まず結論を先に書いておくと、
ググるといくらでも出てくる都市伝説のやつ、
サツキとメイは死んでる説だの トトロは死神説だのを否決するのは簡単だ。
一言で済む。
エンディングを聞いてみるんだ。 森へのパスポート と歌っているではないか。
パスポート、つまり旅券だ。行き来ができる手形、通行証。
森というのは、人のテリトリーの外、異界や幽世、黄泉や彼岸を指すものだろうけど、
サツキとメイは、そこを行き来して、冒険して、そしてこの世界に帰ってくることができる。
もし、都市伝説の通りに姉妹が死亡していたのであれば、歌詞は森への片道切符というのが適当だと思われるww
ま、それだけで記事が終わるのもなんなので、もう少し色々書いてみよう。
そういう不吉な考察をしたくなる伏線が山盛りであることは否定しない。
となりのトトロを子どもに見せると、夢中で見る。
宮崎駿の動く絵は、どんな小さな瞬間も生き生きしてるので、
セリフの意味がわからない年齢の子どもでも、動きの面白さだけで目が釘付けになるというか。
自分はまさにトトロのLD(BLよりDVDよりVHSより古い映像媒体w)を子守りに、何十回と繰りかえし見て育った世代だ。
トトロは特に幼児との親和性が高い。メイと同じ3~4歳の子どもから見ても、夢中になれる何かがある。
それは季節をしめす日本の草花や、田園や古い家屋や生活様式に感じる、身近さや親しみでもあると思うけど、
もっと言うと、4歳の子どもの低い視点から物語が描かれているというか。
オープニングの、歩こう♪歩こう♪わたしは元気~♪ の時点からそれは見て取れる。
画面の上下に描いてあるのは、釘の刺さった板や空き缶や空き瓶、コンクリのブロック、石ころ、スコップ。
黒いシルエットでクワガタ、トカゲ、蛾、コウモリ、蜘蛛、ムカデ、カエル、
それにイモムシ、バッタ、猫。
・・・、改めて羅列してみると、なんかこう、
縁の下や床下に吹き溜まってるゴミとか、屋根裏や家の隅、影になってるような、薄暗いところにいるような連中ばかりではないだろうか。
折れた釘の刺さった板なんていうリアリティあふれるゴミを、オープニングに描く非凡さにはほんとに恐れ入る。
普通だったら子ども向けにアニメの主題歌の縁取りには、お花とか小鳥とか蝶々とか描きそうなものだ。
いや、確かに子どもっていうのは、そういう地べたに近いところにある、大人からすれば取るに足りないものをえんえんと眺めている生き物ではある。
アリの行進を眺めて飴を置いてみたり、石をひっくりかえしてダンゴムシを集めたり、そういうことしていた覚えもあるけども。
4歳の女の子のステレオタイプっていったら、もっとこう、
人形やぬいぐるみでおままごとして、キラキラしたプリンセスやプリキュアみたいなものを好んでいるものだと思う。
メイの友達、メイの嗜好は、同年代の男の子と比べてもやや異質だ。
4歳の男の子のステレオタイプを考えても、虫のラインナップはもう少し捕って面白くカッコいいものになるだろう。バッタ、クワガタときたなら、カブトムシ、セミ、カマキリ、タガメ、カミキリムシ、蝶々とかね。
蜘蛛やコウモリ、ムカデ、蛾。
なんというか、ナウシカもそうなんだけど蟲愛づる姫っていうか。
常識からすると不気味なもの、闇属性のものを愛する性質のようだ。
それは、眷属や使い魔を使役する古い魔女のイメージでもある。
メイも赤毛の魔女に分類していいキャラだ。
やや髪の赤みは薄いけど、髪飾りや服も赤系統。
異界、異形に親しむ才能がある。
まあこの場合は霊感体質と言ってしまってもいいだろう。
小トトロを見つける場面で、穴の開いたバケツから覗いてドングリを見つけるわけだが、穴から覗くっていうあれは「狐の窓」っていうこの世ならざるものを見るためのオカルトなテクニックになっている。
意識せずそういうことをやって、小トトロが姿を隠しても、目を凝らしてチューニングを合わせれば見えちゃうわけだから、見鬼としてもなかなか高性能なようだ。
そういう才能があるから、見えないはずのモノを見つけて名を直感し、友達になることもできるが、
しかし、あらゆる能力は諸刃の刃だ。メリットとデメリットがある。
メイはその能力があったがゆえに危機にも陥るわけだ。
狐の窓 https://alpy-alpy.net/posts/2112
見鬼 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%8A%E8%A6%96
さて、
明るい歌のオープニングにも、すでに仄暗いモチーフが仕込まれていたわけだが、
作中にも色々と、微妙にコワイものがある。
田舎の風景を描くなら避けては通れないのかもしれないが、
稲荷、神社、道祖神、地蔵、などの場面がさりげなく、かなり頻発する。
稲荷前バス亭はポスターとかにもなってるけど、
引っ越しの時の三輪オートでも前を通ってる。
雨の日の夜の稲荷は、暗くなってから子どもだけで親の帰りを待つ、心細いような気持ちの演出にもなっている。
トトロのいる楠木はしめ縄のかかったご神木っぽいが、
神聖な神域というにはやや寂れている。
手水の水盤は倒れて、灯篭も崩れたのを戻さずに横に適当に積んである。
掃除など人の手入れのない、忘れられた場所のようだ。
そういう場所は、あまりよろしくないことがあるという。オカルト的には。
トトロで描かれる神仏は、なんていうかとても土俗的で、あまり強力な神威をもたない感じだ。
由緒ある神が祀られてて宮司がいて参拝客がいる、みたいなものではない。
天津神でなく国津神、民間信仰で、いつからともなく古くからそこにあって、自然や生活に溶け込みつつ、次第に意味が忘れられ、信仰が薄れて風化しつつある。人との交流がなくなりつつある。
母親の入院する七国山病院への道も、二又の分かれ道の前に道祖神がある。
この場所は二度描かれる。メイが「道を間違え」て「迷子になった」のはここだろう。
その道はつまり、異界への道、幽世への道だったんだろうね。
道祖神は境界の目印とか道標みたいなもので、
人の世でないところへ迷い込み、迷子になった。
それはいわゆる、神隠し と呼ばれるやつだ。
だから多分、トトロに頼んで猫バスで迎えに行く以外に、メイを見つける方法はなかったんじゃないかな~。
地蔵は、雨宿りさせてくれるお地蔵様は縁結びの御利益さえありそうだが、
メイが迷子になって座り込んでいたところの、六体の地蔵はかなり暗喩するものがコワイ。
七人ミサキの怪談じゃないけど、七体目に連なる位置にメイがいて、
もう少しでメイも地蔵とともに供養されるような存在になっていた、と、そういうことのような気がする。
七人ミサキ https://dic.pixiv.net/a/%E4%B8%83%E4%BA%BA%E3%83%9F%E3%82%B5%E3%82%AD
七人一組の怪異ってのは結構バリエーションがあるんだよな。どれもなかなかの怖さ。
ばーちゃんがサンダル持ってナムナムしてるとか、不吉な描写や日が暮れていく不安な演出には意味がある。
メイは普通の探し方では見つけられない場所へ迷い込んで、
そこは現世から少しズレたところで「みんなには見えないんだわ」っていう状態になっていたと。
猫バスの続編「メイとこねこバス」という短編があるらしいが、
ネコバアチャンの行先表示には「風浄土」とある。
猫バスの行き先にも墓とか沼とか塚とか、そういう字がある。
猫バスがこの世からあの世へ死者の魂を運ぶ乗り物である、いうのはほぼ公式の設定だ。
千と千尋の神隠しの海原鉄道みたいなものかな。
二つの世界を行き来する乗り物がある、という思想は、三途の川の渡し船であるとか、
お盆の精霊馬であるとか、あるいは銀河鉄道の夜なんかも着想のモトにあるかもしれない。
ま、普遍的な発想といえるだろう。
猫バスは不思議の国のアリスに出てくるチェシャ猫にも似てると思う。
口が裂けるようににんまり笑ってスーッと消えるところとか。
都市伝説では、霊柩車のようなものである猫バスに乗った姉妹は死んでしまったのだ、という論法になるけど、
釜ジイは「昔は戻りの電車もあったんだが、最近は行きっぱなしだ」と言ってたっけ。
現代までにどんどん一方通行になってしまっているけれど、
トトロの時代、伝統や迷信や古い智慧とともに、人の暮らしのそばに不思議なものがまだ残っていた時代なら、戻りの電車もあったんじゃないかな。
神隠しにあっても、戻ってこれることがあった。
いつもの世界と不思議な世界の境が曖昧で、繋がっていて、行き来もできた。
七歳までは神のうち、という言葉があるけど、幼児はまだどこか現世に馴染みきってなくて、生まれてくる前の世界とも 親しんでいる。
そういうことだと思う。
さて、これで心おきなくトトロを楽しめるというものだ。
やっぱりそんな後味悪い結末があるとか思いながらじゃ、せっかくの名作を楽しめないもんねぇ。
後は適当に小ネタを書き留めておこう。
トトロにはトンネル表現、胎内回帰的表現が特に多い。
それも子どもの心に強く訴えるものだと思う。
冒頭の三輪オートの場面からして、サツキとメイは机の下、狭くて暗くて、エンジン音がして、一方が窓のような明るい場所でしゃがんでいる。
これは胎内環境によく似ている。胎内記憶のある子に聞くと、胎児は手足をまるめた格好で、母親の心音や血の流れるザーっという音を聞いてまどろみながら、
そういう風に母親のおなかの中から外の明るさや音、時には風景なんかを感じることができたという。
サツキは三輪オートからでんぐり返って降りる。
前転する、でんぐり返るっていうのも、子どもにとっては生まれた時の追体験になる行動だ。
養子が里親のもとに引き取られると様々な試し行動をとることが知られているが、
里親の母の肩口からでんぐり返って膝元に落ちる、というのを繰り返すことがある。
それは新しい母から改めて産まれるという子どもなりの儀式なんだな。
(テレビで見たことあるんだけど、ネットでソースなかった)
引っ越した家は「小川を渡った」「木のトンネル」の先にある。
川の話は何回かしたと思うけど、
異界は水の世界であり、その境界には川があるとか水辺であるというのは古今東西あるある話だ。
冥府の川ステュクス、三途の川、井戸、霧、靄、水鏡に派生して鏡やガラスも異世界へのゲートとしてよく描かれる。
胎内も羊水に満ちた水の世界であり、胎児は水とともに狭くねじれた産道をくぐって生まれてくる。
で、メイが小トトロを追って庭の茂みに潜っても、そこはトンネルになっている。
楠木の根元に開いた穴もそうだ。木の根のウロから行ける場所というと根の堅洲国で黄泉なわけだが、そこも管になっていてメイは転がり落ちていく。
トトロが寝ている場所も、筒状というか袋状というか、狭くて上だけ窓のように開いていて、シダ類やコケ類でフカフカしていて実に寝心地よさそうだが、あれも絨毛に覆われた胎内環境を思わせる。
そんなんばっかりなわけだ。夢中で見ちゃうわけだよ。
ところでトトロってナニモノなんだろうね。
人語を解してはいるようだけど、喋ることはない。
もののけ姫に出てきた面子と比べると、まあ実に素朴っていうか。
コダマと猩々の中間くらいの神格の自然霊かなーって感じ。
どんぐりを集めて、発芽させるスキルというのも、木を植える森の賢者の猩々っぽい。
夜行性で穴で寝ているところやツメの鋭さはアナグマみたいだけど、
耳のような羽角のようなやつとか、胸の模様とか、木の上でホーとオカリナ吹いてるあたりはミミズクのようだ。飛ぶし。
・・・・え、まって肉食なの?
いや、主食はドングリであってほしいwww
そうだ歯は尖ってなかった。人間や草食獣のような臼歯ばかりだったっけ。
小トトロなんかウサギにも似てるかな。
白ウサギを追って穴に落ちて、不思議の国でにやにや笑う猫に会うというのはアリスのオマージュだろう。
アリスも昼寝の夢から覚めたらお姉さんがいたっけなあ。
絵本に出てきたトロル、というのはエンディングで「三匹のやぎ」というのを読んでるけど、三匹のガラガラドンという絵本にはたしかにトロルが登場する。
大・中・小の三匹のパターンがでてくるのもトトロたちと一緒だ。
おっさんぽいくてかわいい仕草や表情はパンダコパンダで培われたものだろう。
蕗の葉を傘にしてるのはコロポックルが元ネタかな。
分解してみると要素としてはそんなもんだろうが、しかし絶妙なデザインだよな。
あんなかわいいクリーチャーを創造できるセンスは他に類を見ないと思う。
あとアレか、サツキとメイでペルソナとシャドーの話もあるな。
聞き分けが良くて、礼儀正しいサツキがペルソナ(仮面)
人の言うことを聞かない、自分の衝動に忠実なメイがシャドー(影)
ユングの心理学用語だ。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%82%BD%E3%83%8A_(%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6)
メイ(May)とサツキ(皐月)はどちらも五月という意味だ。
原案ではひとりの女の子だったのを、姉妹にわけて描いたという。
ひとりの人間の異なる側面をそれぞれに象徴させたわけだ。
そう思って見ると、メイの聞かん気の強さったらないからなー。
おばあちゃんとこでいい子にできず、サツキに会いたくて学校まで来ちゃうし。
バス停でも眠くなっても意地でも帰ると言わないし、
おばあちゃんが止めるのを聞かず、電報見て電話しに行くサツキを追いかける。
誰にも言わないで、お母さんのところへ行こうとする。
こうと思ったら即行動。無鉄砲で向こう見ずな子。
誰の中にもそういう衝動はあるだろうが、普通はそれをペルソナが抑止する。
リスクを考慮したり、人の迷惑にならないようにとか、色々ブレーキやバランスがあるものだが、
メイにはそれがない。
寛太については過去記事が。
後はそうだな。両親の鷹揚な感性は特筆すべきかも。
お父さんもお母さんも、おばけが好きで、子どもたちが怪しいモノと戯れていることをまったく否定しない。
フツーは、子どもが何もないところを見ておばけがいたと言ったら、「変なこと言うのはよしなさい」ってなもんだろう。
赤毛のメイはそれでも才能によって怪異を見ただろうが、黒髪のサツキまでまっくろくろすけやトトロを見つけることができたのは、この両親の方針によるところが大きい。
もし、両親のどちらかでも、非科学的なものを蔑むとか、おばけは嫌い、という雰囲気を出せば、それだけで良い子のサツキは察して 見えないものを見ることをやめただろうから。
メイが迷子になって、サツキひとりでもトトロに会えたのは、両親の教育の賜物だ。
実際、トトロと猫バスに頼む以外にメイを見つけ出す方法はなかったと思われる。
あの界隈にのんのん婆みたいな民間の霊能者とか、尾畑春夫さんみたいなレジェンドボランティアでもいたならまた話は別だが。
とりまそんなもんか。
追記があるかも。
Q サツキとメイはなぜ母に会わずに帰ったのか?
というクエスチョンがあるらしい。
トウモコロシだけ置いて、「そこの松の木でサツキとメイが笑った気がしたの」てやつか。
夜の庭で、トトロに貰ったどんぐりを芽吹かせて大樹にしていく場面を思い出してみればいい。
庭であれだけの事が起きていたのに、お父さんはまるで気がつかずに書き物をしていた。
「私たち風になってる」とか「みんなには見えないんだわ」とか「夢だけど、夢じゃなかった」とか、
そういう言葉が何を指してるかってことだ。
異界てのは見えないものの世界だ。この世が物質の世界なら、あの世は精神の世界。
粒なのか波なのか、それは重なり合っているけれど、すこし周波数が違うみたいなものだ。
猫バスと一緒にいたメイとサツキは、父母には見えない状態だったんだろう。
それでもお母さんは直感だか霊感だかで気がつくことくらいはできた。黒髪だけどメイの母だしな。
おでこの広さからして、メイが母親似で魔女の素養持ちタイプ、髪型からしてサツキが父親似で変なものを見ない感じない普通の人タイプなんだけど、
母は「あなたは母さん似だから」と言ってサツキの髪を梳いてくれる。
何度か観ないと気がつかない、思いやりが沁みる場面だ。
あとそう、猫バスにも多分、ちょっと寄り道くらいは出来ても、
停留所以外ではおいそれと現世の客を降ろせないようなルールがあると思う。
乗り降りがしやすい場所、この世とあの世の重なりやすい地理的なポイントがあるはずだ。
龍脈とか、霊道とかレイラインとかそういうやつだ。
そういう場所に稲荷とか道祖神とか、石碑とか、鳥居とか建てて目印にしといたもんなんだよ。昔はね。
(この行を消して、ここに「お題キーワード」について書いてください)