ものがたりを解釈する

アニメ、漫画、小説、神話、あらゆるものが語りかけてくること。最も深遠な、でも誰にでも開かれている秘密に、解釈というメソッドで触れていく。

ハウルの動く城を解釈する3 魔法の代償、名前の意味。

ロマンアルバム  ハウルの動く城

 


Q 荒地の魔女がサリマンから贈られた葉巻を吸うけど、この葉巻の効果と、葉巻を吸った理由は?

 

A 
葉巻は、サリマンの作戦だ。
サリマンは荒地の魔女ハウルと一緒にいることを知っている。
荒地の魔女ハウルの心臓が欲してることも知っている。

 

で、ハウルの居場所はわかったけど、
カルシファーの守りが強くて、戦力を送り込むことができない。
だからソフィの母ハニーをスパイに使って、まず葉巻とのぞき虫を送り込む。
荒れ地の魔女とひどい臭い煙の葉巻を使って、守りの要のカルシファーを弱らせようとした。あの煙でカルちゃんは弱る。燃えてこなくなる。

 

荒れ地の魔女は疑似家族のなかに組み込まれてるけど、
別に味方になったわけでもないんだよね。

かと言って敵でもないというのがミソなんだけど。

ハウルがピンチになれば心臓を手に入れるチャンスだから、
「これでカルシファーを弱らせなさい」というサリマンの誘いに乗ったわけだ。

 

でも荒地の魔女はサリマンの覗き見は気に食わない。
だから覗き虫は「カルちゃん燃して」と。
その虫も異物としてカルシファーを弱らせてたね。
「しっかりしろ」とハウルが取り出したけど、カルシファーかわいそうww


まあ、その辺はちょっと関係が複雑といえば複雑だ。

 

 

Q 荒れ地の魔女は何故、ハウルの心臓に執着するのか。

 


荒れ地の魔女は 欲 そのものの権化と理解すればいいと思う。
欲しいったら欲しい、手に入れるまで欲しがる。ていう行動原理なんだ。
なぜ、とか手に入れてどうする、は知性とか理性の領分だ。
きっと彼女は欲しいという思いが生まれた瞬間からもう盲目的に欲しい!しかないキャラ。
王様とかサリマンへの執着もなんか、「この日が来るのを50年もずーっと待ってた」とか言ってたじゃん? 50年だよ・・・?
コントロールされない欲が人を執念、執着、妄執のかたまりにしてしまうっていう描写でもある。

 

ハウル荒地の魔女の関係に、
なんか象徴的とか心理学的な意味がないかってことなら、

この2人って実は作中では会話する場面が一回しかないよね。
「あなたとはいつかゆっくり話がしたいわ」「僕もですマダム、でも今は時間がありません。」 この2人に関してはこのセリフが全てなんだな。

 

というのも、ハウルは情動や感情で、荒れ地の魔女は欲。
この2人の示す心の働きはきわめて近いところにある。
だからこの2人は荒れ地の魔女が欲しがって、ハウルが逃げるの平行線っていうか、
クロスして関わることで生まれるドラマチックっていうのがあんまりないんだと思う。

 

荒地の魔女が「若い心臓はいいよ~」とかいうところもあるけど。
なんかおぞましい若返りの魔術とかに使うのかなーくらいの感じじゃないかな。エリザベート・バートリみたいな。

この世界の魔法の概念だと、他人の心や力を奪ってそのまま自分の力にする、
なんてことはできないと思う。

それかまあ、荒地の魔女も統合への希求はもっているのかもしれない。
心を完成させたい、そういう普遍的な希求だ。

 

 

Q 魔法には代償がいるっていうけど、それは悪魔絡みの私欲を叶えるための魔法に限られるのでは?
代償うんぬんは作中で言及されていないし、
また、解除の魔法はソフィだけっていうけど、サリマンは荒れ地の魔女の魔力そのものを解除してた。

 


確かに作中には言及はない。そう読み取れる、というひとつの解釈だよ。
その世界観についてもおいおい書いていくけど、
そこをどう読み取ってるかっていう根拠としては、

 

王に扮したハウルが言う「サリマンの魔法でこの城には爆弾は落ちないが、代わりに周りの街に落ちる、 魔法というのはそういうものだ」という大事なセリフの他にも、

 

魔法には相応の対価とか、代償が必要である。

 

と暗喩している場面は繰り返しあって、

カルシファーの「そいつら後悔することになるな、まず人間には戻れないぜ」とか、
交戦で鳥化や攻撃の魔法を使ったあと、ハウルの姿がひどく疲れて透けた様子だったり、
ハウルが花畑で飛行機を攻撃したとき、手が異形になって震えていたり。
ソフィがカルシファーに髪を与えて力を強めたり、
「どうか~しますように」で髪が星色に染まったり。

 あと、サリマンの魔法だと、
荒地の魔女が門を通るときに人形の絵みたいな魔方陣が光る。それでゴム人間から空気がぬけてしまう。
荒地の魔女に階段をのぼらせると、若作りの魔法が解けていく。「本当の姿にもどしてあげただけです」で、
荒地の魔女に360度で光をあてて、 影で籠目籠目をするやつには、誰かの手が電源を入れるカットがあるよね。
ああいう風に、電球のセットとか電気とかも対価に相当する、と読み取れる。
それで魔力を剥奪する。「もう魔力はありません」だ。

確かにどれも解呪的だけど、魔方陣、階段、電球セット、とすべて対応する仕込みが描写されてる。


悪魔絡みの私欲の魔法、かあ。
サリマンがそういうことを言うからね。でもそれはサリマンの話術だ。
虚実が入り混じるあのくだりも後で細かく検証する。

結論だけ先に言っておくと、
魔法とは方法論、技術、そういうものであって、それ自体に善悪はない。

 

 

Q かかしのカブの意味は?

 


カブはかかし、かかしっていうのはオズの魔法使いに出てくるかかしなんだ。
ドロシーやかかし達はエメラルドの都の魔法使いオズに、それぞれ願いを叶えてもらいにいく。
かかしの願いは「知恵がほしい」だ。
だからカブはソフィを好きになってついてくる。

 

かかしは、藁や木を組んで人の形を模したものだ。人の形をしたモノ、物質、命のないものだ。
そのかかしが人間に変身するというのは、つまりこの物語全体を象徴している。

 

ソフィ、ハウル荒地の魔女はそれぞれ心の重要なはたらきを示すのに、 物語開始時、それぞれ欠陥を抱えてる。
ソフィ(知)は自分を抑圧しているし、ハウル(情動)は一部が解離している、 荒れ地の魔女(欲望)は野放しでやりたい放題だ。

それが紆余曲折を経ておのおの完全性を取り戻したとき、

 

この物語全体が、ひとつの完全なこころ を示すものになる。

 

その瞬間、心、命を得たかかしは、人型の物体から人間へと生まれ変わる、というわけ。

 

頭がカブなのにも意味がある。

民話の大きなカブだ。

おじいさんおばあさん、孫娘に犬に猫にねずみまで、ちからをあわせてカブを引っこ抜くアレだ。

ソフィは「私、小さい時からカブはきらいなの」と言う。

 

ソフィって、冒頭で帽子屋のスタッフたちが楽しそうに出かけようとして、 
「ソフィさんもどうですか」って、誘うのを断るよね。 
仲が悪いんじゃないだろうけど、距離をとってるっていうか。 
おしゃれして出かけるとか、華やかな場所も自分には相応しくないと思ってるんだろうけど、 
老婆の呪いをかけられた後も、家族や帽子屋の誰にも頼らず、相談せず、助けを求めず、 ひとりでさっさと婆さんとして、出て行ってしまう。 
非常事態が起きた時、普通なら頼れる人間の一人くらい 思いつきそうなものだけど、ソフィにはそういう人はいないらしい。 

これは、 長女だからとか美しくないのほかにも、
「誰も頼らない、頼れない」「自分ひとりでやらなくては」 っていうのがあるんだな。 

だから、みんなでちからを合わせる、の象徴のカブはきらいなんだ。

 

ソフィは、最初はひとりでカブをひっこぬく。

で、杖をもらって城に入るところで「あんたはいいカブだったよ」と認める、改める。

次は城にひっかかってるカブを「マルクル手伝って」とふたりでひっこぬく。

そして城にとびこんだ飛行機械フライングカヤックにロープをかけてひっこぬくときは、

ソフィ、カブ、マルクル、ヒン、みんなでちからを合せてひっこぬく。

 

ソフィも物語の中で、頑ななものを手放していく、みんなで力を合わせることができるようになっていく、という描写になってる。

 

 

 

さて、
名前の話の続きだけど、

カルシファーの名前が「熱量」を表すカロリー(calorie)と悪魔を表すルシファー
を足したものだっていうのはググればすぐ出てくる公式っていうか周知の話なんだけど、

 

サリマンの名前の由来って調べてもでてこないよね?自分は見たことない。

でも自分はサリマンは、サタンとアーリマンを足した名前だと思った。


サタンは有名な悪魔だよね、
アーリマンもゾロアスター教の悪神だ。

 

そう言うと意外に思うかもしれない。

だってサリマンはまぁ悪役、敵役だけど、 とても魅力的だ。
上品な老婦人で、物腰も話し方も柔らかで、

素晴らしい宮殿の奥の美しい温室にいて、
足が悪いのか豪華なんだけど車椅子に座ってて、

魔法学校の校長で、王佐の魔法使いでもあって、

荒地の魔女みたいな悪者を懲らしめて、

ハウルにとっては良い母役ではなかったのかも知れないけど、
なんかこうとにかく正しくて立派な人なんですってオーラ全開だからね~。

 

見かけに惑わされず、
彼女が象徴してるものがなんなのか、考えていこう。

 

サリマンはハウルにとっては「支配する母性」だけど、
宮崎駿がサリマンという存在で暗喩しようとしたものは、
もっと恐ろしい、支配者そのものの姿でもある。

 

魔法には相応の対価や代償が必要という話の続きなんだけど、
恐らく対価は他者に支払わせることも可能だ。
それはいわゆる生贄とか犠牲とか人柱とか、そういう方法だ。

 

ハガレンで一国の人民すべてを対価に賢者の石を精製する、というやつがあるけれど、そういうのとか、
マギのマグノシュタット編の、最下層民の生命力をじわじわと生かしながら奪う・・・ というああいうのだな。

 

サリマンの、流れ星の子をいくつも使役する魔法の対価はどんな方法で支払われているのかな。

 

ハウルはなぜ戦場の空を飛んでいたんだろう。

「ひどい戦争だ、南から北まで火の海だ」と言っていたけど、
その戦争はハウルとどう関係があるから、ハウルはそこへ赴いていたんだろうね。

 

ハウルだって素晴らしい魔法使いと言われているのに、
契約している流れ星の子はカルシファーひとつきりだ。
そのひとつきりの契約に心臓という、大きな代償を必要としてる。
カルシファーがひときわ大きな流れ星だったことを考慮に入れても、

サリマンが払っている代償の大きさは、相当のものと思われる。


ハウルが「あんな怖い人のところへ一人でいけるもんか」と言うけど、
ただハウルが臆病ってだけでもない。その怖さはどういうところにあるのかっていうね。

 

・・・

 

まあ、もしもだけど。
魔法の対価に他人の命を使っているだろう!と看破して責めたとしても、
サリマンはあの柔和な態度で言うと思うよ「それは仕方のないことなのです。」ってね。
自分が何もしなくても人は勝手に争って死んでいくから、ちょっと利用してるだけ、とか
ハンターハンターのアリの王様みたいに、質を考慮に入れて選別してる、とか、
殺さないでちょっとずつ貰ってるだけ、魔法の恩恵は皆に還元してますよ、とか色々思いつくな。

 

それが支配者というものだ。
そういう悪者をぶっとばすのは、もうハガレンでもマギでもハンタでも、多くの物語で語られていることで、
ハウルの動く城ではもっと高度なレベルの解決を描いていく。

 

 


Q ヒンは何?原作ではサリマンの一部だけど。

 


ヒン、という名前は鳴き声のままだけど、

ヒンがサリマンの一部というのは、本当に興味深い視点だ。

 

ヒンがサリマンの足など、サリマンの一部であるなら、
彼女もソフィ達が成した完全性の中に組み込まれている、ということになる。
対立を超え、支配を退け、敵だったものをも統合に巻き込み、さらに大きな調和を完成させる。
ということまで描写されているということになるな・・・。

 

サリマンが座ってるのは、車椅子。歩けない人のためのものだ。
ヒンはその足元に座っている。

 

ヒンが道案内の技量をもつこと、
サリマンが温室から一歩も出てこないことから考えても、

足が象徴する力、「移動する力」「前へ進んでいく力」みたいなものをサリマンは自分から切り離してヒンに変えている、と読み取っていいと思う。

 

魔法使いなら車椅子なんかに座ってないで、魔法で飛んで移動したり足を治したりすればいいのに、って思うだろうけど、
そういう万能でご都合主義的な能力じゃないんだよね~。

 

湯バーバが「そういう決まりなんだよ」というセリフがあるけど、
宮崎駿ワールドにおける魔法とはそういうものなんだ。
誰しもそれになんとなく納得してる。説得力を感じる。
なにか、普遍的な真実がそこにあるからだ。解釈することでそれを理解していける、と自分は感じている。


サタンやアーリマン、悪魔や悪神も、もとを辿ればキリスト教に追いやられた、土着の神様だったりするしな。

なにごとも単純ではなく、裏と表があるものだ。支配者にすら救済があると描かれている。

 

 

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