ものがたりを解釈する

アニメ、漫画、小説、神話、あらゆるものが語りかけてくること。最も深遠な、でも誰にでも開かれている秘密に、解釈というメソッドで触れていく。

宝石の国100話感想 太陽系の終わりまで

宝石の国(12) 特装版 (アフタヌーンコミックス)

表紙にもタンポポ咲いてるなあ。

1話から要所でふわふわしてた綿毛、あれが開花したということは・・・?

 

宝石の国、100話100時間無料きてるぞ~のりこめー^^

 

宝石の国 - 市川春子 / 第百話 調和 | コミックDAYS

3月1日(水)午前4時まで。

 

 

連載再開の96話はまだ「読む地獄」とまで言わしめる鬱展開が全盛だったが、

 

今回の100話では、

やっとフォスが気がつくべきことに気がついて、

心情や成長といった面ではひとつ決着がついた感があるので、

今から読む人にもおすすめできる区切りだと思う。自分的には。

 

この先の内容は既読者を想定して、全ネタバレ含むとする。

 

 

 

 

 

 

100話。

 

っていうか、「宝石の国」終わって「岩石の国」が始まってるんだけど・・・?

 

っていうか、「遠ざかりながら終わりの光を放つ白色矮星」って太陽のこと・・・?

 

宇宙が終焉を迎える時に唯一残される天体「白色矮星」および「黒色矮星」とは? - GIGAZINE

 

太陽の寿命は約100億年とされ、今は50億年過ぎてるくらいで、

弥勒菩薩があらわれるまでの時は56億七千万年後ということだったから、

 

まあ、太陽が白色矮星になっててもおかしくはないくらいの時間が経ったということも・・・、

 

あ、でもまだ四季や朝夜が巡ってるから違うのか?

虫や植物もまだ生育できる環境みたいだし、太陽は恒星として健在ぽいか。

 

ただまあ、300歳の生や3000歳の寿命や10000年の孤独を相対化できるほどの時間のスケールをうちだしてきたなーって感じではある。

 

一万年の独り反省会強要は酷いと思ったけど、

それもどーでもよくなるくらいの永い時間感覚の生命体になってんなあ、みたいな。

百年も一瞬も変わりませんけど?みたいな。

 

界隈の予想では108話、仏教でいう煩悩の数の話数で完結するのではとされるが、

このノリで後8話もナニをするのか全く見当もつかない。素晴らしい。ブッ飛んでる。

天才のソレをリアルタイムで読める世代で幸福だ。

 

 

 

96話までの感想記事。

inspiration.hateblo.jp

 

以前予想した博物誌を書くという展開ではなかったけど、

フォスは自分の問題に気がつくことができた。

 

フォスには「みんなに愛されたい」という願い、承認欲求があったわけだけど。

 

金剛先生は壊れながらも揺るぎなくフォスに愛情を示していたのに、フォスがそれに満足することは無かった。

宝石達はみんな善い子で、アンタークもパパラチアもアメシストもジェードも、

手のかかる末っ子としてそのままのフォスに信愛をもって接してくれたのに、

フォスがそれに満足することは無かった。

 

問題は周囲ではなくて、フォスの方にあったのだ。

穴の空いた器にいくら水を注いでも満たされることが無いように、

いくら愛情を注いでも、まずフォスが自分自身を愛していないことにはその渇きは癒えない。

 

あるがままの自分を愛してなくて、自信がなくて、

だから特別になろう変わろうとした。

 

変わりたいと望みながら、

目の前の自分の仕事をして自分に向き合うことはせず、

先生の秘密を探ることや先生に自分の望みを叶えさせることに躍起になった。

 

自分の心を変えようとせず、他人を変えようとし続けた。

他者に与えられる完璧な愛という幻想を追い、

自力でなく、他力に縋り続けたわけだ。

 

誰もがヤベーどーすんだコイツと思ったまま突っ走り続け、

95話でフォスは金剛を破壊し、

そして金剛の後継となった。

 

あ~、これはあれだねー。

 

支配者を打倒すると、支配を軸に関係性が逆転するっていう。

進撃でもハウルでも紹介した、よく見る神話的元型。父子の物語。

 

人の心理的発達の段階として、

まず親や庇護者に守られ導かれることを受容している段階がある。

幼児期、親は子にとって神に等しい世界の全てだ。幼い子は無条件に親を愛し、愛されようとする。

全寮制学園(ギムナジウム)もののような雰囲気の宝石の国では、

十代の少年少女の姿である宝石達は唯一の先生を全面的に愛し信じている。

 

ギムナジウム (ぎむなじうむ)とは【ピクシブ百科事典】

 

しかしいずれ成長と自立のための反抗期がくる。

フォスだけがその段階を迎え、先生のやり方に疑問をもち反抗する。

 

反抗期は誰にでもくる。

 

親に愛されてるかを試し、親が従うに値するかを試し、親に自分の力を示そうとする。

 

反抗の段階、対峙の段階、対決の段階があり、

 

リアルでは多くの場合、通過儀礼としての精神的親殺しを経て、子は自立を獲得するわけだが。

 

まあ、物語上では子が親を弑するという描写もよくある。

 

勇者が王様の導きで冒険の旅に出て、仲間を得て成長し、そして魔王を倒す。

そんな類型だ。

 

王様は表の顔、魔王は裏の顔、それは親の庇護と支配の両面性の表現であり。

 

そして、多くの物語では頁の外のことだけれど、

魔王を倒して凱旋した勇者は王ともなり、いずれ魔王ともなる。なるしかない。

 

 

家長である父親を打倒した息子は、それまで父親が率いていた共同体に責任が発生し、新しい方針を示すリーダーであることを求められるのだ。

 

唯一の先生を打倒したフォスは、その玉座に今度は自分が坐すことになる。

 

壊れていた先生が果たせなかったこと、求められていたことを、フォスが代わりに叶えてやることになる。

 

という流れは、心情の地獄さはともかくとして、物語の構成としては納得いくものだった。

 

 

金剛先生を壊した時のフォスは、七宝すべてを取り込んで先生と変わらない体格まで大きくなり、幼かった顔も青年のそれとなり、

 

まあ、言ったら、エクメアと金剛、閻魔と地蔵菩薩、そしてフォスこと弥勒菩薩がだいたい同じ顔だと描かれていて、

魔王と王様と次代の王、月の王と、宝石の王と、三族の王。

同位の存在、皆がひれ伏し加護を乞う共同体の頂点と描かれているようではある。

 

ただ、支配者を打倒すると自分が支配者に成る、悪政を革命した指導者がそのまま国を導く、というのはループであって解決ではない。

 

権力は必ず腐敗し、息子はかつて倒した父によく似た存在となり、次代の勇者、己の子に糾弾されるを繰り返す交代劇に過ぎない。

 

ところが。

100話で、そのループ、いくつもの負の連鎖を断ち切った場面があった。

 

地上でただひとり永い時を過ごすフォスは、かつての金剛と同じ悲しみを負った姿なわけだが、

 

機械であった金剛が、最初の宝石レッドダイヤモンドに出会ったように。

七宝の宝石フォスは、最初の岩石生命体に出会う。

 

金剛はレッドダイヤの身体を自分に近いものに整え、名を与え、言語や教育を施した。

フォスもそうしようと岩石に「動ける身体に、ものが見えるようにしてあげましょう」と語りかけるが、

 

岩石生命体はそれを断る。

いや大丈夫、ひとつも不満はないよ、僕は自分がこれでいいと自信があるよ」と発する。

 

んあー!それ!

 

金剛にもフォスにも足りなかったのはー!それ!

 

なにこの石ころったら、顔も名前も無いのに推せる!スゲー偉大!いいやつ!

 

そう、金剛はね。人間の語彙や文化を教えちゃったから。

人間の残滓に含まれた毒で宝石はメンタル病みがちになったよね。

服も白粉も剣も学校も、本来宝石の生態には必要なかったのに。

愛する者に間違った教育を与えた、その過ちが金剛を苦しめ続けた。

 

まずフォスは金剛と違って、取り込んだ構成物と話せる特技あっから。

何遍も割れてどっかで石くらい巻き込んだかもしんないし、

石ころの言いたいこともなんとく解るからね!

 

フォスは石ころの体をいじらず、

「あなたに聞かせるべきことを何ももっていません」と言った。

沈黙し、人の業、負の連鎖を断つことを選んだ。

人と石の橋渡しをしなかった、と言うなら、博士の「橋を燃やして」を実行したのか。

 

そして、語るかわりに、石ころの歌を聞くことにしたのだ。

 

きっと金剛もそうすべきだった。

干渉し、指導者として振る舞うのではなく、

優しくて純粋な宝石達が、彼ら自身がなにを始めるのか、ただそっと見守っていれば、こんなことには・・・!

 

いやまあ、月人がうるせーし、愛の装甲とかいう魅了機能がジャマだから、無理だったか。

 

三族の遺恨を更地にしたフォスが過ちを繰り返さなかっただけで御の字。

 

そして「自分がこれでいいと自信があるよ」っていう、ナチュラルな自分への肯定。

自らの内にあったと気づく愛は、渾々と湧く源泉であり無限へのポータル。

それが他力本願の先、自力救済の本質。

それが、ずっとフォスに足りなかったものだ。

 

不器用で脆かったフォスフォフィライトは、ずっと自分を変え続け、強くなり続け、知ることを求め続け、しかし決して満たされることは無かった。

 

なのに動けもしないし見えもしない、

なんなら初期フォスよりずっと何もできない石ころが、

あるがままの自分を愛し、世界と響き合って歌って、ただ満ち足りているっていう。

 

 

 

嗚呼。

 

 

そうだね・・・。

宝石の国には、フォスよりダメな子っていなかったもんね・・・。

美形有能しかいないもんね・・・。

だから、自分を愛するためには、誰かより何かで優れていなくてはと思ってしまったら、その間違いに気がつける見本が無いかもね・・・。

 

もうそうなったら虫とか花とか、

それこそ、石ころから学ぶしかないってことだったのか~。

 

まあ、確かにいつでも気がつけた。

花も虫も石も、空も雲も海も風も、いつでもそこに在ったのだから。

 

ただ、見えなかったのだ。

先生と、二十余名の仲間と、アドミラビリスと月人と、

同じ形で言葉を交わせる関係性の狭い世界しか、見えていなかった。

 

そういうことって、ほんっとによくある。

誰もがハマる罠であり、多くの人が苦しみもがき、いつか越えてゆくことの、普遍性の物語。

 

99話「始まり」100話「調和」、スゲーいい話だったな。

 

98話めまでの地獄の読み心地がかなり救済された。

 

もうエクメアの冷酷も月人の他力本願もカンゴームの塩対応も自分的にはだいたい許せたわ~。

 

えっ。ここから8話もマジで何すんの・・・??

 

石ころとたすたすとぱたぱたで岩石の国・・・?

七宝の俺が転生したら石だった件…?

 

いや、あと気になるのは

ユーク「フォスのために何かできることは無いの?」

金剛&閻魔「ある」かなあ。

 

一万年、ただパーチーして救済のときを待ってただけじゃなくて、

フォスのためになんかしてくれてたのかは気になる。

 

月に行ってみたら皆からの伝言があったりしたら嬉しいかもしれない。

月の裏側なら地球から見えないから、まだ気がついてないのかも。

 

シンシャ「練習のための小さなパーティーのための花飾り。」

本番の大きなパーティーとは何の催しだったのか。

フォス慰労会謝恩会の可能性もワンチャンねえかな。

シンシャの花飾りは、月に残ってないだろうか。

 

アンタークからフォスにも、こう・・・なにか一言でもいいから欲しい・・・。

シンシャはみんな解ってて「ありがとう」まで言ってたから、まあ諦めもつくけど、

アンタークとフォスがあの雪原での別れのままでは心に刺さった棘過ぎる。

 

個人的にはエクメアの土下座像でもつくっておいて欲しいね!

多数のために少数を犠牲にするのは為政者として正義なのはわかるが、それは正解でも本質的解決でもない。

フォスひとりにぜーんぶおしつけて自分は嫁とイチャコラしよってからにやはり許すまじ。

 

あと、アユム博士の「渡ったら橋を燃やして」の顔がホラー過ぎて、なんか他にも不穏な意味あるかもな気がしてりゅ。

 

アユム博士が口づけた、フォスの額もなんかこう、

円が欠けたようなフォルムなのが意味深だ。

 

なにか呪いというか、円満でない欠けたものがまだあるのではないかと想起させる。

 

ってか、ほんとにあと8話あるかどうかも噂に過ぎないけど。

 

この結末なら、あの3Dの制作オレンジでアニメ化されたら喜んで観ます。オナシャス!

こうなると黒澤ともよがどんだけ声を低くしていけるかも重要だな・・・。

男性声優・・・いやそれはない・・・、田村睦心村瀬歩くらいにしておくべきだったか・・・。

エフェクトで低めに加工するとかかなぁ。割れて痛ましい姿には意外と合うかも。

 


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この図説、SF設定集としてほんと面白い。

 

 

 

 

 

 

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