのと、

動物、とくに絶滅動物を厚くおもてなしする百貨店というファンタジーな設定なんだけど、

それは人類が絶滅させてしまった動物たちに対しての贖罪、慰霊の場なんだってことで、

なんか物語の根底に罪悪感があって、それありきじゃどんだけおもてなしの心を尽くしてもな・・・。ほんわかできないじゃん・・・ってなった。

 

ひたすら優しい世界のおはなしでも良かったような、

でもそのくらいの背景の重みはあるべきなのか??うーん。

 

超かぐや姫!とかヘイト管理が完璧で、見てて不快なキャラとかストレス展開のない優しい世界でひたすら楽しかったのだが、

 

その後色々のアニメを見ると、よくある子どもの仲違いやいじめの描写とかが気になってしまい、

自分の感性がストレス展開に弱くなってるような気もしてきた。こわっ。

 

というわけで、あえて。

漫画読みきりは読んだことあって、共感性羞恥ストレスマッハ作品と知ってて、映画は見てなかったやつ、ルックバックを見てみた。

 

ルックバック ★★★★★


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まあ、ボロ泣きしたよね・・・・。

説明のセリフじゃなくて作画で表現できることっていっぱいあるよなってなったし、

脚本が良いことが全てに先立つとも思った。つまり最高で天才。

このアニメ描くスタッフは全員共感性羞恥を乗り越えてよく描いたと賞賛もしたい。

 

 

アニメで見てあらためて印象的だったのは、

卒業式の日の雨。

漫画と絵の才能のある二人が出会って、輝かしい未来が始まるはずの、桜咲く春の日が、

音楽は荘厳なのに、空は暗く雨降って泥だらけっていうのがいうのがね。

そこはどう考えても光射して晴れるべきな絵が陰鬱な雨模様というのが、

この物語がどうしようもなくビターエンドなのを予告してる伏線だったわ・・・。

どうしようもなくこの世界線では京本はしんでるんや・・・。救いは心の中にしかないんや・・・。

やっぱ青葉は死刑で。

 

でも本当に残酷なのは才能かもしれんね。

ビッグマウス藤野ちゃんはをホラ吹きをほんとにするまで努力できる子で、

才能と運も本物で良かったけども。タツキもそうだけどそれはほんと1%の上澄みで。

そこまでのモノになれないやつで死屍累々の道でもあるわけで。

諦められない限り足掻くか、それこそ被害妄想拗らせたあの通り魔みたいなやつが量産されてる地獄でもある。

まあ、そもそも有象無象でもそこを目指せるだけいい時代でいい国で天国ってことでもあるんだがw

 

 

オッドタクシーとかルックバックとか、漫画家原作のアニメが今回は良かったな。

 

あとウェンズデーとかB: The BeginningとかT・Pぼんとか気になりつつ一旦ここまで。

B: The Beginningは三話まで見たけどあまりにも中二が過ぎてちょっと中断してしまった・・・。

しかし今時の中二はあんな良質な中二成分を摂取してしまったら、卒業できなくなりそうで大丈夫かw

 

サイバーパンクエッジランナーズは鬱展開過ぎて途中挫折した…

世界観と作画は素晴らしかったからいつかまた見る。

 

 

 

Netflix

 

 

 

超かぐや姫! 超ニコニコ同窓会(`・ω・´)あざす! (追記あり

超かぐや姫!、ネトフリ独占配信から劇場公開へ。

おめでとうございますが、当該地域に住んでなかった\(^o^)/おわた

 

いいなあ、映画館の大画面で見たらヤッチョの目の中に富士山があることにもすぐ気がつけそう。

 

っていうか2/20から一ヶ月、ネトフリ初月500円キャンペーン始まったし、超かぐや姫のために500円だけ課金するのもアリだと思うわ・・・。

 


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今は昔、もはやオワコンとさえ言われなくなったニコニコ動画にも全盛期ありけり。

あの頃のボカロ殿堂入り曲が最新に垢抜けた歌姫と超絶作画のライブ映像になって最高の2時間22分になって帰ってきてくれたんだ・・・。

 

ワールドイズマインにハッピーシンセサイザにメルトにRayに関連動画でTell your world に・・・。

あのころの有名Pの新曲に、

ショート動画にもVチューバーのヤッチョとカグヤがいる\(◎o◎)/

どんどん公式から本編切り抜きがあがってくる。

 

インターネット老人会は超豪華同窓会開催と突然の供給過剰についていけなくて喜びの海で溺れそう。

 

いや、今までちょいちょいニコニコ同窓会があっても砂の惑星とかドーナツホールとかの単発動画だったし、それでも充分周回して味がしてたからさ・・・!

 

これは今期覇権だな。ネトフリ独占アニメだけど。

 

音楽もストーリーも隙無く仕上がってるけど、

自分としてはまず超作画を褒めちぎりたいな~。

 

キャラデザも垢抜けてすごくすっごくかわいいし、

3Dと手描きの良さが巧いこと使い分けられて共存していた。

 

本編中に派手なバトルシーンが2度あるんだけど、比べてみるとオモシロイ。

神戦というバーチャルゲーム内のバトルでは主にキャラが3Dで動き、背景もいかにもゲームとわかるようなざっくりポリゴン感を残してある。

で、月からの使者が迎えにくるのを妨害するバトルでは、ヌルヌルの全力の手描きっぽい。

 

Vチューバーのモデルもそうだけど3Dモデルもよくできてるし、

 

逆にバーチャルじゃないリアル生活のアパートや学校の場面ではキャラの顔の崩し方とかかなりおもいきって動かしてて、

 

作中世界のリアルとバーチャルの切り替えが作画でちゃーんとわかるようにできてるんだよな~~~。神過ぎる。

 

3Dの良さ、作画の良さ、それぞれの違いがどっちも活きるようによく考えてある。

ほんと垢抜けてて隙が無い仕上がり(何回でも言う)

 

 

作画は意図して崩し、様々な感情表現や躍動感が出せる。ただアニメーターの習熟度の差とコストがやばい。

3Dモデルは一度作れば使い回しがきくが、崩せないので動かしているとカチコチした印象になる、

その違和感をあえて作中の“ゲーム感”のために使うというのは初めて見たと思う。天晴。

ま、静画を貼ってもわからんか・・・、本編周回必須よ。

 

 

ほんと隙無く令和なんだよな~。

展開も音楽に乗せてMV的にスピーディで、

人間関係のストレスも最小限の優しい世界っていうか。

 

あえていえばカグヤのわがままが不快ラインかなと思うが、

人の貯金を使いこみ人のパソコンのフォルダを漁るのは普通はNG行為なんだけど、

彩葉とカグヤの関係が母子関係という最も親密で自他の境界が曖昧になるところから始まってるから、

ママへの甘えであり、赤子から育てた子のワガママってことでギリ許せるっていうの、巧いとこついてるわ。

 

ニコニコ、ボカロ、Vtuber、実況、SNS、LOL、

各方面のネット文化ネタが網羅されてんのに一個も滑ってなくて、誰が見てもあーあるあるわかるなのもすごい隙なくて!垢抜けてて!どうなってんだ!

 

この辺からネタバレ注意。

 

 

 

 

キャラデザだけ注目しても色々元ネタを考察することができる。

 

 

ヤッチョ、月見八千代は電子の歌姫、初音ミクリスペクトのツインテと、

メンダコやハコフグを身に着けて乙姫的な海モチーフだ。

バーチャル世界のツクヨミは、タイやヒラメが舞い踊る竜宮城のようで、

そこで三日過ごしたと思えば地上では数百年が経っていて、

玉手箱を開けた浦島太郎が老人になってしまっていたことから、ヤッチョの髪はおばあちゃんの白髪で。

メンダコは英名がパンケーキデビルフィッシュともいうらしい。どんだけパンケーキが忘れられなかったのか・・・、せつねえ。

つかサカバンバスピスおるwネットミームの小ネタがいくつあるのかとか数えきれないだろうな。

 

カグヤは月の兎と若竹

 

彩葉はキツネ・・・モチーフは葛の葉かな? 葉、という名前的にも。

正体を隠して想う人に添うて、童子丸という子をもうけ、正体がバレるとお別れ、

というストーリーラインは狐の着ぐるみで身バレ避けてたことと、犬童子が登場したことと符合するかも。

狐でなく犬だけど色とか竹とか、彩葉とカグヤ要素を足した感じですもんね・・・。🐕 百合カプの子どもポジですよねぇ。

すると犬DOGE=フシは安倍晴明ってことにもなるけど、ま、そんくらいの有能マスコットではあったな。ツンデレだからくぎゅ(CV釘宮理恵)とはわかりみの配役。

ゲーム実況にCV花江夏樹(現役ゲーム実況配信者)もわかりみ配役。松岡禎丞の男の娘といい、声優界隈にも詳しい人が中にいるな・・・。早見沙織?もちろん最高です。歌うま過ンぎww

 

比べるとアバターの方がちょっと等身が高いのか。よくできてるゥ。

 

カグヤと彩葉のハンドサインはウサギとキツネだったね~(*´ω`*)キマシてえてえ・・・。

しかもケモで和装・・・属性てんこもや・・・たまらん・・・。

 

 

 

鬼のお兄ちゃんwはかぐや姫に求婚する帝でもあるけど、

桃太郎モチーフのゲームで対戦する相手だから鬼ヶ島の鬼なんだろな。雷と乃伊にもツノがある。

桃から生まれるのが桃太郎だけど、川からどんぶらこ流れてこないで鳥に運ばれてくるのはキャベツ畑とコウノトリみたいで、

 

EXおとぎ話と銘打ったように、色んな昔話要素がごちゃっと詰まっているようだ。

 

 

いいかげんあらすじをバラしちゃうと、

 

 

退屈な月から楽しそうな地球へやってきたカグヤ姫と、

それを拾って育てる羽目になった完璧キャラ無理ゲー彩葉は、

仮想世界ツクヨミで歌や実況の配信者としてひと夏のサクセスストーリーを駆け上るけど、

やっぱり月からお迎えがきてお別れになってしまう。

それでも完璧優等生に擬態していた彩葉は、カグヤと出会ったことで頑張り過ぎな自分をやめられた。

お兄ちゃんに少し頼って、母と話し合えて、父と作った曲を完成させて喪失の悲しみを越えられた。

その曲をカグヤに届けたいと歌うと、

両想いになったと喜んだカグヤはまた地球に向けて発進する。

(ライブ後の「結婚しよ!」の告白を「折半の同居なら」と友情的にスルーされてるので、脈無しで失恋したと思って帰ってる。ガチ恋ガチ百合でないと辻褄が合わん。)

しかし、タケノコ型ロケットが隕石にぶつかって時間座標がズレ、はっせんねんまえの縄文時代に落っこちてしまうというあまりにもあんまりな痛いミスをする。

そのまま海中ではっせんねんカグヤの魂は過ごすことになるが、

マスコットとして飼ってた電子ペットの犬童子=ウミウシのフシを使って外界とコミュニケートはできた。

そして八千年の月日が、カグヤを八千代にする。

八千代はインターネットの中で歌姫として存在を示し、巨大総合バーチャル空間ツクヨミを創設して、(プログラミング等学習能力が異常なハイスぺなのは宇宙人仕様)

再び彩葉とカグヤに出会ったのだ。

ここで輪廻と因果がひとめぐりする。

 

全てを知った彩葉は、エリートとしての進路を文系から理系に変更。

八千代=カグヤにパンケーキを、再び味と匂いとぬくもりのある世界を、肉体を与えようと、

研究者の道へ進む。

で、十年経って、

 

肉体・・・というか多分、全身義体だな攻殻機動隊でいうところの・・・。

味覚の再現はまだとか言ってたしな。

いやタケノコから月の超技術を吸いだして再現したのかもしれんけど。

タケノコに乗ってるのは魂だけで、ゲーミング電柱で受肉して数日で新生児から成体になるオーバーテクノロジーは意味わからん過ぎるが。

とにかく

物理のボディにカグヤをインストールすることに成功して、

みんなでまた会えて、ハッピーエンド。

 

 

みたいなおはなしだった。

 

 

アフターストーリーの配信があって、

カグヤ(義体)と彩葉は富士山にタケノコ型ロケットを埋めに行っている。

それは本家竹取物語のオチ、不死の霊薬を帝が富士山=不死山に埋めた、

姫のいない世界で永らえてもしかたないっていうののオマージュなんだろう。

 

 

超カグヤ姫のifルートの考察もあるが、

月の超技術、タケノコロケットが時間を超えられるなら、

カグヤは好きなだけ地球で遊び、80年とか経って彩葉がしぬまで一緒にいてから、

お迎えに来てもろて2110年→2030年の過去の月に帰るのってアリじゃね?

とか思わないでもないのだが。

 

独りで永遠を生きるのではBADENDで、

受肉して死を得るってのがHAPPYENDなんだよな。

限りある時間を好きな人と一緒に生きて死ぬんだっていう、

それはロマンチックなエンドだけど、

 

 


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八千代のステータスに分身をつくる、があったから、

逆になんぼでも量産カグヤボディにコピーチビヤッチョをインストールして、不死を実現することもできる…、その量産カグヤチヨ一体おいくら万円で買えます?って考えてしまってモヤるwww

 

いや百合が尊い優しい世界のおはなしで、そんなツッコミは野暮すぎるが。

カグヤチヨに限らず、人類が肉体換装による疑似不死を得たっつーオチでもあるよな・・・。

最初は身障者に義手義足の延長で、みたいな美談で普及させて、

絶対裏では金と権力にモノいわすじじいが永遠の若い肉体を得ようとするやつじゃないですかやだ~。

 

まあ、ヤッチョは宇宙人仕様の頭脳で作中世界のテクノロジーを牽引したわけだけど、

どこまでも善良純粋で一途だったからな。悪用など考えもしない。

念願の再会の後も彩葉がいる限りは、人類を人類自身の愚かさから守護するムーブをしてくれるかもしれない。

 

どんな技術もきれいな心で使えば幸福をもたらすし、エゴで使えば破滅に至るっていう。それだけの話ではあるか。

 

ていうか、どんだけ不老不死を叶えようとしても限界はあるだろうしな。

精神だけなら、時間の枷の曖昧な夢の中みたいなもんなんだろうけど。

ヤッチョがはっせんねんの時間を耐えられたのもごく純粋な性質にくわえ精神だけの存在だったからで、

物理ボディに搭載されて喜怒哀楽や四苦八苦のダメージをダイレクトに蓄積してたら、

ナマモノのメンタルはやっぱそんなにはもたないだろうと思う。

 

 

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ところで月使者のデザインは宝石の国リスペクトありますよね・・・?

とくにあの狛犬っぽい月人な。帰りの月の上でうごうごしててかわいいし、強そうな第二形態があるとことかあまりにもシロ過ぎる・・・。

 

 

兎に角、🐰に👹、超かぐや姫!おすすめでございます。

 

 

 

 

 

⭐周回して追記~。

 

キャラもイキイキしてたので体癖もわかるかなと思いつつ周回。

 

わかりやすいのは、

甘え上手で食いしん坊で享楽的でアイドルなカグヤ、それまさに3種体癖だ。

もうやることなすこと全部3種。周囲の皆に好かれたい自認赤ちゃん。華やかなのに全盛期が短いとかもほんと3種体癖代表。

ケアレスミスで大惨事とかもまあ・・・、やっても許されるキャラだからストーリーテリング上そういうポジション与えられがちかもね。

 

帝おにいちゃんもそこそこわかりやすい。

面倒な母をうまくいなす、人間関係の機微に聡くて要領がよくて、

乃依に「雑っ魚w」と煽られてもスルーの、威圧感のないタイプのリーダー。

5種体癖だね。

でも月使者戦でチート使ってでも戦ってくれたのは打算無しの妹愛で超かっこよで周回するたび推し度があがるぜ鬼いちゃん・・・。

兄ちゃんが5種っつーことは、やつれてクマあって音楽できて早逝した父は6種だったのかね・・・。6種芸術家、のめりこみ過ぎて早死にとか自死しそう感あるわ。

 

乃依は地雷系ファッション男の娘だから二面性の6種体癖かな?

リーダーに対して反抗的というか、どこまでナメても許されるか試すようなコミュニケーションをする。

リアルでは女装じゃないというのもまた絶妙な塩梅の男の娘である。

雷は無口で「リーダーは絶対」という体育会系…というか武士か騎士みたいな忠誠?を口にするということは8種体癖っぽい。

チートを使うってのはBANされてチーム消滅もありえるリスクなんだけど、秒で腹括ってんだわ。まじ漢。

 

これはいいチームだろうな。

5種おにいちゃんは「皆に夢を魅せる」ルーキー相手にもエンタメな勝負を演出できるプロデューサーだけど、

不利になるとすぐ戦略的撤退がチラつくヘタレ根性無し雑魚メンタルでもあるはず。

でもチームにゴリゴリの武闘派で仕事人の8種の人がいてくれたらかなり精神的に頼れる。縁の下の力持ちがいることで粘り強くなれるだろう。

雷お兄ちゃん口数少ないから不人気だけどバランス的に必須だと思う。

負け確イベントの月使者戦でブラックオニキスがああも輝いていたのは、

華々しく自爆する6種と負け戦ほど驚異的に強い8種がいてくれたおかげかもしれん。

 

 

で

 

意外と彩葉が決め手に欠けてな~、1種か、9種か。

完璧優等生をこなせる気質、喜怒哀楽や文句は即はっきりと顔に出る。

面倒見はめちゃいいけど変に厳しいとこもある、母を反面教師にして理性的であろうとする、進路は研究者。

っていうと、1種でも9種でもありそうなんだよな~。

ただ、八千年分の情報の洪水を受けとめてイケる気がする、という“情報”というものに強い感性は頭脳型の1種体癖のほうがあるかもな~と思った。

9種だと身体感覚派だから・・・。時間ループの感覚ともちょっと違うんだよな。

プライド高くて弱音が吐けないのも1種9種どっちでもありえるけど、

キャパオーバーするとあわあわ慌てるとか、やや世間体を気にしてそうで外面がいいのは1種っぽいか。

あのスケジュール管理表を貼りだすのとかも1種っぽい発想かもしれん。9種は切り替えが下手だから時間割制との相性はいまいち。

そうすると、あと顔出しNGなのも1種ってことか。

おにいちゃんに絡まれたくなかったのもあるだろうし、ネットとかで目立つのはやだな~と思う感性。

9種は人目を気にしないし、人を惹きつけるのも自然なことだから着ぐるみで顔を隠そうという発想ではないかも。

1種は優秀と思われることは好きな一方、人間関係の煩雑さを忌避する傾向がある。

ゲーミング電柱も最初は回避を試みたし、母と折り合えなくて家を出るというのも、まぁ。(誰でもそうかもしれんけど事例が重なると1種感してくるかも)

 

同性愛はおいといても、恋愛感情に鈍いのも1種っぽいか。

周回してると、目の下の赤いラインが疲れてるクマにも見えるし、泣いた後の赤くなってるようにも見えるし、うまいデザインだなと感心した・・・。

しかし睡眠時間が短いのは頭脳型にとって致命的だ。彩葉まじでフッと消えてしまいそうまでヤバかったんだろうね。頑張り過ぎ。1種はそんなには頑張れないほう。やっぱ9種・・・?ヤッチョの推し方とかも一途だしな~。

で母親は、完璧超人で子育てが支配的で致命的に言葉が足りない系の人っていうと9種だろうな。

 

彩葉のアバターの方の服装をみると、チョーカー・ベルト・ガーターなど体を締めるものが目立ち、動くたびチャリチャリいってるのだが、

それは彩葉が母に抑圧されているという心理状態の表現かもしれんし、単に9種だからキュッと締めるのが似合うし快なのかもしれない。

リアルの彩葉の服は制服や襟付きデザインが多くきっちり感がして、それは頭脳型的。

 

 

 

あとカグヤは3種なわけだが、ヤチヨはなんか違う気もする。

最も飽きやすく根気がない3種にはっせんねんは無理だろうしなぁ・・・。

ヤチヨのニコニコしてて何万人のファンサも余裕で、巨大VR空間ツクヨミの創設者で管理人で、全部知ってますよとばかりに

「おいたはダメだよ~」とかちょっと黒幕感を醸しだす感じは、

10種体癖みを感じますな。10種も遠心的な感性で膨大な時間感覚にも強い。

(4種っぽいとの指摘もあり、それもありそう。

ご飯食べない歌姫で、おばあちゃんになってしまったと嘆く、若さの儚さで哀れを誘うとことか。

4種はかわいそうでかわいくて守ってあげたい人。何かしてあげたくなる人だ。

彩葉が義体開発でカグヤチヨに尽くすハピエンは4種気質のほうが素直に喜んで受けとれる。

10種は与えられるより与えたい人。)

 

 

3種10種のカグヤチヨと、1種9種の彩葉のカップルかぁ・・・。

割と悪くないバランスだし、

ブラックオニキスが5種6種8種なので、更にバランスよいね。

 

芦花と真美はわかるかな・・・。

まみは食べるの好きでミーハー(帝推し)だからまあ3種としても

芦花はなんだろ。美容系、激重感情を隠して彩葉とカグヤを応援・・・、陰型恋愛脳控えめ、かつバトル適性ほぼなし。となると4種かな??

容姿的にも4種美人感はあるな、一番モテる人や…。フォロワー数パないのも納得。

 

 

 

RAYのPVで鳥居をよく見ると、

ライブ空間は月夜見でなく天照日とあるが、

 

昼の日常世界から、「日が沈み、夜が来る」という月夜見のチュートリアル空間が、

夕暮れの水面に鳥居があるっていう風景なのよかったよね・・・。

 

黄昏時というのは昼と夜のあわい、ふたつの世界の境界って感じしたわ。

 

夜の世界ツクヨミは、水と音楽の精神世界だった。

対比として昼の世界は空気と光の物質世界であるわけだが。

 

そんなところもそこまで重要じゃないなりにちゃんとよくできてたの凄いよな~・・・。ほんとに隙無く垢抜けている。

天照日と銘打ってあるライブ空間は、バーチャルでないリアルってことで、

カグヤの頭飾りも三日月でなく太陽になっていた。

それは精神世界=月世界の住人だったカグヤチヨが、義体に受肉して、リアルな物質世界の住人になったよっていうことなんだろうけども。

 

月世界がドット絵のゲーム風だったのも面白かったけど、

味も匂いも温度もない、解像度の低い世界だったっていう感じもしてて天才だよな。

しかし、そういう負荷も過多もなく技術も進んだ月世界でまだ人力で社畜しないといけない仕事なんて何があるんや・・・?

 

 

 

 

 

体癖とは



 

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ヤングケアラー「となりのトトロ」サツキはどんな大人になる?

前回の記事で長子が陥りがちな愛着障害について思いを巡らせていたら、

丁度そんなことが話題になってなんというシンクロニシティ٩( ''ω'' )وそんなかわいそうな話はいらんて・・・

 

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『ナイトスクープ』放送内容が物議…「6人兄妹の長男をやるのに疲れた」依頼で“ヤングケアラー”と視聴者が指摘、せいやも「お前はまだ小学生や!」 | Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]

 

Tverの見逃し配信でまだ見られる。

探偵!ナイトスクープ 1月23日(金)放送分 6人兄妹の長男12歳を家事と育児から解放するためせいや探偵が意気込むも、早々にクタクタボロボロに!?【特命局長:ハライチ澤部】|バラエティ|見逃し無料配信はTVer!人気の動画見放題

6人兄妹の長男12歳を家事と育児から解放するためせいや探偵が意気込むも、早々にクタクタボロボロに!?【特命局長:ハライチ澤部】

 

 

これは短いながらもなかなかの映像ですね・・・。

せいや探偵の子育て経験しっかりありそうな安定感も良かったし、

まだ12歳の長男を子どもにしておいてやりたい思いやりも泣けた。

スタジオの芸人達のリアクションもそう。ヤングケアラーの問題提起になっていた。

 

12歳にして大人であることを求められ弟妹の面倒をフル稼働で見ているくらのすけ君は、

大人になってから高確率で愛着障害やなんかのメンタル不調を発症するだろうね・・・。今からでもカウンセラーに繋げといてあげてほしい・・・。

 

母親のインスタも掘り起こされて炎上している。

計画的に長子のみを家事要員として教育したと臆面もなく発信しているし、

関連でSNSやスレも伸びていて、興味深い意見が色々あった。

 

・長男はよ逃げて ・児相はよ来て

・家は新築っぽいし裕福ならハウスキーパーを雇う選択肢はないのか(母親のエステ経営はマルチの養分ぽいので実際は困窮してそう)

・弟妹が兄の訴えを「自分だけ大変みたいに」と否定するのえぐい

・家族をチームというなら親が弟妹にも家事を割り振れ

・公平に分担するより責任感の強い人に丸投げする方が楽

・一人を犠牲にして集団は結束を強めるいじめでよくみるパワーゲーム

・長男このままだと稼ぐようになっても搾取子になりそう

・母親が経営者で稼ぎ頭なら、父親はもっと家庭で主夫をやるべき

・家族写真をみると長男の目が死んでて笑顔がなくて大人のような顔つきなのに、父親はヘラヘラして子どもみたい

・後進国ではこのように家族一丸となって生活していくのは当たり前、日本も最早先進国ではない

みたいな書き込みがあって、

 

 

ちょっと話が逸れるかもしれないが、

家族や子どもがどうあるべきかという価値観の変遷というのは念頭においとく必要があるなと思った。

ヤングケアラー、という語が広まりはじめたのはごく最近のことだいたい2020年あたりからと思うが、

ヤングケアラー - Wikipedia

 

そうやって問題提起がなされてから見ると、

 

「となりのトトロ」なんかでも、姉のサツキはたいがいヤングケアラーをやってるんだよな。

母親が入院してて、小さな妹がいて、

お父さんは穏やかな人で子どもの目線におりて話をすることもできるし、

一緒に洗濯などする場面もあるが、

父「すまん寝過ごした」

サツキ「お父さん、今日から私お弁当よ!」

父「しまった、すっかり忘れてた」

サツキ「大丈夫、みんなのもつくるね!」

で朝食と弁当をつくってるっていう・・・、しっかりし過ぎているのだ。

サツキは12歳で母親の役割をこなそうと無理をしている。子どもでいることを抑圧している。

 

隣のばあちゃんに「お母さん死んじゃったらどうしようウワーン」で泣けた場面は、

そのストレスをいくらか吐露できたわけだが、

妹のメイは泣く姉を見て、目を丸くしている。

メイはそれまで母のように姉を慕い甘えていたから、姉もまだ子どもであることに気がついて驚いたとも見える。

そして私が母の病気を治さねば!となるわけだが。

 

で、母いわく「あの子たち、見かけよりずっとムリしてきたと思うの。サツキなんか聞き分けがいいからなおのことかわいそう」っていう。

 

 

トトロ公開当時(1988年、舞台は昭和30年代)は、

よくいる「しっかり者で感心な長女」という認識でしかなかったサツキだが。

そのキャラクターの造詣のリアルさ確かさは今でもまったく色褪せない。

 

 

 

サツキも、もしあのまま母の不在が続いたらソフィ(18歳)のように、

「私、きれいでもないし掃除(家事)くらいしかできないけど・・・」みたいな、

自己肯定感や愛を受け取ることに問題があらわれる時期がきたんだろう。

というか、「しっかり者の長女=母性の不在でしっかりせざるを得なかった子」

というキャラの延長線上にサツキとソフィがいるんだな。宮崎駿アニメではよくあることだ。

 

 

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ヤングケアラーは現代では問題だし、実際に心を病む子が相当数いるのでそれはその通りなのだが、

 

一昔前は、そんな家庭環境は当然でもあった。

 

両親も祖父母もみんな野良仕事へ行き、上の娘の背中に赤んぼをくくりつけて子守りをさせておくのは農村の日常の風景だった。

子どもも当たり前に働き手であり、

「五木の子守唄」とか子守り奉公に出される娘の悲しい子守歌とかからも当時をうかがうことができる。

おどまいやいや泣く子の守りにゃ泣くといわれて憎まれる♪

ねんねした子のかわいさむぞさ起きて泣く子の面憎さ♪

「おしん」は末っ子だけど口減らしに子守り奉公に出された。明治の農村でよくみられた暮らし。



 

 

あとそうだな。

「鬼滅の刃」では炭治郎の「長男だから我慢できた!」というのがあったが、

大正時代、山奥で炭焼きしてる一家族だけの暮らしで、

祖父母なし、父病死、母健康、6人兄弟で、

長男の炭治郎は13歳で家長となり家業を支え、その責任感が人格形成にかなり影響している。

13歳はさすがに大正時代でも成人とはいえず、それで家長はかなり無理がありそうだが、時代背景と家族観からするとそういうこともあったろうか。

 

ただ炭治郎の幼少期には父はもちろん祖母もいた描写があり、

竈門家の人々はみんなグウの音もでないほど善良で、それぞれ仕事をわけあって互いに労りあってたから、

炭治郎のメンタルは大丈夫かもしれん。

っていうか一話で一家惨殺になっちゃってそれどころではないわけだが。

 

 

そのように時代を遡るほど、

子どもは労働力で子守りで家事要員で、じゃあ当時だって心を病んでた人は多かったろう。

まあ長子を尊い犠牲にしても弟妹が複数いれば帳尻は+ってか?

いや違うな、長男は跡継ぎ用、器量の良い娘は嫁入り用としても、

三男四男になると継がせるものも無く、徴兵か都会に出ていければまだ良くておじろくおばさのようにただただ労働に従事させられることもあったとか。

 

いやいやいや、絶対おかしい。

それが本当に人の在るべき形なら病むのはおかしい。

病む、というのは不調和と不自然を知らせる無意識からのサインなのだから。

 

だから、

もっとそもそも。

長男長女じゃなくて、母さんが、母さんだけで足りなければ婆ちゃんがいてくれればなんとかなるっていう生存戦略でやってきたはずなんだよ人類は。

 

おばあさん仮説 - Wikipedia

たいていの動物のメスは生涯出産可能なのに、人類女性は閉経後の人生も長いけど、それはどう有利なのかっていう話だが。

 

 

もっと何万年と昔の人類の成立時まで遡れば、

人類というのは、直立二足歩行を獲得したことにより大幅に生存圏を拡大した。

平原を燃費良くテクテク歩いて食べ物を探しに行き、自由に使える両手に抱えて巣に持って帰って家族で分けて食べた。

 

しかし、四足歩行から姿勢を直立させたことによって骨盤と産道は狭く変化し、ひどく難産な動物になってしまった。

しかも手を使うことで頭が良くなって脳が大きくなって、それも余計に狭い産道をくぐるのに不利になって、

だから人類は胎児をとても未熟な状態で産んで、乳幼児期はがっつり母親が抱っこという想定で、母胎の外で脳と身体を完成させる、というシステムを採用したのだ。

 

生理的早産 という。

原人に生理的早産はあったか?―ホモ・フロレシエンシスの頭骨化石からの示唆 | CiNii Research

ヒト(Homo sapiens)はその脳サイズから予測されるよりも11ヶ月早く、未熟な状態の赤ん坊を産む。この現象は生理的早産と呼ばれ、ヒトの新生児が出生後しばらく未熟な状態で胎生期の脳発育スピードを維持し、大きな脳を成長させる現象(二次的晩成)と関連している。つまり生理的早産は、ヒトにおける脳進化と直接関連するライフヒストリー上の重要なイベントである。ヒトは直立二足歩行をするため骨盤幅と産道が狭いが、一方で脳を大きく成長させる強い淘汰圧を受けたために、生理的早産および二次的晩成が進化したと考えられている。つまり胎児の脳が大きくなりすぎて産道の通過が不可能になる前に、未熟な状態の赤ん坊を分娩するのである

 

だからこそ、

乳幼児期っていうのは、母子関係が密接でそれこそ母胎の内と同じくらい安心安全で過ごせることが望ましく、

 

そしてあまりに難産な母体とあまりに未熟な乳幼児をなんとかフォローするためにはどうしても協力者が必要で、

そこで気心知れた母と娘、かーちゃんとばーちゃんで子育てしようねっていうのが人間集団の基本スタイルで、人類の本来の生存戦略なのだ。

 

狩猟採集生活をしている段階の人類集団では、世界のどこでもそのスタイルで通用した。

日本列島でも縄文時代はそれで一万年以上続いた持続可能社会だった。

 

しかし、農業がそれを変えた。

 

 


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まあ、動画見ればわかるんだけど要るとこだけざっと引用すると、

 

人類集団が狩猟採集から農業に移行すると、

まず労働時間が爆増する。平均3~5時間が8時間労働になり女も駆り出される。

だから子育てしてくれるべきかーちゃんもばーちゃんも野良仕事に出てしまって、

子どもの背中に乳幼児をくくりつけるということが起きる。

で、

狩猟採集民は食糧事情によって移動することがあるから、

自力で歩けない子どもの数を増やさないという事情で出産は5年おきとかにセーブする傾向なんだけど、

定住生活だともっと子どもの数を増やしてもいけることになってしまう。

実際農耕民のほうが平均の子ども数が多くて、一、二年おきでも産む。

農業には人手が要るから、とにかく働き手を増やしたほうが有利という事情もあるだろうな。

で、上の子の愛着形成が完成しないうちに下の子ができて母親のリソースをくっちゃうと。

 

きょうだいは4人くらいにしといたほうが、それぞれがちゃんと育つという研究もある。

大家族で子どもが多いと認知発達に悪影響が出ることが30年来のデータから明らかに - GIGAZINE

 

 

 

農業は人類を繁栄させ発展させたが、一方で人を不幸にした。

 

と、この動画は結んでいるが、

 

紐解いてみると、

ヤングケアラーというのもその不幸の形のひとつなんだろう。

 

農耕生活は早すぎる母子の分離をもたらした。

それは脳機能の形成不全、愛着障害の温床になるわけだが、

 

大衆の生活基盤が農業からサラリー生活に移行していった後も、

一億総中流時代、専業主婦が子育てに注力できた時期はまだ良かったかもしれないが、

女性の社会進出によってまた同じ問題が増えてるかもしれんね。

 

少子高齢化と人口減少で政府は税収が欲しかろうが、子育てのコストを削ると人間が劣化するって話。愚民化やめてもろて。

 

やっぱ人間も動物で、何万年もそれでやってきた生態ってものがあるからさ。

それに沿った家族構成が社会のスタンダードでないとうまくいかないだろうなと。

 

いや、仮説もあるし、

1種体癖得意の説得力だけあるホラ話かもしれんけどw

 

 

だとしても、

12歳長男君やサツキをはじめ、ヤングケアラーや愛着障害のみんなに伝えたい。

あなたたちは悪くないと。

あなたたちの親も悪くないと。

 

現代人全員がうっすら抱えるこの言いようのない苦しみ、病み、生きにくさは

人類レベルで今ちょっと生存戦略をミスってるせいなんじゃないかと。

 

人類はこれからどうしたらいいのか、

となると壮大な話かもしれないが、

 

ひとまず、ここまでの文章についてこれた人に関しては、

その知性は自分を救うに充分なまで発達した能力であると言わせていただく。

 

まずは自分を救うこと

それだけはいつでもできる。心ひとつだ。

 

ハウルの動く城でも、

ソフィは自分の心を自分で救う。

 

病む心、機能が未発達な脳があったとしても、

生きて救いを望むなら、

心はその機会を手繰り寄せ、世界はそのために必要な試練を与えてくれる。

 

なにが起きていたのか順に見ていくと、

 

彼女は契機を得て、

本当にやりたいのかわからない父から継いだ仕事と、汽車がガタゴト煩く煙たくて寛げない都会の家と、享楽的な母と、母似で華やかな妹から、離れる。

(問題から離れる)

誰もいない美しい湖畔に椅子をおいて軽食とお茶をして、夕暮れまでのんびりして

「不思議ね…こんな安らかな気持ちはじめて」

という言葉がでてくるまで、自然のなかに身を委ねて深くリラックスする。

(自然と同調して回復する)

「私は美しかったことなんて一度もない!」と自分の苦しみを認めて子どものように大泣きする。

(心の痛みを自覚)

ハウルに「ソフィはきれいだよ」と想いを伝えられるが、それを受け取ることができない。

が、愛を受け取ることができない、という心の問題が発覚する。

恋が、誰かを愛し愛されたいという強い想いが彼女の変化の動機になる。

また契機がくる。

母が訪ねてきて一応 詫びてくれる。

ソフィが母を許す。

(不要なマインドセットを手放す)

心の迷宮を最下層まで降り、

黒い穴の底を抜いて、

生まれ変わって帰ってくる。

(再生)

 

それで、ハッピーエンドに辿り着くことができる。

 

誰の心も、おおむねこのような手順に沿ってイニシエーションを越えていき、

ひとつの完全な心、愛と調和した心へ至ることができる。

 

ハウルの動く城だけじゃなくて、

アナ雪2でもほとんど同じ癒しのプロセスを見ることができる。

物語に託された心の様相の普遍性を確認できる。

 

なんか抽象的な話にならざるを得ないが、

心の問題は心で解決するしかないからしゃーないってことで。

科学とか、モノで短絡的に解決しようとすると酒とか薬とかで、脳の幸福回路をバグらせることしかできないからな。今はまだ。

 

 

 


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かなえ先生的には親にも支援いるレベル。

父親は学習性無気力、母親は自分の子ども時代の復讐を実子にしているのかもと。

愛着障害がそっち方向にでることもあるね・・・。

 

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追記。もっとホラ話なのでスピが苦手な人はスルーしてね。

 

農業始めて、

農耕民族が世界を席巻して、

めざましい繁栄と発展をほしいままにする一方で

土地の所有、領土争いからの戦争、階級化と富の偏在、疫病、

当然の帰結として、もろもろの悲劇と苦しみをも生じさせ、

戦争や環境破壊からの自滅も視野に入ってきた人類だが。

 

ここから種としての存続ルートがあるのか?

 

っていうと多分、

 

「恐れればそれは実現化する」

「委ねれば道が見える」

 

というような感触だな。まぁそりゃそうか。

 

実は人口減少っていうのは自然な成り行きなんだと思う。

 

終戦後や移民や難民がめっちゃ子ども産んで殖えるのは、

このままだと絶滅しそうなストレスからとにかく生き残るために集団の母数を増やそうっていう本能で、

環境が安定したら、適正数まで落ち着こうとするのもまた本能なんじゃないか。

 

漫画版ナウシカでもそういうのあったわ。

人造種の粘菌を、腐海の既存の菌群に投入すると、

ひどく怯えていた粘菌ははじめはすごい勢いで増えて周囲を食いつくすけど、

そのうち食べたり食べあったりして生態系として落ちつくって。

 

外来種とかもそういうムーブをすることがある。

セイタカアワダチソウとかも旺盛な繁殖力で在来種を駆逐するんだけど、

ある一定で自壊性が働いて衰退するっていう。

 

世界中で農耕民族が領土争いをしている状況で、いきなり日本だけ武装解除はできないが、

どこの国も文明が一定に達すると少子高齢化に転じるわけで。

 

ワーママとか移民政策とか人類削減計画とか、理性で世界をコントロールしようとするんじゃなくて、

人間が本来備えている本能が、この星で生きていくために必要十分なものであり、

またこのめまぐるしい生物の趨勢をこの星も愛でている。

人類と地球は相思相愛というような。

そういう感覚をもってやっていけるかどうかなんじゃないかね。

 

ここ数千年、農業開始からのブーストとフィーバーはエキサイティングだったが、そろそろ臨界点ではなかろうか。

 

またそもそもでいうと。

ホモサピがネアンデルタール人を滅ぼした時から、

この地上では常に野蛮な集団が勝者になった。

子を多くし、愛着形成の不全さを攻撃性に転化すれば兵として強かった。

それは物質の世界の真理ではあるんだと思う。

 

人の痛みを自分のものとして感じる共感能力、精神性が発達すると、

相手に対して酷いことができなくなる。

それは成長や進化の方向性でありながら、不利になる形質でもあった。

 

この星が、地球が三次元の物質のレベルにある時は、

他者の気持ちがわからない人の方が流れに乗っていて優勢で、

 

しかし地球もひとつの生きているシステムである以上、成長し拡大し進化していく。

三次元から四次元に、物質から精神へとメインストリームが移り変わる時、

その時、人類が旧種として淘汰されないためには、

やっぱ優しくて他者の気持ちがわかる人達っていうのも一定数以上居てくれないといけないんだわ。

 

それがいつなのかねえ。

スピ界隈ではアセンションだポールシフトだとわいわいしてたが、

最近あんまり聞かない気もするし、もう始まってるのかもしれないし。

 

まあ、自分はもう報われる時を待つんじゃなくて、

まずは自分で自分を救ってみせるけどね?

蛙化現象と愛着障害について

年末のM1から、ドンデコルデの渡辺銀次の動画見ちゃうわ~。

彼は40歳になって晴れ舞台となったわけだが、

若手の時は売れなくて「国も認める低所得」というのは実体験だった。

同期芸人が有名になっていくなか、どれほどの焦燥に苛まれたか想像するだに心臓がキュッとなるが、

そこで腐らずにチャーハン作りやけん玉に打ち込んで創造的研鑽でメンタルを維持したのはマジのガチに人間ができている。

あと、「国も認める低所得!」で笑ってしまったのは、

上質なスーツをきちんと着て「ごきげんよう」などと気取った挨拶をする上品上流っぽいキャラからそんな言葉がでてきたギャップもあったのだが、

そのシャツに手ずからアイロンをかけているとか、台所周りが整頓されてて常にきれいとか、金がなくて居候生活してても荒まず、心の余裕を感じる丁寧に暮らしてるというか、なんというか。

銀次、推せるわ~。

高齢独身低所得男性が増加する今の日本に必要なライフスタイルでメンタルモデルって感じ。

これから売れていって、国も認める高額納税者になってもこの暮らしで培った心の豊かさを忘れないでいてほしいものだ。

 


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さて、

40歳のおじさんが漫才衣装のワイシャツをアイロンがけして蛙化を語る【ドンデコルデ】

という動画で、

 

蛙化現象🐸 という用語がでてくるのだが。

 

蛙化現象 - Wikipedia

 

付き合いはじめのデートで男性が財布を出したらとか、

男性がデートにリュックを背負ってきたらとか、

フードコートでキョロキョロしてたらとか、

「そんなことで??」という些細なことで幻滅したとか百年の恋も冷めたという話がバズってる、

という話題で色々話していて、

 

そもそも蛙化現象というのは割と最近、2020年あたりから人口に膾炙しはじめた新しい概念で、学術的定義とかはないスラングかネットミームに近い言葉だ。

 

ひとつ思い出すのは、蛙化という概念を生むまでには至らなかったが、

幻滅エピソードがあるあるわかるでバズる下地、前日譚となったであろういにしえのネタ、

2009年に2ちゃんねるで立ったスレ「私女だけど彼氏の財布がマジックテープ式だった 死にたい。。」

というやつ。ミーム化して散々擦られたからな~。

 

ドレスコードのあるような瀟洒なレストランでのデートで、中学生が使うようなバリバリ財布を出されて冷めた・・・、みたいなネタスレだ。

まあ、TPOを弁えない人の隣で恥ずかしい思いをしたことの一度や二度は誰にもあるだろう。この頃の話はまだ普通に共感できるものが多かったのだが、

レジで財布を出したらアウトとかまでいくと、男性のスマートさへの要求が高過ぎるよなぁ。

わいわいしてる間にそっと会計を済ませてくれる大人って、もうだいぶ世慣れた上司か親戚の最長老かその奥さんとかじゃないか・・・?適齢期同年代に求めることではなかろ。

 

ともあれこのような幻滅や冷め話に共感するエピソードはSNSにあふれているので、

そういった心理には興味がある、というかよく分かる気がするのでちょっと書いてみようかと思った。

 

蛙化、というのは心理学用語でよくある神話や民話からのネーミングで、

グリム童話では「かえるの王様」や「金の毬」 「鉄のハインリヒ」などタイトルはいくつかあるが、あらすじとしては、

 

 

王女様が金の毬で遊んでいて、池(あるいは井戸)にそれを落としてしまう。

池の蛙が「友達になって、同じ皿で食事をして、同じベッドで寝てくれるなら、毬をとってきてあげる」と持ちかける。

金の毬が惜しい王女様は蛙に毬をとってきてもらうが、キモイ蛙と友達になるのは生理的に無理なので逃げる。

しかしその夜の食卓に蛙は現れて、約束の履行を求める。

王様は王女に約束を守るよう命じ、

蛙は王女の皿から食事をし、王女のベッドにあがろうとする。

嫌悪から王女が蛙をたたきおとすと、

蛙は王子様に変身し、

王子と王女は結ばれてハッピリーエバーアフター。

 

というような物語だ。

 

フロイト心理学的(なんでも性的恐怖にこじつけがちという意味w)には、

処女が嫌悪するもの、寝台に侵入してくるグロテスクなブツ、というような象徴的符合で、

蛙はつまり男性のブツのメタファだという。

童話的王子様、いわゆる白馬の王子様というのは性欲の生々しさが無く、王女さまを救ってくれる偶像的英雄なわけだが、

現実の男性は妻になる相手に性的な欲望を向ける。

少女的潔癖はそれを拒む。

キラキラの王子さまは好きだが、股に隠した蛙は嫌い。

スパダリに救いだされることを夢見るが、性欲はNG。

という成長の段階が女性にはあって、

恋に恋するお年頃、とかそういう言い方でよく知られているところではあるだろう。

実際ある程度の肉体的成熟がないと性行為も出産も危険なので、それは順当な防衛本能ともいえる。

男のロリ嗜好に付き合ってたら幼女は命がいくつあっても足りん。

 

で、この童話では、

🐸→👦 蛙が王子様に変身してハピエンだが、

昨今の蛙化現象という言葉の意味においては

👦→🐸 王子様が蛙になってしまって冷める(バドエン)で

物語とは構図が反転してるわけではあるな。

 

またグリムが収集した民話の別パターンでは、

王女が蛙を退けることで蛙が王子に変身するのではなく、

王女が蛙にキスをすることで、悪い魔法が解けて蛙は王子に戻る、という異説も存在する。

 

男性の性欲(蛙でブツ)を拒否したら王子(男性のキラキラしたヒーローの側面)が現れる、という話よりは

男性の性欲も含めて存在を認める、その証のキスをすることで男性の善い面が現れる、というほうが、

まあ納得いく話のような気もするが、

 

ベッドから叩き出すという、性行為を拒否する意志を表示できたことで男性と対等な関係になれた。

だから王子のような善い面も見えてきた、というような解釈も可能かもしれない。

 

いや待てそもそも蛙の初対面で少女の宝物(金の毬)と引き換えに同衾を迫るよーな言動は控えめに言ってゴミクズ野郎であり、

醜いガマガエルに見えてくるほど生理的に無理キッショ、という気持ちになる方が自然か。

取引で女を手に入れようとしたゴミクズ蛙男は、壁に叩きつけられるくらいの拒否と制裁をくらって、更生した(マトモな男性=王子になった)という解釈もいけるか。

 

っぱグリムの時代から結婚は誠意や好意によって成立するほうがいいに決まっている。

 

神話や民話って色んな暗喩や解釈ができて楽しいねえ。

 

池あるいは井戸、金の毬、両生類である蛙、ハインリヒの鉄の枷、この物語はまだまだ色んな側面から掘れるのだが。

グリム童話考察⑭/かえるの王さまあるいは鉄のハインリヒがKHM1なワケを考察|HALBAUS

 

 

閑話休題。

で、この蛙化現象。

 

グリムの物語から読み取れる、

身体的に出産の準備ができていない少女が男性の性欲を恐れる、というほどの心理なら学術的にも余裕で証明できそうだが、

 

現代のネットでの用法としては、

王子様👦が蛙🐸になるかのごとく、

「好意を持っていた相手が、好意を返してくれそうになると、途端に嫌悪感や拒否感をおぼえる」

という意味から更に、

「交際相手の些細な違和感にさえ過敏に幻滅する」くらいの意味に変化してきているわけで、

 

 

いっそケチをつけて関係を壊したい のだろうかとさえ思えてくる。

 

そうなってくると、もはや心理というより病理だが、

 

確かに、それは少女の成長過程で順当の心理ではなく

一部の人が抱える愛着障害による病理なのではないかと思う。

 

この蛙化現象というやつ、自分も何度かやらかした覚えがあるのだ。

当時はそんな言葉はなかったけど、今なら説明できそう。

 

異性に好意をもつことまではできるのだが、

好意を返されそうになると、

途端に拒否感が生じて、関係性から逃避してしまう。

 

この拒否感はなかなかに強烈で厄介で、

過呼吸・ぎっくり腰・知恵熱、などのメンタル由来の体調不良くらいは引き起こした。自分でもどうしようもなく無理無理カタツムリになってしまうのだ。

その際は不当な失恋をさせた方々にはほんと申し訳ないと思ってます・・・。

そのような不当な失恋を経験した皆様にも心よりお見舞い申しあげます・・・。

 

恋愛系なろう小説など読んでいても、

カップル成立した中盤以降で「自分はあの人に相応しくない」とか思い詰めて、

相手と話し合わずに一人で勝手にささーっと身を引いて隠れてしまうヒロイン(もしくは受け)というのはひとつの典型的なパターンなのだが、

人を好意をもつまではできても、相手からの好意や愛情を受け取るのに抵抗や拒否感があり、

相手との関係を壊したり逃避して、

悲しみと同時に「やはり自分は幸せになれなかった」と奇妙に安堵する。

この自罰的、自虐的な安心の形成はどこから来るのか、

 

っていうとやっぱり、人間関係の基盤は幼少期の母子関係にある場合がほとんどだ。

 

幼児期の子どもが母親からの関心や接触を得られない時、
母親ではなく、自分に問題があると思い込むことがある。


「自分には愛されるべき価値がない」
「自分は愛されるに相応しくない」という思考パターンを採用すれば、
自分に関心を向けない親を正当化し、
親との関係が満たされない状況があるべき形であるとして、
関心を得るための努力を諦め、現状を肯定することができるのだ。
心の痛みや寂しさを当然の罰として許容し、心理的調和を得ることができる。

 

マインドセットによって、状況を打開することなく解決するっていう。

 

現状を変える力をもたない幼児が生き延びるためのハックといえるかもね・・・。

 

子どもは親を無条件に愛し肯定する。親が自分を愛さないことさえ肯定しようとする。

それは子どもの生存戦略であり、

とくに無力な幼児にとって最大の環境要因である親を否定するのは、世界や神を否定するに等しいからな~。

間違っている世界、指針を理解できない世界では生きるのがあまりに困難。

正しい世界と間違った自分という構図で、己を矯正して適応していくほうがまだしも生きられる。

 

しかし、一方で「愛されたい、関心を向けられたい」という欲求が消えたわけでないので、欲求不満や寂しさはくすぶり続ける。

 

相手に好意をもって接近することまではできるが、
好意が返ってくると抵抗を感じて逃避するという蛙化現象はここに起点する。ような気がする。

 

だって、

もし異性に愛されて相思相愛で満たされてしまったら、

一方で「愛されるにふさわしくない」という嘘で肯定した幼少期の親との関係性、ひいては人格の土台が壊れることになるからな。

それが恐怖・不安・拒否・嫌悪、ネガティブな感情の出どころ、問題の根だ。

 

厄介なのは、

この愛着障害の形成が、母親と最も密な接触を必要とする乳幼児期のものであること、

0~3歳までくらいについた心の傷であることだ。

言語や思考が未熟なので問題の把握ができないし、幼児性健忘で記憶もほとんど無くなる。

自覚できないまま大人になって、自分がなぜ人を愛せないのかわからないまま、蛙化や自己肯定感の低さ、人間関係リセット癖などに悩まされることになるのだ。

 

しかしそういう人というのは多分そこそこの割合でいて、

いわゆる長子気質というか、後から生まれた弟妹に親からの関心やリソースを奪われる上の子にありがちな人格形成でもある。

親がマトモでも、キャパオーバー・病気・多忙・離別・貧困とかの諸事情によることもある。

 

人当たりも面倒見も悪くなく、人から頼まれたら断れず、しかし誰にも頼らず人からの好意を素直に受け取れない「かわいくない」性格・・・、

 

こちらは、金髪で母そっくりで華やかで可愛らしく気立てもよく人気者の妹(格差姉妹)がいて、

家業を背負う責任感が強くて、

カブ(みんなで力を合わせること)が大嫌いで、

誰にも相談せず家出を決行する長女気質代表、ソフィ・ハッターさんになります。

そうですね、だいたいこういう仕上がりになるのではないかと。

ソフィも、めんどくさメロい男の世話をやくのはいくらでも付き合いがいいんだけど、

ハウルに正面から「ソフィはきれいだよ」と言われると、娘から老婆に変じて「歳をとっていいことは…」などと会話がバグる。拒否する、逸らす、愛の言葉を受け取ることができない。

 

 

このように「愛する」の能動はまあまあいけて「愛される」の受容に問題があるやつなので、

蛙化現象はアプローチを受ける女性側に起こりがちだが、男性でも同じ心の問題を抱えることは全然ある。

 

あと、体癖でいうと1種とか9種とか、孤独耐性があるタイプほどこの問題を拗らせがちになる。なまじ独りでやっていけちゃうからね。

消化器型や呼吸器型など、人との関りがないとやっていけないタイプは愛着障害が抑制型じゃなくて距離無しとか共依存とかのほうを発症するのかもしれないし、

どこかの時点で恋情や性欲がマインドセットを上回って相思相愛へ進めるかもしれないし、

かと思えば産後ガルガル期とかで再発して夫との関係を壊したりとかもあるかもしれない。

 

恋愛系小説の身を引く系ヒロインはシークレットベビーというジャンルであることも多く、こっそり子供を産んでて、探しにきたヒーローを子の父親として受け容れる、というパターンもあるけど、

そういうとこ後日談としてサラッと流しがちだけど、かなり火種を抱えてるよなと思う。

 

心の問題は、根から解消しないと再発するからな~。

 

ソフィの場合は、母子関係の和解の場面がある。

母は一応泣いて謝ってくれた。しかも全面的に。

ソフィは母を許した。

 

それが理想的解決だけど、

 

まぁ、それは物語だからできることというか、心が必要としてることあらわれというか。

リアルの母親とそんなふうに対峙できるかっていうとなかなかではある。

 

かくいう自分の場合だと、母は存命だがそのような話をしようとすると自己弁護にスライドし、子が恩知らずであることを嘆く。

ですよね〜。٩( ᐛ )و

だいたい親も似たような愛着障害があったりするもので。

しゃーない切り替えてこ。

 

 

ではあらためて

どうしたら愛し愛されることを素直に受け入れられるようになるかというと、

 

王子様を蛙にしてしまわないためには、

実は自分にかかっている悪い魔法を解かなくてはならないってことだ。

 

愛着障害は幼児期のことゆえに自覚がないのがいっっちばん厄介なとこで、

逆に言うと自覚さえできてしまえば、ほぼ解消したも同然だ。

 

まず問題を親のせいでなく、自分のこととして引き受ける。

自分に嘘をついたのは、結局のところ自分だったと。

であれば、それを破棄することも誰の許可も要らない。

苦しみを終わらせたいと願う心ひとつあればいい。

 

いつものマインドフルネスで解消していける。

 

良質な栄養とって散歩して風呂に浸かって、電気を消して目を閉じる。

 

身もなく心もなく名もなくわざもなく

空よりも高く海よりも深く

星々より遠く魂の始まりより古く

神々を越え法の運行を越え

時間も空間も尽き果てて至るどこかで

いつかすべての苦しみが終わるところで

いつもあらゆるすべてを満たしている愛であり原質であるもののなかで

静かで安らかなそこでならこれまでのすべてを手放せる

 

「私は愛されない、それが当然」というマインドセットを解いて溶かす

「おかあさん、こっちをみて」と泣いている小さな自分を認め許し

母親も未熟な一人の人間だったことを認めて許す

自分を幸福から遠ざける思い込みを手放し

「愛はいつも必要とするだけここに満ちている」

「愛はいつも惜しみなく与えられている」

「私は愛にふさわしく、また愛とその交歓の体現であることができる」

という感覚に入れ替える。

なんでもできる。すばらしいものをうけとれる。愛して愛されることができる。

 

そういう気持ちになれたら、

目を開けて、新しく生まれた今日を始めるのだ。

 

 

 

 

 

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マインドセット、自分という機構が搭載している基本プログラムを積み換えるというのは、それだけで抵抗感を覚える人も多い。

例えば、現代はデジタルネイティブとそうでない世代が共存する時代だが、

パソコンをいじることを自然に覚えた人、

好きなゲームや課題や仕事に必要なソフトをダウンロードして使い勝手を比較して、なんかトラブっても慌てず騒がず対処法をググってアンスコして再起動、くらいのことができる人と、

スマホでさえ販売店員の勧めるままにクソゴミ月額課金アプリ入れて動作モッサリのまま使ってる情報弱者がいるわけだが。

 

ほんと、パソコンというのは脳や意識にそっくりだと思う。人間の知性を模倣して創られたものなのだと思う。

自分というシステムを動かしているマインドセットを変えられるかどうかは、

このパソコンまわりの仕組みを体感的に理解しているかどうかでも割と差がでてくるのではないか。

自分のマシンをカスタマイズする能力と責任の有無は、

そのまま自分の意識や心身をカスタマイズしていく感覚に繋がっている気がする。

 

 

 

 

 

まあなんだ。

禍福は糾える縄の如しというが、

心の痛みを抱えて生きたからこそ、

心理の迷宮に興味を持ち、

神話の力、物語の効用も必要としていたから使えた、といえないこともない。

 

でも、学びや成長に苦しみが必須かってーとそうではなく。

それもまたよくある間違ったマインドセットなんだよな。

苦難を乗り越えたとか、苦労した方が偉いみたいなさ。

 

 

どうか幸せになろうと決めるまで、困難を待たないで。

You can't wait until life isn't hard anymore before you decide to be happy.