ものがたりを解釈する

アニメ、漫画、小説、神話、あらゆるものが語りかけてくること。最も深遠な、でも誰にでも開かれている秘密に、解釈というメソッドで触れていく。

海獣の子供を解釈する5 空から来た少年、二つの人魂、特異点。

五十嵐大介画集・海獣とタマシイ (原画集・イラストブック)

 

ちょっと新事実多過ぎたので記事書き直し!

 

海獣の子供で一番ミステリアスなキーパーソンは空少年だと思う。

 

空少年の、「自分のことを知りたい、調べてほしい」という希求、好奇心、それがすべての始まりだ。

 

そもそも、海から来た少年たちは、みんなだいたい海少年みたいな感じのはずだ。

個以上の大きなものと共に生きてて、知るべきことは知っていて、その時が来たらただその通りにする。みたいな。

だから、人間の科学や分析で得られる見地なんて、彼らには本来必要のないものだ。

空少年は「ジムに死を与えられた、死に閉じ込められた。」と言ってたけど、

死を得て、それで空少年はそういう行動を起こしたんだろうか?

 

ジムが鯨狩りの島で会った少年、彼はジムとの漁で事故にあう、ジムは致命傷を負った少年を砂浜に引き上げる、彼の体は光って溶け、砂に浸みてしまう。

 

明らかに人間じゃない、魔性のものの消え方だけど、

空少年はこうも言う「死なんてなかった。生まれる食べる食べられる、土になったり森になったり、変わりながらぐるぐるまわる流れの中の一瞬に過ぎないのに。」

 

食物連鎖、というものが肉だけでなく意識ごと巡っていく輪廻の輪だったとして。

鯨狩りの島の少年は他の生物に食べられることなく死んでしまったから、その輪から外れてしまったのかな。そして死に閉じ込められたという空少年になった。

 

人間もそうだ。現代人は、死ねば他の獣に食べられることもなく土に還ることもなく、焼いた灰を壺に入れて墓に入れてとっておいてしまう。

だから食物連鎖の輪に、自然の循環に、輪廻のなかに還れないものになったのかもしれない。

 

まあ火葬でも、肉は二酸化炭素と水になって大気に還っているので、

問題は、そういう行動様式がつくっている意識のほうなんだろうな。

死者は墓に入れるもの、死は個の終焉、死は断絶だと観測するから、本当にそうだということになる。

それと気が付けば、森や祭や自然の一部にもなれる。

肉を食べるときも、スーパーで買ってきたタンパク質の塊を摂取するのか、生きていた命を受け取って一緒に生きていくのか、意味が全然違うはずだ。

 

これはレトリックではない。観測の力というのはそういうものだ。

骨が墓に入ってるから、死者はそこにいると思えばそうもなるし、

千の風にでも歌って、風のように吹き渡るものになると思えばそうもなる。

誕生祭で目玉がいっぱいの描写があったりするのも、観測者がいてはじめて誕生は成立するってことなのかもと思う。

 

肉体の在り方は物質の法則に従ってるけど、精神の在り方は観測の法則に従ってると思う。

 

彼は、マッコウクジラに食べられて、その循環のなかに還れたのかのかな。

 

鯨狩りの島の少年は、ジムに興味をもったと言っていた。

それは好奇心だ。個の指向、至福の追求だ。

総体の指向とは異なるものであり、でも総体にとってそれは健康を保つためのゆらぎや遊びになる。

 

空少年の、自分のことを知りたいという好奇心が、ジムにアングラードにデデに、そして琉花に、誕生祭へ関わるという道を拓いた。

 

海で起こることのほとんどは誰にも知られないはずなのに、空少年はそれを変えた。

 

映画では、空少年が光になって消えた後、

海少年の目が碧色に光る場面がある。誕生祭で空の上、雲の上から二人が落ちてくる時、海少年のシルエットが空少年のシルエットに一瞬変わって琉花をかばう場面がある。

 

そこは映画オリジナルの描写で、

空少年も、隕石を通じて海少年に伝わって残っててるのかな、とか思える良改変だった。

あるいは空少年のルーツの追体験でもあるかもしれない。

 

空少年は、時間切れと言って消えてしまったけど、伝わってるものがある。

琉花も、役が終わったと言われても、海少年を最後まで諦めなかったから、泡をひとつ口にできた。

 

さて。それもあるんだけれども。

 

琉花だけが気が付いたことがある。

「あなた空くんじゃない・・・隕石?」

それで琉花の後ろで囁いていた空少年の顔は、なんかクリーチャーの顏になる。

あれは、隕石が空少年のフリをしていたのか、ふたつが混じってしまったのか、

それとも・・・、最初から、空少年は、空から来たもの、隕石だった?

琉花に看破されたから正体、原形をあらわした、と見ても意外とイケる。

 

原作一巻、空少年は初登場の時、暗い病室で布をかぶっていて、顔も姿も見えない。

そして人魂が降ってくる場面の次に、空少年が波打ち際に座って、姿をあらわす場面になる。

なんで隕石を人魂と呼ぶのか、なんで人魂は二つ降ってくるのか。

 

つまり、ひとつは小笠原沖の海に落ち、もうひとつは布の中の影に入って魂となり、空少年に成った。というかね。

 

まだ色々ある。

海少年がマダラトビエイから生まれた時、「きょうだいもいたけど、それは空君じゃなかったな」と「空君て…誰だっけ」と言ってるけど。

あの二人はいつから一緒にいるのか。海少年も空少年のことを知らないというのは?

 

人を惑わしたり食べちゃう魔物、羅刹というのは、誕生祭のことのようでもあり、

でもそれより「さみしいなら遊んであげようか」と惑わす魔性のセイレーンの空少年のことでもあるのではなかろうか。

 

空=人魂=隕石=精子=羅刹。

 

同質のものだから他の少年たちを退けて隕石もゲットできるし、

でも受精はできずに、それを海少年に渡そうということになる。

 

もうそもそも名前が空だしな。海属性じゃない空属性だ。

女性原理属性じゃなくて男性原理属性。

天空神、男神、宇宙支配神の眷属、分身、あるいはそのもの。

 

なぜ空少年は海少年を守りたいのか「なぜかな、ただずっとそうしてきたから」と言ってるけど。

つまりそもそも兄弟というか、男女なのでカップルなわけだ。受精、生殖の時を最初から狙ってる。

でもガワが少年×少年なので、間に琉花、ガワが少女で中身が少年の子を挟むとうまくいくわけだ。ええいややこしいwwアブノーマルwwwエロスwww

 

海から来た少年と見せかけて、実は空から来た少年。

 

だから隕石を琉花に渡して光になって消える時、698.45ヘルツ、星が死ぬ時の音がする。

他の白斑の生物は消える時そういう音がしたという描写はない。

 

鯨狩りの島の少年と良く似てて記憶があるのは・・・、

それもまぁ、姿も記憶も水や風に蓄積されてて漂ってて、アクセス可能なわけだから矛盾はしない。両立する。

砂に浸みてしまって、次の命になれないで宙ぶらりんで漂っていた彼の姿と記憶が、

空から来た何者かの、ちょうどいい器、依り代になったんだろう。

 

で、過去回想の時にも幼児の空少年がいる。

人魂が降ってくる前から彼は存在しているじゃないか、という疑問がある。

いわゆるタイムパラドックス、時系列の矛盾をどう説明するのか。

 

そこで 特異点 だ。

アングラードは空少年を何度かそう呼ぶ。

 

特異点。それは仮面ライダー電王の用語だと、

過去未来、時間の影響に存在が左右されない人。かな。

ハナさんなんか、生まれた事実が消され忘れられても存在が残ってた。幼児化はしたけど。

 

まあ、それは別作品の用語だけど、かなり近いと思う。

 

映画では「時をすりぬける少年」というワードが足されている。

 

空。空海、天地、陰陽、男女、宇宙、そして空間と時間。

それは陰陽の考え方では対応する2なる原理だ。

 

空属性の空少年は、空間に属するものだ。

空間があって、時間がある。陽が動き、陰が従う。

空間は時間の上位概念、そういうことになってる。

 

五十嵐大介は当然そのくらいは知ってる、SARUは陰陽の思想を下地にした物語だったからな。

 

割と最新の科学でも、時間は存在しない、なんて本も出てる。

時間が一定に流れてて不可逆というのは、一側面からの観測に過ぎない。

 

空少年は、ある程度時間軸にとらわれず存在できる、と考えてもいいだろう。死の事実を覆すほどではないだろうけど。

それで幼児なのにあの流暢な喋り方なわけだ、幼児の海少年は言葉すら発しないのに。

空少年は、人魂がふってきた時点で誕生し、鯨の島の少年を取り込んで人格的にも完成し、そこから過去へ遡るように存在を波及させている。現在地点から辻褄が合うように過去を創造した・・・、と言ってもいいだろう。

 

 

「淀んだ水に新しい波を」

空少年もまた、新しい波だったといえる。

 

SARUにもそういう考え方がある。

なんにもしない子、無関係な新規参入者、場違いな娘。世界の均衡をどうにかする因果と伝統と偉人だらけの呪術バトルに、ミーハーな恋心だけでのこのこついてくる普通の女の子が、実は重要なんだと。

 

小さなことでも、新しいことを侮ってはならない。その波紋の波及がやがて大きな変革になる。とSARUではそう締めくくる。

 

海獣の子供では、鯨狩の島の少年の好奇心から始まって、それが空から来たなにかと結びつき、羅刹となって、陸に上がって人と関わり、琉花を引き込んでいく、

そういう小さな波紋がどんどん広がって繋がっていく様子が描かれているのかな。

 

ジムは結果的に役に立てなくて気の毒だったけど。

しかし魔女ではミラ(魔女、直感)とウィド(組織、文明)がうまく協調すれば、

アリシア(子供、未来)を守れたわけでな。

ジムとアングとデデがてんでバラバラだったのがまずかった。

ジム(科学、チームワーク)アング(直感と知)デデ(魔女、実行)の大人組が本当に力を合わせられれば、

少年が二人とも去ってしまうエンドにはならなかった、という気もする。

本当の秘密のもっと近くにも立ち会えただろうって気もする。

 

ディザインズではまたショーンとオクダが不完全なペアだけど、

 

五十嵐大介は、いつか魔女をも超えた天使、すべてを湛えた真なる人、アートマン。あるいは完全なペア。そういうものも描くだろうか?宮崎駿みたいに。

奇跡、本当の秘密を、秘密のまま…と言わず、何度でも色んなアプローチで描いてみてほしい。

なにしろハッピーエンドを描かないっていうかさ…。

いっつもなんかモヤモヤする読後感なんだものw