ものがたりを解釈する

アニメ、漫画、小説、神話、あらゆるものが語りかけてくること。最も深遠な、でも誰にでも開かれている秘密に、解釈というメソッドで触れていく。

海獣の子供、考察だけまとめ。

[まとめ買い] 海獣の子供(IKKI COMIX)

 

いつも長すぎると言われるので、考察だけ短くまとめとく。

 

 

・海に落ちた隕石に含まれていた微生物が、地球の生命の起源となった、パンスペルミア説。

君の名は、やポニョ、ヴィーナス誕生の神話などでも示唆される、普遍的なモチーフが物語の核になっている。

 男女の役の入れ替わり、反転のモチーフも君の名はに似てるなあ。

 

海君が琉花に見せてくれた人魂、海君が飲む流星は、卵子と結合する精子的なものと符合する。

 

・空君はセイレーン、海君は人魚姫。

アンデルセンの人魚姫、人魚姫は王子に恋をして、

声を失い足も痛むけれど、海をでて陸の王子に会いに行く、

けれど王子は声の無い少女ではなく、隣国の王女に夢中で、

失恋した人魚姫は海の泡、空気の精になる。

 

海君(人魚姫)は琉花(王子)と出会い、彼女を探して人魂を一緒に見たいと思う。好きになってる。

琉花が波打ち際で空君(隣国の王女)と出会い、何よアイツ意地悪ね、とか意識しだすと、

海君は声がでなくなってしまう。人魚姫は、王子に自分を見てほしいとは言えないからだ。

 

空君はセイレーン、セイレーンは魔性の歌で船乗りを誘惑して海に落とす。

けれど船乗りが誘惑を退けると、セイレーンは身を投げて岩になってしまうという。

 

空君は「おねいさん、さみしいなら、遊んであげようか」と妖しく誘う。

波打ち際で空君が腰かけている岩が、映像のなかで強調されている。

 

琉花は、海君を選ぶ。心のやりとりをして、映画では腕を掴みかえしている。

 

誘惑を退けられたセイレーンの空君は退場する。

琉花に口移しで隕石を渡した時、突き飛ばされて拒否されてる。

 

海君(人魚姫)は、恋はかなうんだけど、泡になってほどけてしまう。

男女が両想いになれば、次にすることは繁殖で、隕石と海が混交して泡になることは、次の生命系の誕生を意味するからだ。空気の精は光の柱になって昇っていく。

 

 

・琉花、ルカ、LUCA

ルカ、はもともと男性名なので王子的な名前としてもいける。

LUCAは生物学の用語で、全生命共通の始祖型生命。真菌、古細菌、微細な生命の祖。

パンスペルミア説でいうところの、隕石に含まれていた生命の素のこと。

 

 

・腹に女神の姿をもつクジラ

クジラの歌で、ありふれたコンドライトの隕石は、生命の素、とめどなく水を生む石として目覚める。

前作魔女に、似た設定の隕石と、その世界観の説明がある。

石は固有の性質を秘めていて、なんらかの条件によって覚醒する、というものだ。

 

クジラは産道でもある。

クジラの腹で気を失ったあとは、水に満ちた狭い洞窟だ、トンネルを進んでいく。

それは産道の普遍的なイメージだ。そういうところを通ってすべては生まれてくる。

 

隕石を飲んだ海君、精子を受精した卵子、受精卵の海君はそこをくぐって、

誕生祭で新しい生命系や銀河のような渦巻きに生まれ変わる。

 

 

八百比丘尼

人魚の肉を食べた者は、不老不死になるという。

琉花は、泡、渦巻きをひとつ、握ってもちかえり、食べる。それは海君、人魚姫の一部でもある。

琉花は長命になるだろう。齢とって語り部になるのもそんな感じの描写だ。

 

 

・アングラードの失言

彼がジムに焼き討ちにされて、誕生祭に居合わせることができないのは、あまりにおしゃべりが過ぎた。

「どちらが特等席につけるか、競争しよう」これがマズイ。

口は禍(わざわい)のもと、というのは前作魔女にもある。

アングラードとジム、

そそのかす者と実行する者、

直感はあるけど実行の力をもたない者と、能力はあるけど直感や正しい心をもたない者

というペアの作り方も、

魔女ディザインズで似た関係性がくり返し描かれている。

 

彼らは、調和した心と力を併せ持つ主人公達に対して、

不完全な者、黒幕、敵キャラとして描かれる。

 

 調和、それが秘密へ至る道のヒント、あるいは秘密の感覚そのものだ。

 

何度も渦巻き、螺旋、回転イメージが出てくるのもそれを示している。

 

この先はどうしても考察を逸脱した解釈になるので、他記事にわける。

 

 

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ハウルの動く城を解釈する5 黒い穴の秘密。

Howl's Moving Castle/ [Blu-ray]

 

ソフィもいわば魔女なんだと繰り返してきたけど、
いつからソフィは魔法を使えるようになったのか、きっかけがある。

 

あの空中散歩だ。
ハウルに寄り添われながら「足を出して、歩き続けて」
そのとおりにできたら「上手だ」と。
あれは魔法の手ほどきにもなっているんだろうな~。

ソフィが帽子屋であることも、魔女の下地になってる。それは後述する。


あと指輪はハウルカルシファーの方を指すほかにも、
「無事に行って帰ってこれますように」ていうまじないがかかってる。
扉の向こうの黒い空間のなかで、目的地に行ったところまでで壊れちゃうけど。帰り道にはヒンがいた、と。

 

黒い空間にアクセスする時は、十分に注意が必要で、
我流では危険が伴うってことも宮崎駿は描写している。

 

黒い空間に体ごとダイブするような接続をすることに、どういう危険が伴うのか・・・
色々考えられるけど、まあ魔王になるとか、荒地の魔女のようになるってサリマンは言ってたね。
堕落する、堕天使になるっていうか、菩薩の死、なんて言葉もある。

 

力のあるヒーラーや、スピリチュアルなマスターが陥りがちな罠だ。
具体的にいうなら、病気になる、酒色におぼれる、金を集める、人を支配する・・・ 、
目がどろっと濁って肌艶が悪くなり、太るか逆にガリガリになるとか・・・
うさんくさい新興宗教の親玉みたいになって多くの人の人生を狂わせるとか、死ぬとか。
死んだあとも、よろしくない存在になって彷徨うとか。
そんな感じかなぁ、あんまり考えたくないけど。

 


Q 妹のレティは帽子屋はしないのかな?

 

そりゃ~向いてないね。だって妹が働いてるのは喫茶店のお菓子売り場だよね。
お菓子売り場って女性客が多いところなのに、 妹の前には大勢の男性客が押し寄せて、声をかけてくるスタッフも男性ばかり。
妹は容姿が華やかで、性格も良くて、もう大人気のモッテモテ。
ソフィだけじゃなく、おおかたの女性が劣等感を抱くであろう要素がてんこもりだ。

 

一方、ソフィの帽子屋にあるのは女物の帽子ばかり。
この店で妹が商売しても、男が詰めかけて、女は来なくなるだろうねww

母ハニーもどう見ても妹と同じ属性だ。
だから余計にソフィは「この店を守れるのは自分だけ」とか思ってたんだろう。

 

 

さて、魔法の力は黒い空間から来る。

黒い空間を入ってすぐのところには人間の無意識・深層意識、ユングの言う集合的無意識なんかもある。

進んでいくと、流れ星のような存在のいる層がある、そして対価や代償のいる魔法、法則、きまりごとの層がある。

そして、黒い空間のもっとも深奥というか、最上層には 奇跡 創造 の領域がある。

 

黒い空間を進む道のりにはロードマップがあるってことを言いたいんだ。


これを作中だけから読み取るのは無理だと思う。
素養とか才能で解る人もいると思うけど、予備知識がいる。

 

そのロードマップは普通の生活では感じないけど、
人間存在が道を求めだすと、向こうからやってきたり、そこにあったことに気が付いたりする。

 

それは古い知恵や、神話のなかにある。

 

禅みたいな精神修養とか、密教、精神世界のメソッドは
ロードマップの通りに道を進んでいく練習方法だ。

 

自分もこの解釈を書くにあたって参考文献を使ってる。
シータヒーリング、ヴァイアナ・スタイバル著だ。
この本にも注意点はあるんだけど、ロードマップについての詳細さは素晴らしいと思う。

領域、層、コマンドというのもこの本の用語だ。便宜上自分もこの概念をしばらく使っていく。


ソフィは最初は無意識に奇跡を使っている。
これって実は多くの人間も普段から同じことをしている。

人間存在は奇跡や創造の領域から生まれてくるからね。(これマジ)

さいころは神様がいて、不思議に夢を叶えてくれた っていうのはそういう意味だ。

心がガラクタの山の状態でも、その領域との接続は弱まりはしても切れてしまったりはしない。
生きている、存在している、っていうエネルギーは常にその領域からやってきている。


母と和解した後、ソフィの姿は完全に元の年齢に戻っている。

実母なのか義母なのか、とにかくハニーはサリマンのパシリだったけど、
ソフィをまるで愛していないってわけじゃない、自分の方が大事なだけで。

 

まあでも「ごめんね、みんな私が悪いの。」って言って抱きしめてくれる。

そしてソフィも母を抱きしめた。

 

許すこと、それこそがあらゆる呪いを解放する感覚だ。

 

ここでソフィの心は「美しくない」とか諸々のガラクタの思考パターンを解放したんだ。
髪は白いままなんだけど、ここからソフィの心は完全性を取り戻した。

 

それは扉の向こうの黒い空間を自らの意志で進み、
最奥、最上層の領域の力を行使できる準備が整ったよ、っていうこと。

 

ソフィは母を許した時、
ハウルはガラクタの城が崩れ落ちて、身軽な感じに再構成された時、準備が整った。

ここまで入念に癒しの手順を描いたからこそ、本物の神秘を描くことができたんだと思う。

 

ソフィは、サリマンとは戦っちゃいけないってことが解っていた。
勝ち目もなかったけど、勝つとか負けるとかそういうレベルじゃ、ハウルの呪い(母性の支配)は解けないから。

だからソフィは扉の先の黒い空間へ歩いていく。
ここからの行いはカウンセリングなんてレベルじゃない、最も高度なヒーリングだ。
危ないから、良い子は絶対マネしちゃいけない。

 

黒い空間を進んでいくと、ハウルが少年時代を過ごした水車小屋に着く。
これはハウルの原風景、心の核になっている心象風景だ。

 

「ソフィなら自由に使っていいよ」という許可をハウルが事前に出していたから、
ソフィは他人の心の中に踏み入ることができた。

許可なしに他人の心に踏み入る(物理)とか、しちゃいけないのは感覚的にわかるよね。

水車小屋のドアを開けると、流れ星がたくさん降っている。
一瞬サリマンの魔法のシーンが差し挟まれるのは、 サリマンもハウルもこの星を捕まえて契約して行使する、という同じ魔法を使っているという意味だ。

 

流れ星の存在が、水面を走った後、沈んでいくシーンがあるけど、
あれは流れ星の存在には肉体がなく、この三次元の現実の層では少しの間しか力を行使できず、還っていく存在である。ということだ。

 

流れ星の存在のいる層には色んな存在がいる。
悪霊、妖怪の類から、八百万の神々、精霊、天使、神霊・・・
ま、見たことはないけど名前は知ってる力ある存在のおおかたはこのへんだ。

 

千と千尋の舞台もこのへんに設定されている。異界とでも言うのかな。


あそこでは逆に三次元の物質的存在である千尋の姿が透けていってたのはそういうこと。存在のルールが違うところなんだ。

ハクが千尋に「何か食べないと消えてしまう」と食べさせると、千尋は透けなくなるよね。
あれはヨモツヘグイっていう行為だ。普遍的な伝承で、類型は世界中にある。

 

逆にハウルでは流れ星存在に、心臓という自分の血肉、物質の依り代を与えるんだ。すると流れ星はカルシファーになる。
それは受肉、召喚、そう呼ばれる。これも普遍的なイメージだ。

 


さて、いよいよ「未来で待ってて」だ。


ここがこの物語の肝心要だ。この世界で最も素晴らしい秘密が暗喩されている。

ここまでの描写ができるクリエイターは本当に一握の天才だと思う。

でも、それは本当は誰にでも開かれているものなんだ。

魔法の勉強をしたこともない、しがない下町の帽子屋の娘にでも。

 

自分にも、誰にでも、すべての人、あらゆる存在にもだ。

 

ソフィは水車小屋を出て、 ハウルが心臓=心の一部を代償に星と契約しカルシファーになったのを見た。

ここまではハウルの記憶というか、過去の再現だ。

そして指輪が壊れて、ソフィの足元に黒い穴が開く、
ソフィはそこに落ちるっていうか、体がその黒い穴にある状態で、ハウルカルシファーを見るよね。

 

この時の足元の黒い穴が、秘密だ。

 

あの黒い穴には、色んな呼び方がある、色んな呼び方は同じものを指しているんだけど、
そのどれもが完璧ではない、なぜなら、それは言葉で表せるようなものじゃないからだ。

 

0無限
アルケー、原初の神話的混沌、混元、カオス、乳海、(くう)、
大日如来ブラフマン天御中主神
、ひ、プラーナ、
あらゆるものの創造の源のエネルギー、全知全能ゆえに零知零能。

そういう言葉が伝えようとしているものだ。

 

そこへ至り、はじめること。それが 奇跡 創造 だ。

 

それには対価も代償もない。
善も悪も、因果も時間も、あらゆる法則も、
何もかもすべてを超越しているし、

 

もっと言うと、
この世界のすべてはそう呼ばれる何かの一瞬のふるまいに過ぎない。
その何かに至ってから観れば、すべては儚い幻、夢に過ぎない。

 

ソフィはそういうものを暗喩している黒い穴に身をおきながら、ハウルカルシファーを見る、名前を呼ぶ。
あの状態だと、あらゆるすべてが可能ということになるので、ピントを合わせること、ターゲッティングが重要だ。

 

そして「私はソフィ、未来で待ってて、必ず行くから」と言う。これはコマンド、創造、世界との約束、奇跡、真に力ある言葉だ。

 

あの黒い穴は、「過去から現在へと時は流れ、それは不可逆である」みたいな時間の法則をはるかに越えたものだ。だから時間を超えた操作もできる。

 

代償のいる魔法のレベルだと、過去改変は相当に厳しい
時間の法則のようなきまりごと、法、というのは霊的存在より上位の層だからだ。

 

ソフィが花畑で「不思議、ここに来たことがある気がするの」とか、
ハウルが最初に「やあ、捜したよ」とソフィに声をかけること、
時間を超えた縁の描写はこの「未来で待ってて」によるものだ。

 

実は、ハウルの呪い(母性の支配)はガラクタの城が崩壊した時点で多分解けている。支配を受け入れる思考パターンはガラクタだからだ。それは解決済み。

で、残る問題は、ハウルカルシファーを契約から解き放って、それぞれに完全性を取り戻すこと。

だが、ハウルは魔法の使い過ぎ、代償の払い過ぎで人の心を失い怪物になってしまう寸前・・・というか、 もう手遅れだったと言っていい。魔王、怪物に変じてしまう。

だから「待ってて」なわけだ。

魔王、怪物になるのはちょっと待て、と。行ってなんとかするから、と。

このソフィのコマンドによって、ハウルはもはや人の形もなくして力も尽きているにも関わらず、ギリギリ怪物にはならないで、ドアの外で「待ってる」。

 

で、カルシファーも水をかけられて、おまけに荒れ地の魔女に握りしめられているのに、 ソフィーを「待ってた」。
水をかけられても死ななかったのは、ソフィが「待ってて」とコマンドしたからだ。

 

あの黒い穴に至って使うコマンドには、
時間や因果さえ越えて、もうどうしようもないはずのことを、どうにか留めおいてしまう、そういう力さえある。

 

ハウルカルシファーも、致命傷が入ってるのに死なないで、とどまっているんだ。

 

首を切られているのに、なぜか死んでないってくらい、ありえないことなんだ、と言うと少しは伝わるかな?

 

魔法以上のなにかでないと、これはできない。だから奇跡と呼ぶ、便宜上ね。

 


そしてああいう何かに意識的にアクセスしたあとは、帰り道も重要だ。
もし迷えば、しぬよりヤバイことになりかねない。

 

「待ってて」のあと、黒い穴に吸い込まれたソフィは、空の上、雲より高いところから落ちてくる。

 

あそこは一瞬だけど重要な描写だ。自分はその場面でこういうことに気が付いた。
あれは、最も高い高~い最上層に行ってきたんだよっていう表現なんだ。

 

ソフィが降りていった心の奥底、最深層と、
この有限の世界の最上層は、同じところへ至るということでもある。

 

そして指輪は壊れてしまったけど、ヒンが帰り道を知っている。
ヒンはサリマンの足だと教えてくれた人がいたけど、
サリマンも、雲より下まで降りてきた、この辺までは良く知っているところなんだ。

 

雲より上から落ちてきて、金色の光に照らされた空から、
黒い空間に降り立って、黒と赤の空間を降りてくる。

 

これは、シータヒーリングの本で読んだロードマップどおりの道程だ。

雲は灰色の塊、法、第6の層をあらわす。
金色の光、空は、神聖存在のいる異界、第5の層をあらわす。
黒い空間は、精神や意識、霊的存在の異界、第4層、
黒と赤の空間は、この物質の世界、人間界、現世、第3層だ。

そして扉をくぐって、ソフィとヒンは帰還する。

 


・・・・・

伝わったかな?「未来で待ってて」がどんな意味をもつのか。

色んな要素が入り乱れているし、通常では使わない概念がてんこ盛りだから、
こんな解説だけで解った人がいたらむしろビビるけどw

 


当時のスレでは、ここがメインディッシュだったので、
後は雑感やQ&Aになっていく。

 

 

 

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ハウルの動く城を解釈する4 マルクルと坊、動く城の意味するもの。 

さんけい みにちゅあーとキット スタジオジブリシリーズ ハウルの動く城 ハウルの城 ノンスケール ペーパークラフト MK07-21

 

Q マルクルっていつからハウルといるの?家族が欲しそうだったけど。

 


マルクルが家族が欲しそうっていうのは
「ソフィ行かないで、僕ソフィが好きだ」とか「僕たち家族?」ってセリフがあるからね、そう思うけど、

マルクルって、キャラの背景とか、動機づけが全然描かれない。
彼はソフィに懐くし、ヒンを「飼っていい?」と聞く、荒野の魔女に孫のように寄り添うし、労わる。
彼は子どもらしくふるまい、メンバーを家族として繋げていくけど、
それはメンバーと物語にとって必要なことなんだけど、
でも彼がなぜそうするかっていう動機はまったく描かれていない。

だから仕草とか子どもらしくてかわいいけど、あまり魅力的ではないと思ってたな、最初のころは。

でも宮崎駿がさ、そんな不手際なキャラ造形するわきゃなかったわ。こども大好きおじさんなんだから。

 

マルクルって、声をあててるのが神木隆之介だよね。
前作、千と千尋の神隠しで坊だった彼がまた登用されていることでも、
湯バーバと坊の関係性の物語がハウルの動く城に引きつがれているのを感じるんだけどさ、

もっと言うと、つまりマルクルって坊なんじゃないかな。
家族の中で育つって、子どもにとって必要なことだったのに、坊はその機会を奪われていた。
千尋と冒険して、成長して帰ってくるけど、 宮崎駿はもっと坊を描きたかったんじゃないかな。生みだしたキャラに救済を与えてあげたかった。

 

だからマルクルの動機や背景は、ハウルの動く城じゃなくて千と千尋の中にある。
「家族の中で育つ子ども」だ。

マルクルは坊の「家族のなかで育ってみたかった」っていう思いを
ひきついでいて、それを昇華するキャラなんだと思う。

 

そうと思って見れば、顔も似てるしね。
ちょっとツリ目気味の三白眼に、輪郭がちょっと角ばってる感じ、髪が上に立ってるのも赤ちゃんぽいし。
坊があんなとこに閉じ込められてないで、普通に子供に育ったらきっとあんな感じじゃないかな。


神木隆之介と言えば千と千尋ハウルの間の時期かな?キリクの主演もやってる。
あれも対立を争いを超えて解決する素晴らしい物語で、そこもハウルに通じるものがある。
しかもハウルは難解だけど、キリクは明快にそれが解る物語だ。

 

 

さて、まだ、動く城そのものについてのトピックが残ってた。

ここを切り口にして、動く城の扉の「この黒いところはどこに行くの」「ハウルさんしか知りません」という黒いところってなんなのっていう話に入っていきたい。

 

サリマンも「逃がしませんよ」と杖をついたとき、地面に一瞬黒い穴が開くよね。
あれも同じところへアクセスしたって表現だ。

そういえば、まずサリマンから波が迫ってくるのは、海は母の象徴だからだ。

 

この先はどうしてもあやしい話になるけど、どう観てもそうとしか思えないのでしゃーない。

物語のすべてを知りたいなら、物語に隠された普遍的な真実をあきらかにし、受け入れることだ。


ハウルの動く城、いわゆる城、っていうと普通はもうちょっと貴人が住む壮麗な建物とかを想像すると思うんだけど、

どう見てもあれってガラクタの山に足が生えて 怪物になって動いてるって見た目だと思わないかな?

原作のダイアナ・ウィン・ジョーンズの本だと、もうちょっと動く城っていう言葉どおりの挿絵がある。

 

しかも外からみると巨大なのに、中の生活空間は広いとは言えない。
めちゃくちゃに散らかって天井から埃が垂れ下がるレベルの汚部屋であることを差し引いても、
暖炉のある一階はキッチンとダイニングと玄関がひとまとめにあって、
二階はマルクルの私室、ハウルの私室で、ベランダも大して広くない。

あろうことかトイレ、風呂は同室だ。ユニットバスの城なんか聞いたことねーわw

当然客間もないからソフィは一階の隅、階段の下で寝てたよね。

 

動く城は、ハウルの心がどういう状態なのかを表している。
実はあらかたの人間たちの心もこういう状態にある。

 

ラクタの山をまるごと、大量のエネルギーをつぎ込んで動かしているのに、
実際に使う空間は狭いし、散らかっていておよそ快適とは言えない。

ハウルの私室をぎゅうぎゅうにしているのも魔女除けのまじないだと言ってて、
仕事部屋や書斎なんかもないから、
暖炉の前で本読んで道具使って炊事して飯食って・・・
ていう生活が見えるようだ。洗濯なんかしてたとは思えん・・・。

 

ラクタのかたまりの動く城は、まず中をソフィによって掃除される。

そして引越しの魔法で、家族の住める広さと快適さになる。

引越しを見て、ハウルはいつでも魔法で部屋を片付けられたのでは、と
思った人もいただろうが、それはしないっていうかできないっていうか。
ハウルの心そのものの姿だからね。

 

そして終盤では解体されて、あらかたのガラクタを捨ててコンパクトになって、シャカシャカ走り出す。

ラストでは木なんか植えて、庭もついて、居心地の良さそうな家になって、
空を飛んでいく。

 

空を飛ぶのは宮崎駿が好む表現だけど、
この物語で示されたようなプロセスを経て、人間の心ってものが完全性へ近づけば、 マジで人は空ぐらい飛べるかもって思う。

 

ハウルの動く城では、みんな姿がどんどん変わる、
ソフィも荒れ地の魔女もハウルも。マルクルの変装はおまけかなって気がするけど。
彼らの外見の変化は、すべて内面の変化にシンクロしている。 意味のある描写なんだ。

 

動く城もそう。変わる事には意味があって、物語は読み解かれるのを待っている。

 

ラクタってのは、なんのメタファーなのか?
それは人間の心をがんじがらめにしている色んな思い込みのことだ。
言い方は色々ある。
コンプレックス、思い込み、常識、トラウマ、しがらみ、思考パターン、ルーティン、過去の再生・・・
しきたりとか規範とか信条とか信仰とか、まだまだあると思うけど。


人間存在は本来、奇跡や創造の領域から生まれてくるんだけど、 生まれて来るとそのことを忘れる。

そして親や自分を育てた人間、周囲の環境から実に様々な思考パターンを吸収して育つ。

そして人格が形成されたころには、ガラクタの山のような膨大な思考パターンを自動再生しながら生きている、というような状態になる。
もちろん人によって程度の差はあるけども。

 

ここから脳や心のはたらきをパソコンにも例えていく。

ラクタの城を動かすのに大量のエネルギーをつぎこみ、 なのに実際には大して使えてないってのは、
デスクトップがアイコンでいっぱいで、色んなプログラムやアプリが開いて機能が衝突とかしてて、処理が落ちてて、ネットも電波が弱い、みたいな散々な状態だ。

 

自分のパソコンがそんな風にパフォーマンスが落ちてると気が付いたら、どうする?

まずアイコンはゴミ箱に捨てて、ゴミ箱を空にする。
アプリは閉じて、いらないのや衝突してるのがないか調べてアンインストールする。
ネットは接続を確認して、安定して容量の大きい回線に、そんで再起動するやん?

 

ソフィのお掃除はこれに相当する。
ヒーリングってまずはクリーニングなんだよね。

 

話が抽象的過ぎるかな?
なんか例をあげるなら、ソフィの心も城であらわしたとしたら、やはりガラクタがある。
「私は美しくない」「だって長女だから」「帽子屋をやりたいかはわからないが、父の店を守らなくては」「みんなで力を合わせるのは嫌い」「誰も頼らない、頼れない」

で、ハウルなら
「美しくなかったら生きている意味がない」
「母性に愛され、認められていたい」
こういうものがガラクタの思考パターンだ。

 

こういう思い込みは数限りなくあって、人間存在のパフォーマンス(性能)を落としている。


人の脳や心を、パソコンに例えたけど、

実はハウルはパソコン本体は処理が落ちたガラクタの城の状態なのに、
ネットだけはめちゃめちゃに強力、といった状態だと言える。

サリマンの「あの子は心をなくしたのに、力があり過ぎる」みたいなセリフはこれのことだ。

 

魔法や創造に続く黒い空間は、ネットに例えると理解しやすい。 また、ハウルはドアの向こうに体ごと飛び込んでしまうけど、
サリマンは杖を使い、黒い穴の空間もごく小さく開ける。 この差は二人の力の使い方、習熟度を表している。

本体の性能が落ち、心が欠けた状態で、体ごと黒い空間へダイブするのは危険な行為だ。

 

ソフィは扉の向こうの黒い空間に進む時には、様々な準備を経て、ほぼ本来の年齢の姿だったし、
指輪というコンパス(目的地を指すもの)とヒン(現実への帰り道を知るもの)という道案内があった。

 

準備を整える、これは大事なことだ。

 

サリマンの追っ手を撒いたハウルが透けて半人半鳥の血まみれで帰ってきた後、 ソフィが娘の姿でハウルの私室に入る場面がある。
ソフィが娘の姿で身支度するのに違和感を感じない事、そして寝ててはっと起きる感じな事で、
あの一連のシーンは現実ではソフィは寝てて夢を見て、でも2人の心のなかでは本当に起きたこと、夢だけど、夢じゃなかった、ていう場面なんだけど。

 

ソフィがドアを開けると、部屋がトンネルになってる。
 
そしてなぜか、道が二股に分岐しているんだ。

ソフィは、左側の道、木馬のある道を選んで進む、そしてそこには鳥の怪物みたいなハウルがいる。
これはハウルの顕在意識のほうへと進んだってことだ。

そしてそこが夢のなかで、本来の姿だから、ソフィはハウルに「愛してる」と言うことができる。起きてるソフィだとまだそんな思いきったことは言えないよねw
そして「もう遅い」とか拒絶されるから老婆に戻って目が覚める。

 

で、もう一方の道はどこへ続いていたんだと思う? 右の道、ドラゴンのような怪物の方の道だ。

 

それは、集合的無意識へ続いているトンネルだ。
ソフィが指輪とヒンを伴って行く扉の向こうの黒い空間のことだ。
そこは魔法やきまりごとのあるところ、流れ星の存在がいるところ、
そしてその先の 奇跡 創造 の領域へと続いている。

 

そういうもののことは、そうと気がつきさえすれば、
実は今までも結構色んなところで目にしていたってことが解る。

 

魔女の宅急便の主題歌とか。

 

小さい頃はかみさまがいて 不思議に夢をかなえてくれた
優しい気持ちで目覚めた朝は 大人になっても奇跡は起こるよ
カーテンをひらいて 静かな木漏れ日の優しさに包まれたなら
きっと目にうつるすべてのことはメッセージ

 

これはもう完璧に、今から言いたいことを表現してる歌だ。


・・・・・


ここで当時のスレッドでは寝落ちして日を跨いだので次の記事へ。

 

 

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ハウルの動く城を解釈する3 魔法の代償、名前の意味。

ロマンアルバム  ハウルの動く城

 


Q 荒地の魔女がサリマンから贈られた葉巻を吸うけど、この葉巻の効果と、葉巻を吸った理由は?

 

A 
葉巻は、サリマンの作戦だ。
サリマンは荒地の魔女ハウルと一緒にいることを知っている。
荒地の魔女ハウルの心臓が欲してることも知っている。

 

で、ハウルの居場所はわかったけど、
カルシファーの守りが強くて、戦力を送り込むことができない。
だからソフィの母ハニーをスパイに使って、まず葉巻とのぞき虫を送り込む。
荒れ地の魔女とひどい臭い煙の葉巻を使って、守りの要のカルシファーを弱らせようとした。あの煙でカルちゃんは弱る。燃えてこなくなる。

 

荒れ地の魔女は疑似家族のなかに組み込まれてるけど、
別に味方になったわけでもないんだよね。

かと言って敵でもないというのがミソなんだけど。

ハウルがピンチになれば心臓を手に入れるチャンスだから、
「これでカルシファーを弱らせなさい」というサリマンの誘いに乗ったわけだ。

 

でも荒地の魔女はサリマンの覗き見は気に食わない。
だから覗き虫は「カルちゃん燃して」と。
その虫も異物としてカルシファーを弱らせてたね。
「しっかりしろ」とハウルが取り出したけど、カルシファーかわいそうww


まあ、その辺はちょっと関係が複雑といえば複雑だ。

 

 

Q 荒れ地の魔女は何故、ハウルの心臓に執着するのか。

 


荒れ地の魔女は 欲 そのものの権化と理解すればいいと思う。
欲しいったら欲しい、手に入れるまで欲しがる。ていう行動原理なんだ。
なぜ、とか手に入れてどうする、は知性とか理性の領分だ。
きっと彼女は欲しいという思いが生まれた瞬間からもう盲目的に欲しい!しかないキャラ。
王様とかサリマンへの執着もなんか、「この日が来るのを50年もずーっと待ってた」とか言ってたじゃん? 50年だよ・・・?
コントロールされない欲が人を執念、執着、妄執のかたまりにしてしまうっていう描写でもある。

 

ハウル荒地の魔女の関係に、
なんか象徴的とか心理学的な意味がないかってことなら、

この2人って実は作中では会話する場面が一回しかないよね。
「あなたとはいつかゆっくり話がしたいわ」「僕もですマダム、でも今は時間がありません。」 この2人に関してはこのセリフが全てなんだな。

 

というのも、ハウルは情動や感情で、荒れ地の魔女は欲。
この2人の示す心の働きはきわめて近いところにある。
だからこの2人は荒れ地の魔女が欲しがって、ハウルが逃げるの平行線っていうか、
クロスして関わることで生まれるドラマチックっていうのがあんまりないんだと思う。

 

荒地の魔女が「若い心臓はいいよ~」とかいうところもあるけど。
なんかおぞましい若返りの魔術とかに使うのかなーくらいの感じじゃないかな。エリザベート・バートリみたいな。

この世界の魔法の概念だと、他人の心や力を奪ってそのまま自分の力にする、
なんてことはできないと思う。

それかまあ、荒地の魔女も統合への希求はもっているのかもしれない。
心を完成させたい、そういう普遍的な希求だ。

 

 

Q 魔法には代償がいるっていうけど、それは悪魔絡みの私欲を叶えるための魔法に限られるのでは?
代償うんぬんは作中で言及されていないし、
また、解除の魔法はソフィだけっていうけど、サリマンは荒れ地の魔女の魔力そのものを解除してた。

 


確かに作中には言及はない。そう読み取れる、というひとつの解釈だよ。
その世界観についてもおいおい書いていくけど、
そこをどう読み取ってるかっていう根拠としては、

 

王に扮したハウルが言う「サリマンの魔法でこの城には爆弾は落ちないが、代わりに周りの街に落ちる、 魔法というのはそういうものだ」という大事なセリフの他にも、

 

魔法には相応の対価とか、代償が必要である。

 

と暗喩している場面は繰り返しあって、

カルシファーの「そいつら後悔することになるな、まず人間には戻れないぜ」とか、
交戦で鳥化や攻撃の魔法を使ったあと、ハウルの姿がひどく疲れて透けた様子だったり、
ハウルが花畑で飛行機を攻撃したとき、手が異形になって震えていたり。
ソフィがカルシファーに髪を与えて力を強めたり、
「どうか~しますように」で髪が星色に染まったり。

 あと、サリマンの魔法だと、
荒地の魔女が門を通るときに人形の絵みたいな魔方陣が光る。それでゴム人間から空気がぬけてしまう。
荒地の魔女に階段をのぼらせると、若作りの魔法が解けていく。「本当の姿にもどしてあげただけです」で、
荒地の魔女に360度で光をあてて、 影で籠目籠目をするやつには、誰かの手が電源を入れるカットがあるよね。
ああいう風に、電球のセットとか電気とかも対価に相当する、と読み取れる。
それで魔力を剥奪する。「もう魔力はありません」だ。

確かにどれも解呪的だけど、魔方陣、階段、電球セット、とすべて対応する仕込みが描写されてる。


悪魔絡みの私欲の魔法、かあ。
サリマンがそういうことを言うからね。でもそれはサリマンの話術だ。
虚実が入り混じるあのくだりも後で細かく検証する。

結論だけ先に言っておくと、
魔法とは方法論、技術、そういうものであって、それ自体に善悪はない。

 

 

Q かかしのカブの意味は?

 


カブはかかし、かかしっていうのはオズの魔法使いに出てくるかかしなんだ。
ドロシーやかかし達はエメラルドの都の魔法使いオズに、それぞれ願いを叶えてもらいにいく。
かかしの願いは「知恵がほしい」だ。
だからカブはソフィを好きになってついてくる。

 

かかしは、藁や木を組んで人の形を模したものだ。人の形をしたモノ、物質、命のないものだ。
そのかかしが人間に変身するというのは、つまりこの物語全体を象徴している。

 

ソフィ、ハウル荒地の魔女はそれぞれ心の重要なはたらきを示すのに、 物語開始時、それぞれ欠陥を抱えてる。
ソフィ(知)は自分を抑圧しているし、ハウル(情動)は一部が解離している、 荒れ地の魔女(欲望)は野放しでやりたい放題だ。

それが紆余曲折を経ておのおの完全性を取り戻したとき、

 

この物語全体が、ひとつの完全なこころ を示すものになる。

 

その瞬間、心、命を得たかかしは、人型の物体から人間へと生まれ変わる、というわけ。

 

頭がカブなのにも意味がある。

民話の大きなカブだ。

おじいさんおばあさん、孫娘に犬に猫にねずみまで、ちからをあわせてカブを引っこ抜くアレだ。

ソフィは「私、小さい時からカブはきらいなの」と言う。

 

ソフィって、冒頭で帽子屋のスタッフたちが楽しそうに出かけようとして、 
「ソフィさんもどうですか」って、誘うのを断るよね。 
仲が悪いんじゃないだろうけど、距離をとってるっていうか。 
おしゃれして出かけるとか、華やかな場所も自分には相応しくないと思ってるんだろうけど、 
老婆の呪いをかけられた後も、家族や帽子屋の誰にも頼らず、相談せず、助けを求めず、 ひとりでさっさと婆さんとして、出て行ってしまう。 
非常事態が起きた時、普通なら頼れる人間の一人くらい 思いつきそうなものだけど、ソフィにはそういう人はいないらしい。 

これは、 長女だからとか美しくないのほかにも、
「誰も頼らない、頼れない」「自分ひとりでやらなくては」 っていうのがあるんだな。 

だから、みんなでちからを合わせる、の象徴のカブはきらいなんだ。

 

ソフィは、最初はひとりでカブをひっこぬく。

で、杖をもらって城に入るところで「あんたはいいカブだったよ」と認める、改める。

次は城にひっかかってるカブを「マルクル手伝って」とふたりでひっこぬく。

そして城にとびこんだ飛行機械フライングカヤックにロープをかけてひっこぬくときは、

ソフィ、カブ、マルクル、ヒン、みんなでちからを合せてひっこぬく。

 

ソフィも物語の中で、頑ななものを手放していく、みんなで力を合わせることができるようになっていく、という描写になってる。

 

 

 

さて、
名前の話の続きだけど、

カルシファーの名前が「熱量」を表すカロリー(calorie)と悪魔を表すルシファー
を足したものだっていうのはググればすぐ出てくる公式っていうか周知の話なんだけど、

 

サリマンの名前の由来って調べてもでてこないよね?自分は見たことない。

でも自分はサリマンは、サタンとアーリマンを足した名前だと思った。


サタンは有名な悪魔だよね、
アーリマンもゾロアスター教の悪神だ。

 

そう言うと意外に思うかもしれない。

だってサリマンはまぁ悪役、敵役だけど、 とても魅力的だ。
上品な老婦人で、物腰も話し方も柔らかで、

素晴らしい宮殿の奥の美しい温室にいて、
足が悪いのか豪華なんだけど車椅子に座ってて、

魔法学校の校長で、王佐の魔法使いでもあって、

荒地の魔女みたいな悪者を懲らしめて、

ハウルにとっては良い母役ではなかったのかも知れないけど、
なんかこうとにかく正しくて立派な人なんですってオーラ全開だからね~。

 

見かけに惑わされず、
彼女が象徴してるものがなんなのか、考えていこう。

 

サリマンはハウルにとっては「支配する母性」だけど、
宮崎駿がサリマンという存在で暗喩しようとしたものは、
もっと恐ろしい、支配者そのものの姿でもある。

 

魔法には相応の対価や代償が必要という話の続きなんだけど、
恐らく対価は他者に支払わせることも可能だ。
それはいわゆる生贄とか犠牲とか人柱とか、そういう方法だ。

 

ハガレンで一国の人民すべてを対価に賢者の石を精製する、というやつがあるけれど、そういうのとか、
マギのマグノシュタット編の、最下層民の生命力をじわじわと生かしながら奪う・・・ というああいうのだな。

 

サリマンの、流れ星の子をいくつも使役する魔法の対価はどんな方法で支払われているのかな。

 

ハウルはなぜ戦場の空を飛んでいたんだろう。

「ひどい戦争だ、南から北まで火の海だ」と言っていたけど、
その戦争はハウルとどう関係があるから、ハウルはそこへ赴いていたんだろうね。

 

ハウルだって素晴らしい魔法使いと言われているのに、
契約している流れ星の子はカルシファーひとつきりだ。
そのひとつきりの契約に心臓という、大きな代償を必要としてる。
カルシファーがひときわ大きな流れ星だったことを考慮に入れても、

サリマンが払っている代償の大きさは、相当のものと思われる。


ハウルが「あんな怖い人のところへ一人でいけるもんか」と言うけど、
ただハウルが臆病ってだけでもない。その怖さはどういうところにあるのかっていうね。

 

・・・

 

まあ、もしもだけど。
魔法の対価に他人の命を使っているだろう!と看破して責めたとしても、
サリマンはあの柔和な態度で言うと思うよ「それは仕方のないことなのです。」ってね。
自分が何もしなくても人は勝手に争って死んでいくから、ちょっと利用してるだけ、とか
ハンターハンターのアリの王様みたいに、質を考慮に入れて選別してる、とか、
殺さないでちょっとずつ貰ってるだけ、魔法の恩恵は皆に還元してますよ、とか色々思いつくな。

 

それが支配者というものだ。
そういう悪者をぶっとばすのは、もうハガレンでもマギでもハンタでも、多くの物語で語られていることで、
ハウルの動く城ではもっと高度なレベルの解決を描いていく。

 

 


Q ヒンは何?原作ではサリマンの一部だけど。

 


ヒン、という名前は鳴き声のままだけど、

ヒンがサリマンの一部というのは、本当に興味深い視点だ。

 

ヒンがサリマンの足など、サリマンの一部であるなら、
彼女もソフィ達が成した完全性の中に組み込まれている、ということになる。
対立を超え、支配を退け、敵だったものをも統合に巻き込み、さらに大きな調和を完成させる。
ということまで描写されているということになるな・・・。

 

サリマンが座ってるのは、車椅子。歩けない人のためのものだ。
ヒンはその足元に座っている。

 

ヒンが道案内の技量をもつこと、
サリマンが温室から一歩も出てこないことから考えても、

足が象徴する力、「移動する力」「前へ進んでいく力」みたいなものをサリマンは自分から切り離してヒンに変えている、と読み取っていいと思う。

 

魔法使いなら車椅子なんかに座ってないで、魔法で飛んで移動したり足を治したりすればいいのに、って思うだろうけど、
そういう万能でご都合主義的な能力じゃないんだよね~。

 

湯バーバが「そういう決まりなんだよ」というセリフがあるけど、
宮崎駿ワールドにおける魔法とはそういうものなんだ。
誰しもそれになんとなく納得してる。説得力を感じる。
なにか、普遍的な真実がそこにあるからだ。解釈することでそれを理解していける、と自分は感じている。


サタンやアーリマン、悪魔や悪神も、もとを辿ればキリスト教に追いやられた、土着の神様だったりするしな。

なにごとも単純ではなく、裏と表があるものだ。支配者にすら救済があると描かれている。

 

 

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ハウルの動く城を解釈する2 心のはたらき、名前の意味。

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ソフィっていうのはギリシア語で知恵という意味だ。
ハウルってのは叫ぶってこと。

ソフィは理性や知性、ハウルは本能や情動を表すような名前になってる。

キャラクターたちはそれぞれ心の一部や働きを示している。

荒地の魔女が象徴しているのは 欲 だ。ずっとハウルの心臓が欲しい欲しいと言ってる。

 

マルクルはメルクリウス、マーキュリー、ヘルメスとかギリシャ神話の神様の名前だと思う。
この神様は伝令とかメッセンジャーの側面がある。

ハウルは「マルクル、掃除婦さんに掃除もたいがいにしろって言っておいて」 ってソフィが目の前にいるのにわざわざマルクルを伝令に使う。ヘタレっぽさの表現にもなってるけどw

ハウルさんが大変なんだ」とか「変な人が入ってきちゃった」とか、マルクルは何度もソフィを呼びにきたり何かを伝えに、駆け寄ってくる。

 

マルクルには、寄せ集めでバラバラのメンバーの間をつないで疑似的な家族にまとめる役割もある。
家族の機能というか基本に子供を育てる場ってことがある。
マルクルという「子ども」がいることで、 ハウルは父、ソフィは母、荒れ地の魔女は祖母、そしてペットの犬というポジションが割り当てられて、 家族としての見た目になるんだな。

 

初見の時は、ハウルが唐突に荒野の魔女やヒンまでまとめて家族、
と呼んだことに違和感があったなー。
いやそいつら敵ですけど!と思ったわ。

 

でもハウルの心はそれが必要な段階だった。
ハウルのスタンスがサリマンから逃げる、から対決する、にシフトした時、
ハウルはまだ人格が円満な状態じゃなかった。
心に欠けがあってサリマンへの思慕や怖れもあった。
だからなにかそれらしい理由をみつけて自分を鼓舞しないといけなかった。
そこに家族に見えるメンツが揃ったから、家族を守るのが自分の戦う動機だ、
と思い込んだわけ。

 

ソフィがよぼよぼになった荒地の魔女を連れてきて、受け入れてしまうのにも意味がある。
荒地の魔女は、人の欲の象徴だ。
欲というのは厄介なもので、切り捨てようとしたり、見ないふりしたり、抑圧したりすると、
思いもよらない形で表出して問題行動になったり、暴走したりする。人格を歪(いびつ)にすることもある。
知性によってあきらかにし、理性によって制御することで、
ポジティブな原動力として、心になくてはならない素晴らしいものになる。

 

ソフィは欲の象徴である荒野の魔女を自らの内に招き入れる。

目を離した隙にカルシファーハウルの心臓を一度は獲られちゃうけどね。
そして荒地の魔女は力ずくでは決して心臓を離してはくれないんだ。

ガッチリかかえこんで、燃えても引っ張っても水かけても事態が急変しても
城が足場だけになって崖の上をフラフラしててもおかまいなし。
欲求のもつ力というのは盲目的でそれだけに強力なのがよくわかる描写だ。

 

すべてを理解して帰ってきたソフィが抱きしめることで、はじめて手をはなしてくれるけど、
欲が、知と理、そして愛によって昇華され正しく人格に統合される
なんて高度な心の動きをこんな風にキャラクターで表現できるなんてなあ・・・。
駿天才wwこれを毎年のようにタダで見れるとかここはとんでもない国ww

 

さて、「解った!」って感じはしてるんだけど、
人に解るように説明できるかっていうと、これがなかなかww


動く城のドアの、円盤と鍵穴の上の 黒 が示すものや、
ソフィの魔法や、ソフィが落ちた黒い穴について、

どうにか書いていこうと思う。

 

それは、心理学の守備範囲の先の話だ。
神智学、神話学とか、 スピリチュアルとかニューエイジ的なもののなかでも、高度な概念の領域になってくる。
だから抵抗を感じる人も多い。
だから優れたクリエイター達はメッセージを物語に託して、それ以上を語らない。

千と千尋でリンと釜爺が  「なにがどうなったの?」「分からんか、愛だよ、愛」 
というやりとりをするけど、
あれはじいさんのセンチメンタリズムとか、情感もあるけど、それ以上の意味もある言葉で、
今から書こうとすることも、結局まとめるとその一言で済む、という気がしてる。
解る人には解るし、解らない人の心にもなにかは残る。それでいい、というわけだ。


ソフィが子供に「そうさ、この国で一番こわ~い魔女さ」という場面があるけど、
これは本当で、ハウルよりサリマンよりずっと高度な魔法を使うのがソフィなんだよね。
なんで高度かっていうとそれは代償のいるレベルを超えているから。

 

もっと言うとそれは、魔法以上の 奇跡 創造 とでも言うべきレベルだから。

 

だから宮崎駿は作中でソフィが魔法使い、魔女であるとは決して言わない。

そのかわり天使、という言葉が一度だけ出てくる。

「お姉ちゃん、天使にでもなっちゃったの?」ってね。これもそのとおりなんだ。

 

ソフィが作中で使ったと思しき魔法は、

まずカルシファーの守りを解いて動く城に入る、
荒地の魔女の呪いを解き、老婆化をコントロールする、
ハウルの深層心理やその先の領域にアクセスする、
動く城を解体する、カルシファーに水をかけても死なない、
もうほぼ力尽きているハウルにキスをしてカルシファーのところへ移動する、
キスでカブの呪いを解く、などもろもろあって、

なんなの万能なの?、
ご都合主義乙wwつまんねwとか思ったな。初見の時は。

 

はっきり代償が見てとれるのは、
三つ編みを与えてカルシファーの力を増したこと、
あと、星の色に染まったという髪だ。
これは「どうかカルシファーが千年も生き、ハウルが心を取り戻しますように」の代償だろう。

 

・・・・・

 

ここで当時のスレッドでは質問が来て流れが変わったので、
次の記事へ。

 

 

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海獣の子供を解釈する4 アングラードの失言、ルカという名前

海獣の子供 (3) (IKKI COMIX)

ちょいちょい気になったことを箇条書きにして、映画までこの記事に書き足していく。

 

 

「アングラードって女かと思った、髪が長いし。」

という感想を聞いた。

アングラードの髪、確かに長いねぇ。

加奈子より長い。腰まであるし、

ファッションというより伸ばしっぱなしで全然切ってないって感じ。前髪はあるけど。

 

うーん。髪は女の命とかも言うけど…、

でもジムの刺青と同じ意味じゃないかな。

 

あれは、アウトロー、普通じゃない人なんだという外見の記号だ。

 

海、異界に交わろうとするなら、

人間界、現世のスタンダードではいられなくなる。

 

琉花の父のような、いわゆる普通の社会人、水族館職員では、

本番、誕生祭のような出来事がすぐ近くで行われていても、感じることも関わることもできない。

 

長髪とか刺青とか、一種異様な、ハレの装いになることで、祭り、非日常に参加する準備、心構え、資格、そういうものが得られるんじゃないかな。

 

TPOを考えた格好は大事だ。

ハレの日とケの日では、まず身につけるものが違う。

お祭りにスーツを着込んでいったらシラけるし、

会社に法被やドレスを着ていったら気が散って仕事にならないだろう。

 

役に入るための衣装、小道具、ペルソナなんだな。

 

あ、でも海洋民族や海の仕事をする人達にとっては、刺青はお守りや身分証明でもある。

海難事故にあって、人相がわからなくなった遺体や部分遺体でも、刺青があればどこの誰かと判ることもあるという話だ。

刺青は日常のものっていう価値観、社会もあるんだけど、

 

研究者で白人のジムが、全身にびっしり入れるから異質さを表す記号になるんだな。

 

 

 

 

アングラードといえば、なかなかヒドイ目にあうよな。

 

なんで彼はあそこまでの目にあわないといけなかったんだろうか。

 

焼き討ち、全身火傷、失明・・・。

 

直前に猫が出てくるけど、好奇心は猫をころす、とか?

産屋、忌屋を覗こうとして目が潰れる。

水に近づこうとして、火の禍(わざわい)を受ける。

 

それらもあるけど、それにしてはな~。過剰な感じがする。

 

琉花は誕生祭に居合わせることができて、

アングラードはできない。

 

その差はなんだろう。男女?恋心や友情?好奇心?敬意や畏怖?

 

・・・・・

 

ああ、そっか。「おしゃべり」かあ。

 

琉花は、「言葉にすると、言葉にならない事は、ない事になっちゃうでしょ?」という感性の子だ。

アングラードにもその感性はあるんだけど、なにしろめちゃくちゃおしゃべりだ。物語にとっては解説役になってるんだけど、

しゃべりまくるなかで彼は失言をする。

「どちらが特等席につけるか、競争しよう」

これがマズイやつの感じ。

 

魔女にこういうセリフがある。

「それでわたしは罰を受けるのさ、迂闊なおしゃべり女としてね」

これはとても不吉で恐ろしい場面だ。ジプシーの占い師の老婆が、大量のネズミに変じてしまう。

彼女の一言がきっかけになって、良くない運命を招きよせたからだ。

 

アングラードが受ける禍は、そういうものなんだろうな・・・。

 

え、自分も相当なおしゃべり野郎なんで、ちょっと怖いんですけどwww

 

確かに、認識が進むほど発する言葉の持つ力、魔力が増すことはありそうな。

ジプシーの占い師、アングラード、本物の直感をもつ者なら、そういうことも解っておかないと危ないんだろう。 

口は禍のもと、というのは古い知恵としてはそういう意味だな。

 

ていうか人間スケールで考えたら、

今からお産だよっていう時に、

ハイになってずっと喋ってるような空気読めない系の男は、分娩室に入れてもらえないわな。

特等席で見たいとか競争だとかハシャいでたら、

普通に考えて付き添いはお断わりで、スタッフにつまみだされるわww

出産に立ち会うにも、それなりの礼儀、節度、態度というものがあるよね。

寄り添う気持ちとか思い遣りがない人にはいて欲しくないよね。

 

あ。ていうか、

「あなたはしたことの結果を確かめずにはいられない」

アングラードに火をかけたのはジムか…。あるいは居場所をリークしたか。

南極でも酸素カプセルの前でちょっと怪しい雰囲気出してたしな。 

ジムも優しそうで、なかなか複雑な人だね。そこまで愛憎こじらせちゃったか…。

 

アングラードのベッドに女性がいることとか、

空少年が海少年を守りたい理由とか、

そこはかとなく腐った薄い本を作れそうなネタなんだろうけど、

五十嵐大介作品の薄い本は需要なさそうw

 

アングラードとジムの関係性は、

前作魔女の占い師とニコラ、千足とひなたにも似てるし、

ディザインズのショーンとオクダにも引き継がれていくのかな。

訳知り顔でそそのかす者と、なにかを実行する力のある者、って感じのペアだ。

次は仲良くしろよw

と言いたいがどうかな〜。

 

一心同体という描写ならともかく、誰であれ持っている心と力にあまりに偏りがあってはいけないと思う。

力を持つなら、それの使い方を間違えない心も自前で持っていないとな。

そそのかされて行動したら、道を踏みはずす。

魔女で、千足にそそのかされたひなたは命を落とす。

「自分にとって大切な場所は、自分ひとりで発見すること、誰かのいいなりになってると気がついたら、立ち止まってみることね」

千足にだけは言われたくねーけど、これは本物の言葉だ。

 

 

クジラの歌で目覚めた隕石は、とめどなく水を生む石になるけど

それに似たやつが魔女でもあった。

生殖の石、ペトラ・ゲニタリクス

カンブリア紀の生命の大発生の由来になったという石で、

それが地球にやってきてしまって、とめどなく生命を生む。

そこら辺の物体が次々に、よくわからないでたらめな生き物に変わって、

そしてその生き物たちはみんな生き続ける機能を持たず、すぐ死んで積み重なっていくという。

あれは他にない印象的なイメージだったな。

 

魔女では、その隕石はとても迷惑だったので、もとあったところに帰すけれど、

海獣の子供では、隕石の力を受け入れて誕生祭となる。

 

魔女から引用「全ての石にはそれぞれ固有の性質があります。ときにはとてつもない力を秘めている。

でもその力が発現するには、その石が好む、あるいは嫌う条件がそろう事が必要なのね。

生殖の石はこの星の環境でだけ、その力を発揮する。

その条件は酸素とは限らない、湿度とか重力かもしれないし、

複合的なもの、何かの気配なんてのもあるかもしれない、ニオイとかね。」

 

あー、その条件がクジラの歌で、

ありふれたコンドライトの隕石が、水を生む石、精子の働きをする石として目覚めるんだね。

 

 

誕生祭で海少年と同じ状態だった海洋生物は、あれみんな女神クジラに呑まれて歌を聞いたのかな。すごいいっぱいいたけど。

神話級の存在と言い伝えられてるわけだ。あのヒト忙しいんだねぇ、重要な役だ。

 

世界観が続いてる…というか、

五十嵐大介の作品は、どれも舞台が現代だな、そういえば。

どの作品の内容も、今、ここで、すぐそばで起きたこと、起き得ること。

そう感じることなんだろうね。

作品世界はイコール彼の感じる世界で、すべて繋がってるのかな。

 

 

空少年が琉花を一度だけお姉さんと呼ぶけど、

空少年と海少年は人間と歳のとり方が違うような。

ジムが出会った鯨狩の島の少年もそうだったみたいだけど。

おっさんが子供の頃から姿が変わってないとか。

 

彼ら、海からきた少年達は大人にはならないのかもしれない。

幼形成熟ネオテニーかな?

 

永遠の若さか〜。

いや老いないだけで、肉体は失うみたいだけど。

基本的に不老で長命で、誕生祭の周期がくると光って消えたりするのかな。

その寿命はどのくらい…、まぁ死という概念がないとも言ってたけど。

アンデルセンだと人魚の寿命は300年ていうのもあるけど。

 

人魚の肉を食べたら不老不死が手に入るとかいうよな。八百比丘尼だ。

研究者たちは、ちょっと少年の肉を食べてみようとか思わなかったのかなw

少年たちの研究に財団とかスポンサーがついてるのもその辺が関係ありそう。

普通に考えたら、あんな検査の連続は虐待だし、人の水中適応の研究くらいじゃあんなドでかい船を出したり世界中の水族館や研究所が連携するような規模にはならないだろう。水中適応とか、そんなに興味ないしなwそんなお題では求心力がないw

不老長命の秘密、となればいかにも権力者やお金持ちが好きそうな美味しい話だよ。

まぁ多分食べてもそんなもんは手に入らな…あれ?

 

琉花は、泡、渦巻きをひとつ口にするな。それは海少年の一部でもある。

 

そうなると琉花は長生きするぞ…、だから歳とって語り部になる描写なんだな。

 

琉花は、魔女、異類、半妖、彼岸と此岸ふたつの世界をつなぐものになるんだろうな。

二つの世界の境、波打ち際で生きる者になる。

異類婚姻譚は、異界の者が帰ってしまう話が多いけど、

それこそポニョとか 最近はハッピーエンドの物語もある。

パターンとしては、ポニョのようにお魚から人間へ生まれ変わるとか。

うしおととらにも雪女が人間に変身して恋が成就する話あったな。

アバターなんか、主人公は地球人の肉体を捨てて、青い異星人アバターになって現地の娘と結ばれてる。

主人公、現世のものが異界へ赴いて馴染んじゃうパターンだw

っつーか最近の異世界転生モノは現世に帰ってくるつもりがないやつばっかりだしなww

 

波打ち際で生きていれば、きっとまた人魚やセイレーンとも会えるだろうね。

風薫る砂浜で、また会いましょう。なんだね。

 

 

アングラードは中性的な外見だ。

空少年が、「俺たちに近い、とても古い形質をのこすものだ」と言っていた。

人魚姫、セイレーンときて、アングラードは…濡れ女かなw髪のうっとうしさがw

あと水魔、という言葉で呼ばれてる。

 

そして、人魚のような少年たちと人間の祖先は同じものだったということかな。

生命は海からきた。人間も海からきた、ということでもあるけど。

スピ話なら、現行の人類は、複数の宇宙人の遺伝子のハイブリッドであり、

また3次元の地球に相応しい存在であるようということか、その遺伝子にはいくつもの制限、封印、ロックがかかっているという。

 

アングラードは、先祖返り。封印が少ないから優れた直感が働くのかな。

しかし、彼はやや傲慢だ。

それは意識のレベルと能力のレベルが釣り合っていないということでもある。

 

意識のレベルとテクノロジーのレベルは、釣り合っていなくてはならない。

テクノロジーだけ先へ進むと、崩壊、終末戦争になる。

 

アングラードは、ヒドイ目にあう。

彼は、能力に見合う心を持つことができなかったから、そういうことになったとも言えるかもしれない。

まぁ、生きてるからチャンスはまだある。

海に関わり続け、学び、成長していけるといい。

航海士になった彼が、船室に篭って波の音を聞いている、というのはまるで胎内環境だ。暗くて狭い部屋で、母なるものの鼓動を聞いている。

生まれ変われることを思わせる。

 

 

記事いじってて思ったけど、

琉花も空少年も、総体の指向、宿命をただ良しとせず、個として足掻くんだけど、

 

海少年はそれをただ受け入れちゃうんだよなー。女性性は受動性だから。

 

それにしても少年、男性型なんだし、少しは足掻け、生きようとしろ、と言いたいような気もした。

まぁ、大きなものと共に在る喜びとかな、 好きな人と両想いになったら、次にやることは繁殖、で合ってると言えば合ってるけどもだ。

海少年も葛藤のない、超越した感のあるキャラだ。

 

「魔女は考えない、ただ知っているのよ。自分自身のするべきことをね。」

ってやつだろうか。ミラ名言多過ぎだなー。言葉が輝いてる。

魔女のミラも自らの命を使うことに葛藤がない、超越してる。

でも、自分には似合わないカワイイ服を作るのが好きだったり、どこかチャーミングなんだよな。

 

海少年もアイス好きだけど…うーん。

映画で、もうちょい何か愛され要素をプラスしてあるといいなぁ。セリフじゃなくて表情とか仕草でもいいんだけど。

 

人間味や魅力は、コンプレックスとかギャップとか、アンバランスさで生まれると思う。

 

弱虫で気取り屋のハウルだから魅力的っていうアレだ。

 

 

 

琉花、琉球の花、ハイビスカス、イルカのルカ。

いくら意味があってもいいとか加奈子が言ってたけど、

そういやルカってそもそも男性名だなー。

ルカによる福音書、とかだろ?

 

男性の名前、王子様の名前、という意味も見ていいかも。

 

そういう男女のイメージが入れ替わっちゃった名前って色々あるよね。

千尋も、もとは男性名だ。

 

とか思ってググってたら、

ルカ、LU CAだと、全生物の共通の祖先型生命、とかいう生物学用語もあるww

 

なにそれすごいw五十嵐大介好きそうなやつww

 

全生物の祖先て。

 

進化の系統樹の一番根っこかぁ。

 

真菌、古細菌蟲師の蟲、生命の素。万物の根源素…、

 

つまりあれか、パンスペルミア説でいう、隕石に含まれていたものか。

それが海に落ちて地球の生命になっていくと。

 

海少年と相性完璧な名前だな。

 

優れたクリエイターは、名というものの力を知ってるよなぁ。

 

一方で、アングラードの名前は良い意味でつけられてる気がしない。

前作SARUアングレーム、アンゴルモアの大王、っていうのがあったからなぁ。

 

大王か。まぁ彼は尊大だよね。

王子様との対比にもなるかな。

 

水魔、アンゴルモアの大王、古都、古いもの、というニュアンスもあるのかな。

アングラードはどこか不吉だ。

誕生祭を台無しにしかねない危うさなんだろうな。

なにも焼き討ちにしなくてもいいだろうとは思うけど、不参加になるのはやむなし。

 

君の名は、では瀧と三葉の心と体が入れ替わってたけど、

 

海獣の子供でも、琉花と海少年で男女の役割の逆転がある。

 

男女の逆転、反転、入れ替わり。

これなんか大事なんだろうね。

釣り合ってぐるぐる回って和するためにかな。

 

 

 

 

魔女 第1集 (IKKI COMICS)

魔女 第1集 (IKKI COMICS)

 

 

 

ハウルの動く城を解釈する1 老婆の呪い、変身の意味。

ハウルの動く城 サウンドトラック

 

金曜ロードショーで何度目かのハウルの動く城を見たけど、

初見の時は色々わからなかったことが、今回は完璧に理解できた。書きながら確かめていきたい。

 

まず、老婆になる呪いだ。

なぜソフィは娘になったり老婆になったり姿がコロコロ変わるのか、
老婆っていっても90歳くらいの腰の曲がったおばあちゃんから、
背筋の伸びた中年くらいまでと幅があったりするのか。 そこからだ。

ポイントは「ソフィも魔女」 まずはこう思って見ると色んなことが見えてくる。
ソフィもハウルや荒れ地の魔女、サリマンと同じく魔法を使える存在である、ということ。

港町の子どもに「魔女なの?」と聞かれて
おどけて「そうさ、この国で一番こわ~い魔女さ」と答えるけど、
これが冗談でも誇張でもない、マジのマジなんだな。

ソフィも作中で何度も魔法を使うけど、その多くは「魔法を解く」魔法だ。
荒れ地の魔女「私は魔法をかけられるけど、解けない魔女なの」というセリフがあるけど、
それはソフィは逆の「魔法を解除、あるいは中和する魔女」であるということを想起させる。

 

冒頭でソフィは妹や母と対照的に描かれる。
容姿からして華やかで人気者の妹、地味な格好で自分は「長女だから」というソフィ。
「自分は美しくない」というコンプレックスでソフィはガチガチなんだけど、
老婆になって家の外へ出た瞬間から彼女はノリノリでばーちゃんとして生きはじめる。

 

カルシファーがソフィをみて「こんがらがった呪いだ」みたいなことを言うが、
それはソフィが無意識で老婆であることを望んでいるから、そういう事になる。
自分でない何者か、老婆であれば、
美しいとか美しくないとかいう若い娘の葛藤から解放されて、
長女だからそういうものだと思ってやってた帽子屋も出て、
憧れたハウルに会いに行くこともできる。
実は老婆であることはソフィにとってはいいことづくめな状態だ。

 

眠っているときは娘に戻っていたり、
「私なんて美しかったことなんて一度もない!」と本音を吐き出せた後では、
90代くらいから中年くらいまで背筋が伸びていること、
ハウルに「きれいだよ」と言われた瞬間、それを拒否して娘から老婆に変化することなど、
老化の度合いはソフィがコンプレックスを感じている度合いとシンクロしている。

 

サリマンの前で堂々と持論をぶちかます時はぐんぐんと若返っていくなど、
自信をもって本来の自分を表現できる時は、本来の姿に近くなる。
荒野の魔女の呪いはかなり初期の時点でソフィによって解かれており、
後はソフィの無意識が老化の度合いをコントロールしていると言える。

 

そして姿が変わるのは、ソフィだけじゃない。
ハウルも何度も衣裳を変え、髪の色も変わる。
これらもすべて意味ある描写になっている。

 

ハウルの課題は「支配する母性からの自立」だ。
千と千尋の神隠しで描かれた坊と湯バーバの関係とも通じるものがある。

 

湯バーバは坊を建物のてっぺんの一室に閉じ込め「おんもに出ると病気になる」と吹きこむ。
外での経験で成長できない坊は赤ん坊のまま体ばかり大きくなった文字通りの「でっかい赤ちゃん」だ。
母親が婆になり、赤ん坊が成人にならずあそこまででっかくなるのには、相当の年月の暗示がある。

 

サリマンはハウルに後継者にしようとするが、ハウルはそこから逃げたという。
しかしハウルがどのくらいサリマンの影響下にあるか、
あるいはどのくらい自立しているのかが、恰好で分かるようになっている。

物語冒頭でハウルは金髪だけど、それは実はサリマンの趣味だ。
サリマンはまったく同じ顔同じ格好の金髪おかっぱ少年を何人もはべらせている。
ハウルもかつてはあの少年隊の一人だったのかと思わせる。

 

ハウルの髪の色は、本来黒いところを、金に染めている。
ソフィが棚をきれいにしたことで、髪の色が金からオレンジや紫に変化していって、
ソフィは「それはそれできれいよ」というけど、金じゃないとダメなんだな。
「もう終わりだ。美しくなかったら生きていたってしかたない」は思わず笑っちゃうハウルの名言だが、
意味するところはつまり「サリマン先生の望む自分でなくては、生きている意味がない」だ。

「髪なんか染め直せばいじゃない」とソフィは言うけど、
ハウルは緑色のゲルが出るほど落ち込む。心の痛みに気がついちゃったからだ。
でも気がついたから、もう髪を染めたりはしない。
それがソフィのお掃除という魔法の効果でもある。

 

髪の色の次は、服装が変わる。

城の温室でソフィがサリマンに「お言葉ですが」からの啖呵をきった後で、ようやく、
王様の顏と軍服を纏って出て来たハウルは、サリマンと一戦交える。
初めての師への反発だったと思う。それまでは逃げる一択だったはず。
そして動く城に帰ってきて「引越しをしよう」と言うハウルの恰好は、
黒髪、白シャツ、黒ズボン。形はおしゃれだがシンプルだ。
金髪も、カラフルで派手な外套もサリマンの趣味なんだな。
サリマンの恰好も、上品だけど真っ赤で宝石もりもりで相当派手だw

 

温室での対決の後、ハウルのサリマンへの態度は、
 ひたすら逃げ回る から
→疑似家族を守るため戦う に変わる。

しかし「支配する母性」の象徴サリマンはめちゃめちゃに強力だ。
国家間の戦争をコントロールし、三下魔法使いをいくらでも使い捨ての駒にしてくる。
鳥化や飛行機を落とすような魔法は使えば使う程、人間に戻れなくなるという代償が伴うので、 ハウルには勝ち目がない。

このへんで、初見の時はこの戦争をどーにかこーにかしていく物語なのかと思ったんだよね。
ナウシカとか、もののけ姫とかみたいな、
激しい戦闘シーンとか価値観の衝突とか、そういうカタルシスがあるのかと思って見てたら、
過去に戻って「未来で待っててー」とか当時はポカーンだったわ。
なにその超展開、視聴者置いてけぼりじゃん。って思った。

 

でもハウルのテーマは、コンプレックスの解消とか、精神的な自立とか、
そういう内面的な葛藤の昇華にあるんだよね。
心理学とかそういう方面の物語なんだ。
だからソフィーはハウルの無意識、深層心理の底へと降りていく、という展開になる。

 

宮崎駿の作品には、よくトンネルをくぐる的なイメージが登場して、
それが意味するものは色々あるけど、
ハウルの動く城の場合は、ハウルのごちゃごちゃした私室がそのトンネルになってて、
それはハウルの顕在意識・無意識へと続いていくものだ。

後半では、城の扉の向こうの黒い空間が、その先の集合的無意識、更にその先の神秘的領域へと続いている。
ソフィーはヒンを伴って、ハウルを探しにそこへ向かう。そんなとこに探しに行くわけだから、
もうそれは通常の自我ということではなくて、
なにか存在そのものとか、魂とかそんなレベルのハウルなわけだ。

 

そこでソフィはハウルカルシファーの関係の核になってる出来事を見る。
見る、とか気がつく、
認知、認識するってことは心理学的なプロセスではすごく重要なことで、
気がついて、自覚すればそれだけで問題行動とかが解消してしまうこともあるくらいだ。

 

観測する。これは今後もこのブログで重要なテーマになる。

そしてソフィはハウルに心臓を返して「そうよ、心って重いの」と言う。
これはハウルの解離していた心を本来の円満な状態に昇華したってこと。

 

そうすると何が起きるか?

 

支配のつけいるスキがなくなる。
だからサリマンは「しょうがないわね」と、あっさり引き下がる。

あの「逃がしませんよ」という執着はなんだったのかと拍子抜けするくらいだ。

でもほんと、そうなるしかないんだな。順に説明していくけどもw


しかし、まあなんだ。
ハウルは非常に特異な物語構造をもっている。
セオリー、定型、王道、お約束的ではない。

 

普通の物語だと主人公の意識が、
ひたすら逃げ回る から
なにかを守るため戦う にシフトしたら、
もうあとは戦って戦ってなんとかして勝つ!
以外にはパターンがないと思うんだけど、それだと
あの「争いは、同じレベルの者同士でしか発生しない!!」のやつみたいに、
二項対立のレベルを超えられない。

 

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バキ

 

支配したいサリマンと支配されたくないハウル、の構図だと、
それはどこまでいっても対立であって自立ではないわけだ。
だから対立のうちは決してサリマンは諦めない。
勝てばハウルを支配できるからね。

 

結局「支配する母性」が成立するのは、
「サリマン先生の望む自分でなくては、生きている意味がない」
みたいな、母性に認められたい、愛されたいという欲求があるからなんだ。
他者に愛を求めると、代償に支配されることもある。っていう。


代償といえば、
ハウルの作中には代償のある魔法と、代償がない(ように見える)魔法が混在してる。
「宮殿には爆弾が落ちないが、代わりに周りの街に落ちる、魔法とはそういうものだ」とか、
千と千尋でも 湯バーバが契約書を持って「そういうきまりなんだよ」と言うところがあるけど。
そのへんも宮崎駿は確信を持って描写してると思う。

なぜソフィの行使する魔法には代償がないのか。
魔法とはどんなもので、それを越えるものがあって、それはなんなのか。

 

すべて読み解くことができるようになってる。ほんとうに優れた物語だ。


これも、込み入った話、先入観を外しながらじゃないと飲み込めない話になるので、次の記事へ順を追って説明していこうと思う

 

 

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