ものがたりを解釈する

アニメ、漫画、小説、神話、あらゆるものが語りかけてくること。最も深遠な、でも誰にでも開かれている秘密に、解釈というメソッドで触れていく。

シンデレラを解釈する。魔女と魔法少女の聖杯戦争w

 

シンデレラ(吹替版)

 

YouTube公式で期間限定無料。

https://youtu.be/iwjTCdvvGCs

ペローの原形でなく、ディズニーのシンデレラがyoutubeで見れたので書きたくなった。

いや、これが意外と面白かったんだよなあ。

 

眠りの森の美女のような、セルの映像美を期待して眺めはじめたんだけど、

やたらネズミとネコの場面が多くて、なんだよトムとジェリーじゃなくて

プリンセスがドレスをひらひらさせるのが見たいんだけどな~、と思ったが、違った。

 

シンデレラはそういうんじゃないんだな。

姫と王子のラブなロマンスは全然主題じゃない。映像美でもない。

これは継母と娘の魔法バトルものだ。

 

やってることは、Fateシリーズと同じだ、マスターとサーヴァントで挑む聖杯戦争だ。

このシンデレラは現代アニメの系譜を生んだ、ひとつの雛型だったんじゃないかな~。

 

冒頭、シンデレラは小鳥やネズミに歌を聞かせつつ起床、小動物に身支度を手伝わせる。

新入りのネズミを罠から助け、名と服を与える。

 

うん、それはもう魔女だね!

美しい歌という魔法で、小動物を従えている。精神支配系のスキルww

それぞれに名前を与え、眷属にしている。

 

名づけ、というのは実に興味深い。人の持つ最古で最強の魔法のひとつだと思う。

名付け親となり、名を与えたものを係累とする儀式、親子や主従の契約式でもある。

最近だとハリポタや陰陽師や転スラやノラガミなんかでも大事な設定になってる。

漫画ナウシカでも、ナウシカ巨神兵に名をつけると面白いことが起こる。


歌にしても、シャボン玉に映るいくつもの自分の映像がそれぞれ別パートを歌って、一人でハモれるとか、実に魔法的で面白いイメージだ。影分身の術かよ。

 

しかしそんな魔女シンデレラは、彼女以上に強力で老獪な魔女の支配下にある。

継母、トレメイン夫人だ。

もう見るからにディズニーの魔女顔で、

白雪姫の継母のお妃さま、眠りの森の美女のマレフィセントと同じ系統だ。

 

トレメイン夫人も使い魔、護符を従える魔女だ。

ネコのルシファーと二人の娘ね。

 

継母と娘、熟練者と若輩者、ネコとネズミ、魔女と魔法少女

わかりやすい相似の構図だ。大きいものと、小さいもの。

 

この力関係によって、シンデレラはトレメイン夫人に掃除洗濯裁縫と、召使いのようにこき使われる日々になる。

 

ネコとネズミの追いかけっこの場面がやたら尺をとるのは、

つまりネコとネズミというサーヴァント(使い魔)が、

トレメイン夫人とシンデレラ、二人のマスターの代理戦争をしてるってことだからだ。

それFateじゃん。やっぱこの設定自体が、なんか訴える面白さがあるんだろうなあ。

使役、それは人の深層心理に馴染み深い類型だ。

 

そして、ネズミや小鳥では、やはりネコには勝てない。

 

またネコの名前がルシファーとか強そうでなwww堕天使じゃんw

ジャックとガスじゃ敵わなさそうな名前だwww

 

この力関係を逆転させるのに、シンデレラが使うもの、それがブルーノという犬だ。

女性も陰、ネコも陰、ネズミも陰、闇属性ばかりで純粋な力比べになるところに、

 

犬や馬や王、男性性という陽属性。外にあるもの、光属性、有利な属性をぶっこんで勝つ。わかりやすく王道の、燃える展開だ。

 

ディズニーのシンデレラで、特筆すべき改変箇所は、

シンデレラが置いていったガラスの靴、後日その靴に合う足の娘を探す場面で、

王子様がその場にいないことではないだろうか。

ペローの絵本の挿絵とかだと、王子が直接持ち主を探しにきてる印象あるけど、

 

シンデレラとトレメイン夫人の館にガラスの靴を持ってやってくるのは、

いかにもコメディリリーフという顔をした大公と使者だ。王子は来ない。いない。

 

というか、作中でマジで王子様の存在感がない。マジ空気。性格もセリフも何も印象に残らないww

 

多分、眠りの森の美女や白雪姫のように、姫が王子に助けてもらう、女性が男性に選んでもらう、という構図を避けたんだろうね。

 

王子に助けられることなく、男性の介入なく、

シンデレラとネズミと犬 VS トレメイン夫人とネコと娘二人

そういう女と女のガチバトルにすることで、それまでにない新しい物語になってウケたんだろうな~と思った。

男性に守られるだけでない、自立した女性像に憧れる時代の始まりだ。

アナと雪の女王に通じるテーマであり、

セーラームーンプリキュア、アガる衣装に着替えて戦う魔法少女の元祖、プロトタイプって感じもする。

まあ、さすがにまだ直接戦闘、肉弾戦要素はなくて、使い魔による水面下バトルだけど。

 

印象的なのは王子ではなく、最後のトレメイン夫人の「してやられた!」という表情なんだよな。スカッと仕返してやったぜ!というカタルシスがある。

ねえ今どんな気持ちwwとか言って煽りてえww


そんなわけで、意外と楽しめた。

今でも古びないクオリティの高さだった。

 

もうシンデレラの黒いチョーカーは、魔女のテーマカラーという意味の黒にしか見えなくなったよ!

 

あと、あの何の説明もなく出てきて消えるビビディバビディブーのおばさん妖精は、もうあれシンデレラ本人だな。

ブリーチでいう斬魄刀が喋る感じに近いんじゃないか。本人が把握できていない潜在能力が、仮の人格の形をとって働いてくれてる、とか。

そーでもないと唐突すぎて納得できぬ。

 

あと、最近続編上映中のアナと雪の女王では、姉妹愛がテーマなわけだが、

つまりトレメイン夫人やマレフィセントのような、年嵩の魔女の系譜が、エルサになっていってるんだな~と思った。

姉のエルサだけがやたらに強力な魔女で、妹のアナにパートナーがいる構図は、

マレフィセントが魔女で、オーロラに王子がいる構図、

お妃さまが魔女で、白雪姫に王子がいる構図、

そういう伝統に則っている。


マジックアイテムが、氷、鏡、ガラスの靴や棺、と象徴的に類型なのも面白いね。みんな水にイメージが近しいものだ。


で、

継母でも義母でもお局でも実母でも姉でも、

そういう構図になれば意味するところは実は同じだ。

女の価値は若さにある、という軸からすれば、

女の敵は、自分より若い女だ。

若い娘は、年嵩の女の地位を脅かす、

男共はいつも若い女を選ぶ、追い落とされる恐怖がうまれる。

だからマウントする、虐げる、美という力を封じ、排除する。

 

ディズニーに永く受け継がれた、継母と娘の確執の物語が、


今この時代になってやっと、姉妹愛の、和解の物語になったと言えるかもしれないね。


そう解釈すると、いい話だな〜って気がしてくるから不思議w

アナとエルサは、女の価値は若さ、という思い込みが分断してしまうはずの絆を、取り戻している。

それはガラクタの思考パターンのリリース、愛による許しだ。


姉エルサの方が圧倒的に女児に人気というのも逆転的で面白い。

 

アナ雪2も観に行こうかなあ・・・。