ものがたりを解釈する

アニメ、漫画、小説、神話、あらゆるものが語りかけてくること。最も深遠な、でも誰にでも開かれている秘密に、解釈というメソッドで触れていく。

プリデスティネーションを解釈する 自由への伏線

最近、YouTube公式無料の何かを観ているだけで時間が溶けていく・・・。やばいよぉ~。

 

というわけで公開中のプリデスティネーション感想。

 

あ、ていうかあらすじいる? 全ネタバレOK?

 

えっとまあ、時間の牢獄に囚われた男の話、かな。

 

時間の流れが捻れて自分を殺しにいく運命を繰り返す。

 

イデア的には割と見たことあるというか、

火の鳥八百比丘尼編とか宇宙編を思い出したかも。

性転換とか整形とか、SFとしては強引でツッコミどころの多い設定をドラマチックさと勢いでたたみかけるように魅せてくる感じとか。

どことなく懐かしい古典な中編SF小説を見てる雰囲気がした。2015年作だけどね~。

 

 

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緻密な設定の物語を考察するのも良いが、

いい意味で隙のある物語というのも感想を書きやすい気がする。

隙、隙間、余白、想像の余地があるというか。

 

全編通して謎の閉塞感というか、孤独に閉じた雰囲気も没入感あって良かったかも。

深夜に一人で酒飲みつつ見ると、適度に鬱がキマる。

 

火の鳥比丘尼編は、時間の捻れた舞台があり若い頃の自分が老いた己を殺しに来て入れ替わるという話で、

主人公が男(男装)から女(尼僧)へ変わる仕掛けがある。

見た目の性別を変えることで同一人物であることを読者の目から誤魔化し、最後にネタバラシして「そうだったのか~」「え待って、もう一回読も。あーもうそこからそうだったのか~」ってなるヤツで。

 

 

プリディスティネーションも基本はそれ。

時間を移動できる装置があって、それを使うことで同じ時間に同じ人物が二人いる状況ができる。

そして、殺すのも、殺されるのも、産むのも、産まれるのも、産ませるのも、

全部同一人物でした~!

という頭がどーにかなりそうなお話だ。

 

 

時系列順に紹介すると、

孤児院に捨てられていた女の子が

成長して女の子を出産する女性となる(出産時に両性具有が判明し性転換)(無茶)

産まれた女の子は過去へ遡って孤児院に捨てられる。(ループ)

性転換した元女性は時間移動装置を手に入れて歴史改変任務に就く男性になる。

男性は過去へ遡り女性を妊娠させる。(無茶苦茶)

歴史改変を続けた男性は任務中の事故で顔を整形する。

顔を変えた男性はバーテンダーに扮し、過去の自分に装置を渡しにいく。

バーテンダーは爆弾魔になってしまった未来の自分を殺す。

 

 

・・・書くと余計わからなくなるのは何故だ??

わかりやすく説明するにはかなりの文章力が要るのではこれ。

まあいいや、気になったら観て。倍速でもいいし。

 

捻れた時間に囚われた人物を書きたいというネタありきで、

両性具有からの性転換、出産と種付けを同一人物で片付けるとか大概無茶苦茶なことをしているのだが、

(この辺も火の鳥望郷編を思い出す。母が息子の子を産むとか、そういうタブー感と、自らの尾を食う蛇のような自己完結の閉塞感。)

見てる間に違和感が爆発する、という程ではないのは誘導が見事という他無い。

 

 

特に、主人公が「鏡を見ることをやめた」あたりはサラッと重要だったな。

メガネ娘がコンプレックスのある容姿を見たくないという思春期的に有り得る心理でもあり。

主人公のセルフイメージがずっと脆弱であるという根拠の表現でもある。

写真も無く日常的に鏡を避けているから自分の姿への認識が曖昧で、

また友人や人間関係がものすごく希薄なのもある。

人は関係性のなかで、比較することや人に見られることで自分のパーソナリティを形成するのに、それも無い。

だから性転換や整形手術など自我が損壊することへのダメージが軽い、ということでもある。失われるほどのものを元々持ってないのだ。悲しいことに。

 

・・・引きこもりが異世界転生しても元の世界に帰りたい気持ちが希薄、みたいな、なろう系でよく見る心理に似てるかもな~・・・。

人生詰んでるし家族友人もいないし、リセットでもまーいっかーみたいな。現代の病理。

 

で、

性を男に転換したからといって、過去の女である自分と恋に落ちるかとなると「いやそうはならんやろ」という心理的抵抗があるはずのところ。

そこがインナーチャイルドの癒しを恋愛感情と混同するという巧い仕掛けになっていた。

 

えーと、スピ界隈ではよく聞く概念なんだけど。

アダルトチルドレン - Wikipedia

「過去をさかのぼり、うろ覚えの、あるいは抑圧された幼児体験の記憶を呼び戻す過程」を通してインナーチャイルドを育てることができるとされ、これにより過去と決別できるというインナーチャイルドを育てる行為は「インナーチャイルドを癒す」とも表現され、「心の傷を癒す」行為も「インナーチャイルドを癒す」と表現される

 

現在の自分から、過去の傷ついた子どもである自分を労り欲しかったものを与える、というイメージワークでトラウマや問題行動を解消してくヤツ。

 

アニメ界隈でもよく見るんだな~これが。

子ども時代の自分のイメージがちょろちょろする。

冒険の中でちらつくトラウマを乗り越えていく表現だ。

最近だとこのアニメでもあったな、

40秒あたりで主人公女性が少女になるが、それは傷ついた時点で成長を止めているインナーチャイルドがいる、みたいなことでもあり。

素直だったころの自分が、アダルトチルドレンとなってしまった自分を幸せへ導いているということでもあり。

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まどマギのOPとかでもあったっけな。

時間軸の違う自分を抱きしめてあげる表現、過去の自分を昇華してあげる表現というのは、物語ではよくあるやつなんだが、

 

プリデスティネーションでは、抱きしめてあげる方が成人男性で抱きしめられるほうが少女だという絵面にしたことで、

あれ、それだと恋愛関係にも見えるのでは・・・、という。

物語表現を見慣れてる人間ほど、スッと入ってきてしまう恐ろしい仕掛けだった。

 

自分の過去を愛してあげたいだけだったのに、子作りになってしまうとは。(地獄)

 

っていうか両性具有ってことは遺伝的には双子のキメラ?

どのみち血が近すぎて危ない本能仕事しろ、とかそういうツッコミは野暮だからおいといて。

 

結局、チャンスはあったのにその癒しはうまくいかない。

主人公はずっと傷ついたまま、その痛みから逃避しつづける人生を送ることになる。

 

バーテン以降の人生、過去改変任務から退職したというのに主人公は時間移動装置を使い続けた。

だんだん精神を病み、大事の前の小事という理屈で、大規模人災が起きる場所を事前に爆破してそれを防ぐ。そういう爆弾魔となっていく。

 

いよいよ過去の自分と邂逅し撃たれる時が来た時、

爆弾魔はこう言う

「お前が俺を撃てば、お前は俺になる。」

「わかるか、それが道理ってもんだ。」

「この鎖を断ち切りたいなら俺を殺してもダメだ」

「そうじゃなくて、俺を愛せ

 

 

・・・あれ、ものすごーく、その通りだね?

 

暗喩込みでよくわかるよそれが道理であり真理だ。わかってるなら

じゃあなんでオメー爆弾魔なんてやってるんだ。

 

と、思ったら次の瞬間対話がバグって撃たれたわろたwww

 

いやいやいや、それが物語の結末なら仕方ない。

ループエンドがSF的に一番キレイなオチだもんね?それはわかる。

でも、監督はちゃんと閉じた輪から抜けだす道筋も見えていたからヒントや伏線は用意しといてくれたんだね。

そのメッセージをちゃんと受け取ったよと言いたくて記事を書き始めたのだ。

 

 

ちょうど前回ヨルムンガンドの主人公も同じ問題を抱えていると書いたのだが。

inspiration.hateblo.jp

 

 

千人救うために十人を殺す、万人を救うために百人を殺す。

それが正しいか間違いかなんて話はしてないのだ。

 

問題はそこじゃない。

そもそも他者を救おうとしてるのが、メサイアコンプレックス(救世主妄想)という病理であり。

自分の問題を解決できないまま、その代償行為として人の問題に手を出してるだけなのだ。

自分の傷ひとつは小さなものなのに、それを外の世界に投影すると拡大がおきてしまって千人万人の生死を巻き込む規模でないと気が済まなくなる。

 

 

だから、世界を救う前に、自分を救うところから始めなくてはならない。

 

たとえ世界を救えても、自分の苦しみが終わらなければそれは救いでは無い。

 

千人万人の前に、最初の一人の心を救えているかどうかだ。

 

 

バーテンでいくと、

彼は歴史改変任務から解任された時が最大の転機だったはずだ。

自由になる時間と金、そしてまだ時間移動装置さえ持っていたのに。

惰性とも逃避ともいえるそれまでの続き、人助けになど勤しむべきではなかった。

勇気を出してもう一度過去の孤児院へ行き、

「自分の子が出来たら、絶対両親のいる家庭で育てると誓った。」

という初期動機を、子どもの頃の最初の願いを叶えに行くべきだった。

人生の目的っていうのは、だいたいそういうところにあるものだ。

散々の紆余曲折の後、子どもの頃の夢や願いに辿り着くなんてよく有り過ぎる話なんですよ。ほんとに。誰しも。

 

だから映画のラストのバーテンダーには、まだ選択肢がある。

爆弾魔になる閉じた繰り返しループエンドへの道か、

幼女の自分に家族や新しい関係性を与えに行く道か。

 

そこで自分を変える勇気だよバーテン!

と思ったところで、終了~。

 

 

プリデスティネーション、まあまあ面白かった。

 

時間遡行要素を使って、孤独な人間の内面、長い独白を表現していたと見てもちゃんと成立してた。

 

プリデスティネーションは予定説、という意味だという。

 

あー予定説ね。自由意志の限界というかなんというか。

それすらも神の手の内で定められていたことだったらどーしよーみたいな。

神を絶対者と定義することで生まれてしまうパラドクスだ。

だから西洋人には深刻な悩みだけど、日本人にはあんまピンとこないやつ。

そんなもんは寺沢武一に倣ってこう言っておけばいいのだ。

あの世で神にもそう言い放ってると思うとクール、ヒュー!(T_T)

寺沢武一桂正和がエロスのバイブルでした・・・。今から考えても恵まれてるなw

 

 

人格神が絶対者であるという定義が間違ってるから、そういうパラドクスが派生する。

としかいいようがない。

心とは移ろい間違うものなのだ。

絶対者がいるとすれば、そこに心や人格などの不完全さがあるはずも無い。

超越者があるとすれば、それは最早指向性さえ無い愛そのものとなる。

 

そういうことばっかり考えていた時期もあったっけな。得意な話題だ。

まだ聞きたい人いればそんなんなんぼでもツッコめるけど。

 

でも一番言いたいことは、

生々流転で色即是空の世界観なら神も法も全てを内包して、自由自在でいられる。

ということだからさ。

 

 

 

 

 

これなー。内容はテンプレ百番煎じみたいなのに、演出が凝っててアニメ的には良かったっていう。鏡の使い方とか印象的で巧かった。

 

 

まどマギも続編のお知らせきたね。まあまだ先だからまったり待つ。

しかし画面の情報量の膨大さに震えるな・・・。脳を鍛えておかなくては・・・

 

 


www.youtube.com

 

 

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ところで火の鳥望郷編がアニメ化するとかいう、クッソチャレンジングな情報がwww

だからwww母が息子や孫息子と交わって子を産むやつだとwww

倫理道徳やタブーが大丈夫なのかって、だからもちろん地上波ではなく独占配信だ。

それにしても誰得・・・?

今の時代の監督に訴えたテーマがどのへんなのか、注目だ。

 

八百比丘尼の話は異形編

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