ものがたりを解釈する

アニメ、漫画、小説、神話、あらゆるものが語りかけてくること。最も深遠な、でも誰にでも開かれている秘密に、解釈というメソッドで触れていく。

新しい世界を想う。

天気の子 グランドエスケープ ORIGINAL COVER INST.Ver

 

アフターコロナ、という言葉を聞くようになった。

この騒動の前と後で、世界は変わってしまうという認識がそういう言葉になったわけだ。

言葉にする、概念にする、というのは人の認知に新しいカテゴリをつくるような、人の知のもつ本質的な力だ。

捨象されるものもあるが、事象を脳内で扱いやすくなる。

 

アフターコロナワールドは、どんな世界だろうか。

終末戦争まで突っ走ったあげくの北斗の拳のような荒野?

マスクをしなければ5分で肺が腐る、腐海のような死の世界?

AIがすべてを管理してくれるPSYCHO-PASSのようなディストピア

それともポニョのような自然と魔法の力に満ちた新世界だろうか?

 

何が、新しい世界の在り方を決めるのだろうか。

 

それで、去年の7月に見た「天気の子」を思い出した。

 

災禍の形は伝染病ではなくて降り続く豪雨だったけど、

あれは災禍の前後で世界が変わってしまうことを、

少年少女の意志ある選択の結果として、肯定的な視点で描いた物語だった、と思う。

 

当たり前だと思っていた日常が、実はずっと誰かの、何かの犠牲の上に成り立っていた。

 

東京が住みよい気象だったのは、晴れ女という人柱の巫女を800年ものあいだ捧げ続けてきたからで、

 

「巫女、人柱が一人犠牲になれば晴れるなら、もとの天気になるというなら歓迎だ。てか、皆そうだろ。」

とかそんな言葉で、誰もがそういう世界の在り方を、弱いものにツケを払わせる世界を、多少後ろ暗くも容認していたか、あるいはまったく知りもしなかった。

 

保護者のいない15歳の少女にすべてを押し付けて、背負わせて、切り離して、

それで今までどおりを続けようとして、でもそのシステムにはもう限界が来ていた。

 

人柱の力で上空に留めおいていただけだった雨は、800年の間に積もりに積もった巨大な積乱雲になっていた。

 

歪みは、蓄積され続けていたんだ。いつかはそれに向き合わなくてはならなかった。

 

小説版の内容なんだけど、

少年少女の陽菜と帆高が帰ってきて、白竜が落ちて、豪雨になったところで、

「てか、皆そうだろ」とか言っちゃうやさぐれた大人、須賀のモノローグがある。

 

その時、誰もがおそらくはその雨が普通ではないと感じていた。

 

いつかこういう日が来ることを、本当は誰もが知っていた。

 

俺達はずっと感じていた、

俺達は別になにもしていない、なにも決めていない、なにも選んでいない。

それでもこのまま逃げ切れるわけがない。

 

世界はいつか決定的に変わってしまうだろうと誰もが予感していて、

誰もがずっと知らないふりをしていたのだ。

 

 

新海誠の先見性エグい。

「その雨」を「この病」か「このウイルス」にちょっと置き換えて、もう一回読んでみる。

 

コロナ渦中にある我々の心情に近いものがある。

 

「自分は何も悪いことしてない」「理不尽な災いに原因をこじつけるな」と思った人もいるだろうが、

 

ちょっと今着ている服をめくってのタグを見てほしい、メイドインどこって書いてあるだろうか。チャイナ?マレーシア?台湾?

フツーに生きてるだけで、何もしなくても、決めてなくても、社会が採用してるシステムに加担している。せざるを得ない。

 

もしメイドインジャパンを選んで着てるような意識高い人がいたら、環境問題やグローバリズムの弊害に関心がある人だ。

そういう人は須賀の言う意味が解るだろう。

 

 

 

新型コロナウイルスは、密集、密閉、密着の条件で感染拡大する。

それは一極集中、中央集権、都市化、グローバリズム、あるいは建築の気密化、

高度に文明化したこの社会であればこそクリティカルヒットな性質だったわけだが、

 

こうなってみて、いつも、色んな人が警鐘を鳴らしていたよな、と思う。

なにごとも経済優先、儲かること第一で、

油田でも鉱山でもあちこち掘り返して、森を切り拓いて、

乱立したビル街に人を詰め込んで、

物価や人件費が安い国から大量にモノを運んできて、

どこに行くにも飛行機や新幹線でほんの数時間行ける、

サイコーに便利でイージーな世の中の恩恵を受けていた、

でも、それには代償もあった、

新型コロナウイルスは、蓄積されていたリスクを顕在化させただけなんじゃないのかっていう。

 

多分、このパンデミックがなくても、いつかどこかで何かが起きた。

多分、人類の生存環境に決定的なダメージが入ってしまって、手遅れになってから気がつくよりは、いくらかマシなタイミングで変化のチャンスが来た。

・・・のかもしれない。

 

近代化、産業革命、資本主義の台頭、富める者がより富を集めるシステムの運用から、ざっくり200年分溜めてきたツケということになるだろうか?

 

天気の子では、800年分溜め込んでいた雨がざぶざぶ降りまくるまま、三年が経つ。

 

東京は水没する。

 

だとすれば、きっとたくさんの人が亡くなって、職を失って、家を失って、大事なものを失っただろう。 

日の光の差さない街で、心を病んだ人もいただろう。

 

でも、新海誠はその世界を絶望の終末としては描かない。

水没した高層建築の間を水上バスが走って、人が逞しく行き交ってる活気を描く。

 

誰にも保護されない十代の主人公たちが、誰かの犠牲になることをやめて、

搾取されることを、踏みつけにされることを拒否して選び取った世界は、

愛しい誰かが、どこかで自分を待っていてくれる世界だ。

 

 

アフターコロナワールド、今まで通りでない世界がやってくるとして、

そこがどんな世界に見えるかは、自分の心次第だと思う。

 

瀧のおばあちゃんみたいに、因果応報を察して淡々と「もとに戻っただけ」っていう世界を見てもいい。それは所詮人為も自然の一部という諦念かもしれない。

須賀みたいに、オフィスを立ち上げて社会的に成功して「世界なんてもともと狂ってる」というやや捻くれた達観のなかで、それでもしぶとく生き延びていくのもいい。

 

でもきっと、もうお終いだと絶望した人も少なくなかっただろう。

 

怒りの矛先も悲しみのもとも、いつでもいくらでも、数えきれないほどある。

どこかの国がウイルスをばらまいたんだとか、国の対策が遅れたから蔓延したとか、

誰にも看取られず亡くなる人がいること、死者とのお別れもままならないこと。

 

それは事実としてある、どうしようもないことだ。

ただ、それに心を飲まれないためには、どうしたらいいかってことだ。

 

 

凪や夏美には、水浸しの東京がどんな世界に見えているだろうか。

 

凪や夏美は、目まぐるしい状況のなかでも、自分の意志でなにかを選択したキャラクターだ。

そうすべきだという空気に従うのをやめて、自分の心が正しいと思うことをした。

だから、その結果がどんなものでも受け入れることができると思う。

 

自分で決めたことの先にある世界なら、どんな困難があったとしても、

誰のせいでもない、自分のものとして受け容れることができる。

 

凪や夏美は、新しい世界で颯爽と生きているはずだ。

 

自分の心が示す正しさを感じられる人、そのとおりにできる人に、自分はなりたい。

 

 

しかしまあ、誰しも日常の自分というものは、だいたいノイズだらけだ。

誰かに言われたムカつく一言が頭のなかをぐるぐるしてたり、

過去の恥ずかしい失敗をリピートして悶えたり、

今晩の献立や買い物の予定や、将来の不安とか、感染への恐怖とか、

色んなことが絶えず再生されて脳の容量を食っている。

デスクトップに使いかけのアプリやタブがいくつも開いているようなものだ。

 

自分という存在の最初の願いを知るためには、

新しいまっさらなインスピレーションを受け取るためには、

それら全部を一度閉じなくてはならない。

 

自分の思考を制御するのは、パソコンの使い方に慣れるのと一緒だ。

挙動がおかしくなったら、キャッシュを消して再起動をかける。

誰かに教わってもいいし、自分なりの試行錯誤でもいい。

ステイホーム期間こそ、そういう方法を習得していく好機だと思う。

 

 

・・・いや、ほんとさ、自粛自粛って言われ続けて、

みんな自粛じゃなくて委縮になってやしないかと思う。

 

テレビで マツコ・デラックスが「不要不急のって言われるたびドキっとする」って言ってて。

さすが言語化のセンスがあるよなと思ったけど。

観客なしセットなし、共演者とも距離をとって、ヘアメイクもなし白髪も染めてないらしく、すごく引いた構図で撮って、

もう苦肉の策のカタマリみたいな絵面で言われるとなかなかだった。

 

不要不急は控えろ、と言われたら、

自分のやることすべて要なのか急なのかって疑わないといけない。

それで自分のやってたことが要でも急でもない、ということになるのはキツイ。

仕事が生きがいの人ほどそうだろう。

自分なんか社会に必要ないんだと感じてしまう。落ち込む。

 

命を守るというスローガンは確かに是だが、

 

しかし世の中、安定よりも夢を追っかけちゃうタイプの人もいて、

彼らにしてみたら 命<生きがい だと思うよ。

命を盾に、生きてる実感を奪ったら、生ける屍になっちゃう。

大脳の発達した人間は、ただ命があるだけで満足できるようなイキモノではない。

 

医療従事者や小売店員や物流業者、今最前線で忙しいお仕事の人がフォーカスされるのは当然だし、本当に頭が下がるけど、

 

こんなところでブログ読んでるのは自宅待機で暇を持て余してる人だろうからな。

 

そういうステイホームしてる大多数の人たちだって、怯えて落ち込ませたままではいけないと思う。

 

自粛しろとか、控えろとか、外出るなとか、働くなとか、感染するぞ死ぬぞとか、

そういう抑圧や否定のメッセージは人を滅入らせる。

 

考えろとか、生き残れとか、追求しろとか、観察しろとか、新しくしろとか、

そういう積極的で発展的なメッセージに接していってほしい。

 

 

 

 

だから早く天気の子のDVDが欲しい、5月27日とか待てない。

アナ雪2も5月13日とか待てない、今すぐ見たい。

 

そこはGWに間に合うように発売しておくれよ・・・! _(´ཀ`」 ∠)_

 

仕方ないからジブリと怪獣の子供を見て待つ。

 

お題「#おうち時間」はアニメ、読書、ブログ、瞑想。

 アナ雪2は配信は開始してた!素晴らしい。お子様に見てほしい。

 

 

 

これから天気の子の考察をしたいっていう記事を見て、天気の子のことを思い出した。

LAMUさんタイムリーで感謝。

https://lamu.hateblo.jp/

 

 

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"Weathering With You"

 

 

開疎化がもたらす未来

 https://kaz-ataka.hatenablog.com/entry/2020/04/19/131331?_ga=2.37533920.1798048692.1587739206-800197266.1580546508

 

密集、密閉じゃない、アフターコロナがどんなコンセプトの世界になるかっていうひとつのおもしろい未来図。

こういうことを考えていれば、わくわくできていいと思う。

ステキな未来を創造するには、まずそれをイメージすることだ。

できるだけ鮮明に、ありありとだ。

 

「ぼくがかんがえたさいきょうのあふたーころな」とか、なろう系で流行ってくれ。

異世界ものの設定を考えるノリを活かすときだ。