ものがたりを解釈する

アニメ、漫画、小説、神話、あらゆるものが語りかけてくること。最も深遠な、でも誰にでも開かれている秘密に、解釈というメソッドで触れていく。

セーラームーンを解釈する。目を逸らすから恐れは怪物になる。

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いやー、懐かしかったし、今になってまとめて見るから解ることも多かった。

古いアニメの文法も、色褪せないセンスも入り混じっていて面白かった。

水彩の背景の美麗さや、バンクシーンの様式美は今でも何度でも見れるクオリティだ。

 

せっかく見たから、最後に総括としてもう少し書いておこう。

 

ダークキングダム編、魔界樹編、ブラックムーン編、デスバスターズ編と、

敵対組織ごとに区切って考えるんだけど、

やっぱりアニメオリジナルの魔界樹編だけ毛色が違うのでちょっと置いておく。

 

で、ダークキングダム編、ブラックムーン編、デスバスターズ編は、オチの構造がほぼ一緒だった。

 

クインベリル、ワイズマン、ミストレスナインは、巫女や占い師としてデザインされている。

水晶玉で占う仕草が定番だったり、

ミストレスナインはぬいぐるみに囲まれて座ってるけど、依り代、操り人形っていう意味なのかな。

 

彼らはそれぞれ、

クインメタリア、デスファントム、マスターファラオナインティという、

正体不明の闇のような存在に仕える従者であり、それらを地球に呼び出すことを目的にしている。

 

巫女や祭祀や斎王が仕え、現世と繋げようとするもの、それはいわゆる神様ってことになるだろう。

ひとくちに神様って言っても性格やレベルがある。唯一絶対の創造神や、自然神、鎮護国家の守護神、土地神、産土神、英霊、式神、精霊。

愛そのものの神様も、人格神ではない神様も、荒ぶる神様も、契約を重んじ嫉妬する神様もいる。

神、かみ、上、つまり上位存在ってだけで、みーんなカミサマって呼んじゃうんだな。それが日本語だ。文脈によってどうとでもなり、定義と言えるような語ではないw

 

で、まあ、いわば邪神って感じなんだろうけど、

クインメタリア、デスファントム、ファラオナインティがどんな神なのか性質を観察しようとしても、その描写はほとんどないに等しい。

姿形が描かれず、そのお告げが聞こえるのはクインベリル達のような巫覡だけだ。

その名すら、本編では終盤まで伏せられがちで「我が大いなる支配者」とか言い換えている。

 

名前を呼んではいけないあの人とか、みだりに主の名を唱えてはならない、とかいうのは実に普遍的な発想だ。

名を呼ぶことは使役や存在の掌握に通じるので、上位者は下位存在に名を呼ばれるのを嫌う。

誰だって、目下にいきなり呼び捨てにされたらイラッとするだろうけど、そういう気持ちと基本的には同じかな。

 

セーラームーン達は、ラスボスであるクインメタリア、デスファントム、ファラオナインティに対峙することのないまま、

正体を明らかにし見極めることのないまま、退ける。

 

物語のクライマックスになるのは、

エンディミオン、ブラックレディ、ミストレスナインに憑依されたほたる、

洗脳されて、自分を見失った人に、セーラームーンがひたすら寄り添うことで彼らが自分自身を取り戻すっていう、そういう展開だ。

 

セーラムーンの「あなたと戦いたくないの。私が傍にいる。信じて。目を覚まして。」っていう想いが彼らと通じ合うところが主題で、

 

ラスボスを退けるのは、消化試合って感じだ。

クインベリルはまだ嫉妬と絶望の吐露があったけど、

ワイズマンもミストレスナインも崇拝以外の動機を語らないので、同情とか共感の余地がなかったりする。

まあその辺の魅力はプリンスデマンドと教授で分担してるんだろうけど。

 

武力を高めて勝利することよりも、捨て身の献身が結果として事態を好転させるっていうのが、

女性主人公ならではの解決って感じで、そこは未だにヒーローものとして斬新だと思うし、面白かった。

追い詰められた土壇場で、

少年誌だったら敵との切磋琢磨で新しい能力が開花して逆転ってのが王道だけど。

セーラームーンはどんなピンチの時も捨て身の献身、常にその一択だ。

 

セーラームーンは、戦士というよりプリンセスなんだな。

 

しかし、何度敵を退けても、何度地球を救っても、

次の週には新シリーズが始まって、また新たな敵が現れてしまう展開に、ちょっとツライものを感じた。

週に10話を連続で詰め込んで見たせいも勿論あるけどw

 

なんで何度退けても、また敵が現れるのか。

なんで、繰り返しまた同じ問題が起こるのか、と言ってもいい。

 

ちょっと長く生きてると、そういう事って実はよくある話だと分かってくる。

何度もおんなじよーなダメ男にひっかかる女とか、

どんな仕事をしても同じようなことでモメて仕事が続かない人とか、

何度よせと言っても毒親の元に戻ってしまう搾取子とか。

どんな人を雇っても、育てきれなくて離職率が異常な経営者とか。

 

人生において何度も何度も、似たようなパターンに遭遇する人がいる。

それは、その人自身の内面の問題の顕在化なんだよな。

その人の心にある痛みや恐れが、何度でも同じ状況を引き寄せる。

 

繰り返し引き寄せる問題は、そのスパンが短くなり、内容もエスカレートしがちだ。

 

最初の問題が表面化するのには数年かかっても、次のときには数ヶ月になったりする。

 

なんでなんだろうね?

そういうものだとしか言えない。

 

目を逸らせば逸らすほど、野放しの恐怖は力をつけて膨れ上がり、より厄介な怪物になっていく。

そういう比喩で理解するしかない。

 

セーラームーンの敵対存在が、どんどん力を増していくのもそういうことの比喩なんでないのかな。

クインメタリアを退けても、もっと強いデスファントムになって戻ってくる。

デスファントムを退けても、もっと強いファラオナインティになって戻ってくる。

 

いつかは、目を背けているものに向き合わなくてはならない。

でなければ、圧し潰されてしまうだろう。

 

その正体を見極め、明らかにして受け容れる。それ以外には、ない。

 

セーラームーンでいうと、その次の敵、デッドムーンサーカス編のテーマは、

夢、鏡、だ。

 

そしてクインメタリアのような、今まで謎のままだった最後のボスはネヘレニア、

クインセレニティと対を為す、もう一人の月の女王ということになるらしい。

 

夢や鏡を通じてみる、隠されていた自分自身。

それが根源的な恐怖で覆われてた、問題の正体だ。

 

繰り返し甦る闇の怪物は、戦い続けてたのは、自分が生み出したもう一人の自分、影、シャドー。

 

いつでもそうなんだよな。

自分の住む小さな世界を守りたくて、決して見ないようにしていたもの。

恐ろしくて恐ろしくて堪らなくて、

その姿を見るくらいなら目を潰し、

その名を聞くくらいなら耳を潰し、

それを認識するくらいなら狂ってしまいたいほど、恐れていたもの。

 

それは、明らかにしてみれば、切り離していた自分自身の心の一部に過ぎない。

 

トラウマとか、コンプレックスとか、見捨てられる不安とか、親の言葉とか、身近な人の死、幼いころの心の傷。恐怖。

 

大人になった今の心で向き合うなら、ごく些細な、よくある思い込みと呼べるもの。

ああなんだ、そんなことで苦しんでいたのか、と言えるようなこと。

それを怪物に育ててしまった長い年月があるだけだ。

 

名伏し難い怪物と思っていたもの、恐るべき神の名を白日のもとにし、

恐怖を越えて、切り離していた心を統合するとき、

完全性が成った瞬間の幸福を感じることができる。

自分を愛するってどういうことか解る。次の段階へ進める。

 

 

 

・・・、ま。そんなことを思ったけど、

更に続けてデッドムーンサーカス編を視聴する気力はないかもww

サーカスっぽい演出はすっごく好みだから、今までの内容を忘れないうちに見たくはある。

 

 

あと、やっぱり魔界樹編が想い出補正もあって一番好きだったな~。

エイルの笛の旋律とかすごい覚えてたわ。印象的でいい。

 

https://youtu.be/i3JvYDV9HbQ 11:00からお馴染みの絵面とBGM。

 

エイルとアンは、なんの裏も含みも無くて楽しく見られるんだよな~。

 

人間を襲う動機に複雑なものがない。

腹が減ったからそこにあるものを食うという、単純で明快な真理があるだけだww

 

腹が減ってる時は危険だが、満腹すれば襲ってこないだろう相手とは、

話し合いの余地、関係性を構築する余地がある。

大型犬や肉食獣、捕食者になり得る者ともある種の緊張を保ちつつ、仲良くなれることがある。

エイルとアンは友達になりたい感じがするんだよな。嫉妬漫才のノリが懐かしくて微笑ましいし。

 

人間のエナジーを捕食するエイルとアンは、人間よりも上位の種族ってことになるんだろう。

実際、たった二人と木が一本で生態系が完結してて装備もなしに宇宙空間を旅できるとか、

生命体、知性体として相当にレベル高い。神かよ。

 

ラストバトルでも、セーラー戦士たちが束になっても、たったの一撃も入れられなかった強キャラ感も良かった。

 

ただ、エイルとアンは種としてのポテンシャルが高くても、精神的に幼いんだよな。

誰にも教育されることなく育ってしまった事情がある。

それで人間の学校にも通ってみたのかと思うと、そういう素直な好奇心や向学心を備えていること自体がやっぱりレベル高い。

 

学生生活のなかで、セーラー戦士たちとの関りのなかで、愛とはなにかを理解するにつれ、

魔界樹との交信もできるようになっていく。

 

魔界樹っていうか、世界樹みたいな存在なんだろうな。

扶桑とかユグドラシルとか、一本で生態系のすべてを内包している、世界そのものの象徴としての樹木だ。水彩の絵もスゲー妖しくて美しい。

 

テレパシーというのは高次元の能力だ。

エゴを越えられない三次元付近の意識で使うと、深刻な精神汚染になるので目覚めないほうがいい力だ。

 

資源を奪い合うとか、

そもそも相手と自分が隔たっている、相手を手に入れるとか所有するとか「愛とは奪うもの」という意識の次元では、

魔界樹のテレパシーを受信できず、

 

相手と自分という二項対立を越えて、自他に境はないと悟る、梵我一如とか、無償の愛を理解できると、

意識は五次元あたりなので、魔界樹のテレパシーを受信できるようになり、

 

そうすると、魔界樹の蓄えた知を共有して、知性体として一気に成長する。

 

エナジーを採取する必要、食事の必要もなくなり、ただ愛だけをエネルギー源として生きていけるようになる。

 

そう、愛っていうのは抽象的な感情とかじゃなくて、

無限から有限にエネルギーを引き出す感覚そのものなんだよな。本質的には。

存在してるってことと、愛を感じてるってことは、どっちもレトリックでありイコールだ。

愛だけで肉体を維持することも、エイルとアンほど進んだ存在なら可能かもしんない。

精神体というなら、もっと容易だ。

 

それで地球にも人間にも用がなくなって去る、という最終話の流れも完璧過ぎて。

 

いや~、物心つくかつかないか、みたいな時期にこのアニメ見てて良かったな。

意味はわからなくても、どこか心に残るっていうか。

 

いや、むしろ「この世界は物質である」という強固な思い込みに同意する前の、

ごく幼いころのほうが、意味は解っていたかもしれない。


世界樹、世界そのものと同期することで、自分が何者であるかを知る。全ての始まりと終わりを知る。

それが科学的追求だけでは及ばない、本当の智慧への至り方というものだ。

 

 

 

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 世界樹のウィキ

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追記。 

自分自身の恐怖をまっすぐ見ようとすると危ないので、

変わりたいと願う時は、しかるべき瞑想法を以てするべし。

自分を俯瞰すること、自分を大きくすること、自分を空にすること、

そういうふうにエゴをクリアにしてから見ると、恐怖を迂回して問題の根をみることができるよ!

 

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