ものがたりを解釈する

アニメ、漫画、小説、神話、あらゆるものが語りかけてくること。最も深遠な、でも誰にでも開かれている秘密に、解釈というメソッドで触れていく。

紅の豚を解釈する。モラトリアムの物語

紅の豚 [DVD]

さて、紅の豚だけど。

ジブリランキングがあるとラピュタ千と千尋が票を集め、紅の豚は不人気の部類になりがち。

「飛ばねえ豚はただの豚だ」という意味はよくわからないけどカッコいい名台詞だけが有名だwww

筋書きを覚えていない人も多そうなのでざっと説明しつつ解釈してみよう。

 

豚の姿の飛行艇乗り、ポルコ・ロッソ(イタリア語で赤い豚)は、

元軍人でアドリア海のエースと呼ばれた腕利きのパイロットだけど、

物語開始時では既に除隊してフリーの賞金稼ぎをしている。

空賊マンマユート団やアメリカの飛行艇乗りカーチスとの空中戦が物語の見所だが、

 

そもそもなぜ、ポルコが豚の顔をしているのかは明確に説明されない。

ポルコはもともと人間だ、当たり前だけど。本名はマルコ・パゴット。

黒髪ヒロインのジーナが「どうしたらあなたにかけられた魔法が解けるのかしらね」というので、

魔法かなにかで豚になったらしきことはうかがえる。

 

回想で多くの戦友を失い、たった独りあの世とこの世の境のような場所、雲の平原から帰ってくる描写があるので、トラウマによる何かなのかな?くらいに思っていたな昔は。

 

しかし、後の作品、ハウルの動く城を見ると更なる解釈の材料が落ちている。

変身というテーマの扱い方において、ハウルの動く城紅の豚の後継作、といえるかもしれない。

 

 

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ソフィも老婆に変身する魔法をかけられる。

 

だがその老婆の姿でいることは、実はソフィにとって良い事尽くめだ。

ソフィでない老婆であれば、長女だから継がなくてはいけなかった家を出ていくことが出来る。

ソフィでない老婆であれば、人気の妹と地味な自分を比較する「私は美しくない」というコンプレックスと無縁でいられる。

ソフィでない老婆であれば、多少図々しくなって、押しかけ女房 掃除婦としてふるまえる。

 

自分でない自分になりきることで、

見たくないものを見ない、やりたくないことをやらない、という現実逃避をすることができる。

変身は、心情や内面のあらわれとして描かれているのだ。

 

マルコ・パゴットも、ポルコ・ロッソになることで、

成人男性から豚野郎になることで、何かから無意識に逃避している、と仮定する。

 

ポルコは、何から逃げているのか、何に気がつかないフリをしているのか。

 

銀行員「国債などお求めになって民族に貢献されては」

ポルコ「そういうことはな、人間どうしでやんな。」

 

ポルコ「豚に国も法律もねえよ。」

 

フェラーリン「冒険飛行家の時代は終わったんだ、国家とか民族とかくだらないスポンサーを背負って飛ぶしかないんだよ」

ポルコ「俺は俺の稼ぎでしか飛ばねえよ。」

 

カーチス「ジーナはな、おめえが来るのをずーっと待ってんだよ!」

ポルコ「デマとばしやがって」

 

ジーナ、戦争、国家、民族・・・、

 

愛する女性、国家の有事、

そういうものに対して、成人男性の果たすべき責任。

 

そういうものから逃げている、ということもできるのではないだろうか。

だから「怠惰で破廉恥な豚でいる罪」という言葉が出る。

自分が現実逃避しているという罪悪感、卑下される存在である自覚とかが、心のどこかにはあるということか、

あるいはまあ、

面倒なことをやらなくちゃならない、それが人として当然だからっていうなら、俺はいっそ人間じゃなくて豚でいいよ。という開き直りや投げやりでもある。

 

いや、まあ。

国が戦争をおっぱじめたからと言って、盲目にそれに従うことを推奨するわけではないよ?

でもそこに住む以上、無関係ではいられなくなる。そういうものだ。

 

ポルコの飛行艇を新造するミラノのピッコロ社では、工場長のおやじ以外、男性が一人もいない。

息子たちはみんな出稼ぎへ出たと言って、親族の女性が何十人も集まって飛行艇を製造するんだが、

その女性達がよく見ると、ちらほら黒いワンピースを着ている。

それは多分、喪服ってことだ。

全員ではないかもしれないが、出稼ぎの夫達というのは、徴兵されて戦死していることを伺わせる。

ジーナも夫を戦争で失っている。

 

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赤紙が来て、それを拒否すれば家族に累が及ぶなら、行きたくなくても行かないわけにはな・・・。

非国民と言われて石を投げられたら、一族郎党そこに住めなくなるわけで。

誰しも人間関係や社会のなかで、しがらみを分け合って生きている。

 

あくまでも戦争への参加を拒否するなら、ポルコのように独りきりで入り江の秘密基地で暮らすみたいな、社会自体に参加しないスタンスが必要になる。

 

それは空賊たちもそうだ。

紅の豚に登場する男たちは、いい歳こいて揃いも揃って国家の有事に参加せずブラブラしている男達で、

マンマユート(ママ助けて)という名で、「みんないい子ね」「ボクひとりで行くのね」とジーナにあしらわれる、一人前の甲斐性があるとは見做されない男達なのだ。

 

カッコよく言えばアナーキーアウトローなんだろうけど。

カッコわるく言えば、頼りにならない半人前のとっちゃん坊や達たちであり、

 

より正確に言うなら、これは成人の手前のモラトリアム(猶予期間)の比喩の物語なんだと思う。

 

大学生くらいのイメージかな。

 親元を離れつつも経済的にはまだまだ親がかりで、

貧乏だけど気楽。周りもそんな連中ばかりでお金がないことすらちょっと楽しい。

安くて嵩のあるものばかり食べて、風呂も洗濯もロクにしない自堕落な生活をして、

講義をサボって朝まで麻雀とか、朝まで酒呑んで議論とか、学業という義務はギリギリまでやらないで、バカバカしいことに情熱を傾ける。

もうすぐ、いつか、社会に出て働かないといけないのは分かっている。

楽しく遊んでいる女の子と、結婚のことなんかもそのうち真面目に考えなくてはいけない。

プレッシャーはうすうす、あるいはひしひし感じていて、

あれもこれもいつかは向き合わなくては先へ進めないと知っているけど、

束の間の準備期間、猶予期間を与えられている。

自由と放埓の日々を満喫している。

 

「さらばアドリア海の自由と放埓の日々よ」というセリフがあるけど、

気楽なドタバタ劇に、戦争や不況や空軍みたいな外圧が不穏な影を落としているのは、

社会や責任との関りをいつまでもは先延ばしにできない、という肌感覚の表現なんだと思う。

 

ポルコにかけられた魔法を解く方法は、フィオのキスでもあるけど、

意味するところはモラトリアムからの卒業、バカ騒ぎの解散だ。

卒業式のような通過儀礼として、お祭り騒ぎを開催する。

空中戦と一対一の殴り合いで、成人に足る己の力や勇ましさを誇示する。

青春を完全燃焼させた後は、

待たせていた女性と結婚して、定住して定職につく。収まるところに収まったのを匂わせてハッピーエンドとなる。

 

そしてエンディングの「時には昔の話を」では、ノスタルジーが前面にでている。

少し昔の話をしようか、通い慣れた馴染みのあの店、コーヒーを一杯で一日。

小さな下宿屋に幾人も押しかけ、朝まで騒いで眠った。

嵐のように毎日が燃えていた、息がきれるまで走った、そうだね。


時には昔の話を 加藤登紀子 紅の豚

 

二十代のモラトリアムを懐古する、気楽だった若かりし頃を懐かしむ。

 

とまあ、紅の豚はそういう物語なので、

意味が分かって楽しめるのが二十代後半以降ってことになるんだよな~。

ジブリアニメの主な視聴層、ちびっ子と感性が噛み合わないので、不人気がちなのは致し方ない。

ある意味で自由が失われる話なので、カタルシスにも欠けるし。

でも今頃ちょうどジブリ世代がおっさんになってきているので、再評価される時期ってことがあるかもしれないな。ひょっとしたら。

 

 

豚男は宮崎駿の自画像でもある。

飛行艇で儲けた稼ぎを、ぜーんぶ次の新しい飛行艇に注ぎ込んで、

ハイスぺック、ハイクオリティを求めるうちにどんどん予算がオーバーしちゃって、

借金を返すためにお祭り騒ぎの博打大会を開催する。

っていうくだりを見ていると、アニメ映画作りの現場、興行の雰囲気がまさにそうなんだろうなと思うw

前作の儲けを全部つっこんで、次作を更なる大作にする。

でもアニメ作りなんて博打もいいとこだ。大金がかかるのだけは確定で、ヒットするかどうかは時の運次第。

今ではジブリ宮崎駿も不動のブランドだけど、紅の豚当時の興行成績ではそれほど売れてなかった作品もあったわけで。

 

 

 

後はまあ、

紅の豚でも、赤毛ヒロインと黒髪ヒロインの対比が登場する。

冒頭で誘拐されるスイミングクラブの幼女達と、フィオが赤毛ヒロイン。

女性性の魔力を備えていて、空を飛ぶ、異種と交流する、そういうことができる。

豚になったポルコとパートナーになり、飛行機をつくり、空賊連中を惹きつけ丸め込めるカリスマがある。

黒髪ヒロインはジーナ、彼女は陸で待つ女だ。

人間に戻ったマルコのパートナーは彼女だ。

 

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それと、ジーナとカーチスが花園の庭で会話をする場面があるが、

 

バカっぽい男がやってきて、座っている上品な女性に紙片を渡して、植物に囲まれた場所で話す、

というイメージはハウルの動く城にも登場する。

これはセルフオマージュだと思われる。

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ハリウッドスターから大統領になる!と息巻くカーチスは、

ハウルの動く城で、国王陛下になっている。頬の張った輪郭が同じで、声優も同じ大塚明夫だ。

 

紅の豚では当て馬ポジションで、ジーナにもフィオにもフラれ、借金の肩代わりをするという、気の毒な目にばかり遭っていたカーチスがここでいくらか救済されているように思える。王様になれて良かったねカーチス。

 

ジーナは「あなたのそういうバカっぽいところ好きよ」と言うけど、

サリマンも意外と傀儡の国王を軽蔑とかはしてなくて、可愛いと思っているのかもしれない。

 

紅の豚のネタはそんなもんかな。

では、毎度のまとめに入ろう。これを書きたいがためのブログなのだ。

 

個人的に紅の豚で一番好きなのは、

フィオ「いいパイロットの条件を教えて、経験?」

ポルコ「いや、インスピレーションだ」

っていうところだ。わかりみ過ぎてニヤニヤしちゃう。

 

飛行艇で空中戦をやるようなパイロットに必要なもの。

エンジン、機体のコンディション、自分よりも大きな力を乗りこなし、

一瞬の判断ミスが死に直結するシチュエーション、その連続を生き延びるために、

人間の持ち得るどんな能力が磨かれるのかってことだ。

 

決して間違えない直観の力。

それしかないという正解を、一瞬にして閃き、その通りに体が動く。

 

そういう力だ。その感覚を想像するとワクワクする。

 

そういうのって後から考えても、どうして自分がそういう行動をとったか言語化できなかったりするんだよね。

なんとなく、でも絶対そうだと思った。っていう感じになる。

理性も知性も感情も超えた、脳全体がシンクロする時にだけ発揮される力、世界と調和する力、それが脳の本質、生命体の本質の能力だと思う。

 

宮崎駿アニメの主人公には割とこの能力が標準搭載されている。

ハッとした顔になったら、次の瞬間には最適行動をとっている。

その感覚を「インスピレーション」と言ってのけたのは紅の豚だけだ。最高。

 

インスピレーションは、ただ待っていても中々やってこない。

だいたいの人は普段、論理か感情か、左脳か右脳かに偏った脳の使い方をしている。

本能か知性か、後脳か前脳かに偏った使い方をしている。

過去の再生に囚われる容量の無駄遣いをしている。

まずそういうガッタガタのアンバランスを、意識して手放すところからはじめるといい。

脳内をお片付けして、フラットなワークスペースをつくるのだ。

それから問いを立てると、正解やインスピが浮かぶ。

そういう風に、インスピの感覚に慣れていける。

 

いや、飛行艇乗りみたいな極限状態に身を置くのもひとつの方法ではあるけど、危ないからなww

まあもうちょっと穏当に、セーリングとかサーフィンとか、パラグライダーとか、自然を相手に身体や機材を操縦していくのは、かなり捗ると思う。

 

空中戦よりも、ポルコが新しい飛行艇で飛び立つ一連のシーンが好きだ。

狭い河川を橋や船をすり抜けながら、新しい翼の使い方を体得して飛び立つ。

自然と、人工の翼と、人間の感覚のギリギリのせめぎいが、飛翔になって実現する。その緊張感が素晴らしい。

飛行機の動きをあんなに生き生きと描いたアニメーションは他にないな~。今はみんなCGになってしもうた。

 

 

 

 

 

宮崎駿よりちょっと時代が下るけど、アニメ漫画界隈の人材の大学生時代っていうとアオイホノオっていう半自伝漫画にその雰囲気がある。

 

 

 

・・・・、そういえば当時「カッコイイとは、こういうことさ」っていう糸井重里のキャッチコピーがついていたらしいが、

なんかこう、複数のヒロインとフラグを立てて、天与の才能があって引く手数多だけど、あえてどこにも属さない一匹狼感がクールっていう設定は、

やれやれ系とかなろう系チート主人公に近いモノがあるよなー。今にして思えば。

中二病にウケるカッコよさであり、さすおにとかイキリトとか揶揄されちゃう感性でもある。一歩間違えば黒歴史の、客観性を欠く万能妄想感なのだ。

腹の突き出た中年ぽい豚の容姿という自虐要素、コミカル要素で、中二妄想っぽさを相殺して嫌味にしないっていうバランス感覚は天才的だと思うけど。

 

それにしても「カッコイイとは、こういうことさ」っていうコピーは、額面通りに受け取っていいものだろうかww

さすがですお兄様wwwwっていう時と同じ煽りのニュアンスでもそのまま通じる気がしてくる。

 

 お題「#応援しているチーム