ものがたりを解釈する

アニメ、漫画、小説、神話、あらゆるものが語りかけてくること。最も深遠な、でも誰にでも開かれている秘密に、解釈というメソッドで触れていく。

マトリックスを解釈する。精神と肉体のルール。

マトリックスキアヌリーブスクラシック映画ポスターキャンバスプリント壁アート絵画寝室の装飾部屋の装飾家の装飾写真-40x60CM フレームレス

 

久々にブログ。書くことがまとまらなかっただけで特に変わりなくぼちぼちやってました。

(*´з`)心配かけてたらごめんありがと。

 

マトリックスの新作が公開とのことで、テレビでやってた初代を視聴。

 

やー、リアルタイムでも見てたんだけど、

今あらためて見ると、当時より引用や寓意の意味がよく解ってより楽しめた。

 

優れた作品というのは時が経っても色褪せず、

何度でも新しい発見をくれるものだ。

 

1999年頃の最先端テクノロジーのイメージというのが、

2021年から見るとレトロになっているというのも面白かった。

 

そうだったなあ、そうそう。あの頃は電話ボックスが街のあちこちにあって、

携帯電話はプッシュボタンと緑の画面で、一部のビジネスマンなど限られた人の持ち物だった。

パソコンやテレビは嵩張る箱型のブラウン管だった。

 

今は、行き交う人の誰もがスマホタブレットを持って、

薄い板に指を滑らせて操作するのが日常の風景だ。

 

街中の電話ボックスが突然ジリンジリンと鳴りだす光景に、

違和感や非日常感よりもノスタルジーを感じてしまったw

 

しかし、情景描写が古びても、マトリックスが提示するテーマは古びていない。

人の心が希求する普遍性を備えている、と思った。

 

モーフィアスのセリフが物語の枠を越えて、

そこだけ抜き出して意味を味わえる詩か格言のレベルw

モーフィアス語録とか欲しくなるレベルw

 

すべての言葉が意味深で暗示的で、モーフィアスのほうがよっぽど予言者のようだ。

 

自分が6種に惹かれやすいってこともあるかもしれないかも?

体癖で見た感じ、モーフィアスの役者は6種体癖にみえる。

顎が幅広くてシャクレがちで、首は前に出て背中も丸く猫背感がある。

 

f:id:philia0:20211215042458j:plain

 


www.youtube.com

3:10秒からの仕草がもうwww6種でしかありえんくねwww

「それは本物の呼吸か」のセリフところだ。

立ち姿から上半身をたおして顔を近づけ、更に上目で見つめてくる、この親密な距離感のつくりかた、6種の得意技だ。

つか上半身の倒し方がさあ。その動きにそんな滑らかに力が乗るのはもう6種だよ。

他の場面でもよく上目遣いの表情になる。上半身にくらべて下半身が華奢で足が長い。

ヤジロベエを連想するような動きだ。上が重くて前後にグラグラしているというか。

 

 

この配役はなかなかにハマっていると思う。

レジスタンスのリーダーに6種の人というのは成程だ。

 

反体制に向くっつーか。

非日常で覚醒して気炎を吐くような場面で力が出る姿勢だ。

ときに英雄的な死へ自ら突っ込んで行く。

人を焚きつける言葉を使うのはうまいが、自身はやや実行力に欠けるというか、

自分が動くより他人を動かすタイプというか。

トリニティその他のメンバーが実働部隊となってネオを連れてくる構図もそれっぽく見えた。

救世主を身を挺して庇う、とかいかにも6種のやりそうなことだ。自爆特攻。

コワモテなようで、意外と甲斐甲斐しいのとかも6種。

看病とか得意分野だけど、拗らせると黒い微笑と監禁甘やかし系ヤンデレを発症するタイプ。

 

モーフィアスは体癖的にも説得力あるキャラで花丸~

 

 

ネオのキアヌは、顔は縦の力が強くて捻れ型っぽいけど、

首の太さ長さやスタイル、背筋が垂直な走り方には1種っぽさを感じた。

表情もなあ。7種ならもうちょっと積極的なムードがありそうなものだけど、

キアヌは無表情がデフォな感じする。クール系だ。

 

トリニティも1種みたいな首と走り方だけど、顎の出た形は6種…、いや角張りが目立つということは2種ってことかも。

 

f:id:philia0:20211215042543j:plain

キアヌの首、胴側より頭側で太くなるようなラインが1種なのではと思う。

物語のなかでも、

エージェントにはまず勝てないから基本はスニーキング&アウェイ

というのは1種向きな行動パターンにみえる。無惨様と一緒。

1種は困難を避けて通ろうとするのだ。

また大脳昇華傾向が最も顕著な体癖なので、

イメージがすべてのマトリックスワールドで無双できる人であるのも頷ける。

身体感覚のリアリティよりも、机上の空論のほうに重きを感じるようなところがある。

頭でっかちなんだね。

 

映画のなかでは、柔術やカンフーやヘリの操縦プログラムを脳にダウンロードする場面があって、

一瞬にして技能を習得できるという面白いアイデアが描かれているが、

 

たしかにマトリックスのなか、夢やイメージ、精神の世界ではそれでいい。

が、肉体と物質の世界ではそーはいかない。

 

100回YouTubeで見て脳に焼き付けた動きがあるとしても、

肉体の然るべき鍛錬なしに、ピアノの速弾きやフィギュアスケートの回転ジャンプはできない、と言えば判りやすいと思うが。

 

手を左右非対称に動かせないとか、指がもつれたり、股関節の柔軟性や体重を支える筋力が足りなかったり、三半規管が慣れなくて気分が悪くなったり。

その程度で済めばいいが、

頭でっかちのままにムリヤリ肉体を動かせば、肉離れとかアキレス腱断裂とかそういうことになりかねない。

 

技能を習得実行しようと思ったら、時間をかけて肉体をカスタムしなくてはならない。

 

結果を得るために過程がいる。

それが肉体の属する物質の世界のルールだ。

 

では

精神の世界はどうか。

物質の世界を三次元と表現するなら、

精神の世界は四次元から五次元であり、

時間よりひとつ上の位相、空間の世界であるといえる。

 

だから、精神の世界では結果を得るために過程(=時間)を必要としない。

 

スプーン曲げの少年の言葉、

「曲がるのはスプーンじゃない、自分自身なんだ」

というのはそういう意味でもあるはずだ。

 

物質の世界では、手やなにかで力を加えるという手順がなくてはスプーンは曲がらない。

だが精神の世界では、スプーンを曲げる、という過程を経ることなく、

曲がっているスプーン、という結果が在ることができる。

そうである、と思うだけ、知るだけでよい。

 

もっと言うと、主体と客体、自他というのも三次元の概念であり、

五次元には彼我がない。

だから、自分とスプーンを別個と分けて認識するより、

忘我となってスプーンと溶け合って、曲がる。というふうに心を使うほうがルールに適しているのだ。

 

ルール、精神の世界では、結果に過程は必要ない。

識の力、認識する力の確かさ、そうであるという観測がすべてだ。

 

さて。

 

だからまあ、言ってしまえばマトリックスのなかでAIやエージェントを無力化するには銃もカンフーもアクションも、本当は要らない。

AIの演算能力を越える認識の力、処理能力さえあればそれだけで、世界を任意に書き換えることができるだろう。

 

マトリックスから目覚めた人達もそれを示唆していると感じる。

「この世界で、私の強さや速さが筋肉と関係があると思うか?それは本物の呼吸か?」

「考えるな、ただ速いと知れ」

とモーフィアスは教えてくれる。

 

マトリックスレンダリングを認識できたネオは、エージェントスミスを内部から書き換える。

ハッキングだか精神攻撃だかで破壊するのだ。

 

f:id:philia0:20211216184433p:plain

AIが仮想世界をレンダリングする、それをこのように俯瞰するという視点は、

AIを上回る認識、処理能力を得ているということだろうが、

重要なのはそれは思考スピードではない。ということだ。

AIの演算能力が人の思考を越えるシンギュラリティは確定的予測だ。

通常の思考ではAIに勝てない。

ここからは、単なる思考をはるかに凌駕する脳の演算処理能力があるということを明確にし、

できるだけ言語化して、その力を伸ばしていかないとAIとうまくやってく未来はない。

 

自分は、その能力のことを便宜上インスピレーションと呼んでいるけども。

まあ、勘とか直観とか天心とか体が勝手に動いたとか、そういう感じのアレだ。

右脳も左脳も身体も彼我もすべてが一致して、調和するときあらわれるムーブ。

なぜそうなるのかは説明できないが、それしかないという最適の正解のままに委ねて行う能力。

ネオが獲得したのは、そういうものだろうなと感じる。

 

さて、

だというのに、

そこに至るまでマトリックスのなかで、

四次元世界に構築された仮想三次元世界のなかで、

人を蹴ったり殴ったり、銃を撃ちまくったり、吹き飛んだり血を流して倒れるなどという、

物理で相手を圧倒したという手順、

物質と肉体の世界のルールに従っていたのはなんでかっていうと、

 

結局あまりにもそれに慣れ過ぎていて、

精神世界のルールを把握し適応するまで試練が必要だったんだよね、というそれだけの話ではある。

 

そうだ。私達は、肉体と物質の世界のルールにあまりにも慣れ過ぎている。

どっぷり浸かって、人間存在の半身は精神であることを忘却している。

ある結果を得るためには、様々な過程を経なくてはならない、と思い込んでいる。

 

お腹がすいたら、何かを食べなくてはならなくて、

ものを食べるには洗ったり切ったり火を通したりの加工が必要で、

その食べ物を買うためにはお金が必要で、

お金を得るためには仕事をしなくてはならなくて、

あるいは植物でも食肉でも収穫までには膨大な手間と時間とノウハウの蓄積があって。

 

そのように、延々と連鎖していく手順の世界に、慣れきっている。

物質の次元では一事が万事その調子だから、

数十年も肉体を養っているうちにすっかりそれだけが感じる世界の全容になってしまう。

夜毎の夢が囁き続ける真実を隅に追いやってしまう。

積み上げ続ける煩雑さに倦み疲れ、望むことをしなくなる。

 

ああしかし、人間が何を忘れようが、それで宇宙を運行する法則が変わるわけもない。

陰陽の思想では、陽は陰より先にある。陽が動いて陰が従う。

波と粒、波動と粒子、精神と物質の陰陽では、精神が先にあり、それに従って物質が在る。

 

心と体では、心のほうが先んじる。

 

それが覆らない真実だ。

 

だから、昨今の人間事情のように、覚醒前のマトリックスでのように、

物質の世界のルールに、精神が従っているのでは駄目なのだ。

 

人も世界の一部だから、世界の在り方にそぐわない生き方をしていると、苦しいと感じるようになる。

苦しみはサインであって、それを頼りに過ちを正していくために搭載されているセンサーだ。

 

五次元や四次元、精神の属するルールと、三次元の物質のルールと。

陽と陰の関係は、陰を負いて陽を抱き、冲気を以て和と為す。

 

f:id:philia0:20200924061044j:plain

 

双方は等価等量でこそ正しく巡り、両翼となって飛翔できる。

 

思うに、

魂がこの物質の世界に、肉体を纏って生まれてくる意味というのは、

手順という負荷をかけることで精神の力、識の力を高めていくことにあったはずだ。

 

精神は肉体の善き主人であるべきところが、

それが手順に忙殺されて、精神が物質の奴隷になってしまう逆転が起きている。

心の牢獄。

モーフィアスはそれをそう表現した。

 

その檻から出るために、何が必要だろうか。

赤い錠剤?

エージェントとのバトル?

マトリックスの破棄?

AIの支配からの自立?

予言?恋人?チート?

 

そのどれでもない。

それらはみな道程で生じる副産物に過ぎない。

 

モーフィアスは作中で都合3度同じ内容の言葉を口にする。

I can only show you the door. You’re the one that has to walk through it.

「入り口までは案内するが、扉は君自身が開けるんだ。」と。

 

3回も同じセリフを使うっていうのは、確信犯的に重要というか、

作者から読者へのメッセージと言ってもいいだろう。

ほんとうにこの映画は優れた物語だ。それが本質だ。

 

誰でもそれを知っている。生まれながらに備えている。体現している。

今もそれはそこにある。忘れているだけだ。思い出すだけでいい。

何者かによって忘れさせられているにしろ、それに憤ることはない。

それは本当は誰かに奪えるようなものではないから。

自身が同意した支配を、改めて自身の意志で破棄して、取り戻すだけ。

思い出すのに、目覚めるのに必要なのは、自分自身だけだ。

扉を開け、進む。

 

与えられた役割の名ではなく、何かを求める自分に相応しい名をつけ。

地下へ伸びる穴、冥界や無意識のメタファであるラビットホールの底を抜き、

鏡面、スプーンやサングラスに写る鏡像によって汝自身を知り、

世界そのもののメタファである円環、0のホールに飛び込み、

この有限すべてを成り立たせているものへ、混元へと至る。

 

そこは、規則も支配も、境界線もない世界だ。
a world without rules and controls, without borders or boundaries.

そこではすべてが可能だ。
A world where anything is possible.

これから先はお前たち次第だ。
Where we go from there is a choice I leave to you.

 

 

ポスター ウォールステッカー 正方形 シール式ステッカー 飾り 30×30cm Ssize 壁 インテリア おしゃれ 剥がせる wall sticker poster 014939

 

 

 

 

マトリックス初代、めっちゃ満足したわあ。

 

以下は蛇足。

 

マトリックスはスゲー面白いので野暮なツッコミはしたくないのだが、

あの世界観、「人類が青空を破壊した」という設定では、

たとえAIの支配から脱却したところで詰んでるとしか思えない件。

 

あの人間発電所から大量の人が目覚めたところで養う環境が無くない?

農地とか水源とか。人が生きてくためには結局広大な自然が必要じゃん。

目覚めたところで餓死がオチだったりしない?

人類以外の動植物はどうなってしまっているのだろうか・・・。

 

レジスタンス人類の、正確な西暦さえ失われた文明に、

環境を正常化するテクノロジーが無さそうでな・・・。

 

詰んでる。AIを打倒した後の生活基盤が詰んでる。

 

もうザイオンさえ仮想現実のなかで、

もう一回目覚めたら緑豊かな地球だったらいいのにくらいの希望しかねえ。

 

AIと支配関係を逆転して、AIを使役して環境を回復させるなどとなれば旧世界への後退にほかならぬ。テーマが台無しだ。

 

ていうか、AIが人類をエネルギー源にしてることは、

人間がブロイラー養鶏場で何万羽の肉を得てることと同義であって、

確かに支配っちゃ支配だけど、憤るような筋合いでもないわな。

親のしたことを子が真似るように、人間の行いをAIが踏襲しているとも言える。

 

なんなら、人間よりもアニマルライツやエンリッチメント的なものに配慮があるくらいだ。

飼育動物への福祉であるマトリックスは何度もアップデートされてるというのだから。

 

人間だって別にブロイラーが憎いわけじゃない。

美味しくいただくために色んな工夫やまめまめしいお世話をしているわけで。

当然食肉であるブロイラーの自由意志など考慮してはいないが、

彼らが支配に異を唱え、養鶏場から脱走するとなれば、

それはそれで品種改良されたひよわな種はあらためて厳しい自然への適応を要求されるのが道理というもの。

 

あの世界の人類がAIと決別したなら。

人は寒冷地にもそれなりに適応してきた種だけど、

スノーボールアースになった環境でまた先史時代から数万年かけて同じ栄枯盛衰を繰り返していくのだろうか。とか思った。

それも果てしない話だ。

 

結局、人と鶏、AIとヒトとの関係が支配と被支配であるうちは同じことの繰り返しだろう。

そこにあるのは二項対立、種の断絶、共感の埒外であるということ。

両者が融和して発展していく未来があるとしたら、

まず下位者は上位者に対して、自らの意志と力を提示しなくてはならない。

この映画ではAIが支配の象徴だが、

リアルでは親とか雇用主とか神とか闇の政府とか、

なんであれ支配者なるものと対等か優位となるためには、どうしても我々は、最も古くて常に新しい本来の力を自在に使えるようにならないといけないのだ。

 

いつもの結論に戻ってきたところで了。

 

 

 


www.youtube.com

マトリックスから解放されたとしても、人間を支配するもの、それが戦争よ。」

あー、やっぱそうくるかー。

結局、二項対立に囚われる人間自身の問題を越えないといけないってことかな。

敵はAIに非ず、自らの内に在り。それもまたマトリックス(幻影)


www.youtube.com

 

オープンワールドのゲームもあるらしいね~。

目覚めるべき幻想であるマトリックスをゲームとしてプレイするなんて悪い冗談つーかww

 

inspiration.hateblo.jp

inspiration.hateblo.jp

 

inspiration.hateblo.jp

 

inspiration.hateblo.jp

inspiration.hateblo.jp

 

今週のお題「忘れたいこと」