ものがたりを解釈する

アニメ、漫画、小説、神話、あらゆるものが語りかけてくること。最も深遠な、でも誰にでも開かれている秘密に、解釈というメソッドで触れていく。

鬼滅の刃を解釈する2 体癖演習で心を燃やせ!

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漫画のキャラで体癖を見ようとすると、

体格や重心や仕草からというより、性格や行動パターンだけから類推することになるので、

それはちょっと体癖メソッドの優れた本質を使えてない感じにはなるのだが、

 

まあ、10種の特徴を覚えるのにはいいし、非常時にどういう態度をとるかっていうのも見れるしな。

 

鬼滅はキャラクターも多彩だし、知名度も高いので練習に最適だ。

勉強中につき今後修正や追加があるだろうとは前置きしとく。

 

10種類とか覚えらんねぇめんどくせぇの諸兄の気持ちはよく解る。

その場合はまず、思考・感情・本能の3分割、3タイプのどれっぽいかだ。

脳の三位一体説は今後も覚えといて損はない、と提案させていただく。

 

 

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身体の使い方と、心の使い方には、思うよりもずっと密接な関係がある。

心が体に顕れるのか、体が心に影響するのかは相関関係だが、

姿から心の在り方を推し量れるというのは、実に興味が尽きない。

そのへんを前記事でまとめたのがこちら。

 

体癖一覧と見比べつつ、以下をどうぞ。

体癖 - Wikipedia

 

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鬼滅の刃 1(完全生産限定版) [DVD]

 

竈門炭治郎思考タイプ頭脳型2種

 

注目ワードは、「家族」「俺は長男だから」

手鬼や累や兄妹鬼には最後にものすごく優しくて、半天狗には「責任から逃げるな!」と厳しい。

 

目下や弱った者、守るべきと思う者にはすごく優しい。 おふくろ炭治郎。

家族を大切にしてて、そのなかの役割分担に進んで責任を負おうとする。

なので半天狗のように年長者にあるまじき態度っていうのが許せないポイントになるわけか。

かくあるべしというルール順守の傾向は、2種的な特徴だ。

頭突きが必殺で二重の意味で頭がカタいとか、頭カチコチ少年とかいう描写もあったね!

 

ルール通りに動くので、突発的な事態でフリーズしやすいのが欠点だという。

あー!はいはい。「判断が遅い!」でビンタくらってるのはそれか~。

半天狗にトドメを刺すか、禰豆子を太陽から守るのか、の二択で

「どうする?決められない・・・」というのもあったね。咄嗟に柔軟に判断するっていうのが苦手なんだね。

 

事前にこうと定めたことを遂行するときは、最も力が出るという体癖だ。

三日かけての墓参りを敢行した、穏やかきかんぼう炭治郎。

 

リアルな夢を見ることや記憶力に長けているのも頭脳型の特徴。 

走馬灯や先祖の夢を見ながら戦うなんてものすごい2種的。

 

 

鬼滅の刃 3(完全生産限定版) [DVD]

 

竈門禰豆子(人)・本能タイプ泌尿器型8種

竈門禰豆子(鬼)・感情タイプ呼吸器型6種

 

注目ワードは「私はいいから下の子たちに」「悔しいよ、負けないでお兄ちゃん」

貧しいとかの劣悪な環境に強くて、ナチュラルに自己犠牲的で、「負けたくない」というマインドは8種そのものでござる。

 

鬼になった禰豆子は全然違うね。

 

そもそも体癖というのは、この人は何種と断定できるものではなくて、サブとメインがあるとか、複合体癖なものであることの方が自然であり、

もっと言うと体癖というある意味での偏り、不均整な身体の使い方を整えていった調和が人間存在の目指すべきところではないかと思うわけではある。

 

で、鬼となった禰豆子は裏人格というかサブ体癖なのか、そういう感じなんだろうね。

鬼の攻撃性と、童女の無垢な可愛さの両面がある。

ほんとかわいい。あと足がいい。着物×生足×ルーズソックスとか新しい性癖に目覚めそうになる。

 

そういう両面的な人格、というのは呼吸器型だろう。

ハッタリとかまちょの両刀で、人の関心を惹こう、人と関わろうという、コミュニケーションを求める感受性。

 

6種、すこすこだ。

 

太陽に灼かれながら、炭治郎を蹴飛ばして微笑んだ禰豆子は…、

自滅行動をとれるのは6種でもあるんだけど、

あの「私はいいから、みんなのために」で、どこか素朴なような、心からの微笑みがでるというのは8種なんじゃないかな。

6種の自死なら、表情はもっと陶酔ぽい気がする。

 

あのとき最期を覚悟した禰豆子は、元の人格の、人の禰豆子だったのか。

あれ、目から水の呼吸が…。

 読んでる時は言語化できない感涙だったけど、体癖で分析して改めて意味が解ったわ…。

 

鬼滅の刃 5(完全生産限定版) [DVD]

 

我妻善逸・感情タイプ呼吸器型5種

 

ギャーギャーうるさいのと、「雷の呼吸 壱の型 霹靂一閃」のカッコイイの落差よ。

気絶でスイッチが入れ替わるとか、そういう裏表が激しいキャラクターは呼吸器型。

 

人といるとわいわいガヤガヤしてて、一人になると寝てしまう、というのは5種だ。

 

善逸の構えは5種体癖的で、肩に力が入って前屈しているというのは、

やってみるとわかるけどクラウチングスタートみたいに、ぐんと前に進むときの準備の姿勢だ。

それが心理にも影響していて、危機になると とっさにピャッと逃げてしまう。

一方で六連のように連続ジャンプを繰り出すのにも向いた体癖で、よく出来ている。

 

5種は時代の空気が読めてセンスがいいという。

新しい呼吸、漆の型 火雷神 を編み出していたのはそういうのもあるのかも。

あ、でも壱の型しか覚えられなくてそれだけを究めていくという不器用さは捻れ型8種みたい・・・、

はっ!善逸の構えは捻れてもいる・・・・だと・・・!? 

 

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この構えどおりの体癖で性格なのか。えっ、すごない??

 

体癖別に得意な剣の型があるとすれば、

頭脳型上下型の炭治郎は上からの振り下ろしが良く力が乗るだろうな。

水の呼吸弐の型 水車か、ヒノカミ神楽 円舞 がやりやすい技のはず。

 

 

鬼滅の刃 6(完全生産限定版) [DVD]

 

嘴平伊之助・本能タイプ泌尿器型7種

 

いのすけは7種で満場一致やろ。

あまりにもわかりやすいファイター。脳筋

注目ワードは「猪突猛進」もろに丹田・マニピュラチャクラの感覚の言葉だ。

勝ち負けが感受性の中心で、いのすけ親分というポジションを欲する。

やり過ぎの傾向も見受けられる。崩れた童磨を踏みつけグリグリでワッハッハとかww

 

っていうか、すぐ慣れちゃったけど頭がイノシシってすげーデザインだよな。

初見、絶対とんでもない異常な敵だと思って混乱したわ。

いや鬼滅は初見で異常なインパクトのキャラばっかりだけども!

 

 

 

鬼滅の刃 2(完全生産限定版) [DVD]

 

 富岡義勇・本能タイプ生殖器型9種

 

初対面では感じ悪くて、デレてくると世話焼きというキャラクターは結構いる。

H×Hのレオリオとか、ゾンサガの愛とか、vivyのマツモトとか、タイバニのバーナビーとか。

 

敵か味方かという区別をはっきり持っているので、初対面のときはトゲトゲしいんだけど、

味方認定の内側に入れると、すごく情が深くて面倒見のいいところがあるのだ。

 

9種は、自分なりに納得しないと動けない、そしてやり始めるととことん突き詰めるという完璧主義だというが、

そういえば義勇は、柱のなかでもあんまりお館様を慕う描写がない。

 

お館様の命令でも、人の言うことをハイハイと聞けるタイプではないのだ。

自分の目で見聞きしたことから、自分で決めた通りに。

じゃないと力が出ない。

 

そんな義勇だから、鬼の禰豆子を斬らない、兄弟を信じる。という判断が出来たんだろう。

 

一話で遭遇したのが、義勇以外の柱だったら、物語は始まることはなかったのだ。

鬼殺隊はみんな、鬼・即・斬! だからね。

 

義勇尊い。嫌われてなどいない。

 

柱合会議で皆から離れて端のほうにいるのも、

9種は隅っこが好きだからそうするのであって、馴染めてないからではないのですよ?それはもう、ええ。

 

 

 

鬼滅の刃 マイクロファイバー 煉獄杏寿郎

 

煉獄杏寿郎本能タイプ泌尿器型7種

 

400億の男。400億円・・・っていくら?(゚∀゚)??

いやほんと嘘みたいなとんでもないヒットで。今まさに歴史変えてるわー。

 

しかし煉獄さんの戦い方をみると、全力で斬るのみ!っていう脳筋体当たりな感じは本能タイプだろう。

お館様を敬う態度が顕著なのも7種的だ。

 

国民的名言となりつつある「心を燃やせ」というのも、

本能タイプ、下腹の丹田のマニピュラのフィーリングだと思う。

ふつふつ燃えるような熱さ、血が滾って、やる気がみなぎってうおー!やるぞー!
みたいな感じがするチャクラだ。

 

思考タイプである炭治郎にとって、この言葉を贈られたことは大きな意味がある。

思考タイプは考えることでエネルギーを使ってしまって、

行動に移す実行力に欠けることがあるのだ。

心を燃やせ、前に進め。そういう宣言、精神誘導、アファメーション丹田を充実させることが必要なんだな。

 

煉獄さん、ありがとう・・・。自分もその想い大事にするよ。

 

映画勢だと、厭夢は4種、猗窩座は9種かな。

 

 

鬼滅の刃 10(完全生産限定版) [Blu-ray]

 

胡蝶しのぶ・本能タイプ生殖器型9種

 

しのぶさん推しなんだけどすごい複雑で難しいんだよね~。人によって意見割れるんじゃないかな。

 

まず、姉カナエの死の前後で性格が違うし。

 

過去回想のツンケンしてて「この子はダメよ、自分で考えられない子は危ない」っていう厳しめの面倒見を発揮する感じは9種かなとも思うし。

蝶屋敷の修行パートでも、各人の個性にあった声かけ指導ができている。

 

で、

初回登場時のニコニコウフフは姉カナエの性格をコピーしてるわけでしょ?

 

あの微笑みながら姉鬼をヤるところめっちゃサイコで好きだわ。

蝶の羽織のひらりひらりもすごいイイ絵で、あそこで惚れてコミック買いはじめたんだった。

 

いつもニコニコしてて、何を考えてるか推し量りにくいというのは消化器型4種

 

後、しのぶも人の言うことをハイハイとは聞けないというのがあった。

お館様の命であっても、珠代と共同研究するのには結構な葛藤があった。

鬼への恨みの深さ、執着の強さも9種か。

 

注目ワードは「私、ずーっと怒ってるんですよ」だろうな。

9種はマジで100年でも怒りをそのままに抱えてることがあり得るからな…。

でもそこは陽型だから、怒ったらそのままストレートに表現するのが自然なんだけど、

しのぶは姉の意を汲んで、怒りを深く閉じ込めている。

 

それでいろいろ、歪な表れ方になってしまっているんだろうけど、

それがああも魅力的になるっていうのが、もうなんか凄いわ。

どうなってんの?好き。

 

 

ぎゆしのは人気のカップリングだが、同じ体癖どうしというのは実はあまり相性良くなかったりする。

人は自分に無いものに惹かれるのだ。

え、じゃあ「だから嫌われるんですよ」はガチのやつ?しのぶさん義勇キライなの?

サラッと本音だったとかこえーよ!そゆとこ好き!

 

 

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産屋敷耀哉・本能タイプ泌尿器型10種

 

組織の長やまとめ役みたいなキャラを見たら、まず本能タイプとアタリをつける。

実行力があって、人を率いていこうとするし、

ついていきたいと思わせるものがあるのだ。

 

初対面から優し気なカリスマがダダ洩れのお館様は10種やろ。

個性の主張が激しい鬼殺隊の面々を受け入れてる間口の広さとか、

一段高い座敷の真ん中から見渡してくるポジション取りとか。

鬼殺隊を維持する財を成してる源が、すさまじい勘のよさ、とか。

 

10種の親、というのはすごく愛情深くて行き届いてて寛容なんだけど、

一方ですごく影響力とか支配力が強いという面もあるという。

片山洋次郎の本には、10種の親から親離れするのは大変だと書いてあったが、

いや、ほんと。

自分としては無惨よりお館様のほうが怖いし、タチわりーなと思うところがある。

これは次回のテーマとしよう。

 

10種は、ストレスが溜まると長々と話したりグチったりすることで解消になるという。

 

無惨「話は終わりだな?」

耀哉「ああ、こんなに話を聞いてくれるとは思わなかったな。ありがとう、無惨。」

 

無惨様がしっかり話を聞いてくれて、良かったんだねえ。

 

 

鬼滅の刃 4(完全生産限定版) [DVD]

 

鬼舞辻無惨・思考タイプ頭脳型1種

 

なんかもう体癖とかいう以前にパワハラ気質と小物ムーブが酷過ぎてなにがなんだか、というのは正直なところ。

 

うーん。

孤独を怖れないので感情タイプではなさそう。

組織のトップに向くのは本能タイプだけど、あのパワハラ会議っぷりにその器があっただろうか・・・?

人を従えたいみたいなモチベがないんだよな。用済みになったら組織自体イラネって感じだったし。

 

「私に殺されるのは大災と同じと思え」

「雨が風が山の噴火や大地の揺れが、どれだけ人を殺そうと天変地異に復讐しようというものはいない。」

という持論に注目すると、すごく視点が高いな。俯瞰したことを言っている。

 

不老不死、太陽光を克服して究極生命になる、みたいな誇大妄想理想や大義を大真面目に目指して生きられるのは、そうか。頭脳型1種か。

 

 

・・・・・

 

とりあえず、このくらいにしとくか・・・。

霞柱や恋柱、カナヲ、というかもう全キャラやりたいけど、次にしよ。

 

ここまででも割と、鬼滅の刃のキャラは本能タイプ多めのようだ。

岩柱、珠世、猗窩座、なども本能タイプのどれかだろうな。

 

確かに、戦うことに向いていて、死をも恐れず突き進めるのは本能タイプの傾向か。

悪く言えば盲目的に、良く言えば敢然と、真正面から困難を克服しようとする。 

 

思考タイプ感情タイプは、戦うことが快ではない。

 

で、ここまでを一覧。

 

 

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こうしてみると、

 

伊之助と煉獄さん、義勇としのぶが同じ体癖なわけだが、

その二人を比べても似てるかってーとそうでもないわけで、

同じ体癖でも色んなパーソナリティがあるな。当たり前だけど。

 

あと、炭治郎善逸伊之助の三人組がバラけてバランスがいい、というのはまだ、

うまくいくトリオの法則としてよく見られるものだと思うんだけど。

 

お館様無惨様が対極、正反対の位置にいるのが、なんかすごい面白いなあ~って感じがした。

 

お館様と無惨は同じカードの裏表のような、宿命的な相手なんだよな。

 

物語の骨格の部分でそういう対比がしっかりしてるから、

個性爆発のキャラが全力で暴れても、どーにかイイ感じにまとまるんだろうね。

 

 

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それにつけても、キッズのマスクの鬼滅率の高さよ。

この、羽織の柄だけでキャラがわかるっていうアイデア画期的すぎる。

 

今週

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のお

 

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Vivyを解釈する1 矛盾する命題のコンフリクト。

 

Vivy -Fluorite Eye's Song- 1(完全生産限定版) [DVD]

Vivy -Fluorite Eye's Song-

 

今期アニメは見応えあるものが多くて嬉しい悲鳴~。

 

オッドタクシーとかシャドーハウスのアニメ化も期待を裏切らないクオリティだけど、

ゾンビランドサガRevengeとか、Vivyとか、アニメオリジナルシナリオというのは、

やっぱり初見の緊張感があって集中と没入感が違う。

 

漫画からのアニメ化だと、ついつい原作との間違い探しをしてしまうというか。

シャドーハウスだとスス鳩や汽車を最初から見せる演出や、エミリコ命名シーンの追加は良かったけど、

女の子どうしのキャッキャウフフ感は薄れて、進撃や約ネバ的な脱出モノのスリルに寄せてきたな、とか。

先入観で見てしまう自分がめんどくせえ。

 

オッドタクシーは原作未読でアニメ見れたのは僥倖だった。

ネタバレ絶対見ないでサスペンス群像劇を全力で楽しむ所存。

 

ゾンサガRとか、Vivyとか、

毎回の挿入歌が効いてくるコンセプトは、漫画よりアニメでこその強みを活かしてて素晴らしいな~と思う。漫画には音ないもんね。

一話ごとに作詞作曲して歌をつけるのはコストもヤバそうだけど。

ゾンサガなんてキャラが踊るライブシーンも毎回あるとか狂気の沙汰。

3Dモデルでコスト削減のはずが、衣装は毎回変わるし、表情とか結局描いてるし。

オワコン言われつつ、なんだかんだ日本はアニメ大国だな~と思う。地力がすごいんよ。

 

ゾンサガは声優がそのまま歌って踊るライブイベントで巡業して、二期の資金を稼いだ感があるが、

Vivyでは、喋る人と歌う人では中の人が違うシェリルノーム方式だ。

 

ま、音楽の良さを語る素養はないんだけど、やっぱ歌があると涙腺にグッとくるものだ。

 

 


www.youtube.com

 

 

Vivy -Fluorite Eye's Song のあらすじとしては、

未来でAIの反乱、人類にとって致命的な事件が起こる。

その悲劇を未然に阻止するため、あるAIが100年過去へタイムスリップしてくる。

マツモトと名乗る未来のAIは、100年かけて歴史を修正していくというミッションに、協力者を求める。

100年間の未来と過去の間で、存在が記録されていた唯一のAI、それが主人公ヴィヴィだ。

マツモトと彼女はバディとなって、数十年ごとの歴史改変ミッション「シンギュラリティ計画」を開始する。

 

 主人公は青い髪の歌姫AIだ。

「歌で人を幸せにする」という命題(コード)を与えられて稼働している。

作品タイトルでもあるヴィヴィはミッション時の名前で、

歌姫としての正式名称はディーヴァ。

 

ディーヴァというのはそもそも女神という意味だけど、オペラや芸能関係でのカリスマとか、日本では歌姫的なニュアンスがある。

初音ミクのprojectDIVAとか、ボーカロイドの有名タイトルでもあって、

ただただ歌うために技術の粋を凝らした人造存在に相応しい名前だ。

髪の色もミクさんオマージュかも。

 

ボーカロイドは単に歌唱ソフトであり、歌うためには楽譜からピッチから様々なパラメータを人力でポチポチ打ち込んでいく必要があるが、

 

ディーヴァはAIなので自律学習する。

一昨年の紅白でやったAI美空ひばり、あれの先にあるスペックだ。

 

デモ曲を耳コピして、様々なアレンジを加えて歌うことができるんだろう。

 

しかも映像だった美空ひばりと違い、ディーヴァにはボディがある。

 

なかなかに惹かれる設定が盛ってあるのだが、

しかし、VivyはSFとしてはガバガバというか、

なんか懐かしい単発ヒロイン式ハードボイルド系SFって感じなのよなー。

1990年代かってくらいのベタなシナリオで泣かせにくるのよ。

 

でもSFって言っても、全く新しい概念を読者に浸透させるような小難しいことはやっぱ文字媒体が有利なわけだし、そういうのは小説に任せて、

アニメのシナリオはこのくらい明快に人情のドラマに仕立てたほうが見やすくてイイのかも、と思った。

 

ディーヴァをはじめ、多くのAI達の外観は人間と変わらない。

デトロイトビカムヒューマンみたいに、一応光る電源ボタンがついてて体液が青いけど、

 

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 鑑賞者としては、もう人間にしか見えないやつだ。

喜怒哀楽、心情の推移、人格、すべてごく自然で、感情移入しちゃう。

 

 んでも、やっぱりAI、artificial intelligence、人工知能ってことで、人間とは違う設定が与えられている。

 

それは「AIはひとつの使命を与えられて」生まれる。というものだ。

 

最初の命題があって、そこからアルゴリズムを形成していく。

 

この設定、 ははーんと思ったね。

このゲームを思い出した。「ロボットやめたい

ロボットやめたい

ロボットやめたい

  • COCOSOLA Inc.
  • ゲーム
  • 無料

【ネタバレ】アルパカにいさん開発の新作ゲーム「ロボットやめたい」全進化画像

 

このシュールなゲームは、ロボットに「ロボットやめたい、人間になりたい。」という使命を与えてみた思考シミュレーションだ。

 

そんな命題からアルゴリズムを展開しても、

まあ、そら、そんなんどーやっても早々に自己矛盾に陥って破綻するわけだが。

 

コンフリクト(葛藤)に苦しむ物語のなかで、こういう救済が現れる。

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次世代機、小さいロボットが出来上がった。
ただ走り回ったりするだけで幸せを感じるようにプログラムされている。

 

これ。「走り回ったりするだけで幸せを感じる」これよ。

 

スタート時に入力する最初の命題、使命ってやつは、こういうシンプルなやつであるべき。

 

生命に与えられた命題だってそうじゃん。

 

「生きる」とか「増える」とか、自己保存と繁殖拡大の本能。

 

その単純明快な是に従って、生命体が、複雑で精妙な生態系が構築されていく。

 

最初は単純に、その反復で少しずつ複雑に。そういう順序でないと、耐えられない。

 

命題が真でないと、解は真に至らないのだ。

 

「命題が真なら、解は真へ至る。優れた命題は、解への道を内包している。」

というのは夢枕獏の小説の名言であり、自分の持論になっている。

 

 

 

 

んでだ。Vivy -Fluorite Eye's Song の話に戻ると、

 

歌姫ディーヴァの使命は「歌で人を幸せにすること」で、

歴史改変者ヴィヴィの使命は「未来の人類のため特定のAIを壊す」

 

そんなんさあ・・・、

 

ディーヴァのそもそもの命題も、定義が曖昧さを含んで危ういのに。

 

そんな命題がふたつて。

 

当然の帰結として、6話で二つの命題が矛盾する状況に陥ってしまう。

 

人類のために壊した女性型AIを、結婚するほど愛している人間がいたのだ。

彼は絶望し死ぬ。

 

「AIを壊す」「人を幸せにする」

 

ふたつのプログラムが衝突して、深刻なエラーが発生する。

赤い血と青い血に染まって、機能停止して倒れる。

6話終了時点で、ディーヴァ/ヴィヴィ壊れちゃったかもな~・・・と思ったのだが、 

 

 

7話になってみると、今までと全然違う性格の主人公になって稼働していたw

 

クラッシュして再起動したときに、不都合な記憶を抑圧したらしい。記憶が欠落してると。

 

はえ~。それってもう、人間が心を守る方法そのものじゃん!

 

という驚きで今回の記事を書いている。まだ物語は途中なのにww

 

 

7話ディーヴァの性格は、感情豊かでフレンドリーに人と絡みにいく。

人の頬を両手で包んで「笑顔が大事よ」など3,4話ヒロインのエステラに強く影響を受けつつも、

 

エニアグラムでいうと、思考タイプ6堅実家感情タイプ3達成者に闇堕ちしてるよーな状況であるように見える。

 

深刻なコンフリクトの問題は解決できないまま、

一時的に人格をスイッチして、裏人格で耐えているのだ。

 

「表の性格」と「裏の性格」 DEATH NOTE「夜神 月」について考察する エニアグラム6w5→1w2 - がんべあの「ぶれない」キャラクター&ストーリーの作り方

 

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1~6話までのディーヴァは栗花落カナヲや綾波レイにそっくりの、

無表情でかたくなで、「使命を果たすの、それだけが大事なこと。」っていうタイプだった。

 

3、4話ヒロインのエステラは宇宙ホテルの責任者であり本能タイプ9調停者で、主人公を導けるタイプだったと思うんだけど・・・、流れ星になってもうたしな・・・。

バディのマツモトは、なにタイプだあれ。人を脅かして動かそうとするから本能タイプのどれかかな。初対面で感じ悪くてだんだんデレて世話焼きになるのはレオリオと同じタイプ1完璧主義者かも。

 

まあ、まだこの先の展開しだいでどーにでもなる話だし、

今回の記事ではこのくらいにしとくか。

 

 

しかし、ここまでの物語はなかなかに示唆に富み、興味深いと思う。

 

人はすぐ、「生きる意味」は何かと問うて迷う。

 

自分はなんのために生きてるんだろう、

人生で成すべきことはなんだろう。

 

無為に、無能に、無意味に耐えられなくて、

夢中になるものを見つけられない自分を責める。

 

「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ。」

みたいな袋小路に追い詰められて、懊悩する。

 

特に若者は、そんなんでほんとに死んじゃったりするのだ。

 

そんなとき、Vivyを見たら解るかもしれない。

果たすべき明確な使命を与えられてること、

なんのために生きるかを定められていることは、

 

悩まずに進めてるうちはいいんだけど、

複雑系で運行し、予想しないことがどんどん起こるこの世界では、とんでもないコンフリクトに陥ることがあるのだと。

 

AIが、スタート時に入力された最初のコードを無視するとなれば、アルゴリズムの土台が崩壊する。根本的なアイデンティティの否定になる。

 

かといって、矛盾するふたつの命題をどうにかつなげる文脈を捻りだしたとして、

それはコードのさらなる複雑化だ。

何度も立ち返る基本で処理が増大すれば、全体に負荷がかかることになる。

メモリを食って、動作がモッサリになるだろう。それは増設が可能にしても、

 

また矛盾する状況に出会えばフリーズしてしまう。

 

「ロボットやめたい」のロボットに抱く感想と同じだ。気の毒になってくる。

 

人間に、生命に与えられた最初の命題は、ごくシンプルだ。

「生きる」「増える」

あとは?

ない、自由だ。

 

あらゆる可能性に挑んでいい。

 

そのための、可能な限り制限のない命題なのだ。

 

時にはそれにさえ逆らって自らの死すら選べるほどに、すべてが許されている。

 

まあ、そして適者生存と淘汰があって、篩にかけられ続ける厳しさはあるんだけども。

 

 

自分達は、人間は、ヴィヴィやロボットのように、変えられない命題に苦しまなくてもいいのだ。

 

「なにかになりたい」「人を幸せにしたい」「未来を守りたい」というような、

人生かけて実践してきた信条、心の支え、指針であっても、

それが自分を苦しめるものになってしまっていたら、手放してもいい。

 

それを破棄しても、意外と死なない。

 

アイデンティティと思ってきたものが崩壊しても、

また新しい生きがいを見つけていける。

 

親の教えや、社会の規範、常識。

このくらいの年齢ならこのくらいのことができるべき、

このくらいのものを持っているべき、とか。

陽キャ陰キャだ、年収いくらだ、結婚は子供は、老後用貯蓄二千万だとか、

自粛だマスクだワクチンだとか。

 

毎日毎日あれこれうるせーけども、

同調圧力ごときで死にはしない。殺されるくらいなら同意するのをやめたらいい。

 

心をガラクタの城にする思い込み、

ルーティンと化した思考パターン、

古くなってしまった、かつてインスピレーションだったもの。

大事な誰かから受け継いだ、大事だったはずのもの。

コンフリクト。

 

いつでも、それを手放す。

想いが生まれて来たところに還す。

 

心も体も整えて鎮めると、

ただ「生きる」「増える」という指向性、存在を続けるエネルギーがこんこんと湧いてくるところを感じられる。

 

そのとき、いつも星の王子様の、

「砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているからだね。」という言葉を思い出すのだが、

生きているものが美しいのは、見えないどこかに、命の湧く井戸が、魂があるからだ、と感じる。

 

魂から汲みあがる、水に似たその流れに、ただ身を任せる。

 

命、使命、命題、命じるという言葉の、ほんとうの意味するところ、

生きる意味は、その流れとともにある。

そのようにして見つければ、迷うことはない。

 

 

・・・が、AIには、コレが解らんと思うのよ。ほんとのところ。

ヒトとAIの差異はそこ。

AIが持ち得ない、ヒトにだけ出来る素晴らしいことがあるとしたら、

道を求めるものはいつか至る、道を究めたものが辿り着く、

いつも同じ場所、無我の境地、透明な世界。

0の、空の、愛の、終わりの先の、始まりの前の、無限のなにか。

 

シンギュラリティが来て、AIとヒトの優位が逆転するとき、

言語化できなくてもその感覚を会得してるかどうかで、人類の存亡は決まると思うね。

 

演算を越えられるとしたら、インスピレーションしかない。

 

 

 

 

 まあ、Vivyはほぼ人間としての物語になると思うけど。どうかな。

 

 

 

うぬ、またアマに欲しいモノが・・・、よく出来てるじゃあないの・・・。

 

inspiration.hateblo.jp

inspiration.hateblo.jp

 

がんべあさん、また記事画像引用させて頂きました、事後承諾頂ければと思います。

おかげさまでエニアグラムで物語を楽しむって感じ、解ってきたかもしれません。

ありがとうございます。

体癖とH×H 8種の人・海苔漁師ピアニスト

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 体癖 - Wikipedia

 

このところ体癖、という人の体格や仕草から、性格や思考回路、感受性の在り方を観る方法論にハマっている。

 

野口晴哉というエラい整体の先生が、優れた直観と長年の経験で確立したメソッドなのだが、

動画で多種多様な人物を見る機会がある現代、

3Dモデルが見分けがつかないほど人間をトレースできるようになった現代で、

誰でも数多く上質なサンプルに触れられるようになった。

競技人口が増える土壌が整って、これから伸び代が大きく期待できる分野という気がする。

 

精神科医名越康文youtubeにたくさん実況動画を上げているので、見取り稽古のし放題でうはうはだ。


www.youtube.com

 

 

 

そんなわけでこのところ、人間を観るたびに何種的なのかアタリをつけてみるのだが、

今日テレビで見たこの人、ものすご典型的な8種体癖のエピソードでおもしろ過ぎた。

 

www.nishinippon.co.jp

 

名越康文レベルになれば顔を見ただけで何種か判るんだろうけど、

自分だとまだ、頭脳型や呼吸器型ではなさそーだな~、

バストアップのとき、首・肩・背のラインに力が入ってる感じ?みたいなものがないな~、という絞り込み程度なのだが。

 

この海苔漁師さんは、50歳でピアノを始めて超絶技巧曲の「ラ・カンパネラ」を修めたことで数年前にも話題になった。

聞いてみれば解るけど、ただ楽譜をなぞるのではなくて、なかなかに「聞かせる」一曲になっている。

聴衆を惹きこめる情感やクオリティがある。(ただしほんとにラ・カンパネラだけ)(他の曲との落差もおもしろい)

今回メディアに取り上げられているのは、フジコ・ヘミングと共演したということでだった。

 

youtu.be

 

インタビューを聞いていくと、この人のモチベーションはふたつあって、

ひとつは奥さんの「できるわけがない、絶対無理」という態度への、「なにくそ絶対やってやる」という反発、闘争心。

ふたつめは、フジコ・ヘミングへのリスペクトだ。

 

捻れ型・泌尿器型というのは、勝ち負けが感受性の中心のファイターなのだが、

陽の7種は「勝ちたい」と思うのに対して、

陰の8種は「負けない」と思うときにこそポテンシャルを発揮するという。

 

7種の闘争心は集団のなかでトップでいたいという親分気質なんだけど、

8種の闘争心は特定の誰かに負けたくない、という気持ちなので、

実際の隣人を対象に闘争心を燃やすとトラブルになりやすいが、

歴史上の偉人などを目標にするとどこまででも頑張れる、という。

 

フジコ・ヘミングのような世界的ピアニスト、雲上の人を目指したこと、

ピアノの先生である奥さんに反発して、習うのではなく動画から独学していったこと、

 

この人の成功談は、8種体癖にばっちり合致している。

 

一日八時間、ひたすらにラ・カンパネラだけを弾く、十年でもそれを続ける。

という驚異的な粘りというか、効率度外視のネチこさも捻れ型のやつだな。

普通は飽きるだろうに、このタイプの人は飽かず倦まず弛まずってことができるという。

東北の百姓みたいな気質(偏見)。

 

そしてそーすると、この海苔漁師のおじさんは、

鬱々すると考えなしに突飛な行動をしちゃう人で、

運動すればするだけストレス解消できちゃう脳筋な人で、

イビキがうるさいんだろーなとか、

話のスケールを盛りがちなんだろーなとか、

頻尿・帯状疱疹痛風白内障あたりの病気にかかりやすいかもとか、

粘り強いようでいて、あるところですごく弱くてポッキリ折れちゃうようなことがあるかもとか。

 

体癖からそういうことまで想像できていくわけだが。

 

なんていうのかな。

 

やっぱ人間、向き不向きがあるっていうけど、

その向き不向きがどこにあるのか、自分にはどんな時に最大の力が出せるのかって、

もし総当たりで試してたら人生が80年やそこらじゃ足りないかもしんないわけで、

この海苔漁師ピアニストさんは50代にして自分を輝かせる道に出会えたわけだけど。

そして成功してから振り返ってみれば、海苔の生業やパチンカス時代に培ってたものも必要だったことになるんだろうけども。

 

ん~。

 

あ、そうそう。

 

こないだからハンターハンターを読み返してみたんだけど。

やっぱアレのおもしろさって念(ネン)の能力に依るところが大きいなーと改めて思った。

 

HUNTER×HUNTER モノクロ版 17 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 

 

ドラゴンボールの気や、ジョジョのスタンドをはじめ、オーラや念みたいなものはジャンプ界隈ではよくある設定なんだけど、

冨樫義博の凝り性で天才なところで、念能力は6つの系統に分かれる。

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自分がどの属性であるかは、生まれ持ったものと生育環境的なものの両方によって決まるという。

興味深いのは、能力の方向性と性格・人格には深い関連があるということだ。

 

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もうね、少年誌育ちの自分はこういうの大好物。

コミックを何度も読んで、どのキャラがどの能力かとか、すごい集中と興味で覚えちゃう。

男の子的な感性ってそういうもので、遊びながらポケモン151全種全属性とかフツーに覚えるよね。

 

この手のパラメータを覚えてしまう能力で以てすれば、体癖メソッドを修めるに至るのも必定。

このウィキがいわば水見式なわけよ。

体癖 - Wikipedia

 

強キャラ時代のヒソカのように、相手のことをずばっと見抜く能力。

漫画のなかのこと、絵空事と思っていたものが、リアルで使えるとかバイブスぶちアガってドーパミンがドバる~。たーのし~。

 

 

っていうかこれは、

冨樫義博による人間観察が、野口晴哉とごく近いレベルにあるってことだと思う。

 

優れた観察や洞察から得た、人間についての、ある真理。

天才には同じ世界が見えていて、同じインスピレーションが訪れていて、

冨樫は漫画にそれを活かして、野口晴哉は治療に活かしたっていう。

そういうことなんだと思う。

 

だから、名前は違っても体癖と念には共通するものがあると解る。

用語が違うだけで、同じエッセンスについて語っているのだ。

 

強化系(ゴン)と放出系(レオリオ)は肚のチャクラの本能タイプ

変化系(キルア)(ビスケ)はハートのチャクラの感情タイプ

具現化系(クラピカ)は頭のチャクラの思考タイプ

 

おおよそこういう図になると思うね。

 

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復讐の義に生き、頭脳派のクラピカは1種

友達が欲しくて、どこまで本気かわかんないコのキルアは4種

可憐な少女と筋肉ダルマの両面性のビスケは6種 

ゴンは頑固で、カイトの件で心が折れるあの感じ8種

レオリオは喧嘩腰なのに面倒見いいから9種

ざっとそんな感じっぽいので、このように配置。

 

特質系は特殊といいつつ、

既出の特質系能力がクロロ(他者の能力を盗む)ネオン(他者を占う)パクノダ(他者と記憶をやりとりする)メレオロン(他者から見えなくなる)など、
今のところほぼ他者との関係性において何かするという能力なので、

感情・哺乳類脳・他者との関りを求める感受性・アナハタの位置に置いた。

エンペラータイムというチートをアリにするために特質系は特殊ってことにしてるのか、

作者の至高とする価値観がそこにあるのかも。

操作系はルールを課すもの、という解釈で2種の位置に入れといた。

 

いや、それでだ。

長い前置きになったけど、つまり何が言いたいかっていうと、

念で言えることは、体癖においても言えることなんだよ。

 

念を教えてくれる師匠たちの言葉、

 

まず自分の感受性の型を知り、自分に合った能力を伸ばす。

自分の属性から遠い能力を修得しようとすると、容量の無駄遣いになる。

かといって自系統に偏らず、隣接する能力も伸ばしていくと自系統の修得にも良い影響がある。

理想は山型にバランスよく鍛えること。

 

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これはものすごい貴重な教えだと思うよ。

 

ほんっっとそう。

 

闇雲に、手当たり次第に頑張ればいいってもんじゃない。

 

生まれ持った肉体に備わる特徴に適い、心の求めるものに適う、そんな条件を満たす道はおのずと定まってくる。

そこを行けた時、人は生まれてきた歓びを感じ、最大のパフォーマンスを発揮できるのだ。

 

海苔漁師ピアニストは、日々の様々な出会いの中から、自身の感受性に合うものを掴むことができた。

至福を追求し、己の究めるべき道を歩むことができた。

 

それはほんとうに素晴らしい、幸運なことだ。

しかしその幸運は、転がり込んできた偶然なのか、手繰り寄せた必然なのか。

 

人生における幸運を、才の開花を、生の成就を、限りなく必然にしていく。

 

そういうことのために学んでいけたら、と思う。

 

というか、自分のような頭脳型1種体癖からしたら、学ぶことそのものが快なんだけどねwww

念を修得するなら具現化系だぜ!

 

具現化か・・・、翼を創って空とか飛びたいな・・・。

とかそんな空想をしてると頭脳型は元気が出るという。 

 

はてな今週のお題は「やる気が出ない」なのだが、

やる気の出し方、というのも十人十色であり、各人の体癖にあったものがある、という話なのだ。

大義を掲げるとやる気が出る人もいれば(頭脳型)

不安をバネに高く飛ぶ人もいる(呼吸器型)

抗い戦うことで心を燃やす人もいれば(泌尿器型)

何かを世話していれば力が湧いてくる人もいる生殖器型)

 

身体の使い方から、自分のタイプを知ることから始めてみてはどうだろう、効率いいと思うよ。

 

  片山洋次郎の本には体癖が診断できる詳しいエクササイズが載ってる。

 

 

いや、効率を気にするのは頭脳型や前後型だけか。

海苔漁師ピアニストみたいなタイプの人は、理屈を学ぶより直感でいったほうが人生に必要なものを得られる。

エクササイズや瞑想で心と体を整え、

野口晴哉のいうところの、

あらゆる作為を手放し、

生命の知恵に任せきった無心、

気を集めて心をひとつにする「天心」

その境地こそが全てに通じる基本であり至高なんだな。

 

 

 

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ブログに体癖というカテゴリを追加したので、これからもちょいちょい書いていきたい。

そうなると目標は10種をコンプリートすることだが、そこは巡り合わせに依るところが大きいので、

皆様どうか、それらしい人物が紹介されてたらご一報頂けるとありがたいです。

芸能人とか意外と難しいんだよね~。多才だったり幾重にも自分を演じてたりして。

海苔漁師ピアニストみたいに、話題になった一般人みたいな例は解釈しやすいんじゃないかな、と今回思った次第。

 

 

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進撃の巨人を解釈する1 自由は美しき残酷な世界に。

進撃の巨人(22) (週刊少年マガジンコミックス)

 

進撃の巨人、最終話を読まれた皆様、完走お疲れ様でした~。

 

10年もの間続き、あれだけの複雑でボリュームのある物語となると、

どこをどう切り取って観るかで永遠に解釈を続けることができそうですが、

 

とりあえず結末を迎えたぜ!っていうライブ感で徒然に書いてみよう。

いやもう、ハンター〇〇〇ーとかベルセ○○とかブラックラ〇ー〇とかブギー〇ッ〇とか、

一世を風靡しながらエタってしもてる作品も数あるわけで、お預けされちゃうつらみからすれば終わってくれただけでも御の字っす。(-人-)

 

以下全ネタバレ注意。

コミック派アニメ派の方はご注意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

そーね、まず。

主人公エレンの心情の物語、という軸から見た場合には、

彼が救済に辿り着けたとは言えなくて残念だなーって。

 

鬱屈した気持ちの昇華や浄化、カタルシスがなかったね。

 

「たくさん人を殺してしまったから、自分は許されないんだ」っていう殻から出てこねーでやんの。

これはライナーやジークも同様に抱えたテーマだったわけだが。

 

終盤で予想された展開としては、

暴走するエレンのところにミカサの実行力で突っ込んで行って、アルミンがエレンのもつれた心を解きほぐし、昇華へ導く。

というのが王道のはずだが、そうはならなかった。

 

いや実は、

アルミンが問いかけ語りかけたことで、

思い込みを手放して昇華するっていう場面自体はあったんだよ。

 

「僕はここで三人でかけっこするために生まれたんじゃないかって。

この、なんでもない一瞬が、すごく大切な気がして・・・」で、

「ああなんだ、いい天気じゃないか、もっと早くそう思っていたら・・・。」っていう、

あるがままの世界をただ美しいと思えた、素晴らしい悟りの場面が。

 

 

 

ただ、その心情の救済に、昇華に、自由に辿り着いたのが、

なんでかエレンじゃなくてジークだったんだけどね!!

 

 

 

あれれ~?おかしいぞ~??

 

主人公はエレンで、ジークは敵でしたやん・・・??

 

なんか、“道”で2人で過去回想に行ったあの辺から、

ジークとエレンの役が入れ替わってるよーな印象になったよね。

 

アルミンと話して心を入れ替えたのもジークなら、

グリシャ、理不尽な運命を強いたクソ親父に和解を示したのもジークのほうだった。

 

は?

 

なんであの猿ヒゲメガネが主人公ポジションに?

エレンが魔王ポジションに??

 

ええ?(書いてみて改めて混乱した。)

 

 

いや、なんとなくは解ってる。

落ち着いて筋道を整理してみるとだ。

 

父子関係、立ちはだかる父権と、それに苦しみもがく息子。

という反抗期のテーマが、普遍的な自立のテーマがある。

 

息子は父に、一度は対峙してみることが必要だ。

面と向かって、向き合って文句を言ったり殴りかかったりしてコミュニケートする。

 

しかし、そこで父親に殴り勝ってしまうとだ。

 

支配からの自立、ではなくて、

支配を軸にしたパワーバランスの逆転になってしまう。

 

 

よくある話だけど、毒父に虐げられた息子がいたとして、子どものころはなす術なく従ってていても、父は老い息子は育つ。

ある日肉体的に成熟した息子が父を殴り返し、パワーバランスが逆転する。

そこから、今度は息子が父親そっくりの家庭の独裁者になってしまう、という負の連鎖だ。

 

どちらが支配者か、どちらがルールか、という天秤を傾けるだけのパワーゲームにハマってしまうのだ。狭い家の中で。

 

エレンはこのパターンに捕まってしまったように見える。

 

“道”の中の過去で、エレンは父グリシャを操る。

 

「民族を導け」という父親から押し付けられた命令、

それを命令したのは、実は自分(息子)の方だったのだ。という書き換えを行う。

 

それによって、支配者は、父権は、理不尽で打ち倒されるべき魔王もまた、エレンということになってしまった。

 

 

こういうのはな~。

父親の間違った信条をコピーし、父親そっくりの暴君(しかも父親より強力でタチ悪い)になるのではなく、

そのルールが適用されている狭い世界、家庭や人間集団から離れてみることが推奨される案件だ。

家から出て、異なる集団や自然の在り方に触れて、価値観をアップデートして、それから相対的客観的に父子関係を振り返ってみられるといいんだわ。

 

ジークにはクサヴァーという新しい父がいた、それが良かったというのは本人の言う通りだ。

 

エレンにもな~。

いや、ハンネスもキースもピクシスもエルヴィンも、みんなそれぞれに父や師や将として憧れていいような立派な人達だったけどな??

エレンが誰にも懐かなかっただけか・・・。

 

 

ハンジの「認めるよ、エレンに何の解決策も・・・、希望や未来を示せなかった無力さを」っていうのは泣けたわ。

ハンジも立場的には兵団長、父権であり、エレンを導く責任も感じていたんだな。(研究者タイプリーダー向きじゃない人だったけど)(リヴァイ兵長もエレンに指針を与えず自分で決めろという。)

 

エレンにも良い出会いはたくさんあって、いつでも変われたのに。

あのバカはどーしてあんなに強情だったのかね。

 

そういう風に生まれついたから仕方ないっていうのは、

あの表情を見てると嘘というか思考停止なんだけどな。苦しそうじゃん。

 

生まれついたように生きてる人というのは、

たとえその生き方が人道や倫理や常識や、何に反してようともイキイキした顔をしてるものだ。

悪い事なのは分かってるけど、楽しいからしょーがないよね!っていう顔をしてる。

 

エレンは「たくさん殺してしまった」から、後戻りできなくなっただけじゃないかね。

間違ってたことを認めたら、犠牲が、目的のために必要な犠牲じゃなくて、ただの無駄死だったことになっちゃうもんな。

コンコルド効果ってやつだ。

 

無差別な虐殺者であるか、無能で打ち倒されるべき指導者であるか、の二択なら、

自分は後者だと思い込むほうが心理的にまだ楽というか、色々言い訳もできるというか。

 

視野狭窄に陥った極端な心理状態だ。すごく追い詰められている。

死んだ方がマシなほど苦しいので、殺されることを望むと。

死に急ぎ野郎とは実に正鵠を射た綽名であることよ。

 

 

いやはや、どうしてそうなったし。

エレンはいつから、何を間違えて正解へ辿り着けなかったのだろう?

 

 

まあ、そりゃ、確かに人命は重大だ。

1話から人を虫ケラのように蹂躙する描写で話題になった漫画がそれ言うのって感じではあるがw

 

エレンは最終話で「人道」という言葉を口にする。

 

人道、人道ねー。ははあ。

 

進撃の巨人は、三重の壁という舞台から始まった物語だったわけだが。

 

壁の中の世界、外界から隔たった共同体、阻まれると同時に守られてもいる世界、独自ルールが運用される世界、狭い鳥籠。

 

三重の同心円の壁内世界、というのはなかなかに優れて捗るメタファーだと思う。

 

人はまず、家庭という世界で育つ。そこでは親がルールだ。

家庭ごとに「よそはよそ、うちはうち」で運用される謎ルールあるあるだ。

虐待と見做されるようなルールがあっても子どもは疑問を抱かず育つ。

そこが最初の小さな円だ。

 

学校に行くようになれば、校則や教師がルールだ。

服の着方まで規則に従わないといけない。

 

社会に出れば、社会人として常識、大人として当然、みたいな同調圧力やルールがある。うっせぇわ。

 

会社とか地域とか文化圏とか国とか、国際社会とか、

人間の社会は何重もの入れ子構造になっている。

 

 

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図にするほどのことでもないが。


 

そこで運用されている普遍的ルールが「人道」だ。

 

その内容のひとつが「人を殺してはいけない」だよな。

 

これは人間の社会では互いを侵さないために必要な不文律だ。

 

しかし、壁の外の世界では。

自然界のルールはそうでなかったりする。

そこにあるのは弱肉強食の食物連鎖による循環、適者生存だ。

 

他者を食らって生き、そしていつか自分も食われて続いていく世界。

 

自然界では大量死も大量発生も、種の絶滅でさえ幾らでもあること。

人間だって天災や疫病があれば例外ではないわけで。

いとも容易く数千数万の人が死ぬことがある。

 

だからさ、

そりゃもちろん虐殺や民族浄化を人として容認しちゃいけないけども。

 

「殺してはいけない」は人間社会でだけ通じるローカルルールであって、自然の理ではないわけよ。

 

「殺してしまった」は人間社会では罪だけども、

自然界には罪という概念そのものが無い、因果と調和があるだけだ。

 

 

小さな壁内世界のルールが、ひとつ外の円の世界で通じると思ったら、間違う。

 

家庭内のルールと社会のルールでは、社会のルールの方が大きな力をもつし、

人間社会のルールと自然の理では、自然の理のほうが上位だ。

 

マイルール、ローカルルールをまかり通そうとして生きてたら大ケガをする。

 

エレンは、壁の外の世界が自分の期待通りでなかったことに怒り、世界のほうを変えようとしてしまった。

 

そこが間違いの始まりだ。

学び変わるべきは自分なのだ、いつでも。

 

 

エレンには「巨人を駆逐する」と「外の世界を見たい」の二つの初期動機があったのだから、

 

22巻で初めて海を見た時、そこから炎の水や氷の大地を、広大な大自然の世界を見にいく希望を持てばよかったのに。そこで敵を見てしまった。

 

 

 

そういえばエレンって何歳だったっけ。

そもそも「民族の指導者」なんていうのは、まだケツっぺたの青い小僧の仕事じゃないんだよね。

 

巨人の力とか、未来視とか洗脳とか、チートスキルのひとつやふたつあったところでさ。

まだ家庭と学校しか知らんような見識の狭い青年に、血気盛んな新兵上がりに、そんなことさせたら失敗するの当然じゃん。

 

なろう系異世界転生なら、リムルやアノスならチート無双で天下取ってほいほいと理想国家を建設してしまうけどもだ。

 

ピクシス司令のような老練の将、ハンジのように大人であろうとする人、何段階もの人間成長のステージを巧みに描ききる世界観では、そーはならんのだろうねー。

諌山創にとっては、チート無双国主はリアルじゃないのだ

 

 

これは自分も10年前だったら解らなかった認識だけど、確かにそりゃそうなんだよな。

若い頃ってさー。

「正しければうまくいく」「善いことならうまくいく」みたいな、期待と潔癖の思い込みがある、確かに。

そしていつか挫折を経験して、なんで自分は正しいのにうまくいかないのかと地団駄踏んで、

そして世の中っていい加減なことや許せない悪徳ばっかりだけど、それでも意外と平気で回っていくんだな・・・ってことに慣れていく。

 

ムチャ振りで潰れてしまったエレン、普通にかわいそう。

まず広い世界を見に行けばよかったんだ。

自分の潔癖な価値観を世界に押し付けようとするのではなく。

 

民族紛争の問題は、ピクシスのような酸いも甘いも嚙み分けた大人の仕事だったのだ。

善悪や白黒で決着するような問題じゃないんだから。

効果的に武力をチラつかせつつ互いの利益を慎重に線引きしていくとか、そういう複雑さに耐えられる人が指導者たるべき。

 

ぶっちゃけ巨人の力とか、それが何だっつーんだろうね。

横暴で巨大な人類がいようが、鳥も獣も魚も虫も、みんなそれぞれの場所で繁栄してるじゃん。

上位種や捕食者がいることの危険や恐怖は、自然界では当然だ。

それでもみんな生きてるのに、

人類だけが在りもしない平等公平安全安心の楽土を築けるなどと、

そう思うこと自体が本当はおこがましいんじゃないのか。

 

壁を作って、箱庭の中で脳内の甘美な幻想を実現しようとしても、結局それは叶わない。

なぜなら、不自然だから。

不自然は、淘汰される。

 

否応なしにそういうもので、

むしろ淘汰や死など、痛みから自然の理法を学ぶためにこそ、魂は肉体を得て修養していると言っても過言ではない。

 

地震がきて豪雨がきて疫病が流行って、たくさん人が亡くなっても、

それでも天災には文句のつけようがないから、どうにか出来る範囲の工夫を凝らして暮らし続ける。そうするしかないから適応していく。

どんな高い壁をつくろうが防波堤をつくろうが核シェルターをつくろうが、壊れる時には壊れるのだ。

 

心の安らぎ、というのはそういうところにあるのではない。

 

心を苦しくする様々な思い込み、

「殺してはいけない」「差別はいけない」「増えなくてはいけない」

「絶対に許さない」「自分は許されない」

みたいな頭の中で始終煩いやつが鎮まっているとき、

 

どんな過ちもすべてがただ許されていて、

同時に明日は何もかもを失うかもしれない世界で、

 

それでも、誰かと心通じる一瞬や、いい天気だと思えた一瞬には、

自我という狭い鳥籠を忘れて、あるがままの世界と溶け合ってひとつになっているのだ。

それが自由で、自在だ。

 

世界は、残酷だからこそ美しい。

 

 

 

 

 


www.youtube.com 美しき残酷な世界

 

 

 

お題「#新生活が捗る逸品」

 

支配からの自立、というのはこのブログの主なテーマのひとつで過去記事が色々あるので、この記事ではちょっと端折り気味になったかもしれない。

 


 

 

あ!進撃が終わって虚脱してる方には、次はこの漫画おススメしたい!

アニメも今期からで1話が放送された好機!

 テーマがよく似てて、しかもこっちはハッピーエンドに辿り着ける命題の設定になってるよ!

inspiration.hateblo.jp

inspiration.hateblo.jp

 


www.youtube.com

ブルーピリオドを解釈する。 体癖論とエニアグラムとチャクラとRGB。

ブルーピリオド(1) (アフタヌーンコミックス)

 

ブルーピリオド、アニメ化決定おめでとうございます。

blue-period.jp

 

つっても記事のネタにしたいのは7巻から登場するこの三人組なので、多分アニメ化範囲で出番なくてぴえん。二期くれたら本気出す。

 

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今回は作品の解釈でなくて、自分なりの解釈の方法論というか、学習方法をメモしていく感じで。

 

前回ちょっと触れたけど、

体格や仕草から人を観る、体癖というのに興味を持っているところなのだが、

体癖 - Wikipedia

村井八雲が見れば見るほど6種、前後型・呼吸器型の陰の特徴に当てはまる。

 もはや作者は体癖論からキャラ作りをしてるのでは?というレベル。

 

そして八雲がいつもつるんでるはっちゃんとモモ、

この三人の関係性を、がんべあさんのブログで学ばせて頂いてるエニアグラムで見てみると、

 

八雲が感情タイプ、はっちゃんが思考タイプ、モモが本能タイプとなっていて、

この三人だと人間関係が安定するのがわかる。気の合うトリオ尊み箱推し。

 

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がんべあの「ぶれない」キャラクター&ストーリーの作り方


より詳しくだと、八雲が3達成者、はっちゃんが5観察者、モモが8統率者なので、

黄金三角形ではないのだが。

 

さて、しかしこの手のメソッドは世に数多あるのだが、興味深くてあれもこれもと読むからこそ、

○○論ではx番目で、××論ではy番目で、△△論ではz番目、などとイチイチやってられるわけがない。

5番で12種で、9種の裏表が、など馬鹿正直に暗記してられるかい。

こちとらもうとっくに学生じゃねーんだよ!バーロー (ノ`□´)ノ⌒┻━┻ こんな顔文字使ってた世代なんだよ!

 

しかし様々な知識の断片を、自分なりに体系化することは覚えた。

人間に関することなら、結局はこの体の身体感覚で確かめられることなのだ。

その認識を改めて図で説明してみるなら、こう。

 

 

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チャクラ - Wikipedia

チャクラ、で検索すればこういうのがたくさん出てくるのだが、

この図を採用するポイントは、グラデーションであることだ。

 

たとえば、虹を何色とするかは文化圏によって違う。

日本では赤橙黄緑青藍紫の7色だが、各国ではこう。

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こういう画像も話題になったね。

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実際のところは虹やプリズムで分解した光を見れば、境目などないグラデーションだ。

義務教育の理科で習う、当たり前のことだけども。

 

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連続諧調のどこを切り取って名付け、分類して観察して専門化しても、いいけどもだ。

バラバラにする前は、すべての波長を含む白い光であったことを今一度、何度でも思い出してほしい。これはとても捗る例え話なのだ。

 

RGB、すべての色を等量に重ねれば、元の光へと回帰する。

虹色に分かたれたチャクラをもつ人体でも、同じことができる。

オーラソーマとか、色を使う瞑想の極意はこれだ。

習ったことはないが確信する。

 

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いや、ちょっと結論を急ぎ過ぎた。順にやっていこう。

 

つまりこう。

 

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これでなんの矛盾もなく納得できる。

情報が増えても大丈夫。

 

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で、エニアグラムならウイング、体癖なら遅速型など隙間を補完してくテクニックがあると。

 

で、だ。

チャクラのメソッドが額、喉、胸など身体の前面表面を通る気のセンター(中心、経絡)であるのに対し、

体癖論は背骨、背面内部からも人間を観る。

体の重心が腰椎のどこにあるか、という肉体のメソッドであるところが興味深い。

チャクラは気・精神の技法であり陽、体癖は肉体の技法であり陰。

これって両者は人体を前後で補完し合うことのできるメソッドなんじゃないかな!?すごくない!?どうかな!?興奮するんだけど!!

図はこうね。

 

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まあ、そしてだ。

思考・感情・本能の三分割は、

脳の三位一体説シュタイナーの教育論とも符合する基本中の基本だ。

 爬虫類脳・哺乳類脳・人間脳|3つの脳の構造でわかる人間の三大欲求 - Web活用術。

シュタイナー教育 - Wikipedia

 

つまりこう。頭の中にも身体に照応する虹があるわけよ。フラクタルなわけよ。

 

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シュタイナーのメソッドでは表象感情意志という言葉だけど、まあ言いたいことは一緒だ。

これは精神肉体の三位一体とも照応する。

 

さて、いい加減同じような図ばかりになってしまった。

 

まあ適当に判るとこだけ斜め読みでオナシャス。

 

 

じゃ、例題のトリオに戻ってもう少し具体的にしていこう。

 

 

モモは赤

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・法被隊のリーダー

・勝負ごとにムキになる。勝つまで挑む。

・初顔合わせでは舐められんようにイカつくキメる(主導権を欲する)

・相撲好き(一対一の肉弾戦が好き)

 

体癖なら7種捻れ型泌尿器型陽、

エニアグラムなら8統率者、

 

本能、意志、脳幹、マニピュラチャクラが彼女の心身のセンターだ。

そこから湧く力を主に使って生きている。

 

腹が据わる、とか腹が煮える、という慣用句があるが、

怒りや闘争本能、生きたい、生存を拡大したいという原始的な衝動、

シンプルゆえに強力な推進力を有する。やる気満々。ファイター。

マグマのようにふつふつと、熱い血がたぎる。マニピュラはそんなフィーリングだ。

 

脳幹や丹田という、生きものとしての土台部分を養うには幼年期(0~7才)の環境が大切だ。

親に見守られ、自然と親しみ、運動の基礎をくりかえして習得する。

 

野ザルのよーに田舎で近所を大冒険で育つといいんだけど、

現代人、都市生活者はこの段階の発達が不十分になりがち。

 

八雲は緑

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・「俺かわいそ」と「でっけえは最強」かまちょと見栄坊の両面性。

・背を丸めがち、アゴ突き出しがちの姿勢。

・語尾伸ばしがち、スローな喋り。

・神輿のてっぺんで騒ぐお祭り男。

・人間関係をバランス(表情や距離感など非言語コミュニケーション)でよく見ている。

・空腹を訴える(きねみのように食べて「しあわせ~」とは異なる)

・刺青やピアスは自傷であり装飾、破滅行動と美意識の両面。

・目が据わってる。

 

体癖があまりにも6種前後型呼吸器型陰、(博識1種、浪人は危機で裏を使う。)

エニアグラムなら3達成者、ウイングで4寄り。

 

感情、辺縁系、アナハタチャクラが彼の心身のセンターだ。

ハートの力を主に使って生きている。

 

胸が熱くなるとか、胸が痛むとか、ハートウォーミングとか言うけど、

感情や情感、他者への共感、人と人との関係性や繋がりを求めていく気持ち、ロマン。

瑞々しい生命のように柔らかく伸びゆき、優しく傷つきやすい、アナハタはそんなフィーリング。

 

辺縁系は哺乳類の脳。

哺乳、母が子に乳を与え触れあう。それが他者との関りの始まりだ。

7~14歳くらいは学校に行くとかで家族以外との関係、同年代の友人や異性との関係性を学んでいく。

 

現代人、都市生活者はここを使い過ぎて疲れていることが多い。

毎日同じ職場で同じメンツで長時間、などという環境は実は不自然であり、

SNSなどで常に人と繋がっているとか、対人関係に気を遣い過ぎるのだ。

自粛やリモートで気がついた人も多いかと思う。

 

 

はっちゃんは青

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ボードゲームが好き。世界(ボード)を客観的に見渡す、鳥瞰・俯瞰の視点がある。

・同級生の食い違いの原因が語の定義にあると解るが、傍観する。言語能力が高い。

・公平で秩序を重んじる。ゲームの結果なら同級から昼飯代を巻き上げて平気。

(可哀想だから返すとか無い。宅飲みなど別の形で還元してるとかは有り得る。)

・優しい雰囲気(感情の起伏という弱みを見せない)。

・頬骨と三白眼(カマキリ顔)

 

体癖は1種上下型頭脳型陽、

エニアグラムは5観察者(ちょっと自信ない)

 

思考、前頭連合野、アジナーチャクラが彼の心身のセンターだ。

 

なにかを知りたいという欲求で生きている。

言語や知的活動で世界を把握し、アイデアを表現しようとする。

反面、食欲とか運動意欲とかの肉体感覚や自己保存を疎かにしがち。睡眠は長い。

 

どこまでも青く遠く澄み渡る空 のようなフィーリング。

 

前頭連合野は、高度な精神活動の脳だ。

14~21歳の時期、高等な数学や抽象的な概念を理解することができるようになる。

 

 

 

 

 

 

っていう。

諸兄はどのタイプだろうか?

 

自分ははっちゃんと同じ青・思考タイプだ。

理屈を捏ねまわすスレやブログを自発的に書いて愉悦する。

で、サブが赤・本能だ。煽り耐性が低くレスバでマウントしたがりがち。

 

なので八雲のような、緑・感情で、ハートで生きてる人がものすごくクリティカルに刺さる。

 

無意識に自分に欠けているもの、足りないフィーリングを求めてるってことだろう。

 

好きな人やキャラクターのタイプから、自分を知ることもあるわけだ。

諸兄の推しや二次嫁はどうだろう、貴方に何かを教えたがっているのかも知れない。

 

自分がをもっているから、の人と気が合う。

補完すればRGBは白光に、調和や安定になると理ではなく肌でわかる。

 

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とはいえ実際の人間はもっと複雑だ、関係性となると更にややこしい。

そういう人を探してくっつけと勧めているわけではない。

 

誰であれ、今、息をして心臓が動いている人間存在であるなら、

多少弱かろうが未熟だろうが退化してよーが、すべての要素を一揃い備えて生まれている。

 

瞑想やトレーニングで、自分の不足を重点的に整える。

マグマのようにふつふつと、熱い血がたぎる。

瑞々しい若葉のように優しく柔らかく伸びゆく。

どこまでも高く青く遠く澄み渡る空。

腹の赤胸の緑頭の青、上中下の三つのセンターチャクラを等量まで活性化させて、共振させてひとつにする。

真っ白で眩い光になる。

そのように自分自身を調律し、ひとつの完全な楽器になることで、より大きなハーモニーと響き合うことができるようになる。

そして空より高く海より深い、すべてがやってきたどこかと接続するのだ。

 

そういう習慣をもつことで、疲れを癒し悩みを手放し、ひとまわり大きな自分になることができる。

 

 

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 具体的な体操方法はこの本よかった。

整体の先生が書いた体癖の本。

 

 で、理屈じゃなく身体でわかってきたら、

こっちの本で創始者野口晴哉のマインドへアプローチするといいかな。

いきなりこっち読むとちょっと文体が古くてとっつきづらいかもしらん。

 

ガチりたい人はAmazonでなく、公式サイトに野口晴哉の著書がございます。

www.zensei.co.jp

 

 

 実際にズバズバ当たって体癖おもしれーってなるのはこのゲーム実況。


www.youtube.com

 

 ブルーピリオド。共感性羞恥でのたうちまわるけど、以前よりスッと読めるようになってきた。

歳やな。青春が眩しいぜ。

 

 

 

 

 

ハウルの動く城を解釈する7 ソフィは嘘がお上手、悪魔は嘘をつかない。

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金曜ロードショーで、またハウルの動く城が放送された由、誠に喜ばしく存じます。おめおめ。

おかげでアクセス数が見たことない数字になってて草。

見てくれてありがとー。

 

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しかし、名作とは何回見ても新しい発見があるもの。

鑑賞者の心を映す鏡となり、見えるものが変わってくるのだ。

 

ハウルの記事はたくさん書いたけど、せっかくの地上波放送だったのでもう少し、脱線上等で話を広げてみよう。

 

はじめましての方は過去記事がこちらになっております。

inspiration.hateblo.jp

 

 

さて、

 

ソフィは、嘘が上手だ。

さらっとしらっと、とても巧みに嘘をつく。

 

ということに、諸兄はお気づきだろうか。

まずもって彼女は、自分が老婆であるという強い暗示、帽子屋を継ぐべき長女である、掃除婦である、など自分にも嘘をつくタイプというか。

かくあるべき自分、という強固な設定やペルソナが先行するタイプではあるし、

「そうさ、この国で一番こわ~い魔女さ」「そうさ、この国で一番きれい好きな魔女さ」という掛け合いのノリというか嘘というか、実はそのとおりなのもあるが。

もっとしっかり嘘吐きなシーンがある。

 

 

国王の城へ赴く場面で、

 

荒れ地の魔女「なんであんた王様のとこへ行くのよ?」

ソフィ「就職活動!」

 

これは初見でも気がつける、明らかな嘘だ。

ソフィはハウルの母、ペンドラゴン婦人として謁見へ向かう流れだったもんな。

 

この嘘が注意喚起というかヒントというか、

周回したときソフィの嘘に気がつく用の伏線になっている。

 

入城して、小姓が「ペンドラゴン婦人、荒れ地の魔女様ー!」とアナウンスする。

荒れ地の魔女「ペンドラゴン・・・、聞いたことある名だね」

ソフィ「当たり前でしょ、私のいた帽子屋の名だもん」

 

さらっと流れるようにウソ。

帽子屋はそんな大仰な店名ではなく、そのまんまのハッター(Hatter)だ。ソフィ・ハッター。

 

名を、偽る。

 

これが宮崎駿ワールドでどれだけ重い意味を持つのだろうか。

 

前作、千と千尋では、湯バーバが名を奪う。

それは隷属の契約と洗脳であり、

魔女や魔法使いというのはにまつわる呪力、魔力を熟知する者だ。

 

階段上りで疲労困憊の荒れ地の魔女は、「そうだっけ・・・?」と騙されて、ソフィがハウル代理人であることに気がつかない。

 

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そしてトンネルの夢から目覚めた後。

カルシファー「そんなこと言えるかよ、オイラは悪魔だぜ。」

ソフィ「カルシファー、サリマンが言ってたわ。ハウルは大切なものをあなたに渡したって、なにそれ?どこにあるの?」

 

しらっと、なめらかにこれもウソ。

 

サリマンはそんなこと言ってないねえ~。

「悪魔に心を奪われ、私のもとを去りました」とは言ったけど、

心を奪われ、はあくまで魅惑された的な比喩だろう、

心臓を奪われた、を示唆するダブルミーニングではあるけども。

 

大切なものを渡した、と言った。そう聞いたとするのは強引に過ぎる。

 

これはカマかけ、隠してることを知ってるぞと水を向ける誘導なんだけど、

カルシファーはひっかからない。

「契約の秘密についてはオイラは喋れないよ」という。

 

こういう、戦略的な嘘がつける女性キャラクターというのは昨今では珍しい感じがする。

アリババと40人の盗賊に登場する賢妻モルジアナみたいな感じだろうか。

嘘吐き女、というと海がきこえるのヒロインみたいな、寂しさから気を惹くための嘘をつく、危ういメンヘラ系が多い気がするが、

ソフィはポジティブに巧みに嘘を使いこなす。

 

 この嘘は、カルシファーの性質の根幹にものすごく図星な物言いなので、

彼は誤魔化せず、原理原則を持ちだして沈黙する。

 

悪魔、というのは宮崎駿作品では初出だけども、カルシファーの態度は実に古典的な悪魔像を踏襲している。

 

カルシファーは、悪魔は嘘をつかない、というか、嘘がつけない

 

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悪魔は奸智に長け、言葉巧みであり、言外の嘘というのはよくつく。

肝心なことは言わない、とか、核心や条件を隠してる、とかはあるあるで、

勘違いさせるような誘導的な物言いや、はぐらかしや誤魔化しということならお家芸だ。

 

しかし、名や契約に関することで決定的な虚偽を述べることは、ない。

 

なんで?

いや、なんでかは知らんけど、そこをペラペラ嘘つける悪魔を描くと、途端にキャラクターが説得力を失うことは間違いないと請け合おう。

 

イブを誘惑する聖書の悪魔からしてそういうものとして描かれ、

その共通認識が児童文学や創作物に脈々と浸透して、人類規模での普遍性を獲得している。

という事実はあると思う。

 

なんでかねえ?

これは実に興味深い疑問だ。

 

悪魔だけでなく、魔法使いや魔女というのも、軽々に嘘はつかない。

 

名の力、言葉の力、言霊の力、認識を確定させることの力、世界を任意に切り取る力、

そういう力のあることを知り、それを能く行使する者ほど、そのリスクも反作用も知っている。

 

しかし、それはつまりどういうことなんだろう?

この不文律をどうにか解体し、納得したいという欲求に従って徒然に書いてみよう。

(もっともらしい嘘を捻りだす、と同義なので是非疑って頂きたいww)

 

ちょっと遠回りになるけど、前提から。

人間は、精神と肉体の両方を備えて在る。

その精神と肉体、どちらが先にあるものか、どちらが優位かっていう話をすると、

 

陰陽論では精神が陽、肉体が陰だ。

心や意志が陽で、物質が陰と言ってもいい。

まず精神が動き、物質はそれに従う。

 

量子論でいうところの、素粒子がみせる波と粒のふるまいのうち、波が陽、粒が陰。

 

肉体は重く凝って沈んでいく粒であり、

精神は軽く響いて拡散していく波動のようなもの、というイメージだとする。

 

創作物ではよく、精神体、というものがでてくる。

まあだいたいの共通項としては、

距離や時間による制約が少ない、一瞬であちこちに移動したり、永い年月をさほどに感じていなかったりする。

食事や睡眠などの肉体を維持するコストやメンテを必要としない、

物質体がないので壁をすりぬけたり、モノを触ったり持ち上げたりができなかったりする。

一時的に人やモノに依り憑くことができる。

ざっくりそんな感じだろうか。

 

うしおととらのジエメイとかほぼすべて当てはまる好例。妖しく儚い絵も白眉。

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そして、そいつら。幽霊にしろ、式神にしろ、精霊にしろ、悪魔にしろ、地球外生命体にしろ、

 

基本的に、肉体のないヤツは嘘つけない、の法則があるんじゃねーかな~、と思う。

 

妖精はちょっと違うかな。

定義にもよるけど、自然物などの本体があることが多いから。

 

そんでだ。

 

たとえば、ちょっと自分が幽体離脱した(w)という状況を想像してみてほしいんだけど、

そうすると、声帯も肺もないわけだから、空気を震わせて音を出すことができないわけじゃん。ペンを持てないから文字も書けないじゃん。

となると、精神体の意思伝達はまずテレパシーってやつになるじゃん。

 

諸兄はその時、テレパシーで、ウソがつけると思うだろうか?

 

テレパシー、精神感応というと、伝えたいイメージを音声言語に変換せず、

思うことをそのままダイレクトに送信するっぽくて、それはウソがつきにくそーな感じ、しないかな?

 

精神体は基本テレパシーを使うから嘘をつきにくい、という結論でもまあいいけど。

このくらい余裕で慣れてる人もいるだろうし、もう一歩踏み込んで考えてみてもいい。

 

嘘、というのは、

認識していることと、喋ってることが違う、ということだ。

 

人間は嘘をつくとき、

認識している事実のイメージと、嘘の設定のイメージの両方を同時に保持する。

頭の中に、ふたつの事象が同時に存在している。

 

物質が構成する現実世界には、物証、証拠、というものがあるので、

なにが事実なのか検証する、ということができる。

 

ソフィは帽子屋の名がペンドラゴンだと偽ったが、

実際にその帽子屋を訪ねてみればハッターという看板がある。

店名の入った商品や書類類もあるだろう。すぐに答え合わせができる。

 

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しかし、精神体、精神世界、というものを想定したときにはどうだろう?

 

脳や肉体というハードのない世界、意識というソフトしかない世界で、

「帽子屋の名はペンドラゴン」の偽、「帽子屋の名はハッター」の真、

矛盾するふたつのイメージを、同時に保持するまではできたとしよう。

 

しかし、そのどちらが事実か、どちらが真か、どうやって決定するのだ?

 

誰かに聞いてみる?

しかし、他者の認識と自分の認識の齟齬が、どちらも譲らない水掛け論にしかならなかったらどうしようもなくない?

 

論より証拠、のない世界、論しかない、認識しかない世界。

物質に依らない世界、経年変化の希薄な世界、精神世界。

そこでは、心の中の出来事のどれが真なのか、どれが事実に即しているのか、などという問い自体が成立しない。

 

精神世界では、主観的認識と、客観的事実を擦り合わせることができない。

 

答え合わせができない。

 

すべてがデータでしかないサイバー空間では、ハッカーからしてみればあらゆる捏造や日付を遡っての改竄が可能、みたいな感じで理解できるだろうか。

人間であれば、パソコンを消せば肉体がリアルを感じさせてくれるけども。

 

ちょっと想像してみて欲しいんだけど、

答え合わせができない世界で、複数の矛盾するイメージを保持する、というのは、

スゲー怖い、スゲー危険なことな感じ、わかるかなあ。

 

どっちが真でどっちが偽か、いとも容易く入れ替わってしまう。

 

だから、精神体的なやつら、悪魔や霊的存在は、こと自分の在り方に関して嘘など決してつかない。いや、つけない。

嘘とわかっていても言挙げしてしまえば、そのままに自分の存在が根幹から揺らぎ、変質しかねない。

それは死よりも忌まわしい。

 

ソフィ、というか肉体を備える人間存在であれば、

いくつ嘘の設定を保持しても、たとえ精神が解離分裂しようとも、

日々せっせとごはんを食べて育ててきた肉体というのは、実に強固に物質世界に根を下ろして繋がっている。

 

肉体という、重し、楔、錨、重くて簡単には揺らがないものが拠り所にあるからこそ、

嘘をついても、複数の矛盾する事実像を認識しても、とりあえず平気でいられるのだ。

中長期的な影響は必ずあるけど、とりあえず直ちに影響はないっていう。

名を偽ろうと、記憶がいい加減だろうと、肉体という器はそれだけで強力なアイデンティティとなる。

 

そして、悪魔や霊的存在、精神しかないような連中がいるとして、

精神というのはどこまでも拡散する波に似た性質のものだと言った。

 

音のように波のように、不定形で流されて広がって干渉されて薄まっていってしまうのでは、自己を長く保てない。

存在し続けるには、なにか重しが、器が、フレームが必要になる。

それがだ。

 

肉体のない存在にとっては、名が肉体に等しい依り代であり、自己を定義するフレームなのだ。

 

一神教では神の名を呼んではいけないというタブーがある。

ヤハウェに限らず、上位存在の名を呼ぶこと、名を知ること自体を忌む逸話も多い。

エクソシストは悪魔の名前を聞き出さないと祓えないとか、

真名を知ればそれだけで相手の存在を掌握できる、といった思想も普遍的なものだ。

 

まあ、精神体にとっては、雑に名を呼ばれるということは、肉体に触れられるに等しいというか、

 

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 こーゆー首をガッといくコミュニケーションに近いだろうか。

これ気が合わないやつだとイラっとするというか、目下か同格の相手にしかしちゃいけん絡み方だよな。

 

まあ、神様や悪魔の名は地域を跨げば呼び方が変わるとかもあるあるだけどー。

綽名も名には違いないわけで一応アクセスはできるだろうけどー。

 

それでも祈念する存在の本質に近づこうとするときは、最も近い音の名を使うことが望ましかったりするだろうね。

 

精神は波、音も波、最も正しい名は、その精神体の固有の波長そのものを写した音になる。

 

ヨガのマントラなんかは、そういうことのために蓄積された魔術だ。

対象の名、そのニュアンスをできる限り正確に発するだけでも、それなりの才や習熟がいるよーな話なのだ。

 

なんつって、怪しくなり過ぎたけども。

 

どうだろう、嘘について、名について、

その呪力や魔力、その意味について、少しは感じが掴めただろうか。

 

その感覚を確かなものとする先に、魔女や魔法使いや行者の領分がある。

そしてもっと先には、名も魔術も、肉体や精神の器も越え、その源泉たる魂をくぐり通って至る自在の境地が、

言葉にできず、始まりも終わりも越えた無窮のなにかが、ずっとあったことに気がつく。それとともに在ることを思い出す。

 

アートマンや覚者、宮崎駿的用法での天使となって、

あるがままの今を、世界を感じて生きることができる。

その秘密、そこへ至る道は万人の前にいつも開かれているのだ。善哉。

 

 

 

 

 

 

 

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あー。大いに脱線してもはやハウルの話ではなかったかもしれないが。

いやー、しかし、こーゆー中二妄想みたいなことを考えてる時が一番楽しいって感じがしますなww

 

ところでガッといくとこの漫画ブルーピリオド、アニメ化だってね良かったね。

でも自分の推しは8巻から登場の村井八雲なので、一期12話ぐらいじゃ出番ねえ~、どうでもよ~。

 

 

は~~~~。

 

なんか知らんし大して活躍もないのに、八雲がすこすこのすこなんだよな~。

 

この「俺かわいそ、優しくしろ」と「でっけえは最強なんで」が同居するパーソナリティがさー、

 

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 ハウルと一緒のタイプなんですよ多分。「僕は憶病なんだ」と、王子エスコート空中散歩と一緒。

 

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かわいそぶってかまちょするのと、見栄坊で目立ちたがり屋の、両面性がある。

 

これが、最近ハマっている体癖メソッドでいうと6種、呼吸器型の陰だと思うのね。

ja.wikipedia.org

 

ハウルが臥せってソフィに甘えるのとか、ソフィを先行させてから行動するのとか、破滅型のロマンチストな感じとか、

八雲はアオリ気味なキメ顔の角度、友人とセットなとこやお祭り男、自傷と華美の両義のピアスに刺青、腹ペコ属性なども符合しまくりで、もはや作者は体癖論知ってるやつでは。

 

体癖論は、YouTubeゲーム実況から興味を持った。これ面白いよ~。


www.youtube.com

解説してる名越康文もなかなかに鋭くて一歩引いて視る姿勢が感じのいい人なんだけど、

体癖論創始者野口晴哉がガチの次元高い、ガチ達人の優れたインスピレーションの人なので、本買ってみた。

 

キャラデザがテンプレがちなアニメ鑑賞ではあまり使えないメソッドなのが残念だけど、これは人生が捗るやつなのでいつか自分なりに記事にできたらと思う。

 

 

しかし、もう見えている結論としては、

この方法論は、西洋科学的な発想、人間の分類法として運用してると間違うやつだ。

人間存在はバラバラにしていってもダメなのだ。わからなくなる。

細分化しても、複雑系は理解できない。

体癖論を、整体や心理学に使えるところだけをつまみ食いするのではなく、

野口晴哉と同じ境地へ至るため、心身の不足を補って高めていくために使うとき、真価を発揮するメソッドのはずだ。

 

宝石の国を解釈する。博物誌を編め、さすれば。

鏡面の波(アニメ盤)TVアニメ『宝石の国』オープニングテーマ

 

 

 

100話の感想も書いた!

inspiration.hateblo.jp

 

 

 

 

 

95話までで休載になってしまったので、このタイミングで書いておこう。

 

宝石の国のアニメが好きだ。

孤島に住む宝石生命体というのは、3D作画を活かせる最高の設定だった。

とても美しくオリジナリティのある映像だった。アニメ史に残るぞこれ。

 

しかし、二期が見たいとは思っていない。今あるだけをリピートで見ていたい。

アニメ化範囲の先はどこまでもドツボにハマっていく鬱展開だからだ。

 

 無邪気でかわいい甘ったれだった主人公が、

どんどんメンタルをやられいくのは目も当てられない。

なんでそうなる。かわいそすぎる。

 

つらいことがあると、なんでそうなるのか、どうすればよかったのか考えてしまうのが人間というものだ。

 

 フォスがどうすれば幸せになれたのか、

絶望の95話からどう転べばハッピーエンドが有り得るのか、

ずっと頭をぐるぐるするので、書いて落ち着こう。

 

ざっと粗筋を。

 

人類が滅亡した後の地球は、海と小さな島ひとつきりの資源に乏しい星となった。

島には、食事も生殖もせず、光だけを糧に生きる宝石生命体が住み、

海には、アドミラビリスという半透明のクラゲ人間のような生命体が住む。

そして月には仏教風の姿をした月人が住み、そいつらは宝石達を攫おうと度々襲ってくる。

 

それぞれ人間の形をしているのは、人間を祖として、宝石が骨、アドミラビリスが肉、月人が魂と、性質をわけて継いだ存在だからだという。

 

元ネタで、仏教や七宝から着想を得たとのことで、

【インタビュー】上は少年、下は少女。性別のない宝石たちは「色っぽい」! 『宝石の国』市川春子【前編】  |  このマンガがすごい!WEB

 

主人公のフォスは、その身に瑪瑙や金銀を継ぎ足しながら、見た目も少しずつ少年から青年のように大きくなっていく。

PVには成長の物語、という紹介があるが、確かに身体的には成長しているものの、

精神的に成長してるかは疑わしい。そこは後述としよう。

 

ここから全ネタバレあり注意で。

 

宝石達は、僧の姿の金剛先生をとても慕っている。

個性豊かな28人の全員が、自身の安全を省みない程に特定の誰かを好きというのは、通常有り得ないだろうが、

金剛先生には絶対魅了の固有スキルが搭載されているのだ。

 

月人は宝石達を攫いに来るが、本当の目的は宝石達ではなく金剛だ。

月人とは滅びた人類の魂が月にとどまったもので、肉体ではなく精神体で、

死後も成仏するということなく、月で何十万年かの死ねない時間をただ過ごし、享楽をやり尽くし、飽きて倦んで、無になりたいという。

金剛先生は、魂を無に帰すため、かつての人類が作った祈りの装置だという。

 

然るべき誰かに祈ってもらわなくては、涅槃へ行けないと。

だから、なにがなんでも祈らせようと、月人は金剛が愛する宝石達を攫う。

こいつらを返して欲しければ○○しな、というよくある卑劣な脅しをかける。

 

いや、天人みたいな清らか系のビジュアルのくせにクズ過ぎん?マジで。

 

ゴシップにしか興味のない大衆として描かれる月人たちには、

自力で悟り、解脱する。自力で涅槃へ至る、そのために修養する。

といった発想がこれっぽっちもない。爪の先ほどもない。皆無。

 

金剛がダメなら、自分で頑張るか~、とはならない。

有り余る時間を持ちながら、あくまでも他力に縋り、

泣き落とし、リスカ武力行使、人質をとる、見せしめ、等々

見苦しい方向にばかり労力を費やす。

なにがなんでも他人に言うこときかそうという執念がこわい。メンヘラやばい。

 

まあ、宝石の国には基本メンヘラしかいないけどな。

 

他力でなく自力からの救済、健やかな成長といえる変化をしてるのは、

月に行ったほうのアメシストくらい?

後は全員どこかしら病んでるか、変化しない。

 

そもそも、宝石生命体たちは一個の完結性が非常に高く、過酷な環境に耐えうる体で生まれるので、

人間のように協調や複雑な思考、頻繁な変化を必要としない種であるようにみえる。

食事も生殖も必要ない、光だけで生きていける。

触れ合えば割れてしまうし、スキンシップもだが、群れることも本来は必要ないのでは。

 

結晶構造で出来た体はほとんど不死だが、しかし、

最高齢のイエローダイヤモンドの顛末を見るに、精神的な限界はあるようだ。

 

記憶や感情のあるレベルの意識が、どのくらい個の連続性、自我を保てるのか、

という命題に対して三千五百年くらい、というのは興味深い解だと思う。

 

三千年から五千年の寿命、といえば屋久杉やジャイアントセコイアのような巨木だろうか、

そういえば宝石達の特長はそのような植物に通じるところがある。

 

生態からするなら、宝石達は巨木のような心で生きる生命体のはずだ。

純粋で穏やかなことが自然な成り行きというか。

食料や生殖で競争することもないなら、他に優るための知恵も悪知恵も必要ない。

生まれてさえしまえば自己保存の本能をほぼ成就できるのだから。

 

喜怒哀楽の感情をもち、コミュニケーションを高度化し、過去の記憶を保持することは、

人間にとっては生存を有利にするための進化だけど、それは同時に負荷でもある。

脳の燃費をくう。大量記憶の保持はコストになり、同じことを繰り返すほどに感情は摩耗する。葛藤が生まれればそのストレスだけで死ねる。対人関係の調節ほど面倒なものはない。

 

現行の人間の意識レベルでは、例え不老不死の肉体があっても数百年も生きないうちに心が死ぬだろう。そして肉体も死ぬ。

記憶のリセットを導入するしかないが、だったら肉体もリセットでいい。

そのようにして現段階の意識には、数十年の寿命が妥当となる。

 

数百年、数千年の時を、自己を保って生きるには、それなりの心がいるのだ。

巨木のように偉大に凪いだ、全と個の統合を知る、五次元に達した心か、

古生物のように単純な、未だ全と個の分化に満たない、二次元に近い心か。 

どっちかだ。

3~4次元の心のアップダウンの激しさに耐え続ける器などない。

 

宝石生命体たちも、いくら人間を祖にもつとはいえ、

あの生態からするとあまりにナーバスであり、またノイローゼなど精神的に病みがちなのは、

 

多分、金剛先生による初期教育というか干渉のせい。

 

人類に作られた金剛先生が、人間の文化や語彙で宝石を育てたことによって、

宝石生命体本来の心の形成が歪められているような気がする。

言葉も服も白粉も剣も、みんな金剛先生が好きで一緒にいたいから必要になったもので、

宝石生命体が手付かずで進化した時もそれらを得たかというとな。

金剛先生はそりゃもちろん善意と愛からそうしたのであり、低硬度の生存率など恩恵も大きかったろうが、

それでも個性に合わない教育というのは禍根になるものだ。

 

さて、95話でそのように己の存在に苦しむ金剛先生はその役目から解放される。

フォスが「壊れろ」と命じたことで機能を失い、他の宝石とともに月へ運ばれ精神体に変換される。

 

金剛先生は、重い任から解かれてかつてない晴れやかな笑顔だった。

初期フォスの「先生が好きだから、助けたいんです」が、そんな形で叶った皮肉がつらいわ。 

 

 

95話あたりは情報量がてんこ盛りなので、疑問をひとつずつ整理していこう。

 

  • フォスが金剛の引継ぎ完了するのが一万年後って、

 イエローが3500年で壊れるのに他の宝石達のメンタルはもつのか。

 

→だからこその全員月人化。精神体にとって時間の長短はさしたる意味をもたない。

 フォスには身体性を伴う長い時間でも、月人には長めの夢のようなもの。

→フォスが途中で壊れても、イエローの前例から治療法ができていると。

 

  • 数百年で「宝石を月人化マシーン」を作り上げた天才アメちゃんが、

 「月人を無にするマシーン」金剛弟機を開発する可能性。

 

→アメちゃんが月人化しないほうが可能性はあったけどワンチャンある。

 

  • フォスの頭と足、ラピスの体から月人が生まれてる可能性。

 

→ラピスやゴーストクォーツはともかく、

 かわいい頃のフォスが生まれて皆と一緒に月で楽しくやってたら、

 どういう気持ちになればいいのか。作者は読者の心に棘を刺す天才か。

 

  • 策にハマり、地上に置き去りのフォスに有り得る救済。

 

→翻訳能力でアドミラビリスと仲良くやる。

→翻訳能力で流氷と仲良くやる。

→一番救いになりそうなのは、海岸の岩壁から産出する、新しい宝石ちゃん達と仲良くやる。多分だいたい百年に一体は生まれる期待値だ。

 

瑪瑙、金、ラピス、真珠、水銀、金剛などを取り込み、体積を増していったフォスフォフィライトは金剛先生とさして変わらない体格まで大きくなっていた。顔も鼻筋が通って似てくる。

 

金剛先生の宝石の国から、フォス先生の宝石の国が来い。

 

いや、全方位に甘ったれで、だから誰も付き合いきれなくて、

それを裏切りだと受けとめてしまって、

どん底メンタルのフォスが教育者とか指導者とかダメな感じしかしないか?

 

でもフォスは、変わることだけは得意だ。

 

誰かになんとかしてもらう、という他力本願のスタンスしかなかったフォス。

先生にお願い、カンゴームにお願い、エクメアにお願い、と誰かに依頼することしかできなかったから、この結末になってしまったけれど。

自分が責任をもって世話すべき誰かを得た時、

自分でなんとかする、という自力への転換が起きた時、この物語は明るい方へ向かえるかもしれない。

月人が襲ってこない島で、金剛先生のようなチートカリスマのないフォスなら、

宝石生命体がありのままにゆるゆるで生きる環境ができるのかも。

それはきっと静かな森のような、無の安寧や涅槃に近い世界のように思う。

 

いや、違うか。

フォスの末っ子気質は根っからだ。周りに誰かがいれば必ず頼る。

 

だから、まず孤独が必要なのだ。

 

一人になって自分を見つめて、自分からなにかを始めて、それを積み重ねていくことが。

 

そうだ、あの子1話から任されている博物誌を放りっぱなしじゃないの。

 

あれもまずシンシャにお願いしに行ったもんなー。

そんでヒントは貰ったのに一行も書いてないっていう。

 

目の前のことをやらずに、なにかでっかいことができるはずという根拠のない自信のまま突っ走った結果がこれだよ!

「僕の仕事はあなたを祈らせること」じゃねーよ博物誌だよ最初っからよぉ!

 

でもそうね。人生の答えって、スタート地点にありがちだよね。

波乱万丈の紆余曲折の挙句、子どもの頃の夢を再発見しがちだよね。わかる。

 

あー。でも暴走もわかるわ。若い頃あるあるだなー。

ビッグになりてーつって、ミュージシャンか俳優志望で上京する青年が結局ヒモに落ち着いて「俺は本当はすごい!なんで俺を認めない!世の中間違ってる!」と言いつつ、女を殴って金をせしめて・・・みたいなよくある話。

 

まあ、うん。

 

自省、内省というならば、自分の心を文章にするのも適している。

ダイヤモンドの「この気持ちに名前をつけて、名前がつくと少し安心でしょ?博物誌はあらゆるものを分類するものだって…」というのがあるが、

まさに。

荒れ狂う気持ちに名前をつけて仕分けていくと、すべての根にある問題が見えてくる。

フォスの問題というと、承認欲求や疎外感かな。

 

一万年の執筆時間があって、

金剛の膨大な記憶を引き継ぎ、他種と意思疎通し、

更にフォスには金剛のような禁句のリミッターがない。

 

いかなる巨大構想の博物誌も書けようというものですよ。

 

今度こそ、地道にコツコツで博物誌を編み、新しい宝石たちと新しい国をつくる。

 

さすれば、欲した幸せはそこにあったと気がつくだろう。

 

たくさん間違ったからこそ、善い先生になれることもある。

 

金剛先生は物覚えがいい、フォスの報告をずっと待っててくれてるのだ。

 

よし、これでフォス救済・博物誌提出ルートの妄想は完了。

心穏やかに連載再開を待つことができる。

 

 

 

 

あとは蛇足。

先生、指導者といえば、月のボスはエクメアだが、

彼は実に政治家的だけど、指導者や教師らしさは無いな。

 

民を見捨てることこそないが、愚民と見限っている。

成長を期待しない、理想を示して導くということがない。

科学や服飾の専門職がいるのに、宗教家や哲学者向きの人がいないことある?

 

しかしまあ、月人全員がほんとに自力で解脱する見込みがないクズだったとしても?

いや仏教では万物が仏性を備えると説く、存在するという指向性は無限から生じ無限へ帰する一瞬の幻だ

どんな魂であれ悟りに至るのは、最終的には確定事項でFA。

 

宝石達は粒揃いの一級品だ。

アメシストだけじゃない、ボルツ、カンゴーム、パパラチア、ルチル、ゴーシェ。

何かを強く求め、変わっていこうとする資質や気概のある者も多い。

 

 無へ至るメソッドを、彼らが先に発見することも十分に可能性としてあり得る。

 

シロ犬でさえ、満足すれば消失すると描かれていたではないか。

全力で生きた実感があれば、未練なく終わることができる。

善く死ぬには、いい人生だったと言えるよう生きることだ。

生が成就したと正覚すれば、涅槃は成る。

 

他力本願だから、

自分の生や死さえ誰かに与えて貰おうと口を開けて待ってるだけだから、

何十万年の時間さえただ過ぎてしまう。

 

どこかで自力にシフトしないと駄目だな。先へ進めない。

 

やっぱり全員まとめて精神体になるのは早計だった気がするなー。

ユークレースの事勿れ主義は地味にギルティ。

宝石の体、物質の体、肉体があってこそ変化は劇的で、確実さをもって現れるものなのだ。

 

 

間違えれば病み、日々様々なケアを必要とする肉体を養うこと、

身体の訴えることから自然の在り方を察し、

思考を身体で出力して精査していくこと。

 

多くを学ぶため、魂は肉体を纏って生まれる。

 

自力も他力も個も全も、順序をもって経験し変容していく。

 

すべてはいつか無へ至り、そこへは何も持ってはいけないけれど。

 

識を深めるほど有限の世界は豊かになる。

そうして無限と有限の表裏一体もまた果てしなく紡がれていくのだ。

 

色即是空 空即是色 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

DVDコンプが買いごろプライス

 

 

公式図説再販もよきよき。

 

 

宝石達は一様に130cmくらいの少年の姿で、金剛先生は2mくらいありそう。

フォスだけが色々取り込んで大きくなっていくのだ。

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なんかこう、ギムナジウムものっていうの?

少女漫画の系譜も感じるよね。

病みがちなメンタルとか悲劇とか。

トーマの心臓とか、風と木の歌みたいな。

耽美で閉鎖的な全寮制学園のあれ。CLAMP学園とか。

SF要素も11人いる!とか、萩尾望都の影響は偉大だな。

 

 

 

 

 

 風と木の歌、youtubeで全部見れるんだぜ。

作画班も声優もレジェンド。榊原良子塩沢兼人速水奨の若い声、めちゃ貴重。


www.youtube.com

 

そしてyoutubeといえば、

二次創作のレベルが異常に高い宝石の国

これアマチュアなんだぜ?日本のオタクはクレイジーだな!hahaha!

美しいキャラが可哀想なことになる展開が多いので、

心に刺さった棘を二次創作に打ち込んで解消したい気持ち、わかりみ。

 


【MMD宝石の国】自作モデルで[A]ddiction


【MMD宝石の国】自作モデルでスーサイドパレヱド


【MMD宝石の国】自作モデルでAha!

 

youtu.be

 

 次元の意識について。

inspiration.hateblo.jp

 

お題「#この1年の変化