ものがたりを解釈する

アニメ、漫画、小説、神話、あらゆるものが語りかけてくること。最も深遠な、でも誰にでも開かれている秘密に、解釈というメソッドで触れていく。

崖の上のポニョを解釈する1 人魚姫、次元の上昇。

崖の上のポニョ [DVD]

海獣の子供の次にポニョの話とかタイムリーだなー。色々似てる。

 

まずは、元ネタにアンデルセンの人魚姫があること。

ポニョのタイトル候補に金魚姫、というのがあったのは割と有名な話だ。

 

人魚姫は王子に恋をして、人の足を得て、陸へ上がってくる。

足と引き換えに声が出なくなった人魚姫を、王子が助けてくれた娘と気が付いて愛してくれれば・・・というやつだ。

 

人間に化けて、波の上を走ってそうすけに会いに来たポニョが、

そうすけに駆け寄って抱きついて頬ずりして、でも一言も喋らないのは人魚姫のオマージュだ。

そうすけがポニョを見つめて、「・・・ポニョ?」と気が付くから、

そこではじめてポニョは「うん!」と口をきくことができる。

童話の鈍感系王子と違い、そうすけは有能ムーブを決めまくるのよな。スパダリ5歳児っすわ。

妹たちが金色の夕日のなかでお祝いしてくれるのは、人魚姫の悲恋が成就したからだ。

人魚姫のラストシーンは金色の朝日とともに泡、空気の精になるところだ。

 

まあ、アンデルセンの人魚姫は悲恋だからこそ不朽の名作なのであって、安易にハッピーエンドにしてしまうのはどうなの?とも思うけども。

 

もう、そういう悲しみとか不理解とかすれ違いの時代そのものが、

世界そのものが変わるんだよ、という壮大な変革、いや上昇の物語なんだよな、これ。

 

カタい頭を柔らかくして観ていかないとわからない。

カッッッタイ頭のウチのオヤジは「この子供はなんで母親を呼び捨てにするんだ、けしからん。」と、そんなところでつまづいて、さっぱり物語の意味もわからないようだった。お気の毒様だ。

 

確かに、そうすけは父母をリサ、耕一、と名前で呼ぶね。

なんでかっていうと、物語の主人公ってのは親に頼ってちゃ冒険ができないからだ。

困ったことが起きたら、自分の知恵と力でなんとかする。自立した存在でないと物語のなかでイニシアチブをもって行動できない。

パパママ~どうしよう助けて~、と泣いちゃうような子は主人公には向かないw

宮崎駿作品に限らず、物語の主人公の少年少女は親と縁が薄いことが多い。

五歳のそうすけに保護者がいない設定には無理があるから、リサと耕一がいるけど、

そうすけはすでに精神的に自立している。リサもそれを認めてるし、そうすけがリサを慰める場面すらあるw

 

子どもの方が、親よりも精神的に大人ってことは、割と良くあるし。

今後そういうケースは増えていく、はずだ。

儒教的な古い常識を外して、5歳の子どもになった気持ちで見るのが楽しむコツだと思う。

 

 

そういえば、そうすけの「死んじゃったかなあ」というセリフが2回もあるのは、

ハウルの動く城マルクルのセリフと一緒だ。マルクルもそれを2回言う。

 

ポニョとハウルで、なにか繋がりがありそうだな~っていうのは、

車椅子の老婦人、が登場するところだ。サリマンとひまわりのおばあちゃん達。

特に赤い車椅子に赤いひざ掛けのヨシエさんとかだ。

サリマンの服も真っ赤だったけど、宮崎駿ワールドでは、赤とか赤毛ってのは魔女の色だ。意味もなく使うってことはない。

赤を身に付けた老女たちだから、バケツの中にいるものの色を赤だと当てられたし、

終盤で車椅子を乗り捨てて、駆けっこしたりして、不自由だった足が治っているのは、サリマンへの救済だと見ていいと思う。

 

ポニョは、お魚、半魚人(というかカエルの顔に見える)、人間と3つの姿を行きつ戻りつするけど、

いわゆる進化論的に言うと、魚類(水棲)、両生類(水陸両用)、哺乳類(陸棲)
海で発生した生命は、様々な能力を獲得して複雑化しながら上陸し、繁栄していく。

魚、蛙、哺乳類ってのはざっくりと生物の進化の過程でもある。

 

そして人間も受精卵からの発生の段階でその過程をたどりながら成長するって話もあるね。
胎児の手には水掻きがついてる、とかそんな話を聞いたことがあるはず。

 

・・・昔、手塚治虫メルモちゃんていうアニメがあって、
若返るキャンディーと年を取るキャンディーを同時に飲むことで、
受精卵までさかのぼって若返り、そこから育って魚とか猫とか別の動物へ変身するってのがあって、
そこは子ども心に強烈に覚えてるなあ。


変身するだけ、姿を装うだけなら、魔法ですぐなんだけど、眠るとか何かあるとその魔法は解けてしまう。一時の変装みたいなものだ。

お魚がほんとうに人間に生まれ変わる、特別な魔法にはそれなりの手順というものが必要だと描かれる。

 

ポニョとそうすけはリサを探しながら、暗くて狭いトンネルをくぐる。宮崎駿お得意の舞台装置だ。
トンネルを進むと、ポニョの人間の姿は半魚人、お魚へとぐんぐん戻っていく。
進化の道筋を逆にたどる、つまり胎内回帰だ。産道を逆に通っている。
そして受精卵、胎児からあらためて人間へと生まれ直すっていうかね。

 

ポニョとそうすけが船旅の途中で、夫婦と赤ちゃんに出会うのも手順のひとつだ。
お魚から、五歳の女の子に生まれるポニョには、授乳とか抱っことか父母に世話されて育つとか、人間の乳児としての体験に欠ける。そのフォローの場面だと思われる。
お魚のポニョは姉妹の数からしても卵生って感じだからな。赤ちゃんがおっぱいを飲んで育つことを知らなかった。

 

フジモトは、人間になる魔法は失敗すれば、ポニョは泡になってしまうと言う。
それは恋が叶わなければ泡になる人魚姫の話でもあるけど、
その後グランマンマーレが言う「あら、わたし達はもともと泡から生まれたのよ」
っていうこれは、ヴィーナスの誕生パンスペルミア説だな~と思う。
人工衛星が流れ星になって落ちまくる場面でそれを言ってるしな。

 

パンスペルミア説、君の名は海獣の子供でお馴染み、生命の起源は海に落ちた隕石に含まれていた有機物にあるというもの。
ヴィーナスの誕生は、それと象徴的にとても良く似た神話だ。ボッティチェリの絵で有名なアレ。
天父神ウラヌスのナニが海母神ポントスに落ちた泡から美の女神が生まれた。
ヴィーナスは元はギリシャ語でアフロディーテ、アプロス、泡という意味だ。

泡の女神、太古の海の女神、グランマンマーレもそうだし、怪獣の子供の女神の姿をもつクジラもそうだ。

 

さて・・・。

この先ポニョを解釈しようと思ったら、どーしても、あるスピリチュアルな世界観を引用しないといけない。

ま、信じる信じないは置いといて、物語の下敷きになっているある設定として理解したらいいと思う。

 

それを説明するサイトや本は色々あるけど、ネットで無料で読み物としても面白いのが、アルさんの話だ。

おうまがタイムス

アルヴィースの歌

 

自分は、数年前マジでかなり思い詰めてて病んでた。リアルに病気もしてた。

その時、なんでかめっちゃこの人のフィーリングに癒されて、何度もこの記事を読んだし、

もっと言うとこの人に貰ったものをいつか返したいと思ってたのもあって、ハウルの解説スレを立てて、スピ話も始めた。

 

まあ、ポニョの話の元ネタになっているキーワードは

次元上昇・アセンション・意識の次元

スターシード・インディゴチルドレン・レインボーチルドレン

とかかな。 

 

ポニョに要るところだけ、適当に引用すると、えーと。

 

今現在、地球は三次元の物質現実の星である。

でもそろそろ、地球は四次元だか五次元へと移行する。それは星のライフサイクルなので確定事項だ。

すべてのものと同じように星もまた生・旺・死のサイクルのなかにある。

そこに住んでる現行人類の、意識の次元も三次元から四次元へ上昇移行しないと、

まあ多分緩やかに滅ぶだろう。星のエネルギーと同調してる生物が繁栄するものだから。

で、三次元の意識ってどんなもんかってーと「自分を愛することを知る」これが課題の段階。

四次元の意識は「他者を愛することを知る」が課題の段階。

 

 これは割と、ヴァイアナ・スタイバルの本の、存在の層の概念とも一致する。

一層、一次元、は無機物、水、石、テーマは「存在しているということを知る。」

 二層、二次元、は有機物、植物、単純な生物。テーマは「個としての意思があるということを知る」

三層、三次元、で中枢や脳のある動物、テーマは「自分を愛することを知る」

四層、四次元、で精神、見えないエネルギーを扱える。テーマは「他者を愛することを知る」

五層、五次元、で神聖存在、テーマは多分「自他は同一ということを知る」とかじゃないかなー。

 

で、

この星の次元が上昇移行するのに合わせて、

人類の意識も上昇移行できるか、次なる存在へ進化できるか、っていうテスト、試練みたいなものがあるらしい。

 

これから、いや既に。この星にとても上位の次元の存在が、人の姿で生まれてくる。

彼らはクリスタルチルドレンとか、レインボーチルドレンとか呼ばれる。

高い能力、繊細で優しい心をもって生まれてくる彼らが、心を閉ざさずに育つことができるか、っていうのが、そのテストの内容なんだってさ。

 

つまり、そうすけがクリスタルチルドレンで、ポニョが人類で、試練を監督するのがグランマンマーレなわけだ。

リサは、インディゴチルドレン。繊細な子どもを守り育てる能力をもって生まれた戦士の役割だという。

リサは藍色と白の服を着てて、それは海の物語に相応しいマリンカラーでもあるけど、藍はインディゴでもある。

活発を通り越した勇ましい性格をしてるのも戦士と言われれば納得。

 

リサは、そうすけのような子を良く育ててる。

リサは抜かりなくそうすけを車に入れてから、

不審者のフジモトの前に立ちはだかり、気合を入れて睨む。警告する。

普通に考えて大変危ない対応だ。ああいう状況ではスルーか通報が望ましいと思う。

で、リサ「なーによあのブキミ男!なーんて言っちゃだめよそうすけ、人は見た目じゃないんだからね」

そうすけ「僕、言わないよ。」

うん、そうすけは言わないだろうねw

クリスタルには戦うという発想がまるで無い。

優しいオープンハートでもあり危うい無防備でもある人種なのだ。

 

で、そうすけ「波の上に女の子がいる!」で、リサは車を停めてちゃんと辺りを確認する。

子どもの言葉をほんとーにちゃんと聞く親なんだな。普通ならそんなわけないでしょ!で一蹴して先を急ぐ状況だと思うw

 

あと、耕一が不在なので、リサは父親も兼任している。父性原理で行動する場面がある。

ポニョが来た夜、ひまわりの家に行くと言って夜から出かけてしまうところとか。

そこも普通に考えて母親なら子供最優先で傍にいるべきではなかろうか。

職場が気になるから行く、ていうのは仕事に責任を負う父的な発想だと思う。

 

ていうか、宮崎駿の作品には、父性キャラが欠如してるんだよね。はっきりと。

クシャナとかエボシとか湯バーバとかリサとか、強い女性が集団のリーダーを担ってる。

このトピックは面白いので別記事にまとめる。

 

ま、とにかくリサは、そうすけがそうすけらしくいられるよう育てる。

インディゴチルドレンの親が、レインボーチルドレンの心を閉ざさないよう育てる。

それで試練はクリアになって、ポニョは人間になる。お魚が半魚人に人間に。三次元が四次元五次元に。

存在が生まれ変わって、進化して、次元が上昇する。

 

命の水の井戸があふれて、新しい秩序と法則になった世界に相応しい種となる。

 

グランマンマーレがリサに「ありがとう」と言うのはそういう意味もある。

そうすけをまっすぐに育ててくれてありがとう、

みーんな好き、と言うその宣誓が人類代表の宣誓として認められて、

新世界と新人類がスタートしますよ、みたいなね。

 

そんな風に、なるといいよな。

 

 ・・・・もし、ならなかったら。

人類の次元が上昇できず、滅亡ルートに入ったら。

その場合も火の七日間みたいな終末戦争になるのか、

恐竜絶滅の時みたいに隕石でも降って環境が変わってしまうのか、

ヨコハマ買い出し紀行みたいな緩やかな黄昏の時代になるのか。

人類は衰退しましたとか翠星のガルガンティアみたいに、星の主役は他の優れた知的生命体になり、人類は端役としてそれなりに存続するのか、

それも色んなパターンの物語があって面白いので、一概に絶望することもないと思う。

 

 

inspiration.hateblo.jp

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