ものがたりを解釈する

アニメ、漫画、小説、神話、あらゆるものが語りかけてくること。最も深遠な、でも誰にでも開かれている秘密に、解釈というメソッドで触れていく。

お内籠りで見つめてみた。

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 もともと、引きこもり耐性もボッチ耐性もレベルカンストの田舎住まい猫飼い。

加えて身内に既往症のある者も高齢者もほとんどいないので、

新型コロナウイルスで戦々恐々のこのご時勢でも、かなり気楽に過ごしているほうだと思う。

 

お題「#おうち時間

今週のお題「わたしの部屋」

 

まあでも、

お外へ行けないのなら、内面へ向かえばいいじゃない。

とかいう持論をかましたら断頭台にでも送られそうなほど、みんなピリピリイライラしてるのは感じる。

 

ニュースを見てるとウイルスや病と一致団結して「戦う」という表現をよく使ってるんだけど、

自分はこれにどうにも違和感を感じる。

 

アドレナリンをどばーっと出して、グッと構えて臨戦態勢に入るっていうのは、動物に備わっている本能だ。

大抵は同族の雄に対して発揮される。

我々はもれなく、ナワバリ争いや順位争いや、メスの争奪戦で勝ってきた雄たちの子孫だ。

 

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「戦う」「戦おう」っていうのはとても原始的で、それだけに万人に訴えかける強力なシグナルなんだけど、

そういう臨戦態勢ってのは短期的ブーストであって、長くは続けられないものだし、

ウイルスみたいなスケールの違い過ぎる相手に、闘争心を保てる感性の人は少ないと思う。

ウイルスそのものは余りにちっさ過ぎるし、なのに感染の規模は地図レベルで大きいし、

やつらの心らしきものも想像しにくいし、色々対策してもリアクションが感じられるわけじゃないし、

じかにブン殴れない相手を敵視するっていうのは、意外と高度な知性やイメージ力がいるものだ。

 

医療従事者とか、実際の前線にいる人達はまだしも、

 

そうではない大多数のひとが、姿形の見えない相手に、臨戦態勢でいられる時間は長くないと思う。

アドレナリン、ノルアドレナリン出しっぱなしの緊張状態は、大きなストレスになる。

 

痺れを切らして、短絡的に「戦う」衝動をぶつけられる相手を探しはじめる。

「戦う」っていうのは、同格と認知できる相手に対して発動する行動様式なんだ。一種のコミュニケーションでもある。

敵を知り、己を知るためにヒトは百戦を繰り返す。

「戦う」モードを発揮しやすい対象は、やはり同じ人間だ。

DVの増加とか、外国人や感染しそうな職業への差別とか、海外では暴動とか、もうそういうことが起きている。

 

ウイルス相手に「戦う」という表現では、みんなの心が保たないと思うんだよなー。

 

 

医療崩壊を防ぐために、接触を避けながら、集団免疫の獲得や治療法の確立を急ぐ。

でも、それっていつまでかかるの?

そういう期間が示されればまだ頑張れるかもしんないけどね。

格闘とか軍隊とかの特殊な訓練でも受けてない限り、ずーっと臨戦態勢はツライ。

心身の緊張状態は、危機回避のために良くない方の想定ばかりするものだ。悲観になりがち。

楽観するにはエンドルフィンやオキシトシン、緩和状態、リラックスでないといけない。

 

「いつまでかかるの?」「感染したらどうしよう」「あいつコロナなんじゃないか?」「商売あがったりだ」「お金がまわらない」「政治家は何をしているんだ」

 

「今までどおり暮らせない」 

 

恐れ、不安、怒り、疑心暗鬼、怨嗟。

 

ネガティブな思考がネットやニュースや噂に乗って、ウイルスよりもはるかに速やかに感染し、蔓延している。

 

さて・・・、

このブログで、自分にできることは解釈だ。

それで砂漠を楽園に変えることができるだろうか?

いつもどうやって考えているんだっけ。

そうだまず、陰陽とか裏表とか左右とか、背中合わせ、両極になっているものを見る。

 

「今までどおり暮らせない」 

 

これって裏を返せば、

 

「今までどおりに暮らさなくていい」

 

ってことでもあるんじゃないか?

 

みんな常日頃言ってたじゃないか、

満員電車で社畜はウンザリだって。

大量生産大量消費はもったいないって。

毎年毎年流行が変わって大量に生産されては捨てられる服とか、

出荷したら値崩れするから畑で踏みつぶされる野菜とか、

予算を使わないといけないから護岸工事とかして環境問題になったり、

市町村の収入がないから原発を誘致したり。

Wi-Fiとか5Gとか、本当に安全性は確認されたのかとか、

PM2.5やCO2排出過多で温暖化で「なんてことを!」って。

他にもいくらでもあると思うけど、辿ってみるとそれらの問題の根はおなじものだ。

 

つまり、お金がないと生活していけないから、

兎にも角にも利潤がないといけなくて、経済が最優先で社会がまわってて、

 

そのために環境が破壊されて、人間らしさが抑圧されてるのに、

社会や組織とか大きなものの前に個人ではどうしようもなくて、

異常なんじゃないか、ヤバいんじゃないか、って思いながらもスルーし続けてきたことを、

 

ひょっとして今、やめてもいいんじゃないのか?

みんなでやめれば、こわくないんじゃないのか?

 

・・・と、思うんだけどな~。

ミヒャエル・エンデが今がチャンス!

みんなでお金の奴隷をやめるチャンス!

お金を偽りの神から単なる兌換券に戻すチャンス!

と草葉の陰から言ってたりしないのだろうか。

 

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そういうことを、うちで、ひとりで、ゆっくり見つめられる時間ができた。

そう思えないものだろうか。

 

自分だけ貧乏になるのは恐ろしいが、

みんなで一文無しになれば怖くないんじゃね?

空気も、水も、食べるものも十分にあって、

お金だけないっていうなら、モノは分け合えばいいんだよ。

なんでも分け合えば足りて、奪い合えば足りなくなる。

だから世界の富の50%を3%の富裕層が持つとかいう富の偏在になる。

・・・いやそれはあまりに極論だけど。

 

要はそういう楽観や安らぎ、

何があってもなんとでも生き抜いていけるんだっていう安心感を、心の真ん中にもつことだ。

人間万事塞翁が馬、到るところ青山在り、米の飯とお天道様はどこへ行ってもついてまわるって言うじゃあないか。

 

コロナに罹るのが怖いって?

交通事故に遭う可能性の方が全然高いから、自己の命に関してはそんなビビんなくてもいいと思う。アビガンは効くんだろうし、総人口という大局にもさして変動はないだろう。

ばらまかないように人事を尽くして、あとは天命に委ねるほかないじゃん・・・。

 

メメント・モリ っていうだろう。

 

死を想え、死はいつも生のそばにある。生まれたからには、いつか必ず死ぬ。

生まれ、育ち、実り、老い、死ぬ。

春夏秋冬の季節が巡るように、移り変わることがすこやかさだ。

 

そうだ、地獄先生ぬ~べ~が全巻無料配信中でおススメなんだけど、こういう詩があった。

 

たまみがく為生まれし事を思え

つらく悲しき淵に立つ時

いやいやのことでも勇み喜べ

我たまみがく為生まれ変わりし事思い

うらみつらむことなかれ

我生まれしことは

すべて たまみがく為と思え

 

日月神示の詩なのかな。

魂を磨くため、肉体という仮の宿に住まっている。

死を恐れ、生に執着するあまり、生きるってことがなにか見失ってはいけない。

いつか死ぬ、それは花が枯れることと同じ、自然なことだ。

何度も生まれ変わり死に変わりしながら、魂は長い長い旅をする。

なんにでも始まりがあって、終わりがあるのを識る。

種も、星々も、神々も、宇宙も、有限のすべてはいつか終わる。

その先にあるのが、無限とか、空(くう)とか、愛とか、0とか、「なにもない」とか、原初の混元とか、そんなようなものだ。

静かで遍く霧のようなそこで安らいでいてもいいし、また一粒の砂から何かを始めてもいい。自在だ。

 

おうちにいるときでも、そういう世界観を構築すること、イメージトレーニング、マインドフルネス、内省、瞑想はできる。

 

っていうか、仕事や日常に追われ過ぎててそういう時間を持ててなかった。

 

もうほんと、「戦う」なんて今更そんな次元のひーくいことしてる場合じゃねえんだよ。ビビッて三次元にとどまってちゃもったいないよ。

今こそ、内面へ向かうとか、至福を追求するとか、そういう言葉の意味するところを体得できるビッグなウェーブが実は来てて、レッツアセンションなんじゃないのこれ?

 

戦おうとか控えようとか耐えようとか自粛しようとかじゃなくて、

みんなで考えよう、みんなで変わっていこう、とか言ってくれないかなぁ。

新しい社会へパラダイムシフトしていきましょう、とかさ。

言葉ひとつでやる気の出方が違うと思うんだよね。

 

結局、持論をかまして終了w

断頭台の露と消えますね・・・。薔薇は薔薇は美しく散る~♪

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だいじょうぶ。

どんな苦しみもいつか終わる。今、ここで終わらせたっていいんだ。

やらなきゃいけない仕方ないと思いこんでたことをやめていい。

死ぬことだってそんなに怖くないと体得できれば、

生殺与奪の脅しに屈しなくてよくなる。

より良く、ずっと自在に生きられる。

 

メメント・モリ 死を想え。

死を受け容れることができたら、

 

カルペ・ディエム 今日の花を摘む。

今を生きるってことができる。

 

 

今読みたい本はこれですぞ。「エンデの遺言~根源からお金を問う」

お金無い、収入ない、あれこれ払えない、そういう悩みを根本から解きほぐしてくれる。

 

 

内面へ向かうとか、至福を追求するとかは、ジョーゼフ・キャンベルのよく言った意味で使ってる。Follow your bliss

自分の魂の喜ぶことを見出し、追求しなさい、みたいな。

求道を始めなさいってことかな。

 

地獄先生ぬ〜べ〜|ヤンジャン!|週刊ヤングジャンプの公式マンガアプリ

自分のオカルト知識は小学生のころ読んだぬ~べ~とGS美神が基礎になってることを再確認したww

一話完結の身近でありそうな怖い話が良い。中盤以降のバトル展開はおもんない

 

 

 「人は家畜になっても生き残る道を選ぶのか?」

https://www.mnhrl.com/corona-jail-2020-4-14/

ついでに。医者が書いた記事だそう。

タイトルはアジってるけど内容は興味深い。

 

アルマーニの公開書簡とか、この時勢を機と捉える発想がある。
https://www.wwdjapan.com/articles/1068987

 

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福岡伸一

この記事はミュトスさんの紹介。著書の「生物と無生物の間」で読んだウィルス論がほぼそのまま自分の認識になっている、動的平衡もよく使うステキな概念だ。

 

お金に振り回されない社会、具体的にはベーシックインカムいいんじゃないかと思ってる。

詳しくしてくれる人がはてブロにいたので貼っとく

https://kamosawa.hatenablog.com/entry/2020/04/20/161635?_ga=2.34281825.1197461224.1586801143-1294203070.1562999636