ものがたりを解釈する

アニメ、漫画、小説、神話、あらゆるものが語りかけてくること。最も深遠な、でも誰にでも開かれている秘密に、解釈というメソッドで触れていく。

ハウルの動く城を解釈する2 心のはたらき、名前の意味。

ハウルの動く城 特別収録版 [DVD]

 

ソフィっていうのはギリシア語で知恵という意味だ。
ハウルってのは叫ぶってこと。

ソフィは理性や知性、ハウルは本能や情動を表すような名前になってる。

キャラクターたちはそれぞれ心の一部や働きを示している。

荒地の魔女が象徴しているのは 欲 だ。ずっとハウルの心臓が欲しい欲しいと言ってる。

 

マルクルはメルクリウス、マーキュリー、ヘルメスとかギリシャ神話の神様の名前だと思う。
この神様は伝令とかメッセンジャーの側面がある。

ハウルは「マルクル、掃除婦さんに掃除もたいがいにしろって言っておいて」 ってソフィが目の前にいるのにわざわざマルクルを伝令に使う。ヘタレっぽさの表現にもなってるけどw

ハウルさんが大変なんだ」とか「変な人が入ってきちゃった」とか、マルクルは何度もソフィを呼びにきたり何かを伝えに、駆け寄ってくる。

 

マルクルには、寄せ集めでバラバラのメンバーの間をつないで疑似的な家族にまとめる役割もある。
家族の機能というか基本に子供を育てる場ってことがある。
マルクルという「子ども」がいることで、 ハウルは父、ソフィは母、荒れ地の魔女は祖母、そしてペットの犬というポジションが割り当てられて、 家族としての見た目になるんだな。

 

初見の時は、ハウルが唐突に荒野の魔女やヒンまでまとめて家族、
と呼んだことに違和感があったなー。
いやそいつら敵ですけど!と思ったわ。

 

でもハウルの心はそれが必要な段階だった。
ハウルのスタンスがサリマンから逃げる、から対決する、にシフトした時、
ハウルはまだ人格が円満な状態じゃなかった。
心に欠けがあってサリマンへの思慕や怖れもあった。
だからなにかそれらしい理由をみつけて自分を鼓舞しないといけなかった。
そこに家族に見えるメンツが揃ったから、家族を守るのが自分の戦う動機だ、
と思い込んだわけ。

 

ソフィがよぼよぼになった荒地の魔女を連れてきて、受け入れてしまうのにも意味がある。
荒地の魔女は、人の欲の象徴だ。
欲というのは厄介なもので、切り捨てようとしたり、見ないふりしたり、抑圧したりすると、
思いもよらない形で表出して問題行動になったり、暴走したりする。人格を歪(いびつ)にすることもある。
知性によってあきらかにし、理性によって制御することで、
ポジティブな原動力として、心になくてはならない素晴らしいものになる。

 

ソフィは欲の象徴である荒野の魔女を自らの内に招き入れる。

目を離した隙にカルシファーハウルの心臓を一度は獲られちゃうけどね。
そして荒地の魔女は力ずくでは決して心臓を離してはくれないんだ。

ガッチリかかえこんで、燃えても引っ張っても水かけても事態が急変しても
城が足場だけになって崖の上をフラフラしててもおかまいなし。
欲求のもつ力というのは盲目的でそれだけに強力なのがよくわかる描写だ。

 

すべてを理解して帰ってきたソフィが抱きしめることで、はじめて手をはなしてくれるけど、
欲が、知と理、そして愛によって昇華され正しく人格に統合される
なんて高度な心の動きをこんな風にキャラクターで表現できるなんてなあ・・・。
駿天才wwこれを毎年のようにタダで見れるとかここはとんでもない国ww

 

さて、「解った!」って感じはしてるんだけど、
人に解るように説明できるかっていうと、これがなかなかww


動く城のドアの、円盤と鍵穴の上の 黒 が示すものや、
ソフィの魔法や、ソフィが落ちた黒い穴について、

どうにか書いていこうと思う。

 

それは、心理学の守備範囲の先の話だ。
神智学、神話学とか、 スピリチュアルとかニューエイジ的なもののなかでも、高度な概念の領域になってくる。
だから抵抗を感じる人も多い。
だから優れたクリエイター達はメッセージを物語に託して、それ以上を語らない。

千と千尋でリンと釜爺が  「なにがどうなったの?」「分からんか、愛だよ、愛」 
というやりとりをするけど、
あれはじいさんのセンチメンタリズムとか、情感もあるけど、それ以上の意味もある言葉で、
今から書こうとすることも、結局まとめるとその一言で済む、という気がしてる。
解る人には解るし、解らない人の心にもなにかは残る。それでいい、というわけだ。


ソフィが子供に「そうさ、この国で一番こわ~い魔女さ」という場面があるけど、
これは本当で、ハウルよりサリマンよりずっと高度な魔法を使うのがソフィなんだよね。
なんで高度かっていうとそれは代償のいるレベルを超えているから。

 

もっと言うとそれは、魔法以上の 奇跡 創造 とでも言うべきレベルだから。

 

だから宮崎駿は作中でソフィが魔法使い、魔女であるとは決して言わない。

そのかわり天使、という言葉が一度だけ出てくる。

「お姉ちゃん、天使にでもなっちゃったの?」ってね。これもそのとおりなんだ。

 

ソフィが作中で使ったと思しき魔法は、

まずカルシファーの守りを解いて動く城に入る、
荒地の魔女の呪いを解き、老婆化をコントロールする、
ハウルの深層心理やその先の領域にアクセスする、
動く城を解体する、カルシファーに水をかけても死なない、
もうほぼ力尽きているハウルにキスをしてカルシファーのところへ移動する、
キスでカブの呪いを解く、などもろもろあって、

なんなの万能なの?、
ご都合主義乙wwつまんねwとか思ったな。初見の時は。

 

はっきり代償が見てとれるのは、
三つ編みを与えてカルシファーの力を増したこと、
あと、星の色に染まったという髪だ。
これは「どうかカルシファーが千年も生き、ハウルが心を取り戻しますように」の代償だろう。

 

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ここで当時のスレッドでは質問が来て流れが変わったので、
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