ものがたりを解釈する

アニメ、漫画、小説、神話、あらゆるものが語りかけてくること。最も深遠な、でも誰にでも開かれている秘密に、解釈というメソッドで触れていく。

ヨルムンガンド無料観てくれ。

ああ~ついに・・・ヨルムンガンド計画の全容が・・・。

 

このアニメ、リアルタイムでも見てたけど、今見ても凄いわ・・・。

音楽も戦闘もキャラもみんな素晴らしい。ほんとにすごいイイ(語彙死)

ドラムのビートに乗せて薬莢が舞うのはオシャレが過ぎるだろ。バイブスぶちアガるわ。

 

 

 

youtu.be

 

YouTube公式無料で、まだ一話からマラソンできる。世界中の人におすすめしたい~。

ここからクライマックスだあああ!!

 

 

youtu.be

 

あー、もうずっと毎週ココの悪い顔とフフーフ笑いを供給してほしい~。クセになるんじゃ~。

 

 

ネタバレ含む感想を。

 

2012年、リアルタイムにこのアニメを見ていた時は、

武器商人ココ・ヘクマティアルの新世界計画に、一定の理解を示すことができた。

 

多数を救うために少数の犠牲がでるのは仕方のないこと。

トータルで考えればずっと多くの人命が救われる、ならそれは善では? と。

 

自分は頭脳偏重型なので、そういう机上の空論を呑み込むのは性に合う。

合理を尊び共感に欠けるサイコパス思考ともいう。

 

でも、あれから自分の考え方も随分変わった。

今は、ココが痛々しくて見ていられない。

ココのためにココを止めようとしたヨナは優しい。

親しい人が間違った道に進み、苦しむことになるのが勘でわかるんだろうな。

 

あーそうだ、最近でいうと進撃の巨人のエレン・イェーガーと同じ問題を抱えてるんだな、これ。

デスノ―トの夜神月もそうか。同じバッドエンドへ収束する命題なんだ。

 

青年期、若い頃っていうのは、正しさを信じていて、ある種の潔癖さがあるものだ。

そして、不正を、理不尽を、愚かしさを憎む。

その時、そういう危うい若者の手に、世界を変革してしまうほどの強大な力があれば、

彼らはそれを使ってしまうだろう。

でもそうやって、

自分の中にある正しさのモノサシで世界の在り方を変えようとして、

幸せになれるかっていうと、ど~~してもそうはならんのだろうな。

 

 

エレンは巨人を憎み、差別を憎み、始祖の力を奮って世界を変えようとした。

ココは戦争を憎み、人の救いがたい愚かさを憎み、量子コンピュータによる空の封鎖で世界を変えようとした。

 

わかる、マジでクソほど人類は愚か。

いくらも生きてないガキにも判るほどに、今日も大人は間違いを選び続けている。

 

始祖の力や、量子コンピューターの力、死神のノート、

神の如き強大な力があれば、誰の目にも明らかな間違いを正し人類を導いてやれるのにと誰もが一度は考えるよ。

 

でも、力はエレンやココや月を幸せにしなかった、彼らの心を救わなかった。

苦しみも憎しみも消えなかった。

 

そういうことなんだよな~~~。

優れた創作、作家の直感はいつも同じ結論へ至る・・・。

 

人類を正す力を保持しつづけ、神として振る舞う彼らは間違うことを許されなくなる。

青年の潔癖さが、神であることを己に課す。と言ってもいいかな。

神は完璧でなくてはならない。

でも青春って、バカなことして色んな感情に日々振り回されて泣いたり笑ったりしてこそ楽しいものじゃん・・・。失敗することで成長できるんじゃん・・・。

もともとナイーブなメンタルで、信じたかった世界に裏切られたと思って傷ついてるような子には、荷が重いて。

メサイアコンプレックス(救世主願望)の亜種といえるかもな。

ルールメイカーとなって、傷ついた自分の世界観のほうを現実と入れ替えたくて、

しかし仮にそれができたとしても、その予後が良くないのよ・・・。

脆弱な箱庭を拡大しても、リアルワールドの淘汰圧に耐えられない。

世界はそんなに単純じゃない。

 

 

だからそんなモノにならなくていい。

神にも怪物にも君臨するナニモノかにもならなくていい。

もっと人生を楽しめ若者よ。

 

と言いたくなった。

キャスパーのように図々しく生きろ。あいつは人生エンジョイしてて羨ましい性格w

進撃はエンジョイ勢いないから、ヨルムンガンドはその辺のバランスもいいな。

 

そんなに深刻にならなくていいよ。

勝手に人類代表みたいな気持ちになって誰かのツケまで背負わなくていい。

あー、黒の章を見た仙水忍とかもそうだな、力による極端な救世をもくろみがち。

ほんと若者というのは、すぐ生きるべきかか死ぬべきかそれが問題だ~みたいな視野狭窄と激しい葛藤に陥るけども。その思い込みの強さも若さではあるけど。

 

 

いつでも、変わるべきは外の世界の誰かではなく、自分の内に在る。

 

 

どんなに愚かで残酷で救いがたい世界でも、

最初に自分の心を救うことだけはできる。

 

 

 

ていうか、そこから始めないとおかしくなってしまうのだ。

絶望から世界を変えようとしても、投影した絶望が拡大してしまうから。

 

 

確かに今日も明日も人類は愚かだ。

戦争も迫害も病も環境問題も異常気象も、なにひとつ解決できずに間違い続けている。

 

でも、世界を救うのは天才でも英雄でもない、ましてAIや技術の進歩でも無い。

 

 

苦しみや憎しみ、心の囚われを解し、

心身を世界と調和させている人がいればいるだけ、

人類の総体としての健康寿命が延びる。

 

ていうか、まあ何事も、やってみないと身につかないというか。

間違ってみて、「やっぱあかんな」ってなるために世界や肉体があるということでもある。

導かれて清く正しく間違わず生きて死んで、では魂の練度にならないから。

あんまり過保護にしてもしゃーない匙加減があるわけで。

 

移り変わる世界に、思想を押しつけるんじゃなくて、

ただその響き合う調べに心を澄ませて、一緒に踊る。

そういう風にできたとき、最高に生きてる、命が輝いてるって感じがするからさ。

 

 

ココやエレンみたいな若い子は性格的に向いてない仕事にムキにならず。

まず自分と、自分の好きな子の楽しい日々のために生きたらいいんだって。

 

というわけでヨナとアールと皆で南の島の海で休暇する楽しい9話に戻って心を宥めつつ、最終話を待とう。

ヨルムンガンド、どういうラストだったかはハッキリ覚えてないんだよ。改めて楽しみ~!

 

youtu.be

 

 

 

ヨルムンガンド、グッズ展開すっっくな!!!

ねんどろないの!?くれよ!!

そっか、キャラはイイけどキャラデザがちっとリアル寄りで地味だったか・・・。

とりま海外版ブルーレイ超お買い得やんポチポチポチ。

 

 

 

逆に進撃はねんどろ多すぎやろ。

なんぼ同じキャラのバージョン違いが出てんの。

闇堕ちエレンとかショートのミカサとか包帯リヴァイとか誰得。

 

仙水忍、印象つよいキャラだよな、あいつもどうすれば救われたのか・・・。

 

 

 

inspiration.hateblo.jp

 

 

幸せになってほしいが、それはそれとして病みを感じる悪い顔も好き。

少女的潔癖、本来はメンタル弱いことをうかがわせる素晴らしい作画が多い。

 

逆に言うと、

たとえ世界を救えても、自分の心を救えなかったら。

それじゃダメなんだよ。ココ。

 

 

 

体癖はなんだろうな、

空を制して戦争を停止させるとか言うと1種っぽいが、

まあ4種かな~。

メンタルよわ感とか。

仲間に囲まれてお嬢お嬢と守られてるポジションとか、

笑顔の仮面もエコーの薫陶、人の教えを素直に聞いてるとことか。

あと「武器が嫌いか?」「世界が好きか?」とか、

ラビットフッドにお喋り野郎は嫌いといいつつ親友博士の意見は尊重とか、

合理や非情はポーズで、意外と要所では好きか嫌いかで判断してる感受性とみた。

 

・・・、

ココなんて全然、可愛げある方よ。迷いが透けてみえる。

もし、このヨルムンガンド計画を曇りなき善意のまなこで実行できる体癖があるとすれば、10種体癖。

神の慈悲にも最悪の災厄にも成り得る感受性というのも、ある。

深夜を散歩する。

あまりに夏が暑かったので、日課の散歩ができず。

 

深夜に徘徊する習慣がついてしまった。

 

夕食を軽めにして9時ぐらいに寝ると、

深夜1~3時に一度目が覚める。

 

 

そこからフラフラと外を歩く。

藍染めの鼻緒の草履の底がすぱすぱ鳴る。

虫と蛙がワシャワシャ合唱し、

時々サギがギャッと大きく合いの手をいれ、

川面でばしゃんと謎の魚が跳ねる。

たまに子どもの泣くような、猫の交尾の声もする。

夜はなかなか賑やかだ。

 

 

徒歩圏内には田畑と川と公園と神社、少々の住宅地、

治安もなにも、日中でも未だに家に鍵をかけない人達もいるような田舎だ。

娯楽施設もない、そういう土地の人は、昼は働き、夜は寝る。

深夜徘徊などしている暇人は他にない。

 

この二ヶ月で見かけた人影は、

新聞配達のバイクと、

川原の駐車場で夜明けを待っている釣り人の車。

車中でスマホしてるおじさんは、夫婦喧嘩でもしたのだろうか。

そのくらいだ。

こっちをみてこそこそ逃げていく雄猫や、

一度、イタチかなにかの影がヌルッと通り過ぎたこともある。

 

公園の街灯は、時間によって点いているかどうかまちまちだが、

点いていないほうが快適に歩ける。

LEDの強い照明はそこばかり眩しく、かえって周囲が見えなくなって鬱陶しい。

 

月があれば自分の影もくっきり落ちるほど明るいし、

月が無くても目が慣れれば、足元に障害物がないかくらいは見える。

雲が厚くて真っ暗であれば、さすがに気乗りせず諦めて寝なおすし。

 

なにより、夏の空はときどき星が流れる。

 

目で追う次の瞬間には消えてしまう一瞬の光だが、

晴れていれば一晩に平均一度は見られるくらいか。

地表近くに緑色に光るでっかいやつを見たときは歓声をあげた。

 

街灯が無いほうが、そういうものには気がつきやすい。

 

流れ星でなくとも、

月にかかる雲や、またたく星や飛行機の灯が動いていくのもずっと見ていられる。

空の隅っこに、音も届かない雷が小さく遠く光ったこともあった。

 

昼の散歩は、花や民家の様子、色とりどりの人の暮らしを眺めながら歩くのだが、

夜の散歩では、地表のものはみんな黒い影に沈んでいるから、上を見るしかない。

 

田畑の間の道を歩くと、周囲が開けて、空が丸く見える。

星は、空一面に均等に散っているのではなくて、粗密がある。

東西には白く見えるほどに集まって天の川に、

南はひとつふたつと寂しくぽつぽつするばかり。

 

星座の神話はあれこれ聞きかじってはいるが、

この目で星の並びを見ると、それを英雄や獣に見立てる気持ちはわからない。

 

青に白に橙に、夜空に密やかな光はただ心を静かにするばかりだ。

視線とともに思考も吸いこまれ、

心に何も浮かばなくなって、ただ足が歩くに任せ、

ふとそれさえ忘れる。虚心は夜と歩く。

 

 

 

 

いらぬ想像力を掻き立てるのは、音だ。

ばしゃんと水音を立てたのは、魚か、蛇か、

ギャアと悲鳴のように鳴いたのは、鳥か、女か。

ガサガサと草を掻き分けたのは、本当に猫だったか?

 

いつまでも歩いていたいが、

そろそろ帰って熱い風呂に浸かり、もうひと眠りしよう。

 

べ、べべ別に、ビビってねーし!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちな街灯が防犯上で大事なのは弁えて感謝しておりますう。

 

 

inspiration.hateblo.jp

 

となりのトトロ 2023年スケジュール帳(大判)

今週のお題「苦手だったもの」

お題「わたしの癒やし」

お題「気分転換」

お題「リラックス法」

 

あるべき家族へ辿り着いた物語。

今日見た「君たちはどう生きるか」めちゃくちゃ語りたいので、

ネタバレNGな人はごめんなさいで読まないでください。

上映観てきて語りたい人、疑問が脳内をぐるぐるしている人はどうぞそのままスクロールしてください。

ていうか、せっかく事前情報ナシなんだからネタバレ無しで観にいくのをオススメする。

まず映像体験として圧倒的なクオリティで絶対損はしないと保証する。

ポニョと風立ちぬでラフに崩してきた絵柄を、全盛期のハウル並みに整えて戻してきて、

更に今までのジブリの風景とアクションを全部盛りにぶっこんできてるから。

押しも押されぬレジェンド天才宮崎駿がセルフオマージュ始めたら、ほんとに誰も追いつけないからやめたげてwww無慈悲www

ってくらいのクオリティの暴力だから。

上映130分は観るほうもなかなかの耐久レースな件。

体調ととのえて劇場行ってね! 

 

 

さて。

 

 

 

そのうち清書するつもりで、思いついたことそのまま徒然形式に書く。

てか2周目も行くし、メモで忘備録でもある。

 

 

inspiration.hateblo.jp

 

 

7人の小人ならぬ7人の老魔女で、白雪姫モチーフがあることは確定。

キリコ婆さんが渡り廊下を挟んで「ぼっちゃん、立派な弓はいかが?」と誘うのは、

窓枠越しに「甘いリンゴはいかが?」の白雪姫のオマージュか。騙されないけど。

その場面もだが、男女が反転してる。

継母と白雪姫の、王という男を巡る女の確執が男女反転して、

父と息子の、妻を巡る確執、エディプスコンプレックスがテーマで、それから?

 

 

 

 

 

 

 

導入部は不穏。

戦時中で、母の入院している病院が火事だという場面から始まる。

音が遠くなり視界が歪む悪夢のような表現が秀逸。

 

主人公眞人の「僕も行く」のセリフ一回目は何もできずに母を失ってしまう。

 

 

田舎へ疎開

駅に迎えに来た母そっくりの夫人を「新しいお母さんだよ」と父に紹介される。

帽子をとって礼はするけど一言も喋らない眞人は、頑なで現状を受け入れていない顔。

母の妹を妻にする父もどうかと思うし、

母が亡くなってまだ二年なのに妹の腹に子がいるのもどうかと思うし、

しかし、母によく似てしかもちょっと若いお姉さんを慕わしいと思ってしまった自分こそどうかと思うし、

なんかもう父も妹も己も、みんな母を裏切ってるような気がするとでもいうような、

思春期的な潔癖さ、自罰思考、ガラスのように繊細でナイーブな感じがよく表現されていた。

 

 

 

 

田舎の屋敷が、油屋もかくやの大屋敷。非現実的なまでの巨大さ。城か?

古びた和洋折衷の迷宮のようで悪夢のようで、とにかくすごい(語彙力)

宮崎駿の幼少期の原風景が夢パワーで増幅されているみたいな感じだ。

ああいう巨大建築の夢を見ることはあるけど、解像度が桁違いで圧倒。

 

しかしこのシーンのポイントは

眞人さんは初めてですから、表玄関から入りましょう」を推したい。

だって前作風立ちぬでは主人公次朗は、菜穂子の屋敷に庭から入った。正面玄関を通らなかった。

あれはなんだか奇妙なコンプレックスを感じる場面だった。

だから、二人の結婚は恋愛から先に進まなかった、とも言える。

家の正面、玄関を通ること。それがあるべき家族像の象徴のように扱われている気がするのだ。

 

実際に父と眞人と夏子が住むのは、表玄関のある大屋敷ではなくて、離れの洋館みたいなところだが、

そこの玄関も意味深に描かれる。置かれた靴でキャラクターを示し、

そして、最後の場面ではその玄関から家族が揃って東京の家に帰る、というのが結末になるのだから。

家族と玄関。という関係は注目だ。

 

っていうか、そう。そこ。

後半の世界観の情報量が膨大でわけわかんなくなるけど、

主題にフォーカスするとごくシンプルとも言える気がするんだよな。

 

永い変遷を経て、

宮崎駿の家族像が、あるべき姿に辿り着いた。っていう。

 

今までの宮崎駿の物語は女性性や母性が主軸で、父権が弱かった。

だから、家族の関係に着目すると、いつもなにかが歪だった。

 

父らしい父、一家のリーダーであり働いて家族を養うマッチョな男性像。

母らしい母、優しくて子供想いで家庭を暖かく保つ女性像。

 

いうなれば 夫唱婦随 男が動き女が受け従う、という陰陽の神話的とさえいえる元型が、いつもどこかで逆転していた。

クシャナ殿下に付き従う参謀クロトワとか。

三人のマザコン息子を従えるドーラ船長とか。

乙事主(♂)の語るべき誇りと生き様をモロ(♀)が語っちゃうとか。

子どもを置いて職責を果たしにいくリサとか。

 

婦唱夫随なのだ。女が能動し男が追従する。

ずーっとそこが変えられないままに、手を変え品を変え語り続け、少しずつ越えてきたテーマだったと思うのだが。

 

君たちはどう生きるか」の父親は、いかにもな父権の特徴を強調されている。

金を稼ぐ甲斐性がある。社会的地位がある。

周囲を思い通りに動かす圧の強さがある。家族や息子を守る気持ちがある。

無神経さも目立つが、集団を率いるリーダーシップはそれでいい。

 

濃やかに、子どもの気持ちに寄り添うのは母親の仕事だからな・・・、

 

父は、子によかれと思って行動するが、

思春期の子にとっては的外れでクソ余計なお世話っていうww

 

それがまさに父親像の最大公約数というものではないだろうか、頷けるわ~。

 

転校先に派手に車で乗り付けるのも逆効果だし、

学校に300円賄賂寄付して校長に息子をヨロシクお願いするのも逆効果、

 

当然の帰結として、都会からきた鼻持ちならないボンボン息子は、田舎少年達の癇に障って疎外されるわけだが。

あの一連の場面、BGMのみセリフ無しでパッと絵を切り替えてくPV風だったのすごない??

新海誠かと思ったわ、ああいう見せ方って今風で新しいと思ってたのに、

宮崎駿おじいちゃんは80歳で感覚のアップデートできてるのやべえわ。

 

おっと脱線した。父権と家族像の話か。

 

えっと、いかにも父的な父は、妹妻の夏子の心もガッチリ掴んでいるらしい。

 

夏子は、眞人を息子として受け容れようとする。

まあ、そら当然なんだけど。

子ども相手のスキンシップを思春期ボーイにやると、違う意味の距離が縮まることがあるんですよね~、そこは夏子さんも迂闊ですよっていう。

 

エディプスコンプレックス。

父を排し、母を得ようとする、少年の心理。

 

塔へ姿を消した夏子を探しにいく眞人だが。

 

オルフェウスにしろ、イザナギにしろ、

冥界や根の国、もうひとつの世界へ迎えに行く相手となると、それは妻であるという古典的お約束がある。

 

で、しかし。

 

塔の中の世界、人が生まれる前の、根の方の、海のような、地下と水の胎内の世界に。

墓とも呼ばれる磐座がある。

その奥に坐すのは、死と生を司る黄泉の女神、太母だ。

その姿こそ描かれないが、

その墓たる磐座こそが忌屋であり産屋であり、夏子はそこで出産をするという。

となればそこはなるほど男子禁制ではあるだろう。タブーだ。

オルフェウスイザナギもタブーを侵すから黄泉帰りは失敗する。

 

眞人が、そこにとして迎えに行くと拒否された。

「夏子、帰ろう」はNG。

夏子は、息子のはずの少年が夫ヅラしているのに気がついて「大嫌い」と髪を逆立てて拒否。断固拒否。

 

こらあかんとなって、方向転換をした。

 

「母さん、夏子母さん、帰ろう」と、子どもの立場から呼びかけたら、母性がでて態度が軟化した。

男子禁制の場ではあるけど、成人前の子どもというならタブー的にもギリセーフ判定にもなった。

 

あのシーン、あの言い換え、めっちゃ大事な気がする~。

 

 

少年の内面の、母と妻を混同して求める気持ち、母を妻として得ようとするマザコンインセストなコンプレックスに決着がついた。

 

夏子さんは、父の妻。

そして自分は子どもであるというポジションを納得して、受け容れたのだ。

 

ゆえに、母を得たいがための父への反抗期は終わる。

父、母、子、の関係性が安定し、家族像のイデアが完成する。

 

で、現実に帰って、洋館の玄関に家族が揃って家に帰るよーっていうラストになる流れなのだ。

 

そこだけ抜き出してみると、割とシンプルで解りやすく、

かつ今まで一度も描けなかった家族像を表現している。

 

いや、ほんと宮崎駿のそういうとこが凄い。

 

同じことを二度しない。テーマが変遷し、昇華されていく。

 

なるほどそうきたか。

直接対決や対峙や対話で父を越えることは結局無かった。

父を越えて妻を得る、路線ではなく。

母に拒否されて諦め、子どもである自分を受け入れて、対立を解消する。

 

・・・いや待って、結局女が強い、女が主体という根本が変わってないじゃんwwww

ママにメッされたからで諦めるのは、目新しい視点ではあるけど、

少年の心の成長はそれでいいのか・・・?

自立と成長のため家を出るのではなく、

子どもであることに納得して家庭に収まってしまった。

それは後退・・・、というわけではないのか。

現状を認めない頑なさや潔癖さを和らげて世界を受け入れたと? ふむ。

 

まあ、まだ初見の所感だから暫定の仮説だ。

 

でも、母が父を愛してることが、家庭と子どもの心の安定に大事なのは、ほんとそう。

父が母を虐げていたり、夫婦間が冷めていると、

息子は父に代わり母を守ろうとしてしまい、その感情がインセスト方向に拗れやすくなる、と。

それはあるねえ~。ほんとよくある。

 

 

 

 

まあ、成長というならば?

 

 

そう、二回目の眞人の「僕も行く」のセリフの場面では、

弓を自作して、武器を片手に母を探す冒険に出られるんだよな。

 

武器を作り腕を磨き、獲物を射て、食べるために捌いて。臓物に埋もれる。

というイニシエーションを順に通過し、生きる力を身につけ成長していってるのはまさに王道。

 

あの、サギの羽を矢羽根につかうのは「返し矢」だね。古事記にもある。

実はアシタカもやってた。敵の矢を掴みとって返し射ると必中となるというマジナイ、魔術だ。

 

意図せず直感で魔術を行使する才能、血統なんだねえ。

夏子も鏑矢で場を清め、鯉や蛙を退けた。

魔女は血で飛ぶ、とキキは言ってたけど。優秀な魔女の一族だ。

 

そして父は全く魔の素養が無い。

妻と子を助けに行こうとしても、塔に入ることもできない、インコの兵を見ることもできない。

現世と異界、此岸と彼岸、この世とあの世、リアルとファンタジー、陽と陰、そして男と女。

男である父は、現世では強い。経済力も統率力も武力も持っている。

しかし、女の世界、異界、彼岸、陰なる世界を見ることも感じることもできない。

この世とあの世を行きつ戻りつする子どもの大冒険譚において、まるで門外漢なんだよなあ。

 

眞人と父では、土俵が違うから争わなくていい、ということか?うーん。いや。

 

眞人は、男の子だけど魔法を使う。

それは魔女の弟子であるハクとハウルを経たから造形できたキャラクターだよな。

誰に教わることもなく、必要な時に必要なだけの魔法を直感して行使できる、

本当の意味での優れた魔法使いになれたということ。

 

風立ちぬでは魔法でなく、科学の力だけで飛ぼうとして、結局落ちてしまった。

 

それでも、風立ちぬがあったから、

次郎の次のステップを担うキャラとして、

仕事があって嫁と結ばれて子ができて、

科学の力、現実的な成功、成熟した男性の力を持つ父を説得力をもって描けるようになったのかも。

しかし、この世の力を得たことで、あの世と親しむ力は失ってしまうっていうね…。

 

 

魔法と科学の対比でみれば、眞人と父という対比のキャラがどちらも男でありながら、しっかりそれを表現してるといえるし、

 

女性性の魔を示す母と、男性性の理を示す父と、

その中間にいて、どちらにも親しめる存在としての子ども、という構図をみてもいいな…。

 

父さんがくれた熱い想いと、母さんがくれたあの眼差し、のどちらをも受け継いでいる、未だ男でも女でもない中性としての子ども。

 

陰陽の冲和した、中庸

マイナスとプラスの止揚した、0

 

男神と女神の子であるから、

天と地の間に立つものであるから、

真なる人であり、眞人。

 

エモい。

 

 

 

あと、ヨモツヘグイも気になったな。

千と千尋でハクがくれた飴を口にして、千尋はあの世界に馴染む。

異界のものを口にすると、異界に属するものになるという、

これも古事記ギリシャ神話のやつだが。

あの、塔の中の世界で、キリコが二度「食べな」と言った食事を眞人が食べるシーンはない。

そっかそっかと思って見てたら、

ヒミのパン&チーズ&ジャムみたいなのは、えらい過剰なアクションで食べてたのは・・・

何で??

どゆこと??

あ、母子だから?

チーズは乳で赤いジャムは臍帯血ってか?

 

胎内で胎児は母体から栄養をもらう。

胎内の胎児というのはまだこの世の存在でなく、

羊水に満ちた水中の世界である胎内を、あの世と見做すことはある。

 

いやこれ真面目に考えると頭おかしくなるなw

臍の緒で繋がってるママからご飯もらうのは、ヨモツヘグイ的にセーフ判定だという詭弁を書こうとして無理だこれ。

単にもう一度ママのオッパイ飲みたいよ的な退行願望であり、その渇望を癒して産まれなおすの儀式のひとつでもあるとしておこう。

 

 

 

 

 

 

まだ眞人と父と夏子のことしか書いてないのに5000字近いのでいったん記事あげるか・・・。

 

アオサギ、ヒミ、インコ大王、大伯父様、そしてあのワンダーランドの暗喩する様々なものについて、まだまだトピックあり過ぎて怖いわ。

 

いっこだけツッコミ入れるなら、

 

塔のてっぺんで石とお話して世界創生・神様ごっこをしてた大おじ様は、

なんていうか、塔内世界がインコだらけになってる時点で、そのロジックがもうどっか根本的にバランス欠いててダメなんだろーなーって。

 

ペリカン一族は大おじ様によって塔内に遣わされて、ワラワラを食べてるというが、

悪意とか、なにか不都合な因子を持ってるワラワラを間引いてるということだろうか。

ただしこの世とあの世を併せた命の総量は変わらないから、ワラを間引いた分だけインコが増えちゃうみたいな。

生態系をいじくるとそういう予期せぬ不都合の連鎖になるのあるある。

 

 

そう、

新世界の神になって、僕が認めた優しく賢い人だけの世界を創ろうとしても。

その思想は漫画版ナウシカ墓所の主のようにどこか歪だ。

この世界は陰陽が釣り合うように、禍福が糾える縄のように、

清浄と汚濁と、光と闇とは、もとはひとつであり等量に比和して冲するようにできているから。

 

白い積み木の世界を、優しく賢くしたぶんだけ、

裏の世界が愚かで凶暴なインコで溢れてしまうんだろう。

 

悪意であれ何であれ、優生学のように気に入らないものを排していく世界は破綻する。

 

善悪も正邪も表裏一体で

あらゆるものがとめどなく移り変わって、

残酷で美しい混沌の世界しか、

存続し得ないことを識るしかない。

 

思い通りの小さな箱庭を作ろうとするのをやめ、

世界に心を開いて適者生存を試していくしかない。

全方位に広がる世界に自分が何を観るか、

それはただただ託されているのだ。

そこに自在がある。どう生きるかがある。

 

 

 

 

 

 

 

バッドエンドに至るしかない命題をぶちあげてる名シーン。好き。
眞人は自傷・嘘・タバコ盗み、諸々で己の内にも悪があると知っていたから間違えなかったんだな。

マジメな優等生のほうがタチが悪いこともあるし、ちょっと悪い子の方が堕落に免疫があることもある。

 

 

 

 

 

追記

 

ヒミは元の時間に帰るドアを開けて別れた。

千と千尋では、ハクと千尋はまたいつかきっと、という再会の希望あるエンドだったけど。

眞人はそもそも、母が生きてるという話を「嘘だろうが、確かめなくては」と塔に入った。

そもそも洋館でうたた寝のときの夢で「さよなら」と母は言っていた。

…つまり、母の死をやはり事実だったと確かめて、現実に帰ってきたのか〜。

それは、死者を想う心に決着をつけて帰ってくる葬送の物語ということだな。

 

え、夏子は父の妻で、母とは別れて帰ってきたとなると、実質ヒロイン不在か…。

まぁ、自分が子どもであるというポジションを認める流れだからな。そうか。

ヒロインいたらヒーローとしてやはり新しい男女としての門出が必要になっちゃうから、それはしゃーない。

だから今回は、傍らのアオサギが友達だと言ってくれるんだな。男の友情エンド。

ヴ王と道化、アシタカとジコ坊みたいに、ヒロインの存在が弱いと、王と道化のパターンが表れるのか。

 

 

 

 

女性性は水に親しむ属性なのに、火の魔女とはどういうことかと思ったけど、

燃え上がるような赤毛、の比喩がほんとに火の表現になったってことか。

ポニョやナウシカを越える赤毛の魔女の表現として、炎髪の魔女、とっってもカッコイイと思います。

 

 

 

 

ていうか、ガラスの棺で眠るヒミは白雪姫のオマージュだろうから、

王子様である眞人がキスして目覚める流れか?と思ったら、

宮崎駿のヒロインは、そういうの待たないでさっさと自力で目覚めちゃうっていうww

ですよねww

 

 

眞人が石を頭に打ち付けた自傷行為と、

煙草をくすねる手際のよさで、

どんだけ倫理感ヤバいメンヘラかと思ったが、

それ以降は割と?まとも?っていうかいつもどおりの宮崎駿的主人公だったな。

あ、折り畳みナイフを持ち歩いてるのは、あの時代の少年ならなんらおかしくないからノーカン。

 

頭から血が溢れるのはアレか。

白雪姫といえば、黒檀のように黒い髪、雪のように白い肌、そして血のように赤い唇、だからか。

少年だと唇が赤い絵面が足りないから、血糊がいるかなー的な?

 

しかし、宮崎駿キャラが自傷行為に及ぶとはな…。

そんな拗れた内面に理解があるとは驚いた。

海が聞こえるのヒロインみたいな、人を気を惹くために自分を傷つけるやりかた。

少年というより少女寄りな感性や内面を持ってると表現するためにそうしたのかな?

自傷と万引きと、あと毒殺とかは、まぁ女性のほうがやらかすっていうよね…。

男は力任せに、もっと単純な暴力に及ぶ犯罪傾向というか。

 

情緒不安定なメンヘラ気質もまた、女性性の負の側面として無視しないってことか。

今までずーっと神話的で夢見がちな女性賛美だったことを思うと、それも進歩だろうか。

 

 



迷路になってる庭園世界でインコの兵隊が押し寄せてきて現世に押し返される場面とか、アリスのトランプ兵が押し寄せてくるイメージっぽいんだよな。

ヒステリックで話の通じないハートの女王がインコ大王になってて、ここでも男女の配役が逆転になってる。

ハートの女王と鳥といえばフラミンゴのゴルフクラブを思い浮かべるが。インコかー。

 

 

となりのトトロでは、にやにや神出鬼没のチェシャ猫が猫バスで、

白兎(小トトロ)を追っかけて穴に落ち、不思議な国の夢を見てたのを姉が起こしてくれるメイがアリスでというオマージュだけど、

今回は不思議の国の内容部分にオマージュがある感じか。理不尽かつ尺が長いところもw

 

塔の中の世界は、ステージとしては。

千と千尋でいうと海原鉄道でサラっと流したあたりかな、

黒い人影がうろついていて、

「死んでるやつの方が多い」けど、そうじゃない人もいて、

殺生ができないのに、まだ食べるという行為を忘れてないくらい、となると。

 

彼らに魚を獲って飢えを癒やしてやっているキリコは、やってることがほぼ湯バーバだな。

湯バーバは、八百万の神様の疲れを癒すお湯屋を営んでいたわけで。

あの草生した巨船は油屋と似た機能をもってるんだな。

神ならぬ人の死者の慰めと、今回は更にこれから生まれる命を送りだしてもいた。

 

神々を祀り鎮める儀式や、

葬送や誕生、生死や人生の節目に行う儀式の専門家、現世と幽世の仲立ちをするものが、魔女で、シャーマンだ。

 

魔女キリコを師として、眞人がどんな力を身につけていたか。

煙の円の結界を張って、船を漕いで、魚を釣って捌いて、人形の守りのまじないを見て、世界の在り方を聞いて。

あとなんかあるかな~。2周目でよく見とこ。

 

しかし、師匠と弟子がマトモに交流してる構図も初めて見たのでは?

ユパ様とアスベルはエンディングでちょこっとだし、

ハウルマルクルを放置してるし。

まあ、師匠キャラが男性でなく、やっぱり魔女なのはご愛嬌だが、

それにしても、魔女の弟子ハクとハウルも、師である湯バーバやサリマンから師弟っぽくなにかを学んでる場面は無かったしなあ。

ゼニーバと千尋が一瞬それっぽくなくもなかったが。

キリコと眞人で初めてのまっとうな師弟関係かも。卒業することも含め。

 

 

 

…、ああ、とすると。

食べなかったから別れることができたのか。

キリコの勧める食べ物を食べていたら、眞人はシャーマンの後継者になっていたのかも。

あの世とこの世を行き来して仲立ちする者に。

 

しかし、眞人は母の食べ物を食べた。

母は、子をこの世に産み送りだすものだ。

だから、眞人はシャーマンにはならず、この世で生きる者として帰ってきた、と。

いずれ魔法を忘れる子どもとして。

まぁ、石の一欠片は持ってるけどな。

 

 

 

 

彼岸と此岸の間のグレーゾーン、海に至る前の、波打ち際の世界か。

 

冲に漂うたくさんの船は、紅の豚のたくさんの飛行機が空を渡る風景を思わせた。

死者の世界の暗喩だ。

 

あと海に木が乱立してるとこ、未来少年コナンの廃虚ビルが海面から乱立してる印象的なやつにそっくりでテンション上がったわ。あの絵の世界観すごく好きなんだよなあ~。

 

 

つか、支配者のとこへ単身特攻して優生学的な世界観をぶっ壊して、世界を正常な混沌へ回帰させた、という文脈でいうと、

インコ大王がやってることは、

墓所と世界再建計画を巨神兵ビームでぶっとばし、

世界を混沌にして生き残れるかどうか、生命のもつ力に賭けたナウシカと同じってことなんだね・・・。

 

ナウシカが男女反転するとインコ大王か~。ビジュアル格差よw

英雄で聖母だったナウシカの所業が、今度は愚者の振る舞いとして描かれたというのもなかなか味わい深い。

まあ、どっちでもいいのだ。賢愚はどうあれ正解へ至るならそれが最適の道だったことになる。

ていうか大王のあの芝居がかってコミカルな感じ、意外と憎めなくて好きw

 

 

 

inspiration.hateblo.jp

 

inspiration.hateblo.jp

 

 

inspiration.hateblo.jp

inspiration.hateblo.jp

inspiration.hateblo.jp

リプルーグル 地球儀 ウェザー・ウォッチ型 アンティーク 英語版 51403

youtu.be

 

米津玄師が主題歌に起用されていたが、

怪獣の子供でも久石譲と米津玄師のタッグで、

あれもかなりテーマが似てるというか、

米津玄師の主題歌がとても胎内回帰や再生のテーマに沿ってて、

しかもバックに心音と同じテンポにビート鳴らしてるという凝りようですごく良かったんだよなあ~。


www.youtube.com

 

 

inspiration.hateblo.jp

 

inspiration.hateblo.jp

 

君たちはどう生きるか、初日初回感想。



 

新作は事前の宣伝無しということで、

ジブリでこんなに映画館の席がガラガラだったのは初めてな気が。まあ地方住みだけど。

鑑賞するに快適ではあった。

 

で、

 

これは。

 

マジか。

 

めっちゃ好き。めっちゃ。バリ好き。

 

ここに来てのまさかの最高傑作なのでは…?

 

できるだけネタバレ無しで言える範囲だと何だろうか。

 

主人公が思春期を拗らせて仄病んでる感の少年で、

宮崎駿にそんなキャラが描けたことがまず驚き。

 

モチーフのベースは白雪姫かな?

ただし男女逆転だ。

7人の小人が7人の老女になって登場した。

ディズニーの小人なみにユニークでキュートに素晴らしくよく動く!

 

で、継母と白雪姫の女の確執が、

父と息子の確執に、

エディプスコンプレックス、父を排し母を得ようとする危うい構図をチラつかせていたところからの。

 

いつもの胎内回帰トンネルをくぐって、アリスインワンダーランド的な冒険に赴き、

 

成長…、いや、再生することで現世へ帰還する、王道中の王道の往きて帰りし物語だった。

 

が、とにかく活劇も暗喩も惜しむところなく今までの全てが詰め込まれていた。

今までのジブリのどの作品が好きな人でも、

ああアレに似てるな、また観れて嬉しい盛り上る~!っていうファンサがいっぱい。

 

映像に釘付け。目を逸らすヒマなし。アクビするヒマなし!

ここまでやったら後続がやることなくて可哀想だろってくらいのクオリティの暴力だった。

 

つーかギャグのセンスが80歳じゃないんだよな・・・。

笑わせる間が絶妙すぎる。どうなってんだ??

 

 

詳しくは今夜書くけど、

この辺の過去記事の内容ありきになるかと。

 

 

inspiration.hateblo.jp

 

文脈的には、眞人はマルクルの流れをつぐ感じかな?

ソフィを母のように慕いつつ、ワンチャン師父ハウルから奪えないかな~っていうポジション。

いや下世話だが、前半は結構そういう危ない雰囲気ある。

覗き屋、親の情事をピーピングしてしまう思春期の気まずさが。

 

inspiration.hateblo.jp

 

ヒミは赤い服だったね。

ガラスの棺で眠る図は白雪姫でもあった。

 

ヒミ・・・、火、水、でヒミか?

 

inspiration.hateblo.jp

 

飛行機械はナシ。

空飛ぶものはサギとペリカンとインコ、鳥だった。

 

キービジュのアオサギは、道化のポジションのキャラだった。

 

あとスタッフロールで声優にあいみょんってあった気がしたんだけど、誰だったの・・・? 声は誰にしろ違和感なかったな。

キムタクもどっかにいたらしいし、主題歌は米津玄師なので、

これから著名人によるTVでの宣伝もやるんだろうね。

 

で、もう少し色々書いてみたのはこちらで。

inspiration.hateblo.jp

 

水星の魔女感想 食べる子は育つ。

www.youtube.com

 

出演声優による感想会が解像度高くて良かった、

というか水星の魔女はラジオとか公式からの供給がすごく充実してて、

感想記事とか書かなくてもかなり満腹満足できてしまっているのだが。

 

ともかく水星の魔女、面白かった~。

 

後半からのキャラの好感度管理が素晴らしかった。

DV3連敗家出少年から正統派主人公的成長を見せたグエル株の上昇、

キモキザすぎる4号の演技からしたたかな素の顔を見せてきたエラン5号株の上昇、

そしてすべてを搔っ攫ったフェルシー株の爆アゲがぶっちぎりでレジェンドww

 

最終話でフェルシーのセリフなかったことだけ本当に惜しい。

グエルの隣に居て良かったやろがい。

いや、最終話で ~〇年後~ からのカップル乱立パターンは賛否両論あるから、そこはあえてアリか。今後の展開とかも匂わせてるしな。

最終回発情期 (ふぁいなるふぁんたじー)とは【ピクシブ百科事典】

 

 

逆に自分的に株が下がり続けて回復しなかったのはシャディクだな~。

全部のスケープゴートになって最後に「さよなら」って、バカなんすかぁ!?

シャディクガールズのメスガキ枠レネちゃんに消火剤ぶっかけてもろて、諦め顔の死亡フラグ叩き折ってほしいわ。

そういう自分を幸せにしようとしないやつが一番めんどくさい。

エラン5号の生き意地の爪垢を煎じてバケツ一杯飲ませたい。

ちなシャディクと5号は体癖的には同じタイプっぽい。

リアリストで社交的で視野広く万能な5種体癖だ。

どこで明暗分かれたのかはきっとエニアグラムでわかるだろう勉強中。

まあ、もう死刑になるから二度と会えないの「さよなら」じゃなく、

単にミオリネへの恋を諦めた「さよなら」だとあえて狭義に受け取って、

ワンチャンあることにしておこう・・・。

 

 

それはそれとして、

 

 

 

主題であるスレッタの自立も素晴らしかった。

スレッタとプロスペラ、ミオリネとデリング、グエルとヴィムと、

三者三様に抑圧的な親子関係を提示してきたわけだが、

全員が親と対峙して、そこから精神的自立を果たした。

そこから更に、

親が退いて世代交代、

責任ある次世代の大人として活躍するところまで描いたといえるかな。駆け足で。

 

スレッタが母にNOを言えるとこまでは必然的展開だったと思うが、

そのあと、母のことも失いたくないというのはとても優しい選択だった。

 

いや、そもそも前半どんだけヤバめのサイコ毒親なのかと思われたプロスペラが、

「学園へ戻りなさい、あそこでならあなたは生きていける」という一面を見せたことあっての話か。

あそこらへんで意外と、エリクトのために産みだしたクローンであるスレッタにも、それなりの情があったのが判ったからな。

そもそも学園に入れたのはスレッタに次の居場所を与えるためでもあり、利用した後まで使い潰す気ではなかった。

レスバ鬼つよのプロスペラが唯一言い負けたのがミオリネの「母親なら平等に愛してやりなさいよ」だったのは面白かった。

そこで黙るってことは、平等に愛してやりたい気持ちも出来てない自覚もあったということ。

プロスペラの動機は復讐でなく、娘への奉仕だったのでそこはやっぱ10種体癖だったな。

ミオリネも核心をズバッと突いちゃう勘の良さは9種。つか唐突にグループ解散とか会社立ち上げもそうだったけど、独断即決即行動の速さが9種。

 

 

スレッタの自立する流れは意外とサラっとしてた気もするが、

舞台装置としては説得力あるものが揃えられていたと思う。

エアリアルのコックピットから宇宙空間へ排出される姿は、狭い胎内から外界へ誕生する再生の儀式になっていたと思うし、

その後の精神的立ち直りが早かったのも、

宇宙空間でしっかり号泣していること、

地球寮で盗み食いとみんなで食卓囲む場面があって、

泣いてスッキリして、しっかりご飯を食べて元気になる。っていう。

フィジカルをケアすることで、メンタルをケアしている。

これはなかなかに頷けるテーマだと思った。

鬱には筋肉が効くとか、レベルを上げて物理で殴るみたいな、

精神的かと思われた問題に即物的にアプローチするという成程それな。

 

思えば、最初からスレッタは食べる描写が多い主人公だったよな。

ミオリネのトマト、食堂で大盛り、エラン4号の弁当差し入れ、雑誌の表紙、もろもろ。

 

ニュータイプ 2023年2月号

 

それは、データストームの中にしか存在できない、肉体の無いエリクトとの対比なんだろう。

 

被災した学生にトマト配るとこで「私は動けますから」とか、

最終話最後のセリフが「お腹空いちゃいました。」とか。

 

まずガタイがよく、恵まれた肉体を持っているということが、スレッタの成長とタフな心の根拠なんだなと思った。

身体が健康な人は心も健康というミもフタもない真理w

 

データストームの中では、時間は経たないもんな。

エリクトはずっと9歳くらいの子どもの姿のままだ。

情報体精神体というものは、心はあれども、

食べる必要が無く、物理干渉できる身体が無く、

だから、体に伴って心が成長するということもない。

 

プロスペラとエリクトの母子の関係性は、エリクトの方からは変えられないということかもしれない。

 

エラン4号やバナディースの皆さん、データストームに取り込まれていた死者が姿を現す場面があるが、

プロスペラはあそこで初めてエリクトの姿を視認できたってことでいいのかな。

パーメット8のレベルに耐えてエリクトを見てたのはスレッタだけだったわけだから。

しかし、パーメット8には耐えられないプロスペラが夫や師の姿を見て声を聞くまでは、まあ音と光は情報だからギリいいとして。

エリクトを抱きしめていたのがおおマジかってなるところだな。

抱きしめる身体は、情報でなく物質だったんじゃないのか。

 

データストームから人格を抽出し、エリクトの肉体を一瞬だけ構成した代償として、

キャリバーン・エアリアル・ファラクト・シュバルゼッテの4機体は崩壊してしまったのだろうか?

それはもはや召喚の魔術ですねwwwまあタイトル水星の魔女だからいっかwww

あまりに進んだ科学は魔法と見分けがつかないとクラークの法則でもいいますから。

 

 

4機のガンダムが失われたということで、兵器としてのガンドは一応実態がなくなり、

ペトラの両足など義手義足、身体拡張としてのガンド医療が示唆された最終話だったが。

 

エリクトは結局あのキューブとかスーツケースとかキーホルダーが本体なのかな。喋れるしネットは使えるけど動けないって感じか。

等身大ガンダム、エリクトを搭載するための義体の開発とかは描かれなかったな。

 

いやしかし、そんなこと出来たら人間はデータストームに人格を保存して肉体はガンドで互換すればいいという、不死が可能になってしまうか。

気の毒なエラン4号君にもう一度身体と本当の顔と人生を、とか、できるとなったらやるかどうかでだいぶ葛藤するわ。

マジでパーメットもガンドも扱うのが難しい技術という他ないねwwww

 

ただそういうSF的発想、

人間はつまるところ人格や意志などの情報であり、

精神と肉体の主従では、精神を重んじ肉体を軽んじるという風潮。

 

例えば肉体の一部が病んだなら、それを取り外して付け替えればいいじゃんとか、

なんかの分泌機能が弱ったなら投薬で代替すればいいとかの、近代医学の発想。

頭、脳さえ無事ならあとは顔を良くでも足を長くでも性の転換でも望むままにカスタムできるみたいな、思い違い。

 

それに対するカウンターが求められる時期がきているのかと思う。

部分の集合ではなく、心身の調和に真の人間性があるということ。

 

 

深謀遠慮のプロスペラと情報戦無敵の精神体エリクトに対して、

 

難しいことは考えられないけど、

悲しければ悲しいままにだばだば泣いて、ご飯をたくさん食べることで前向きになれる、

とにかくフィジカルがメインで後はその場の勢いでなんとかなれー!のスレッタ・マーキュリーが未来を勝ち取った。

 

そういう意味でも、今という時代に合った感性の物語だったと思う。

SFというのは、ちょっと未来の感覚、若者に必要とされるフィーリングの先取りができてないとウケない。

 

 

とすると、自身は学校から動かず人を動かし策略で世界を変えようとしたシャディクがバッドエンドルートで、

家出して地球に落ちて這い上がってきた泥臭い実戦派のグエルがハッピーエンドルートだったのも、主題に沿ってる気がしてきたわ。

頭でっかちでなく、体当たりで生きろと。

 

メンタルよりフィジカル、いや、フィジカルケアからのメンタルヘルス

肉体をいたわることで、なにはともあれ心が前向きになるから。

残酷な世界で何が起こったにしても、まずは目の前のできることからだと。

 

確かに~。

 

情報化社会では、スマホやテレビの画面の前にいれば、

世界の情勢でも歴史でも地理でも、上級か底辺かの人生の条件でも知ることができる。

一覧できる情報が大量過ぎ圧倒的過ぎて、一人で頑張ってもどーにもならない変えられない状況を見せつけられて、やる気を失くす。

 

知らないからこそ無謀になれることもあるし、

知ってしまえば憶病になり無力感に苛まれることもある。

 

それでは、人間は肉体と精神から成っているというのに、

精神と情報の方に天秤が傾き過ぎているのだ。

 

だから、そうなったら、肉体にフォーカスする。

 

しっかり寝て、新鮮なものを楽しく食べて、てくてく歩いて、

そして、目の前のできることをひとつづつやる。そういうリアリティ。

 

時代はそういうフィーリングを求めている、ということかもしれない。

 

 

 

 

 

 

まだ色々あるはずけど、とりあえずここまで。

今からウテナの最終回も見ないといけないので!

 

そういえば、チュチュ、セセリア、フェルシー、ソフィ、ノレア、レネ、と似た属性の女子多すぎ問題について、

 

ウテナ見てたら、七実様、梢、枝織、茎子、と似た属性女子多めなことに気がついた。

 

まあ、水星のナマイキはねっかえり女子勢は全然かわいげあるけど。

ウテナのほうは陰湿で女の嫌なとこ煮詰めてる感がリアル過ぎて背筋が寒いやつ。

 

 

 

シュバルゼッテめっちゃかっこよかったなー。

ラウダをどけてグエルが乗る展開があれば3倍売れただろうに、惜しい。

キャリバーンの魔女のホウキっぽい装備もかっこよかった。

ダリルバルデもよく頑張った。

 

 

バズるか体癖⁉

バズらせ請負人MEMちょが推しの子のブロ主です。

 

昨日の夜から現在進行形でアクセス数が異常事態で、どしたん?

通常日々200アクセスくらいのところ、一気に7000越えて今日中に10000いくなこれ。どしたん・・・?話聞かして・・・(;゚Д゚)炎上チガウヨ。

 

 

 

 

見た通り、94%ツイッターから、体癖の記事へのアクセスだ。

 

 

inspiration.hateblo.jp

 

 

 

で、ツイッターで何があったのかというと、このツイートがバズりかけている模様。

 

 

美容系の情報発信が主なアカウントかな。

フォロワーは一万。ちょうどインフルエンサーと言われるラインあたりだ。

 

当ブログのイラストは、ブロ主の個人的趣味でつくったものであり、なんの公式でもないのだが。

絵師の端くれとしてわかりやすく描けたと思っているし、整体師に良く描けてると褒めてもらったこともあるし、体癖で画像検索すると上位に表示されるので、

それでツイ主も引用したのだろう。たくさんの人に見てもらえて嬉しい限り。

 

 

いわゆる「バズり」の基準は1300リツイート以上、と言われているようだ。

 

当該ツイートは今20時間で570リツイート

これをどう分析すべきなのかはMEMちょ先生でないのでわかんないのだが。

まだ伸びるのか、小バズりで終わるのか。

 

ワクワクしつつ推移を観察していたが。

 

めでたく一日一万アクセスは越えたが、勢いとしては一日でほぼ終息したようだ。

 

 

 

あっという間に平常運転に戻ったのだった。oh・・・。

 

 

でも、いい夢見れたぜ・・・!ありがとな・・・!

 

 

 

そもそも体癖とは。レジェンド整体師・野口晴哉が提唱した分類。

体格や動作と気質や病歴とに密接な関連があることを発見した。

体癖は世にあふれる診断系をまるごと飲み下しても破綻しない体系だ。

なぜなら、その発見は人間存在の本質的な原理にまで達しているから。

だからいくらでも広く多様に発展していけるし、

それよりなにより、

心も体も自ら癒すことを学んでいけるメソッドなのだ。

ja.wikipedia.org

 

体癖のまとめイラスト。

 

どなたもどうぞ参考にされてください。

認識が進むごとにちょこちょこ修正してるからできれば直近の画像をもってってくれ。

そしていきなりアクセス爆増することがあればワケは知りたいから、できれば一報オナシャス。

 

 

 

 

まず基本をおさえる馴らしの記事。

inspiration.hateblo.jp

 

心理や哲学や神秘への発展性を忘れてほしくない記事。

inspiration.hateblo.jp

 

 

 

美容への関心が高い女子のみなさんにはこの記事おススメ。

今日から体癖を活かしたキレイを実践できる。

inspiration.hateblo.jp

 

貴女の推し、好きな歌手の体癖とか、知りたければコメ欄で相談受付。

ブロ主はSKY‐HIとBeFIRSTを推してて考察したよ。

inspiration.hateblo.jp

 

お笑い芸人も体癖を観るのにいいよ。

inspiration.hateblo.jp

 

 

 

inspiration.hateblo.jp

 

 

漫画やアニメでも体癖わかることあるよ。

inspiration.hateblo.jp

 

inspiration.hateblo.jp

 

プロ整体師も引用してくれたことがあり、素人の絵でも大きく間違ってるということはない。ご安心めされよ。

inspiration.hateblo.jp

 

 

 

参考文献

 

 

体癖ガチりたい人はAmazonでなく、公式サイトに野口晴哉の著書がある。

www.zensei.co.jp

 

 

 

 

 

 

 

 

推しの子はキャラの闇堕ち展開が多すぎるので、

ちょっと輪の外にいるMEMちょの安定感が安心で推せるわ・・・・。

 

アイは4種体癖。

本心を見せないというか、自分が何が好きかも曖昧で、他者の視線を反映する共感力が本質。

 

アイはハッキリわかるのに、後のキャラはよくわかんないな〜。

メンタル低調だと体癖がよくわからんのはある。

鬼滅の刃を解釈する5 選ばれず愛されずとも。

「人に優しくできるのも、選ばれた人だけだから。」の時任無一郎、

「君は神様に特別に愛された人なんだよ。」の甘露寺蜜璃、

そして、どう足掻いても選ばれる者となれなかった半天狗。か・・・。

 

鬼滅の刃、刀鍛冶編もよくよく見れば面白いよな。

アニメ視聴しつつ原作も改めて読んでみた。

 

刀鍛冶編はせっかくチームとしてまとまってきた善逸や伊之助が出てこなくて、

ちょっと盛り上がりに欠けるという評価だったし、

自分の過去記事でも、半天狗や玉壺は体癖がわからんとしてスルーしていたのだが。

 

 

inspiration.hateblo.jp

inspiration.hateblo.jp

inspiration.hateblo.jp

inspiration.hateblo.jp

 

 

到底好きになれないキャラ、責任転嫁の権化半天狗について、

それでも掘り下げる視点があると刀鍛冶編全体のテーマが見えてくる気がした。

 

鬼滅の刃はとにかくいつでも対比の構造がよく出来ていて、

たとえば遊郭編では、兄と妹という関係に注目すると面白かった。

 

兄の炭治郎の背の箱で妹の禰豆子が寝ているのの反転で、

妹の堕姫の中で兄の妓夫太郎が寝ていた。

 

兄である炭治郎と妓夫太郎はともに2種体癖だ。

「禍福は糾える縄の如しだろ?良いことも悪いことも代わる代わる来いよ、でなけりゃ神も仏も殺してやる」と慟哭するのは、

世界がルール通りであることを望む2種の感性。責任感が強く家族的な繋がりを好むタイプだ。

 

妹である禰豆子と堕姫はともに6種体癖。

攻撃的な鬼と、かわいい妹の両面性を備えるタイプ。

どちらも殺されかけたところで鬼にされるという目に遭っている。

 

ひたすらに心の美しい炭治郎と禰豆子のダークサイドとして、

鬼の兄妹は世界を呪い、暴力で当たり散らし、仲違いして互いを罵る様子が描かれる。

 

禰豆子が炭治郎をおんぶして鬼の兄妹を探しに行き、

そして妓夫太郎が梅をおんぶして地獄へ連れだっていくのも対比になっている。

 

 

 

刀鍛冶編にもそういう見方ができるところがあるとすればだ。

 

半天狗は、斬られるたびに違う鬼が出てくる。

それは、誰かに否定されるたびに違う人格を演じて生きてきたということかもしれない。

 

積怒、空喜、可楽、哀絶、やたら豪華な声優陣だったが。

 

それぞれ、錫杖をもった僧侶、羽団扇をもった山伏、烏天狗、あとジャージ注連縄を肩に槍を持った(僧兵・・・?)姿の鬼で、

 

 

カッティングステッカー 雷神 トライバル (160mmX140mm) ブラック 黒

四体をまとめると雷神のような太鼓を光背にした憎珀天になる。

能力的には風も使うから風神雷神あわせてモチーフなのか。

中堅声優四名を生贄にレジェンド山寺宏一を召喚したのには笑った。

 

神に近い職から神そのものの姿へランクアップしていくビジュアルの変遷にも解釈は色々ありそうだ。

 

この後、教祖である童磨も蓮池でデッカイ菩薩像を出すのが必殺技だからな~・・・。

 

「神様も仏様もどれだけ祈っても助けては下さらないから」といって最愛の兄が死に、「神も仏も殺してやる」と妹を失う兄が慟哭し、

人食いの鬼こそが神職や神仏の姿で描かれ「神も仏も妄想なんだよ」とのたまう。

ワニ先生の宗教への不信感やばくね?なにがあったし。

 

 

 

そういえば、半天狗は喜怒哀楽に怯・憎・恨、と、分裂した人格をつくりだすほどにある意味で感情豊かなわけだが、

 

童磨は生まれながらにその全てを欠落させてるサイコパスという設定だよな。

半天狗と童磨も、感情という視点を軸にすると対照的なキャラクター造形ではある。

上弦の4番目で僧や山伏、仏の眷属クラスの神と、

上弦の2番目で教祖と菩薩というのもヒエラルキー的に合致してるな。

 

 

んでだ。

 

山ちゃんこと憎珀天の時代がかった口調がお奉行にそっくりという考察があって、

なるほど、畏れ憧れる上位者を真似て強くなったつもりになる。

専門用語でいうところの同一化の防衛機構、それはありそうと思ったが、

 

そうすると、子どもの姿であることと、木の竜という射程の長いムチをぶんぶん振り回す戦法は、絶対強者であろう無惨様をコピーしてるのかもしれないなーって思った。

まあ、作中だと半天狗はそれらを見てないかもだから、俯瞰する神視点の話だけど。

「私は不快の絶頂だ」と「不快不愉快極まれり」とか、おまいう案件で炭治郎をブチ切れさせるムーブとか、似てるっちゃ似てる。

 

バンプレスト 鬼滅の刃 フィギュア 鬼ノ装 漆ノ型 鬼舞辻無惨 少年ver.

キッズ無惨さまとブンブン無惨様

 

っていうか木の竜はさすがにズルくね何あれ。確かに五行思想でいえば雷は木の気ではあるけど。

 

 

 

 

で、まあ。

喜怒哀楽に怯・憎・恨と、次々に違う鬼を繰り出す半天狗は、

「この手が勝手にやった」の手を切り落とされたトラウマもあってか、

仮想人格をつくりだし、その人格を切り離していく、いわば解離性人格障害の血鬼術というか。

手や仮人格に責任を転嫁し、それで自分のせいじゃないんだと言い張って、問題の先送りをし続けているわけだが。

 

仮人格を演じる、というと、

実は時任無一郎と甘露寺蜜璃も同じ問題を抱えていたことがわかる。

 

無一郎は、あまりに傷ついたために主人格の処理を落とし、配慮に欠けた正論を振り回す兄、有一郎を演じていた。

蜜璃は、見合いで髪色や怪力を否定される。異端視されることを恐れ、「私じゃないフリ」を捨てきれずにいた。

 

生命の危機に瀕することで様々な意識の制約が外れ、本来の自分に目覚めるとか新たな力に覚醒するというのは、古典的少年誌的お約束であり、

 

無一郎も蜜璃も回想のなかで自分に向き合い、痣の力に目覚める。

 

一方で半天狗も、憎珀天と恨の鬼は新たな力の覚醒であり、戦いの中で成長しているわけではある。

しかし炭治郎はどの顔の鬼にも惑わされず、「責任から逃げるな!」の追い込みをかけてきて、とうとう最期には過去やお奉行様の言葉を思い出すわけだが・・・。

 

 

 

無一郎や蜜璃は回想の中で、

「誰かのために無限の力を出せる選ばれた人間なんだ」とか

「素晴らしい、君は神様に特別に愛された人なんだよ、誇りなさい」とか。

そういう言葉をかけられていて、それを拠り所に奮起する。

 

しかしその言葉だけ改めてとりだして眺めてみると、

ワニ先生のワードセンスからしても、ややなにかの偏りを感じないでもない。

選ばれた、とか、特別、とか。

つかワニ先生が神様っていうときはどうも否定的なニュアンスの言葉なわけで。

 

生まれながらに才ある人への称賛の言葉。

 

選ばれず特別でなかった人の諦めの滲む言葉。

 

選ばれて愛された者と、そうでない者がいるという言葉。

 

それは、人を分断する言葉だ。

 

この後、縁壱なんか「神々の寵愛を一心に受けた、世の理の外にいる、特別」とまで言われてるが、それも兄弟を遠ざけ分断する寂しい言葉でしかない。褒め言葉じゃないのだ。

 

厳勝兄上はその言葉で弟を突き放して憎み、

お館様は蜜璃を鬼殺へと囲い込んでいる。

 

 

 

半天狗は強さを生む感情をどんどん切り離し、本体は「ワシは弱者だ、此程可哀想なのに、誰も同情しない」っていう自己認識のとおりに盲いた老人の姿だが、

 

老いて醜く弱く、誰にも選ばれず、愛されない、というのは、

若く美しく強く、選ばれて愛されて特別な、無一郎と蜜璃の対極としてデザインされてはいるよな・・・。

 

しかし、人は誰でも老いて、若さも美しさも強さも、愛してくれた人を失う時がくることも、心のどこかで知っている。

 

そうすると、あれほど捻じ曲がった性根の半天狗にもシンパシーの余地がでてきてしまうわけではある。

 

だって、たいていの人は神に愛された輝く才の持主じゃなくて、それを仰ぎ見るその他大勢の方で、

なにも持たない自分を認めたくなくて、弱者でいることを許せなくて、様々に自分を装い演じている方なんだから。

 

君臨する強者であるお奉行様や無惨を模倣した半天狗のように、

 

カリスマ芸能人やスポーツ選手や、親や祖父母や兄姉、それこそアニメ的なキャラクターの化粧や恰好、行動パターンを無意識に模倣していることは、きっと誰にでもあるわけで。

 

そうやって、憧れ仰ぎ見る強く美しい者を演じるうちに、

隠している本来の自分はどんどん卑小に思えてきて、

一人の時ですら演じているペルソナを外すことができなくなっていく。

本来の自分を抑圧し忘却し、作り上げたペルソナを自己と思い込む。

 

そしていつしか、自分に向き合うことができなくなるんだよなあ。

 

選ばれず愛されない自分を生みだし、日の当たらない夜に閉じ込めているのもまた、自分なんだよな。

 

まあ、半天狗はそこで弱者アピール被害者アピールでマウントしてくるほど図太いわけだが。

 

炭治郎は、過大の嘘も過少の嘘も見破り、等身大の自分を認めない弱さを決して許さなかった。

人が夜に閉じ込めておきたい鬼の部分、心のダークサイドを認めてごめんなさいするまで絶対逃がさないと、「責任を取らせる」と、どっちが鬼だかわからない気迫で追っかけてくる。

 

それは、自分も他人も欺き続けのらりくらりと逃げ続けてきた半天狗にしてみれば、

ある意味でとことん自分に付き合って向き合ってくれる他者、自分を選んでくれた者ではある。

厳しいけども、それはやっぱりほんとのところ、優しさだ。

普通はあそこまで面倒な輩とは付き合いきれん。見限って見捨てて斬るわ。

 

 

そして多分、その成り行きこそが、

禰豆子が太陽を克服できたことの意味なのではないかな。

 

鬼になってしまった禰豆子。

人間のときは弟妹が多く「私はいいから下の子たちに食べさせてあげて」と言って古い着物を何度も手直しして着る自己犠牲精神の子だった。花子のように素直な我儘の言えない気質だった。(8種体癖的)

それが鬼になってからは、お兄ちゃんを一人占めでずっと背負って連れてってもらって、唯一人の妹として幼児退行して存分に甘えられて、時には鬼の強い力で兄を助けることもできた。(6種体癖的)

 

人間のとき、我慢していたこと、できなくて歯がゆかったかもしれないことが、鬼であればできる。

鬼でいること、鬼のペルソナを演じていることは、彼女にとって利益があることなのだ。

堕姫と妓夫太郎でみても、妹が役立たずで兄の足を引っ張っぱってると罵られてたわけで、それは炭治郎と禰豆子の間でも解決されない問題として潜在していたのだろう。

 

だから、鬼でいることは望みを叶え自己を実現する心地良いことであり、

無力な人間の自分に戻ること、ありのままの自分を認めることはだんだん恐ろしいことになっていく。

 

しかし、あれほど面倒な嘘つき逃げ癖の多重人格でしかも赤の他人の半天狗に、

炭治郎が驚異的な根気で付き合いきったことにより、

 

禰豆子も、この兄ならば、

蜜璃のように神に愛された特別でも、無一郎のように選ばれた人でもない、

ありふれてめんどくさい、ありのままの妹の自分でも見捨てることは無い、と確信できたのではなかろうか。

 

だから、鬼に、夜に、箱に閉じ篭もるのをやめて、日の当たるところに一歩ふみだすことができた。

 

やや唐突な展開だった、禰豆子が太陽を克服する流れもそういう風に解釈できないこともないなーと思った。

 

陽光のもとで禰豆子が炭治郎をおんぶしてるのも良かった。

兄を背負えるようになった感が伝わった。

 

刀鍛冶編以降、禰豆子は戦わないしな。

無限城の最終決戦に鬼化して戦う禰豆子がいないのはつまんなく感じたりもしたが、

それもまた、意味はあったのだろう。

ペルソナを演じ続ける者の末路を半天狗から学び、

どうあっても誰も見捨てない兄を知ったから、

兄の背から降り、本来の自分に戻る癒しのプロセスに専念し、

そして最後は兄を本当の意味で支えられる自分を取り戻しているんだな。

 

 

 

禰豆子あんなに顔かわいい言われてる娘さんなのに、意外と自信がなかったのかね。

長女の心理ってそうかもね・・・。

8種体癖だと自分に厳しいところがあるし・・・。

いや、かわいいって。それだけでハッピーであれ。

 



根気強い優しさが分断を融和に導く素晴らしい話だったし、

心優しい炭治郎がとても好きだが、

まあ、リアルであんな稀有な人にコミットしてもらえることはほぼないから、

じゃあ私たちは、選ばれず愛されない悲しみと痛みを抱えて生きていくしかないのか、

っていうと、そういうことでもないからね?

 

死の危機を待たずとも意識のリミッターを外すことはできる。

瞑想してもいいし、琴線に触れて響きあう物語に没入することでもソレは揺れる。

痛みから目を逸らし夜に閉じ篭ったのも自分なら、

日の当たるところに歩いていくのも自分の足にできること。

そもそも、超越的な何者かに選ばれたという分断と対立の概念は幻であり、

愛は命のようにどこか奥のほうで滾々と湧き続けているなにかなのだから。

ほんとうは、ただそれに気がつくだけでいい。

許しも喜びもいつもここに在り、

今、生きてるというそれだけで、生きていけるのだ。

 

 

 

 

 

 

ねんどろ時任無一郎と甘露寺蜜璃まだ監修中て。はよきて。

 

 

 

 

 

 

 

 

inspiration.hateblo.jp

inspiration.hateblo.jp

inspiration.hateblo.jp

 

 

半天狗に注目できたのはこちらのブログのおかげ。いつもどうもどうも。

gunber.hatenablog.com

 

 

そして玉壺については特に感想無し!

アニメだとよく動いて楽しいヤツな気がしてきたw

玉壺は半天狗と逆に、めっちゃ素。

あの外見にさえなんのコンプレックスもなさそうw

ああいうタイプは生きやすそうでええな。