ハローmyワールド٩( ''ω'' )و
ところでこないだ
8番出口というゲームが流行ったのをご存じだろうか?
贔屓のユーチューバーもやってたし、
知らない誰かがやってるのを見ても楽しめる良いゲームだった。
操作感によっては3D酔いするけどw
で、このゲームの舞台の話がしたい。
地下鉄の通路。
全国各都市どこも似たような雰囲気の人工的構造物。
現代人の誰もが思い浮かべることができる普遍的な空間。
こういうのを示す概念に リミナルスペース というネットミームがある。
リミナルスペース (Liminal Space) とは、インターネット上で、簡素で不気味、超現実的な空間をいうインターネット・ミーム。
もとは建築用語で、廊下、階段、ロビーなどの、移動のために使われる人工的構造物のことを指す
クリーピーパスタの有名作であり、これが元ネタのイメージに近い作品。
派生したイメージも色々あって、ゲームの舞台としても相性が良い。
とても興味深い概念だと思う。
そしてゲームをやらない人でも、リミナルスペースの概念は直観的に理解できるところだ。
例えば、7月DVD発売のジブリアニメ「君たちはどう生きるか」にもこういった場面がある。
異様に巨大な和風屋敷の薄暗い廊下を進む場面とか。
千と千尋の神隠しの、油屋の廊下にもそういう印象がある。
オシラサマとエレベータで別れて湯バーバに会いに行くまでの、豪華な壺とか並んでる薄暗い廊下とかね。
なにか恐ろしいものと邂逅してしまいそうな、不安な感じの通路。
やや悪夢よりの夢で見るような景色。
どこまでも終わらないがらんとした回廊。
たとえば
地下鉄の通路
夜の空港
商店街のアーケード
マンモス団地
休日のオフィスビル
増改築したホテルや旅館とか
地下水道や炭坑とかは…ちと趣きが違うか?
まあ抽象的なとこだとそんなもんで、具体的な有名どころだと
九龍城
https://youtu.be/No_vQ8FiQiw?si=FUPYK3FlOEsk9922
ウィンチェスターミステリーハウス
https://youtu.be/Padm4JItZPw?si=nP3r76v_O57-rMw1
パリの地下迷宮
https://youtu.be/z1jIEuYr1JM?si=-n8pMJKVCgtRuIcd
とか? そゆの好きだから他に知ってたら教えて♡
共通するイメージとしては
広大な迷路的構造物で、同じような景色が続いて、
照明が白々しいとか薄暗い感じで、
どことなく使い込まれてるとか古ぼけてるとかで、
誰かいるはずの場所なのに、でも全然人がいないような、
入り口も出口もわからずさまよいつづけてしまう、
そんな場所。
自分も時々そういう景色を夢に見る。
www.youtube.com 8:30秒くらいからの発言。
そういうリミナルな夢を見ることにどのくらいの人が「あるある、わかる~」と言ってくれるものなのだろうか。
ユーチューバーがバブル建築のクソデカ閑散駅に行って「俺ここ多分夢で来たわ」と呟いた気持ちがわかりまくりんぐだったのだが。
なんかもう初見のリアルのほうに「夢で見たことあるやつ」っていう奇妙な既視感を覚えるっていうねwww
さて
リミナルスペースのイメージをなんとなくご理解いただけただろうか。
ところで、
「君たちはどう生きるか」の廊下の先には7人の蠢く老婆、
千と千尋の神隠しの廊下の先には湯バーバがいるわけだが。
このリミナルスペースなる概念を愛する人々の間には、
そこになんらかの怪物がいるべき派と、いないべき派がいるらしい。
諸兄はどっち派を支持されるだろうか?
そしてそこにある意味にはどういう違いがあるのだろうか。
自分は "The Backrooms (Found Footage)" の映像でばクリーチャーを邪魔に感じた方だ。
怪物いないべき派に一票。
自分の夢の風景には怪物や追いかけられることへの焦燥や恐怖はあまり無い。
そこに感じているのはどこまで行っても続いているという感覚、狭さが続く閉塞感、明るいところに出たいという欲求。
しかしその建築自体にはどこかしら懐かしみや親しみを覚えている気がする。
そして宮崎駿は怪物いるべき派ということなのかもしれないが、
そこにはジェネレーションギャップというか、
そこにこそリミナルスペースという概念の新しさがあるような気がする。
こういう悪夢的迷宮の神話的元型といえば、
やっぱ、ギリシャ神話のミノタウロスのラビリンスに遡れると思うからな。
このウィキの記事か、ロードエルメロイ2世の事件簿を読めばわかるが、
ラビリンス(迷宮)はメイズ(迷路)とは似て非なるものだ。
ラビリンスは道を辿りながら円の中心へ向かっていくものであり、
すべての道を通って中心へ至り、そして同じ道を通って外へ出る。
出口入口は同じでありひとつ。
それは心の中心へ向かっていくための精神的な儀式、瞑想のメソッドだ。
だからそこには怪物がいるということにもなる。
誰しもが心に飼う怪物、それは目を逸らしたい不都合な真実、見ないようにしていた己の姿だ。
内面の調和へ至るなら、その怪物は越えていくことになる。
怪物いるべき派の欲するもの、宮崎駿の創作物にあるのはどちらかというと迷宮(ラビリンス)的なものといえそうだ。
ていうか、もしボスや魔王などの対立する異形存在がいたなら、
それはゲームの印象としてはダンジョンって感じがするだろうしな。
リミナルスペースのゲームには色んな違和感の演出はあれどもバトルが無い。
それが新しく開拓されたジャンルとしてのポイントといえるだろう。
リミナルスペースのポイントは更に、
入口も出口も無く似たようなところをエンドレスに彷徨わされることにある。
迷宮はゴールまで一本道で俯瞰すると秩序ある図形の姿をしているが、
リミナルスペースは高低差も階段でつないでデタラメに構造体をくっつけたような感じがする。
秩序と怪物を擁するのが迷宮(ラビリンス)やダンジョンで、
無人で無秩序なのが迷路(メイズ)でリミナルスペース、
そんなふうに定義しておこう。
多分この記事は次に書く予定の「君たちはどう生きるか」の解釈に必要になる気がするからな・・・。
脳みたいな図形の迷宮。
アリの巣みたいな立体迷路
「君たちはどう生きるか」には迷路的なイメージも実は登場した。
不思議の国のアリスのハートの女王の庭をモチーフにしたであろう、生垣の庭園だ。
なるほど、屋外ではあるが、
四方が高い生垣に囲まれるような庭園も人工物の通路迷宮でありリミナルスペースの感覚に近い。
アリスの映像では灰色に陰鬱な空模様もわかりみがふかい。朝か昼か夕か何時頃なのか見当がつかない感じがする。
ラビリンス(迷宮)のゴールは心の中心であり、試練として登場する怪物を越えてそこへ到達するのが定型、
最奥にいるボスを倒せばクリアであり外にワープとなるのだが、
メイズ(迷路)であるリミナルスペースのクリア条件は。
8番出口やプールなどのゲームや映像作品の文脈を見るに、
「外へ出ること」そのものだ。
いや迷路だから当たり前だけどw
広大でありながら閉鎖的な空間から、
日の当たり風の通るところ、開放的な自然空間へ出ること。
昼の空とか草原とか田園とか人里みたいな景色へ出ること。
「あ~狭苦しかったぁ~」と背伸びしてホッとするような、そういう気持ちがゴールになる傾向のようだ。
ふむ。
日の当たるところ、そして開放感か。
逆にいうとその対比であるリミナルの印象は、
薄暗くて太陽の位置がわからなくて、
そして閉塞感のある空間が続くこと。
待て待て、この条件はどこかで聞いたことがあるぞ・・・。
この動画めっちゃおもろいんだけど要約すると、
15m級(マンション20階建ての高さ)の大森林に住む民族は時間の概念が発達しない、というものだ。
何層にも繫茂する植物は日光を遮り、森の中は昼も夜もなく常に薄暗い。
すると人間は朝起きて昼活動し夜眠るという太陽と同じサイクルのリズムを失う。
眠い時ちょっと寝て起きて、という猫のような細切れ睡眠スタイルになるとか。
また通年で気温が変わらず雨も少なく、変化に乏しいため四季の感覚もなく。
そして「緑の地下牢」とまで形容されたように眼前には常に樹木の幹が立ちはだかり、
何重もの柵に遮られた視界はひどく狭い。
すると人間は、遠くのものが小さく見える、という認識を獲得しないという。
遠くまで見渡すこと、遠近感というのは、過去未来の直線的時間感覚の土台なので、
連鎖してその概念も獲得できないのだとか。
そうして大森林で暮らす民には、今、という時間感覚以外が希薄になるのだという。
ほーん。
しかし、
この動画では 熱帯雨林気候が時間の概念を破壊する というタイトルのつけかたをしているが、
そもそも類人猿というのはほぼほぼ森林性の動物なんだよな。ヒトの祖先は森にいた。
ヒトだけが平原に進出し直立二足歩行を得る進化をした、という話がある。
だから時間の概念というのはサルが日の当たる広いところへ出てきてから獲得したものであって、
ピグミー(南米)はともかくピダハン(アフリカ・人類の発祥地)はそもそも時間を獲得するに至ってなかった可能性も・・・いやいや。
いや、
だから大森林(巨大でありながら閉鎖的迷路空間)から平原に進出した人類がよ?
またその平原に穴掘ったり鉄骨やコンクリの資材をこねこね盛り盛りして、
地下駅やらビル群やらの巨大でありながら閉鎖的迷路建築をつくるってのはよ?
平原にかつての居住空間である森林を再現しているようで、
そう考えると面白いなあと思ったんだよ。
太陽が見えず常に薄明りで時間がわからず、
気温も一定で風も吹かない、
見通しがよくなくて、何かが潜んでいそうで、色んな人が通った気配が残っていて、
既視感のある風景のなかをずっと彷徨うような感覚の場所。
そういう特徴だけ比較すると、
リミナルスペースと林冠級熱帯雨林が意外なほどよく似ているじゃないかと思ったんだ。
そういう風にガワを変えてメタファー化するっていうのは夢がよくやるやつだし。
大森林と摩天楼が象徴的に同じだとか言ったら自然大好き宮崎駿はブチ切れるかもしらんけどw
しかしそうすると、リミナルスペース的作品群や広大で無秩序な通路を彷徨う夢にどことなく感じるエモさ、ノスタルジーな感覚、もっと見たい、こういうのが好きという気持ちもさー。
それは平原の進出する前の、森林にいたサルだったころの感覚が、脳の古い皮質や無意識のどこかに残ってるから感じる欲求なのかもなーって。
やや悪夢よりの夢ではあるけど、
自分の夢の舞台は昔よく行った祖母の古い家の廊下や、住んでいた団地の階段室とか、商店街の珍しい建築とかのパーツで再構築されてることもあって、
目を覚ましてから、子どもの頃そういうところを一人でひたすら探検していた感じを思い出せて、なんとも言えない色んな気持ちがするんだよな。
子どもってのは目の前のことに全集中で、ヤなことあって泣いてもすぐケロッと笑って遊んでるとかそういうのを、今を生きてる、みたいによくいうけど。
さっきの林冠級熱帯雨林の時間の概念のない民族も、そんな鬱蒼としたところに暮らしながらも幸福度を測ってみると現代人より高いってことが言えるらしい。
リミナルスペース的な夢っていうのは、
ヒトの祖先が森林にいた頃の、過去未来を憂うことのなかった子どもの頃の、
原始的で幼くて幸福で安寧な、
そういう感覚を、脳の基底核のような古い層が再生することで生まれる夢・・・・
だとしたらエモくね?っていう。
まあ、いつもの適当に思いついたホラ話なんだけど ٩( ''ω'' )و youはどう思う?
結論、
リミナルは森。
秩序と怪物を擁するのは迷宮(ラビリンス)やダンジョンであり、最奥を目指すもの。
それは心をあらわしたメタファー
であるなら、
無秩序で無人な迷路(メイズ)やリミナルスペースは、外を目指すもので、
類人猿の原風景である森のメタファー
であると。
まあ因数分解してみるとそうらしいとして、
両者が混在してる場合も多々あるから、その辺はフレキシブルに解釈してこ。
これオススメの漫画。絵きれいでめっちゃ昭和建築でかつリミナル。いいぞ~
シドニア百景も近未来テイストにリミナルかもな~。
適度にごちゃごちゃしててよき。
景色が主題じゃないけど、弐瓶勉の世界観は引き込まれる。
ロードエルメロイ二世の事件簿は厨二展開をオカルト蘊蓄で固めててたのちい ٩( ''ω'' )و
Dream Pool - Liminal Space Shorts - YouTube
ああ、ところで多分、リミナルスペース的作品群に恐怖を感じる人は、
自分の心の迷宮(ラビリンス)をクリアする必要がある人かもな。
問題があるたび何度でも内面へ向かうということを習慣化すると、
つまり習慣的に迷宮メソッドをクリアしていると、
リミナルスペースから恐怖を感じなくなると思う。
自分がリミナルに恐怖を感じないのは瞑想の習慣があるからだろうな…。