YouTubeでセーラームーンが期間限定無料。もう懐かしくて懐かしくて。
まあ、まだ最初のシリーズの途中だし解釈というのもなんだけど。
昔々リアルタイムで見てた時の記憶ともごっちゃにしつつ、少し書いてみたいことがある。
今、新型コロナウイルス関連で各種陰謀論もSNSとかで活発に拡散されててなー。
まあ、目に入らない人はまだその時でないんだろうし、
その真偽を議論するのもとりあえずおいといて、
セーラームーン見てた世代には、そういう支配する悪みたいなネガティブなものに出会ったとき、どんな心で臨めばいいのか。
潜在意識に答えがインストールされている。
それを解凍して使えるアプリにしていきたいっていうかね。
セーラームーンの初期の敵対存在は、ダークキングダムという悪の組織だ。
姿の見えない「大いなる支配者」に人間どものエナジーを捧げるべく、毎回悪事を行う。
その悪事というのがちょいちょい風刺というか、社会派な問題提起にもなっていた。
後先考えないで流行りのペットを買っちゃう問題とか、
時間に追われて心の余裕がなくなってる問題とか、
過剰なダイエットへ誘導する風潮問題とか、
とにかく子供をいい学校に入れようという偏った教育問題とか、
憩いの場の自然をビル街に都市開発しちゃおう問題とか、
メディアにサブリミナルを仕込んで洗脳しちゃおうとか、
25年経っても共感できる、古びてないテーマばかりで、
その先見性を称えるべきか、解決に至らなかった年月を嘆くべきかというところだが。
毎回、一人のイケメン幹部とその部下の妖魔が悪の企みを実行するんだけど、
その作戦を実行する時に彼らがやることといえば、変装とか、なりすましとか、テレビやイベントで広告をうつとか、開店セールで値引き大売り出しとか、そういうプロモーション的なことが多い。情報を操って人を集めて熱狂させる。
妖術といわれるものを使うことがあってもそれは割と簡単な催眠や思考誘導のようなもので、
もともとそこにあるものを火種に、人々の愚かさにつけこんで、少しだけ助長する。
それで人間達の、コントロールを外れた興奮状態っていうか恐慌状態っていうか、そういうエナジーを回収する。
セーラームーン達に企みが看破されると、妖魔が正体をあらわし直接的な武力の妖術で襲ってくる。
主人公のセーラームーンは、いたって平和に育ってきた中学生女子なので、恐ろしい顔の妖魔に襲われると、恐ろしくて泣き出してしまったりするw
まあ、戦闘訓練どころかろくに喧嘩もしたことないような女の子としては当然のリアクションだと思う。
セーラームーンは変身したからといって、武器も鎧も持ってない。代わりに戦ってくれる何かが乗り移るわけでもないのだ。
では、どうやって敵と相対するのか。
セーラームーンを解釈するとき特筆すべきだと思うのは、戦闘になった妖魔たちを殴る蹴るみたいな直接的な暴力の描写がほとんどないことだ。
毎回毎回変身バンクや名乗りをあげるやら、決めポーズや決め台詞のターンばかりが長くて、
「ムーン ティアラ アクション!」で、ティアラ(武器でなく装身具)を投げるっていうか、ほとんど舞踊の型みたいな一連のポーズの動作をとる。
するとキラキラしたエフェクトの画面になって、次の場面では妖魔が砂とか灰になって崩れる。
ティアラが妖魔の体にぶつかってガツーンで血がブシャーでグエー、苦しくて痛そう、みたいな描写が一切ないのだ。
もう少し後の展開になるが、敵が毎回「リフレーッシュ!」と叫んで人間に戻る、というお約束が自分としては非常に印象に残っている。
リフレッシュ、気分を一新するとか、爽やかになる、と言って退場するというのは、どういうことなのか。
火力担当のマーズやジュピターが加わって、火や雷で妖魔の力を削ぐターンもあるけど、
だいたい最後は「今よ!セーラームーン!」でキラキラ~のサラサラ~で終わる。
セーラームーンの技は、基本的に浄化とか癒しに属するものという設定になってる。
「ムーン ヒーリング エスカレーション」とかそんな技もあったな。
癒しで昇華する、みたいな意味だ。
女の子のための変身ヒーローとしてデザインされてるので、そういう感じなんだろうけど、
後継作品のプリキュアとかだと殴る蹴るの肉弾戦要素があったりするらしい。
魔法少女ものでも結構、ファンシーながらも弓や剣などの武器をもってたりしてな。
主人公の属性が浄化と癒しっていうのはやっぱり今でも通用する新しさだと思う。
RPGでいえば僧侶、ヒーラーが主人公なのだ。
普通はパーティーを率いる勇者ってのは剣士や戦士の前衛職だ。
騎士や銃士、魔法使いや召喚士が主人公ってパターンの作品もまあまあ思い当たるけど、
ヒーラー、僧はな~。アンデットにしか攻撃力がないイメージだ。なんかあったっけ・・・?
なんでセーラームーンが戦う力に乏しいのかっていうと、
全編通しての前世っていう設定が重要になってくる。
どのくらいの時空の隔たりがあるのかはわからないが、
かつてシルバーミレニアムという、銀河の星々の王国があったという。
月にも地球にも他の星々にも、人類の祖になった種族が住んでたってのはSF的な設定でもあるね。
そこの女王、クイン セレニティというのがセーラームーンの前世だ。
戦士でなく女王。
戦う職の人じゃなくて、守られる貴人のほうで、斎王、祭祀の王、巫女姫みたいな存在だったわけだ。
であれば確かに、持っているスキルは、なにか宣言するとか宣誓するとか、
古式の型に則った所作で、祓い清め、鎮める儀式をとりおこなう、古来より王の役目とはそういうものだろうなって感じがする。
天皇陛下の公務みたいな感じだ。慰問するとかもそうかな。
毎回毎回「愛と正義のセーラー服美少女戦士」とか名乗りをあげて何々が不届きだから「月に代わっておしおきよ!」でくるくるポーズとってキラキラするのも、なんていうか、一種の、宣誓と祓い清めの型の一環なのだ。使いまわしで作画コストを稼いでいるだけではない。
妖魔たちは、あの名乗りを聞いちゃってる時点でもう浄化の手筈に引き込まれている、ハマってると言える。
「あらわれたな!セーラームーン!」とか言っている場合ではないのだww
さて、そろそろ本題に入ろう。
愛と正義の戦士、という自称なわけだが。
正義の戦士はよくわかるけど、
愛の戦士、っていう言葉には矛盾を感じないだろうか?
キューティーハニーとかも愛の戦士っていう自称だけど。
あえて強調して言ってみれば、
愛するってことは肯定し受け容れることで、
戦うっていうのは否定し排除しようとすることだ。
ベクトルが逆の言葉をくっつけている。
たしかに、愛のために戦わなくてはならないシチュエーションはあるだろう。
でも、相反するふたつのベクトルを同時にもつと、コンフリクト、葛藤がおきる。
愛の戦士として、敵対するものを排除せざるを得ないが、
だからと言って愛の名のもとに人語を解する相手をボッコボコにするのはマズイ。
ほどほどに、あまり痛くも苦しくもないように、自分より強大な敵であっても、相手が撤退する加減で、
・・・そんな複雑微妙なことを考えていては、そっちに処理を割いてしまってパフォーマンスが落ちるのではないか?
ダークキングダムのみなさんの思考はいたってシンプルだ。
シンプルであればあるほど全力投球できる。
ただ支配するためだけに、壊し、奪い、搾取し、嘘を使い、催眠をかけ、なにもかも踏みにじって平気だ。
幹部ジェダイトは部下キュレネに「お前の代わりはいくらでもいる」と言い、
上司クインベリルに「お前の代わりはいくらでもいる」同じことを言われて氷漬けにされる。
同僚とか仲間にしても基本そんなものだ。使い捨てにして憚らない。
自分達は、古今東西の勧善懲悪の物語を見過ぎて、
戦いの中で成長していく主人公たちの活躍を見続けて、
敵にトドメをささない優しい主人公に、敵がほだされるというお約束の展開を見飽きて、
「必ず最後に愛が勝つ」という図式に疑問をもつこともないわけだけど、
でも、勝つとか負けるとか、つまり戦うってこと、
対立し、闘争し、相手を傷つけるっていう行動様式に。戦うというプログラムに親和性が高いのは、
愛の戦士と、悪の組織、本当はどっちなんだろう。
あらためて考えてみると、どうも自分としては、
悪の組織のほうが常に、戦うことにかけては長けていると思うようになった。
好きこそものの上手なれ、だ。
よく使われ、よく手入れされた能力ほど伸びていく。
争うことを好まず平和な日常を愛しているものと、
常日頃から支配のためのプランを練っているもの、
戦いに必要な能力を磨いているのはどちらなのか。
自ずから明らかと書いて自明だ。
戦う限り、悪が勝つ。
それが道理というものだ。
だから、懐かしき前世の王国は、シルバーミレニアムは滅びたのだと思う。
愛と平和を善しとする人々は、戦えば戦うほどにうんざりしてくる。
支配と闘争を好む人々は、戦えば戦うほど、血湧き肉躍ってイキイキして力を増していくんだ。
まぁ少年誌の主人公とかだと、もっと強え奴と戦いてぇ、オラわくわくすっぞっていうバトルマニアタイプもいる。彼らは戦うほど快であり、また強くなる。シンプルだ。
でも愛を第一と謳う戦士はそうじゃないわけだ。
最後に愛が勝つと信じ、仕方なく戦い続けることに適応するのなら、
敵の企みを暴き、悪を倒し続けることに慣れて、戦闘スキルを向上させていくなら、
それはやはり修羅道だ。
平和を求めながら、戦う以外の生き方がわからなくなっていく。
そのメンタルは葛藤し、苦しみは闇堕ちを呼び寄せ、悪の組織の誘惑が近づいてくるだろう。
ダークキングダムの幹部たち、そしてクインベリルは、もとシルバーミレニアムの住民、地球人だ。
「大いなる支配者」という実体があるか怪しい概念のような存在以外は、
ダークキングダムは闇堕ちし、裏切った同胞によって構成された組織だ。
・・・さて、
実はセーラームーンの話っていうか、
これからの世界、アフターコロナとかニューワールドオーダーとか、そんな話をしているつもりだ。
ダークキングダムのような何者かはいるだろう。
三百人委員会かもしれないし、イルミナティかもしれないし、ディープステートかもしれない、ロスチャイルドやロックフェラーやモンサント、ユダヤ資本かもしれない。
クインベリルや幹部の妖魔達のような何者かもいるだろう。
ヤクザかもしれないし、ビルゲイツかもしれないし、大統領や法王かもしれない、首相や政治家かもしれない。
各回ザコ妖魔のような何者かは言うまでもない。
自粛警察とか、買占め転売ヤーとか、ブラック会社の上司とか、毒な親とか、いじめっ子とか、いつでも隣にいる。
それらすべての元締めに「大いなる支配者」のような何者かもあるだろう。
ネガティブ系宇宙人かもしれないし、レプタリアンかもしれないし、
もっと実体のないもの、なにか人類や宇宙の進化の方向とは逆の指向性とか、
恐怖そのもの、コントロールを外れた自分たちの心の一部かもしれない。
ああ、なんということでしょう。
そんなものを相手に、変身アイテムも必殺技のひとつもない一個人にできることがあるの?
ある。そこが実感として掴めないうちは、そういう情報を知るにはまだ早いんだな。
悪を暴くことを常態にすると、ネガティブな感情に飲み込まれて、闇堕ちして、王国が滅びに近づく。
昇級試験に、アセンションに失敗する。
生まれ変わって、やり直して、今もう一度のチャンスを生きていると知ったなら、
もう戦ってはいけない。
善と悪の二項対立、それ自体を越えていかなくては。
自分の外に悪があると思うから、他者に非があると思うから、その乖離を利用されてしまう。
その悪、その非は、自分の内にあるものだ。
外にある悪や非は、自分のなかにあるものの影、投影だ。
「大いなる支配者」の姿は、実はとても小さい。
自分達が野放しにしている心の一部を纏って、巨大に見せているだけだ。
ダークキングダムが巨大な悪の組織にみえて、実はそのほとんどがマインドコントロールされた地球由来の人間種だったのと同じだ。
各々が、操られたり流されたりすることなく、自分の心を完全性に近づけていれば、
「支配者」は自分を大きく見せることができない。手駒をもつこともできない。
等身大の悪事しかできない。それくらいは多様性の範疇に許容できるものだ。
プロモーションに惑わされて浮かれ、エナジーを吸い上げられる愚かな人間どもであることを、やめる。催眠誘導から目醒める。
恐れを、葛藤を手放す。
己の至福を追求する。
自分の好きなこと得意なことで各々の道を究めていく。
それだけでいい。それが本質的解決だ。
まず、自分で自分を救う。
それから他者と繋がっていくなら、もっと素晴らしいんだ。
・・・・・・、
まあ、ハウルの動く城で書いたのとほぼ一緒の解釈をセーラムーンでやっただけではあるけど、このご時勢だからな。
もう一回同じこと書いても、違って聞こえるかと思って。
ソフィは「戦ってはだめ」って言って、ハウルの深層意識へ降りていく。
欲の権化、荒れ地の魔女を心から抱きしめる。それで魔女は執着を手放してくれる。
サリマンは支配が及ばなければ「しょうがないわね」と言って、戦争をやめるんだ。
そういうことなんだよ。
いつでも、今も、真に知るべきことは、心と、愛と、ほんとうのさいわいがなにかってこと、それだけだ。
「月の光は、愛のメッセージ」
セーラームーンは、そういう次回予告だったっけな。
愛の戦士も必要な段階には違いない。
でも愛の使者とか、愛の体現者というのなら、そこに葛藤はないのでもっとよろしいと思うわけだ。
セーラームーン無料視聴はミュトスさんからのおススメでした。いつもありがと!
http://itest.5ch.net/test/read.cgi/comicnews/1566495487/l50
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今週のお題「会いたい人」