シャドーハウス、注目してたからアニメ化の速報ひとまず嬉しい。
※ 過去記事にはネタバレが含まれます。
まあ、アニメ化つーても制作会社とか監督とかまだ発表がないので、あまり期待を膨らませ過ぎないようにしよう。時期も未定だ。
物凄く欲を言えば、動画工房とか京アニとかがアニメ化したら相性最強だと思う。
少女を可愛らしく描けるか、ゴシックなディティールをそれらしく描き込めるかどうかで出来が決まる。
基本的に室内で展開する物語なので、その辺の空気感とかも重要だ。
薄暗い洋館なので、舞ってる埃を光らせるあの表現とか存分にやって欲しいところ。
では、できるだけネタバレしない方向でシャドーハウスを推す記事が書けるかチャレンジ。
まずシャドーハウスには流行り要素と、独創性の両方があるなあ。
流行り要素としては、メイドもの、異種カップル、百合ものっていうところが見たまま分かりやすい。
エマ(本格メイド)、メイドラゴン(異種百合メイド)、魔法使いの嫁(異種カップル)とつくにの少女(黒い異種とカップル)、亜人ちゃんは語りたい(異種百合要素)、あとまあローゼンメイデン(ゴシックな世界観で赤ドレスヒロイン)とか。
この辺が見れる人にはシャドーハウスもとっつきやすいこと請け合い。
ま、メイドは流行りというか、ジャンル的にはわりと確立しきってるところかな。
異種婚系は波がきてるっぽいけど。
影(異種族)の貴族のお嬢様と、天真爛漫なメイド少女がキャッキャウフフしているだけで癒される。心がぴょんぴょんする。
で、その異種族の相方の設定がとても独創的だ。
影の貴族というのは、ドラゴンや吸血鬼といった既存のイメージの流用ではない存在になっている。
まず、見た目が真っ黒なシルエットそのものだ。
少女革命ウテナの影絵少女くらいしか似たものが思い当たらないが、あれとも違う趣きがある。
あのビジュアルに動きと声がついたら、さぞ違和感があって面白いだろうな~。
シルエットだからと3Dモデルなどにせず、ぜひぜひ手描きで細かい芝居をさせて頂きたい。
目をきらきらさせるとか、そういう顔の中身の表情なしで、
身振り手振りで芝居をさせるというのは高度な表現になってくるので、アニメーターの観察力や腕の見せ所ということになる。
京アニの得意な表現で、足元だけにカメラを当てて、もじもじさせたり足踏みしたり一歩を踏み出したり、足だけでキャラの心情を表現するやつがあるけど、
影の貴族たちは、ああいう表現の引き出しががあればあるほど活かせる設定だと思う。
いや、期待し過ぎは禁物だけれどもw
洋館や小物は3D使い回せるとこ多いし、人物に絵の枚数があるといいなあ。
この歳までアニメ見てると、たいていの表現はどこかで見た覚えがあると思ってしまうものだけど、
真っ黒の影そのものをキャラクターにするというのは本当に初見の驚きがあったというか、そこだけでも一話を見てみる価値があると思う。
あーその手があったか!って感じ。
シャドーハウスというか、作者のソウマトウの持つ “影” というものへのイメージは独創的で、しかしただ奇抜なのではなくて、ある種の普遍性も備えている。
心理学でいうシャドーのようなものだと解釈してもそれなりにいけるような、
ある象徴としての完成度がある気がするんだよなー。
シャドーとペルソナ、抑圧している衝動や、拘って前へ進めない記憶、サブ人格、憧れの投影、イマジナリーフレンド、インナーチャイルド、タルパ、ハイヤーセルフ、無意識からのガイド、あるいはスタンド(ジョジョ)的なもの、秘められた異能の力とか、
影の、鏡写しの、もう一人の自分。というような言葉に込められる、あらゆる解釈を当てはめてみていくことができそうな感じがするのだ。
精神の形であるスタンドが常時出しっぱなしで、もっと雄弁で、更にはもしスタンドの方が本体、主体になったら?みたいなテーマの転がし方でもあるなー。
そうやって影と少女の主従に、百合以外にも色んな関係性を解釈していくのも楽しいのだが、
過酷な現実でクタクタになった心に、少女たちの幸福なやりとりを流し込みたいだけ、っていう需要もあると思う。
けいおんとかゆるゆりとかを脳死で見ていたいという需要だ。誰も傷つかない優しい世界。
そこは残念ながら、シャドーハウスはがっこうぐらしに近いものと思っていただきたい。
百合はガワだけで、中身はサスペンスというか。
まどマギ三話なみに裏切りの構成にするか、一話からフラグだらけにするのかの匙加減もどうなるかってところだなあ。
でもまあ、まどマギは完全オリジナルでネタバレ厳禁の仕込みができたけど、シャドーハウスではそこまでは無理か。
一見、日常系のようでいて、不穏なフラグを立てまくっていく対比が面白くなる要素かな。
シャドーハウスコミック4巻のオビには、白井カイウ、約束のネバーランドの作者の推薦文がある。
そう、ここがまさに流行り要素というか、約束のネバーランドや進撃の巨人とジャンル的に近い展開になっていくのだ。
ソウマトウって絵は線が細くて女性的だけど、話の構成は男性っぽいんだよな~。
設定厨というか、巨大構想練りがちな感じ。
なんかそういう不穏さというか、異様さというか、違和感がちらほら見え隠れする序盤の雰囲気が、実は一番好きだったかもなあ。
アニメで、もう一度新鮮な気持ちで見られると思うと楽しみだ。
さて、ネタバレなしでと思ったら、あれに似てるこれに似てるっていう話とか、前記事の繰り返しの内容になっちゃったけど、
ここからは微ネタバレありで、
シャドーハウスの、もうひとつ独創的でとても優れているところを挙げられる。
それは 洗脳の解除 というテーマだ。
もうそんなの、自分の大好物に決まっているではないか。
あらゆる思い込みから自由になりたくて仕方がないし、そんな物語には親近感と憧れを抱いて、応援したくなる。
影の貴族の館は、洗脳と陰謀と、搾取と支配との構造で運営されている。
支配者による情報の統制と、民衆の思考を停止させるための様々なエグい措置がある。
それは、毒親とかモラハラ配偶者とかブラック企業とかカルト宗教とか、マスコミとか大本営発表とか世論誘導とか、そういう連中が古くからよく使う方法で、まぁそういう空気や風潮の醸成とでもいうか。
自分達も日々それを目にし、そのなかにどっぷり浸かってもいる、支配者達のメソッド、イメージ戦略、詐術だ。
猫も杓子もコロナコロナって、いい加減なんか変だな、なんか前にもそういうことあったなぁって、なんて気がついてもいいんですよ?
ネバランや進撃では、なにか決定的な破壊が起きて、
それまでの日常が崩れ去ることから、否応なしに今まで当たり前と思ってきたことを疑い始めるのだが、
シャドーハウスでは、表面上は箱庭の平和を維持しながら、
主人公達だけが、支配のシステムに気がついて抗い始める物語になっている。
水面下の、密かな反逆の物語なのだ。
エモい。
これエモいよ。少年誌的な心が熱くなるやつだよ。
支配者によって隠されている真実を、
観察と思考と直観によって自分たちのものにしていく謎解きの過程とか、
ほんと勇気づけられるものがあるというか。
そう、あらゆる真実へ至るのに必要なのは、
素直な心と健やかな体、そして何より「知りたい」という希求の意志なんだと思う。
自分の心で確かに知った真実、そこへ至る過程で培った自分自身への信頼だけが、
洗脳を許している自分たちの弱さや愚かさ、良い子でいて褒めてもらいたい気持ち、誰かに与えられた指針にすがりたい気持ちを、越えさせてくれる。
支配者と対立して勝利するのでは、関係性の逆転にしかならない。
魔王を倒せば、次は勇者が魔王になる。戦乱、革命、平和の三拍子のループになる。
だから反逆は、密やかに始めよう。
それがこれからの若者のやり方なんだろう。
支配者に表立って逆らってもダメなのだ。
暴露もデモもテロも、どうやっても支配のメソッドの盤上であり、そこで彼らに敵うものではない。
まずすべきことは、自分の体を十分に休めること、じっくりと考える時間を持つこと。
自分の能力を知ること、それを磨くこと。
摂取させられているもの、スローガンやキャッチコピー、飲み物食べ物、生活用品のなかに、思考を鈍くするものが混ぜ込まれている。それらを突き止め、除くこと。
疲れて、睡眠不足で、日光浴びてなくて、ゴミ情報を繰り返し流し込まれて、過小評価の自分像を刷り込まれて、集会やイベントで高揚させられて、
消化不良で、栄養不足で、騒音や悪臭や強力な電磁波が常に漂って、不安やストレスで、
そんなことの積み重ねで、だんだんと考える力が低下して、身体に備わる直感が鈍くなっているのだ。そのように仕向けられている。
少しずつでも自分の心と体を大事に、健やかにしていくこと、
自分を知って仲良くなれたら、それから仲間とも繋がっていくこと。
そして何より、希求すること。
知りたいことに向かい続け、ノイズを除いていく。
自らの身体、自らの内面を通して真実へ至るとき、そこには何者の介入もない。
洗脳の余地のない、まっさらな、ものごとのはじまりのインスピレーションを得ることができる。
そのようにして、洗脳を解除していく。
与えられたたくさんの、誰かにとって都合のいい、思考パターンとか常識とか信仰とか、別に手放したってどうってことのない、ただの思い込みだったと解る。
インスピレーションの素晴らしさの感覚からすれば、取るに足らない色褪せたものばかりだと解るようになる。
わくわくするもの、ときめくもの、琴線に触れ、心を感動させるもの、それ以外は要らないと思えるようになる。
「我らを統率する、我らの王、我らの産み親、我らの偉大な創造主」
すべて幻想だ。破棄して何の問題もない。上位存在の庇護も支配も最早必要ない。
自分の心、自分の命、それだけを指針にして生きていける。
自由と責任を引き受け、移ろう世界を楽しみ、生と死の歓びも悲しみもあるがまま慈しむことができる。
きっとシャドーハウスの主人公たちはそこへ行きつくだろう。
命題の設定が真なら、解は真へ至る。物語は素晴らしい結末へ辿り着く。
影、もう一人の自分を知り、仲良くなるってことは、そのくらい優れたテーマであると思う。
裏と表、陰と陽の止揚、統合、それはすなわち、道に、0に、無限に、空(くう)にいたる神秘のメソッドだ。
ま、アニメでは尺が足りないだろうけども、それでも楽しみにしてる。
とにかく少女主従が可愛ければオールオッケーだ。頼むぞ…!
自分は紙のコミックで集めてるけど、電子書籍ならカラー版もいいよね。
前作、黒ですでに影というものについての独特の世界観がある。
ああ、藤崎竜の短編集にそんな話があったのを思い出した。
主人公の少年の影が薄くなって、影に乗っ取られてしまう話。
影と本体が入れ替わる絵がとても印象的で、シャドーハウスに通じるものがあるな。
コミックまだ持ってたw
後で貼れる画像を探してみよう。