ものがたりを解釈する

アニメ、漫画、小説、神話、あらゆるものが語りかけてくること。最も深遠な、でも誰にでも開かれている秘密に、解釈というメソッドで触れていく。

すずめの戸締り 仕事と大人

Suzume no Tojimari

 

すずめの戸締り 2周目いってきた~。

 

色々自分の中で未消化だったことの答えが見つかった気がするが、

 

まず帰ってすぐウチの猫をめちゃくちゃ抱きしめて頬ずりしながら「お前はずっとうちの子だよ」「大好き大好き大好きだよ」を10回くらい言った。

奇行に猫は暴れたが。

 

2周目のダイジンはマジで胸にくるものがある・・・。

 

初見での不吉で謎めいた印象を払拭して、

周辺の情報からあらためてダイジンの気持ちを想像するとだ。

 

要石になることは、凍るほど冷たくて動けなくて記憶や体や心が消えていきながら永い時間をかけて神になっていく、そういうツライお役目で。

 

そんなとき、温かい手が抱き上げてくれて、動けるとなったら、とりあえず走って逃げる気持ちも分かる。

 

しかしおそらく、自分を縛るその役目が存在理由でもありエネルギー源でもあったから、

ダイジンは最初はボロッボロなんだよな。

自由になりたかったけど、それを叶える力が無くて、だからもう一度すずめのところへ行く。一度助けてくれた人が、もう一度助けてくれるかもと期待して。

 

すずめは煮干しと牛乳をくれて「うちの子になる?」と言ってくれる。

すずめと主従になれば、式神として主からエネルギーを得られるのだろう。

飼い猫にエサをやるのは飼い主の義務だ。

ダイジンはフワシャキッとして、閉じ師すずめの式として役に立とうと後ろ戸の開く場所へ案内をはじめる。

 

ダイジンとすずめはほとんど会話してないからな~。

いろいろ誤解とすれ違いが生じているし、まあ、薄々察しつつも不都合なことを無視するという心理もあるかもしれない。

 

只人には見えない後ろ戸を開け閉めし、要石を抜くことができたすずめを、ダイジンが閉じ師と認識していても何もおかしくない。

 

要石がどんなものであるか、草太はおそらく羊郎じいちゃんに教わってない。

羊郎じいちゃんはサダイジンと旧知であり敬う態度だったのに、草太は「お前は何者だ!」みたいな認識だったからな・・・。

 

草太が椅子にされて要石にされたように、

ダイジンも猫にされて要石にされた元閉じ師の可能性もなくはない。

というか、要石になることも含めて閉じ師の仕事という可能性だな。

それを教えて覚悟させるか、教えないでなし崩しに封じるのかは、育てるものの裁量によるのかなあ・・・。

わからんけど、過酷な仕事だ。

 

で、ダイジンは要石の役目は何も知らない新人の草太に押し付けて、自分はすずめの側でよろしくやろうと思ってたら、

すずめは「草太さんを戻して」「どっか行って、二度と顔も見せないで」と。

主従の契約を反故にするので、ダイジンは「好きじゃなかった・・・?」でまた急速にボロガリになってしまう。

なんならあそこが一番泣けたんだけど今回。猫がボロになる心的ダメージが自分的にクソデカなのよ。

 

いや、「うちの子になる?」ってさ。

気軽に言っていいことじゃ無いっていうか、すごくすごく重い言葉なんだよね。

 

こどもや子猫が育つまで、衣食住不自由ないように整え、様々なケアをしてやるってことはさ・・・。

 

叔母の環がすずめに「うちの子になろう」と言った、

その言葉の責任を環は12年重く背負いつづけた。

「12年あんたに尽くしてきて」の内実は、家や職場に飾られたたくさんの記念写真、

手の込んだキャラ弁や煮干しが常備されてる台所事情(煮干しで出汁とってる丁寧さ)

貯金を使えるようなってる携帯、仕事を休み東京まで迎えくる行動、随所にあらわれている。

環は実の親でもそこまではってくらい、すずめをきちんと育てている。

 

ま、そのきちんとしてるってことがプレッシャーになるのもわかるけど。

 

サダイジンが環に言わせた、「そんなの覚えてない」「うちから出てって」という拒絶の言葉は、

すずめがダイジンに言った「二度と顔も見せないで」という拒絶の意趣返しなんだろうね。

 

すずめが深く考えずに言った「うちの子になる?」で、

ダイジンがどれだけ喜んで、暖かい自分の居場所を見つけて、役に立てる仕事を見つけて、この先も現世で生きていく縁を得たと思ったのか、

そして拒絶の言葉でそのすべてを失った、その絶望について、

すずめにはもうちょっと配慮してもらいたい!無責任な言動の意味を思い知って頂く!というサダイジンの気持ちには禿同。

 

♪叱ってもらうわマイダーリン♪まで芹澤が歌ったのはアレか。ダーリンであるすずめをサダイジンママに叱ってもらう場面へのフラグだったか。

 

そしてそれでも結局、ダイジンはすずめを導きつづける。

ボロのまま芹沢の車に乗り、ボロのままサダイジンと合流し、

そしてすずめの「ありがとう」で、もう一回ふわふわ元気になるところで、

二番目に泣けたわ今回。

 

ダイジン、手酷くフラれても結局すずめが大好きじゃん。すずめが世界の中心じゃん・・・。惚れた弱みが一方通行ぅぉぉ・・・。

 

で、すずめの「私が要石になるよ!」で、そうはさせじと要石に噛みついて役を引き受けなおし、

「ボク、すずめの子にはなれなかった、すずめの手で戻して」で姿も石像に戻るところが三番目に泣けた。

 

もう2周目の主人公はダイジンだったわ。ダイジン物語だったわ。

報われなくても尽くす悲恋の物語だったわー。

 

 

いやまあ、今度は隣にサダイジンいるから、きっと寂しくないといいんだけど。

 

 

 

 

猫周りがまたクソ長文になったけど。

2周目だからみるべきところは見たよ~。

 

 

まず、宗像という名前から連想する三人の海の姉妹女神。

 

辺千果は黄色いスクーター、スナックはぁばぁ()の二ノルミは黄色い自動車

そして最後に岩戸環が拾って漕いでいく自転車も黄色だった。

三女神は千果・ルミ・環とみるべきなのか。

 

そしてすずめの椅子も黄色だ。傷ついて戸の中に隠れているというのは天照大神

 

何度も出てくる蝶もみんな黄色モンキチョウや黄アゲハ。

冒頭のすずめの布団、バス停の雨宿り、東北の丘、日記の表紙、常世の草原・・・

 

ちな、東京で草太がダイジンが飛び出した道路で轢かれそうになるのも黄色い車。

一方で芹沢のオープンカーとすずめの通学自転車は

 

どういう意味でのカラーリングなのかなあ。

 

スクーター、自動車、自転車、女性は黄色の移動手段を持ってる、という共通項でくくって、

んで逆にいえば、黄色い羽という移動手段もつのは女性であると想起させ、

それが誰かといえば、岩戸椿芽、すずめの母、とか?

まあとりま仮説で。

 

 

 

あと、天気の子では人柱やめて天候制御システムの破棄だったのが、

すずめの戸締りでは要石を据えなおして地震制御システムの維持だったのはなぜなのか。

 

2周目では納得いったわ・・・。

 

 

お仕事だから。だ。

 

 

「大事な仕事は、人から見えない方がいい。」のやつ。

 

 

そもそも天気の子、陽菜と帆高は15歳とか14歳、こども、未成年だ。

 

すずめの戸締りでは、草太が大学4年だから多分22歳。それは、大人や・・・。

大人とこどもは年齢で明確に区切れるわけではないが、

草太は教員採用試験はともかく、

家業の閉じ師はじいちゃんが引退してるから、草太が当代当主ってことなのでは。

若くても重大な家業に責任をもつ人ってことになる。それは大人にならざるを得ない。

 

仕事、責任、役目、職業意識の高さ、プロの矜持、使命・・・。

 

こどもは自由で無責任なら、

おとなは責任と義務っていう対比、あると思います。

 

須賀がオフィスを構えて従業員を雇ったとき、

彼らに給料を払う責任を負い、代わりに、彼らに仕事を割り振り命じることができるように。

 

草太は、当主として閉じ師達に仕事を命じ、またその命を預かる責任を負う。

猫達に、ふたたび要石として閉じ師としての役目を果たすよう命じるのは、大人だからできることでもあり、すべきことでもある。

 

どうりでなー、キャラデザが目が小さめになったなとは思ってたよ。

大人っぽさを意識してたのか。

 

いやー。

 

新海誠ジュブナイルでボーイミーツガールの監督っていう先入観があったのがいけなかった。

あと、アニメはこどものためのものっていう先入観も多少あったな。

 

まさか、大人として仕事にどういう意識をもつべきか、責任をどう負うべきか、なんてテーマがアニメ映画で提起されてるとは。職業ドラマだったとは。

大人になったらな。絶対に穴をあけるわけにいかない仕事とか、身命を賭して、石に齧りついてもやり遂げるべき仕事とか、そういう場面もあるよね…。子育てでもそういう場面はあるだろう。

ブラックだからバックレはバイトの特権つーかw

 

 

でもそう、小説の天気の子での夏美のモノローグ

 

私の少女時代は、アドレセンスは、モラトリアムはここまでだ。

少年、私はいっちょ先に大人になっておくからね。君や陽菜ちゃんがどうしようもなく憧れてしまうような大人に、早くああなりたいって思えるような大人に。

とびきり素敵な、圭ちゃんなんて目じゃないまだ誰も見たこともないようなスーパーな大人に。

 

っていうのが、ちょうどすずめなんだろうね。

高校生のすずめは、ダイジンを要石を据えること、目下のものに役目を命じることで、大人になるイニシエーションを通過したんだろう。

 

誰かになにかを命じること、それは重い責任を負うことだけど。

それで「うちの子になる?」の重さがはじめてわかるというものだ。

親や雇用主や責任者に、使われる方から使う方に、支配と庇護の表裏一体を与えるほうになる、という心の成長の段階がある。

 

 

実感としてわかるなあ。

こどものころ、犬が欲しいといって犬を飼ったけど。

エサを買うのも親の金、病院行くのも親の金、自分が世話をサボれば親が怒る。

自分が飼ってるつもりで責任を負ってるのは親だった。

 

若い頃、職場で半野良みたいな猫をかわいがったけど、自分の生活もカツカツなのにその猫を引き取ってやれなくて、数年で行方不明になってしまった。

 

今、ようやくその頃みたいな後悔がないようにという決心で猫を飼ってる。

避妊去勢注射投薬風呂など、心を鬼にして猫の嫌がることもせねばならぬ。気軽に旅行も行けないし、環の不満もいくらかわかる。

 

 

そういえば、環は婚活がうまくいかないこともすずめのせいにしてたけど、

漁協の同僚岡部稔への応対をみる限り、結婚できないのはすずめのせいじゃなくて、恋愛力が低めな本人のせいだと思うのであった。

 

完璧主義&不器用ぽいというか、「すずめをちゃんと育てる」のタスクで頭がいっぱいで他を見る余裕が無いんだろうね。開閉型9種み。

 

 

 

えーと後そうだ。

 

冒頭の夢の場面の景色。

津波の被害を受けた街がそのままに緑に覆われている、というのは、

実際には無かった光景のはずというか、(片付けがあったはず)

あれはすずめの心が当時の痛みを抱えたままで時間が経過している、という表現に見えた。

常世というのは死者が赴く場所といいつつ、死んだ母の姿が草原にあらわれることは無かった。

むしろすずめの要所でいつも側にいる黄の蝶こそが母の魂のように見える。

 

今回描かれた常世は、心の中、記憶、精神という意味での常世に見えたかなあ。

 

人の心が重しになって、後ろ戸にミミズが封じられているというのは、

人々の平和に暮らしたいという願いが、本来自然のサイクルとして起こるべき地震を先送りにしている、ということだろうか。

集団での願いの力ってバカにできないからねえ。

でもだから、人々が無意識にでなく、もっと能動的に心の力を使えたら、

閉じ師や要石みたいな少数にリスクの高い方法でなく、

然るべき心のメソッドで住環境を治めていくことも可能といえば可能な気がする。

無自覚に誰かに押し付けてしまってるものはきっとあるよな。

それをちゃんと自分のぶんを引き受けられる大人でありたいと思う。

 

 

 

思いつくままに書いたから順番がめちゃくちゃだが、2周目の感想はそんなもんで。

 

前回はボッチ観賞で、今回は人と一緒に行ったのだがその人は君の名は天気の子よりすずめの戸締りが良かったそうだ。

 

色々あるね!

 

 

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