はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」というお題。
前回の記事で、スピまるだしのネット文学を紹介してしまったのだが、
そうすると、スピリチュアル界隈のヤバみについても触れておかないとフェアとは言えまい。
このブログもネット文学というにふさわしい面白さだ。
以前一度紹介したことがあるので、アルさんの話もだけど既読の方はごめん。
潜入レポと自伝を足して割らないクオリティであり、
誰しもが共感できるであろう、黒歴史にのたうちまわって書いてる感がほんと面白い。抱腹絶倒確約。
スピにハマってしまったことで100万の借金が残ったらしいが、
読み代として新書一冊ぶんくらいカンパして差し上げたくなる。
紹介として、それな!っていうとこを少し引用させて頂く。
心屋さんにハマり始めたのが30歳を少し過ぎたころでしたが、その時の私は、
・化粧もろくにしない喪丸出しブス
・とにかく人付き合いが苦手
・自分嫌いで劣等感の塊
・少しばかりの霊感的なものがあり、数年前からスピリチュアルにハマっていた
・セミナー・セッションジプシーで常に金欠
と、信者になる下地が見事に整っていました。
浅はかでナマケモノのカモでも、実はうっすら「自分を変えたいなら努力しなくちゃ」ということは分かってるんです。イケてない自分がイケてるグループに入りたいなら、地道に外見も内面も磨かなくてはいけないと。
でもメンドくさいし、努力しててイケてる人たちに「ブスが何がんばっちゃってんの?ププー」とか笑われたらもうビルの窓を突き破って死ぬしかないので「どうせ私なんか」とかなんとか、ごまかしごまかし生きているのです。
そんな心にフタをしたカモに、心屋さんの「そのままでいい」は、自分の甘えを正当化してくれる、とっても便利で都合のいい道具なんですね。
心屋さんやネット上の「教祖」さんたちと、我々カモはいわば「共犯」です。
お互いのほしいもの、メリットががっつり噛み合ったから、くっついてただけです。
だから我々カモは決して「被害者」ではないな、と。この辺りは人それぞれの考えがあるかと思いますが、私はそう考えています。
わかりみがすぎる。
庇護と支配は同じコインの表裏よ。
庇護だけ得られると思うから搾取もされるはめになる。
ネタ元のスピ団体が今どうなってるのかググってみたら、
昨年末に代表が卒業しました、という記事があった。
団体自体は、認定講師が引き継いで続いてるようだ。
うん。
まあ、なんだ。
別に個人的には恨みとかないしな。
かようにスピリチュアル界隈は魔窟といって差し支えない。
ネットも玉石混交だが、スピ系の玉石混交はカネが絡むのでタチが悪い。
唯物主義や西洋科学の世界観に限界を感じて、
本屋の精神世界系のコーナーに入ってみても、まあ半分以上はこの手の屑石よ。
慣れると表紙見るだけでもそれなりに判るけどね。
傾向としては商売っ気というか、カラフルでキラキラとか映えてるものほどダメ。
初心者に優しそうでキャッチーなタイトルのものほどダメ。
いつからデザイン変えてないのやらって感じの、細々と売れ続けてる本から珠玉を探そう。
どーしたもんかね。
神秘は求めるが、騙されたくはないわけで。
ではカモブログのアナザーサイドの考察を試みるか。
教祖の気持ちをトレースしてみよう。
サンプルをいくつか見たことがある。
最初はそう、なにか素晴らしい経験をして、啓示を受け取って、
それを誰かと共有し、純粋に人を救いたいという気持ちがあるものだ。
最初っからアホを騙して商売しようという邪悪な人はあまり見ない。
そういう動機で力が出る人は、スピより向いてる業界があるのでそっちへ行く。
啓示を発信し、うまいことバズり、人気者になるのは、
承認欲求が満たされてものすご気持ちよくて万能感がある。
使命に燃え、快の方向へ進む。何度もそれを繰り返す。
しかし語る度に少しづつ、輝いていた原体験は変質していく。
「もっと話して、もっと聞きたい」と言われるごとに、
ほいほいと新しいネタを提供できればいいけど、
まぁそんな才能あったら、作家になったほうがいいわけで。
縋りたくて救われたいカモ予備軍って、飽きやすいしね。
より強い刺激を定期的に与えないと、さーっと離れていく。
そしてカモブログにも少しあるけど、
悩める人を親身になってどうにかしてやろうとか、
いい歳こいた甘ったれに人生ごと寄りかかられるっていうのは、
想像以上にめちゃくちゃヘビーなことなのだ。ほんとに。
なにごとかの啓示を受け取れるようなアンテナの感度の良い人ほど、
信者達の依存心の波動にまとわり憑かれればひとたまりもないというもの。
カモブログのネタ元は、
信者を講師に投げるネットワークビジネスに仕立てたことで、
教祖本人が抱え込む信者の数自体は減ったようで、
実は組織全体の長である責任が逃げようなく圧しかかるからなー。
常人で耐えられる負荷じゃないので、そこは素直にスゲーなって思う。
普通は、信者の熱狂が手に負えなくなる前に一般人に戻る。
アルさんもだけど、一過性の人気者、
持ちネタいっこの一発屋が最も賢い選択というものだ。
その後もほどよく神懸かりに生きていける。
しかし、顔出し実名で本業としてスピると、退き際が難しい。
辞めると収入がなくなる。人を雇ってしまえば給料の支払いも発生してる。
そのようになってくると、教祖様の行く道は限られてくる。
ひとつは、自分と信者の心のつながりを断ち切る。
共感をオフにして、信者=金、人でなくモノとか記号として見る。
もちろん共感能力をオフにするというのは、
アンテナをへし折り、それまで開いていた第六感を閉じることであり、
かつてのような啓示は受け取れなくなる。
意識のレベルは、自他同一の5次元から、自だけを感じる3次元に下がる。
色々だいなしだが、まあ。
ぶらさがってくる信者どもの重みを感じなくなれば、短期的にはラクになる。
共感の欠如したサイコパスがトップであれば、
商売としては、かえってよく儲かるようにもなるものだ。
モノとカネだけ、というのは3次元の地球では適者であったわけで。今までは。
あるいは、
欲しがられるだけいくらでも、新しい神秘な話を仕入れてくるとか?
スピ界隈ではどっかで聞いたネタの使いまわし焼き直し、多いねえ。
すぐ判るし、オカルトオタクからすれば出所もだいたい知ってるw
しかしガチの一次ソース、宇宙人や高位存在から聞いたって話をいつまでもし続けてるとこもある。
憑依体質、巫覡タイプだろうけど、
人の持てる能力をトランスと受信に全振りすると、だんだん自我が希薄になるっていうか、
人を惹きつける発信力やカリスマは反比例で無くなっていく。
ので、教祖的じゃなくなっていくんだよなー。欲に乏しくなり商売もヘタになる。
人間関係や日常の悩みとは周波数が合わなくなるので、
相談にのってもらえないカモ信者層が散っていって、
それはそれでラクになる。
少数者に支援されて、ずっと神秘のことだけ想うというのも悪くはない。
俗に堕ちるか、聖に浴するか。
中庸、中道、もある。
粒と波、モノと波動、体と心の天秤を釣り合わせて進む道。
啓示を、なにがしかのメソッドに落とし込むのだ。
精神的なものを肉体で出力できるものに変換し、精度を確かめ続けていくこと。
自身を教祖として人を集めるのではなく、
方法論を確立して、それを教える。
例えば、楽器の弾き方を習いにいくというなら、
先生に弾いてもらえばいいや~、なんて考えにはならないわけで。
手ほどきしてもらうことがあっても、自分で弾けるようになるのが目標だ。
そういう意識をもたせてやれば、依存と癒着を回避できる。まあ、ある程度は。
自分で、自分の調律ができるようになること、
自分という器の響きを、全体とのハーモニーにしてくことが、
スピリチュアルで学ぶべき本来のやつだ。
しかし方法論つーてもこれも玉石混淆でな…。
傾向としては、
カウンセリングとか心理なんとかとか、占術とか瞑想法とか、
精神的な領域から出てこないやつはリスキーだ。
死ぬ程苦労した後で突き抜けた上級者用。素人はやめとけ。
つか上級者ほど安易に勧めてこないから、
広告や募集がある系のやつはもうぜーんぶ屑石。
カラーなんとかハーブなんとかみたいな、五感に変換してく傾向が増すほどよろしい。
間違ってれば汚いとか臭いとか煩いとか、不快の感覚で解るから。
五感にくわえて、身体性を伴うほどよろしい。
自然との付き合い方を知るスポーツ、サーフィン、セーリング、ダイビング、釣りや狩りや料理。
ダンスや舞踊、歌唱、楽器の演奏、
詩や絵や書や物語を創作すること。
プロからすればクオリティを評価できるものであればあるほどよろしい。
なんならスピな教祖より、一流の作家やアーティストのほうが何万人のファンがいても大丈夫なのはそういうことだ。
アートが、未熟な人間達の心の距離を適度に保ってくれる。
カモブログのスピ代表は、教祖からミュージシャンに転向したかったらしいが、
まぁ、クオリティがお察しというのは、お察し。
ほんと、教祖よりアーティストのほうがどれだけ素晴らしいことか。
お布施払うより、そのカネでライブに行くほうが・・・、
いやそれも沼ではあるか。ほどほどにね。
さて、まとめると。
教祖ってる人のヤバさを測るなら、
本業、それ一本で食ってる人ほどヤバい。
本業は別にあって、スピは儲からない副業程度でやってる人のほうがセーフ。
スピで儲けて、本業の赤字を補填してる場合もままあるな。それはギリwアウフw
本業のクオリティと、スピのクオリティはほぼ比例するので、
同業に近い人のほうが見極められる。
カモブロさんも、歌ヘタを聴きわける音楽の素養が身を助けたのだ。芸は身を助く。
絶対間違ってないとわかる、その感性を頼りに磨いてくと自らの道は拓けていく。
カモブロさんは楽器とか歌とか続けると良さそうな。
メンターやメソッドを求めるなら、
まず自ずから歩きだしてみることだ。一歩でも二歩でも。
そうすると、いい縁、いい出会いがある。
そういえば、こないだの月曜日から夜更かしで、
ジャンケン常勝とかオカルトだと話題のテニスコーチが出てたけど、あの人なかなかよかったなー。
運動音痴の郡司さんは、最初はインタビューされながら、左に傾いて右肘が浮いた不自然な姿勢で立ってた。
肩の高さも違ってたのだが、いくつかのトレーニングのあと、それらのバランスが整ってたのは驚いた。ラリーもできるようになった。
言葉の端々に滲む高い認識といい、あのコーチ素晴らしいメンターの予感。
ああいう人に習うためには、テニス方面から縁を手繰っていく必要があるだろうな。
そゆことやで。
あ~。
久しぶりにスレっぽい怪しさ全開で書いて楽しかった。
ぜーんぶ口からデマカセだから、信じるなよ!
誰しも、ひとりで歩きださなくてはならない。
いつか誰の道の果ても、あの頂へ至るけれど。
鳥には鳥の風の道が、山羊には山羊の崖の道があるように、
適した道は一様ではないから。
次の一歩は、己の内に問うて進め。
この世界はイリュージョン、夢幻泡影ゆえにすべてが可能と覚った救世主が主人公。
なろう無双など目ではないガチの全知全能なのだが・・・。
救世主サイドから見ると信者がどんだけめんどくてしんどいか描かれている。